朧月がもたらす微かな月あかりに照らし出されるカンナビスの町。
既に日付も変わった深夜だというのに、あちらこちらから聞こえてくるざわめきと衛兵が鳴らす呼び子が鳴り止むことはなく、さらに騒ぎが大きく拡大していることを知らせる。
しかしその規模が広すぎる。
先ほどまでは、ルディアを連れ去って逃亡するケイスの行く先で騒ぎが連鎖的に起こっていた。
だが今は違う。同時発生で騒ぎが起こり、山肌の僅かな平地に出来た街区階層に別れるカンナビスの町全体が大きな騒動の渦中にあった。
逃亡したケイスの行方を追って路地裏を駆け抜けていたボイド・クライシスも、すばしっこい上に予測不能な経路を通るケイスを何度も見失っていたが、それでも先ほどまでは騒ぎを追えばケイスにはたどり着けていた。
しかしこの騒ぎようでは、それも出来無く表情には戸惑いの色が強まっていた。
「セラ! どうなってる!? ケイスの行方はそっちで判るか!?」
連絡役を引き受け協会支部に残る妹セラへと通信魔具を繋げ怒鳴り最新情報をもとめると、すぐに切羽詰まった声が返ってくる。
『こっちに聞かないでよ!? ケイスが同時にいくつもの場所で確認されたって衛兵からの通信でパンクしそうなの!』
「はぁ!? どういう事だ!」
『だから今言ったことそのまま! 下の港湾区から上の街区でも同時にケイスが複数確認されてるの! 今ヴィオンが確認してるけど、実際に街中を移動しているケイスの群れがいるって!』
「逃亡に幻影でも撒いたってのか!? 魔具でもどこかで調達したのか!?」
自分自身でも言っている意味が判らないのか金切り声を上げるセラの調子からして嘘を言っているようには思えない。
逃亡の際に己の姿を幻として走らせるのは、オーソドックスな手だが魔力を持たないケイスは魔術を使えない。
だが常識をそこらに投げ捨て、心底から自分本位なケイスの事。逃亡ついでにどこぞの魔道具屋にでも押し入って幻影魔具を調達したのだろうか?
『幻影とかじゃなくて全部実体! しかも武装状態で暴れ回りだしたって! 衛兵にも抜刀許可やら魔術使用許可が出るのも時間の問題!』
「だーっ! 一体何がどうなってんだ!」
最悪をさらに上回る状態で状況悪化疾走状態と聞いて、ボイドは足を止めた。
このまま当てもなく街中を走り回っていても、ケイスを捉える事はできそうもない。
どうする?
どうなっている?
混乱状況下でパニックにならぬようにと、気を落ち着け状況を整理しようとボイドが息を吐き出そうとした瞬間、朧月のもたらすうっすらとした月あかりが、頭上から影をもたらしたことに気づき、なぜか背中が総毛立つ。
「くっ!」
悪寒を避けるように咄嗟に横に転がってボイドが逃げると、直前まで立っていた石畳に巨大な剣が振り下ろされる。
石を力任せにたたき割る激しい破壊音と飛び散る礫の中、ボイドは探し求めていた少女の姿を見る。
宵闇よりも黒い濡れた長髪。
気の強さを表すかのような少しつり気味の目。
貴族令嬢のような美貌と、屈強な女戦士のような堂々とした剣裁き。
相反した特徴を持つ美少女風化け物。
それは紛れもないケイス。
「ヨケルカ……ツヨイノハ……スキダゾ」
どこで調達したのか、石から切り出しただけの原始的な剣で武装した少女が殺気の篭もった目で逃げた獲物を、ボイドを見て、口元を歪ませてにたりと笑う。
狂気に捕らわれた表情。
殺意に彩られた目。
正気を失っていると判るたどたどしい口調を漏らしたケイスが、咄嗟の回避行動で体勢が崩れているボイドに向かって、もう一度剣を振り上げた。
「ちっ!」
この相手に余計な問答はしている余裕は無い。
躊躇すれば殺されると、探索者としての勘が告げる。
なんのつもりだ? 本当にケイスか?
問いかけを飲み込んだボイドは代わりに手近にあった路上の石を掴むと、ケイスに向かって勢いよく投げつける。
顔面に向かって飛んだ石をケイスは避けようともせず、強かな直撃を受ける。
だがその振り下ろす剣の勢いはほとんど変わらない。
しかし僅かに剣筋が乱れる。
近接戦闘を司る赤の迷宮を得意とするボイドには、その乱れだけでも値千金の機会。
石を投げつけた勢いのまま身体を捻って紙一重で振り下ろされた石剣を交わしつつ、左腕で身体を持ち上げた勢いを乗せケイスの胴体へと向かって重たい蹴りを打ち放つ。
「……」
ボイドが繰り出した蹴りにまともな直撃を受けて、小柄なケイスは声も無く吹き飛び、煉瓦造りの民家の壁へと叩きつけられた。
その隙にボイドは完全に立ち上がると、最初の回避で取り落とした愛用のポールアックスを拾い直して構える。
この狭い路地裏で斧刃を自在に振るのは難しいが、縦の動き、槍としてならば十分。
『兄貴!? ちょっと何があったの!? すごい音がしたけど!?』
セラの問いかけには答えず、警戒を強めたままボイドは呼吸を鎮めたままケイスを見据える。
壁に蹴りつけられたくらいケイスならばダメージにも入らない。
息を抜いた瞬間に、首を狩ってくるかもしれない。
最大警戒を続けるボイド。しかしケイスはぴくりとも動かない。
今の一撃で気を失ったというのか、それとも……
「なっ!?」
ケイスの肉体から、急速に生気が抜け土色になったかと思うとぼろぼろと崩れはじめた。
ボイドが驚愕の声をあげてから数秒も経たず、瞬く間に同量の土塊と化したケイスだった物は、自重に負けたのか崩れ落ちてその形を無くした。
『兄貴!? 兄貴ってば!? あーもう! ヴィオン! 兄貴の場所に行ける!? 連絡途絶したの!』
「心配するなセラ。俺は大丈夫だ。ケイス……らしい? のに襲われて撃退してた所だ」
『撃退したの!? でもらしいってどういう事!?』
「わからん。あっけなく倒せたんだが土塊に変わりやがった」
『土塊!? じゃあ今街中で暴れ回ってるのはケイス本人じゃ無いって事!?』
ケイスだった物を穂先で突いてみるが、何の反応も無く、ただの土そのものだ。
これと同じ物が複数街中に出現したなら、先ほどから起きている複数のケイスの説明も付く。
第1だ、見た目はケイスその物だったが、今の存在は剣技が荒すぎた。
ケイスの剣技とは剛剣であり技剣。
力を持って崩し、技を持って留まることの無い怒濤の剣戟を繰り広げる変幻自在の剣こそが剣士を自称し、誰もが認めるであろう天才の振るう剣。
あのような力任せで叩きつけて終わるだけの蛮剣などケイスの流儀ではないと、何度も鍛錬で付き合わされたからこそボイドは知る。
目の前にいたのはケイスの姿をした何か。別の者だった。じゃあ本物はどこに……そこまで考えボイドの脳裏に実に嫌な想像が浮かぶ。
「セラ! ウォーギンさんに連絡つくか! まさかとは思うがカンナビスゴーレムにケイスが取り込まれたとかじゃないだろうな!?」
つい先日蘇ったカンナビスゴーレムと激戦を繰り広げたばかりのケイスの全身には、飛び散ったゴーレムの破片が無数に食い込んでいた。
大きな破片は治療で取り除かれているが、微細な破片はその身体に残ったまま。
まさかとは思うが、あの破片からケイスの肉体が乗っ取られた可能性も皆無ではない。
相手は龍王が生み出した伝説のゴーレム。
どのような機能が残されているか、潜んでいるか判らない。
ケイスは言った。
カンナビスゴーレムは生物を喰らい強化されると。
喰らった生物が多ければ多いほど、強ければ強いほど、より強化される。
もしあの化け物が、ケイスが、喰らわれたとすれば……
『うげっ!? じょ、冗談でしょ!? すぐにウォーギンさん達に確認する! 父さんにも詳細伝えるわよ! 兄貴はヴィオンと合流して! ケイスの群れと一人で戦闘なんて洒落になってないわよ!』
一人だけでも手を焼くというのに、いくら本物よりはかなり落ちるとはいえケイスが群れをなして襲ってくるなんて、ボイドにとっても悪夢以外の何物でもない。
「判った! それとすぐに探索に出てたスオリーを戻らせろ。あいつになんかあったらヴィオンに会わす顔がねぇぞ!」
『り、了解! 兄貴も気をつけてよ!』
兄妹は通信を終えるとそれぞれに動き出し始めた。
それが脚色された筋書きに沿った行動とも知らずに。
慌ただしさに揺れるカンナビスの遙か上空。
スオリーの生み出す穏形陣で姿を隠したケイスたちがそこにはいた。
逃亡中はシーツを纏っただけだったケイスだが、スオリーの用意した真新しい旅装束に身を包み、魔力で編まれた仮初めの床に堂々と立ち遥か眼下を見下ろす。
ケイスの周囲にはいくつもの魔法陣が浮かび、街中で暴れ狂う己とうり二つの土塊ゴーレムがそこには映しされたり、混乱状態で激しいやり取りをする衛兵や探索者達の通信魔術を傍受していた。
「ふむ。さすがボイドは優秀だな。いい読みだ……しかし私はあそこまで弱くないぞ。コオウお爺様。もし私の実力を見誤っているなら、その誤りを正すために喜んで剣を合わせるぞ」
騒動の張本人というか原因であるケイスは、ボイドの予測を聞いて偉そうに頷いたかと思えば、あっけなく敗れた自分と同じ姿をしたゴーレムを生み出したコオウゼルグに噛みつく。
「同じ強さにしてどうする。今の若い探索者ならばどうにか出来るかもしれんが、街の衛兵クラスでは手が出せなくなる。怪我程度ですますにはアレが限度だ」
どうにも鍛錬と称した戦いをしたがる戦闘狂のケイスを軽くあしらいながら、コオウゼルグは街中に展開したケイスを模して急造したゴーレム数十体を造作も無く操り、騒動をカンナビス中へと拡散させていく。
ケイスの正体。大帝国ルクセライゼンの隠された姫であり、龍の血を持つ化け物。
そしてその剣。羽の剣と呼ばれる剣に宿るのは先代深海青龍王『ルクセライゼン』
管理協会の重鎮として、世に出せぬ裏事情に精通しているコオウゼルグからしても、最大級な災厄の種と考えるしかない。
その存在を隠すためならば、今宵のカンナビスの騒動など些細なことだ。
「カヨウ。致し方なかったとはいうが、この娘はもう少しどうにかならなかったのか……」
下手に正体が露見すれば、世界を戦乱に巻き込みかねない危うい運命に生まれたというのに、ケイスはその運命を知りながらも緊張感や責任感らしき物は皆無。
ただ己が思うままに生きている。
底の抜けた馬鹿か、理の通じない狂人か。はたまたその両方か。
『お叱りのお言葉に反論は礼を失しますが、どうにか出来るようなら、私共も苦労しておりませぬ。ケイネリアを止めるならばそれこそ屠るしかありませんが、その時は陛下が、帝国が敵に回ります。如何に管理協会の力が国すらも凌ぐほどに強大といえど、大国ルクセライゼンとまともにぶつかってはただでは済みませぬ』
長距離通信魔術が生み出した鏡に映るケイスの祖母であるカヨウもお手上げだと、全面降伏の体を見せるが、孫娘は馬耳東風だ。
「ふん。その時は私が直接手を下すから邪魔をするな。御婆様や父様の出る幕は無いぞ。むしろ私の敵を取るなら、先に御婆様達が相手だ。父様にもそうお伝えしてくれ」
戦いこそ全てにして喜び。
基本的に色々な意味で馬鹿な孫娘は、相手が強ければ強いほど喜ぶ生粋の戦闘狂だと知るからこそ、カヨウ達もその居所を追跡しながらも手を出していない。
己の行く道を塞ぐ物は全て切り伏せる猪突猛進なケイスに関しては、下手に連れ戻そうとすればそれだけで大騒動になる。
かといって確実に連れ戻せるであろう戦力を差し向ければ、その動きで国内の敵勢力にケイスの存在が露見する。
今は見守るこそが最善の手と知るからこその放置だ。
『貴女の相手は疲れるから私は遠慮します。ケイネリア。陛下に伝える事は他に無いのですか?』
「無い。父様と交わす言葉も伝えるべき想いも、私のことは心配するな以外に一切無い。目的を達するまでお目にかかる気は無いし、もし父様が動かれたら斬るぞ」
にべもなく即答する孫娘の頑なさに、鏡の向こうでカヨウは肩をすくめる。
カヨウの側にはケイスの実父であるフィリオネスも待機はしているが、愛娘の前に姿を現そうとはしない。
筋金入りの頑なさを見せるケイスの事だ。
もし姿を見せてもフィリオネスをいない者として、ケイスは扱いかねない。
英雄皇帝であろうと、娘の前では一人の父。
ましてや生まれるはずも無かった、たった一人の愛娘とあっては多少過保護になるのも致し方ないかもしれない。
だというのにその本人であるケイスに徹底的に無視されたとなれば、政務に滞りが出るほどの悪影響が出るのは、フィリオネス本人にも、その周囲にも容易に予想が付く。
「お前は小僧が、父が嫌いなのか?」
どうにも物騒な言動をするケイスに、コオウゼルグは彼の大帝国の行く末に大きな不安を抱くが、ケイスはきょとんとした顔を浮かべる。
「ん? 何故そう思うコオウお爺様。父様を世界で一番好きなのは私だと自負しているぞ。私の剣は父様を筆頭に私の好きな者達のため戦う為にある。そして剣とは私その物だ。つまり私の全ては父様達の物だ」
「何故それでそうなる…………本当にもう少しどうにかならなかったのかこの娘は」
『ケイネリアにはあまり深く問いたださないことが御身の為です。この子の言動は慣れている私でも疲れますので。成長するのは子の役割ですが、非常識も日ごとに飛躍的に成長しています』
カヨウの言葉にコオウゼルグも諦め、ケイスとはこういう存在だと受け入れる。
ケイスと対面する前に話した鏡の向こうの他の面々が直接には出てこないのも、まだ精神耐性のあるカヨウ一人に任せている所為なのだろうと推測し、コオウゼルグは旧知の者達へ向けて同情の息を吐く。
こんな者を監視し続けなければならないとは、気苦労が絶えないだろうと。
「この後の手はずは判っているな」
「うむ。コオウお爺様が下に行っている隙に、私はカンナビスから離れればよいのだな」
「もし今回の騒動で知り合った既知の者と他の街で会っても、初対面だと知らぬと言い張れ。それが私が協力する条件だ」
「よかろう。最後にもう一度確認するが、私が姿を消せばルディやウォーギン達に責は無く、すぐに開放してもらえるのだな」
「約束しよう。ただし研究自体はこれ以上は禁止とさせる。龍王が外を出歩いていると知った以上、無駄な危険を起こす気は無い」
ケイスの望みであるルディアやウォーギン達関係者への影響を最低限の事情聴取と研究禁止処分ですます。
その代わりに、今回の一切を口外禁止と約束させ、調査自体も最重要機密情報として閲覧禁止とする。
些か乱暴で無理矢理で力技はあるが、ケイスを納得させられる最低限度のラインに沿った提案。
これがコオウゼルグの新たな手だ。
眼下の街で荒れ狂っているケイスもどきをコオウゼルグが一掃している間に、当のケイス本人はカンナビスを脱出。
全てをカンナビスゴーレムに押しつけ、今回の事件に絡んだケイスの存在自体をうやむやのうちに闇に葬り去る。
コオウゼルグの魔術なら骨の一欠片が残らなくても不可思議では無く、さらに言えばカンナビスゴーレムの影響下だと疑いがある存在は僅かでも残すわけにはいかなかったと、殲滅した訳にもある程度の説得力を与えられる。
そしてこの作戦の肝はケイスが非常識すぎる存在であるからこそ実現可能といえる。
僅か齢12の少女が迷宮モンスターを屠り、伝説のゴーレムすらも撃ち砕く。
そんな与太話を誰が信じるというのか。
どうせ信じられない話ならば、より荒唐無稽に、少女の形をした別物だったということにしてしまえばいい。
「ならば文句は無い。私の目的地は東の果て。ロウガにて探索者となる事だ。探索者となった後は宿願のために迷宮に潜り続ける。名残惜しくはあるがこの広大なトランド大陸で出会うことは早々あるまい」
「だが探索者となれば、お前の力ならば遠からざるうちに大陸に名を轟かせる。やがてはお前の正体も露見するかもしれんぞ」
「ふむ。その心配はもっともだが、そちらも問題は無い。私は上級探索者となり天印宝物を手に入れて男に生まれ変わる。近いうちに捨てる顔と名だ。ケイスという仮の名も、ケイネリアスノー・レディアス・ルクセライゼンもこの世から消える」
今の自分を捨てるときっぱりと断言するケイスの表情には迷いもためらいも無い。
「性別を変える……帝位を継ぐ為か?」
男子直系しか帝位を継げぬルクセライゼンに唯一生まれた皇帝の子。
性を変えるというケイスが目指す道の先はそれかとコオウゼルグは尋ねるが、
「そんな不自由な物を目指すか。私は剣だ。ならば私のあるべき場所は皇帝の剣。私はお爺様と同じく守護騎士となる。そして帝位を継ぐのは兄様だ。兄様は私と父様は違うが準皇族の当主。父様に隠された私以外の子がいないからこそ、準皇族による皇位継承戦が起きることは十分に予想できる。御婆様達や、他家の準皇族達もその腹づもりで動いているはずだ……父様の治世は善政であろうと長くなりすぎた。だから火種を生む。私のようにな。国を荒らす事を父様達は望んでいないとしてもだ。だからこそ最大の火種である私が父様の代を終わらせ、兄様の代へと次がせる。それは父様の唯一の子である私の使命であり義務だ」
ケイスは帝位に興味は無いとあっさりと否定し、先を見据え力強く断言する。
それこそが確定された未来。
それこそが我が望み。
全ては家族の為。
全ては好きな人達のため。
自分の力は全てその為にあると。
「カヨウ。お前達がこの娘を力尽くで連れ戻さない理由の一端がこれか」
『はい。この子の願いは強く、そしてバカ正直に正道を行きます。故に連れ戻せたとしてもまたすぐに出て行くと判っております。リスクが高く実利は少ないという判断です。さらに申せば、運命を決められ迷宮『龍冠』に捕らわれていたケイネリアが初めて掴み取った自分の道ならば好きにさせてやれ……それが陛下のお言葉であり意思だからです』
「うむ。さすが父様。だから私は父様が好きなのだ」
カヨウの言葉に、ケイスは可憐に咲いた花のような笑顔を見せ頷く。
その笑顔を見れば、非常識な言動は多くとも、ケイスがどれだけ父を慕っているか、敬愛しているかよく判るだろう。
「上級探索者を目指す者は多くとも、大半はその途上で力尽き一握りの者しかたどり着けない。ましてや天印宝物は世の理すらも変える最上級の宝物。お前が行こうとする道は至難だぞ」
「知るか。私が決めたのだ。ならばそうなる。実現する。そうで無いというならば、神だろうと世の理であろうと切り伏せるのみだ。私は剣士。ならば目指すは最強。三千世界に切れぬ物が無くなるまで私は強くなる」
コオウゼルグの忠告にケイスは笑って答える。
今世だけでは飽き足らず、理の外側にある全ての世にまで己の剣を届かせてやろうと笑ってみせる。
それは先ほどまでの花も恥じらうような笑みとは違い、どこまでも傲岸不遜で恐れを知らぬ不敵な笑み。
齢十二を超えたばかりの小娘が口にするには普通なら大言壮語が過ぎるだろうが、ケイスの場合は本人がその行く道を微塵も疑わない所為だろうか、コオウゼルグですらも心のどこかで納得してしまう物があった。
なるほど、これでは世間で十分に化け物に入る範疇の自分やカヨウを持ってしても、化け物だと表現するしかないと、コオウゼルグは内心で感心する。
「まったく。本当に化け物だなお前は……頃合いだな。私はそろそろいくぞ。これ以上の厄介事は面倒で敵わん。早く去れ」
話している間に街中でいくつかのケイスもどきが打ち倒され土塊へと変わっている。
倒した者をみれば衛兵のみならず、ケイスが殴り倒した探索者達の姿もちらほら。
意趣返しのつもりだったのかも知れないが、殴り倒したケイスが土塊に変わってしまった彼らの表情にも戸惑いの色が強く見える。
ゴーレムが暴れていたという話が十分に浸透したと判断した、コオウゼルグが仮初めの床を蹴ると音も無く宙に浮かび上がる。
「うむ。世話になったコオウお爺様。感謝するぞ。もしまた出会う機会があれば鍛錬を申し込む。だから私が切り伏せるまでは息災であれよ」
「まったく……無事を祈っているのか、脅しているのかよくわからんなお前は。間者よ。後は任せたぞ」
ケイスらしいといえばらしい、この上なく物騒な別れの言葉にコオウゼルグは呆れかえりつつスオリーに後の事を託すと、これ以上は疲れて敵わんと逃げるように下へと降下していった。
ケイスがそのまま下を観察していると、すぐに街中に巨大な火柱がいくつも立ち上がり、夜の街を赤々と照らし出し始める。
あの炎の中でケイスもどきが塵1つ残さず焼き尽くされている。
自分と同じ姿をした者が一方的に負けることに、我が身では無いとはいえ少しばかり忸怩たる思いがある。
何より間違いない強者たるコオウゼルグが戦っている。
今ならあそこに紛れ込めば、伝説の上級探索者コオウゼルグと戦えるという誘惑に心が強く引かれるが、ケイスはその誘惑を立ちきりスオリーへと目を向ける。
「スオリー私が手に入れた金貨がルディの手元に残っていたな。あれからお前に借りた分を引いたら、後は皆でわけてくれ。世話になった礼だ」
ケイス達の会話の邪魔にならないようにと控えていたスオリーの横では、ルディアが今も意識を失ったまま保護されている。
スオリーの役割はルディアの保護。
狂ったケイス本人に襲いかかられたが、間一髪の所でコオウゼルグに助けられ、ルディアと共に何とか逃げ出したというのが筋書きだ。
「旅資金としてお持ちになってはいかがですか。ロウガはまだ遥か彼方です」
魔具を購入した後も、数百枚単位で残っている大金の処分を依頼されるが、スオリーとしてはそんな大金をほいほいと気軽に受け取るわけにいかない。
むしろ少しでもトラブルが減るようにケイスが持っていてくれるのが、スオリーとしては一番ありがたい。
砂船代が不足したからと単独でリトラセ砂漠を走破しようとするケイスだ。
これから先に苦労するであろう顔も知らぬが同情の念を抱くしか無い同僚達への僅かなりの気づかいだ。
「私は剣士だぞ。剣さえあればどうとでもなる。それに金銭では到底足りず一部しか表せんが、これは皆への私の感謝の気持ちだ。素直に受け取れ」
しかしケイスは1度やると口にした以上は引く気は無い様子をみせる。
生まれの所為か、それとも野生児の所為か。
金銭に無頓着で執着の無い性格は周りを苦労させる。
『ケイネリア。もし感謝の気持ちだというのならば私の方で功労のあった彼女には特別報酬を用意します。持って行きなさい』
「断る。それは御婆様達の金であって私の物では無い。無論スオリーには世話になったから十分に恩賞を与えてやってくれと頼むが、それとこれは別だ」
見かねたカヨウが仲裁に入るが、ケイスが聞くはずも無い。
「ですが分けろというご指示でも無理です。貴女様ご本人がそうおっしゃったとは説明出来ません」
仕方なく変化球でスオリーは攻めてみる。
本人が骨1つ見つからない生死不明状態になったからといって、遺品を勝手に分けるわけにはいかない。
下手な嘘で偽りが露呈したら本末転倒も良い所だ。
「よしでは私の遺言だ。正気を一瞬だが取り戻したことにして、今のことを伝えてくれ。コオウお爺様なら上手く口裏を合わせてくれるだろう」
スオリーの言葉にケイスは1つ頷くと名案だとばかりに笑顔で答えた。
即答するケイスに頭が悪いわけでは無い。ただ考え方が常軌を逸しているだけだとスオリーは改めて思わされる。
なんでそうまですると、表情に出てしまっていたのだろうか、ケイスは少し不機嫌そうに眉をしかめていた。
「私は世間をよく知らんが、金は持っていれば便利だとは理解しているぞ。だがお前やルディには世話になったという気持ちの方が強い。スオリー達だけでは無い。皆には世話になっているし、今もボイド達のように迷惑を掛けている。だから感謝と詫びの気持ちで私に出来る最大限の事をしているのだ」
気持ちは判らなくは無いが、だからといって全額渡さずとも少しは持っていけば良いのでは?
そう思いながらも、スオリーはその言葉を飲み込む。
どうやってもケイスの意思を変える事は出来無いと悟ったからだ。
己の思うがままに生きるこの少女を変えるのは到底無理だと。
「承知致しました。ではすぐに出立をなさいますか。それとも他に何か気がかりなことはございますでしょうか?」
「ふむ。ラクトとの決闘が中途に終わったのが心残りではあるが、あの怪我では今から再戦というわけにもならんから致し方あるまい。私が斬った足は治るのだな?」
スオリーの言葉にしばし考えてから、ケイスは1つの懸念を口にする。
他でも無い決闘相手だったラクトの状態だ。
他に手段がなかったとはいえ、ケイスによってその両足を膝から切り落とされたラクトは命に別状が無いとはいえ血を失いすぎたために今も意識が戻ってはいない重傷。
目を覚ますには後数日はかかるだろうというのが医師の見立てだ。
「はい。コオウゼルグ様が再生治療の手はずを整えてくださっております。中央の高位神官による神術ですので後遺症も残らず、半年程度で元通りになるそうです」
「ん。ならばよい。この姿のまま再戦とはいかんが、生まれ変わったらそのうちに決着をつけるとしよう。あれは強くなるぞ、今から倒すのが楽しみだ」
戦闘狂らしい思考で安堵の笑顔を見せたケイスは振り返る。
その視線の先には遥か空の高みからも、見通しきれない巨大な大地が広がっていた。
深く息を吸い、夜空の彼方を見据える。
ケイスが目指す東の果て。
暗黒時代が始まり、終わりを告げた街ロウガはまだ遥か先。
だが目では見えない目標をケイスの感覚は確かに捉える。
そこで自分はもう一つの剣の流派を手に入れ、上級探索者となる。
だがそれですら手段でしか無い。
全ては宿願、大願のため。
ならば行く道に不安などなく、途上で倒れ臥すことも無し。
全ては己の剣で切り開く。
「ではさらばだスオリー。世話になった」
別離の言葉をスオリーにだけ残しケイスは力強く魔力出来た床を蹴り、夜空へと飛び出した。
後を振り返る事は無い。
家族に残す言葉はなく、友と呼んだルディアに告げる言葉もなくただ前だけをみてケイスは進む。
翼も持たず、魔術による浮遊の加護も無くただひたすらに前だけを見て飛びだした……猪突猛進な馬鹿だからだ。
「……えっ!? ち、ちょっとまってください!? ここ上空ですよ!?」
自分がケイスとルディアの2人を抱えて地上まで降りるつもりだったスオリーは、まさかのケイスの行動に虚を突かれ慌てふためき端に駆け寄るが、すでに後の祭り。
小さなケイスの姿は夜の闇の中にのまれ、眼下に広がる暗い山脈地帯が見えるだけだ。
この高さから何の手段も無く飛び降りてどうするつもりなのか?
今からでも追いかけるべきか?
いやだがどうやって探す?
『……昔から馬鹿と煙は高いところが好きといいます。剣を持っているのだから心配するだけ無駄です』
混乱するスオリーを余所に、祖母であるカヨウは、あの常識知らずで化け物な孫娘のことだ何とかするのだろうと冷静に告げていた。
第一次遭遇戦終了
『赤龍』『百武器の龍殺し』共に健在
百武器一部因子『聖剣ラフォス』を赤龍が取得
再戦に向けシナリオを再構築
カンナビスの落日。龍王の目覚め共にシナリオ成立せず
原因調査……判明。赤龍の激情値が規定値を超えず
対策思案……赤龍の優先順位を変える者が必要
検索……稼働シナリオ内に条件を満たす者無し
終了シナリオ再検索……発見。旧シナリオ『狂綬を継ぐ鍛冶師』
最重要因子現状確認……ドワーフ王国エーグフォラン第7工房所属見習い鍛冶師『ティレント・レグルス』転生済み
百武器因子により縁発生
シナリオ改変可能
懸念事項発生……赤龍遭遇時、現狂綬を超過した存在へと見習い鍛冶師が変貌する可能性大
当該予測到達時全現行シナリオ影響必死
赤龍摂理超過可能性極限増大……特例許可
軌外シナリオ『神殺者』発生条件到達への最優先ルートとして重視
賽子が転がる。
賽子の外側で無数の賽子が転がる。
無数の賽子の外側でさらに無数の賽子が転がる。
賽子が転がる。
世界を丸々ひとつ埋め尽くす膨大な数の賽子が転がる。
神々の退屈を紛らわすために。
神々の熱狂を呼び起こすために。
神々の嗜虐を満たすために。
賽子が転がる。
迷宮という名の舞台を廻すために転がり続ける。
賽子の名前はミノトス。
人々に対しては迷宮を司る神。
神々に対しては物語を司る神。
迷宮神ミノトスは休むことなく迷宮にまつわる物語を紡ぎ続けていく。
全ては物語を紡ぐため。
全ては正しき賽の目で現すため。
この世界にいかさまを持って干渉する他神を討ち滅ぼすため。
神を殺す者を生み出すため。
賽の目を外れる因子が徐々に揃い始めたことに怒りと歓喜を覚えながら、ミノトスは猛るように賽子を転がし始める。
長くなりましたが砂漠編はこれで終了。
これでも初期構想より結構はしょってますw
次は一端ケイスを離れて、ケイス以上の狂人の話に。
もう1人の主人公である鍛冶師にいきます。
あっちのキャラを書くのは約5年ぶりですが、ケイス以上に一極集中なんである意味で書きやすいから楽かなと思ってます。
たらたらと進む遅筆ですが、呆れずお付き合いいただけましたら幸いです。