UC0079年12月20日。レビル艦隊がア・バオア・クーへ向け出撃を開始したその日、トール・ガラハウは首都ズム・シティの公王官邸を歩いていた。但し、普通の彼としてではなく、ブラスレイターとして。
ブラスレイターの能力の一つである周囲の景色との同化。いわゆるカメレオン現象を用い、また金属質の外皮を持つその形状から表面温度を一定に抑え、監視カメラのサーモグラフィが動かない範囲で放出することを繰り返し、ある部屋に入った。
既に点灯していたモニタに映るのはデギン公王の執務室。監視カメラによって捉えられ―――恐らく、映されている本人は気付いていないだろう。しかし、映されている女性の方は気付いているようだ。言葉を隠すつもりが無い。音声を取るマイクの存在に気付いているくせに言葉を変えないということは、ここでの内容がある程度、了解を得たものである事を示している。
「レギンレイヴ計画。上手く行っている様だな」
いきなりの声に周囲を見回す女性。誰の姿も確認できないようだが、少し経つとこちらを一心に見据えてきた。姿は見えないが、其処に何かがいるということは理解しているのだろう。
「……少将、ずいぶんと妙な来訪ですわね」
姿を見せないのに断定してくる。これだからやりにくい。
「フィーゼラーに釘は刺しておいた。君がレオポルド氏をどうにかしようとしない限りは協力してくれるだろう。勿論、いくらか私の方も色々もらったけど」
「……私をギレン総帥の近くに送り込んだのはそうした理由からですか?」
女史―――セシリア・アイリーンは言った。
セシリア・アイリーンは貧窮の生まれである。サイド3の工場労働者の娘に生まれた彼女は、優れた資質を持ちながら、環境によってその能力を発揮することが出来なかった。そして貧窮の中で両親が死ぬと、当然のごとく、彼女は孤児院へと入れられることとなった。
まず、一度目の転機がここで訪れる。ある日、降って湧いたようにサイド3の平均所得以下の家庭の子や孤児に対する給付奨学金制度が始まる。月の大富豪だというガラハウ家の行うそれは、当然孤児院で才能を開きつつあったセシリア・アイリーンを対象とした。そして二度目の転機。ガラハウ家の人間と出会った彼女は、自身の能力を見出し、貧窮から救ってくれたその人に信義をささげる覚悟をする。もっとも、ささげられると言われた方が困っていたが。
「さて、ね。わからない。君に興味があったのは確かだけど、如何こうしてもらおうとかは考えていなかった」
「……卑怯な人。……カーンのお嬢さんとは宜しい関係のご様子と伺っておりますが?」
ため息を吐いた。迷彩を解いて外骨格を露にする。とはいっても、表の形は好きに変更できるため、ただのライダースーツにしか見えない。ヘルメット部分を外し、顔を出す。
「……正直、あそこまで純粋になられると、断れない」
書類を片付けながらセシリアはため息を吐いた。
「……私も、正直になれば目がありました?」
まさかそんな話になるとは思ってもいなかった。ギレンの愛人だという描写は目にしていたから、手を出すなんてそもそも思いもしなかった。というか、あの銀髪デコとセット過ぎるこの盛り髪の女性に愛情抱けといっても無理な気がしてならない。顔見るたびに思い出すとかトラウマだ。
「残念ながら、無い、かな。君のせいではないのだけど」
「奥様、ですか?」
笑った。それこそ無い。
「いいや」
「まさか、総帥?」
ごまかしきれないと悟った私は頷いた。セシリアもため息を吐く。確かに、顔を見るたびにアレを思い出してしまうではラブシーンどころではない。
「だからこの前、髪を降ろすか纏めるかにしろと言っていたのですね?」
「……スイマセン」
「ありがたいアドバイスありがとうございます。でも御安心を。私は綺麗なままですわ。成り上がるのに体を使うのはバカのすることですわ」
そういうとセシリアは頭を下げた。あれ。もしかしてまずい事を言ったか?セシリアを見ると頬杖を突いて笑っている。どうやら担がれたらしい。
「アンネローゼ様にはとてもお世話になりましたから。アンネ様の弟君を如何こうしようとは考えておりませんわ。……ラインハルト君はお元気ですか?」
「……そっちか」
なんとなくホッとした。これ以上修羅場ってる暇は正直無い。
「で、フィーゼラーとの話についてだが……この前話したとおりになったが、受けるか?」
「話したとおり、お受けします」
セシリア・アイリーンはにっこりと笑うと頷いた。正直、ギレン暗殺計画の冷たい表情の人間とは思えない。アンネ姉さんのおかげかな。まぁ、ラインハルト。ご愁傷様。アンネ姉さん主導の孤児院業が恐ろしいことになっているが、あまり考えない方向でいこう。この前話したら、火星の恒久都市第一号の住民は基本ソレで、とかなんとか妄想していたし。火星に広がるショ……
背筋にゾクリという感覚。まぁ、こちらに害が無いから良いか。
第30話
アイリーン女史の部屋を出るとすぐに謁見室に向かった。キシリアは港で待ち構え、予定通りのグレート・デギンの出航を待つようだ。その合間になら、時間がある。部屋に入ると、一人でガルマの肖像を見ていたデギンが私を呼んだ。
「貴様か、ガラハウ。監視にでも来たか」
「言った通りになりましたか?」
デギンは頷いた。
「何から何までお前の言う通りよ。キシリアめ、ぬけぬけとよう申したわ。ゲル・ドルバ、ゲル・ドルバ。……ふふ、虚しいものよ。良い子から失い、残ったのはエゴだけが肥大したものだけ、とはな。わしは子の育て方を誤ったわ」
むしろ、どういう育て方をすればああいう人間が形成されるのか不思議でならなかったが、とりあえず発言はしないでおいた。
「ジオンの理想は敗れたか」
「シャマラン教授の言うとおり、内務省の説得を待ってから行動すれば、こんなことにはなりませんでしたな」
デギンの目が開く。この男が親衛隊に属しながらギレンとは別の思想を持っているとは思っていたが、まさかシャマランのソレとは思っていなかったのだ。だが、結局はそれで良いのだと思った。地球に住む人口が多くなりすぎたから宇宙に住めといっても、人間は足を着ける大地と安心して吸える空気を求める。テラフォーミングは技術さえ可能なら最善の策なのだ。それを知らなかったジオンは、結局強権政治に走るしか解決を見出せなかった。
「……わしは止めたのだよ。性急な独立の宣言は地球と無用の軋轢を生むだけだと。それを、ジンバの馬鹿めがダイクンを焚き付けよって。ジオンの考えるニュータイプがありうるなら、まずは地球以外の人間の居住環境を整備する必要がある、か。シャマランめ、ジオンの思想の欠点である経済力をよう見抜いておったわ。金が無ければ理想もむなしいか、ふふ、業腹よの」
「どうされます?」
私は尋ねた。
「お前の良いようにせよ。事ここにいたってはお前を信用するほかはあるまい。この老いた身は犠牲にしても、サイド3に住む1億5千万を戦渦に巻き込むわけには行かぬて」
「差し出がましいようですが、これを」
私は一枚のデータディスクを差し出した。デギンの前に回り、ガルマの最後の通信が入っているデータディスクの代わりに入れ、再生をかける。
「……父上、御健勝でいらっしゃいますか?トールに助けられ、私は今木星におります。まさか、姉上やギレン兄上、シャアに狙われていたとは知らず、自分の底の浅はかさを反省する日々でした。ただ、トールが連れてきてくれたイセリナが心の支えになってくれましたので、今は何とか持ち直しております……」
「お……おおっ……ガルマ……」
涙を流しながら額に再生機を押し付けるデギン。可視光から目を守るサングラスがずり落ち、ひとしきり涙を流す。謁見の間を警護する親衛隊員はすべてバイオロイドに置き換わっており、また、ここを監視するカメラはセシリアの管轄だ。情報が誰にももれるはずは無い。
「……ガラハウ。そなたにはなんと言って良いか……」
「陛下。陛下はこれから息子娘の罪を一身に背負うことになるかと愚考します。ジオンを曲がりなりにも国家として運営し、ここまでの勢力を築いただけでなく、スペースノイドに独立国家という明らかな目標を与えた功績は誰にもまねできるものではありません。そのような方が、最後まで後悔と疑念を一身に背負うのはなんとも、人生の間尺があわないかと存じ上げまして」
「そなたが何者であるかは聞かぬ。そなたの望みも聞かぬ。この様子だとドズルもまた如何にかしていよう?……この老人、如何様にも使ってみせよ」
トールは謁見場の階段を下り、臣下の礼をとった。死に行く老人に出来ることがこれだけしかない。
「ダルシア・ハバロ首相の件、お任せを。ただ、オレグ副首相には内密に。最後の最後まで、ギレン閣下をだましおおす努力が肝要です。ダルシア閣下はダニガン中将がグラナダまでお連れします」
「……そのためにダニガンを持ったか。そなたの目には敬服する」
「陛下には予定通りグレート・デギンに乗っていただき、サイド3よりの観測可能領域までは座乗していただきます。その後、艦より離れていただき、月とL5ポイントを直線で結んだ線と、L5軌道が交わる点でレビル大将と会談を」
「ゲル・ドルバを進む連邦艦隊は?」
「連絡の方法がありません。レビル大将には連絡しておりますが、今から航路変更を行ったとしても被害は免れ得ないでしょう。また、グレート・デギンの反応に従ってソーラ・レイの射撃が行われるものと考えられます。大将と陛下の会談は、その線からは離れていただく必要があります」
デギンは深く息を吸い込み、吐いた。
「ア・バオア・クーの将兵は見捨てる結果となるか。出来うることなら助けてやりたいが」
「ギレン閣下の直率ではそれも難しいかと思います。サイド3の防衛師団は如何にか出来ますのでソーラ・レイの次弾発射は無いでしょうが、ソーラ・レイ近辺にいるギレン閣下の総軍艦隊を排除するには、発射後の励起状態による混乱を狙うしかありません」
デギンは頷いた。
「ソレしかない、ということだな。わかった」
翌日、UC0079年12月21日。
ア・バオア・クーとソロモンの間に急行したガーティ・ルーは艦橋にシャア・アズナブルを迎えていた。
シャア・アズナブルという人間の―――いやいや、キャスバル・レム・ダイクンでもエドワウ・マスでもいいが、彼の通信簿にはこう書かれていたに違いない。いわく「人の話をよく聞きましょう」、と。しかし、そんなことはお構い無しに、与えられた権限を拡大解釈したシャアはホワイトベースに一戦を挑んだ。
流石にこの戦争を戦いぬけたニュータイプ部隊だけあり、撃墜を一機も出せなかったのは意外だったが、思わぬ収穫もあった。連邦側にニュータイプが存在する事を確信できたのだ。ララァによれば充分こちらに引き込めるだけの迷いがある様子。悪くない。この艦隊にも結構な数のニュータイプがいるようだ。
口元に押し隠しきれぬ笑みを浮かべながら親衛第2艦隊の陣容を確認していると、背後の扉が開いた。そう、か。シャアは唐突に気がついた。あの感覚。あの記憶。そうか、そういうことなのだな、トール・ガラハウ。
貴様が、トール・ミューゼルなのだな。
ガラハウに寄り添うニュータイプらしい少女がこちらを睨みつけてくる。会った覚えは無いが、かなり嫌われてしまったようだ。まぁ、それも仕方ない。彼女がニュータイプなら、私の考えをある程度感じ取っているのかもしれない。しかし、心を触るような感覚が続く。嫌な感じだ。
「よく来た、大佐。……命令違反の件については不問に処す。ゲルググもエルメスも貴重な戦力だからな」
「はっ。少将、ありがたく」
何処から見てもありがたそうに思っていないことがバレバレだが、そうした態度を取っても全く嫌味を感じさせないところがシャアのシャアたる所以かもしれない。こうした態度に引っかかる女性も多いんだろうなぁと考えていると、脇から不快気な思考が来る。どうやら、さっさと追い出せといっているらしい。
「……少将閣下はニュータイプについて如何考えていらっしゃいますか」
切り込んできたか。
「宇宙に出た人間の新しい段階、か。いや、段階ではなく変化や適応といった感じかな」
「段階、革新ではない、と?」
ため息を吐く。そう、ギスギスした感覚で敵味方を峻別する必要も無いと思うが。いや、キシリアの事を考えるとそうでもないか。ザビ家相手に敵味方が不確定な奴なんて存在意義ないしなぁ。というか、いつ敵になるかわからない時点で敵か。
「そうそう、人間の本質が変わる訳は無い、と考えているだけさ。宇宙に出て何かが変わるなら、既にそうなっていてもおかしくは無いだろう?」
シャアは鼻で笑う。こちらの意見が気に食わないようだ。そりゃそうだろう。こっちの目的は思想や人の革新云々ではなくて、単純に人死にを少なくするだけなんだから。高尚そうな意見だし、実際にニュータイプも出てきているわけだから正しいか正しくないかの議論では絶対に負けるけど。
大丈夫、負けなんて関係ないよ、という思考が伝わってくる。困ったような顔になったのを見たシャアが、寄り添うハマーンに興味を示したようだ。どうやら、何か感じてしまったらしい。
「かわいいお嬢さんだ。少将の御親戚ですか」
「マハラジャ提督の娘さんだ。預かっている」
一瞬の間をおいてシャアが口を開いた。
「格納庫にあった白いMSは彼女が?」
「そう。やらんぞ」
シャアが快活に笑い出した。
「いえいえ。見たところ、彼女もニュータイプかと思いまして。……お嬢さん、シャア・アズナブルだ。よろしく」
返事もせずに顔を背け、こちらの背後に回ってしまった。よほど嫌っているらしい。無理も無いが。
「これはこれは、嫌われてしまったようだ」
「大佐」
私は言った。ニュータイプ能力に覚醒し始めているだろうシャア相手に、これ以上ハマーンとの接触を続けさせるわけにはいかないと判断したからだ。
「以後の命令違反は認めん。勝手なまねは首を絞めるだけだと思え」
「はっ」
言った直後、艦隊からみて遠くを一筋の閃光が通り抜ける。艦橋が騒然となった。
「なんだ!?」
「あの光は!?確認急げ!」
「……連邦の主力がいる方向だな」
ハマーンが体の震えを強め、こちらを抱きしめる腕の強さが増す。数え切れない死者の呼び声を光の中から感じながら、自分を奮い立たせようとしている。一筋に私を思いながら。照れる内容だが、実際にハマーンが受けている念の強さは尋常ではない。あの閃光でどれだけの犠牲が生じたかはわからないが、このままでは心が壊れてしまう。
ハマーンを前に回すと強く抱きしめて司令席に座った。シャアは冷たく笑ってこちらを見ている。
「我が軍のソーラ・レイの砲撃ですな。連邦の主力がサイド3へのゲル・ドルバに乗ってくれていたので、かなりの損害を生じさせたようです」
これだけの念を感じてもその表情か。やはりこいつはどこかで壊れているに違いない。ハマーンからは押しつぶされそうな苦しみがまだ続いている事が伝わってくる。仕方が無いためノーマルスーツのヘルメットを外し、こちらも外して抱きしめた。体温を感じたことで急速に精神状態が安定していくのが手に取るようにわかる。しかし、まだ続くハマーンの状態を如何にかするため、脳裏だけでポイントを操作し、対人関係掌握能力を獲得した上でポイントキャラクター強化能力を並行使用。ハマーンの精神と外からの重圧に壁を設け、なんとか精神が汚染されるのを防ぐ。そこまでしてようやく落ち着いたようだ。
一瞬、シャアがほぅ、という顔をしたのが気になった。