第9話
遂に就職
「はぁ……はぁ……はぁ……。」
何処か暗い路地を走っている。
息は切れ、フォームは乱れ、冷静さなどかなぐり捨てる程に追い詰められている。
それ程までに自身にかかった追手は、自身にとって脅威なのだ。
「はぁ……はぁ……は「見つけた。」ッッ!!!」
ゾクリ、と全身が総毛立ち、残った体力を振り絞って駆けた。
だが、追手は自身のそんな行動など意に介する事も無く、あっさりと背後を取りながら囁き続ける。
「どうして逃げるの?私、ずっと探してたのに。あの二人が馬鹿な事してからずっと……ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずッとズっトずッとずットズッとズッとずっトズッとずットズットズットズットズットズットズットズットズットズット探してたのに………ねぇ、どうして逃げるの?」
逃げられない。
確信と絶望の瀬戸際で、オレは後ろを振り向いてしまった。
解っていたのに。
振り向いてしまったら、もう終わりだというのに。
それでもオレは振り向き、ソレを見てしまった。
「漸く私を見てくれた……」
ネェ、オニイサマ?
銀糸の様な髪を棚引かせ、血の様な真っ赤な唇で弧を描く、恐怖の権化の姿を。
「~~~ッッッッッッ!!!!!!!!!!」
声ならぬ悲鳴と共に、ひでおは意識を取り戻した。
そして、恐慌しつつも、瞬時に状況を確認した。
身体の感覚から一日以上眠っていた可能性と、肉体がそれなりに鈍っている事。
ここが病室であり、今まで自分が寝ていた備え付けのベッドだ。
傍らにはやはり備え付けの棚があり、スポーツ飲料やタオルなどが置かれている。
また、右腕には点滴がなされており、自身の恰好も記憶にある私服から患者服に変わっている。
これらの事から考えるに、危機は無事に脱し、現在は治療中といった所だろう。
そこまで考えて、ひでおはやっと一息つく事が出来た。
気付けば身体中に気持ちの悪い汗をかいており、どれ程あの悪夢がひでおにとって恐ろしいものかという事を如実に表していた。
(な、なんという悪夢…ッ!!)
一度目、二度目、現在を含めても、覚えている限りでは最悪の悪夢だった。
(まさか、とは思うが……。)
しかし、嘗ての彼女の行動をよく鑑みれば、あり得ない話ではない。
この件は後でマリアとマリーに確かめなければならないだろう。
(下手をすると、アウター同士の戦争になりかねん。)
そうなったら、自分に止める術は最早無い。
それこそ、また自害でもして死なない限り、彼女らは殺し合いを止めないだろう。
「あらあら、漸く起きたのね♪」
「…マリーか……。」
不意に病室の扉が開き、マリーが室内に入ってきた。
その手にはりんごの入った籠があり、見舞いに来た事が伺えた。
「視たのか?」
「うふふ、クスクス♪夢だと解ってても、やっぱり怖いものは怖いわよね♪」
心底愉快そうな笑みと言葉に、ひでおは憂鬱そうに溜息をついた。
「知っていたのか、あの子がオレを好いていたのを?」
「知ってたわ。でも、解るでしょう?」
要はそう言う事だ。
マリーは「あの子」の気持ちを知っていたが、それをひでおに悟らせては面倒な事になる。
少なくとも、ひでおに好意的な女性は自分一人だけで良い、とまで考えていた彼女に「あの子」は邪魔でしかない。
「過去の事は今更とやかく言う気は無いがな…。」
「あら残念。お仕置きプレイとか期待してたのに。」
くすくす♪と悪戯っぽく笑うマリーに、ひでおは重苦しい溜息をつくしかなかった。
「それで、状況は?」
「もう、せっかちね。そんな事だから無茶ばっかりするのよ?」
ちょっと不満そうだったが、マリーはすらすらとひでおが必要としていた情報を話し始めた。
ヴェロッキア戦から丸一日と少々経ち、大会開催から三日目となっている。
ヴェロッキア&サンゼルマンのペアは敗退したとして手続きの後、会場を去っていった。
対するひでお&ウィル子のペアはギリギリだったものの、初日3連勝という快挙成し遂げた事から文句無しの優勝候補としてニュースでよく取り上げられるようになった。
大会側は介入するまでもなくヴェロッキアが敗退したため、傀儡にされた参加者の治療などを行っただけだった。
「…それだけではあるまい?」
「えぇ、そうね。肝心なのはここから。」
ヴェロッキアとの戦闘で、当然ながらひでおは重傷を負った。
飛び散ったミスリル銀の雫と高温の水蒸気により、工場内はかなりの高温に満たされた。
爆発そのものは神器によって防ぎ切ったものの、しかし、周辺の高温そのものをどうにかするには代償が足りない。
唯でさえ魔導力の代わりに生命力を差し出した状態で周辺の高温まで相殺するとなると、その代償は相当なものになっていく。
「狂い無き天秤」は使用者から代償を得て、その効力を発揮する。
だが、もし使用者が大き過ぎる結果を求め、代償を払い切れない場合、使用者は喰われる事になる。
その代償は使用者がある程度取捨選択できるが、それをしなかった場合、何処から取られるか解らない。
望んだ結果のためには、それに見合う代償を。
余りに厳正な取引に、製作者であるマリーチですら「試作品」と呼んだ理由の一つがそこにある。
そのため、深度2の火傷を身体のあちこちの負い、更にヴェロッキアから受けた一撃により左右の肋骨の3番と4番が折れ、肺を傷つけていた。
その他にも出血による体力の低下や一部の筋肉断裂などもあり、普通の人間なら丸一日程度で目を覚ます筈が無い。
これは酔いが醒めたマリアが本気で回復魔法を使用し、一命を取り留めたからこその事だった。
ただ、完全な全回復ではなく、命を取り留め、身体が超回復する様な余地を残した治療をした(とは言っても、動く分には支障が無い程だが)。
これは余程の事がなければ、全回復は極力行わない、というイスカリオテの方針によるものだ。
超回復させて身体能力を高めるというのもあるが、全回復は消費が大き過ぎるからだ。
イスカリオテで推奨される回復系の魔法が主に自然治癒力を高めるものである事からも、組織としての方針が伺えるが、それは後に説明しよう。
さておき
今回の一件で本社施設が相当の被害を受けたエリーゼ興業はその原因となった川村ひでおに対し、倍賞を請求している。
工場の施設そのものの他に操業されていれば得られただろう利益と混銑車の中身のミスリル銀と工業用水、総額合わせて3億チケット。
幸いにもエリーゼの存在により、あまりミスリル銀の加工には手間がかからないため、その分施設の機材も少ないからこの値段となった。
もしこれが一般的な施設だったら、この倍では済まなかっただろう。
現在、ウィル子はマリアの指示の元に電子の海で株やら何やらを使って、何とか賠償金を稼ごうと奮闘している。
マリアはマリアでダンジョンの最下層にこもって狩りを続けている。
両者の頑張りもあって、辛うじて8000万チケット分は稼げたが、それでもまだ2億2千万チケットがある。
「…少々少ないな。あそこの電子炉が損傷していれば、この5倍はあると思うが…?」
「何せ葉月の作品だもの。あの程度で壊れる程にヤワじゃないわ。」
その一言でひでおは納得した。
あの葉月の雫の作品なら当然だろう。
彼はコンセプトや設計思想は学術都市の面々と同じくアレなものばかり作るが、反面、その実用性に関しては間違いようもなく優秀なものばかりだ。
「さてと、後は残りの賠償金を稼ぎださないといけないけど……。」
「少々『貯蓄』を切り崩す。まぁ、ヤバいのは表に出す気は無いがな。」
「まぁ、打倒な所ね。」
「貯蓄」というのは、嘗てひでおが二度目の知識と経験を用いて荒稼ぎした際の財産の事だ。
これは金や株券、小切手等の単純な資産だけでなく、嘗てイスカリオテや法王庁で採用されていた独自の術式や学術都市で設計された兵器や新技術などに関する知識も入っている。
なお、この世界の学術都市はマルホランドの経営状況が今一であるため、二度目のそれよりも人員の数と研究資金や施設などの面で劣っている部分があるため、気を付ければ特許やら何やらで責められる事は無い。
「エリーゼ興業相手で売れそうなものって言うと……。」
「法王庁式の術式と、ミスリル銀を始めとした貴金属の鉱脈の位置だな。」
「…ちょっとやり過ぎじゃないかしら?」
前者は現在この世界で一般的に使われる神殿協会のそれではなく、効率や術式強度などの面でより実用性や汎用性を高めたものの事だ。
ここで神殿教団(二度目ではまだ協会だが、現在に合わせた)とイスカリオテ機関、法王庁などの魔法に用いられる術式について説明しておく。
神殿教団の術式はどれも強力なものが多いが、反面、習得が難しく、消費も多い。
特に回復や浄化魔法などは失った血液や身体の一部を魔導力を用いて再構成するという形をとっているため、魔法の中でも相当に難しいものだ。
しかし、圧倒的多数の人員を擁する神殿教団なら適材適所で分担する事で余り気にせずとも大丈夫だが、他二つは異なる。
先ずイスカリオテ機関の場合だが、彼らが採用している術式はどれも実用性を最重視したものだ。
術式は可能な限りコンパクトに纏め、多少の妨害などでは揺るがない術式強度や扱い易さ、発動速度、魔導力の変換効率などが高い。
また、あらゆる状況に対応するため、神殿教団の数倍近い術式が存在する。
体系化され、習得がしやすくなっているものの、その数は世界随一と言ってもいい。
神殿教団が一点ものとしたら、イスカリオテ機関のそれは量産品、しかし、傑作と頭につく類のものだ。
正面からの短期決戦なら神殿教団に分があるかもしれないが、厳しい環境下での消耗戦や持久戦、隠密戦などになるとイスカリオテ機関の方が確実に分がある。
まぁ、対魔人・魔物戦闘に特化している神殿教団に対し、人魔問わずに戦闘する事が前提の少数精鋭かつ隠密活動が基本のイスカリオテでは採用している術式に大きな差があるのは当然の事と言える。
これに対し、法王庁はもっと独特で、主に支援系の術式がメインとなっている。
これは神殿教団との連携が前提であるが故の事であり、現場では聖騎士団が肉弾戦と派手な魔法合戦をする後ろで策敵、回復、補給、強化といった裏方に徹している。
そのため、術式は参考となったイスカリオテ機関の特色を残しつつ、更に支援系が充実したものとなっている。
攻撃力では神殿教団にもイスカリオテにも負けるが、その分味方の強化や回復、補給を始め、相手の術式の妨害や策敵という面では最も長けている。
簡単に言うと、イスカリオテがノーマル、神殿教団がパワー、法王庁がテクニカルといった所だろうか。
蛇足になるが、これはあくまで魔法に限った場合であり、最新型の銃火器を用いるイスカリオテ機関が相手だと、他二つは分が悪い。
元々対人戦闘、それも現代兵器への対応など彼らのカリキュラムには入っていないし、数百年生きているのがザラな魔人や魔族が多いため、錬度と経験、基礎能力にも差が開く。
法王庁なら火器の扱いも大丈夫だが、身体能力や魔導力という地力の差が大きいし、聖騎士団は重装故に足が遅い。
更に得意の隠密性を発揮しつつ、平然と数キロ先から狙撃したり砲撃したり、罠を張ってくる特殊部隊染みた連中が相手では、如何に熟練の聖騎士団や武装神父隊でも歯が立たない。
勝つには隠密性を無効化しつつ、異端審問部部等の対人戦闘が得意な部隊を前面に押し出しつつ、物量と火力で無理矢理押し潰すかしないと駄目だろう。
「やるのは主に探索系、それも貴金属等に対するものだ。」
「成程、彼ら自身に鉱脈を探索させて利益を上げさせるのね?」
そして、自身はそれに投資する事で利益を上げる。
エリーゼ興業にも旨味は十分だし、かなりの収益が期待できる。
「まぁ、そんな所だ。…それに装備の新調も考えれば、エリーゼと面識があった方が良いだろう。」
「後は交渉の場を作って、お互いの落とし所を?」
「そんな所だな。」
流石に3億は高い。
以前の様に一大組織の長であればその限りではないが、生憎と今のひでおは一般人から見れば間違いなく裕福だが、しかし、あくまで一般的なものでしかない。
常識の外側における財は殆ど無いと言っていい。
大会への参加は改めて外側に関わりを持つ事を決めたが故の行動でもあるため、これを機にこちら側でも財を作っておくべきと考えたのだ。
「後でマリア達には礼を言っておくべきだな。」
「あら、私には?」
「…ちょっとこっち来い。」
ひでおの言葉に疑問符を上げつつ、マリーは素直にひでおのいるベッドの傍に寄る。
何するつもり?と尋ねるが、ひでおは黙って彼女の脇に手を入れ、持ち上げた。
「へ?」
「よっと。」
そして、マリーを後ろから抱える様に膝の上に乗せた。
次瞬、マリーは内心で「KITA――――――――!!!」と大フィーバー状態となった。
このままマリアに先んじて既成事実をッ!!とまで考えが飛躍しているあたり、実にぶっ飛んでいるが、生憎とひでおに幼女趣味は無かった。
「………………。」
「…ッ……ん……。」
そして、ひでおはゆっくりと、彼女の綺麗な白髪を指で梳き始めた。
マリーの髪は勿論ながら枝毛も無く、非常に柔らかく、しっとりと潤いを保っている。
単純に天使故に通常の物理法則が通じないという事もあるが、それ以前に女性としてそういった事にはしっかりと気を配っているという事もある。
とは言っても、今まで誰にも触らせた事の無い場所を惚れた相手に撫でてもらっているのだから、マリーとしては相当にクルものがあり、ひでおの手の感触を味わっていた。
(柔らかいな…。)
その時、ひでおは素直にマリーの髪の感触を楽しんでいた。
当初、こんな事をしたのは単なる気まぐれと、「彼女」に対する贖罪というか、外見年齢が近いマリーを可愛がる事での代償行為とも言うべき理由からだったが、嫌がられもしないし、意外と手触りが素晴らしいマリーの髪に現状を楽しむ事にした。
なでなで、さらさら、なでなで、さらさら
なでなで、さらさら、なでなで、さらさら
暫しの間、2人はまったりとした時間を過ごした。
ひでおが起きてから1時間程後の事。
現在、彼の病室にはマリアとウィル子がいた。
「あの、マリーさん?」
「なぁに?」
「何故にそんなに艶々してるのですか?」
「うふふふふ♪」
いや、笑ってないで答えてほしいのですよ、とはウィル子は言えなかった。
それはマスターであるひでおの死に繋がる様な嫌な予感がしたのだ。
何故そんな事を?と言われそうだが、艶々した顔で微笑んでいるマリーをギリギリ…と奥歯を鳴らしながら見つめているマリアを見ると、何故かそんな未来が予想できてしまったのだから仕方ない。
「…あー、2人とも、ご苦労だったな。それで、どれ位稼げたんだ?」
「全部合計で1億2千万チケットです。これでも大分粘ったんですけど……。」
労わりもそこそこに、集まった2人も合わせて話し合いを始める。
集まった当初、何故かマリアが殺気立ったが、公私の切り替えはちゃんとできるからとひでおは半ば放置し、話を進める事にした。
2人は全額稼げなかった事に申し訳なさそうだったが、ひでおとしてはもし2人が全然稼げなくとも金の当てはあったし、2人の心意気だけでも十分と言えた。
…だが、ウィル子の稼ぎの方法がクリーンなものかどうかちょっと不安にはなったが……。
マリアはマリアで、頑張った後にひでおから何かしらのご褒美をねだれば!とか邪な考えを抱いていたのだが、看病していたマリーが先に何か良い事があったため、イラッとしていた。
後で何をしたのかきっちり問い詰め、それを自分にもやってもらおう。
マリアはひでおの話を聞きつつ、並列思考でそう考えた。
「それだけあれば十二分だ。後は向こうとの交渉次第だろう。」
言って、にやり、とひでおは口の端を歪め、宣言する。
ピースは大体揃った。
後は、相手に合わせたやり方を模索するだけ。
それとて、自身の知る彼女とこちらの彼女の相違を擦り合わせるだけの事。
「その前に準備をしよう。ウィル子、エリーゼ興業に関するあらゆる情報を集めてくれ。」
「お客様~~…なのですか~~……?」
「えぇ、はい。先日の事件の相手が支払いの件で話がしたいと……。」
エリーゼ興業社長室にて
そこにミスリル銀の精霊にしてエリーゼ興業社長であるエリーゼ・ミスリライトが秘書の1人から来客の報告を聞いていた。
なお、今はペアである長谷部翔希はいない。
勝負なら兎も角、普段の業務では彼は必要ない。
暇を持て余した彼は現在ダンジョン攻略中、魔物相手に憂さ晴らし中だったりする。
「踏み倒し、とかでしょうか~~…?」
「いえ、もう借金を返す用意は出来たとかで…。それの引き渡しを含めて、商談がしたいとの事です。」
「……では、お通ししてください~~……。」
「はい、では失礼します。」
疑問に思いつつ、エリーゼは会う事にして、秘書を下がらせた。
はっきり言って、あの連中に対しては魔殺商会なみに腹が立つが、しかし、ちゃんと金を持ってきているのなら、まだ会う価値はあるだろう。
エリーゼの性格は普段ぽや~としていて何考えてるか解らない不思議ちゃんを装っているが、その実、彼女は相当短気でツンデレな性格をしている。
普段は今の様にぽや~としているが、それは客や敵の前だけであり、いざという時は強いカリスマとリーダーシップを発揮する。
面倒見も責任感も強いことから、本来の彼女を知る者からはその優秀さも相まって非常に信頼されている。
興業の警備部隊である元傭兵団などはその筆頭で、以前紛争地帯で死にかけていた所を助けてもらった時から熱烈に彼女を崇拝し、信仰を捧げている。
…ファンクラブを形成し、ポスターや会報やら写真集やら布教にも熱心やらと、ちょっと危険だが、その信仰心は本物だ。
なお、二度目におけるイスカリオテ機関内女性ランキングでも必ず首位争いに参加する猛者だったりする。
ツンデレ、中学生、普段は不思議ちゃん、実は面倒見の良い姐御肌などの多彩な属性を持つ彼女の固定ファンは多い。
上記の傭兵団などが熱心に布教している事もあり、イスカリオテ、マルホランド、法王庁、神殿教団など、その信者達はあらゆる組織に根を張っており、イスカリオテ諜報組をして、その総数を把握できないとすら言われている。
さておき
川村ひでおとウィル子のペアは既に借金返済の算段はついていると見るべきだろう。
相手は初日3連勝を達成した優勝候補、ダンジョンにでも潜れば数日で稼ぎ切るだろう。
しかし、本人がつい先程目覚めたとの報告も受けている。
その状態で稼げるだろうか?
となれば、これから話し合うのはチケット以外の形での返済、その手段について、という推測が建てられる。
(まぁ、どの道うちに損が無い様にしなきゃね。)
そう方針を決めると、エリーゼはこれからやって来るだろう2人を待った。
そして、秘書が退室してから数分後、社長室にひでおとウィル子がやってきた。
本来は応接室にすべきなのだが、急な訪問の関係上こちらでも問題ないだろうし、こちらに通した方が何か会った時対処しやすいからだ。
(…へぇ…。)
ひでおではなくウィル子を見て、エリーゼは内心で驚きの声を上げた。
精霊、それもつい最近生まれた様な若い個体。
しかし、若いにしてはそれなりの力が感じられる。
ジャバンのスーツを無効化、うちの警備網の一部を麻痺させた等の報告が上がっているが、成程、この力量なら自身の分野内ならそれ位できるだろう。
「川村ヒデオと言う、よろしく頼む。」
「ウィル子なのですよー。」
ぺこり、と浅く頭を下げる礼で挨拶する2人。
ひでおの姿はきっちりとしたそこそこ上物のビジネススーツにサングラス、右手にキャリアケースで、ウィル子の方は報告と変わりない独特の服装だった。
…はっきり言って、殺し屋と美少女の組み合わせだったが、賢明にもエリーゼはそれを口にも態度にも出す事は無かった。
「私は~…ミスリル銀の精霊の~エリーゼ・ミスリライトなのです~…。愛と勇気と平和のために~~…悪を滅ぼすミスリル銀なのですよ~~♪」
何時もの道化をしつつ、エリーゼも自己紹介をする。
…はっきり言って、素面ではあまりやりたいとは思わないが、これをやると面白い様に色々と釣れるので、我慢する事にしているのだ。
「では、エリーゼ社長。早速本題なのだが……先日の件はすまなかった。」
腰を90度曲げての謝罪に、エリーゼは内心で少々驚いた。
交渉の場では先に頭を下げた方が負けとなる。
この男がそれを知らないとは思わないが、いきなりの事につい驚きが先行する。
「誠意は受け取りました~~…けど、弁償はしてもらうのですよ~~…。」
「それは解っているのだが…実は、その件で問題が出た。」
言って、ひでおは社長室のデスクの上にキャリアケースを置き、その中身を開けた。
「1億2千万チケットある。」
キャリアケースにぎっしりと詰め込まれたチケットの束。
全額とはいかないが、それでも相当の額だ。
1日かそこらでこれ程の金額を稼げるのなら、十分に返済可能だろう。
「全額返済は何時になるのですか~~…?」
「それなんだが、少々問題が発生している。」
まぁ、手負いの身なのだからそう簡単にダンジョンに潜る事も出来ないだろう。
なら、どうして態々こうしてこの場に赴いたのか?
エリーゼは疑念を強くするが、それはこれからの話し合いで解るだろう。
「現在こちらが準備できるチケットはこれだけだが……チケット以外の価値あるものも含めれば、今すぐに返す事もできる。ウィル子。」
「はいです。」
次いで、ウィル子が周囲に複数のモニターを映し出した。
(?これは…?)
そこに表示されたのは魔法の構成を現す術式の類だった。
しかし、ペアである長谷部翔希の使用する魔法、神殿教団由来のそれとは全く似ておらず、どこか異質な感じがする。
これでもそれなりに修羅場をくぐっているエリーゼは専門家程ではないものの、魔法の術式の構成には知識がある。
そんな彼女に解らないとなれば、後は専門家にでも見せなければ理解不能なものだろう。
「これは~~…?」
「地下専用の大規模探査魔法の詳細な術式構成だ。」
地下専用、それも大規模と聞いて、エリーゼは困惑した。
そんなもの、どう使えというのか?
探索系という事は策敵には使えそうだが、それ以外の用途が少ないのであれば、こんなものを渡されても持て余すしかない。
結局、資金繰りに失敗したのか?という失望にも似た思いが湧き上がるが。一先ず話を聞く事にした。
「どう使うのですか~~…?」
「主に鉱脈や水脈の探索に使用する。これはその中でもミスリル銀に特化した型だな。」
「……………はい~~…?」
危ない危ない、危うく演技か崩れる所だった。
エリーゼは内心で冷や汗を拭いつつ、冷静に今の言葉を考えていた。
今の言葉が本当なら、この術式には値千金の価値がある。
しかし、しかしだ。
(本当にそんな効果を持っているか疑問ね。)
偽物、という可能性もある。
寧ろ、常識的に考えてそちらの方が大きいだろう。
地下向けの大規模探索魔法など、寡聞にして聞いた事が無い。
あり得ない、と斬って捨てるのは簡単だが、もしこれが本物で資金繰りに苦労しているというのなら他所の組織、例えばあの魔殺商会にでも流されたとしたら、偉い事になる。
何より、この男の目は嘘を言っている者のそれではない。
自分は聖属性の象徴にもなるミスリル銀の精霊、そういったものには敏感なのだ。
「とは言っても、我々の間には信用が無い。ハイリスクな真似はしにくいだろう。そこでだ、この術式が本物だと証明できるまでエリーゼ興業に籍を置くのはどうだろうか?」
「ん~~…?」
また妙な事を、とエリーゼは思った。
確かに実際に使えるかどうかは不明な限り、この術式は何の価値もない。
そこで、検証が終わるまでは言った通り籍を置く事で逃げ出せない、逃げ出さない事により信用の獲得を狙う。
しかし、それなら単にこの都市から出ない程度で十分なのだ。
それなりに広いとは言っても所詮は隔離空間、広さには限度があるので捕捉、拘束する事は難しくない。
なら、どうしてそこまでする必要があるのか?
「かまいませんけど~~…その間お二人はどうするのですか~~…?ただ飯ぐらいはいらないのですよ~~…?」
「そこでだが、この会社の警備部門に所属したいと思う。…ウィル子。」
「はいなのですよ~。」
言って、今度はモニターに警備の様子や本社内の部外秘の情報が表示された。
(んなっ!?)
これには流石のエリーゼも目を丸くした。
何せ社外秘の重要情報が丸ごと筒抜けになっているのだ、驚かない方がどうにかしている。
「ウィル子は電子ウイルス、ハッキングの類はお手の物なのですよ~。」
にやにやと笑う後輩に殺意を抱くが、この場でこれを出したという事はこれもまた取引の一環でしかないのだろう。
ならば、少なくとも話を聞き終わるまでは生かしておいてやろう、と机の下に展開しかけていたミスリル銀製の針をしまう。
「警備の部隊の錬度は問題無いが、こういった方面ではそこらの企業のそれとあまり変わりは無い。そこでだ、ウィル子の力で改めてクラッキング対策を施したいと考えている。」
無表情で語られる内容に、エリーゼは一瞬で脳内ソロバンをぱちぱちと打つ。
魔法の方は後で試せば良いし、ウィル子の方はこちらが抱えている専門の職員と共に事に当たらせれば妙な仕掛けをされる事も無いとは思う。
魔殺商会などの外部組織の指示の元の工作の可能性は、彼らがギリギリの入場だった事とつい先程まで眠っていた事を鑑みて、殆ど無いと見ていいだろう。
また、優勝候補と言われるペアを囲い込む事で戦力の充実により、激化の一途を辿る魔殺商会との抗争に役に立つ、最低でも弾除け程度にはなるだろう。
損得勘定を殆ど一瞬で済ませ、エリーゼは決定を下した。
「どうだろうか?これでは足りないかな?」
「…解りましたのです~~…あなた達を一時的に雇い入れます~~…。待遇に関してはそれなりの額を約束しますのです~~…。」
エリーゼはひでお達を引き入れる事を決定した。
無論、無能だったり、社に不利益を与えるとしたら即座に切り捨てるつもりである。
しかし、それは無いともエリーゼは考えていた。
この男がそんな底の浅いまねをするとは思えない。
何か思惑があると見るべきだろう。
「でも~~…こんなに早く稼げるのなら~~…どうして全額稼いでこなかったのですか~~…?」
「…実は、この術式を魔殺商会あたりに売り込む事も考えたのだがな…。」
「……それだけは止めてほしいのですよ~~…。」
頑張った!頑張った私!
エリーゼは動揺を外に出さずに抑えた自分を褒め称えた。
もし、この術式が魔殺商会に渡ったとしたら?
あの極悪な連中の事である、先ず間違い無くミスリル銀市場に参入してくるだろう。
そして、うちと対抗する様にミスリル銀市場における価格闘争を繰り広げた事だろう。
他にも影に日向にと様々な横槍を入れて来る事は間違いない。
確かに即金で返済可能だが、今回の損失だって時間を掛ければ補填は可能だ。
しかし、この術式は今しかない。
プロは金ではなく、金の成る木にこそ手を伸ばすのだ。
「まぁ、他にも色々と理由があってな。」
言っておいた方が良いと判断したのか、ひでおはゆっくりと説明し始めた。
曰く、自分達は現在目立ち過ぎている。
初日3連勝などという事をしたせいで、消耗も激しい上にもう挑もうとしてくる者達がいない。
そこで先日の件、対ヴェロッキア戦の負傷で丸1日入院していた事と合わせ、何処かの勢力の元に所属すれば、こちらが弱体化したのだと思わせる。
何処かの勢力に参加しなければならない程に弱っているのだ、と。
また、エリーゼ興業は工業区のリーダー的存在であり、魔殺商会との小競り合いは日常茶飯事。
その中で挑んでくる者がいたら、それは新たな勝ち星を上げる良い機会になる、とも。
それに、特に言及される事も無かったが、数日後に開催される聖魔グランプリでの勝ち星も狙っているのだろう。
この連中なら、その情報もとうに入手している事だろう。
…全く、策士に情報収集のプロなど一体どんだけ相性良いのよ…。
内心で愚痴にも似た思いを零す。
だが、一先ずこの連中を抱える事が出来たので、まだ良い事だろう。
魔殺商会あたりに抱え込まれでもしたら、目も当てられない結果になっていた。
だが、エリーゼはこの話を受けるにあたって、1点だけ気になる事があった。
確かに、この話は双方にとって益になる。
しかし、ひでおの実力に関しては未知数な面が多い。
先日も監視カメラのシステムが一時的にダウンして記録は無かったし(恐らくこの新米の仕業だろう)、噂では神器まで所持しているという。
「以上だ。悪い話ではないと思うが?」
「お話は解りましたのです~~…ただ~少しだけ条件を付けさせてもらうのです~~…。」
「何だろうか?」
「一度、警備部門に所属するだけの実力を見せてほしいのです~~…。」
未知数なら、確かめればいい。
幸いにも、実力者なら他の警備部門の者達もいるし、自身のペアである元勇者で現バイトの長谷部翔希もいるし、なんなら自分がやってもよい。
対戦相手には事欠かない。
「…了解した。それでは何処か広い場所とかは無いのか?」
「それだったら中庭で『ピーッピーッピーッ!』…ちょっと失礼するのです~~…。」
話を遮られ、内心でちょっとムッとしながらエリーゼは内線電話に出た。
そこには、かなり慌てた様子の重役の1人が出てきた。
『社長、大変です!魔殺商会の殴り込みです!』
「…解りました~~…皆さんは有給を使って退避してください~~…。」
狙っていたのか?という具合に、魔殺商会からの殴り込みが来た。
そう言えば話に集中していたから気付かなかったが、ちょっと気を付けると結構な振動が先程から断続的に起きていた。
だが、これは同時に良い機会でもある。
「お仕事に一貫として~~…今から来る魔殺商会の方を迎撃してほしいのです~~…。」
「構わないが、今は殆ど手ぶらでな。何か武器はないか?」
「では、これを使ってほしいのです~~…。」
言って、エリーゼは手ずからミスリル銀の棒を作り出し、ひでおに渡す。
彼の得物が棒だという事は解っているので、これで大丈夫だろう。
「もし勝てたのなら~~…2人とも正社員待遇で迎えます~~…。」
「了解。期待に応えるとしよう。ウィル子は下がっていてくれ。」
「解ったのです。」
ウィル子が部屋の隅に退避すると、ひでおは確かめる様に棒を握ったり、振ったりして標的が来るのを待った。
エリーゼはエリーゼでこれから起こるであろう展開に興味津津だった。
優勝候補たる人物と魔殺商会の幹部クラスの戦闘。
この暴れっぷりから、恐らく魔殺商会特務2課の暴力シスター(元)ことクラリカあたりだろう。
どちらが勝った所でこちらには損は無いので、エリーゼとしては気楽なものだ。
もしひでおが勝てば、一先ずの手駒が手に入る。
もし負ければ、返済の方を全額チケットに変更するよう言うなり、雇い入れは止めて滞在する様に言えばいいだけである。
どっちに転んでも損は無い。
そして、ひでおが待ち構える中、遂に社長室の前まで魔殺商会の手の者がやってきた。
「せ…っ!」
「失礼。」
ドカンッ!
そして、襲撃者がドアを破ろうとした途端、ひでおが思いっきりドアを開き、結構大きな音を立てて、襲撃者に激突した。
エリーゼ興業の社長室のドアは、当然の事ながらかなり重厚な作りになっている。
それでいて体重が軽いエリーゼでも問題無く開けられるようになっているため、蝶番の方は軽く開けられるように工夫がなされている。
結果、結構な勢いで結構な重量のドアが襲撃者の正面から激突した。
これ程タイミング良く当たったのは、勿論、ひでおがウィル子に頼んで社内の警備カメラの一部の情報を伝えられていたからだ。
もし交渉が破談し、身の危険があった場合、何時でも逃走できるように、と。
(常に逃走ルートは確保しておく事。最低でも3か所は無いとな。)
今まで散々部下や妹から逃げまくってきた経験からか、こういった下準備には抜かりが無いひでおだった。
結果として、見事に襲撃者の行動を把握していた彼は即座に敵戦力を判断、先制攻撃としてドアによる正面からの奇襲を選択した。
そして、ドアによつ一撃を喰らった襲撃者、クラリカの方はたまったものではない。
異端審問官として目覚ましい活躍をしてきた彼女だが、肉体自体は鍛えられた若い女性のそれでしかない。
正面から勢いよくドアがぶつかってきたら痛い。
それも、身体の正中線を狙った様にぶつかったとなったら、かなり痛い。
「あ痛ぁっ!?!」
暴力メイドことクラリカが、衝撃によって仰け反りながら叫んだ。
今にも魔法を使おうとした瞬間に受けた事も痛みの増加に拍車をかけていた。
人間、攻撃の瞬間にはどうしても筋肉や意識などがそちらの方に割り振られる。
そうなれば、自然と防御はその分疎かになる。
意識や筋肉が有限である以上、これは仕方ない事だが、間違い無く隙となる。
イスカリオテだったら並列思考を用いる事である程度この隙を軽減してしまうが、どうやった所で完全に消えてしまう訳ではない。
結果として結構なダメージをもらったクラリカだが、彼女の意識は既に自身の負ったダメージではなく、今しがたドアを開け放った人物の方へと釘付けだった。
何十人殺したのか解らない様な、プロの殺し屋の方へと。
※ひでおはビジネススーツにサングラスを着用していますが、決して殺し屋の仕事着ではありません。
(殺られる前に殺るッ!)
クラリカの決断は素早く的確だった。
視認した瞬間、自然と身体が迎撃を試みた。
だが、その時には既にひでおが行動を起こしていた。
(間に合わないっ!?)
仰け反った体勢では行動に映るまで時間がかかる。
また、ドアを抱える様にぶつかったため、左手と左足は一度後ろに下がらないと使えない。
魔法で攻撃しようにも、魔法による攻撃の瞬間だったため、左手は杖を持ち、伸びきった状態で正面に向けられていた。
右手では打撃は届かないし、足も少しリーチが足りない。
銃で攻撃しようにも、たかだか強化プラスチック弾でこの男が止まるとは思えない。
(殺られるッ!?)
しかし、最後まで足掻く事を止めない。
必死に一歩下がる事で、何とか行動の自由を得ようとする。
だが、現実は残酷だった。
クラリカの顔面目掛けて、殺し屋の手が伸びる
その形は何かを握りこんだものであり、目に見える得物ではない。
何を握っているかは不明だが、しかし、確実にこちらを戦闘不能にするものだろう。
(っ!!)
せめて相手の手の内を覚えようと、クラリカは迫り来る攻撃を前に目を見開く。
一応殺しは御法度なのが、この都市のルールだ。
事故に見せかけて殺そうとした所で、鈴蘭達がそれを見逃すとは思えない。
(後は主に祈るしかないっす!)
そして、クラリカが覚悟を決めた瞬間、プシュッ!という何かが噴出する音が聞こえた。
それと共に、目と鼻に先程ぶつけたよりも鋭い激痛が走り、目を開けていられなくなった。
(さっきから何なんっすか!?!)
体験した事の無い痛みに、クラリカは混乱した。
目に水が入った時のような感覚だが、恐らく刺激物が混入されていたのだろう、目を開けていられない。
しかし、身体は後ろに下がる事は止めていないし、上体が後ろに傾いた事により、右足は自然と前に出せるようになった。
(主よ、我にご加護を!)
祈りと共に、相手の顔があった辺りに蹴りを見舞う。
ドゴン!と何かに命中した感覚が伝わる。
しかし、クラリカはそれに対し、喜びではなく焦りを覚えた。
(浅かったっすか!)
如何にクラリカが百戦錬磨の元異端審問官でも、体重自体は普通の人間のそれだし、その体重すら乗っていない蹴りでは実力者相手には力不足だ。
だが、今の蹴りの反動のおかげで後退し切る事は完遂した。
(相手を牽制の後に撤退!)
敵わない。
悔しいが、目が開けられない状態ではそうするしか道は無い。
しかし、それを見逃す程に相手が甘いとも思わない。
だから、クラリカは右手に持ったマシンガンで強化プラスチック弾をドアの向こうの室内にばら撒きつつ、ポケットからあるものを取り出した。
閃光弾、それもひでおの様なお手製ではなく、軍で正式採用されているのと同型のものだ。
室内、つまりあの殺し屋の雇用主がいるであろう場所なら、あの殺し屋も迂闊な真似はできないし、必ず警護に手を割かれる。
「あばよっすぅ!!」
カン、という音と共に閃光が室内を満たした。
閉じた瞼の向こうに強い光を感じるが、今、視界はどの道塞がれているので構わない。
道順自体は覚えているし、ここの警備は既に無力化した後だ。
短時間で突っ切ってきたので、まだ意識は戻っていないだろうが、それでも急ぐ事には変わりない。
(次はこうはいかないっす!)
雪辱を胸に、クラリカハ壁に手をつきながら走り去っていった。
「逃げられちゃいましたけど、良かったのですか?」
「構わない。どうせ魔殺商会に返却しなきゃならんのなら、自分で帰って貰った方が手間が省ける。」
ウィル子の言葉にそう返し、ひでおはエリーゼに向き直った。
「で、結果の方は?」
「不満は少々ありますが~~…合格なのですよ~~。」
「それは良かった。」
言って、ひでおはふぅ…と息を吐いた。
正直言って、熟練の異端審問官とやり合って勝てると思う程、ひでおは自惚れていない。
もしあそこで追撃していたものなら、視界が塞がれている以上、負ける事は無くとも負傷は免れないだろう。
幸い、ひでおはサングラスをかけてきた御蔭で目を潰される事は無かったが、室内に銃弾を発射されたのは危なかった。
閃光弾に関しては、ウィル子はウィル子で視覚情報を一時的に切断してカメラの焼き付きを防ぎ、エリーゼはミスリル銀のカーテンで視界を遮った事で防いでいたので問題無い。
対し、エリーゼは全く心配いらないが、未だ物理・魔導耐性の低いウィル子に当たろうものなら、ちょっと危険な事になっていたかもしれない。
一応ウィル子との射線軸上に身を滑らせていたので大丈夫だと思うが、そのせいで止めを刺す機会を逃してしまった。
かと言って追撃も危険なので、ひでおとしてはここで終わりにするのが最上と言えた。
それに、一応二度目での知り合い、それも人間の女性に手を上げるのは気が進まなかった。
だからこそ、懐に潜ませた痴漢撃退用スプレーを噴射したのだが……やはりと言うか、原液はやり過ぎたようだった。
「でも~~…後で身代金要求に使えるかもしれないので~~…確保をお願いします~~…。」
「……解った。まぁ、逃げられてもとやかく言わんでくれよ?」
「もう建物を出てますので、急いだ方が良いのですよ。」
「…やれやれ、入社早々人使いが荒い事だ。」
手負いの狂犬なんぞ追いたくないわ!という本音を抑え、ひでおはウィル子と共に社長室から退室していく。
「あぁ、最後に一つ。」
「何でしょう~~…?」
もう驚かされないぞ、と一連の驚愕によって意地になって考えるエリーゼだったが、続くひでおの言葉にその意志は完全に吹っ飛んだ。
「次は素の状態の君と話したいものだな。」
バッタン
「あの野郎……ッ…!!」
後に残ったのは、今日の会話全てが演技だとばれていた事に、怒りと羞恥から赤面したエリーゼだけだった。
次に会ったら過労死する位に扱き使ってやる…ッ!!
ギリギリと歯を食いしばりながら、エリーゼは誓った。
何だかんだ言って、ひでおの有用性は認めているエリーゼだった。
「あらら…マスター、何だかすごい事になってるのですよー。」
「手を出さずに素通りすれば良いものを……。」
そして、ひでおの予想通りに厄介な事になっていた。
「うざいっす!退け退けーっす!」
「ぐほぁっ!?」
「ひでぶっ!?」
「おぉ、メイドだ!本物のメぐへぇっ!?」
「くそ、囲め囲め!この数で負けんな!」
「主任、後は任せまげへぇっ!!」
…何か阿鼻叫喚な状況になっていた。
工場の作業員達が恨み骨髄とばかりに、魔殺商会所属であるクラリカに集団で襲い掛かっている。
しかし、女性とは言え元異端審問官、対集団戦闘は心得ているらしく、見事な曲線美を描く足で作業員達に蹴りを見舞っている。
しかも、全方位を囲もうとする作業員達を巧みに突破しながら応戦する事で、背後からの攻撃を未然に防いでいるときた。
よく見えない状態で涙を流しながらも大立ち回りをこなす彼女の動きは、どっからどう見てもその道のプロのそれだった。
(本当に追撃しなくて良かった。)
後はクラリカを逃がすか拘束するかしないと、事態は収束しないのだが……はてさて。
「マスター、変な人が入ってきたのですよー。」
「ん?」
ひでおが頭を悩ませている所に、ウィル子が異変を知らせた。
見ると、いい加減に囲まれ始めていたクラリカの所に、着物姿の上品な女性が近づいていた。
「…おいおいおい……こんな所に出て来るか?」
否、ここは魔殺商会に、鈴蘭にとって敵陣地に等しい。
なら、彼女が出てきてもおかしくはあるまい。
……ネズミの巣を全滅させるのに、核弾頭を使用するようなものだとは思うが。
長い見事な黒髪に、黒の地に金の刺繍の着物を着た女性に、ひでおは激しく見覚えがあった……封印したい記憶と共に。
そして、視認と同時に背中に嫌な汗を大量にかき始めながら、ひでおは何時でも逃げ出せるように身構えた。
「マスター、どうかしたのですか?」
「ウィル子、何時でも逃げ出せるようにしておけ。」
「? よく解らないけど、了解なのですよー。」
そして、数度の問答の末、作業員の1人が着物の女性に触れ、投げ飛ばされた時、変化が起こった。
「気安く触るでないよ、小僧ども。」
ぞくり、と肌が泡立つ。
圧倒的に格上の存在であるカミの放つ殺気混じりの魔導力に、ひでおは事前知識があるにも関わらず、その威圧に戦慄した。
クラリカを囲んでいた作業員達は軒並み威圧に当てられ、その場に棒立ちとなって立ち竦んだ。
賢明な判断だ、とひでおは思う。
触らぬ神に祟り無し。
彼女は正しくそういう存在なのだ。
通称みーこ、本名ミスラオノミコトノヒメ
黄泉の国のお姫様、初代魔王の側近、億千万の口、喰えぬもの無し、食欲魔人。
数多の異名を欲しいままにするアウター達の一柱。
今でこそ鈴蘭の元で比較的のん気に暮らしてはいるが、嘗ての暴虐を一端とは言え知る身としては、彼女は絶対に近づきたくない存在の一つだった。
しかしまぁ、それはこちらの都合であって、向こうから近づかれた場合、どうしようもない訳であって……。
「う、あ…ます、たー…。」
「ウィル子!」
突然、ウィル子の身体にノイズが走り、いきなり気絶した。
急いで駆け寄って意識を失った身体を抱えるが、異常に軽い彼女の身体に不安を覚える。
原因は恐らく魔導力に当てられたためだろうが、原因は解っていても対処法が解らない。
大抵の精霊は時間をかけて自然界の魔導力を吸収して耐性をつけていくのだが、生憎と生まれたての彼女には時間が足りなかった。
暫く安静にしておけば復帰するかもしれないが、魔導力の無いひでおでは結局の所推測でしかない。
なら、専門の施設かその道の専門家に見せるしかないだろうが、生憎とそういう系統だった専門機関は無いし、精霊の治療までできる専門家はこの都市には一人しかいない。
…究極の選択だな。
あの腕は確かだが怪しげな笑い方をするマッドサイエンティストの所か、アパートに帰って様子を見るか。
「どうしたかの?」
ひでおが悩んでいる所に、唐突に声がかけられた。
その特徴的な話し方に、まさか、と冷や汗をかきつつも、ひでおは顔を上げた。
見れば、この事態の原因本人がこちらを覗き込んでいた。
(ッ%$&#&$“Q”%’=~!!!?!?)
恐怖で悲鳴を上げそうになっているひでおを無視して、みーこはウィル子を覗き込んでくる。
恐怖に固まっていたが、咄嗟にウィル子を庇う仕草をしてしまうと、みーこは愉快そうに目を細め、口を開いた。
「若いの、その娘を守るのは立派だがの。あまりはしゃぐでないよ。」
「…身の程位は解っているつもりです。」
普段はあまり使わないが、ひでおでもみーこ相手には敬語を使う。
と言うか、もしひでおが無礼討ちになった場合、最悪、億千万の眷属同士の殺し合いが勃発する。
最終戦争なんぞ目じゃない被害が出る事は確実だ。
そんな終末への引き金を引く訳にはいかない。
「その娘、わしに当てられたのかの?」
「恐らくは…。」
「ふむ…では、葉月の所に連れて行こうかの。後、心配するでないよ。別に取って食おうとは思うとらんからの。」
「…では、お言葉に甘えさせてもらいます。」
…断ろうものなら、どうなるか解らない。
そう判断したひでおは、今は素直にみーこの言葉を信じる事にした。
そして、ひでおは気絶したウィル子を抱え、涙目のクラリカに睨まれながら、みーこの後についていく。
売られていく子牛の歌をBGMに、ひでおは人外魔境と同義である都市郊外の屋敷、魔殺商会本部へと向かう事となった。
そして数十分後、覆面タイツが運転する4人の車は遂に魔殺商会本部へと入っていった。
また随分と間が空いてしまった…
ども、VISPです。
最近は忘れられていないか心配になってます。
今回はエリーゼ工業に所属する事となりましたが、みーこ様に拉致られました。
これはみーこ様の気まぐれの他に鈴蘭から「面白い奴」認定を受けているひでおから「見かけたらちょっと連れてきて」的な事を言われていたからです。
そして、あわよくばこちらに引き込もうと思ってます…みーこ様は単純な興味からですが。
しかし、ひでおとしては魔殺商会と事を構えるつもりなので、アウターの面々に本能的恐怖を覚えつつ、鈴蘭には一言物申すつもりで活動しています。
なお、どうしてエリーゼ興業かというと、確かに新たな会社を作るのもありなのですが、新米精霊であるウィル子の精霊としての指導役、先輩格としてエリーゼとの繋がりを持っておきたいからこうなりました。
魔道的な知識に関しては相当なひでおですが、魔道力が無いから治癒とかはできませんし、教皇と目はその経歴から嫉妬しかねないから却下。
となると、後はそれらの資格を満たす人物と繋がりを持つしかない。
幸いにも知り合いがいたため、それを選んだという訳です。