<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


No.22577の一覧
[0] 【習作】ヴァルキュリアなオリ主【VP×ネギま!】[天子](2010/10/25 18:00)
[1] プロローグ№2[天子](2010/10/17 20:36)
[2] プロローグ№3[天子](2010/10/25 18:03)
[3] プロローグ№4[天子](2010/10/18 18:40)
[4] プロローグ№5[天子](2010/10/19 19:40)
[5] プロローグ№6[天子](2010/10/25 18:09)
[6] プロローグ№7[天子](2010/10/21 18:41)
[7] プロローグラスト[天子](2010/10/22 17:36)
[8] №1「不死者の女王」[天子](2010/10/25 17:58)
[9] №2「広範囲凍結殲滅呪文」[天子](2010/10/25 19:33)
[10] 番外 エヴァ[天子](2010/10/25 19:35)
[11] №3「憑依」[天子](2010/10/30 20:38)
[12] №4「親馬鹿」[天子](2010/10/30 20:41)
[14] №5「昨日の終わりは何時なのか」 編集再投稿[天子](2010/11/01 00:32)
[15] №6「邂逅」[天子](2010/11/03 12:48)
[16] №7「参戦」[天子](2010/11/06 18:07)
[17] №8「将軍」[天子](2010/11/08 23:27)
[18] №9「日頃、感じる事」[天子](2010/11/11 18:22)
[19] №10「姫」[天子](2010/11/14 18:03)
[20] №11「孤児、意地、師事、誇示」[天子](2010/11/16 18:03)
[21] №12「疑惑」[天子](2010/11/19 22:01)
[22] №13「考察」[天子](2010/11/23 12:12)
[23] №14「準備」[天子](2010/11/25 19:25)
[24] №15「召喚魔」[天子](2010/11/28 18:00)
[25] №16「手加減」[天子](2010/12/02 19:27)
[26] №17「離別」[天子](2010/12/05 19:34)
[27] №18「高慢な神、優しい人」[天子](2010/12/18 18:47)
[28] №19「不完全なる世界」[天子](2010/12/11 14:12)
[29] №20「終わり、始まり。」[天子](2010/12/15 17:55)
[30] №21「長居」[天子](2010/12/19 22:24)
[31] 番外 アリカ[天子](2010/12/22 21:11)
[32] №22「凶兆」[天子](2010/12/28 21:03)
[33] №23「問題」[天子](2011/01/05 20:44)
[34] 番外 ナギ[天子](2011/01/12 02:29)
[35] №24「イト」[天子](2011/01/19 20:21)
[36] №25「白駒過隙」[天子](2011/01/28 00:29)
[37] №26「馬鹿な選択」[天子](2011/02/05 02:16)
[38] 番外 エヴァ2[天子](2011/02/17 01:24)
[39] №27「アナタの青写真」[天子](2011/02/27 02:04)
[40] №28「こたえて」[天子](2011/03/14 00:28)
[41] №29「色々」[天子](2011/03/26 21:05)
[42] №30「勘違い」[天子](2011/04/10 18:53)
[43] №31「魂」[天子](2011/04/27 03:25)
[44] №32「蛇足」[天子](2011/05/08 02:53)
[45] №33「可知」[天子](2011/09/21 21:57)
[46] 番外 タカミチ[天子](2011/10/24 03:26)
[47] №34「幻日」 序奏[天子](2011/11/30 22:25)
[48] №35「現実」 奏功[天子](2012/02/04 16:09)
[49] №36「訪れ」[天子](2012/06/16 02:20)
[50] №37「理想鏡」 [天子](2012/11/24 01:50)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[22577] №32「蛇足」
Name: 天子◆8cbc9fac ID:ddb9d17b 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/05/08 02:53
№32「蛇足」








 この世界の気とは何か。まずは其処から考えよう。

 実は私はこの世界に来て“気”というモノについてを考えた事も無かった。

 私の前世で言う所の気とは、人や動物や植物の持つ生命の力。体から溢れているとされる、不可視で思想上の概念。

 武術や医療の点で気の概念は度々槍玉に挙げられるが、そのどれもが科学的な証明には至っておらず、又、気が解析されたという論文も発表されていない。

 前世ではその存在が眉唾物として扱われるが、別の角度から見れば、度々サブカルチャーに登場する空想上の不可思議の一部を担い、もはやその土台を崩される事は無いと言える程、衆目に晒された。

 これが前世での気の認識。大まかな主観は入っているが、概ね間違い無いだろう。
 
 ではこの世界での気とは?  

 私が前提として前世の認識を例に出したのは、この世界との違いを明らかにする為だ。

 第一に、この世界では実際にその存在を確信できる。
 
 凝固された気の圧縮はその目に映り、感じられる圧迫感と理不尽な出力は一般人にもその影を悟らせる。

 次、これが大事なのだが、気が何で構成されているか? 私が気掛かりなのはこれだ。

 前世の提言を借りるならば、このネギま世界でも、生命力の内の一つに分類されるのだろう。

 体から溢れ出るこの力を作為的に使い、昇華させてきた者達もいれば、無意識に使う者もいる。どちらも武術に精通している者に発現すると言う類似点が実在するが、今は関係の無い話なので割愛しよう。

 更に深く掘り下げようか。では、生命力とは? 

 原作では体力と表現されていた為、正しく生命の力。自分の体力を削減して高出力を得て、戦いに臨む。聞けば自殺行為のように思えるが、作中の気の使い手共は、バンバン気を使い、あの英雄の一人に数えられる馬鹿二号は気が擦り切れるまで戦いに興じるバトルジャンキーだ。

 彼等は疑問に思わないだろうか?

 私から見て彼等の戦う様は、自分の体力を削り、振り絞りながら死に向かって歩いているように見える。死中に活。聞こえは良いが私には到底真似できないし、正しく馬鹿の所業だ。

 だが現実は違う。気の使い過ぎで死んだ、という話を私は知らないし聞いた事も無い。気の使い手が原作で最も磨耗した姿を現したのはネギとラカンの試合だろうか。

 両者の死闘と呼べる戦い。それでも、ラカンは死に瀕する程の重傷を受けても、次に会うときには――包帯を巻いていたが――死を連想させる程の悲愴な面持ちなど感じさせなかった。  

 チート。その一言で済ませれるラカンが――何故あれほどのチートなのか私の預かり知らぬ所だが――あれ程の戦いを繰り広げても、気の使い過ぎで死ぬと言う事は無い。

 例に挙げたラカンが間違っているかも知れないが、私は彼以上の気の使い手を知らないし、彼以外の者があれ程の大出力の気を発揮する場面を私は覚えていない。

 ともあれ気の使い過ぎで死ぬ事は無い。ではそれは何故か。

 前までの私の思考ならば、此処で躓いていただろう。これ以上前に進めず、立ち往生していたに違いない。

 だが今回、私の手には杭が握られている。魔法世界と現実世界を含めた、世界の心臓に付き立てる杭だ。

 気の不思議ではまだ謎の部分は残っている。

 それも、ネギ対ラカン戦で浮上した、見落としていた不可思議だ。

 ラカンの気とネギの魔力の応酬。その中でネギが打倒ラカンの切り札の一つに数えた、一手の妙手。

 “気弾の無効化”

 ネギのアーティファクト“千の絆”形状は小さな革のパスケースのようなもので、端的に能力を説明すると、自らの従者のアーティファクトを自分で使うことができるという物だが、

 その中での神楽坂明日菜のハマノツルギによる魔法無効化など、アーティファクトの特性も完全に再現し、ラカンの気弾を無効化、それ所か“千の顔を持つ英雄”までも無力化することに成功した。

 そう“気弾を魔法無効化能力で打ち消した”長々と気について考察したが私の言いたい事はこれに尽きる。 

 魔法無効化能力が気を無効化するのは、これが初めてでは無い。ヘルマン襲来の時も、これと同様の事態が起きた。

 その時のヘルマンは神楽坂明日菜の能力をペンダントに移し、放出系の能力を無効化して見せた。

 ヘルマンの話も例に出したが、今はとりあえず“気を魔法無効化能力で無効化できる”それと“気の使い過ぎで死ぬ事は無い”これを覚えておけばいい。

 続いて、この魔法世界で生活を続けている魔法生命体。所謂“幻想”達の事だ。

 近い将来、フェイト達によるリライトで完全なる世界に生活圏を移す事になる彼等だが、これの答えが、先程分身での報告で活路が見出せた。

 黒髪の少女には神器は反応せず、恐らく幻想の男子には神器は反応をして見せた。

 これの解、少女には器が存在し、男子には器が存在しない、男の子は詰る所の幻想だろうと推測できる。

 魔力が生成されたのがその証拠だ。

 この世界の幻想、魔法生命体は、その構成が恐らく魔力で出来ている。そうでなければ、神器は消失した魔力に反応しない。

 つまり神器は彼等の事を、拡大解釈として“只の魔力”と肯定したのだ。其処に意志があるかなどは全く関係無く。

 その為、失われた魔力と同等の魔力を、少量ではあるが我々の目の前で生成して見せた、これが解。

 だがこれも仮定の解に過ぎない。それでも、こう考えれば後々の事には筋が通る。

 私が前から考えていた“魔法生命体”の定義を更に象る事となる仮定だが、これだけでは“リライトによる隔離”には届かない。

 今までの仮定では真偽を量る天秤は安定せず、疑問に矛盾を生んだ。だがその均衡を破る言葉が“魂”だ。

 魔法生命体。意志ある魔力は“人の魂”が具現化した姿とも言えなく無いだろうか。

 そう考えれば前述の“気が魔法無効化能力で打ち消せる”にも光明が見えてくる。
   
 前世での既存の気の概念では魔力とは分別が付けられ、互いに別物だとも思われている節もある。

 だが、この世界は違う。

 気と魔力は相反する物ではなく、逆に私は、気と魔力の本質は同義と考える。もし互いに違う部分があるとすればそれは“只の色違い”程度の違いしかないのではないか?

 魔力は、世界に溢れる“気”と言えるし、気はその個別の存在、魂から溢れ出る“魔力”とも言える。

 根本では両者は実に似通った概念であり力。互いに相反する力だけならば咸卦法と言うあのふざけた技法は確立し得ない。 

 その証左が“相坂さよとアルビレオ・イマ”だ。

 気と魔力が類似した物だと考えられる最大の要因が、気弱な幽霊と意地悪な英雄なのだから私がその類似性に気づけないのも無理は無い。

 まずは相坂さよ。

 彼女は実に六十年もの間、幽霊としてその存在を図らずも秘匿し、又、一部の者以外には認識されずに生活していた。

 一人では教室から一定の位置にまでにしか移動できず、何かに憑依しなければ自身が物に触れる事も叶わない。

 そんな彼女とアルの一体何処が似ているのか。

 ではアルについて語ろうか。

 完全なる世界との戦いで名を馳せ、英雄の一人として数えられ、これから麻帆良にて司書に身を窶す彼だが、その武力は英雄の名に相応しい。

 彼の個人技法とも呼べる重力魔法。それだけではなく、治療魔法まで習得している。更には頭脳明晰と来て、オールマイティに活躍する彼は、紅き翼を影で支える主柱の一本。確かに味方であれば――鬱陶しいが――頼りに成る奴だ。

 そんな彼の長所や短所とも言える要素を述べればキリが無いが、一つだけ。

 “彼は分身を使えない”いや……使わないと言ったほうが正しいのか。

 これは私が実際に彼と一緒に戦い、それに従事していたから判明した事実だが、彼が戦時中に分身を使った形跡やそれ等を私は見たことが無い。

 では何故私が彼が分身を使えると思い込んでいたのか、それは原作知識の弊害と呼べる物の所為だ。

 彼が分身を使ったとされる麻帆良学園祭による武道大会、其処である“間違った知識”を覚えていた所以だろう。

 間違い――ミスリード。原子分解魔法と同じく、本戦で優勝した彼が分身であると、一体誰が証明したのか。

 彼に対する打撃攻撃がすり抜けたから? 馬鹿な。そんな分身“聞いた事も無い”

 彼程の巧者ならば分身に実体と同じくらいの質量を混ぜる事も可能だろう。分身を覚えたての若い初級魔法使いや気の使い手ならともかく、英雄の名に連ねる彼が、吹けば消えるような分身を造るだろうか。

 否、断じて否。それが逆に、武道大会での彼が分身でない事を示唆していると言っても良い。

 ではあれは何だ? ネギや明日菜、エヴァ、その他の原作面々と対面した彼は偽者なのだろうか?

 ――違う。私はあれが“実体”だと確信している。 
   
 その答えが、相坂さよだ。

 一定の場所から離れられず“幽霊のように”物がすり抜け、そして――髪の色が薄くなるのも、相坂さよと同じ。

 相坂さよが元からあの髪色ならば判断は困難を極めるが、実は黒色やその他の色の付いた髪色だったのではないか?

 十年、二十年、……計六十年も経って次第に髪が薄くなり、あの病的な髪色に変貌したのではないか? だから――麻帆良学園の理事長も、その存在に気づかない。“気づけない”

 昔とは姿が変わり、記憶も薄れ、印象がガラリと変わってしまった彼女を、同姓同名だと気づいたとしても、同じ者だとはどうしても思えなかったのではないか?

 ……妖怪麻帆良学園理事長の色恋沙汰など興味は無いし、所詮仮定の話だが。

 髪の薄くなる理由にも注釈をつけようか。あれは現実世界と魔法世界の“魔力量の違い”だと類推する。

 そもそも麻帆良などの聖域と呼べる場所でも、全体の魔力量は魔法世界とは桁が違う。例えるならば、平地と高山が近いだろうか。魔力と空気が同様の物と考えれば、こんな空気の濃い魔法世界から薄い現実世界に飛ばされ、身体に支障を来すのも無理はない。例えそれが英雄だろうとも。

 いや英雄だからこそ、魔力の薄い世界ではその内包……いや、外延する魂の劣化が激しいのかも知れない。魂だけの存在と言う物に私も一時的に同じ状態になったが、気持ちの良い物ではない。レナスが異変を感じ、私の供給をカットしていたらと考えるとゾッとする。

 そして気の使い過ぎで死なない理由にも、魂だけの存在である彼等が答えを示してくれる。

 もしアルの魂が有限の物で、魔法を使う事に制限が設けられているのならば、魔法の使い過ぎで消滅までは行かなくても、何らかの不具合が生じる可能性は充分にある。

 だが、アルは現実世界でも魔法を使う。限られた空間と極僅かな時期が重なった時だけだが、周囲の魔力が充満する学園祭の時期だけ、その本来の姿を見せる。
 
 現実世界では制限されているが、魔法世界はその限りでは無い。高濃度の魔力下では魂の存在は気や魔力の恩恵を享受している。

 高濃度の魔力では気や魔力の使用の軽減や回復、他の何らかの恩恵を受ける。そう仮定すれば、気の使い手であり幻想でもあるラカンもその恩恵を受け、息をするように、魔力を周囲から取り込む魔法使いのように、辺りの生命エネルギーを取り込んでいるのかもしれない。

 それにラカンは魔法が使えないという訳でも無いし。まぁ何が言いたいかと言われれば、気の使い手も周囲の魔力を取り込んでいるかも知れないと言う可能性の話をしている。

 相坂さよが魔法世界で随分活動的に見えたのも、それが関係しているのかも知れないが、そこまではわからない。

 まぁ色々と妄想したが、此処で大事なのは、魔法世界と現実世界に、類似点ができた所だ。

 つまり、幽霊と幻想はイコールで結ばれ、どちらも“魂の塊”と呼べる存在だと、考えられる。

 気と魔力、幽霊と幻想、魔法世界と現実世界。そして魂。

 これが“世界を殺す杭”だ。きっとこれが、火星と地球の泥沼の戦争へと発展して行く。

 が、これも今は関係無い。それに未来の話は不確定要素が多すぎる。そもそも原作時間軸では戦争は起き無さそうだし。

 では話を戻そう。というよりも、これからが本題なんだが……語る必要は無さそうね、答えはもう見えているもの。

 まず、幻想と人間、これの違いは――器を持つかどうか。

 魔法世界人でもクルトの語る六千七百万の“人間”これ等は除外だ。彼等は“器持ち”

 だが器を持つ故に、クルトは彼等を助けなければならない。崩壊した火星では彼等は生きられず、“魂だけが平等に完全なる世界に移行される”から。

 肉体を持つ者、魂だけの者、皆を平等に完全なる世界に隔離する。その為にゲートを潰し、逃げ場を無くした。幻想はリライトにより消え去り、肉体を持つ者は宇宙空間に投げ出され、窒息死の後、魂は完全なる世界へ。まぁ肉体を持つ者は自然死の後回しにされたと考えるのが妥当だろう。 

 クルトは何処かでその事実を知り、それを嫌った結果が器持ちの者だけの救済。私はクルトの案に賛成だけど、ネギ君は反対なのだから仕方無い。

 こうしてネギは知ってか知らずか、火星世界全員の救済に動く事となる。皆を“平等”に救う為に。 
 
 フェイトの語る“平等”がどちらを意味するのか解りきっているし、私がクルトの意見に賛成するようにフェイトの意見にも賛成だ。ネギ達の考える最善策の平等とは根本から違うが、フェイト達の方が幾分か現実味を帯びている。

 さて、ここまで語れば後の事は誰にも解るだろう。

 ナギは二番目と相打ち、死肉は誰かが持ち去り、魂だけが現実世界に残った。これが死んでいるのに生きているの理由。何処に居るのかなんて知らん。だが案外、誰かに憑依しているのではないか?  

 ガトウの肉体は死滅しているが、フェイト達の人は殺さない発言が確かなら恐らく、ガトウの魂は完全なる世界に存在するのだろう。ネギまらしいというか、神様らしい世界だとつくづく思う。結局誰も死んでいないのだから。

 では最後に、何故造物主がゼクトに憑依したか。これは予測していた、彼等なりの保険なのだろう。

 強制的に他者の器に入り込む事で、つまり憑依する事で広域魔力消失現象での消滅を免れた。それを可能にしたのがゼクトと言う名の素体だった。

 今更中身が誰かなど気にしていないが、造物主が生きている事は最早確定した未来だ。

 私に御執心の彼が、蛇のように虎視眈々と牙を付き立てる為に準備を進めていると考えるだけでも嫌気が差す。これだけの数の魂を管理し、今まで高濃度の魔力を維持してきただけでも素晴らしい。あの高慢な神達も見習って欲しいものだ。これほどの力を持つ彼の絶望とは何か興味が湧いて来たが、計画には関係の無い話だ。 

 まぁ嫌な事ばかりではない。今日この時に真実に近づけた事がどれほどの意味を持つのか、ククッ……これからを考えるだけでも胸が躍る。 

 本当、今日のお陰で色々と知る事ができた。私の思い込みを木っ端微塵に壊してくれた彼には感謝してもしたり無い。

 私の眼前には地面に突き立てられた槍が一つ。完全な蛇足となったが、彼の最後を少しだけ語ろうか。  


 ◆


 タイミングは本当にシビアで、暢気に考え事なんてして保険を一つ使い潰す所だった。

「消え去れ!」

 彼の声と槍が届くのは同時だったと思う。槍は私を吊り上げている忌まわしい両手の内、天から降り注ぐ雷鳴の如く、彼の右手を刈り取って行った。

「!!」 

 声にもならぬ声を上げ、五番目は咄嗟に――防御反応をしてしまった。これは本当に癖のような物で、彼の弛まぬ訓練の賜物が結果として悪い方向に傾いてしまった。としか言えない。

 私から自分で距離を作ってしまい、再び距離を詰めようとするが、時既に遅かった。彼が再び私の手を掴む前に、下から突き上げられた神速の槍によって、彼の身体は瞬く間に上空に置き去りにされた。

 後は言わずもがな。綺麗な花火と成り、悲願の成就を告げるはずの狼煙は空振りに終わった。

 ……でも今回、思い知らされた。やはり、少なくとも詠唱する為の、時間稼ぎの壁は必要だと思うのよ、私。

 レザードはもう優秀な前衛をもっていないだろうし、頂戴? と言っても「はいどうぞ」とくれたりはしないだろう。 

 つまり自力で探し出す……しか無いのか。

 とりあえず第一候補は京都かな。

 あ、大事な事を忘れていた。レザードに何時ガトウを殺しに行くのか聞いて置かなければ。





 








 あとがき

 さあ、どこからでも掛かって来い!

 嘘です調子乗りましたすいません勘弁してください。

 え~それではこんな作者の解りにくい二次小説を読んでくれた其処のアナタの為に補足的な何か。

 “気と魔力”

 気は体力、魔力は精神力。原作での認識は大まかこんな物です。

 気は考察しましたのでこの際省きますが、では魔力とは何なのでしょう。

 魔力とはで大気に満ちる自然エネルギーを精神の力と術で“従がえた物”

 気が自らの魂でのモノならば、大気に満ちているのは他人の魂の成れの果てなのか、それとも他の上位の……とまぁ妄想です。

 まぁ原作でも“どちらも森羅万象、万物に宿るエネルギー”と言う解説があるから、態々大仰に説明する事も無かったですかね。

 続きましてー“幻想”ですか、

 あれはこの小説の「考察」の部分と対して違う事は書いていません。

 魔法生命体が幻想から魂と言い方が変わっただけですね。

 今回、人間の事を“器持ち”と表現しましたが原作ではそんな表記一切ありません。多分。

 えーっとそしてアルとさよちゃんですね。

 アルは間違いなく幻想でしょう。十八巻では図書館島最奥でのエヴァとのやり取りで突っ込みが身体を通り抜けています。  

 そしてそんな自分の体の事を知らないはずが無い。そう考えると、ネギ達を魔法世界に行くように進めたのも彼ですし、きっと彼は全て知っているのでしょう。そしてそんな彼を雇う学園長も、もしかして……?

 さよちゃんの昔話なんて聞きたいなーとか思いつつ、設 定 捏 造。正直すいませんでした。記憶喪失みたいなもんだから仕方無いか。

 それにさよちゃんが黒髪だったらまんま木乃……ゲフンゲフン。

 彼女の存在を魂と断定するのは「さよちゃんは幽霊ーつまり“魂の塊”みたいなもんなんだからー」という発言。二十八巻パルとのやりとりにてです。

 ミスリードの可能性は捨て切れませんが、赤松先生(神様)はこういう小さいフラグを立てるし好きみたいだから困る(笑) 

 ここで作者が何を言いたいかと言うと、現実世界の魂と呼べる存在、幽霊のさよちゃんと、魔法世界の英雄、アルビレオとは存在の線上では似通っていると言う事です。

 つまり、さよちゃんが寄代に身体を入れられる事実を加味すれば――

 まぁ後は作中通りですか。ナギの身体の行方、ガトウの死、造物主の生存に理由付け。

 学園祭にもちょっと触れましたが、まぁ保留という事で。何故超が強制認識魔法という形で過去を変えようとしたのか、何故火星の人々が地球と戦争しなければならないのか。

 アルとさよちゃんを見れば、少しは納得できませんか? 無理とか穴とか矛盾があったらゴメンなさいです。

 まぁこれは証拠がたりませんし、強制認識魔法が失敗しても目的は達成されたと言葉にしていますから、関係ないのかもしれません。特定の誰かに会いに来たとも考えられますから

 では最後に。コミックス派の方は読まないほうがいいかも。

 







  




















 今度発売の最新刊では恐らく(話数の関係で入っているとは思うのですが)色々あってネギ君が心象世界に飛びます。

 そこで出てくる“探していた父親”と“モブキャラとも言える拳闘士”“完全なる世界に飛ばされたはずの馬鹿二号”“本物ではない人造霊の師匠”

 何故? と思った方も多いでしょうが、三十二巻で、闇の魔法でネギが魔物に成りかけ、変貌した姿を見た教え子達の対応に、“手で触れると進行が収まった”という描写がありましたね。

 魂から侵食される闇の魔法をただの中学生が食い止めるとかご都合主義wと笑われるかもしれませんが、これがちょっと関係しているように思えます。

 ナギは限られた時間の中で息子と相対し、モブキャラは自分の思いの丈を全てネギにぶつけます。筋肉馬鹿はネギとの戦いを楽しみ、自ら進んで闇に向かう者に人造霊は問い掛ける。

 そのどれもが魂の存在で、思いを拳に込めて主人公と殴りあいます。あとは順番を考察すれば、自ずと答えは見えてくる。はず。いや無理があるかも知れない。

 器に包まれた少女達であれだけの効果を発揮するのですから、剥き出しの魂が想いを込めた拳で殴り合えば……なんて考えるのは無理があるでしょうか。

 そしてこれは、敵にも言える事です。

 まぁ何が言いたいかと言うと、ネギま面白いよ?


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.033051013946533