右手には自在に形を変化する羽の剣。左手に火をつけた燭台代わりの大カエルの大腿骨。
薄暗い地下水路に異形の燭台が放つ炎に彩られる怪しげな影が揺らめくごとに、襲いかかろうとした迷宮の小モンスター達は、斬り裂かれ、蹴り飛ばされ、踏みつぶされていく。
ケイスの足跡は、積み上がった死骸と、不快な匂いを放つ臓物と、どす黒い赤色の血で積み重ねられた地獄絵図として点々と続いていた。
「ん。やふぁり。うぐふぉかしいな」
常人ならば圧倒的な死臭に正気を失いそうな光景を生み出しながら、元より壊れている狂人は、何時もと変わらぬペースで剣を振り続けつつ、ほどよく炙ったカエル肉を口にくわえ咀嚼しながら首をかしげていた。
先ほどから現れるモンスター達は大きく分けて三種類。
まず1つ目が動物たちが大型化凶暴化した鼠や蛇、蝙蝠など魔獣系。
2つ目は、魔力の影響で生まれたり変貌した、スライムや複数の獣の特徴を持つキメラ等の魔法生物系。
そして最後は、水路を住処とするカエルや魚類、甲殻類の水棲魔獣系。
基本的にはどの系統も、もっとも下級な迷宮である特別区であるだけあって、ケイスから見れば油断さえしなければ、いくら数がいようとも、たいした事は無い強さの物ばかりだ。
『先ほどから腹を割いているが、何か気になる事でもあったか?』
今現在一番おかしいのは末娘の行動であるという純然たる事実をあえて無視して、ラフォスはケイスの剣戟の偏りを示した。
剣として付き合ってきたからラフォスにはよく判るが、ケイスの剣技の究極理想とは、基本的に一振一殺を理想としている。
相手にただ先に剣を当て、その一振りを持って倒す。
それを積み重ねれば、自分が負ける事は無いという、極めて単純かつ究極的な理論。
だが今のケイスが行う剣戟はその理想をはずれ、ケイスの剣技、速度があれば、一撃で終わるという場面でも、わざわざ腹を切り裂く手間を入れていた。
「はむ。うんぐぅ……ふむ。あれだ先ほどの指。あれの持ち主が他にも食われているかと思って腹を裂いているのだが、人間らしい肉片が出てこない」
口に中のカエル肉を一気に頬張って飲み込んだケイスが、足を一瞬止めた瞬間。
周囲に群がっていたモンスター達が一斉に動き出す。
上空を舞っていた蝙蝠が急降下する。
鎌首を持ち上げていた蛇が飛びかかる。
暗がりの背後に潜んでいた鼠が牙を剥く。
壁に張り付いていたカエルがその長い舌を伸ばす。
併走する水路の水面下から羽根を持つ肉食魚が躍り出る。
種を違う者達が別に統一した指揮の元に動いたわけでは無いが、それはあまりに統制が取れた四方八方から向かう一斉攻撃。
全てはケイスを、自分達の住処たる地下水路に現れた化け物を排除しようという無意識の共感故に起きた攻撃。
迫る殺意と攻撃に対してケイスは火の付いた骨を頭上に投げ、羽の剣を両手で掴むと、角度をつけて一回転する。
闘気により極限まで強化した剛力を用いて、一撃の流れに何重もの重量変化と硬軟変化を織り交ぜて、刀身が波打ち踊る。
血しぶきと臓物をまき散らしながら全てのモンスターが切り裂かれ地に落ちた。
血の臭いが付くことを嫌ったケイスはそのまま宙に跳び、投げていた骨燭台を掴んで空中で一回転してから汚れの無い場所に降り立つ。
「……やはりないな」
ぶちまけられた臓物を観察してみても、先ほどのようにはっきりと人と判るモノは無い。
ラフォスが嫌がるので、燭台に使っている骨の先端を使って胃の辺りを広げてみても、中身は水路に住まう小魚や、植物類が主だ。
『腐敗はし始めておったが、消化具合から見て先ほどの指は食われてせいぜい1、2時間といったところだな。何らかの事象で落ちた指が他から流れ着いた可能性もあるのでないか?』
「うむ。辺りの地下水路を回ってみたが人の血の臭いはしない。その可能性はあるだろうな……」
口ではラフォスの言葉に同意を浮かべながら、ケイスは燭台を掲げて暗闇を照らして暗がりを見据える。
今まとめて切り払ったというのに、その匂いに引かれたのか、暗闇の中で光るいくつもの目がケイスを遠巻きに見張っていた。
『何か気になる事でもあるのか?』
「ん。食われた指には鼠の歯の跡がいくつも付いていたのだが、切断面の骨が滑らかすぎる部分がある。まるで刃物で切った後のようにな。お爺様この部分だ」
懐からドレスの端切れで包んだ指を取りだして、ケイスは炎で照らし出す。
おそらくは成人男性の人差し指。
水で軽く洗ってみたが、変色し痛みがひどく、すえた腐敗臭も漂っている。
食われた時には既に腐り始めていたと見た方が良いだろう。
「骨に付いた刃物らしき切り口の角度が気になる。私もよくやるのだが、武器を握った相手にやる指落としの時に出来た切り口によく似ている気がする。指輪が酒商家証印である事も少しな」
斜めに入った切り口は柄を持った手を狙った一撃で指が切り落とされた戦闘痕のように見えてほかならない。
それに切断されていた指が嵌めていた指輪も気になる。
指輪に刻まれている印は上下左右の4つの図式に分かれていて、一番上に葡萄と麦穂、中段の右に倉、左に車輪を表す簡易な形と、そして最後に一番下に複雑な印が施されている。
葡萄と麦穂は世界規模である大酒造ギルドの印。
そして左右は酒造ギルドから運搬と卸売りを許可された証。
最後に一番下が屋号。
もし中段の絵柄が樽ならば酒造農家や醸造農家を現し、グラスや瓶ならば小売店である酒屋や酒場を現す。
所属ギルドを現す証印としてはよく見る図式だ。
「酒類取引は、時には少量でも大量の金が動く事もある。狙っている野盗や強盗団も多いそうだ」
『その屋号に見覚えでもあるのか?』
「無い。ロウガの事を調べた時に、酒造ギルドとその下の大手商家の屋号もいくつか覚えたがこの印に見覚えが無い。だが少なくとも人気のない地下水路の鼠の腹の中にあって良いものでは無い。ここに持ち込んだ誰かがいるのであろう。どういう経緯か判らないが、私が拾ったのも何かの縁だ。もう少し落とし主を探すぞ」
何故こうもただでさえ厄介ごとを背負っているのに、さらに火中の栗を拾うような真似をするのかと、変なところでお人好しな末裔にラフォスは呆れる。
これは彼の迷宮神が与えた資質か。
それともケイス自身の資質なのか。
『誰かか……小虫どもといえ、その巣の中で生き残れる者がいるとは思えんが、お前のことだ死体でもかまわんのだろうな……立体的な位置関係は私が把握する。娘はただ気にせず動け』
悩もうが、何を言おうがケイスのやることは変わらないと判っているので、ケイスの愛剣であるラフォスはフォローに専念するだけだ。
とりあえずまずは群がってくる小虫達を全て切り伏せなければ、探索もままならない。
「うむ。さすがはお爺様、私の剣だな。そうと決まればサクサクいくぞ」
ラフォスの言葉に、薄暗い暗闇の中でも燦然と輝く笑顔でケイスは頷きながら、遠巻きで警戒していた怪物という名の被害者の群れへと斬り込んでいく。
瞬く間に地下水路は再び地獄絵図へと変化していく。
モンスター達の絶叫が響き渡る度に、四肢が斬り跳ばされ、骨を踏みつぶす音が響き、血しぶきと臓物が水路や通路を赤黒く染め上げた。
哀れで絶望的な戦いを強いられるモンスター達だが、一匹たりとも逃げようとはしない。
彼らは逃げ出せず、ただただ狂気に彩られながら牙を向き出しにケイスに襲いかかる。
彼らの乏しい知能でも判っている。
この地下水路に現れた化け物には、絶対たる捕食者たる『龍』には万に一つも勝てないと。
だがそれでも挑みかからねばならない。
ケイスが放つ気配が匂いが、迷宮の怪物達を狂わす。
数多の獲物を喰らい、数多の運命を己の運命として取り込み、嵐の中心点として君臨するはずの『龍』の中の『龍』
未来の『龍王』の血の一滴、肉の一欠片でもあれば、己が更なる高みに登れると、強く強く本能が語りかける。
億が一。
兆が一。
僅かな可能性でも龍を食えるならばと。
それが過剰に強化された本能とも知らず、唯々ケイスに襲いかかる。
ケイスの餌として、ケイスを導く為の踏み台として与えられた役割とも知らず。
そしてケイスはただ切り伏せた先に、その与えられた道を見つけ出す。
狭い水路を駆け抜け大水路に飛び出たケイスは、足元にいた大百足の胴体を切り跳ばす。
だが身体を半分に切り裂かれながらも、大百足は何事も無かったかのように頭を持ち上げケイスに絡みつこうとする。
身体を捻りながらその牙を躱したケイスは、燭台を頭上に投げ無手となった左手でムカデの頭部を掴み、
「ぅん?」
力任せに壁に叩きつけて絶命させたが、その壁の違和感に気づく。
投げた骨の燭台を掴み直して、壁を照らし出してみると、一本の大きな斬り跡が付いていた。
それはケイス自身がつけた目印のためのマークだった。
「お爺様。ここは一時間ほど前に通ったか?」
前後を照らしてみるが、ただでさえ暗く見通しが利かない上に、似たような作りが多いので、見た目だけでは判別が難しい。
しかし迷宮に潜ってからの時間経過が判るように、少しずつ傷の長さを伸ばしているので、ここをどのくらいに前に通ったかは、大まかではあるが判る。
『あぁ。先ほどあがっていった副道は緩やかな湾曲をしておった。主道へと戻ってきたようだな。他にいくつか分岐路があるが次は下がるか?』
「ん。それより綺麗すぎる」
この地下水路に降りてから既に数時間が過ぎている。外はそろそろ日が落ちるくらいだろうか。
その間ひたすらモンスターが襲いかかってきたので、斬っては食べて、斬っては食べてと繰り返していたので、ケイスの飽くなき食欲と殺戮欲の両方がほどほどに満たせる程度には、ずっと戦い続けだった。
地下水路にはあちらこちらにケイスの惨殺劇の残骸が残っているはずだ。
しかしこの辺りにはその山ほどの死体がほとんど見受けられない。
肉片の欠片や、炎に反射する鱗が数枚ほど、叩きつぶしたときに付着した血の痕跡が壁の上の方に僅かに残っている程度しかなかった。
『最初に遭遇したスライムの仕業にしては早すぎるな…………娘。我を水に浸してみろ。流れを探る』
「うむ。頼んだ」
ラフォスが何かに気づいたと察したケイスは詳細は聞かずに、横を流れる水路に羽の剣の先端をつける。
剣にべっとりと付いていたムカデの肉片や体液が、すぐに水で洗われ、暗闇の中にながされていった。
『判ったぞ。どうやら地下水路の浄化機能が稼働しているようだ。一定時間ごとに水路の水量が増えて、異物を洗い流しておるな。全域が一斉にでは無く、一部ごとに行っておるようだが、油断しておるとお前も流されるぞ』
「探知術を使用した浄化術式か………お爺様。増水した水の行き着く先が判るか?」
『流水の流れはここから南方のほうに続いておる。途中で隔壁も下ろしておるようで、分岐に流れる水の流れを感知は出来んな』
「異物をまとめてそこに集めているようだな……よしお爺様そこに向かうぞ」
自分が探している人物だったモノは、そこにあるのだろうか?
このまま手がかりも無く闇雲に探し回るよりは、一度行ってみた方が早い。
即断したケイスはラフォスの返事も待たず、南方に下流側に向かって走り始める。
『承知した。時折隔壁が閉じておる場所を通るが、切り開こうとはするな。鉄砲水に飲み込まれるぞ』
「どうせ行き着く先は同じなのだからそちらの方が早いのではないか?」
『荒れ狂う激流の中で20分以上は息継ぎをしないでもよいというなら止めはせんぞ。いくら我の末といえど、一応は人の身であるお前には無理であろう』
「むぅ。20分か。その半分くらいならいけるが、さすがに倍となると無理だな。迂回路の指示も頼んだ」
やることなすことは他人から見れば無茶無理無謀と三拍子が揃っているが、ケイス本人としては出来るから出来るだけのことをやっているにすぎない。
引ける状態で、無理だと思えば引くということも一応は判っている。
『出来る事と出来無いことを弁えているだけ、マシと思うしか無いなお前の場合は……』
せめて基準値がもう少し常識的であれば、自分の心労も半分以下に軽減されるだろうに。
まさか一度死して、剣となった後に、子育てで苦労することになろうとは。
ラフォスはそんなぼやきを口にしつつ、水の流れへと意識を向け、順路を指示し始める。
少なくとも数百年前に作られたであろう地下水路は、何度かの大きな改装を経ているのか、大規模で複雑に入り組んだ構造となっている。
だがラフォスが住処としたのは、この広大な地下水路が児戯に見えてくるほどの巨大さを誇る迷宮『龍冠』であり、そしてケイスはその『龍冠』で幼き日々の大半を過ごしてきた生まれついての迷宮探索者。
1人とその愛剣のコンビは、高い知識と技術を遺憾なく発揮し、水路を走り抜け、モンスターを駆逐し、隠し通路の扉を解除しながら、目的地へと迷うこと無く走り抜けていった。
20分ほど上や下に上がったり下がったりを繰り返しながらも、徐々に地下深くへと続いていく。
その頃になると、先ほどまで襲いかかってきたモンスターは数を大幅に減らし、その代わりにケイスの鋭敏な嗅覚が明確な死臭を捉え始める。
腐りかけた肉の放つ独特の粘つくような甘みも含んだ不快な空気が、ケイスの向かう暗闇の先から漂っていた。
横を見れば水路を流れる水は、汚れで黒々と染まりゴミや小動物の死骸が浮かんでいる。
『もう少しだ。その先で大きく下に放流されている分岐がある。迂闊に飛び込むな』
「ん。了解した……迷宮区も今抜けたな」
流れ落ちた水の奏でる轟音が幾重にも聞こえて来たところで、軽い喪失感をケイスの心が感じる。
空気が変わり、先ほどまでの尽きない高揚感が抜けて来たので、この辺りは迷宮外となっている事がすぐに判った。
幾重にも聞こえる滝の音を頼りにさらに広くなり、水量を増した通路を駆け抜けていくと、不意に大きく開けた場所に出る。
「これは……広いな」
暗くて大きさは見通せないが、その音の反響から相当に広い空間となっているのが判る。
横を流れる水路はそのままその空間に飲み込まれていって、かなり下の方で水が跳ねる轟音が響いていた。
「地上の位置的には……ロウガの旧工房区の地下に当たる辺りか。河口にも近いな」
ここまでの距離と方向から大体の当たりをつけてケイスは少しだけ落胆する。
手がかりがあるかと来てみたが、この当たりは既に河口や海にも近い。
集めたゴミや動物の死骸などがそのまま放流されているかもしれないからだ。
だがラフォスが、すぐにケイスには気づけない異常を感知する。
『娘。この地下空間に魔力反応がある。ここから見て左側の角だ。落ちた水は一度そちらを通ってからさらに地下へと向かっている。不自然な水の流れをしておる』
「ん。あっちか……明かりがあるな。壁沿いの凹凸伝いに跳ぶぞ」
壁に手を駈けながら身を乗り出したケイスが左下を覗き込んでみると、こんもりと島のようになった場所が出来ていて、そこには明らかに人工的な明かりがいくつか見えた。
しかし、人がいるかどうかはここからではさすがに判らない。
判らないなら行くだけだ。
一つでも足を踏み外せば真っ逆さまに落ちるので、さすがのケイスといえども慎重な足取りで一つずつ次に跳ぶ場所を見つけながらゆっくりと降りていく。
少しばかり苦労しながらも水面近くまで降りたケイスは、壁沿いに設置された扉とそこから伸びる通路を見つけそちらへと飛び降りる。
焼き煉瓦で出来た通路は周りの石壁よりか幾ばくか新しいように見えた。
扉の方に先に行ってドアノブを回してみると鍵はかかっておらず、何の抵抗もなく扉が開いて、その先に続く昇り階段が見えた。
『先にこちらに行って退路を確認するか?』
「ん。先がずいぶん長そうだ。あちらの明かりがあった方を先に調べる、誰かいるかもしれんからな」
扉を閉め直したケイスは、壁沿いの通路を明かりを持ったまま堂々と進む。
そして自分が向かっている先で、島のように溜まっている物の正体に気づき、ラフォスを掴む手の力を少しだけ強めた。
『姿を隠すとか考えないのかお前は』
「姿を隠したところで魔術で探知されたらすぐにばれるであろう。ならば無駄なことはしない方が戦いになったらやりやすい」
ここまで来るとその島に見えた物の正体ははっきりと判った。
それは島などでは無く、地下水路中から集まった骨や肉片で出来た死骸の山だった。
一層強くなる悪臭は頭痛を覚えそうになるほどで、あまりにおぞましい光景は目を背けたくなるものだが、ケイスは意にもせずその死骸の山に近づき目を向けた。
「ふむ。ごちゃごちゃだな。これをばらすのが面倒だな……斬るか」
入り組んだ骨やら肉片が絡み合って固まりになっているので、ここにケイスの目当ての人物があるかは見た目では判らない。
とりあえず中の方も見るために斬ろうかとケイスが剣を構えようとした瞬間、死骸の山の中からうっすらと蒸気のようなものが揺らめき湧き始め、その霧が集まり人の形を取っていく。
「サ、レ……サレ……コドモヨ……ココハ、シシャノバ……サレ」
その白い影はゆらゆらと揺れながら、おどろおどろしいかすれ声で警告を発し始める。
「イマナラバ、ノロワレズニ、スムゾ、サレ、コドモヨ」
徐々にはっきりした口調になりながら白い影が警告の声をあげる中、周囲からも無数の霧が立ち上り初め、いつの間にやらケイスの周囲を何十体ものその半透明の影が取り囲んでいた。
いないのはケイスが今歩いてきた階段へと続く道の方向だけだ。
「ハヤクサレ、イマナラバ、ミノガシテヤロウ」
リーダー格らしき最初に出現したそれがさらに声を紡ぐが、相次ぐ子供呼びにケイスの眉が少しつり上がった事には気づいていない。
「レイスか。五月蠅いから少し黙ってろ」
周囲に現れたの影達の正体が死霊の類いだと判ったケイスはつまらなそうにつぶやき、気にせず死骸の山に羽の剣を叩きつけて、骨や肉を蹴散らし始める。
「マ、マテ、ノロワレルゾ、コドモ、ノロウゾ、アタシタチヲオコラセタラ、コワイゾ」
ケイスの行動に慌てたのか、最初に話しかけてきたレイスが慌てた声をあげて、死骸を蹴散らすケイスの前に立ちはだかった。
どうやらなんとしてでもこの傍若無人な侵入者であるケイスを追い返したい模様だ。
「おい。お前。邪魔をするな。いい加減にしないと斬るぞ」
だがその程度でケイスが止まるはずも無い。剣呑な目付きでレイスを睨み付け剣を構えてみせた。
「ハハ。ムチナコドモガ、アタシタチシビトニ、ケンナドツウジルカ、コノヨウナバショニクルヨリモ、シッカリベンガクニ」
肉体を持たず霊体であるレイスに物理的な攻撃は意味が無い。
その常識を知らない事を笑おうとするレイスに対して、ケイスは剣を構えると深く息を吸って睨み付け、剣を一閃させる。
白い影の顔にかかっていた髪の一部がケイスの剣によって”斬られ”ていた。
「エッ!? ヘッ!? ……な、なんで!? 斬られてるのあたし!? え!?」
髪とはいえ自分の一部が斬られたレイスが、先ほどまでと違ったやけに可愛らしい声をあげ混乱している。
どうやら先ほどまでの声や姿は作っていたようで声が変わると同時に、薄ぼんやりとしていた姿形も、生前の姿なのだろう。半透明ではあるが、東方王国時代の古風な恰好をした10代半ばくらいの少女の姿に変わっていた。
「おい。聞いているのか。今のは警告だ。私の邪魔をするなら次は首を切り落とすぞ」
「ま、まってあたし幽霊だよ!? 霊体だよ!? なんで斬られてるの!? その剣に魔力は感じ無いから安心して出て来たのに!?」
首元に剣を当てられ、怯え引きつった表情を浮かべた少女霊があげる金切り声に、五月蠅げに顔をしかめたケイスは煩わしそうに答える。
「本当に五月蠅いなお前。お前達は精神体で物理的に切れない。ならばお前が斬られたと本能的に思ってしまう剣を振ればいい。そうすればお前自らが斬られたと思ってしまい切れる。それだけのことだぞ」
「ちょ、ちょっとまって! 何それ無茶苦茶でしょ!?」
「何が無茶苦茶だ。私は剣の天才だ。ならば出来るに決まっているであろう。このようにな!」
少女霊の首元に当てていた剣を少し返して今度は耳の辺りの髪の毛をケイスが少しだけ切り落としてみせると、
「ひぃぃぃっ! バ、バケモノ! 化け物が出たよ! ミ、ミナモさん助けてぇっ!」
ケイスの剣の鋭さに腰を抜かしたのか、へたり込んだ体勢のまま少女霊が悲鳴をあげながら逃げ出してしまった。
少女霊が生み出していたのか周囲に浮かんでいた他のレイス達も同時に消え去った。
「失礼なレイスだ。お前達の方が化け物だろう……斬りにいくか」
化け物呼びに不快感を覚えたケイスが、やはり斬ってしまえばよかったかと憤慨していると、
『あのレイスの発言は一文字一句も間違っておらんから許してやれ。我もそう言ったであろう』
精神体やら幽霊に”斬られたと思わせる”剣戟の習得と称して、不眠不休の練習に数日も付き合わされた上に、最終的に本当にやってのけた末娘に対して同じような単語をこぼしていたラフォスは、深い同情と憐憫と共感を名も知らぬ少女霊に覚えていた。