本国帰還と同時に、原則休暇となるのがエーグフォラン傭兵団の習いだが、それは一般傭兵の話。
幹部クラスや兵站担当者にとっては、帰還と同時に書類仕事の山が待ち受けている。
金獅子兵団団長であるミムや、その副団長である出雲夫妻もその例外に洩れず、提出書類の修正や詳細確認、次々に持ち込まれる決裁書への承認と、宵闇迫った夕方間近となってもまだまだ書類仕事に追われていた。
特に今回は敵国の侵攻を誘ったうえで、領土売買を円滑に進め、その後の防衛戦まで想定した大計略の一環で、軍令部との綿密な作戦計画を詰める必要がある。
現地で収集した最新の地域情報や敵国国境兵力情報等からの戦略判断、整備した街道の運搬能力などを元にした補給計画立案など、普段とは違い次の戦いに向けた準備もあるのだから致し方ない。
敵国の侵攻後、依頼国からの再要請を受け、金獅子兵団が救援へ向かう事になっている。
再出動は敵国の動き次第なので、どちらかと言えば待機状態に近く、あまり休暇らしい休暇とは言いがたいのが実状だ。
「防衛後に戦線安定を目的にした逆侵攻が可能かだそうだ。具体的には、もう一つか二つ前衛陣地を作れる位置まで侵攻して、国境線を前に押し上げる案だな。全く簡単に言ってくれる」
鉱山間近の国境線を敵軍に抜かれた場合の、非戦闘員や鉱山施設への被害を抑えるために、作戦本部であげられた対策案の一つの有効性の有無を確認する提案書をホウセンが読みあげる。
国境線が近いのが問題なら、その国境線自体を押し上げれば良いは確かに道理だが、それをやれと言われる方はたまったものではない。
「やめまひょ。前に押し出しいやも補給線が伸びるやけで、山道で襲われへん危険性を考えたら得はあらしまへん。地図上やと陣地が築けるように見えても、常駐しはるには手狭すぎる。逆侵攻しいやもぎょうさん奥深くまでいかいないと寡兵を強いられへんやけどす」
現地で測量して新たに作った地図を広げていた煌が、扇で細い山道をなぞりすぐに首を振る。
前衛陣地を作れるだけの広さとなると場所も限られてくる上に、補給の問題もある。
碌な護衛もつけられない山道では、飛翔魔術を用いた少数ゲリラ戦で狙ってくださいと大声で宣伝しているようなものだ。
「じゃあ無し。今の国境線で防衛するのが一番安定だって答えて」
決裁書にサインをしながらミムは顔もあげずに答える。
参謀役である煌が反対ならミムに異論は無い。
現役探索者時代から、煌の無理をしない手堅い状況判断力に何度も助けられた信頼感に揺らぎは無かった。
「それよりホウ。戻ってきたうちの連中からの報告は上がってきてる?」
本来なら弟分であるティルの捜索は、私事であり、弟の特異性を考えれば自身が赴くべきだとは判っている。
だが今のミムにはそこまでの自由度が無いのも事実。
休暇を楽しみにしていた部下には大変申し訳ないので、情報の有無にかかわらず、今日の飲み代は全てミム持ちとしていた。
「いくつか上がってきている。私の方でまとめておいたが読みあげるか?」
軍令部から送られていた書類とは別の山に集めていた手書きの報告書をホウセンが掲げてみせる。
「お願い。あたしが見るより早いし分かり易いからそっちのほうが助かる」
副長として団をまとめるだけで無く、副官としての役割もこなすホウセンにミムは頭を下げるしか無い。
ホウセンが書類を分別し、回す量を調整してくれているので、戦闘専門の自分がどうにか団を率いていられるというのがミムの自己分析で有り。おおよそ間違っていない。
「今のところ本人発見の報告は無い。ここ数ヶ月の行動で新たに判明したので特筆するなら、一人の女性鍛冶師の作ばかり調べていたというのがあるな。『珪石のミロイド』という名に聞き覚えはあるか?」
「珪石氏族のミロイド……知らないわ。7工房じゃないでしょ。どこの所属?」
仕込んだので礼儀作法や言葉遣いは大分ましになったが、他人には基本的な部分では無関心の弟が興味を示すのは7工房の主立った鍛冶師ばかりだ。
そこらの顔ぶれはミムも把握しているが、その女性鍛冶師の名に覚えは無かった。
「独立系鍛冶師で、7工房採用本試験常連組らしい」
エーグフォランに生まれたドワーフ鍛冶師の大半にとって、7工房入りは悲願であり、最大の名誉であるといって良い。
毎年募集が行われて、数百人の鍛冶師が本試験を受けるが、多い年でも採用されるのは2、3人。採用者0という年も珍しくない狭き門だ。
「大手工房所属じゃ無くて独立系か。独自技術はありそうだけど、本試験常連組なのにティルの奴が興味を持つ技術でも持ってたの?」
本試験常連組とは、7工房採用本試験への参加条件である予選選抜を毎年くぐり抜ける高い技術を持つ一流の鍛冶師ながら、本試験を通過できない鍛冶師達を指す言葉だ。
「良くも悪くも一流の鍛冶師だな。基本に忠実であり信頼性の高い武具作成者という評判だったそうだ」
7工房に属する鍛冶師とは、高い技術力は当然であるが、それ以上に重視される採用条件がある。
それは突き抜けた1を。
どれだけ独自の発想、技術を持つかということだ。
他者には真似できない1つの世界を作り上げる者。
それがエーグフォランが誇る7工房の鍛冶師達といえる。
裏を返せば、突き抜けた変人、変態技術集団といってもいい際物揃いというのがミムの正直な感想で有り、その中でも極めて一番の際物が弟だというのが頭痛の種だ。
そんな弟が心を引かれるのも、工主連中を筆頭にした突き抜けた鍛冶師の作ばかりだ。
「普通ん一流にかな子が興味を示すなんてけったいな話どすなぁ。それと旦那さんやったっちゅう過去形ん理由はなんどすか?」
ティルの正体を、その危うさを知る煌も、ホウセンの話に違和感を覚えたのか、作業を続けながらも話に加わる。
「この鍛冶師も行方不明になっている。こちらはミムの弟と違い完全に失踪しているそうだ。失踪時期は約半年前で彼女が使っていた工房が不審火で焼失したが、本人と連絡が取れなくなったそうだ。現場から遺体は見つかっていない」
「……一気にきな臭くなったじゃねぇか。爺ども絶対に隠してやがったな。失踪理由は? なにか犯罪絡みとか」
ミムは呪詛をこめた呻き声をあげる。
半年前という被った失踪時期。そして弟が調べていたという武具。
これで関連を疑うなというのが無理な話だ。
そして半日ちょっと調べただけですぐにわかる事実を、工主達が知らないはずが無い。
あの中の誰か。もしくは全員がティルの行動を把握して、黙認、もしくは支援していたと見た方が良い。
「男絡みの話やら、失踪直前の本試験で失格になった等、考えられる要因はいくつかあるが、本命は倉庫荒らしの噂だな」
「倉庫荒らしってまさか……廃棄倉庫?」
廃棄倉庫といえば、よくそこに潜り込んで、失敗作やら未完成品を持ち出して、研究や改修をしている武具馬鹿もとい弟の存在。
どうにも嫌な予感がしたミムは外れていて欲しいと思いつつも、半分諦めた気持ちで続きを促す。
「あぁ。後々の調査で判明したが、前回採用本試験前後に、7工房の廃棄品一時保管倉庫のいくつかが荒らされていたようだ。持ち出されたのは新規技術試作剣や、耐久特化鎧等各種諸々だが、正式採用に至らない失敗品ばかりで正式なリストが無くて、無くなったのも大体で大箱4,5箱くらいと正確な数が判らないそうだ」
普通なら廃棄品といえどそんな大量に無くなれば大騒ぎとなりそうな物だが、管理が都雑な者が多い7工房の場合は、使えないと思った物や、意図と外れた品をまとめて捨てていく者が多すぎて目録管理などされていない。
普段は関係者以外立入禁止区域だからという安心感もあるせいだろうか。
だが本試験中は、試験関係で普段より出入りが増え、自由課題用に自前の大型道具を持ち込む受験者もいる。
他の荷物に紛れ込ませて持ち出されても気づかない可能性は十分に考えられた。
「状況さかい見るとその女鍛冶師が倉庫荒らしん犯人か、協力者ちゅうことでっしゃろか?」
「第一容疑者と怪しんでいるそうだが、本人が行方不明で手詰まりになっている。武具を売るためか、それとも来期試験に向けて研究用に持ち出したのか。考えられる事はいくつもあるな」
「あの馬鹿……まさかその鍛冶師に協力して新型武器でも作ってるんじゃ無いだろうな。あぁでもそれだとそいつの作を調べてた説明にならない……なんか胃が痛くなってきた」
疲れたらそこらの空き木箱で眠る習性がある弟が、品あさりの途中で廃棄倉庫で眠りについたことが過去に何度かあったことを思いだし、ミムはどうにも嫌な予感が加速度的に高まっていき、机に突っ伏す。
状況は良くない。
どうにも嫌な予感がする。
弟の本質は鍛冶師。
武具を求める者がいれば、武具を与えようとする。
そこに善悪など無い。
平気で倫理をはみ出してしまう。
今はかろうじて人の世を歩んでいるが、それだってミムが何とか躾けてきたからだ。
だがそれだって薄皮のように頼りない物。
武具が関わればあの弟は、あのまますぐに化け物に変わる。
弟は化け物だとミムは知る。
鍛冶師としてしか生きていない。
人間の身でありながら、ドワーフを凌ぐ勘の良さを持って、ドワーフに遥かに劣る寿命を埋めるように、一心不乱に鍛冶師として生きている。
その生き方が異常だ。
あの探求心が化け物だ。
あり得ない存在だ。
だが……だがだ。
だからこそだ……上手く育てば最高の鍛冶師になるという確信がある。
ミムの本質は戦士。
だからこそミムもまた武器を求める者。
ティレント・レグルスという存在を初めて知った時から魅了されている。
しかし鍛冶師ティレント・レグルスはミムを見ない。
正確に言えば、自分はティルにとって姉代わりという特別な存在となっても、鍛冶師としてのティルの特別にはならない。なれないと判っている。
鍛冶師としての本能に目覚めているときのティルには、全てが同一なのだと知っている。
武具を求める者は全て同一。
そこに特別な存在などいない。
相手が身内であろうと、
他人であろうと、
聖人であろうと、
殺人鬼であろうと、
戦士であろうと、
狂人であろうと、
自らの仇であろうと、
自らを仇と恨む者であろうと、
武器を求める者にすべからく武器を与える。
そこには一切の妥協も、躊躇も、迷いも無い。
己の全身全霊、全てを賭けて、武具を生み出す。
だからこそミムには怖い。
ティルには武器を作るという一点でしか執着心が無いと知るからだ。
先を見ない。見る必要が無い。
今最高の武具が、剣が作れれば、それで満足してしまう。
もしだ。もしもだ。ティル自身の心臓が最高の武器素材となるならば、弟は平気で心臓を抉り出すだろう。
心臓が無くとも剣を打つためにその身体を無理矢理に動かし、そして打ち終えると共に死んだとして後悔など一切しない。
鍛冶師としての本能の目覚めたティルにとっては、武具の、剣の前では、この世の全てが、他人も、己さえも無だ。
剣しかない。
剣だけだ。
「とっとと見つけないと仕事にならない。ティルの奴……姉ちゃんに心配かけさせてただですむと思うなよ」
悪い方向に進む焦燥感が募り机にパタンと倒れ込んだままミムは怨みごとをこぼす。
考えれば考えるほどこのまま大人しく書類仕事をしている場合じゃ無いという予感がする。
今この瞬間にも弟が何かやらかすのではないかと、上級探索者としての勘が警鐘を鳴らしていた。
そしてその予感はあながち外れていなかった。
ミムが呪詛の声をあげる横で煌の胸から下げていた通信魔具が、最優先連絡状態で稼働する。
それはレグルス本家に向かっていた娘のクレハからの緊急通信だ。
「クレハ。緊急通信って何やおましたか?」
すぐに魔具を起動させた煌が声をかけると、慌てふためくクレハの声が響いてくる。
一方的に話すクレハの報告を聞き終えた煌は手に持っていた書類をパタンと閉じた。
これは今日はもう仕事にならないだろうと諦める。
「ミムはん。ええ知らせと悪い知らせどす。レグルス本家にむかっとった婿はんとクレハが弟はんを発見どしたそうどす。そんで……件ん鍛冶師ん死体も発見しもたそうどす」
珍しく言いよどんだ煌の言葉に、ミムは少しだけ顔色を変える。
ティレント・レグルスと死体。
最悪の組み合わせだ。
その意味を知る三人の空気が変わる。
「煌……死体の状況は?」
「今しとつ要領は得まへんが、クレハん話ほなそん鍛冶師ん死体を剣にしよけとしたはるそうどす。しかもそん鍛冶師の相槌を打つそうどす」
動向不明だった弟が、行方不明となっていた女鍛冶師の死体を剣にしようとしている。
そこまでは理解したくないが、理解は出来る。
だがその死んだ女鍛冶師の相槌で、剣を打とうとしているとはどういう意味だ。
クレハの報告では死んだはずの女鍛冶師が、自分の死体を、自分で剣にしようとしているという事になる。
まるで意味が判らない。
判らないがミムには考えるまでも無い。
弟がまたやらかしやがった。
それしか無い。
「ミム。どうする? 少しならこっちは俺が引き受けておくぞ」
ここで作業を中断しては後々大変にはなるが、そちらを放置することも出来無いとホウセンが気を利かせて、ミムに促す。
ドワーフ鍛冶師にとって、鉱石に限らず、この世の万物が武具の材料になる。
その事をミムはよく知っている。
ミムだけでは無い。
出雲夫妻もよく知っている。
かつて人を持って最高の武器を作ろうした鍛冶師と対峙したことがあるからこそよく知っている。
人すらも剣としようとするその業を。
決して戻れない禁忌を。
「レグルス本家に殴り込みかけてくる。ホウあとは任せる。煌は付いてきて。場合によってはティルの奴を今度こそ殺すしか無いから。その魂魄まで……そういう約束だから」
ゆらりと立ち上がったミムは、横に置いてあった愛用の大槌を掴むと一度軽く素振りをし、最悪の場合は弟殺しの覚悟を決める。
もし弟が”また”同じ道を歩むなら、自分が責任を取る。
かつて交わした約定をミムは思い出していた。