スヴェルの夜は、もっともアルビオンが近づく時だ。
思った通り、ガリアとゲルマニアの少女達はついてくると言い切った。
これが何の裏も感じ取れなかったならば、美しい友情だと思ったかもしれないが、相手の出身国が出身国だ、申し訳ないが、彼としては疑うしかない。
ゲルマニアはともかくとして、やはりガリアだ。
色々と考えた結果、やはりこの少女は、ガリア王家の、公的に認められていない庶子ではないかという彼なりの結論に達した。もしくは、廃されたオルレアン家の係累。ならば、王家の血を引く髪色を持ちながら、こんな危険な任務についていることに納得できる。
彼は、そんなもろもの思考を押し隠し、外見だけは穏便に、そこまで言うのならばしょうがないね、ルイズもいい友人を持ったものだ、などと心にもないことを薄っぺらな笑顔で言い、土くれが動くのを待った。資金を渡しただけで、手段はすべてまかせてある。多少、不安に思わないでもなかったが、今は土くれの意外と義理堅い部分を信じるしかない。
持っていく荷物の最終確認をする。ルイズの荷物は、年頃のレディにしては、驚くほど少なかった。どうやら、あれもこれもといったんはつめこんで、つめこみすぎて、サイト・ヒラガを潰してから、今度は、あれもいらないこれもいらないと取り去った結果らしい。
極端から極端に、いかにもルイズらしい。
「やっぱりもう少し持ってくるんだったわ……服とか服とか服とか」
「あらぁ、ヴァリエール、だったら私のを貸してあげましょうか? ま、胸があまってあまってずり落ちてしまうでしょうけれど」
「あんたの脂肪の塊はいつか垂れるわよ、ツェルプストー! 見苦しく、それはもう見苦しくねっ!」
ゲルマニアの少女がさらに反撃しようとした時、轟音が響き渡った。
ゴーレムだ、でっかいゴーレムが出た! という何人もの叫びが広がったと同時に、武装した男達が、扉を破壊し、宿の中になだれ込んできた。
何がおこったのか、わけがわからないまま、ぽかんと立っていたルイズの腕をその使い魔が掴み、引き寄せて、その前にあったテーブルを蹴倒して簡易の盾にするのを、彼は視界の端で見た。
彼自身も、受付係の頭を押さえながらとっさにカウンターの中に飛び込み、とりあえず難を逃れる。その頭の上を、鈍い音を響かせながら、クロスボウの矢が行き過ぎていった。
「上っ!!」
誰かの悲鳴が聞こえたような気がしたが、それはすぐさま壁が崩れる音と、窓が壊れる音にかき消されてしまう。土くれのゴーレムが、宿の上部分を派手に殴り飛ばした。上級の宿といえど、屋根などに固定化も硬化もかけることはない、見事にふっとんでいく。あのガンダールヴの力の一端に触れた後は、やりすぎだとは、思わなかった。それどころか、よく逃げなかったものだと密かに土くれの義理堅い部分に感心したぐらいだ。
天井がなくなったために、ゴーレムの姿よく見える。
「フーケ……生きていたの?!」
驚愕したルイズが思わず立ち上がり、男たちの攻撃の的になりかけたが、ガンダールヴが庇うように前に飛び出し、けん制しつつ後退する。彼は、戦っているふりをしながら、事態を把握しようとした。
ゲルマニアとガリアの少女は、二人ともルイズ達のようにテーブルを盾にして魔法で攻撃をしている。風と炎、同じくトライアングル、実に息のあった攻撃だった。ただ、ガリアの少女ほどゲルマニアの少女は「人間に対して攻撃する」経験はないようで、術に若干ためらいが見えた。
「はっ、生きていたのとは、ご挨拶だね、お嬢ちゃん達。あんた達が、あたしをあの地獄に放りこんでくれたんじゃないか」
目元だけを露出させて他の部分をフードとマスクで覆った土くれは、ゴーレムの肩の上に立っていた。
「そうさ、あのままなら確実に死んでただろうね。でも、あたしはここにいる、あの時の借り、返させてもらうよっ!」
「させない」
青い髪の少女がウィンディ・アイシクルを唱えようとするが、そうはさせじと乱入者である男達が、手に持っていた油瓶に火をつけて放り込んできたため、アイス・ウォールの呪文に変更せずにいられなくなってしまった。しかも、瓶は火をつけたまま、氷の壁にはじかれて砕かれ、予想外の所に転がって炎をぶちまけた。ご丁寧に、その炎めがけて何か草を乾燥させて束ねたものが投入される。
ぶわっとその場で急速に広がるそれを、彼は知っていた。対メイジ戦を想定したその武器は、継続時間こそ短いものの、目や鼻、特に喉を刺激する煙を無差別に拡散させていく。ミョズニトニルン謹製のおもちゃは、呪文を封じることによって、魔法を封じ込めた。
「吸ってはダメ!」
「ごふっ、何これ……こっちはわたしが何とかするわ、タバサはあのオバサンをやってちょうだい!」
「……オバサンだって……? クソガキの分際でッ!!」
「あら? 本当のことですわよ、オバサン」
「死にな」
土くれの声は、恐ろしいほど平板だった。
隠している遍在を使い、彼は風を操り、煙を土くれの優位になる方向へ押し流す。風の系統を持つ青髪の少女が、動きに気づいてはっと顔をあげたが、もう遅い。煙を吹き散らせるのに、さらに一挙動。その間も男達は絶え間なく攻撃をしかけてくる。ほとんどが単なる平民上がりの傭兵達とはいえ、数は多い、しかもほぼ全員が使い捨てミョズニトニルンのおもちゃを持っている。
逃げ出そうとする宿泊客と従業員、乱入してくる男達、たちこめる煙、燃え広がる炎、ぶつかりあう魔法と魔法。
そのどさくさにまぎれて、彼はルイズと使い魔を、カウンターの影に呼び寄せた。
「ルイズ、時間がない。ここは二人にまかせて裏口から出よう」
彼の提案に、座り込んだまま幾度か杖を構えつつも、すぐに降ろして震えていた少女は首を振った。
「で、でもツェルプストーとタバサが……」
「君が姫殿下から受けた任務は何だ? 今を逃したら次に出る船はいつだと思ってるんだ?」
逡巡は一瞬だった。ルイズは、ぎゅっと唇をかんでから言った。
「……わかったわ、行きます」
「何言ってんだよ、ルイズ! キュルケとタバサを見捨てるつもりなのかよ!」
「わ、私はトリステイン貴族なのよ! 姫様の、姫殿下のご命令を遂行するのが一番の……優先順位に決まってるじゃない!」
「だからって……嫌だぞ、俺は嫌だ!」
「では君はここに残るのか?」
ガンダールヴは、今初めて見るもののように彼を見た。
「君の主を、ルイズを「見捨てて」ここに残って彼女達を助けるのか、使い魔君? どうしよう、僕はこんなご立派な使い魔を見たことがないよ、ルイズ」
「ワルド様、やめて」
この状況で、この状態で、この立場で、彼は激怒していた。
本当の妹のように大切な少女、彼女の愛する妹、それを守ってくれるのだと信じていた。たとえ何もかもに裏切られ、世界全てを敵にまわそうとも、ガンダールヴだけはルイズに付き従い、害をなすすべてのものから守るのだと。
それが、もう小舟の中で泣いていた少女を見守ることすらできなくなる彼の、慰めの一つだった、のに。
「行こう、ルイズ」
朝の手合わせで感じた連帯感のようなものは失われ、その部分を失望が埋め尽くしていく。
「使い魔君は、ここに残りたいそうだ」
念のために張ったエアシールドを、強化しながら彼は言った。
「違……っ、そうじゃなくて、いや、そうだけど、そんなんじゃなくて!」
ガンダールヴは、せわしなくルイスを見て、少女達を見て、ゴーレムを見ていた。
「ごめん、キュルケ! ごめん、タバサ!」
愚かしい、中途半端な良心だった。少なくとも彼はそう思った。
ガンダールヴが大声を出してしまったことで、巧みに身を隠していたはずなのに男達に見つかってしまう。土くれはともかく、彼女に金で雇われたものが裏のからくりを知っているわけがない、メシの種がいることに気づけば全力で襲ってくるだろう。
「行きなさいよ、ヴァリエール、私はこのオバサンに自分がオバサンなんだってことを教え込まないとダメだから!」
「時間がない、行って」
「キュルケ……タバサ……」
強力な魔法の連撃で、二人ともかなり疲弊していることは見るだけでわかった。彼とても、ルイズの友人……殺す気まではなかったが、万が一のことがあればしょうがない程度には割り切っていた。
「早く」
土くれの任務は、あの二人を足止めすること。彼がルイズと使い魔を連れて乗船すれば、もうここで無駄な戦いをする意味はなくなる。もちろん口には出せないことだが、急げば急ぐほど、死という最悪の結末からは遠くなるのだ。
ルイズとガンダールヴは、もう振り返らなかった。
目的の船を桟橋の向こうに見つけたとき、思わず安堵してしまったのが彼の油断だったのだろうか。橋の中央に、この場いてはならない存在を見て、愕然とする。
「ギ、ギーシュ! どうしてここに?!」
使い魔の少年が、全員の疑問を代弁するかのように叫んだ。
そう、そこにいたのはグラモン元帥の息子、ギーシュ・ド・グラモンその人だった。全身の疲労感をあらわにしながらも、顔と目を輝かせている。彼を見ると、思わずという感じで顔をしかめたが、引き下がることはしなかった。
「追いかけてきたんだよ、当たり前だろう! 時間はかかったけどね。そうしたら今晩出る船が一隻だけあると聞いて、あたりをつけて待っていたんだ」
得意げな少年の言葉のほとんどを聞き流しながら、彼は必死に考えていた。
あの二人が危ないと言って援護に向かわせる? だめだ、この少年もまた姫殿下の命令を受けてしまっている。しかもグラモン元帥の息子だ、この状況でわざわざ異国の人間を助けに行くことなどしないだろう。ならば、ここで倒すか? 遍在を使えば出来ないことはない。だが、ルイズとガンダールヴがいる、そしてここは遮るものがない、確実にするためには姿を現さないわけにはいかない。
あと少し、ほんの少しだ。もう少しで、船が出るのに。
どうする? どうすれば、あの二人だけを連れて行くことができる?
彼は、後を追わせていた遍在を動かした。
ルイズは、彼が遍在を使えるスクウェアメイジだということを知っている。仮面こそつけているとはいえ、姿形は彼自身のものだった。もし今、双方を関連付けられたら後がない。
手の平にじっとりと汗が浮かんだが、もう止めることはできなかった。グラモン元帥の顔が浮かんだ、許されないことをしようとしている。謝罪すらできない恐ろしいことを。だが、それは今さらだ。
中途半端な術では、この二人は友人を助けるために動いてしまう。
「ライトニング・クラウ……」
「敵っ?!」
「ギーシュッ!!」
まさか。
まさか、まさか、まさか。まさか。
あまりの衝撃に、彼は遍在を維持するための集中力すら失った。仮面をつけた遍在が風のように消え去るのがわかったが、どうしようもなかった。
まさか、使い魔が、虚無の使い魔が、主ではない人間を守るなんてことが。足元から、根底から何かが崩れるような気がした。頭を特大のハンマーで殴られたような気持ちだった。
ガンダールヴは、遍在のライトニング・クラウドをその身に受けて倒れた。攻撃の目標だったギーシュという少年を突き飛ばして。
直撃こそ免れたグラモン元帥の息子も、さすがにただではすまなかったらしく、ぐったりと倒れている。
「サイトッ!! サイトォッ!」
「ルイズ、だめだ、行こう。間に合わない!」
「嫌ッ! サイトォオォオ!」
彼は泣き叫ぶルイズを、力ずくで引きずりながら走った。
終