横浜基地
「あまり、大きな歓迎会はしてやれんがすまんな」
「いいえ、こうしてもらえるだけで……」
ありがとうございます、と斉藤少尉は頭を下げる。
話すことが苦手なのだろうか、先程の着任した時の話し方とは違い、ゆっくりとした喋り方である。
元気が取り柄の萩村とは対極的だと思った。
「中尉、お持ちしました」
到着してすぐに自分が運びます、と萩村が3人分の飲み物を運んできてくれたのだ。
各々、紙コップを手に取り静かに乾杯する。
あの日、名も知らない数多くの仲間が散っていった。
悲しむのではなく、語り継ぐ事こそ衛士としての弔いなのだろう。
頭で割り切ろうとしても、新任衛士である2人ができるかと言えば、出来ないだろう。
「そう辛気臭い顔をするな。彼らは立派に戦ったんだ。だから、こうして自分達が生きている」
「北条中尉、萩村少尉のおかげで私はここにいます。ありがとうございました」
斉藤に改めて頭を下げられた。あの時は自分達に出来る最善だと判断した。
任務に自分と萩村は従っただけである。
「あの日はアレが最善策だった。当たり前のことをしただけだ」
「任務です、これからお互いに頑張りましょう」
先程とは少しだけ明るい顔をした2人を見た北条は慣れてもらうしかないだろう、複雑な気持ちを隠す。
ただ、前回の作戦で2人を担当した医師からは後遺症が残らなかったと聞いた時は心底ホッとしていた。
機体は失ったとしても、2人はまだ大丈夫なのだ。
「今日は自分の奢りだ、遠慮なく好きなものを食べて良いぞ」
2人分くらいなら、なんとかなるだろうと財布の中身を思い出しながら喜ぶ2人の顔を見て優しい顔で見守る北条だった。
横浜基地司令部
歓迎会を終えた翌日、北条は司令部へ来ていた。
正確には、機体を補充はまだ出来ないか交渉に来ている。
第8大隊の衛士は3人に増えたのにもかかわらず、未だに機体1機も補充されていない。
前回搬入されたF-15Cイーグルは新設された第2大隊へと搬入されていた。
まだあった事はないが、衛士も新たに配置されたと言う。
北条の顔を見た戦術機担当の事務官は、また来たのかと言う顔になっていた。
これもお互い仕事である、文句を言う訳にもいけないのは分かっている。
挨拶を交わして、一言二言と雑談を交わす。特に何かあるわけではないが、これが2人の日課になっていた。
ちらりと、事務官の方が腕時計に目をやる、これがそろそろ本題に入れという合図になる。
「うちの隊も機体搬入が遅れているのですが、まだ予定は無いですか?」
「相変わらずだ、あちらさんも未だに中部地方の防衛ラインの再編中だって言う。無い物を魔法で出すわけにもいかんよ」
「やはり、そう簡単にはいかないものですね」
司令部を出てため息をつく。今日はこれからシミュレーターを使用しての訓練をすることになっている。
シミュレーター室で集合すると2人には伝えてある。その前に、誰もいない大隊詰所へと寄っていた。
扉を開けると、まず目に入ったのはサラリーマン風の背広を着て北条の机の傍に佇んでいる光景だった。
ここは軍の施設であり、軍の制服姿ならいくらでも見るが、スーツ姿と言うのは浮いて見える。
顔は見えず、始めは誰だろうと思ったが相手も自分に気が付いたかの様に顔を上げた。
この横浜基地で背広を着ている人物、しかしこの場所にいるべきでは無い鎧衣左近その人だ。
心臓が一瞬、動くのを辞めたかのように感じる。なぜ、この場所にいるのだろうか。
しかし、何かを言うのもためらわれるが事務的にしか言葉を探し出せない。
誰何するれば、彼は正直に何かを答えるのだろうか。
「失礼ですが、あなたは?ここは第8大隊詰所ですが……」
「北条直人中尉」
自分が警戒している態度に気がついているのか、鎧衣の表情は穏やかにこちらへ微笑んでいる。
「ふむ、特別な何かを持っているのかと考えたがそうではないようだ」
特に触られて困るような物は持っていない。
鎧衣左近もまた、何かを持っているようには見えなかった。
どこの島に行ったとか、どんな特産品があるかとかスラスラと彼の口からは出てくる。
「あの、鎧衣さんの言っている事がわかりません」
気付いた時には遅い。いま、自分は相手の名前を出してしまったのだ。
初対面である彼の事を自分が知っているはずがないのである。
北条は内心焦っていたが、何か誤魔化せるものはないかと必死に考えていた。
「おやっ、自己紹介はまだだったと記憶しているが」
「ふっ、副司令にお話は聞いて……」
我ながらに苦しい言い訳だとは思うが、それしか思いつかない。
「おやっ、彼女から聞いていたのか。それならば改めて自己紹介する必要は無いようだね」
「あの、いったい今日はどういうお話があって……?」
鎧衣は頭を振ると、今日は顔合わせをしようと思ってねと言って横を通り過ぎる。
ドアを防いでいた自分が邪魔にならないように、横に身体をずらす。
「そうそう、君は有名になり過ぎているようだね」
そう言うと、廊下へと出て行く。それが一体どういう意味なのか、あまり良い意味では無いとは思えた。
すぐに、彼の後を追って部屋を出るがすでにそこにはどこにもいなかった。
シミュレーター室
含みのある鎧衣の言葉を反芻しながら、気がつけばシミュレーター室の前へと着いていた。
自分の頬を叩いて、活を入れる。実際に、なるようになってしまったのだ。
今更の話ではない。問題は、自分の部下の2人に何か起こらないかが心配だった。
室内へと入った北条は、目の前の光景に愕然とする。
「どうしてこうなったんだ……」
額に手をあて北条は一人呟いていた。
シミュレーター室へと入った北条がまず目にしたものは、自分の部下である萩村、斉藤の2人である。
その2人が相対していたのは、つい先日F-15Cイーグルで編成された部隊の衛士達なのだろう。
相手も全員が2人に対して何かしたと言うわけではないだろうが、その中の頬を赤くした衛士1人は苛立っているようだ。
「萩村少尉、何があったか完結に説明してもらおうか」
「はい、中尉。あなたの事を馬鹿にされました」
彼女は何を言っているのだろうかと目を丸くする北条。萩村自身が馬鹿にされた訳ではない。
なぜあそこまで、自分が馬鹿にされて怒っているのだろうかと額に手を当てる。
斉藤少尉に目配せすると、一部始終見ていたようで説明を始めた。
「中尉のことを彼らが臆病者だと言ったと……。すみません、止められませんでした」
たまたま、シミュレーター室は第8大隊と彼ら部隊が同じ時間に使用が重なっていたようだ。
北条が来るまで萩村、斉藤の2人は待機していたのだが、あちらからちょっかいを掛けてきたという。
過去のログを確認しながら、萩村と斉藤の2人で予習していたようだ。
シミュレーターの設定をしようと斉藤が管制室へと入った時にナンパでもしてきたようですと、斉藤少尉は言う。
何を話していたかまでは聞こえなかったが、笑い声が聞こえたと思ったら萩村が相手の頬を叩いていたらしい。
「いや、斉藤少尉は何も悪くは無い。しかし……」
補充要員として配属されただろう衛士たちも今は新しい環境で戸惑っているだけだろう。
そのせいでうちに絡まれても困るのだが……。
「君がホウジョウ中尉だね、かなり消極的な戦い方をしていると聞いている」
自分よりも体格の大きな衛士が前へと出ると、自分を見下ろす。階級章を見れば大尉、自分よりも上の階級だ。
敬礼をするが、あちらは気のない答礼をするだけである。
手を出してしまったのは、こちらに非がある。それについては謝罪しなければならない。
「自分が北条であります。部下が失礼しました」
鼻を鳴らすと、人を見下すかのような嘲笑を浮かべる大尉、どういうつもりなのだろう。
「部下のしつけがなっていないようだな」
「はっ、申し訳ありません」
「貴様の部下を代わって躾けてやろう」
「聞くところによると先に失礼な態度を取ったのはそちらの部下のようですが?」
曲がりなりにも大尉の階級章を着けた男も一緒になってする行為ではないだろうが、と言いそうになるがグッと堪える。
大尉のこめかみがピクリと動くのが見えた。次の瞬間には殴られた拍子に数歩後ずさる。
殴られた頬の痛みが逆に自分を冷静にしてくれたようだ。
軍とは上下関係が当たり前の世界である、それを階級が上である大尉にあのような口の利き方をすれば当然こうなる。
「上官に対する口の利き方もなっていないらしい、こんなのが上に立つ部下が哀れだな」
申し訳ありません、そう言おうと口を開こうとした時だった。背後のドアが開く音がする。
「何の騒ぎだ?ここは我々も使わせてもらうんだが?」
「どこの誰だ、今常識の知らない奴に軍隊を教えて……」
シミュレーター室の入り口から掛けられた一声に反応した大尉の先程までと顔色が変わった。
北条からはちょうど背にしていた為に誰が入ってきたか最初分からなかった。
「そういう貴様も同じようだな、大尉」
慌てて敬礼する大尉である。それに反応し、自分も向き直って敬礼する。
大尉がするという事は、その階級よりも上なのは必然だ。大方、この大尉の指揮官だろうと考えていた。
しかし北条は、見知った顔に驚かされていた。
「かっ、片桐中佐!」
「誰かと思えば、久方ぶりだな。北条」
ここでまさか彼女に出会う事になろうとは、不思議な縁もあったものだと思った。
この大尉を一瞥すると、顎に手をあて一言彼女は言い切った。
「ふむ、今私は気分がいい。行け」
失礼します、そう言うとこちらを一瞥した大尉とその小隊は駆け足でここを出て行く。
気配を殺してでもいたのか、片桐中佐の部下である他の隊員もいたようだ。
カレン少尉、藤堂中尉の姿も確認した。織田少佐がここにいないのは、いつも通り隊の運用の為だろう。
「いつ以来かな、北条中尉。貴様もいっぱしの指揮官になったようだが?」
そう言うと片桐中佐は、何事かと緊張し固まっている萩村、斉藤両名を見ている。
北条は気が付かなかったが、彼女の顔には何か面白いことでもやってやろうかと笑顔が浮かんでいた。
「ふむ……。私と言うものがありながら、女を侍らせて楽しんでいたか?」
中佐が何を言っているのか、一瞬分からなかった。
それで反応が数秒遅れてしまう。片桐中佐がこんな冗談を言う人だったか、と北条は固まっていた。
その言葉を聞いてかどうかは分からないが、萩村とカレン少尉の顔色が一瞬変わったような気がした。
カレン少尉の方から、何時の間になんて聞こえた気がする。
「ちゅっ、中佐?。一体、何を言っているのですか?!」
「あんなに一緒に過ごした仲じゃないか、私に言わせるのか?」
藤堂大尉は、声を押し殺して笑っている。
あの中佐がこんな風に冗談を言うなんて想像できるわけが無い。
「それくらいにしておいてほしいな、片桐中佐」
「なに、久しぶりに会ったものでな」
笑う片桐中佐だが、こちらはたまったものではない。
中佐に並んで立つのは霧島乙女、彼女もまたこの場所へと来ていたようだ。
藤堂大尉の後ろから現れたという事は、隠れてでもいたのだろうか。
「北条中尉、改めて昇進おめでとう」
「ありがとうございます、彼女たちが部下の萩村、斉藤少尉です」
簡単にではあるが、2人を紹介する。
そういえば、ゴースト03のカレン少尉も苗字は斉藤だったなと北条は思い出す。
そう考えているとは知らない片桐中佐は、2人に向かって微笑んでいた。
「あまり硬くなるな、彼とは何も無いぞ。よい上司に恵まれたじゃないか」
「はっ!」
2人の返事が重なる。硬くなるなと言われても、相手は中佐である。
緊張を解くなんて事は出来ないだろう。
「そろそろいいかな、中尉殿?」
「はっ、私に用があったのですか?」
そうだよ、と霧島乙女は言う。この人とも関わると碌なことにならないのは薄々感じてはいた。
しかし、それを無下にするわけにもいかないのも事実である。。
「君の大隊の力を借してもらいたい。話を聞いてくれないかな」
「こ、こんな場所で話していいのですか?」
霧島は、とっくに人払いは済んでいると言う顔だ。
今この場にいるのは、特務大隊に所属していた頃からのメンバーだ。
前回の新潟防衛線で見えた機体の数から考えて、他にも人員がいてもおかしくない。
先程の第2大隊の奴らを簡単に帰したのは、この話をする為だったのだろう。
霧島は持っていた手提げ鞄からファイルを取り出すと自分の方へと差し出してくる。
「ちなみに、これを受け取った時点で、拒否する権利はないので、あしからず」
受け取ろう上げた手が止まる。
そんなに危険な物なのだろうか、と考える。
一応、自分の隊は国連軍の一部隊で、簡単に動かすなんて事は出来ないのではないだろうか。
「ちなみに、副司令からも許可は得ているので気にしなくていい」
その言葉に、香月副司令に言われた言葉が思い出される。
もう自分には、彼女にとっては必要の無い人間なのだ。
今現在、自分を必要としてくれる霧島乙女の提案に乗るのも悪くは無いのかもしれない。
「そうまでして、自分達を使う必要はあるですか?」
「ふむ、残念ながら空いている人員以上にはない。しかし、こう見えても、私は君の腕を買っている」
もちろん、君の部下2人にも悪い話では無いよ、と言い切る霧島である。
「私の一存では……っと!?」
背中を叩かれて、前に詰めりそうになるのをなんとか堪える。
「北条!貴様の部下はどこまでもついて行くと言っているぞ」
片桐中佐は自分の事の様に喜びを顔に浮かべている。
さっきから、向こうで3人で話していたのはこういう話だったのだろうか。
「萩村少尉、斉藤少尉は何か意見はあるか?」
正直言えば、断る事も出来なくはない。
ここで受け取れば、自分だけではなく、萩村、斉藤両名2人を連れて行く事になるわけである。
彼女たちの先を考えればここで断っても、正直上にいい顔はされないだろう。
お願いする、と言うが事実上の命令ではないだろうか。
「私は、中尉についていきます!」
「助けていただいた、この命は2人のお役に立てたいです」
2人とも着いてくる考えらしだ。
ここしばらくの間、自分の機体でさえ補給もままならずにいる。
シミュレーターを使用していても、溜まってしまう事もあっただろう。
先の衝突も、それが一つの原因なのかも知れない。
2人の顔を見比べるが、迷いのようなものは感じられない。
「中尉、我々にしか出来ない任務なのならば、やってみせましょう!」
萩村がはっきりと通る声で言い切った。
どのように片桐中佐が話したのかは分からないが、目には強い意志が宿っているように見える。
「よく言った、萩村少尉!さぁ、いつまでも悩んでいられないぞ」
「……了解、これより北条中尉以下2名は任務に従事します」
そう言ってくれると思ったよと、霧島乙女はファイルを北条へと差し出す。
受け取ったファイルの一枚目には、予想したとおりの命令書。
内容は、この任務についてのことだった。
ここで断っても、結局はのちに事務的にこの話がくるわけだ。
命令書の次のページを開くと、そこには77式の次期主力機選定候補の機体が記されていた。
「こっ、これは?!」
「君は今日会ってから何度目だろうか、その驚いた顔は。相変わらず、表情豊かだね」
かなり、難しい問題に巻き込まれたかもしれない、そう北条は頭を抱える事になった。