「赤毛の姉ちゃんよぉ。俺はよまだ街で店を構えてないが、交易商人として真面目に真剣に商売してたんだよ……それがよぉ、あんな小娘に虚仮にされたんだぞ。判るか俺の無念さ…………クソ。全然酔えねぇ……マスター! もう一杯!」
酒場奥のカウンター席に腰掛けて泥酔した赤ら顔で男泣きしながら愚痴をこぼしていた酒臭い大男は、大ジョッキをの麦酒を一気に煽り飲み干して、空になったジョッキを叩きつけるように置いて次の酒を注文した。
「しかもよぉ。最後の最後に吐きやがった捨て台詞! 何つったか判るか姉ちゃん?」
「あぁー…………はいはい。なんて言ったのかお教え願えますか?」
泣く子と酔っぱらいには逆らうな。
理屈が通じない相手に対してはともかく合わせてしまえと、右隣に座る赤毛で長身痩躯の女性がうんざりした顔でおざなりながらも大男に続きを促す。
「『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』だ! 俺の半分も生きてなさそうな小娘だぞ! 俺は十六の時から三十年、三十年だ! 武器屋として客に関わってきたんだぞ! 少しでもそいつに適した武器をって何時も考えてるんだよ! それがそれが…………くぅぅぅっ! 畜生が……あんな小娘に……」
憤懣を抑えきれない男は店員が持ってきたジョッキを引ったくるように掴みアルコールの強い蒸留麦酒をまたも一気に煽り飲み干したかと思うとカウンターに突っ伏して呪詛やら怨念めいた言葉を吐き出し始める。
大人。しかも筋肉質で人相も凶悪な大男が人目もはばからず酒場のカウンターで泣きながら荒れ狂う。
人の注目を集めそうな光景だったが、酒場にいる客や店員達は気にした様子もない。
たまに新しく店に入ってきた新規客が酒場中に響く大声にぎょっとした顔を浮かべるが、入り口近くに陣取っている常連らしき客から簡単な事情説明をされて同情的な視線を女性に僅かに送るくらいで後は極力無視している。
男の大きな声の所為で店内にいれば男の身に起きたのか嫌でも聞こえてくるのだから、下世話な好奇心は満たされるし、何より下手に関わってあの延々と続く愚痴に直接巻き込まれてはかなわない……あの赤毛の女性のように。
それが店内にいる全員の共通認識となっていた。
「なぁ赤毛の姉ちゃん聞いてくれ! 俺ぁよ武具を扱う交易商人なんだがよ…………」
カウンターに突っ伏して昼間のことを思いだしている内に男はまたも怒りが貯まってきたようで、先ほど話したことも忘れて、一番最初から一音一句同じ愚痴というには大きすぎる声で捲し立て始めた。
「……いつまで続くのよこの無限ループ。もう六回目」
燃えるような赤毛と女性としては長身の痩躯が特徴的な女性は溜息を吐き出した。
女性の腰ベルトには薬らしき錠剤と液体が入った小さな薬瓶がいくつかと大型ナイフを納めた鞘が一つぶら下がっている。
ナイフの柄頭には小振りの小さな宝石が填められ、柄にも幾つもの印や魔術文字が刻み込んであり、魔術杖としての機能ももつ儀式短剣だと見て取れる。
典型的な魔術師スタイルをしたこの女性は、大男の偶然横に居合わせただけでまったく面識はなかった。
だが隣でがばがばと酒をあおっていた男がいきなり泣き出したのを見て、つい話しかけたのが運の尽き。
後は延々と愚痴を聞かされるはめになっていた。
相手にしないか店を変えればいいのだが、基本的に面倒見がいいのと、ちょっとした頼み事をこの店の店員に依頼していた為に女性としてもここを離れるわけにはいかず、早く頼み事が終わることを祈りつつ、仕方なく大男の相手をしていたというわけだ。
男泣きして愚痴をこぼす男を見て、泣き出したいのはこっちの方だと心中で女性が思っていると、男の向こう側からワインの瓶が一本差し出される。
「いや七回目だ。お嬢さんも人が良いねぇ。まぁ感謝の気持ちだ。もう一本開けたから飲んでくれ。ここのオアシス湖のほとりで出来た葡萄だがなかなかいけるだろ」
男を挟んで反対側にいる白髪で初老の男が話が巻き戻った回数を訂正しつつ、空になっていた女性のグラスに大男の背中越しに、新しく封を切ったスパークリングワインを注いでくる。
濁りのない透き通った透明さはまるで水のように清らか。
グラスの底から微かに沸き立つ小さな泡が弾くその香りは芳醇で、口に含めば微かな甘みと心地よい酩酊を覚えるほどに強い。
その価値が一口で判るほどに相当な上物のようだが、すでに一本を開けてさすがに飽きてきたのと、愚痴を延々と聞かされる今の状況と釣り合うのかと聞かれると首を横に振るしかなかった。
「お爺ちゃん。この人そろそろ止めたら? 飲み過ぎに見えるんだけど……後あたしばかりに聞き役やらせないで貴方も聞いてくれませんか。そちらの連れでしょ」
もう相手が聞いているのかどうかすらも判らないほどに酔っぱらっている男が、先ほどと同じ話をしているのをちらりと横目で見た女性は老人へと忠告する。
「問題無い問題無い。酒にはドワーフ並みに強いが鳴き上戸なんだよクマは。それに俺なんぞ、ここの前の店で何度も聞いて、そらで言えるくらいで飽き飽きしてるんだわ。悪いがもう少し付き合ってくれ。ここの代金は持つから。何なら土産もつける。ここの砂トカゲ照り焼き串の持ち帰り専用タレはピリ辛で絶品だ。ほれこれもくってみな。ここのオアシス湖でだけ捕れるラズ蟹を使った蒸し焼き。高級珍味ってやつだ」
女性の言葉を軽く流すと老人は蟹の載った皿を差し出す。
男の相手は面倒だから女性に押しつけてしまえ。
判りやすいほどに判るわざとらしい態度の老人は酒のつまみのような感覚で今の状況を楽しんでいるようだ。
女性が老人を睨みつけるが、まったく意味をなしておらず、むしろその視線が心地良いかのように口元に人の悪い笑みを浮かべている。
「……このクソジジィ、見ず知らずの他人に身内の愚痴をおしつけるんじゃないわよ。ったく。こうなりゃあたしのやり方でやらせてもらうわよ」
飄々とした老人に腹立たしさを感じた女性が舌を打つ。
腰ベルトに下がった薬瓶へと右腕を伸ばした女性は、中から小さな赤い丸薬を一つ摘み取り出すと、自分のグラスの中へとポチャンと落とす。
底から浮き上がってくる泡を受けてゆらゆらと揺れる丸薬は、女性がパチンと小さく指を鳴らすとあっという間にグラスの中のワインに溶け込んで跡形もなく消えてしまう。
グラスを見てにやりとほくそ笑んだ女性は、左横で延々と大声で愚痴を続けている男の肩を叩く。
「だからよ!あの小娘の体格じゃ、ショートソードかナイフが精々なんだよ! 普通はそうなんだ……なんだ赤毛の姉ちゃん?」
「あーはいはいおじさん。麦酒だけじゃ飽きるでしょ。こっちも飲んだ飲んだ。嫌なことは飲んで忘れるのが一番だって」
話を途中で遮られた男が不機嫌そうな声をあげるが、女性は愛想笑いを浮かべてグラスをその手に押しつける。
「おいおい。お嬢さん。今何を入れたんだい……って飲むなよクマ」
怪しげな薬入りの酒を見て老人が慌てて止めようとするが、その前に男は女性から受け取ったグラスを一気に開けてしまう。
すぐ横で行われていた行為にも気づけないほどに泥酔していたようだ。
「忘れようとしても忘れられる訳がねぇんだよ! だから俺は……ぁ……の小娘……探しだ……ほんと……………」
忘れるという言葉に反応した男が立ち上がって今までとは違う行動を取り始める。
だがすぐに呂律が回らなくなり力なく椅子に倒れ込むと、そのままがくんとカウンターに突っ伏し高いびきをかき始める。
「おいクマ? ……だめだなこりゃ。姉さん何を入れた?」
どうやら一気に深い眠りに落ちたのか、老人が男の肩を揺すってみるが目を覚ます様子はない。
「酔っぱらいを強制的に眠らせるのと二日酔いの症状を抑える効果をもつ魔術薬よ。ちょっと調整したから明日の朝にはすっきりした目覚めを保証するわ……すみません新しいグラス一つ。後、頼んでた旅客便の空きってどうなってます? 特にこれって目的地はないからどこ行きでも良いんで」
警戒心のなさ過ぎる男に呆れ顔を浮かべていた老人に対し、薬を盛った女性は悪びれる様子もなくその正体を明かすと、カウンターの向こう側にいた店員にグラスと本命の用事はまだかと催促の言葉を投げかける。
ここは酒場でもあるが、ラズファンを囲むリトラセ砂漠を通行し他の土地へと人や貨物を運ぶ旅客貨物の砂船や、大陸中央部へと抜ける近道である砂漠迷宮ルート越えのために護衛の探索者を募集をする代理申込所としても機能している。
旅人である女性もラズファンから他へ向かうために、旅客便の空きを探しにこの店へと訪れていた。
「しゃあねぇな。後で若い衆に運ばせるか。ご主人。お嬢さんの勝利祝いだ。レイトラン王室農園の赤を開けてくれ……それにしてもお嬢さん魔術師じゃなくて薬師かい。しかし薬師が当てもなく放浪旅とはまた珍しい」
男を起こすのを早々と諦めた老人は肩をすくめると、有名酒造が集まる西方のレイトラン国の中でも最高級品の一つである王室謹製ワインをマスターに注文する。
連れの愚痴に付き合わせた迷惑料としての意味合いもあるが、男を一気に眠らせた薬を作った制作者の腕に対する商人としての興味と老人個人としての賛辞の意味合いもあった。
「別大陸の出身なんでコネがなくて。適当な所で拠点作って工房を開いても良いんですけど。どうにもしっくり来なくて、材料見聞がてら大陸中をフラフラと廻ってるんです。ここにも水を見に来たんですけど何か違うなって」
基本的に薬師は拠点とする街を決めてしまうと、そこから動くことはあまりない。
これは彼等が使う器具が大がかりな物になりやすい事と、材料が同じ種でもその土地土地によって特性が変わる事に大きく影響している。
特性が変われば微妙な調合分量や場合によっては調合方法まで変化する為だ。
なるべく同じ土地。同じ水を使い同じ空気の元。同じ材料で調合を行う事が均一の効果を持つ薬を作る基本とされている。
だから基本薬師は師事を受けた者の工房を受け継ぐが、近隣に新しく工房を立てるのが通例。
たまに請われて遠く離れた土地へと赴く事もあるが、その場合は特性の違いを見極め調整するための慣れが必要となってくる。
その為に薬師があてもなくフラフラとしているのはそれなりに珍しい事であった。
「お待たせ。レイトラン宮廷酒造の三十年物の赤。にしてもいいのかい先代。若いお嬢さん相手にこんな高い酒を奢って。二代目にまた愛人を作る気かって疑われんぞ」
金糸で細かな装飾が施されたラベルのついたワインとグラスを二つを持ってきたマスターが倒れ込んだ大男を挟んで座る孫と祖父ほど離れた二人を見て、本当に狙ってるんじゃないかと顔なじみの老人に疑惑の眼差しを向ける。
「そらいい。お嬢さん。どうだい?」
楽しげ笑った老人はマスターからグラスを二つ受け取ると、女性に手渡しながら尋ねる。
その顔から本気ではなくて、女性がどんな反応を返すのかを楽しんでいるのがいわずとも判ってしまう。
「冗談。性悪爺の話相手は師で懲りてるんで勘弁願います。それよりマスター。旅客船の空きの方ってどうなんですか?」
これ以上下世話な冗談に付き合ってられるかと憮然とした顔を浮かべた女性は、精神衛生上この見るからに高そうなワインの値段は気にしない方が良いと思いながら、グラスに茶色味の強い赤い液体を丁寧な手つきで注ぐマスターへと尋ねた。
「悪いなお嬢さん。探してるんだが予約で一杯でなかなかな。一週間前に『始まりの宮』が終わって止まっていた流通も動き出して丁度混雑している時期なんだよ。それでも何時もならここまで混むことはないんだが、今年はリトラセ砂漠迷宮群に『拡張』が確認されてな、大陸中の有名探索者パーティやら中堅所も続々集結中で大手の運送業者だけでなく個人所有の砂船まで貸し切られてるのが多いんだよ。一月もすれば多少は落ち着くはずだが、一応キャンセル待ちに登録しておくかい?」
「ミスった。ケチらず往復で買うんだった……じゃあそれでお願いします。後仕事の紹介ってありませんか? 出来れば短期。接客とかの経験もあるんで何でもやりますから」
ここに来る時に片道で砂船の乗船券を買うのではなくて元の街に戻る事になっても往復にするべきだったと後悔しながら、手持ち金の残りを簡単に計算した女性は多少の心元の無さを覚えて仕事の紹介を頼んでみる。
ここが森林地帯や草原地帯ならば薬師として材料採取のための野営経験があるので狩りをしていれば何とかなるのだが、岩砂漠地帯ではそれも難しい。
何かと金が掛かる街で一月も足どめになると出来たら住み込みがあればと考えていた。
「そうだな……先代。薬師関連で当てがあるかい」
商売柄マスターも顔は広いが、それ以上に長年の交易商人としての人脈で遙かに多くの人と繋がっている老人に尋ねてみる。
「そりゃ幾人か心当たりはあるが……そうだ」
蟹を摘みながら高級赤ワインを楽しんでいた老人はしばらく考えるてポンと手をうつ。
なにやら思いついたようだ。だがどうにも人の悪い笑みが唇の端に浮かんでいる
「お嬢さん。いっそのことうちのキャラバンに同行するかね? 三日後に北の迷宮特別区を抜けて中央部へと戻る予定だ。料金は迷宮越えルートの公共乗り合い砂船の半分。格安にしておくよ」
「……ご迷惑では?」
老人の突然の申し出に女性は疑いの眼差しを浮かべる。
酒場で偶然隣り合っただけで少しばかり関わりが出来たが、知り合ったばかりの相手に何でそんな申し出をするのか。
しかも相場の半分という安さが余計に怪しい。
「お嬢さん。この先代は性格的には食えない性悪ジーサンだが、商人としては真っ当で信頼は出来るよ。金を取る以上絶対安全だ。まけた以上、裏はあるだろうがな。先代真意は?」
訝しむ女性の反応を楽しんでいる老人に、マスターがいい加減にしてやんなと視線で注意しながらも料金をまけた理由を尋ねる。
「人を金の亡者みたいにいわんでほしいな。キャラバンには小さな子供もいるから、きつい砂漠越えにただで使える薬師がいりゃ便利だと考えてるくらいだ。後、新進気鋭の薬師と人脈が作れりゃ後々おつりがくらぁ」
タバコを取り出した老人が上手そうに煙を吸いながら喉の奥でわらう。
これが本心なのか他に何か考えがあるのか女性には見分けることができない。
ただ渡りに船の美味しい話である事は間違いない。
「師なみに性格悪……確かにこっちとしては大助かりだし、調子の悪い人の面倒くらいはみるわよ。まったく。それじゃお願いします……って」
海千山千の交易商人の腹を探るなんて出来るはずもないかと女性は諦めると、同行させてもらおうとしてはたと気づく。
相手の名前も知らず、自分から名前を名乗った記憶もないことに。
大男の愚痴を散々聞かされていたので相手の職業やどこの街を拠点としているとかなどは判っていたので、そう言った基礎的な情報が抜け落ちていることに女性は気づいていなかった。
「グラサ共和国の『ファンリア商隊』の商隊長ギソラ・ファンリアだ」
人の悪い笑みを浮かべる老人の方は、互いに名乗りがまだである事をどうやら忘れてはいなかったようだ。
女性が名乗るよりも先に自分の名と商隊名を告げるとカウンターで寝込む男の頭越しに右手を差しだした。
「ルディア。北大陸ベルグランドのルディア・タートキャス。ご承知の通り薬師よ」
名を名乗った女性……ルディアは相手のペースに巻き込まれすぎて自分のペースが崩れていると反省しながら、老人の手を握り替えした