『ルクセの道楽娘が、ロウガへと訪れるそうだ。皇帝の名代ということだが』
『所詮アレは道化。本命は大英雄の息子だ。草を牛耳る根の当代元締めという噂だ』
キシキシと軋みながら錆が浮き出た嘴でからくり仕掛けの鳥のさえずりに、シリンダーが割れたオルゴールが答える。
とある地方の片田舎の廃城の誰も気にもとめない倉庫群の一つ。
がらくたとゴミが積み上げられた幾重にも堆積した層の奥底。
人が入り込むことなど不可能な隙間一つ無い地で、怨嗟が込められた会議は繰り広げられていた。
『ならば情報通り、やはりあの気狂いは、彼の娘でしたか。邑源の大英雄の血を引く娘。私どもに渡していただければ、研究も進みましたものを』
『何を言うか! アレはやはり殺すべきだった! 島を落とされたばかりか、研究内容がルクセライゼンに漏洩すれば、さらにロウガへと奴らの介入を許すことになりかねん!」
「あの娘の台頭も含め、これら全てが悪鬼双剣の企みだったのでは。あの鬼のことだ、自らの孫さえも手駒として使う事に躊躇などしなかろう。ならば脱出する手立ても用意していたはずだ』
あくまでも研究素材としてしかみない足の折れたグラスが惜しむが、ヒビの入った剣が刀身を揺らしながら憤慨したのを合図として、破れた太鼓が厳かに告げると、いくつもがらくた達が一斉に自分達の意見をぶつけ合い始める。
あの娘を捕らえるべきだ。
いや殺すべきだ。
放置が良い。
生死不明な娘よりも、名代であるルクセライゼン皇族を事故に見せかけ屠る方が確実だ。
反ルクセライゼン同盟。
世界が混乱を迎えていた暗黒期に乗じて南方大陸を手中に収めたのみならず、未だに全世界に貪欲に手を伸ばし、いつか世界さえも平らげかねないルクセライゼン帝国への警戒、恐怖、または憎悪ゆえに集った者達。
経済戦争を持って国を飲み込まれる逼迫した恐怖を抱く最貧国。
平和の名の下に派兵された無限に沸く帝国兵との死闘を強いられる武装独立勢力の首領。
龍の力を持つ者を長とする帝国を邪悪と認定し、断罪を求めるはぐれ神官。
龍の力を得る手段を体系化し、ルクセライゼン皇族さえも屠る力を求める魔術師。
それぞれの正体を秘匿し、それぞれのやり方で、世界最大の大帝国が伸ばした根を枯らそうと足掻く者達であるからこそその意見がまとまることはなく、そしてまとまる必要が無い。
情報を共有するのみに止め、それぞれが独立し動くがゆえに、薄く広がる彼らが潰えることはない。
終わりなき議論に間隙が生まれた一瞬に、静かにだが厳かに、地面に半ば埋まった鐘の音が響く。
『諍いはそこまでに。当面はケイスと名乗る娘の捜索もしくは合流阻止を優先して、情報を提供させていただきます……これ以上は南方の亜龍人王とその氏族に、人の大陸を蹂躙させるわけにはいかないと手を携えた盟約を皆様方はお忘れなきように』
声の主は長ではない。ただ世話役と呼ばれる。
同盟の中心として、常に公正を保ち、求める者達へと帝国へ反抗する為の知恵を与える存在が帝国を非難する声を発するとき、それは閉会の合図。
騒がしく囀っていた百鬼夜行達は、その鐘の音と共に力を失い、元のがらくたへと返っていた。
吹きすさぶ暴風。風に混じるは砕け割れた実が生み出す透明極薄刃。
暴風を生み出しは、無数の刃針をはやした硝子実をたわわと実らせた、透明な幹を持ちながらも動く歩行樹の群れ。
樹齢千年を超える大木でさえ、この木の前では若木と見間違えるほどに異形巨大な硝子樹より分裂した数えきれぬほどの子供達で埋め尽くされた大広場の中、ケイスは孤軍奮闘を強いられていた。
硝子状の幹を持つ子木そのものには耐久性は無いに等しい。
力も入っていない一振りで容易く砕け、細やかな粒子へと形を変えるが、だが砕けた子木が宿す実が弾けるごとに、予測不能な暴風が吹き荒れ、小柄なケイスは縫い止められる。
足を止めたケイスに襲いかかる風には、身をずたずたに切り裂き、穴だらけに貫く、無数の不可視なる刃と針。
風に晒されるごとに、むき出しとなった皮膚に裂傷が走り、肉がえぐられ、硝子の破片が血管に入り込もうと蠢き、外からのみならず内からも切り裂こうと、悪意と殺意をむき出しにしてみせる。
音速越えの防御剣。重ね風花塵を連発することで、絶対防御圏たる風の障壁を生み出して抵抗はするが、実が弾けるごとに圧を増す暴風に押し切られるのも時間の問題。
しかも剣で防げば、防ぐほど、周囲を舞う敵たる刃は、さらに細かく割れ無限に増え、硝子のやすりとなって、ケイスを削り殺そうと荒れ狂う。
どうする?
どう斬る?
どう剣を振る?
脱出のために迷宮に挑み始めて幾日経っただろう。
時間感覚を狂わす迷宮特性でもあったのか、迷宮に入ったのがつい先ほどだと思った次の瞬間には、数十年も孤独に戦っていたような寂しさが胸を郷愁のように襲う。
剣を鈍らせ、判断力を奪い、心を乱す呪い。
未だ外への道は見つからず、途切れぬ迷宮群を踏破し続け、頑強であった千刃手甲の刃も8割方欠け、血脂で機構の一部がつまりガタが来はじめていた。
不安が、心細さが、恐怖が、迷宮に挑む者達を飲み込もうと、波のように何度も心に襲いかかる。
だがそれでも剣を振る。
生き残るために剣を振る。
斬るために剣を振る。
今はまだ名は無き未踏なりし赤の下級迷宮のただ中、ケイスはひたすらに左手の千刃手甲をもって風を斬る。
言葉を発する事さえ億劫になるほどに、剣へと意識を向け、一体化し、人心を離れた異常なる状態へとケイスは至っていた。
それはもはや人ではない。しかしそれをケイスが是とする。
己を剣士と定めるケイスにとって、剣とは己。最高の剣を振るためならば命を躊躇する意味さえ無くす。
人の心であれば恐怖と孤独から剣速が鈍る状況であっても、人の心を持たぬケイスには意味を成さない。
近寄ってきた子木が振り投げた新たな硝子実が直近で割れ、吹き荒れる暴風がまた姿を変えた瞬間に、ケイスは待ち望んでいた好機を捕らえ、防御を止め攻勢に出る。
即座に肌に突き刺さる細やかな硝子片。
肌に刺さった17万5634の痛覚を起点とし筋肉を収縮。真皮まで通さずに食い止め、硝子を身に纏う。
「がぁぁぁぁぁっ!」
咆哮と共に全身から血を吹き出しながら突貫。
細やかな筋肉操作によって、全身から生えた硝子片を己の鎧であり、剣としたケイスは行く手を遮る風に乗り込む。
身に生やした細やかな刃の動きで、風の中で荒れ狂う硝子片をたたき落とし、体躯表面で極小の重ね風花塵を無数に起こし、無理矢理に暴風を切り裂き踏みにじり砕き噛みちぎる。
子木を一つ食い破るごとに、背後で落ちた硝子実によって起きた暴風に押され、加速を増加させ、また一つ破るごとに、もう一段階その動きを早める。
暴風を喰らう神風となったケイスは、行く手を遮っていた無数の子木を踏み破り、食い破り、蹴り破り、殴り破り、突き破り、一直線に蹂躙していく。
瞬く間に子木で出来た防御陣を突破したケイスは、硝子巨大樹を真正面に見据える。
気が狂うほどの痛みのなかで、ただひたすらに暴風を制御し最大の加速度を得る道を待ち続ける狂気を持って、勝機を掴む。
「邑源一刀流! 刺突双闘気浸透!」
まともに動かなくなった千刃手甲でも唯一完全に使える形態である貫手をもって、己そのものを剣としたケイスの一撃が、太い幹の中心に突き刺さる。
燃える丹田より生み出した赤龍闘気。
凍える心臓より生み出した青龍闘気。
戦えば戦うほどに矛盾なる双極闘気を己が物とするケイスはその天才性を持ってして、暴虐なる龍の力を、より轟虐なる力で蹂躙してみせた。
ふくれあがり互いを喰らい合う双龍闘気を打ち込まれては、迷宮主といえどただではすまない。
硝子大樹が内側から砕け弾け、周囲を白い霧状になった硝子片が硝子嵐となって吹き荒れ、子木達を粉々に砕き、さらに落とした実によって嵐を地獄へと変える。
放り込まれればどれだけ屈強な怪物であろうとも、数秒後には細やかな肉片となって、切り裂かれるほどの硝子地獄へと化した吹き荒れた嵐は、数分ほど経ってようやく収まるが、大広場の景色を一変させていた。
硝子塵が積み重なって出来た地面が生み出した透明な雪景色。
動く者など皆無の景色の中、ただ一つ己が流した血により真っ赤に染まった硝子雪をかき分けてケイスは這い出す。
身体を揺すり、細やかな破片を筋肉でふるい落とし、口の中に入った硝子片をはき出し、天に向かって吠える。
「むぅ! また鉱石系か! 生物系をよこせ! ミノトス!」
全身を血に染めた赤き人龍はただただ空腹から、この迷宮群を作り出した不倶戴天の仇敵である迷宮神ミノトスを斬り殺してやろうと怒りを積み重ねていた。
行く手を塞ぐ強敵、初めて遭遇するモンスター達はいい。それは良い。手応えがある。
自分が死力を尽くしても、かなわぬかと思った相手もいた。
この硝子樹もずいぶんと苦労させられ、苦痛と我慢を強いられたがそれが故に楽しい。
楽しいが美味しく食べられるモンスターがここまで皆無だというのが、ミノトスの悪意があって気にくわない。
俗にいう鉱石系モンスターにしかこの迷宮群内では遭遇していない。
外に持って帰れれば一財産どころか、小国さえ買えそうなほどの換金アイテムよりも、今は美味しい血の味がする生肉が欲しい。
「えぇぃ! 次だ次!」
ぶるっと身を震わしたケイスは、闘気を用いて肉体修復能力を強め一瞬で血を止め、傷口を塞ぎ、かさぶたを生み出し、とりあえず目に付いた次の迷宮へ向かって駆け出す。
外で、迷宮外で、自分を巡って、思惑が入り交じり、いろいろな駆け引きが始まっているなどつゆ知らず、知っていたとしてもあまり気にしないであろう化け物は、今日も元気に迷宮を蹂躙していた。