第8話
それいけぼくらのきょうこうさま!(元)
ピリリリリリリ!ピリリリリリリ!
「んん?誰よ、こんないい時に…って、運営本部?」
安アパートの一室、盛り上がっているそこに唐突に携帯の着信音が響いた。
持ち主は霧島嬢であり、送信元は大会運営本部。
「何かあったのだろうな。」
送信元が大会運営本部という時点でくさい。
どうせ、どっかの誰かが何かやらかしたのだろう。
となれば、それなりに優秀であり責任ある立場にいる霧島嬢になら連絡が来てもおかしくは無い。
(まぁ、こちらと関わり合う事も無い、か…?)
疑問符を脳裏で上げつつ、周りを見渡す。
既に美奈子は酒瓶を抱えてスヤスヤと寝息をたて、マリアは「うふふあははへへへ」とか笑いながら柱にスリスリしている。
そして、我が相方のウィル子はそんな2人の様子をニヤニヤと笑いながらも、しっかりとオレの携帯のカメラで激写していた。
……その写真は後でどんな事に使う気なのやら…。
「うふふ、クスクス♪皆ダメねぇ。」
そして、それらを酒を片手に何時も通りニンマリしながら眺める魔法少女(自称)。
「何が起こっているか解るか?」
「解ってても言わないわ、クスクス♪」
「……ネタばれ厳禁だったな。」
「でも、ちょっとだけヒントをあげる。特別よ?」
「何だ?」
「もう直ぐ来るわ。」
「…ありがとう。」
マリーの言葉に、ひでおは速攻で大家の部屋を出て、自室に向かった。
アルコールを入れてややふらつきがあるが、それでも多少動く分には大丈夫だろう。
装備の作成や点検などは終了しているが、それでも大会運営本部が危惧する様な事態が迫っているとなれば、油断はできよう筈が無い。
(ウィル子に直接戦闘は無理だし、またオレがやらねばならんか…!)
今後の展開を思い、頭が痛くなる。
流石に今日はもう何もあるまいと思っていた自分をぶん殴りたい気分だったが、そんな余裕は無いので、足に意識を集中させ、部屋へと急ぐ。
部屋を出た時に上を見上げれば、皮肉にも今夜は綺麗な月夜だった。
「ひ、ヒデオ君!外、外見て!」
「…もう見えている。」
ゾロゾロ…という具合に、かなりの数の参加者らしき人影がこのアパートに向かってきていた。
その数は目算だが、数百人近いだろう。
彼らの目が何処か赤みがかっており、その動きも愚鈍な事からこの事態はどんなものかは予想がつく。
恐らく、高位の使役能力を持った人外か術者の仕業。
だが、術者が傀儡を作るにはそれなりの準備が必要になる上、ここまで大人数を傀儡にするとなればその戦力は準アウターと言っても過言ではないし、そこまでの技量を持った術者はかの「不死王リッチ」位なものなので、術者の線は却下だ。
となれば、現在の状況下、満月の月夜の元で高位の使役能力を持った者となると……。
(吸血鬼、か……。)
それもかなり祖に近い位を持った、と付く。
勝てるか?
並列思考を展開し、シュミレートする。
結果、かなり難しい。
最大の焦点は、今が満月の晩だという事だった。
吸血鬼に限らず、満月は特別な意味を持つ。
それは魔も人も変わりない。
月の魔力が最大になるこの時、それを浴びた者は多かれ少なかれ影響を受ける。
人なら時には狂い、術にも利用する。
魔なら魔導力が活性化し、人狼・吸血鬼などはその力を大きく高める。
特に吸血鬼は満月の元なら殆ど不死身といっても過言ではない。
その不死性は、アウターや龍を除けば、恐らく魔でも最上級だろう。
聖別した銀製の武器で心臓を破壊し、聖火で灰にし、川に流すでもしないとどうにもならない。
非殺のルールがあるため、そこまでせずとも大丈夫だろうが、今回はここまで大量の傀儡を投入してきた上での話だ。
はっきり言って、正面戦力が自身だけというのはかなり心許ない。
(それでも、やるしかあるまい。)
こんな熱血系のノリは嫌いなのだが、致し方ない。
既に部屋にあったコートの中には各種装備が入っており、右手には警棒も持っている。
つい先程、部屋にあった装備の点検も終わらせ、現在のこちらのできる万端な装備だが、はっきり言って満月の吸血鬼相手では自殺行為だ。
一応銀製品は一つだけあるが、それは武器としては到底利用できるものではない。
運営側からの介入を待っていたいが、ここまで接近を許してしまったのなら最低でもそれまで時間稼ぎをしなければならない。
また、傀儡となった参加者達も死なせないように注意しなければならないとなると、やはり相当の不利が予測される。
「…これ、全員参加者ですけど、何か様子がおかしいですニャ?」
漸く騒ぎに気付いたミッシェルがアパートから出てきて、事態に気付いた。
「それが、運営本部によるとどこかの吸血鬼が突然参加者達を襲い始めたらしいんだ。吸血鬼に噛まれた人は操られてしまう事もあるっていうけど……。」
「しかも、今夜は満月だ。大勢操るにしても、月の魔力の補助があるからやり易いだろう。」
「で、明らかにこの状況は……。」
「狙っている、だろうな…。」
誰を、とは言う必要も無い。
霧島嬢の説明に、ひでおが捕捉を加え、溜息をついた。
前者は職務から、後者は今後の展開を思ってだが、共に危機感を抱いている点では同じ思いだった。
「クスクス!何だか面白い事になりそうね♪」
「……ひっく…。」
「そんな事を言っている場合ではないのですよー!?」
酔っ払い(マリア)を引き摺りながら、マリーとウィル子が部屋から出てきた。
微妙に酒臭いが……まぁ、仕方ないだろう。
「くぅ……。」
ちなみに、美奈子は未だに寝ていたりする。
さておき
「出て来い、川村ヒデオ!我が名はヴェロッキア・アウクトス!貴様の首を取りに来た!」
傀儡となった人ごみの奥、そこから今度の騒ぎの主犯格が姿を現した。
姿は金髪に色白の肌、赤い瞳に貴公子然とした洋装の見た目十代後半といった所だ。
吸血鬼にしては若い部類の様だが、その力の程は周りの傀儡となった参加者達を十分に見れば推し量れる。
傍らにはペアと思われる赤い鉤鼻と眼鏡の老執事もいる。
こちらは高齢なのかステッキをついているが、立ち居振る舞いに隙が見えないため、熟練した人間かと思われる。
(アウクトス……よりにもよってか……。)
アウクトスの家系は、かなり祖に近い位置にある「純粋」吸血鬼の家系の一つだ。
少なくとも吸血鬼という存在が「発症」して間も無く興された、最も古い家の一つであり、その頭主筋は全員が混ざりっ気の無い、生まれながらの吸血鬼だ。
長い迫害の歴史の中で、古い吸血鬼の家系は新参(人から発症したという意味で)だが力のある吸血鬼や近い種に当たる人狼、時には魔人や人間を家に入れる事で絶滅を回避してきたが、当然ながら力は薄れていく。
しかし、一部の「純潔」吸血鬼は生まれた時から吸血鬼である者達同士の婚姻を重ねる事で嘗て祖が持っていた力を殆ど損なう事無く、現代まで生きてきた。
無論、北欧の対魔組織クルースニクが根絶に力を入れてきたが、準アウターとも言える純潔の吸血鬼は対吸血鬼戦闘に最も力を入れている彼らをして、数個大隊は必要と言わしめる存在だ。
はっきり言って勝率3割程度だったのが、いきなりマイナス300割位まで暴落した。
(いや、死にはしないと思うが、勝ちも無いだろうなぁ…。)
あぁ、開催から二日で敗退か…と、ちょっと憂鬱となったひでおだった。
「な、何でマスターを狙うのですか!?理由があるのですか!?」
「当然だ。奴には我が得物となる筈であった大佐を横取りされたのだからな!」
あぁ、やっぱり目立ったんだぁ、とひでおは思う。
あのタイミングでしか大佐に勝てないと解っていても、やはりそれ相応のデメリットは存在する。
つまり、悪目立ちだ。
実際、ジャバンもこのヴェロッキアも大佐の件を聞きつけて、こうしてひでおの前に現れた。
だが、大佐と戦って勝利すれば、そうそう何度も強豪を相手にする事は無いと思っていたのだが……結果はご覧の通りだ。
「その恨み、晴らさせてもらうぞ!川村ヒデオ!」
「そう大きな声でなくとも聞こえている。」
言って、ひでおは警棒を肩に担ぎながら2階から降り、ヴェロッキアと距離を保って対峙した。
そして、徐に懐からサングラスをかけ、装着する。
夜だというのにサングラスをかけた事にヴェロッキアが一瞬疑問から眉を寄せるが、たかがサングラス程度では何も変わらない、と考え、思考から除外した。
「貴様が川村ヒデオか。多少酔ってはいる様だが……成程、只者ではないな。この手勢を見て小揺るぎもせんとは……。」
「若、くれぐれも油断せぬように…!」
ニヤリ、と挑発的な笑みを以てひでおを見据えるヴェロッキアと、苦言を呈するサンゼルマン。
まぁ、彼ら2人の言葉に年中無休で表情筋麻痺状態なら、そりゃ表情も変わらないだろうなぁ、とひでおは思ったが。
「おぉ!?まさか、勝負ですかニャ!?」
「まだ12時は回ってないから、もしここで勝てれば奇跡の初日3連勝だよ!」
何か外野が適当な事を叫んでいるが、ひでおは無視した。
今はそれよりも、如何にしてこの場を切り抜けるかだ。
最悪、命が保障されるなら敗退しても良いのだが、吸血鬼相手では重傷も視野に入れなければならない。
こちらの最善はどうにか命の危険と敗退の回避だが、現状ではどちらも難しい。
次善としては勝負は流れるが、可能な限りこちらに被害が無い状況だが、こちらも難しい。
勝てる算段がつかないが、一先ず逃走なり会話なりで時間を稼ぎつつ、お流れか大会運営側からの介入を待つしかないだろう。
「で、いい加減に勝負を始めたいんだが?」
「ふふん、威勢は良い様だが、我に従う200の軍勢に勝てるのか?」
言って、ヴェロッキアは指をパッチン、と鳴らした。
途端、傀儡が動きだし、ひでおに向かって動き出した。
だが、ひでおは昼間の様に落ち付き払ったまま、掌大の何かを複数、傀儡達に向けて放り投げた。
「全員、目と耳を閉じて口を開けろ!」
次瞬、アパート周辺の路地を閃光を大音量が満たした。
「ぬぅっ!?」
「ぬわっ!目がぁっ!?」
余りの光量にヴェロッキアとサンゼルマンの視界は一時的に麻痺した。
元々夜目は良くとも光には弱いヴェロッキアに、人間の老執事であるサンゼルマンにはかなり有効だった。
これならヴェロッキアは回復力が桁外れだからまだしも、サンゼルマンの方は回復に暫くかかるだろう。
ひでおがやったのはジャバンの時と大体同じ事だった、ただ規模が違うだけで。
お手製のスタングレネード、買い物帰りから頑張って作った虎の子の5個を全部ばら撒いたのだ。
しかし、正式なものは一つあたり0.5kgもある代物をそう簡単に投げる事は出来ない。
だから、一個当たりの内容物を減らして軽量化したのだ。
そして、可能な限り閃光と爆発音が大きく、しかし、効果時間を短くするように調整し、バラバラになる様に投げた。
今は幸か不幸か、月があってやや明るいが、夜だ。
スタングレネードの効果は十分だ。
一つ当たりの効果範囲はあまり広くないが(そもそもスタングレネード等の非殺傷の制圧兵器は閉鎖空間向け)、傀儡達の行動を阻害するには十分な様で、気絶或いは目や耳を塞いで行動不能になった傀儡達が邪魔となり、上手く動く事が出来ていないでいた。
しかも、こうしてみて解ったが、どうやらヴェロッキアには兵法の心得が無いらしい。
傀儡達の動きはてんでばらばらで、全く統率が取れていなかった。
スタングレネードで混乱しているという事はあっても、これはかなりお粗末だ。
恐らく、あまりに数が多いため、詳細まで操作できないのだろう。
…やはり、H○LLSINGみたいに何万もの眷属を自在に使役するのは簡単ではないらしい。
ちょっと残念に思うが、こちらにプラス要素となっている事には変わりない。
…それでも、依然として絶望的な状況なのだが、それはさておき。
「きゃぁぁぁっ!?」(両目を抑えて膝をついている)
「ニャぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」(両耳を抑えて地面を転がっている)
「あらあら、大変ねぇ♪」(マリアの背を摩っている)
「……ッッッ?!?!!(音と光が直撃したショックで、派手に嘔吐中)
ひでおの背後で相当の混乱が巻き起こっていたが、しかし、ひでおは意に介する事は無かった。
そして、ヴェロッキア達の行動が止まった瞬間に、ひでおは既に動きだしていた。
「へあ!?な、何なのですか!?」
「戦略的撤退ッ!」
「く、逃がさんぞっ!!」
未だに網膜や鼓膜といった細かい部分を再現できていないウィル子を抱き抱え、ひでおは背にヴェロッキアの声をうけながら、夜の街へと駆けていった。
「ま、マスター、これからどうしましょう?」
重さを感じさせないウィル子を俵の様に肩に担ぎながら、ひでおは夜の街を疾駆していた。
できるだけ人気の多く、明るい場所。
満月の夜では殆ど効果は無いだろうが、人ごみは傀儡達への足止めにもなる。
だが、現在の街にはあまり人影が見当たらない。
恐らく、殆どの者が傀儡にされたのだろう。
あの数を使役し続けるだけの魔力を持った吸血鬼に、今更ながら寒気が走る。
恐らく、二度目における機関の精鋭部隊を対吸血鬼装備にしても勝てるかどうかは微妙な所だろう。
それ程までに、ヴェロッキア・アウクトスという吸血鬼は強力だ。
「ウィル子、ネットにアクセスして吸血鬼の弱点になりそうなものがある場所を探してくれ。この都市なら銀製品くらいはあるだろう。運営委員にも審判派遣の連絡を。それと、可能な限りネットに潜って隠れていてくれ。」
「わ、解ったのです!」
そう返事するや否や、ウィル子の姿が一瞬で消えた。
恐らく、付近の電話回線を通じてネットの海にダイブしたのだろう。
これならそう易々と彼女に手を出す事はできない。
(後は、オレが逃げ切れるかどうか、か。)
そして、後方から漸く傀儡達の追手の先頭集団が見えてきた。
獣人や魔人など、身体能力が高い面々だ。
弓や銃、魔法などが飛んでくるが、幸いにも精度はお粗末だった。
しかし、先頭集団だけでも数十人はいるので、相当の火力だ。
だから、必死に足を動かして逃げ続ける。
電柱や街灯、店舗などを盾にし、射線を反らすためにジグザグに走り続ける。
頬やコートを弓矢や火球が霞め、時には皮を抉られ、痛みが走る。
しかし、ひでおは足を止める事だけはしなかった。
『マスター、工業区に行ってください!そこにミスリル銀の生産工場があります!』
携帯電話から、待ち望んでいたウィル子の声が響き、彼女のナビを頼りに荒れる心臓を叱咤しつつ、工業区へと足を向けた。
『その先のT字路を右に進んでください!その近くに作業員用の出入り口があります!電子ロックでしたから、こちらで開けました!』
「…連中が侵入すると共に警報を鳴らしてくれ。ここの警備の連中を利用する。後、監視カメラ等の記録は今夜分を全て削除だ。」
ウィル子から齎される情報の内容から指示を出しつつ、ひでおは漸く工業区にある一大施設、エリーゼ興業のミスリル精製施設へと到着した。
ここはエリーゼ・ミスリライトという高位精霊が社長として君臨する会社で、ミスリル銀市場における最大シェアを持っている。
ミスリル銀とは聖の属性を持った貴金属のことだ。
法王庁・神殿教団を始めとした対魔組織なら多かれ少なかれ武装や術具に採用されており、オリハルコンやアダマンダイトなどの精錬も加工も難しく、コストが膨大な貴金属よりも遥かに加工しやすく、汎用性に長けている事から何処でも売れるので、二度目におけるマルホランドもエリーゼ興業と提携する事で大々的に扱っていた程だ。
また、銀の高位互換素材でもあるため、対吸血鬼でも十分に使用できるだろう。
「炉がある場所は何処だ?後、作業員は?」
『今からマップデータを送信します!作業員は今はいません!後、火は消えてませんから何時でも使えます!』
「上出来だ。後は今から言う指示通りに動いてくれ。」
そして、携帯を弄りつつ、ひでおはこの状況から勝利するためにウィル子に幾つかの指示を出した。
『危険過ぎます!第一、運営側からの介入を待てばそれで済むじゃないですか!?』
「いや、恐らく介入は無いだろう。」
楽しい事大好きで悲しい事大っ嫌いのあの鈴蘭が、この状況で動いていない事がその証拠だ。
恐らく、既に緊急医療室や消火活動などの手配を終え、勝負の決着がつく事を待っているのだろう。
しかし、ルールを破った場合の手配も終えている事だろう。
多数のアウター級戦力を擁する聖魔王一派なら、ルール違反者を粛清するのに何の躊躇いも不足も無い。
改めて考えると彼女の指導者、否、扇動者としての非凡な才覚はいっそ恐ろしいものがある。
『…マスターが何を以て確信しているかは知りませんが、マスターが言うからには本当なのでしょう。解りました、指示通りにします。』
「すまんな。」
渋りはしたものの、結局は了承してくれたウィル子に感謝しつつ、ひでおは建物内の奥へと入っていく。
そして、ひでおが十分に工場の奥へと入ってから警報が派手に轟き、警備員達と施設に侵入し始めていた傀儡達の激しい戦闘が開始された。
当初は奇襲した上に数が多い分、傀儡達の方が優勢だったが、そこはエリーゼ興業お雇いの面々、混乱が収まると的確な対処を開始した。
数はあってもまともな連携が取れない傀儡達に対し、数十人でありながら圧倒的な物量さを連携と遮蔽物を利用した防衛戦を構築する事で対処してみせた。
その動きの見事さに、ひでおはイスカリオテの精鋭達とどちらが上か試算してしまう程だった。
(流石だな。こちらも、早い所決着をつけてしまおう。)
それに、そろそろ焦ってきている筈だ。
そう思うや否や、ひでおが走っていた通路のガラスが吹き飛び、マント姿の少年がガラス片と共に飛び込んできた。
「追い詰めたぞ、川村ヒデオ!そろそろその血を貰おうか!」
降りかかるガラス片から顔を腕で庇いつつ、ひでおは咄嗟に脇にあった扉に飛び込んだ。
そこから先には最低限の火が入った工場があった。
ウィル子の算出した最短ルートとは違うが、ここからでも十分に目的の場所には行ける。
気温は機械の排熱などの影響か、かなり高く、いるだけで汗をかく程だ。
昼間のそれよりもやや小規模だが、確かに火は入っているのだが、詰めているであろう人がいない。
恐らく、先程の警報と戦闘音から避難したのだろう。
(なら、より好都合。)
ひでおは工場内に隠れ、最適な場所や必要なものの位置などを把握しながら進む。
幸いにも遮蔽物その他は大量にあり、隠れる場所には困らない。
「どうやらここにいるようだな、川村ヒデオ。」
そこにヴェロッキアが追い付いてきた。
まだ見つかっていないようだが、蝙蝠や狼などにも変身できるという吸血鬼相手で何時までも隠れるのは不可能だ。
寧ろ、もう見つけている可能性すらある。
『漸く来たな、吸血鬼。』
「っ!何処だ、川村ヒデオ!」
工場内のマイクから、オレの声が出る。
ウィル子に頼んだものだがかなりの再現度だ、流石は電子精霊。
『そろそろ勝負を始めよう。お互い、始めない事には勝敗がつかないからな。』
「……よいだろう。先程は逃げられたが、今度はそうはいかぬぞ。」
『では、審判は私ラトゼリカが行います!』
マイクからひでお以外の声が流れる。
ウィル子が大会運営側の所持するセンタービルの受付のPCと工場のマイクやカメラなどを繋いだのだ。
現在、たまたま夜番だった受付嬢のラトゼリカにウィル子が頼み込み、彼女が審判役をしている。
『では、試合開始です!』
ラトゼリカの宣言と共に、ひでおは動いた。
「そこかッ!!」
瞬間、それに気付いたヴェロッキアが霧となって接近、ひでおが寸前までいた辺りを薙ぎ払い、機材を盛大に破壊した。
その途端、盛大に高温の蒸気が吹き出、その直撃を受けたヴェロッキアの視界を完全に潰した。
無論、これはひでおが狙ったものだ。
自身を囮にして、相手の視界を潰す。
かなりの高温のため、気休め程度には効く事だろう。
自分の場合、既に工場内の構造をある程度眺めていたし、ウィル子からのナビもある。
そして、本命はまた別にあった。
「小手先で我に勝てるか!」
しかし、その場を満たしていた霧は突然一か所に集まり、あっと言う間に視界を覆っていた白が消えていく。
その集合地点にはヴェロッキアがおり、恐らく、自身の身体を霧にする事で周辺の蒸気を掌握したのだろう。
「器用だな!」
「吸血鬼が霧でまかれるなど恥だ!」
叫び、再度の接近と打撃。
しかし、今度は機材などに気を付けているため、先程よりも勢いが無い。
機材に囲まれた通路の中、ひでおは後退しながらも警棒を最短状態にしてヴェロッキアの膂力を生かした攻撃を柔よく剛を制する様に流していく。
元々攻撃よりも防御に重きを置いた鍛え方をしていたため、こうした捌きや防ぎ、回避の方がひでおは得意だった。
それに基本的な肉体の構造は吸血鬼も人も変わりない。
筋肉や視線の動きなどにより、大佐戦と同様に次の相手の動きを予測し、捌いていく。
そして、多数の装飾が付いている故に予備動作事態は認識しやすい事もあって、ひでおは辛うじてヴェロッキアの攻勢を凌いでいた。
二撃目、振り下ろされる右の爪を一歩引いて回避する。
三撃目、突き入れられる左の手刀に横から警棒を当てて反らす。
四撃目、踏み込みと共に左手を引きながら放たれた拳を、身を回す様に半身になって回避する。
だが、防戦一方では何れ敗れるし、スタミナにも差があり過ぎる。
そもそも、満月の吸血鬼に正面から勝とうというのが無謀極まりないのだ。
今は幸いにも従者をやられて頭に血が上っている様だが、果たして何時までこの状態を維持していられるだろうか?
武を極めた訳ではないひでおでは、警棒で流すだけでも手がビリビリと痺れ、回避しているのに風圧で押され、どんどんスタミナを消費し、上手く動けなくなっていく。
後もう少し、最適な位置にいかない限り、こちらの敗北は決定している。
徐々に後退しつつ、ひでおはそれまで自身の身体がもつように警棒を握る手に力を込める。
「ええい、うっとおしいっ!!」
もう直ぐ最適な位置につくという時、遂に焦れたヴェロッキアが大振りの回し蹴りを放ってきた。
回避も可能だったが、考えのあったひでおはその人外の一撃を敢えて受ける事にした。
警棒を着弾点に構え、その勢いを逃がす様に敢えて全力で背後に跳んだ。
「…ッッがぁッ…!?」
バギャァッ!
着弾の瞬間、警棒は半ばから完全に圧し折れ、完全に意識が途絶えた上に、一度も地につかずに10m以上も吹っ飛び、大きめの機材に叩きつけられた。
背中だけでなく、打撃を受けとめた辺りにも激痛が走り、思考が鈍ってしまう。
(これは…骨が折れたか……。)
知識と照らし合わせると、明らかに肋骨がに2・3本砕けている事が解る。
はっきり言って、ダメージが大きい。
しかも、肋骨の角度によっては臓器損傷、下手をすると肺に刺さる危険がある。
今は衝撃のせいであまり痛みを感じていないが、気を抜いたら地獄の様な苦痛に襲われるだろう。
「ここまでだ、川村ヒデオ。人にしては善戦した方だろうな。」
ゆらり、と油断無く見据えながら、ヴェロッキアがゆっくりと近づいてくる。
ひでおは痛みに霞む視界の中でその姿を捕えると、まだ握っていた警棒の一部分を手放した。
からんからん、という音と共に警棒が床に落ち、ヴェロッキアの目にとまる。
「ほう?得物を手放したとは、降伏するつもりか?」
「…っは……誰が……。」
「我としてもその方が良い。折角、強者の血が飲める機会なのだ。死なぬ程度に吸わせてもらうぞ。」
死に体のひでおの言葉に対し、ヴェロッキアは笑みと共にその胸元を掴みあげ、無理矢理目線を同じ高さに合わせた。
「貴様の血……こうしていると、飲まずともその芳香が漂ってくるようだぞ。」
「…悪いが、香りだけで我慢してもらおう。」
何?とヴェロッキアが疑問を口にする前に、ヴェロッキアの背後から轟音が響いてきた。
(……?)
疑問に思ったヴェロッキアが自身の背後を見て、目を丸くした。
「な……。」
ヴェロッキアが一瞬の驚きを露わにすると、ひでおはにたり、と口元を歪ませた。
瞬間、2人目掛けて大型の貨物車両が突っ込んできた。
「うおおおぉぉッ!?!」
ヴェロッキアは咄嗟にその場からひでおを掴んだまま飛び上がって1台目を回避し、備え付けられた大型設備の一つに飛び乗った。
2台もあるのなら片方位は当たりそうだが、正面と右から時間差で接近してきた2台目は高い所にいくだけで十分に対処可能だった。
「驚かせおってからに…。今のが貴様の最後の策か?」
「あぁ、そうだ。そして、オレの勝ちだよ。」
「?何を」
言っている?と続けようとした所で、2台目の大型車両が先の1台目に衝突し、1台目に搭載された魚雷型のタンクと2台目の工業用給水車のタンクが見事に拉げ、その中身が流出し、混ざり合う。
その瞬間、工業用水は蒸発を開始し、もう一つの大型車両、混銑車の積み荷である溶けたミスリル銀の表面に蒸気の膜を形成する。
更に盛大に漏れ出続けるミスリル銀に安定性を欠き、劇的な反応を見せる。
その直後、盛大な爆発が辺り一帯を包みこんだ。
ひでおが狙ったのは界面接触型の水蒸気爆発だった。
水の中に溶けた金属などの高温の細粒物質が落ちて、不安定化すると発生する。
製鉄所などで時折事故が発生し、大惨事にも成り得る程の爆発を生む事もある。
この時、水は給水車一杯分、混銑車一杯分の融解したミスリル銀という材料があった。
幸いにもどちらの車両も電子制御を一部に取り入れていたため、ウィル子が外部からタイミングよく制御してくれたものだ。
後は上手くタンクが破損する様にぶつければ、それで済む。
しかも、ミスリル銀を材料に使ったためか、この爆発はミスリル銀と同様に光属性と銀に近い性質を帯びており、こと魔に属する者にはかなりの殺傷力を持っていた。
結果、爆発の勢いで散弾の様に周辺に飛び散ったミスリル銀の雫は、一切の区別無く全方向に襲い掛かり、爆発点を中心に片っ端から浄化していった。
なお、何故この場に給水車があるかというと、エリーゼ興業の電気炉の冷却水の補給のためだった。
一年前から開かれているこの閉鎖都市空間だが、食糧や医薬品、嗜好品を完全に自給できる程の生産活動はいくら何でも土地が足りない(ダンジョンを利用すればある程度までは可能だが)。
また、敗退者の退場などもある事から、センタービルで手続きをすれば簡単に都市外に出れる。
外からは毎日かなりの量の物資が運び込まれ、また、運び出される。
それはエリーゼ興業で生産されるミスリル銀だったり、ダンジョンで発見された激レアモンスターなどの詳細な報告書であったり、敗退した参加者だったりする。
残ったのは、焼け焦げた電子炉と設備(と思わしきもの)の残骸だけだった。
そもそも、工場そのものが未だに原型を保っている事自体がこの工場の頑健さが異常なものだという事を示していた。
恐らく、通常の工場の何倍もの安全対策を施されていたのだろう。
ひでおも、ヴェロッキアも、そこには誰もいなかった。
ただ水蒸気爆発の残滓が周囲に薄い霧を作り、漂い続けているだけだった。
そんな静寂が漂う中、不意に周囲に漂っていた霧が渦を巻き、一点に集まり始めた。
「く…っ……はぁっ……がぁッ……!」
どさり、という落下音と共に、渦の中からヴェロッキアが出てきた。
吸血鬼の変身能力で霧となり、ダメージを逃していたのだ。
しかし、爆発自体が水蒸気を媒体にしたもので更に光属性と銀の性質があったためか、全身ボロボロの状態で今にも力尽きて消えそうな状態だった。
「おのれ…まさか、自爆を選ぶとは……。」
ぜぇぜぇ…と荒い息を吐きつつ、ヴェロッキアは先程の爆発を思い出していた。
幸いにも自身は霧になるのが間に合ったが、川村ヒデオは間違い無く死んだだろう。
人間ではどうやってもあの爆発に耐えられないし、例え強固な防御魔法を唱えた所でそれごと吹き飛ばされる程のものだった。
聖騎士団一部隊が協力して構築したものならまだしも、個人クラスではまず無理だ。
(その上、これでは失格になるではないか…。)
これでは道中で「ワシを置いて先に行ってくださいませ」と言ってくれたサンゼルマンに顔向けできない。
ぶつけようの無い腹立だしさを感じながら、ヴェロッキアはふらふらと揺れながらも何とかその場から去ろうと腰を上げた。
「川村ヒデオ……恐ろしい手合いだった。」
それだけは間違いない事実だった。
この大会が殺し禁止のそれだとしても、必ずしも相手がそれを守るとは限らない。
そこを工場という場所に誘導し、戦闘の余波で偶然にも爆発が起き、戦闘していた片方が死んだ。
それで済むとは思えないが、十分に実現できる可能性はあった。
「だが、最後に笑ったのは我であったな…。」
「そう決めつけるべきではないぞ。」
ゾッと背筋が総毛立ち、全力で背後を振り向こうとした。
しかし、その前に背中を打撃され、ヴェロッキアは不様に前方へ弾かれてしまった。
「ご……ゲハゲハッ!?」
「何故、という顔だな?」
何故生きている?
当然の疑問だった。
あの爆発で肉体は常人よりマシ程度のひでおでは、絶対に生きてはいられない。
「生憎と、獲物を前に舌舐めずりするつもりはない。」
やはりというか、ひでおの身体もまた無事では無かった。
サングラスは吹き飛び、衣服は所々焼け焦げ、その隙間から除く肌は明らかに重度の火傷を負い、口の端からは鮮血が止まる事なく流れている。
普段はしっかりとしている足取りもふらついており、ヴェロッキアとどちらが重症か甲乙つけ難い程だった。
(く…疑問は後だ!今は体勢を整えなければ…!)
ふらつきながらも確実にこちらに近づいてくるひでおを迎撃せんと、ヴェロッキアは体勢を整えようとする。
しかし、彼の意志に反し、肉体は思う様に動かない。
先程の爆発に加え、ひでおが見舞った先の一撃。
それに使用したのは折れた警棒ではなく、見た事も無い風変わりな錫杖だった。
先端部に錫色の天秤を乗せた、全体が黒塗りの錫杖。
見ただけで解る程の高濃度の神秘を内包した一品に、ヴェロッキアは愕然とした。
あれは自身が生まれる以前から、神代の時代から伝わる代物なのだろう。
それ程の代物なら先の爆発を凌いだのも頷ける。
あれ程の神秘となれば、それこそ最高位の魔人であるアウターやそれに類する者達の持ち物であってもおかしくは無い。
(これが、奴の切り札か…!)
神器が相手にこの状態では、どう足掻いても無駄だ。
ヴェロッキアの中に諦めの言葉が湧き出るが、夜の貴族である吸血鬼たる者、最後まで不様に屈する訳にはいかない。
根性でひでおへと向き直り、生まれたての小鹿の様に足を震わせながらも立ち上がる。
そして、ひでおの鋭すぎる目を、真っ向から睨みつけ、右の貫手を引く。
その時、かつん、という足音と共に、ひでおが両者にとって一挙手一投足の間合いへと踏み入った。
「まさか、神器の担い手とは思わなかったぞ…!」
「貴様が相手で無かったら、決勝まで使うつもりはなかった。」
驚きと称賛。
それを最後の言葉とし、両者は互いの獲物を相手へと放った。
その時、響いた音は一つだけだった。
ヴェロッキアの貫手はひでおの頬肉を抉り、鮮血を吹き出させ、ひでおの神器はヴェロッキアの額を打撃し、その意識を狩りとった。
この瞬間、聖魔杯開催初日11時59分56,8秒。
ひでおが奇跡の初日三連勝を飾った瞬間だった。
レイセン2巻読んでたら遅れちゃった☆
ども、VISPです。
本当なら先週の土日で上げられた筈なのですが、ついつい資料調べてたり、レイセン読んでたりしたら遅れてしまいました(汗
どうか忘れ去られていないと良いのですが……ダメかなぁ?
今後、思いっきり独自展開が開始されますので、読者の皆様はどうか見捨てずにいてくださいと切にお祈りします。
後、副題に偽りありの突っ込みは勘弁の方向でお願いします。
当初は確かにマリアの活躍で傀儡の皆さんが浄化されるっていう筋書きだったのですが、レイセン読んでたら唐突にネタの神が降りてきまして……。
兎も角、きょうこうさまの出番はまたの機会という事で。