「ふぁ……武闘会か。むぅ……なぜかあまり気乗りしない」
フォールセンの提案に、ケイスはあくび交じりで答え眉根をしかめる。
戦いは好きだ。相手が強ければ強いほど好きだ。
なにより今の自分は弱くなっているのだから、一戦でも戦いの機会を得られるなら、これ以上に嬉しいことは無い。
だというのに、どうにもケイスの心は弾まない。
自分が何故気乗りしないのか考えようとするが、頭がぼうっとするので考えがまとまらない。
「少し待ってくれフォールセン殿……頭を動かす」
ケイスはひと言断ってから、テーブルに置かれた蜂蜜の入った小瓶を手に取る。
ほどよく温められたミルクが注がれたカップに、スプーンを使って蜂蜜をドボドボと投入していく。
小瓶一杯分の蜂蜜を全て投入したせいで、ほぼ縁ギリギリまで、ミルクがせり上がってきたが、気にもせず一気に飲み干していく。
ドッロとした食感と重い甘みは、蜂蜜入りミルクというよりも、蜂蜜のミルク割りといった所だが、疲労しきっているケイスにはこれくらいが丁度いい。
闘気による肉体強化が出来無いので、消化吸収力を極端に上げることは出来無いが、それでも元々人間離れした肉体を持つケイスだ。
一気に血脈の流れが活発化し、頭が目覚め始め、同時に、自分が気乗りしない理由をはっきりと自覚する。
「……ん。結局それはフォールセン殿の偉功にすがる事で、純粋に私の力のみが評価されたわけではないではないか」
ナプキンで口元に着いたミルクを拭き取ったケイスは、理由を打ち明ける。
「武闘会でケイス殿の武を示せば、資質を認めさせるには十分であろう。それにケイス殿が最速で上級探索者を志すのであれば必要な過程ではないかね」
対面に座るフォールセンは自分の提案に難色を示すケイスに、理を持って説明を始める。
管理協会から支援を受けるためには、初心者講習会を受講しなければならない。
だが受講には年齢制限があり、ケイスの見た目では16以上だなんて嘘はまず通用しない。
管理協会の支援が無ければ、迷宮探索に大きすぎる制約を背負うことになり、まして上級探索者を目指すのであれば、協会の支援は必須。
そして初心者講習会を必須とさせるのは、己の実力も鑑みず迷宮に挑む無謀な者を出さないためであり、あくまでも一般的な者に対する枷。
だからこそ推薦という特別枠が設けられている。
そして武は見た目では無く、実際に剣を見せた方が、万人に正確に悟らせることができる。
フォールセンの語る理は判るが、無謀な者の枠に自分が判別されている事は、天才を自負するケイスとしては苛立たしい。
だが世間一般の目から見て自分がどう思われているかも、さすがに判ってきていた。
前ならばとりあえず斬れば良いかと思っていたが、さすがにそれだけでは通用しない場面もある……力だけで押し通すにはもっと力を上げなければ。
「あくまでも武闘会が嫌だというならば、私はただケイス殿を推薦させてもらう。それだけの才を認めておるからな。私から推薦されるのと、私の推薦を勝ち取る。ケイス殿の好みはどちらかな」
「むぅ。後者だ。しかしそれよりも私の実力を私のみで示す方が」
「ならば、今期での参加は諦めるしかなかろうな。ケイス殿には今期の始まりの宮に拘る理由があるのだろう」
「うぅ……昨夜も思ったが、フォールセン殿は本当に意地悪だな。理由を告白しなければ良かった」
あくまでも理に沿いながら、ケイスの明確な弱みを突いてくるフォールセンに対し、ケイスは返す言葉に窮していく。
上級探索者となり、目的の天印宝物を手に入れる、それはケイスの絶対目標であり、早ければ早いほどが良い。
だがそれ以上に、今期の始まりの宮に挑む、いや、挑まなければならない理由がケイスにはある。
それは自分が起こした失敗を償うため。
ルディアや、レイネ達にも話していない理由を、唯一フォ-ルセンに打ち明けていたことをケイスは今更ながらに悔やむ。
「剣士が剣士と対するのだ。明確な弱点があり、勝ち筋が見えるならばそれを攻めるのは定石。それにケイス殿は舌戦といえど手加減される方が気にくわなかろう」
「ぅ……判った! 参加させてもらう! だけど違うぞ。私が参加する一番の理由は、生半可な者にフォールセン殿が認めたという称号を与えないためだ。もしその者に資格無しと判断したら私は容赦なく叩きつぶすからな」
自分の嗜好をほぼ完璧に理解する師相手にこれ以上戦っても不利。だが素直にその思惑に乗るのは気分が乗らない。
自分でも負け惜しみでしか無いと思うが、負けず嫌いなケイスにとって精一杯の抵抗であり、本心でもある理由をぶちまけるしか無かった。
「それは良かった。次の始まりの宮までに時間はあまりない。今日にも触れをだし、一両日中には開催する運びとなろう」
ケイスの負け惜しみには触れず、フォールセンは微笑を浮かべると、やけに短い日程を伝えてくる。
「ん。ずいぶんと拙速だな。妨害があるのか? フォールセン殿が主催だというのに」
「下手に期間を設けるといろいろあるのでな。謀を起こす暇を与えぬ為に致し方あるまい。私が直接動くと騒がしくなるので、名代を前ロウガ女王であるユイナ殿に頼んである。王城において行われる手はずだ」
「ユイナ殿に、ロウガ王城か……むぅ、そうなるとあの者もいるな」
一方的に今は嫌っているロウガの治安警備の最高責任者であり、ユイナの夫でもあるソウセツの顔を、ケイスは思いだし不機嫌になる。
名を口にするのも今は腹立たしい。
力をつけたらまず真っ先に斬らなければ、ちゃんと勝たなければならない相手。
そうで無ければ語る事も出来無い。
出自は明かせずとも、父の親友とはたくさん話したいことや、聞きたい昔話もあったのに、それが出来無いのは、ソウセツが全て悪い。
ケイスの実力にでは無く、容姿に負けてしまうソウセツがだ。
「さて、ケイス殿のいうのは誰のことであろうか知らぬが、大勢の者が集まるであろう場は、ケイス殿をさらに知るには良い機会であろうな」
実に自分勝手な理由で毛嫌いし怒るケイスの心情を察しているのか、それともそれがケイスだと理解しているのか、フォールセンはただ楽しげに笑っていた。
病室に持ち込んだ簡易テーブルの中央にケイスが持ってきたパンを置いて、情報交換兼朝食をウォーギン・ザナドールはとっていた。
「というわけだ。だからウォーギン。私の顔を隠すついでに声も変える覆面を作ってくれ。容姿で侮られるのは私に対する侮辱だし、何より手加減でもされたら楽しめない」
昨日拾ってきた獣人の出自を探ると飛びだしていったはずのバカが、フォーリアの店に朝一に帰還すると共に、その結果報告ではなく、武闘会への参加を表明して、装備を要求する。
脈絡など無いケイスの行動に、普通の一般人なら振り回される所だが、話を振られたウォーギンもまた変人・奇人の類い。
「武闘会ねぇ。こいつの礼代わりに作ってやっても良いが、魔術師も出てくるだろうな。目くらましや幻術対策やらもいるか。今日、明日で製作となると、そこまで本格的には出来無いがどうする?」
ケイスがフォールセン邸からの土産として持ってきたクロワッサンをかじりつつ、その謝礼にと注文の詳細を詰めはじめる。
単一機能魔具ならともかく、複数の機能を持たせようとすればある程度の製作日数を必要とするところだが、この天才にとってはそれこそ朝飯前ですむ仕事だ。
「ん。それならそれに足して麻痺系の術を防げれば良い。さすがに周囲の空気を毒に変えられたら接近が出来ん」
「お前な、本格的に出来無いつってんのに増やすな……仕方ねぇな。昨日調べたこいつの解析結果を使うか。ぶっつけ本番だから不具合があっても文句は言うなよ」
テーブルの一角。パンが入った包みを置くために、乱雑に寄せたメモの山を、ウォーギンは指さす。
そのメモは、件の女性獣人が着込んでいた魔具についての解析結果を書いた走り書きの山だ。
昨夜のうちに基本解析だけは済ませたようだが、その紙の量が魔具に使われた術式の複雑を雄弁に語っている。
「なんだもう終わったのか。さすがだな」
「見たことが無い術式だが、効果はそれほど物珍しくないからな。類似効果の術式やら、年代が同じ位の魔具から推測すりゃ何とかって所だ。製作して試験してみなきゃ正解かどうかわからねぇよ。それよりケイス。もう一個よこせ。これくらいじゃ足りねぇぞ」
それは報酬という意味なのか、それとも量という意味なのか?
どちらかは不明ながらもケイスが持ってきたクロワッサンの包みにウォーギンは右手を伸ばしてひとつ掴み、反対の左手では、筆と新しい用紙を手元に寄せて、さっそく特製魔具の設計を始めだした。
「むぅ仕方ないな。私のおやつにするつもりだったが特別だ、もう少しやろう。それよりルディは食べないのか。美味いぞ」
横柄に頷きながらも許可を出したケイスは、テーブルの反対側へと視線を向ける。
そこでは同じテーブルに着き話は聞いていたが、精魂果ててテーブルに突っ伏していたルディアの姿があった。
「ケイス。あんたもウォーギンと同じで徹夜明けなのに、なんでそんな元気なのよ」
大事は無いだろうが、放置もできず、気を失ったままの獣人女性の容態を、ルディアは一睡もせず一晩みていた。
真面目すぎる性格的に、魔術で冷水を作る練習をしていた所為で魔力切れもあって、疲労困憊中のルディアを尻目に、この天才的なバカ二人は元気その物だ。
まだ目を覚ましていない病人がいる病室で大声で話すなとか、色々言いたい事はあるが、今のルディアには恨みがましい目線を向けるだけで精一杯だ。
「完徹の二、三日位ができなくて、魔導技師なんてできねぇからな」
「蜂蜜をたっぷり食べれたからな。レイネ先生の家では、甘いものをたくさん食べると怒られるから満足だ」
百歩譲ってウォーギンは精神的な物だから良いが、ケイスの答えは、明らかにルディアの常識を超越した謎生物な生態。
闘気強化を失い常識化したはずなのに、何故時折人間離れした快復力をみせる。
前々から本当に人間かと疑っているが、さらに疑念を深めかねないケイスの言動。
いっそ友達づきあいを止めれば楽になると判っているが、それは今更だ。
「……聞いたあたしがバカだったわよ。あーもう。ケイスそれより本題はどうしたのよ。この人のこと調べに行ったんじゃ無いの」
ケイスに関してはいつも通り棚上げ、忘れることにしたルディアは、大きくずれた話を本筋へと戻す。
ルディアが指さした先のベットには、昨日に比べて苦しげな表情が消え失せ、規則的な寝息を立てる真っ白な毛に覆われた虎族の女性の姿があった。
「ん。そうだな。では調べてきたことの答え合わせをするか。いつまで寝ている!」
頷いたケイスは懐から何時も持ち歩いている投擲用ナイフを取り出す。
そしてそれを躊躇する様子もみせず、女性が眠るベットに向けて力一杯に投げつけた。
「な!?」
ケイスのいきなりの凶行は何時ものことと言えば何時ものことだが、まさかいきなりナイフを投げつけるとは。
予想される凄惨な光景におもわず目をふさいだルディアの耳に、おっとりとした女性の声が響いてくる。
「君ねぇ。いきなりナイフを投げつけるのは無くない? 一応ボク病人だよ」
いつから気づいていたのか女性獣人はベットに寝込んだ体勢のままで、左手だけを布団から突き出して、投げつけられたナイフを軽々と受け止めていた。
「寝たふりをしているのが悪い。助けてやったのだから、起きているならさっさと起きて礼くらい言え」
力が落ちたといえ、投擲技術には少し自信があったケイスは頬を膨らませる。
「いやぁ、ほらアレだよ。目が覚めたら知らない場所だし、知らない人ばかりでしょ。そりゃ警戒ぐらいするよねって話」
「うむ。それには同意しよう。だから別の話をして私達の事情を聞かせてやったのだ。だがいつまで聞いているつもりだ」
「いあ、だってそっちの薬師さんは一生懸命看病してくれたからともかくだけど、君とそっちのおじさんはおかしいでしょ。ボクの魔具を一晩で解析する凄腕魔導技師と、どうみてもお子様なのに凄腕の剣士って感じる君でしょ、そりゃ警戒するって」
睨み付けるケイスの強い目線に対して、身体を起こした女性獣人はのんびりとした顔で答える。
一般的には勇敢やら獰猛とよく言われる虎族にしては、やけに力の抜けたふにゃふにゃした笑みを浮かべる。
「おじさんはいいが、あんたな、このバカと一緒の枠に入れるなよ」
「ふん。誰がバカだ……まぁいい。まず名を聞かせろ。それで許してやる」
ウォーギンはケイスと同等扱いに不満げだが、一方でケイスはなぜか少しだけ機嫌を治し、その名を尋ねた。
「ケイス……あんた凄腕って言われて少し嬉しかったでしょ」
明朗な答えを求めたがる短気なケイスにしてはやけに鷹揚な返しに、ルディアが指摘すると、ケイスは僅かに頬を染める。
どうやら図星のようだ。
「う、五月蠅いなルディ。私の実力を察する強者に対して名を問う、剣士としての作法に従ったまでだ。おい、こら! お前まで笑ってないで早く名を名乗れ!」
「あーごめんごめん。ボクはウィンス・マクディーナ。なんて言うか、見た目通りの訳あり獣人だね。本名を誰かに聞かれるとちょっとまずいから、ウィーでいいよ」
ケイス達のやり取りに少しばかり残っていた警戒感も皆無になったのか、髭が垂れ下がった女性獣人ウィーは、訳ありを自称する癖に、やけに気の抜けた名乗りをあげた。