「はい。こっちが鳳凰楼の身体検査結果。淫香を出した新造の子以外は特に異常無しだって」
「また一人だけか。新造とはまだ客を取っていない者であったな。この間のように禿という幼児では無かっただけマシか」
多めの砂糖と蜂蜜を入れた食後の茶をちびちびと飲みながら、インフィから渡された調査書へとケイスは目を通す。
東方王国時代の習慣に倣う燭華では、客を取る遊女、その遊女達の世話係や、付いている遊女の客の話し相手となる娘を新造。そしてそれより幼い者、身寄りがなく引き取られた者や、遊女が産んだ子などを禿と呼ぶ。
今回は手っ取り早く壁を壊して侵入したから、淫香で理性を失った男達に襲われる前に介入が出来たが、ケイス達が依頼を受ける以前や、遠くの楼閣で起きたために、間に合わなかったり等で、心身共に深い傷を負った者達もいくらかは存在する。
大恩あるレイネがそんな少女達の治療に当たり、惨状に心を痛めていたからこそ、少しでも恩義を返すためにケイスは今回の依頼を受けている。
これが単なる事故なのか、それとも何者かの意図がもたらす事件なのか、まだ不明だがそれを白日の下に晒すまでは、迷宮へいくのさえ諦めているほどだ。
そんなケイスの行動は、ロウガ支部にとって当初の目論見通りと言えた。
まだ探索者となって、半年が過ぎていないというのに圧倒的速度と量で迷宮を完全踏破し、下級探索者となってしまったケイスの存在は、あまりに厄介で、他の者への影響が心配される事態。
見た目だけなら華奢な、しかも深窓の令嬢然とした本来なら探索者として協会が許可する年齢に満たない幼い美少女。
そんなケイスが軽々と迷宮を踏破してみせるのだ。それを見た若者達が、迷宮の危険度に対する認識を甘く見る事態は容易に想像がついた。
しかも踏破を重ねれば、半年待たずに下級探索者となれるという新たに判明した事実。
名誉や名声を求め、ケイスのようにと、無理を通り越した無謀を後追いする者さえ出かねない。
さらに支部公式発表では、ケイスは始まりの宮で大怪我を負い療養をしていて、つい先日復帰したばかりとなっている。
そんな諸々の事情もあって、ロウガ支部としては少なくとも半年が経つまでは、初級探索者達が全員が下級探索者となる日までは、ケイスが既に下級探索者へと到達したことを公表するわけにはいかないということで、普段は揉めている各派閥長の意見も一致している。
だからケイスが迷宮に挑まず、ロウガで長期依頼を請け負っている現状は、ロウガ支部としては願ったり叶ったりで、レイネを出世させた思惑もぴしりとはまった……と胸をなで下ろせたのも僅か数日。
その後二ヶ月の間に、玉潰し、竿斬りから始まり、橋崩し、名店崩落、高名パーティ壊滅、他国の高官片腕切断と、淫香絡みでケイスが起こしたショッキングな見出しが並ぶ新聞沙汰な事件の数々を、ロウガ支部の面々が事前に知っていれば、安易なぬか喜びをすることにはならなかっただろう。
「これでもまだ営業は続けるのか? 原因も不明であるならば燭華自体を閉鎖して様子を見るべきであろう」
今朝の号外の見出しで【鳳凰殺し】と物騒な異名が付いたとはつゆ知らず、さらに聞かされたとしても、そのうち本物の鳳凰を斬って真実にするから良いと気にしない剣術馬鹿は、すでに見飽きた、新造の娘が淫香を発した理由が原因不明という結果報告に、眉間に皺を寄せる。
「正直、誰かさんが騒ぎを大きくしなければ、暴走したお客さんにってよくある話。被害を受けていないお店からすれば、燭華全体を閉めるまでのことかって反応。とりあえず禿の子達は隔離するって方向で話を進めているけど。ただねぇ、新造の子までとなると、お店の営業に支障が出るからちょっとって難色を示す店主さんも多くて無理かな」
取り締まりはしているが、違法な媚薬や発情薬を持ち込んで来る客や、逆に提供する店などもあり、被害的には、暴走した客に襲われるというたまにあるレベルの話。
問題は淫魔にしか生み出せないはずの淫香が別種族からも発生するという事だ。
その為、普段ならば暴走した客をしめる恐いお兄さん方が淫香の所為で介入できず、代わりが、常識外の破壊活動と苛烈な剣を振るう剣術馬鹿が大暴れする所為という所だ。
だから、被害に有っていない店は、ケイスのおかげでライバル店が一時閉店に追い込まれたので、むしろチャンスだと考えている節さえある。
「無理か……ルディが外に行ったついでに、淫香を発する新薬が出ていないか調べてくると言っていたがありうると思うか?」
「そんな物が出来てたら、とっくに広まってるでしょ。何せあたし達の発する香りは簡単に殿方を虜に出来るんだから。違法でも何でも使うお店や、個人で使おうとする娘も絶対に出る。ここはそういう街よ。どれだけたらし込んだか、くわえ込んだかで格が決まるんだから」
「むぅ……おまえの言うことはよく判らんが、薬では無いと言うことだな。事件が起きたのは今の所、常に夜。しかも雨の降らない晴天の日か……儀式魔術の可能性も疑った方が良いか」
これ見よがしに欲情的な仕草をしてみせるインフィだが、性的知識に関してはほぼ皆無。
むしろ毎月、月の物で耐えきれない腹痛を味わうので、意図的に忌避しているケイスでは、その仕草や言葉の意味を1/10も理解でき無い。
知りたくも無いので、とりあえず淫香を発するタイプの魔術薬では無いという事だけを理解するに留める。
「反応薄いわね。レイネちゃんにちゃんとその手のことも教えた方が良いわよって、アドバイスしようかしら」
「余計なことをするな。レイネ先生はただでさえ忙しいのに。ウィーがその新造の娘とやらのここ数日の足取りを追跡調査中だ。どうせ暇だろ。おまえは残ってウィーから話を聞いておけ」
どうにもうとい方面に話を持っていくので、苦手意識を持つインフィから離れるため、朝食を終えたケイスは立ち上がり、横に掛けていたフード付きのローブをかぶり顔を隠し、外出の準備をする。
「あら、どこ行くのかしら? 薬師のお姉さんから、お嬢ちゃんは急ぎの用事でも無ければなるべく出歩くなって注意されてるはずでしょ」
「急ぎの用事、金策だ。鳳凰楼の修繕費用と営業補償をすると言ったからな。どの程度か知らんが、手持ちがこの間の橋の修繕費で尽きたから稼いでくる」
「あそこは大きい上に名店だから、一晩お大尽してたら家が一軒建つくらいよ。お嬢ちゃんに払えるのかしら。なんならあたしが用立ててあげましょうか?」
インフィが発する林檎のような体臭が少し強まり、獲物を見るような目をケイスへと向ける。
こんな見え見えの誘いに乗ったら、何を請求されるか。
「いらん。少し知識を売ってくるだけだ。後ついでにこの燭華の古地図や、過去の事例、それと独特の言い回し、習慣も調べてくる。水揚げやら華替えだの意味が判らん言葉が多すぎる」
インフィに聞けば教えてくれるだろうが、そんな事も知らないの、実戦で教えてあげましょうかとからかわれるだけ。
しかも気にくわないから斬ろうとすると、むしろ喜ぶので斬るのもためらう。
本人曰くSでもMでもどっちもオッケーなバイとのことだが、ケイスには無論意味が判らない。
だから適当に流してあしらうのが最適解だと、理解した。
どうもそれがインフィが一番喜ぶ、自分と誰かがかぶるという事も理解はしているが、他に手は無し。
「夕方までには戻ると伝えておけ」
ケイスとしては本当に珍しく、無条件で敵前逃亡を選択するほど苦手としていた。