№25「白駒過隙」
私がアリカ達の方へ歩いて行くと、未だアリカはナギに縋りついたまま、ナギの名前を連呼している。
「アリカ。」
私が彼女の名前を呼ぶと、彼女はビクリと体を震わせ恐る恐る此方を振り向いた。
その瞳に映る感情の色は…諦め。
自らの力の及ばぬ…正に自分では何一つ成す術の無い状況において、
意地悪くも足掻こうとするが、決して認めたくない真実を叩きつけられた。そんな目をしている。
だが…
この時に限って、その瞳に仄かな明かりが灯った事に彼女は自分でも気づいていないだろう。
諦めから一転、降って湧いた淡い期待。それは彼女の目の前にいるたった一人の人物――
つまり私に注がれていた。
「アン、頼む!こやつを救ってやってはくれまいか!?
こやつは、ナギは!私の為にいや、私の所為でこうなってしまったのじゃ、
ナギがこんな目にあう謂れなど何処にも無い!無理な願いだとは重々承知しておる、
だがッ!これしか方法が無いのじゃ、頼む、後生じゃから助けてくれ!!」
私の同情心に訴えかけ、一途にナギの助命を懇願する元女王。
彼女がもし日本の作法を知っていれば、何の迷いも無く膝を折り、額を地面に擦り付けている所だろう。
今彼女は頭を下げるだけに留まっているが、この人が誰かに頭を下げる姿など見た事が無い。
尤も女王では無くなったから、下げる頭も軽くなったとも考えれるけど。
「顔を上げて、アリカ。」
できるだけ優しく話しかけるよう努めたが、彼女が私の言葉をどのように捉えたか、私には想像できそうにない。
ただその顔には自身の失敗に気づいたような、子供のよくやる低俗な悪戯が親にバレたような、
有り体に言えば“しまった”。その文字が顔の至る所に書かれていた。
…解り易い表情どうもありがとう。
大方、感情に任せ勢いで捲し立ててしまったが、私の反感を買って石化を治してもらえず、
ナギがこのまま石化された状態で時が過ぎてしまったら…という考えが頭を過ったのだろう。
確かに、もう女王でも王族でもない彼女の頼みを聞く者など極僅かで、
それこそ過去に親しい付き合いのある紅き翼の面々や彼女の真実を知る者達に限られる。
しかし、同じ紅き翼のメンバーであった私と彼女は仲睦まじい訳ではなく、喧嘩を売り買いした因縁もある。
私が情に絆されて、因縁の相手である彼女の頼みを聞くという行動に移す可能性は低く、
知り合いだからといって、強力な石化を解呪するのに無償で魔法を行使する…
という訳に行かない事を瞬時に理解したって所かしら。
もしくは、何かそれ以外の理由があるからか。
真相は定かでは無いが…彼女からは今も尚、後悔の念が伺える。
だが、彼女は何の間違いも犯してはいない。
愛する者を失いかけている今、
それを救えるモノが何であれ、藁にも縋る思いでその何かに懇願するのは必然。
因縁の相手であろうと、居もしない神であろうと、救えるなら何にでも救いを求める。
そうでしょう?アリカ・アナルキア・エンテオフュシア。
「助けてあげる。」
でも私は貴女に何かを求める事などしない。
ただ私が貴女達の味方だと、そういう漠然とした認識でいい。
…それに貴女には元気な男の子を産んでもらわなくては困るからね。
「もう大丈夫。暫く安静にしていてれば、直に目を覚ますわ。」
ナギにオーディナリィ・シェイプとキュア・プラムスの重ね掛け。
それだけで胸が焼け付くような苦悩を一瞬で解決してしまったのだから、
アリカ本人からしてみれば信じられない程呆気なかったに違い無い。
しかし未だナギは気を失っている、このまま守る者がいない状態では非常に不味い。
それなら、
「助けを呼べば身の安全も確保できるでしょう。アルにでも連絡しておきなさい。」
近場で暴れていた彼等に任せて、私は此処を去るとしましょう。
まだ紅き翼の面々には会いたくない。
時期尚早、物事には順序がある。まだ彼等と会うタイミングではない。
「それじゃあね、アリカ。お幸せに「待て!アンジェラ!」ね?」
はいなんでしょう?お礼なんて必要ないけど…。
「妾は……私は、お主と語らうに相応しい者に成り得たのか?」
…は?何それ?
意味がわからない……要領を得ない。
「何の事かしら?」
「…そうか、まだ認めてはもらえぬか。」
そう言って勝手に納得する元女王様。
まったく…自己完結しないでよ。
「…貴女が私と語らうに相応しいかどうかなんて知らないけど、
それを決めるのは私ではなく、貴女の心次第なんじゃないの?」
「え?」
「私がどう思っていようと、貴女が自分に満足しなければ意味の無い事でしょ?
相応しい者に“成る”なんて、それこそ自分が変わるしか無いのだから其処に私は関係ない。
貴女が相応しいと思えるようになった時、自分で自分を認めたその時が、相応しい者に成り得た瞬間なんじゃない?」
「…それは難しいの、まるで終わりの見えない道じゃ。」
「貴女がそう思うなら、そうなのでしょうね。
でも終わりの見えている道なんて、何の楽しみも無いと思わない?」
「……フッ、そうじゃな。それもそうじゃ。思い返せば今までの道程もそうじゃった。
人生は朝露の如し。人生は短いからの、ならばこれからは楽しみを持ちつつ、生きるとしよう。」
話している内に幾分か顔色も良くなったわね。色々あって混乱していたのも、随分落ち着きを取り戻してきた。
これ以上この場に留まると冷静になったアリカから質問攻めに合いそう…。
長居は無用。さ、帰ろう。
「…もう待てないわ、じゃあね。」
「また……会えるのか?」
「さぁ?どうかしら。
余り私を当てにしないで欲しいわね。…二度目は無いと思いなさい。」
「ああ、助かった。感謝するアンジェラ。」
「どういたしまして。」
さて早く帰ろう、心休まる我が家へ。
「で、何故貴方が此処にいるの?」
若干イラつきながらも我が憩いの家に不法侵入している変態に事情聴取を行う。
他人の家なのに我が家のように寛いでいるこいつに無性に腹が立つ。
まるでこうするのが当たり前のように椅子に凭れ掛りながら、魔導書を読んでいる。
「別にいいでしょう?家を荒らした訳では無いのですから。
それに貴女だって、最初は私の塔に断りも無くやって来た覚えがありますが?」
「そうだったわね。これからは此方の断りも無しに無断で家に侵入するのは止めてもらえる?」
「前向きに検討しますよ。」
こいつ、絶ッ対に守るつもりが無い。それどころか嬉々として破るに決まっている。
しまった、失言だった…。
「はぁ、もういいわ。それより貴方の方はうまく行ったの?」
「まだまだですね。彼等は随分と貴女にご執心のようです。
どうです?嬉しいでしょう?」
「人形に好かれてもね…。それに、あそこにまともな人間なんていないじゃない。」
「貴女もまともでは無いでしょう?まったく…自分の事を棚に上げて、人の事を言うのはどうかと思いますよ?」
「ッ!…貴方だけには言われたくない。そっくりそのままお返しするわ。」
「ククク…ハハハハハ!!
あぁ癒されますねぇ。」
……。
うぁぁぁぁ!!!ゾクッって来たぁぁぁぁ!!!!!
誰かこの変態浄化してくれ!今すぐにぃ!!
「まあ冗談はさて置き、これで盤上には駒が出揃いましたね。」
「余り勝手な行動はさせないでもらえる?いい迷惑なのよ。」
「良いではないですか。貴女も自軍の駒の信頼も得たようですし。」
「駒、信頼、ね。差詰め私が白で、貴方が黒?」
「そうでしょうか?私が悪で、貴女が善ですか?」
「どちらもほぼ同じ条件ならば、それはただの色の違いでしかないわ。」
「ククク、ただの色の違いですか。案外それが真理なのかも知れませんね。」
「さあ?どうかしら。思いつき、何の確信も無い戯言…。」
でも、
それが的を射ている時も、あるのかも知れない。
そういえば…。
「人生は朝露の如し、ねぇ。光陰矢の如しという奴ね…。」
光はそのまま日の意味、
しかし陰は影ではなく月の意味、
どちらも違う意味であるはずなのに、その本質はどこか似ている。
「……ややこしい。」
もっと単純な世の中ならいいのに。