№33「可知」
わが家の応接間、と言ってもただのリビングだが、此処に今、一人の客人を迎えている。
私が家に招待する人間などたった一人しかいない。だが、今回はいつものような不法進入を許すのではなく、彼を呼び付け、一人だけの主賓を持成す為に、供応の限りを尽くした。
「どうぞ、粗茶ですが」
「……お茶? これがですか?」
レザードの視線は私の出した湯呑みの中に注がれている、陽炎のような湯気を立てている、濃い緑色の液体を確認すると、短くそう告げた。
「どこからどう見ても、お茶以外の何物でもないでしょう?」
「……なるほど、話があるからと呼ばれ来てみれば、私を亡き者にしようと裏で画策していた――そういう事ですか」
「全然っ違う。私が東方の古都に出向いた時に、お土産で買ってきた物よ。それ以外に他意はないわ」
「そうなのですか? 私には毒々しい薬か、効き目のありそうな毒にしか見えませんが……」
そう言ってレザードは湯呑みを逆さに返す。法則に従って線となるはずの液体は、その理に反し、重力から開放され円となる。そんな緑茶を玩具のように弄ぶ、レザードの姿は堂に入ったものに見えた。
「口を開けば文句ばかり……嫌なら他のにしますけど? 珈琲? 紅茶? 貴方はどちらが良いの?」
ふっと、指揮者はタクトを振る。自然と湯呑みの中に戻る緑茶は、自らの居場所を記憶していたかのようだ。
それと平行して、私の提示した二者選一にレザードは即答した。
「いえ、結構です。こんな手の込んだ物を用意する、貴女のお心遣いには感服いたしました。私は、その感性を服するといたしましょう」
……もう呆れもしない。こんな時、彼の言葉には百聞の価値も無い。素直に礼を述べるわけでもなく、ましてや謙っているわけでもない。
「いい加減、毒から離れてくれない?」
憎たらしい皮肉を吐き出すだけだからだ。こんな男にあれやこれやと用意しようと思った一時間前の私を叱責したい。
こいつが食べるかどうか怪しいが、茶を出すならば、茶請けも必要だろうと準備しておいたが、この男は事もあろうに、大前提である茶を拒否した。
この時点で、蟻の心臓かくやと思われた私の幾許かの歓迎心は、塵と化し消滅した。呼んでおいて何だが、用件を済ました後は早々にご退場願いたい。
「……クク」
くすくすと、これ見よがしに笑う彼を見て、機嫌は良いようだと態度で見てとれる。客を不快にさせないという主旨から見れば、私の歓迎も無駄ではなかったという事だ。非常に不本意ではあるが。
さて、彼の機嫌も良くなり、私の機嫌が悪くなった時こそ、私達の本番だ。
早々に話を終わらせたい私、そんな私の真逆の心理を突くこの男。舌戦は幕を開けるだろう。
注意事項は、互いに不利益の出ない関係の維持。それがレザードとの関係性を繋ぐ、コツのような物だ。
相手の最も必要とする事象の芯を察し、そして自らの根底に蔓延る欲という泥を掬われないように、核心に杭を打ち付け合う。擽るわけだ、懐にある魂を。
境界線や、天秤といった物に例えられるだろうか。私達の応酬も、傍から見ればまるで言葉遊びのように映るだろう。だが、一度線を踏み越えれば、生命を掛けた一幕に早変わりだ。
レザードにとって、命は尊重されるものではない。渇きを覚えた欲望を満たすためには、命の価値は羽よりも軽くなる。
そう、求めるべきは価値だ。それはレザードだけではなく、誰にでも当てはまる当たり前の生存本能。
生きとし生けるもの全てが持つ欲望は、死活的で、至要でもあり、偶像に描く垂涎の品をその手に掴み、手に入れる事を理想とする。欲深い人という生物ならば、それは顕著だろう。
そこには善人も悪人も無い。ただレザードは、ほんの少し本能に忠実で、計算高く、且つ全くの容赦が無いだけだ。そこにさえ注意しておけば、レザード・ヴァレスはそこらの人と変わりはしない。
「それで? 今日はどういった了見で私を呼び出したのですか? まさか郷土色溢れる土産を披露するために、茶会を開いたわけでもないでしょう?」
一通りの会話を済ませた後、急かすように私の言葉を催促するレザード。彼の脳裏にはあらゆる状況が想定されているはずだが、これから語る目分量の未来は、彼の思惑を超えるだろう。
「その前に、一つ質問」
「何でしょうか?」
まるで感情の篭っていない、軽やかな口調とは裏腹に、目に掛るくらいの前髪から覗く目つきの悪い三白眼は、睨むように私を射抜く。
その瞳に羨望の念は無く、邪欲による純粋な光が広がり、誰にも理解されない、欲望の上澄みが燦然と輝いている。
そこには、先程までいた辛辣な皮肉屋は霞に消え、英知を極め、それを欲望の為だけに費やす、一匹のヒトがいた。
私はその事について何か思ったりはしない。これがこの男だと、初対面からの第一印象を再認識するだけでしかない。
それで良い。其れであればこそ、無意味ではない価値がある。
私は意を決した。凍りつき、静けさを保った家屋に、招かれざる感興の熱を灯す。
「魂とは何かについて、ご教授願おうかと思って」
私の言葉を聞いた、レザードの眉が密やかに動く。
もしかしたら、今、彼の心に殺意が芽生えたかも知れない。
この質問が彼の狂心に響いていなければ、舌戦は早々に終止符が打たれ、死闘の筆が表紙を綴る。
彼の眉間に皺が寄る理由にも察しがついている。この男は、無駄や、二度手間という愚行を美徳とはしない。
だから怒りに身を焦がす。何せ私がこの質問を問いかけるのは、二度目なのだから。
「魂とは、神聖であり普遍、自らに定められし輪廻の環、与えられた奇跡にして軌跡、唯一無二にして不滅……あの世界で、貴方はそう言っていたわね」
「……」
ダンマリですか。まぁいいけど。
「それは確かに間違いじゃあない。でもね、ここにはレナスやオーディンとは違う創造神がいて、違う魂の在り方がある。“この世界”の魂は似て非なるものなのよ」
あちらの世界、ヴァルキリーがいた世界では彼の真理は不変の事実に相違ない。だが、問題はこの世界での魂の扱いだ。
魂が単体で行動し、自我を持つ。
魂のみで行動する存在は確かにあの世界でも多数存在していた。だがそれは、正統なる器を持たない邪悪なる存在――不死者と呼ばれる存在だ。
例外は、運命の三女神の従者と術の行使に失敗した哀れな戦士くらいなものか。ヴァルキリーはエインフェリアにその身に宿る力を与え、嘗ての冒険者は、自らの魂が拡散する前に鎧に宿った。
「魂が安寧の時を忘れ、輪廻の環に入らず、何不自由なく生活し、それでいて……不死者とは違う。
こんな馬鹿げた話が、この世界には蔓延っている」
その他にも、特筆すべき代償も必要なく、寄り代に寄生できたりとか。これは私が知りえない情報だから、レザードに話すべきではないが。
「私が知ったのは最近になってから。貴方が知るか否かを、私には知る術が無いけどね」
レザードは身動ぎもせず、否定も肯定もしない。それは私に続きを話せ、と促しているようにも取れるし、ただ聞き流して別の事を考えているようにも見える。
沈黙は肯定の意を示していると比喩される事があるが、それは余りにも分かりやすい道標で、まるで用意周到に準備されていた物のようにも思える。
ならば逆だろうか、いやそれでも――と、示された分岐の先は見えない。疑惑で育んだ心は、コインの裏表のように全く別の顔を曝け出す。
そっと様子を窺っても、石像のように態度を変化させないレザードでは、情報は得られそうに無い。
先程から寸分違わず発する静かな威圧は、空気を弛緩させる暇を与えない。張り詰めた緊張の糸は、私の心と身体を緊縛し自由を奪う、蜘蛛の糸ようだ。
ふむ、憶測で物事を語り、相手の反応を見て話の道筋を組み立てる――そんな愚かで、浅はかな考えであると、誤解されては困るな。
……用は試しているのだ。レザードも、そして私も。
私は今、知る術は無いと断言したがそれは誤りだ。
レザードは人形達の製作に関っている。これは言い逃れできない事実。
ならば、人形に使用されている核――擬似的な魂に興味を惹かれるのは、極自然といえるだろう。
失伝魔法とは異なった、異界の魔法による魂の生成。神にのみ許された、生命の創造。
そんなご馳走を前にして、我慢などという言葉は彼の辞書には存在しない。必ず隅々まで調べ尽くす。
そして遠からず、魔法世界の真理に辿り着くだろう。独学で研究し、誰かを頼りにはせず、また、誰にも公言しない。
口にして良い建前と、胸の奥に閉まっておくべき本音。この判断の優劣に関して言えば、レザードの実力は折り紙つきだ。
自身の逸脱した性癖を、隠すには苦労しただろうからな。
「私は多くの類似点と僅かな相違点を知った」
故に限りなく真意に近い解答、是を前提に話を続け――
「それが私達にとって、価値ある発見だったとしたら……どうする?」
――話の本題へと誘う一節を口にする。レザードが私の言葉を耳で反芻し、意味する所を理解した時、二人だけの隔離された世界は、劇的な変異を生み出した。
「私“達”の価値? それは我々にとっての利益、つまり――神の抗拒に連なる発見なのですか?」
凍える氷河期を忘れ、隔世の時代を迎えた動物達のように、先程までの緊張感は霧散し、朗らかな風が世界を包み込む。
硬く閉ざされた天の岩戸は、甘い音色に誘われてその存在意義を失った。
開かれた胸の内は、唐突に訪れた好奇心に躍動する。
彼の喜色を前面に押し出した表情に、私は感情を押し殺す。
「そのとおり。そして、私達の未来を磐石にする物でもあるわ」
にこりと笑顔。意識された口角は、声に成らずとも嘘を吐く。
私の発想、それは不可知の領域に踏み込む、神への冒涜だった。
あとがき
……お待たせしました。
なんとか代替案も出たので、今日をもって復帰します。
忘れられてる気もするし、見限られた気もするけど、チラ裏でボチボチやっていこうと思います。
文章あいかわらず短いですが、まぁ勘弁してください。チラ裏くおりてぃということでひとつ。