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No.21689の一覧
[0] 【完結】 トリスタニア診療院繁盛記 【ネタ・オリ主転生・微クロス】[FTR](2014/10/04 11:44)
[1] その1[FTR](2011/07/02 00:01)
[2] その2[FTR](2011/07/07 22:57)
[3] その3[FTR](2011/12/18 14:54)
[4] その4[FTR](2012/03/29 23:33)
[5] その5[FTR](2011/12/18 14:46)
[6] その6[FTR](2011/07/03 08:10)
[7] その7[FTR](2010/11/07 20:39)
[8] その8[FTR](2011/07/03 08:11)
[9] その9[FTR](2010/11/27 15:45)
[10] その10[FTR](2010/09/12 21:00)
[11] その11[FTR](2010/11/17 23:17)
[12] その12[FTR](2010/10/21 20:09)
[13] その13[FTR](2010/11/17 23:18)
[14] その14[FTR](2010/10/27 00:37)
[15] その15[FTR](2011/12/08 23:08)
[16] その16[FTR](2010/10/10 11:18)
[17] その17[FTR](2011/07/03 08:20)
[18] その18[FTR](2011/12/18 19:58)
[19] その19[FTR](2011/07/05 19:28)
[20] その20[FTR](2011/08/13 10:23)
[21] その21[FTR](2010/11/20 00:35)
[22] その22[FTR](2010/11/30 23:52)
[23] その23[FTR](2011/04/07 02:23)
[24] その24[FTR](2011/08/16 16:04)
[25] その25[FTR](2011/01/05 23:11)
[26] その26[FTR](2011/01/05 23:23)
[27] その27[FTR](2011/07/31 23:04)
[28] その28[FTR](2011/08/22 23:58)
[29] その29[FTR](2011/01/28 17:48)
[30] その30[FTR](2011/03/23 21:49)
[31] その31[FTR](2011/09/17 00:34)
[32] その32[FTR](2011/08/22 00:34)
[33] その33[FTR](2011/04/13 12:57)
[34] その34[FTR](2012/03/29 23:34)
[35] その35[FTR](2011/04/30 23:19)
[36] その36[FTR](2011/08/30 00:41)
[37] その37[FTR](2011/08/16 15:27)
[38] その38[FTR](2011/07/14 18:39)
[39] その39[FTR](2011/09/13 09:35)
[40] その40[FTR](2011/10/31 23:57)
[41] 最終話[FTR](2011/10/26 23:37)
[42] あとがき[FTR](2011/08/20 16:24)
[43] リサイクル「その32.5」[FTR](2011/10/26 23:36)
[44] 外伝「その0.9」[FTR](2011/10/17 01:27)
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[21689] その39
Name: FTR◆9882bbac ID:338d20fd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/09/13 09:35
 その日、私は城の方で手配してくれた正装に袖を通した。
 侍女が寄ってたかって着替えさせようとするのを遠慮し、部屋に引きこもって自分で着替える。今さら誰かに着替えさせてもらうのは、生理的に受け付けなくてダメだ。
 服はどれも新品。仕立ての良い白いドレスシャツと黒の上下、スカートは膝丈のものだ。足元は綺麗に磨かれた靴。チョ―カーを締め、最後にマントを羽織る。さすがに今日ばかりは髪を丁寧に梳いて、それに合わせて少しだけ化粧をした。光物は着けない。私の分際を考えると、着飾るべき立場にはないからだ。珍しく櫛を入れた髪のキューティクルが予想以上に光っているからそれで充分だろう。服のデザインは何となく魔法学院の学生服っぽいが、それよりは優雅な感じがする。
 姿見を見ると、相応の着こなしはできていると思う。何となく髪が茶色い古手梨花ちゃまみたいな雰囲気。しかし、これが二十歳過ぎた女の外見かと思うと毎度のことながら凹む。
 最後に髪の跳ねを確認し、自室から出て皆が待つ居間に行くと、全員が目を丸くした。
 逆に私も驚いた。予想以上だよ、皆。

「いや~、化けるねえ、あんたも」

 しみじみとマチルダが私を眺めまわして呟く。

「変かい?」

 私の言葉に、全員が首を振る。

「姉さん、綺麗」

「お似合いです、主」

「ありがとう。でも、正直あんたらと並びたくないよ、私ゃ」

 常日頃、当たり障りのない服しか着ていないくせに、それだけでも十二分に美男美女のオーラを発している面々が凛とした正装を身につけると、その輝きは眩しすぎて正視できないくらいだ。
 ミス・ロングビルを2倍知的にして、土くれのフーケを3倍凛々しくした感じのマント姿のマチルダ。
 妖精のような浮世離れした美しさにさらに磨きがかかり、もはや女神にしか見えないテファ。
 そして圧巻なのが、侍従としての正装を身に付けたディルムッドだ。『輝く貌』とまで言われる神すらひれ伏す美丈夫は、例える言葉が見つからないような男ぶりでありながらも飾らない態度でそこに立っていた。賭けてもいい。こいつに目を奪われない女はどこかに欠陥を抱えているはずだ。お姫様だろうが貴族の奥方だろうが、半ば暴力的にその視線を吸い寄せかねない実に危険な男だ。こいつをそういう目的で他国に送り込んだら、それだけでその国を乗っ取ることくらいできるんじゃないかと思う。クルデンホルフのベアトリスあたりにけしかければ、結構簡単に国盗りが……やめよう、何だかリアリティがあり過ぎる。
 そんな、ビジュアルのパラメータがカンストを起こしている連中だ。並んで立ったら、見た人の認識から一瞬で私は消えてしまうだろう。
 

 案内の侍従は、既に離宮の正面で待っていた。距離が近いので移動は徒歩だ。天気が良く、歩いていて気持ちはいいが、心の中は相変わらず曇り空。
 これから行われるイベントを思うと、どうしても気持ちは晴れない。
 話がどうなって行くのか判らない。だが、これは間違いなく杖によらない戦いだ。

 案内に従って、宮殿の中に入る。裏口から入る辺り、私たちのここでの立場が伺える。
 昔、何度も来たことがある宮殿ではあるが、いかんせん広いので行ったことがない場所がほとんどだ。劇場や図書館、遊技場や音楽室等の施設がある上、来客用の寝室だけでも50を超える宮殿なだけに、下手したら中で遭難できるかもしれないと思うくらいだ。
 その後の殿下の体の方はどうなのかは知らないが、責任感が強い方なだけにもうバリバリと執務をこなしているに違いない。
 そんな殿下の仕事場だが、玉座の間や議場である円卓のある白ホールとは別に、代々の王が政務を行う執務室がある。恐らく、今日の行き先はそこらへんだろう。

 宮殿内では既に多くのスタッフが政権の安定と国内の復興、そして諸国会議の準備のために働いているようで、途中で多くの官僚と思しき貴族や侍従とすれ違う。
 私たちに気づかない者もいれば、気づいて目で追う者もいる。
 パンダじゃないんだから、あまりじろじろ見ないで欲しいのが本音ではある。
 そんな中、ふと見たマチルダの表情が気になった。貴族たちを見る時の、彼女の遠くを見ているような、何かを懐かしむような眼差し。
 その視線が、ちょっとだけ引っかかった。



「こちらにどうぞ」

 案内された先は、ドローイングルームの一室だった。しかし、そこで私は思わぬ珍客と顔を合わせることになる。
 衛兵が両脇を固めるドアを開けて中に入るや、

「あ~~~っ!!」

 という大声が私を出迎えた。聞き覚えのある声だ。そこに、私の知己たる3人の女性と野郎一匹がいた。

「意外なところでお会いしますね、殿下」

 中央で目を見開いているアンリエッタが、驚きを隠そうともしない顔で言った。
 驚いたのはこっちも一緒だ。アンリエッタは判る。私がウェールズ殿下に同席を望んだ人物だ。アニエスも、まあいても不思議はない。だが、その隣で顔面崩壊起こして口をぱくぱくさせているルイズについては私も想定外だった。






 案内されたその部屋で、私は何とも居心地が悪い思いを味わう羽目になった。
 やや表情が冴えないアンリエッタに、その隣に控えるルイズ。そして自然体の私たち。壁際に控えるのはディルムッドとアニエス、そして才人のガーディアントリオ。才人もアルビオンとトリステインを行ったり来たりで御苦労な事だ。

「ちょっとあんた、えらいのと顔見知りなんだね」

 やや顔を引き攣らせたマチルダがぼそぼそと話しかけてくる。

「まあ、これでもあれの従姉だよ、私ゃ」

「馬鹿、『あれ』とか言うんじゃないよ」

 間抜けなやり取りをしている私の脇では、テファが柔らかい視線をアンリエッタに向けている。考えてみれば、この子にとってもアンアンは従姉妹だったね。初めて会う私以外の肉親に思うところもあるのだろう。
 そんな私の思惑も知らず、アンリエッタが口を開いた。

「お久しぶりですね、殿下」

 私に声をかけるアンリエッタは、前にあった時より少しだけ痩せたように見えた。

「陛下にもお変わりなく」

 『お変わりなく』というのは社交辞令。女王陛下は前にあった時より確実に表情が暗い。恐らく、マザリーニに戦死者リストを突きつけられるあのイベントがあったのだろう。悩み、苦しみ、そしてそれを乗り越えようとしている真っ最中。アンリエッタ女王陛下の成長物語第1章と言った感じだ。

「ええ、変わりありません。本当に、変わっていません。我が国の兵たちの多くがこの戦いで命を落としましたのに、何も知らぬまま、のほほんとしておりますわ」

「そうして胸を痛めていただければ、倒れた兵も報われましょう」

「私が犯した過ちは、そんなことだけで報えるものではないでしょう。聞けば、ウェールズ様もお怪我をされたというお話。本当に、ひどい戦だったのですね」

「ひどくない戦と言うのは、聞いたことがありませんよ」

 私が答えた時、ドアが開いた。パリーが慇懃に挨拶する。

「お待たせしました。ウェールズ殿下の到着でございます」

「待たせてすまない」

 続けて現れたのは、すっかり血色がよくなったウェールズ殿下だ。まだ少しだけ包帯が残っているが、足取りを見る範囲ではもう調子はほぼ戻っているようだった。

「よく来てくれたね、アンリエッタ」

 そんなウェールズを見て立ち上がったアンリエッタが、ウェールズ殿下に駆け寄ろうとしてその動きを止めた。俯いたまま、静かに震える女王陛下。感情が勝ちすぎて、何も言えないのだろう。

「ウェールズ様……ウェールズ様……」

 うわ言のように想い人の名を連呼し、その胸に飛び込むでもなくはらはらと泣き始めた。静かに彼の胸に縋りつくアンリエッタを横目に、私たちは示し合わせた訳でもないのに一斉に立ち上がってドアに向かった。どうすればいいのかと言った感じで戸惑っている才人も袖を引いて外に引きずり出した。
 固有結界『二人の世界』には、何人たりとも干渉してはいけないからだ。



 部屋を出た私たちは、すぐ隣のラウンジで時間を潰した。まだ日は高い。本格的にいちゃつくなら夜にするだろうから、そう程なくお呼びがかかるだろう。

「それにしても……まさか院長たちが宮殿にいるとは思わなかったぞ」

 油断なくドローイングルームのドアに視線を向けているアニエスが、言葉を探すように口を開く。まあ、当然出る質問だろう。才人からは何も聞いていないのだろうか。

「あはは、いい女には秘密がつきものだよ」

「あははじゃないわよ!」

 私の言葉にルイズが反応した。

「殿下って何よ。何であんたが姫さまと顔見知りなのよ」

 お気楽に返した私に、ルイズはささくれ立った言葉を投げかけて来る。マチルダやテファに対しても、少しだけ探るような視線を向けている。まあ、今更隠し立てもできないだろう。

「別にお前さんたちを騙しちゃいないよ。正しくは、元殿下さ。今の私は正真正銘、ただの平民だよ。加えていうと、マチルダもテファも貴族の位なんか持っていないさね」

 ルイズを正面から見据え、私は告げた。

「アルビオン王国王弟モード大公の娘ヴィクトリア・オブ・モード。それがこういう場所での私の名前だったんだ。でも、もうその名はアルビオン王室の系譜には残っていないんだよ」

「モード大公の……」

 ルイズがさすがに驚いて呟いた。アニエスも目を丸くして絶句している。才人だけが状況がつかめなくて首を傾げていた。

「つまり……ヴィクトリアって、アルビオンのお姫様なのか?」

「元だよ、元。父のことは、ルイズも知っているだろう?」

「その……処断されたと……」

 ルイズが言いづらそうに答える。

「その通り。もはや絶えて久しいモードの一族の端くれが私さ。だから、今さら殿下とか貴族とかっていうのは、私にはあまり関係がないんだよ。今の私はトリスタニアのヴィクトリア。ただのやくざな町医者さね」

 複雑な顔をするルイズだが、私としてはルイズにもアニエスにもその辺は割り切ってもらいたい。今さら敬語を使われでもしたら、ジンマシンが原因で死んでしまいそうな気すらする。せっかく築きあげてきた私たちの関係を、こんなつまらないことで御破算にしたくない。でも、才人だけは変わらないだろうと思えるのが、何故か嬉しかった。
 そんな私の思惑を他所に、アニエスが口を開く。

「一つ訊きたいのだが、アルビオンの王族に連なる院長が何故トリステインに?」

「それは内緒だ。訊かないでおくれな」

 それきり、アニエスは黙ってしまった。これ以上は自分は踏み込んではいけないと察してくれたらしい。ルイズもまた踏み込んでこない。やはり利発な子だ。訊かれたら答えるけど、彼女らが聞いても退屈でつまらない話だろう。

 そんな会話をしているところに、ドローイングルームのドアが開いた。

「待たせてしまってすまなかったね」

 照れたようにはにかむウェールズ殿下。
 その口に、アンアンが付けているのと同じ色の口紅が付いている事については黙っていよう。その方が後で面白そうだ。

 



 部屋に通され、対面は仕切り直しとなった。
 これが玉座の間ならば我々は膝を屈して相対することとなるが、今は非公式な場だ。応接用のソファに、顔を突き合わせて座ることとなった。

「殿下におかれましては、ご元気そうで何よりです」

「君のおかげだよ」

 私の挨拶に、ウェールズ殿下が微笑む。その隣には、やや顔を赤くしたアンリエッタが微妙な距離で座っていた。パーソナルスペースにおける恋人の距離と言うのは45センチだったっけね。

「もう体調の方は問題なく?」

「問題ないよ。それに、何しろ国の状態が状態だからね。そうそう寝てはいられない」

「お察し申し上げます」

 そんなやり取りを、ルイズが引き攣った顔で聞いている。才人から大体のところは聞いているのだろうが、やはり状況のインフレを素直に受け入れることはできていないようだ。一国の王子と、裏町の町医者がさしで話をしているのだ、無理はないと思う。
 社交辞令もそこそこに、殿下は初手から核心に入って来た。

「ヴィクトリア、君のレポートは読ませてもらった。まさか君からあんな難問を持ってこられるとは思わなかったから、どうしたものか悩んだよ」

「事が事ですので、お悩みいただくのも仕方がないかと」

 殿下の視線が鋭さを増した。

「では、早速だけど聞かせて欲しい。手紙にあった、ミス・ティファニアの虚無について」

 殿下はテファに視線を向け、静かに問うて来た。案の定、それを聞いたルイズの形相が一変する。
 その辺はスルーして、私は話し出した。

 アルビオン、ガリア、トリステイン、そしてロマリアに顕在化する始祖の属性『虚無』。
 その内の一人がテファであることを、私はレポートに書いた。
 そして、それについて証明する必要があるので、できれば虚無を知るトリステインのアンリエッタ女王の同席のもとで話をさせてもらえないかと。それは同時にテファの身の安全のため、アルビオンとトリステイン両国を巻き込むための私なりの方策だった。
 諸国会議への出席のためにアンリエッタがロンディニウムを訪れることは知っていたので、その会議が始まる数日前に話をする場を設けられれば一番効率がいいと思われた。アルビオンとトリステイン両国の後ろ盾を狙うならここでアンリエッタを巻き込んでおいた方が話が早いし、どうせさほど時間をおかずに結婚するだろう二人だ。その際にアルビオンとトリステインがどういう政治形態を取るのか知らないが、深いレベルでの交流が行われる事は間違いないだろう。多少の機密漏れなどさほど問題視されないと思う。
 そう言えば、王様同士の結婚と言えばコロンブスのパトロンだったイサベル1世を思い出すが、国土回復運動レコンキスタを成し遂げたあの女王を思うと、何だか『レコンキスタ』という言葉はその種の縁組に因縁があるのかも知れない。
 
 アンリエッタの同席を望んだ理由はもう一つある。
 問題の虚無の魔法だが、シティオブサウスゴータで披露したとは言え、実際にそれを使って見せろと言われるとテファの魔法は誰かを人体実験の検体にしなければならない。『忘却』は目に見えない魔法だからだ。
 そこで必要なのが四の四の秘法だ。始祖のオルゴールを使って実験をして見せればいい。だが、問題なのは、アルビオンの風のルビーがトリステインに渡っているであろう事だった。これについては水のルビーがルイズの手にあることから、まず間違いなくアンリエッタの手元にあると思われた。アンリエッタ女王の陪席を頼んだのだのはそのためでもある。
 証明のためにはアンリエッタの持つルビーを拝借し、テファがオルゴールの音を聞くことができることを証明して見せればいい。実際、始祖の祈祷書がルイズにしか読めないことをアンリエッタは知っていたと思うので、それと同じことだと思ってもらえれば証明は可能なはずだ。また、この場にルイズまでいてくれたことは、テファの虚無の証明のためにはプラスに働く。

 ルイズがトリステインの虚無だと言う事を知っている事を話した時、さすがにアンリエッタとルイズの目が鋭くなった。現時点では軍の上層部を除いては外部に漏れているはずのない話だが、そこはタルブの戦いの結果と過去に触れた書物、そしてルイズの指に輝く青いルビーから推測したと説明した。これでも元は王族であり、しかも財務監督官の娘だ。ある程度の稀少本に触れる機会はあると思ってくれるだろう。

 大隆起の事については悩んだものの、現時点では話すには時期尚早と踏んだ。その代わり、私のところにのこのこやって来たジュリオを材料にして、ヴィットーリオが虚無を集めてエルフ相手に戦争を始めようとしている事について、邪推の域を出ないと前置きをした上で話す。その無軌道な聖戦から、虚無の担い手たちを守ってもらう事こそが王族二人に期待することなのだと。
 これについては、ウェールズの説得にはアンリエッタを味方に付けることができるだろう。ルイズと言う虚無を戦争に投入したことに引け目を感じている彼女のことだ、争いごとに虚無を用いたくないと思ってくれるはずだ。

 そして、話の信憑性に厚みを持たせるために、これからの展開についても補足する。
 まずは四の四の秘法に関する情報。そして、虚無の担い手の数と、その特徴について。
 虚無の担い手は、全部で4人。皆、メイジでありながら系統魔法が使えないという共通項を持つ。それを聞いた殿下とアンリエッタの顔色が変わった。その脳裏をよぎったのは、恐らく同じ人物の事だろう。
 ガリア王ジョゼフ。無能王と言われた彼が虚無の担い手だと言う事に思い至ったようだ。
 時期的には、今は野望に向かってひた走るヴィットーリオが水面下で密かにジョゼフに接触を始めているころであり、その交渉が決裂した結果ヴィットーリオは対ガリアの聖戦の発動するというのが今後の流れだったと思うが、これについては諸国会議の行方を見てみない事には私の記憶通りに物事が動いているかは何とも言えない。


 私が言えるのはここまでだろう。これ以上の話は、何も知らない二人に話すには荒唐無稽に過ぎると思う。
 一気呵成に情報を叩きつけられ、事の整理に時間がかかっているウェールズ殿下に、私が求める要望は、テファの保護だ。
 私にとっては、何をおいても大切な妹だ。間違っても道具扱いをして欲しくない。その私の願いを聞いたアンリエッタの瞳が揺らぐ。恐らくはルイズを道具扱いした己の非を反芻しているのだろう。

 静かに私の話を聞いていたウェールズ殿下は、少し考え込んでから口を開いた。

「そういうことならば是非はない。我が国はミス・ティファニアを守護することを約束しよう」

「信じていただけるのでしょうか。自分でもかなり荒唐無稽な話と思いますが」

「君ともあろう者が、わざわざこんな手間をかけて嘘を吐くとは思えないよ。アンの表情を見ていても、君の言葉が嘘ではない事が判る」

「誓っていただけますか?」

「もちろんだ。杖にかけてミス・ティファニアの身の安全に全力を挙げることを誓おう」

 杖を掲げる殿下に、私の思惑の第1段階は終わった。

「では、改めて紹介しましょう。私の妹のティファニアです。お二人にとっても従妹にあたります」

「は、はじめまして。ティファニアと申します」

 いきなり話を振られて慌てたように挨拶するテファの様子を見ていると、とてもではないか世界を背負う運命の担い手とは思えない。
 後は、私の言葉を証明するだけだ。始祖のオルゴールを用意してもらい、アンリエッタが嵌めていた風のルビーを拝借する。テファに目隠しをして後ろを向いてもらい、ウェールズ殿下自らにオルゴールの開け閉めをやってもらう。そして、音が聞こえたところで手をあげてもらう聴力検査のような実験をした段階で、ウェールズは唸りながら私が言ったことに確信を持ってくれたようだ。

 アンリエッタに問われて、ルーンと共にオルゴールが奏でる調べの内容をテファが語る。
 それは、4つの使い魔の歌。

 
  神の左手ガンダールヴ。
   勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右につかんだ長槍で、導きし我を守りきる。
  神の右手がヴィンダールヴ。
   心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
  神の頭脳はミョズニトニルン。
   知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を詰め込みて、導きし我に助言を呈す。
  そして最後にもう一人。記すことさえはばかられる。
  四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた。

 
 ここからが、最後の関門だ。
 虚無の担い手である事を納得してもらえた時点で、私はテファにフェイスチェンジのイヤリングを外すように告げた。震える手でそれを外すテファ。そして、久しぶりに人の目に触れるテファの耳。
 それは、モード大公の遺児であることの証でもある。
 アンリエッタとルイズ、そして才人が息を飲んでテファの耳を見つめていた。何を言おうにも、もう遅い。ここに、居合わせた全員が認める虚無の担い手はここに存在する。エルフ問題は国策に重大な影響を与えるが、虚無の担い手と言う事実はそれよりさらに重要なファクターだ。
 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。すなわち、トリステインの虚無の担い手が挙げた奇跡のような功績の数々が、その天秤の傾斜を大きく左右している。その事実を踏まえて考えると、虚無と言う属性は為政者にとっては前世の感覚で言えば核保有にも似た甘美な魅力を持つ。エルフだからという一言で切り捨てることなどできるはずがない。

「ご納得いただけたところで、今後の措置について進言させていただきます。願わくば、テファをアルビオンの虚無の担い手として公認いただくとともに、トリステイン王国におかれましてもミス・ヴァリエールと同様の処遇をお願いしたく思います」

「トリステインも?」

 これに驚いたのはアンリエッタだった。

「現在の私たちはトリステイン王国の臣民ですので。また、トリステインは同じアルビオンの同盟国であるゲルマニアと異なり既に虚無の担い手がいることから、虚無の扱いについても信頼に足るだけの経験を有しておられ、そしてその重要性について一番ご存知の国。ご厚情を賜れましたら幸いです」

 少しだけ考えてから、アンリエッタは頷いた。

「虚無と言う以前に、ティファニア殿は私の従妹です。どうして無碍に扱えましょう」

「ご厚情、心より感謝を」

 すました謝辞を返しながら、私は心の中で拳を握っていた。アンリエッタならばこう答えるだろうと思っていた。取り敢えず、トリステインの庇護はこれで確保できた。

 だが、問題はここからだ。
 そんな私の表情を窺うような面持ちで、ウェールズ殿下は少し間をおいて言った。

「ヴィクトリア、一つ尋ねたい。君は今、ミス・ティファニアをアルビオンの虚無と言ってくれた。そのことが何を意味するかは判っているね? 君は彼女を大切にしていると聞いているが」

 深度数千メートルに沈んだような重い圧力が、全身を押しつぶすように圧し掛かってくる。
 言いたくもない事ではあるが、私はそれを言わねばならない。

「希望を言えば、今まで通りトリステインで一緒に暮らしたいとは思いますが……そのような我儘は、言える状況ではないことは理解しております」

 最後の未練が、言葉になって私の口から零れ落ちた。だが、私の言葉を聞いていたウェールズ殿下は、予想通りに表情を渋らせた。アルビオン、ガリア、トリステイン、そしてロマリアに虚無は顕在化する。その虚無を、海外にみすみす渡すことは国益の観点からもありえない。為政者として、取るはずのない選択肢だ。

 そして、その口から出て来た答えは、私が予想し、恐れ、そして一番聞きたくないものだった。

「アルビオンの虚無の担い手ということとなると、やはりアルビオン国内に滞在してもらわなければならないだろう。そうでないと、円卓に座る大臣たちの支持を得ることは難しいと思う」

 殿下の言葉が、静かに耳朶に染み込んでくる。
 やはり超えることができなかったハードルに、内心で落胆した。
 仕方がないことだ。絶対王政の国体であっても、輔弼する大臣たちを蔑にしては国政が立ち行かないことは私にも判る。
 だが、落ち込んではいられない。最善がダメならば、次善だ。それに対抗するためのカードを、私は一枚だけ携えてこの場に乗り込んで来ている。
 私にとってはまさに切り札。一枚しかない、テファを一人にはさせないための至高のエースだ。

「それは仕方がない事と思います。それにつきまして、一つ、私の要望を聞いていただきたく思います」

「要望?」

 怪訝な表情をする殿下を見据えたまま、私は告げた。

「ディルムッド」

 私が壁際の忠臣に声をかけると、ディルムッドは静かに一歩前に出た。

「この者は、我が杖と名誉にかけて、古今無双と請け負う兵です。名乗れ」

 私の言葉を受けて、ディルムッドが名乗る。

「御意を得まして光栄に存じます。ヴィクトリア殿下の臣、ディルムッド・オディナと申します。どうぞお見知りおきを」

 改めて見る美丈夫の姿に、少しだけアンリエッタの頬が赤く染まっている。
 だが、この男の真価に比べれば、面構えなぞグリコのおまけのようなものだ。

「この者の実力については、ミス・ヴァリエールとその使い魔たるミスタ・ヒラガに問えばいくらでも語ってくれることでしょう。一度槍を持たせれば、相手が精兵1個軍団であっても後れを取りません。ティファニアをアルビオンにてお預かりいただくのであれば、何卒この者を虚無の担い手専属の衛士として侍らせることをお認めいただきたく思います」

 事の展開に、さすがにティファニアのみならず、私とマチルダ以外の全員が目を丸くして驚いていた。
 メイジと使い魔は一心同体。私の魂の欠片とも言うべきもの差し出しているのだから驚くのも無理はない。
 テファが私たちの元を去らねばならなくなった場合の、私が己が身を切って提示できる最後のカードがこれだ。
 ルイズに才人がいるように、テファにもまたガードは絶対に必要になる。あの垂れ目が、嬉々としてテファを的にしている夢を見て以来、常に考えてきたことだ。
 しかし、アルビオンにあっては私には心から信頼できる武辺者がいない。雑兵では話にならない。何かあった場合にテファの身を守りたり得る精兵、最低でもワルドくらいの実力者が欲しかった。
 そういう想定において、何を置いても私が信頼する者がこの男だ。その槍の冴えは無双にして無敵。敵がよほど嫌らしい搦め手で来ない限り、騎士ディルムッド・オディナはテファにとって、まさに『絶対不落の真なる守り手』たり得るのだ。
 何より、彼と私はパスで繋がっている。彼を介すれば、テファとの会話も可能だ。彼がテファの近くにいてくれれば、テファを孤独の中に置き去りにするようなことをしなくて済む。

 彼の説得には私とマチルダの二人で当たった。
 最初、話を聞いたディルムッドは少しだけ悩んだようだった。本来は私の身を守るべき存在の彼が、身内とは言え違う人物を優先しなければならないのだ。彼の流儀に照らせば判断に苦しむところだろう。そこを私とマチルダは低頭して頼みこんだ。我が身よりテファの方が大事な私だ。譲る訳にはいかない一線だった。
 そして、私とマチルダの伏しての頼みを、無碍に断るほどの浅い付き合いを私たちはして来ていない。
 長く考えた末、彼は首を縦に振ってくれた。
 騎士であり、臣下である以前に、彼にとってもまた、テファは家族なのだ。
 
「この要望が通らなかった場合、私はテファの身柄を攫ってこの国を脱出することすら選択肢とするでしょう。どうか、お許し賜わりますようお願い致します」

 半ばねじ込むような私の要望に対し、ウェールズ殿下は少しだけ考えて、首を縦に振った。






 

 その夜。月明かりの下、記憶にある道を辿る。宮殿だけあって警備は相応に厳しいが、離宮から宮殿の庭に至る道には特に警備は配置されていない。
 宮殿の方では、非公式ながらも他国に先駆けて訪れたアンリエッタの為に、ささやかながら宴が催されているようだ。夜会としては私が知る規模とはかけ離れた小じんまりしたものだが、国の重鎮が集まり、ホールにおいては華やかなダンスも行われている気配がする。
 そんな楽の音を遠くに聴きながら、夜の庭の片隅。一本の大樹の下に出る。
 大きなスリジエの樹。いつも伯父上と一緒に見上げていた桜だ。

 久しぶりだね、親友。

 ごつごつした幹に両手で触れると、樹があの頃と全く変わらぬ感触で私を迎えてくれる。何気なく手を置いた表面の凹みは、あの頃と同じ高さでそこにあった。本当に、私の体は成長が止まっているのだと実感する。
 掌を通して、あの頃聞いていた水の音を今一度感じた。
 こぽり、こぽり、と水が汲み上げられていく音がするが、夜だけに水の勢いが弱いためか、少しその音は静かだ。
 庭を見れば、月の光の蹂躙を免れた闇が静かに美しい。微かな風に、積もった枯れ葉が音を立てる。
 その音に混ざるように、静かに自分の中の深いところに沈めていた気持ちが心に圧し掛かってくる。
 テファとの別れは、否応もなく一つの事実を私に突きつけて来た。
 自覚がなかったわけではないが、間違いなく、私はテファやマチルダ、そしてディルムッドを心の支えに生きて来た。
 言い換えれば、それは依存だ。
 いくら粋がって見せても、所詮、一皮むけば私は一人で生きる術を知らない脆弱な女に過ぎない。
 そんな私を支えてくれていた柱であったテファとディルムッドが、私の前からいなくなる。その事実が、どうしようもなく私を蝕む。
 いっそ、ウェールズ殿下を見殺しにして、私が王の座に就けば良かったのではないかとすら思う。
 『蛇の毒は、あとからゆっくりと効く』と言った悪役がいたっけ。
 今の私はそんな感じだ。
 あの日にジュリオによって注がれた『状況』と言う名の毒が、私の全身に回っていた。
 
 幹に額を付け、私はきつく目を閉じた。
 より鮮明に聞こえてくる、水の音。
 こぽり、こぽりと。
 いつだってそうだ。
 辛い時は、こうやって命を育む水の音を聞いて自分を宥めてきた。

 でも、さすがにこれは、今回は、ちょっときつい、かな。
 やはり、この世界は、辛いことが多すぎる。



「……辛いです、伯父上」




 呟きは静かに、闇に吸い込まれて消えた。















 足音に気付いたのは、スリジエに縋って5分も経った頃だった。

「こんばんは、ヴィクトリア」

 振り向くと、そこに正礼装を身に付けたウェールズ殿下が立っていた。何で私がここにいると判ったのだろう。ホストが抜け出してきて何してるんだか。
 慌てて礼を取る私に、ウェールズ殿下が呆れたように言う。

「君は何度頼んでも、そういう他人行儀な真似をやめてくれないね」

「そうは言われましても」

「今宵は無礼講だよ。そうだ、もし良ければ会場に来てくれないか。ダンスの相手をしてくれると、嬉しい」

「その儀ばかりはご容赦を」

 あの頃ならいざ知らず、今うっかりそんなものを受けたら、アンリエッタが私に向かってオクタゴンスペルをぶっ放して来るだろう。私とて、まだ死にたくはない
 別に私は踊れない訳ではなく、ダンスについては一応一通りの事は覚えている。あくびが出そうな淑女教育の一環で子供のころから叩き込まれてきたし、トリスタニアに渡ってからはテファに教えるために幾度となく反芻していた。テファの相手をしてたので、むしろ男のステップの方がうまくなったのは変な感じだが。そして、まだ私が知らなかったステップについてはマチルダに教わった。あの姉は何気にのりが体育会系なので、私とテファが失敗を繰り返すうちにボルテージを上げてしまい、その内鞭まで取り出しかねない勢いだった。そんなマチルダは、威張るだけあって見事なダンスマスターで、当然のようにダンスもこなす芸達者なディルムッドと組んで踊って見せた時には私もテファも思わず拍手してしまった。これについては、ディルムッドから聞いた話だが、私たちに教えるため、密かに工房で彼を相手に復習を繰り返していたらしい。何とも可愛い我が姉だ。
 そんな私に微笑みながら、ウェールズ殿下が口を開く。

「ははは、またフラれたね。初恋は叶わぬと言うが、なるほど、先人は上手い事を言う」

 ……何を言い出すんだ、この殿下は。

「お戯れを」

 確かに、幾度か殿下にお誘いを受けた記憶はあるが、彼とは一度も踊ったことはない。モテる殿下はいつもいろんな女性にまとわり付かれていたのだ。私なんぞ気にかける必要もなかっただろうに。
 そんな思惑を余所に、殿下が言った。

「ところで……まだ君に礼も言っていなかったね」

 そう言って、ウェールズ殿下は、折り目正しく礼の姿勢を取った。

「あの時はありがとう、ヴィクトリア。君は命の恩人だ」

 真正面からの謝辞がくすぐったくて、私は頭をかいた。

「これでも治療師の端くれです。当然の事をしたまで、と申しあげておきます」

「それでも、私は君に感謝をしている」

 言葉を続ける殿下だが、その表情に重苦しいものが浮かぶ。

「それなのに、私は恩知らずにも君から大切なものを奪おうとしている。正直、どう君に報いればいいか判らない」

「……殿下は、為政者として、当然の責務を果たしておられるだけと存じます」

「そう言ってもらえると、救われるよ」

 そう言って殿下は少しだけ笑った。

「今回のことについて、褒賞については相応に用意させてもらうけど……褒賞とは別に、何か、私が君にしてあげられることはないだろうか」

 問われて一瞬、言葉に詰まった。
 願いがないわけでは、もちろんない。
 
『テファを、取らないで下さい』

 そう言えたら、どれほどいいだろう。だがそれは、もはや叶うことのない儚い希望だ。
 だから、私は精一杯の虚勢を張って嘘を吐いた。

「私の事はいいのです。その分、テファを大切にしてあげて下さい。芯の強い子ですが、人間関係では弱いところもある子です。できればあの子の笑顔が曇る事がないよう、取りはからって欲しいと思います。どこかに閉じ込めっぱなしと言うのだけはやめて下さい。それと、できれば歳の近い、打算なく付き合ってくれる友人も紹介してあげて欲しく思います」

「それはもちろん手当てしよう。だが……」

 そう言って、殿下は深い目を私に向けて来た。

「君の笑顔が曇ったままでは、ミス・ティファニアの笑顔も曇ってしまうのではないだろうか」

「……仰る意味が解りません」

「ミス・ティファニアは、君にとって大切な身内だったのだろう? 彼女にとっても君は大事な人だったようだ」

 彼が自分の言葉の意味を把握しているのか知らないが、彼が告げる言葉は、私にとってはあまりに酷なものばかりだった。

「……私では、あの子を守ってあげられませんから」

 崩れていく無表情と言う名の仮面を、必死に補修しながら私は応じる。それでも、殿下の追撃はやまない。

「君が彼女と離れて暮らしても平気だと言うのなら、私もこれ以上何も言わない。だが、できれば、本音を明かしてもらえないだろうか。彼女を引き受ける者として、私には君の気持ちを受け止める義務があると思う」

 もう、やめて欲しかった。これ以上やせ我慢を続けるにも、私にだって限界がある。
 だが、殿下は容赦なくとどめを刺しに来た。

「ヴィクトリア、私には今の君は、泣いているように見えるのだ」

 言葉は、刃だ。その刃が、私を支えていた細い糸の、最後の一本を断ち切った。
 押し寄せる感情の荒波の前に、理性の防波堤が、静かに崩れた。





「……平気な訳、ないじゃないですか」





 一度堰を切ってしまえば、もう止まれない。私の喉から漏れたそれは、怨嗟の声だ。

「辛くない訳、ないじゃないですか」

 地の底から響くような私の言葉に、殿下は少しだけ驚いたようだ。

「この国で、私がどんな思いをして来たか、どんな辛酸を舐めて来たか、殿下は御存じでしょう。人々からは生まれを蔑まれ、身内からもひどい仕打ちを受け、城と言う名の牢獄に閉じ込められて。いいことなど何もない、ただ息をするだけの、死んだような毎日でした。そうして送った十余年の生き地獄の果てに、ようやく出会えたひとかけらの温もりが、あの子でした。あの子の笑顔に、私がどれほど救われてきたか。どれほど励まされてきたか。殿下には、いえ、誰であっても理解してはいただけないでしょう」

 それは、静かな絶叫であり、穏やかな慟哭だった。
 自分でも抑えが効かない言葉の波が、夜に静かに染み込んでいく。
 
「私にとっては、王族の生活など空っぽでした。私が欲しいものなど、何一つありはしない空虚な世界でした。この身を飾る宝石やドレスも、食べ切れないほどの御馳走も、楽師が奏でる優雅な調べも、傅いてくれる多くの人々も、下の者を顎で使える権力も、何一つ欲しくなどありませんでした。私はただ、笑顔で日々を送りたかっただけなのです。朝日と共に目覚め、人々の為に働き、その対価として身の丈に合った糧を得て、大好きな人たちと一緒に御飯を食べ、他愛もない会話をしながら、明日と言う日が今日と同じように穏やかな日であると信じて眠ることができるような、そんな生活がしたかっただけなのです。あの子たちと出会い、トリステインに逃れ、私はやっと笑う事が出来たのです」

 負の電荷を持った心の欠片が両の目に結露して、静かに落ちていく。
 ぽたり、ぽたりと。

「あの子たちとただ静かに暮らしたいと思う事が、そんなに大それた望みなのでしょうか。この身には過ぎた幸せなのでしょうか。王家に関わる全てのものに、私は欠片ほどの未練もありません。王位の継承権はおろか、貴族と言う地位すら、私には必要のないものです。ただ、皆の笑顔を見ながら送れる穏やかな日々があれば、他に何も要らないと言うのに。それでも、私はあの子を失わねばならないのでしょうか」

 ウェールズ殿下に叩きつける筋合いのものではない非難を、私はただ静かに叫び続けた。それは、愚痴であり、やつ当たりだった。こんなことをしてしまった事を、恐らく、私は後できっと後悔するだろう。しかし、判っていても零れ続ける言葉は止まらなかった。

「何故、アルビオンには、この国には……悲しいことしかないのでしょうか」

 身勝手な女の、愚にもつかない一方的な泣きごと。それらをただ、殿下は静かに聞いてくれていた。
 まるで罪を己の身に刻むように。私の吐きつける毒を、一言一句噛み締めるように。

 遠くに聞こえる楽の音は、ラストダンスの曲に移ろうとしていた。吐き出したいものをあらかた吐き出し、少しだけ冷静になれた私は、呼吸を整えて首を垂れた。

「すみません。私は、テファの保護をお願いする立場なのに……」

 そんな私に、殿下は静かに首を振った。
 そして、

「すまない」

 それだけ告げて、殿下は深々と頭を垂れた。
 いつか、マチルダに対して私は王家を代表して詫びた事があった。今の殿下は、まさにあの時の私と同じなのだろう。アルビオン王国を代表して、彼が私と言う個人に頭を下げていることが、私には判った。
 ここまでしてでもテファと言う存在を求めねばならぬほど、彼もまた厳しい立場にあるのだと理解した。
 泣いてすがれば何とかなるのなら、私は幾らでも無様になれるだろう。
 靴を舐めろと言うのなら、素材がふやけるまで舐めても見せよう。
 だが、殿下が告げた一言からは、全てがもはや感情が入り込む余地のない次元で決着しているのだということが感じられた。
 どうにもならない、見えない敵。それが『現実』と言うものだった。



 新たな登場人物の声を聞いたのは、その時だった。

「ルイズ~、殿下は見つかったか~?」

 やや離れたところから聞こえてきたのは、才人の声だった。
 声の方を振り向いた時、庭木の影に慌てて隠れる白いものが見えた。
 小柄なそれは、恐らくルイズ。アンリエッタに言われて殿下を探しに来ていたのだろうか。
 気付かなかった。私としたことが。今の話を聞かれただろうか。

 潮時を悟り、私はウェールズ殿下に向き直って一礼した。

「御無礼の段、平に御容赦を。ですが、どこにあっても、この身がティファニアを案じていることだけは心の片隅に留め置いていただけましたら幸いにございます」

 それだけ告げて、私は殿下の返事も待たずに踵を返した。
 足早にその場を立ち去り、離宮に戻る。
 噛み締める現実を受けて、早足が、やがて駆け足に変わっていく。

 今夜の涙は、いつまで経っても止まってくれなかった。








 転がり出した運命は、石のように坂道を落ちていく。

 翌日、私たちは今一度殿下から呼び出しを受けた。
 今度の場所は謁見の間だ。今回はアルビオン王国としての正式な呼び出しと言うことだろう。

 機能性を重視したシックなデザインのその部屋で、会見は定刻通りに始まった。
 居並ぶ私たちに、殿下は椅子に座ったまま事の次第を口にする。

「足労をかけてすまない。今日は、今後の君たちのことについて話さなければならない」

 居住まいを正してウェールズは口を開いた。

「今回のシティオブサウスゴータでの君たちの働きは、私としても大いに評価をしたいと思っている」

 そう言ってウェールズ殿下が鈴を鳴らすと、侍従の男が何やら書状をもって入って来た。恐らく、褒賞の目録だろう。

「まず、ヴィクトリア。これが私なりの感謝の形だ。受け取って欲しい」

 渡された書面には、目が飛び出そうな金額が書いてあった。
 びっくりして口の中が乾いちゃったよ。
 私を国持ちにでもしたいのですか、殿下。
 
「こんな大金、いただけません。それに、今のアルビオンの復興には、お金はいくらあっても足りないでしょう」
 
 私の言葉に殿下は頷いて肯定の意を表す。

「恥を忍んで言えば、厳しい事は否定できない。だが、君の功績はそれだけの価値があるものと判断した。どうか納めて欲しい」

 私は少しだけ躊躇い、そして口を開いた。

「では、これはこのまま無期限の債権として国庫にて運用いただきたく思います。基金化していただいても構いません。アルビオンの役に立つよう、仔細は財務卿の判断で取り決めて下さい」

「そうさせてもらえるとありがたい。望むままにしよう」

 そして、次に出てきた言葉は、ある意味予想の範囲内のものだった。

「これに合わせて、君の無断帰国の咎は特赦により免ずる。その上で、1週間以内に国外に退去してもらいたい」

 私の家人全員が身を強張らせた。だが、これは為政者として当然の判断だと思う。
 それでいい。公私はあくまで切り分け、涙を揮って馬謖をも斬る度量。例え功績がある女でも、特例を作らない。それこそが、ウェールズ殿下に期待した、そしてアンリエッタには期待できなかった為政者としての采配だ。

「御意のままに」

 私の言葉に、少しだけ殿下の表情が曇った。その辺は、まだ甘さが残るかな。これくらいのことは、眉一つ動かさずに言い渡して欲しい。
 殿下の言葉が続く。 

「次に、ミス・ティファニアについてだが……」

 テファの体が震えた。

「この宮殿の寺院にて立場を預からせてもらいたい。身分は王室付きの神官職を新設する。監督保護についてはアルビオン王家の名において政府が責任をもって行う。それと、軍に新たに私直属のミス・ティファニア専属の近侍を置く。位は騎士だが、権限は将軍と同等のものを与える。ミスタ・オディナ。貴公にはそれを頼みたい」

「光栄に存じます」

 私の後ろで、ディルムッドが首を垂れた。
 私としても、これで一安心だ。
 これで彼はようやく名実ともに騎士として胸が張れるはずだ。やっと日の当たるところに、彼を送り出せた思いだ。不出来な主として、英傑に不似合いな仕事ばかりをお願いしてきた分を、そこで取り戻して欲しいと思う。
 失うものはあるかも知れないけど、私自身が引け目を感じていた物を新たに手にできるというのなら、今回の収支はそう悪くないと思う。この時まではそう思っていた。
 だが、その収支は、次の殿下の言葉で一気に巨大な債務超過に陥った。

「最後に、ミス・マチルダ。君にはこれを受け取って欲しい」

 マチルダに渡された書状は、私のそれとはいささか体裁が違うものだった。
 何が書かかれていたのかは知らないが、読むうちに、マチルダの表情がみるみる内に険しくなって来る。

「……お戯れは困ります」

 かつて聞いたことがないほど、マチルダの声は堅かった。そこにあるのは、怨嗟だ。
 何が起こっているのだろう。隣で見ていて鬼気を感じるほどだ。

「厚顔であることは承知している。しかし、それしか私には君に対して報いる術を思いつかないのだ」

「マチルダ……」

 震える彼女に呼びかけると、マチルダは紙面を私に差し出してきた。
 テファと一緒に、その書面に目を落とす。
 そこには、マチルダに対する子爵位の叙爵とサウスゴータ地方太守への任命、そしてマチルダの父君に対する名誉回復の文言が書かれてあった。


 その意味を理解した時、私もまた手が、膝が、そして全身が震えた。


 こう来るか。

 昨日の話を理解したうえで、こういうことをして来るのか、ウェールズ・テューダー。



 噛み締めた奥歯が音を立てる。瞬間的に爆発しそうな感情を、必死になって私は押さえつけた。
 これに書かれていることは、つまり、マチルダをアルビオンに貼り付けるということだ。爵位と領地を持つならば、当然そこに対して責任を持たねばならない。マチルダがそれを受けた場合、彼女の性格からして、それをほったらかしにするような無責任な真似をするはずがない。
 これをマチルダが受けた時、私はテファとディルムッドだけでなく、マチルダをも失わねばならないのだ。
 世界から、急速に色が抜け落ちていくような気がする。あの日、皆を家族と思えた瞬間から鮮やかな色彩に彩られていた世界が、まるで幼少期の時に見ていたような無味乾燥としたものに還元されていくようだ。
 妙に現実が遠く感じる。
 去来するものは、音のない牢獄に閉じ込めらたような、名状しがたい喪失感だった。

 しかし、そんな奈落に沈みかけた私を踏みとどまらせたものは、私の隣にいるマチルダがあげた微かなうめき声だった。
 彼女の顔に、見たこともない表情が浮かんでいた。
 その作り物のように感情が抜け落ちた顔の向こうに見えるのは、彼女の中の葛藤だ。
 マチルダが、苦しんでいる。
 間違いなく、今一番苦しんでいるのはマチルダなのだということを私は理解した。
 うぬぼれのようだが、恐らくは、これを受けてしまった場合にトリステインに一人残される私のことを思ってくれているのだろう。彼女は、そういう人だ。いつだって、知らないところで私を支えて来てくれた、優しい女性だ。
 あの夜、砕け散った私に、歯を食いしばって伯父上への許しを口にしてくれたマチルダ。
 あの時の彼女の手の温もりの記憶が、私の感情にブレーキをかけた。


『それでも私は、私を気遣ってあんたが辛い方が……嫌だよ』


 彼女だけじゃない。
 あれほどまでに私を思いやってくれた彼女が私を思って苦しむことは、私だって受け容れ難いのだ。
 考えるまでもない。やるべき事は一つしかありはしない。
 今度は私が彼女の背中を押してあげる番なのだ。
 今は、考える余裕を作るべきではない。思うより、まずは行動。
 感情を簀巻きにして心の中の『保留』の箱に放り込んで、私は顔を上げた。

「すみませんが、お断……って、何だい」

 一息に答えを言おうとしたマチルダの袖を引っ張りながら、私は声をあげた。

「ちょっとおいで。殿下、ちょっとだけ失礼します」

 私はマチルダの腕を取り、部屋の外に彼女を引きずり出した。
 何事かと言うような顔で私を見るマチルダを真正面から見据え、ゆっくりと息を吸ってから告げた。

「マチルダ……この話、受けな」

 単刀直入に言う私に、マチルダは少しだけ呆気にとられ、次いで火のような目を向けて来た。

「嫌だね」

 マチルダらしい、きっぱりとした物言いだったが、ここは私だって譲れない。

「そこを曲げて頼みたい」

 食い下がる私に、マチルダが歯を剥いた。

「あんた、私の気持ちを知ったうえで言っているのかい?」

「もちろんだよ」

 そう言う私の襟首を、マチルダは掴みあげた。

「親の仇が差し出してきた施しを、喜んで受け取れって言うのかい」

「ウェールズ殿下は伯父上じゃないよ。一族郎党を許せないというのなら、私だってあんたの仇だよ」

「……」

 マチルダの視線を受けて、顔に穴が開きそうだ。

「後生の頼みと思ってくれていい。そのために私を恨んでくれても構わない。貴族に戻るんだよ、マチルダ」

 貴族に対するマチルダの本音については、微かに記憶にある。
 あれはマチルダとチャッカマンとの話の時だっただろうか。
 貴族であった頃の自分を夢想し、マチルダが自嘲するようなシーンがあったように記憶している。
 昨日、この宮殿に入った時もそうだ。あの目は、悔恨の目だったように思う。
 彼女の中のどこかに、貴族だったころの幸せな記憶が燻っていることを私は知っているのだ。
 だからこそ、私はここで引くことはできない。
 私は、モード大公の娘なのだ。

「あんた……」

 答えた私に向かって、マチルダが手を振り上げた。当然、受け入れなければいけない彼女の怒りだ。目をそらさず、その手を受けるつもりでマチルダを見つめ続けた。

「姉さん、ダメ」

 聞こえたのは、テファの声だ。追いついてきた彼女がマチルダの腕にすがりついて、振り上げた手を止めてくれていた。
 しばらく震えていたマチルダだが、やがてその手は力を失い、マチルダは疲れ切ったように私の襟を離した。

「どうしてさ……どうしてそんなこと言うのさ」

「あの目録に書いてあったことは、どれも父があんたから奪ってしまったものだからだよ」
 
 モード大公の臣下であるマチルダの父君。父の頼みを受け、テファ親子を受け入れたがために地獄の業火に焼かれてしまった忠義の人だ。その彼は父と同様、今に至るまで逆賊とみなされ、まともな扱いは受けていない。だが、元をたどれば一連の出来事の原因は父にある。マチルダの御尊父はその頼みを聞いただけであり、その行動の本質は忠義であったにすぎない。汚名は、もう充分に浴びた。アルビオン王国復興の恩赦として、名誉回復をしてもらってもばちは当たらないはずだ。

「家名も、名誉も、私の一族があんたから奪ってしまったものだよ。だから、返してあげたいんだよ、モード大公の、父の娘として。あんたからすべてを取りあげてしまう原因を作ってしまった者の娘として、あんたに返してあげられるものを全てね。御尊父自身をお返しできない事は許してもらいたいけど、せめて、彼のお墓くらいは建ててあげて欲しいんだよ」

「だからって……あんた、平気なのかい。こんなことされたら、私だってアルビオンから出られないじゃないか。あんた、独りぼっちになってしまうよ」

 この期に及んでも、なお私のことを気遣ってくれるマチルダに泣きそうになった。
 そんなマチルダだから、ここで私は一世一代の強がりを口にできるのだ。

「離れたと言っても、同じ空の下じゃないか。それとも、あんたは距離が離れると私との縁は切れちまうのかい?」

「馬鹿……本当に……本当に馬鹿だよ」

 そのまま、マチルダは膝をついて顔を覆った。


 マチルダが、再びマチルダ・オブ・サウスゴータになった経緯は、そのようなものだった。






 残された1週間と言うのは、お世辞にも長いものではなかった。
 ロサイスまでは馬で2日。正味5日の間に、あれこれと出発の準備を進めなければならない。
 移動についてどうしようかとあれこれ考えていたら、ロサイスまではパリーが馬車を用立ててくれた。
 公費は使えないだろうから、これは彼の私費なのだろう。
 フネくらいは自前で何とかしようと思ったのだが、これについてはトリステイン王室から厚意をいただけた。ルイズたちが帰国するのに合わせて回されるフネへの搭乗を許してくれた。至れり尽くせりで、何とも申し訳ない限りだ。
 
 残る時間、誰が言うともなく、皆で一緒に過ごした。
 恐らくは、4人で過ごせる最後の時間だ。
 いろいろなことを話した。
 アルビオンの3人のこれからの事や、トリステインでの私の事。
 私が知る限りのレシピを書いてテファに渡し、宮殿の料理人を泣かせてしまえとけしかけたり、新たに下賜されたマチルダの領地の地図を見ながらあれこれ内政のことを夢想したりもした。
 楽しい時間は、駆け足で過ぎ去る。
 最後の夜、私たち女三人で同じ部屋で眠った。ディルムッドも一緒にどうかと提案したが、残念ながら固辞された。
 今さら照れる間柄でもないだろうが、彼の中のルールを無理に捻じ曲げてもらう訳にはいかなかったので我慢した。
 夜更けまで、本当に取り留めもないことを話した。
 その一言一言を噛み締めるように耳を傾け、そのすべてを胸にしまって私は眠りに就いた。







 ロサイスの軍港に停泊しているフネは大きかった。
 ヴュセンタール号にでも乗れるのかと思ったら、さすがにそこまですごいフネではなかった。
 とはいえ、私が乗るには充分すぎるほど立派な客船で、風格も上品な、トリステインらしいデザインのフネだった。

 
 桟橋の下で、私は見送りに来てくれた皆と向き合った。
 マチルダとディルムッド、そしてテファ。監督員として、パリーが同行してくれていた。
 そのパリーの表情が、苦悶に歪んでいた。

「殿下……本当によろしいのですか、これで」

「殿下はおやめよ、爺」

「しかし……」

「すまないね。でも、私もこれが一番いいやり方だと思う。しょうがないんだよ」

 私の言葉に、パリーは嗚咽をこぼし出した。

「悔しゅうございます。悔しゅうございますぞ」

「その言葉、墓場まで持っていくよ。今までありがとう、爺。爺に出会えて、本当に良かったと思う。いつまでも元気でね」

 爺を抱きしめると、ついに大声で泣き出してしまった。
 その隣で、マチルダは肩をすくめていた。

「心配だよ。あんた、一人だと生活破綻しそうだからねえ」

「まあ、何とかやってみるよ。皆の家なんだ。ちゃんと掃除もしとくからさ」

「できれば、工房の掃除も頼むよ」

「ああ、ちゃんとやっておく」

 そういって握り拳を差し出すと、笑ってグータッチを返してくる我が姉。
 領地経営は工房経営より大変だろうから、体を壊さないように気を付けて欲しい。

 その隣で、直立不動のディルムッド。
 これからは、私の耳と口になって動いてもらうべき忠臣だ。
 そんな彼だから、伝えるべきことは一言で済む。
 
「今さら、お前に対する信頼を口にしてもくどいだけだろうね。テファを、頼むよ」 

「一命に代えましても」

 恭しく礼を返す彼にも、またグータッチで応じる。


 最後が、テファだった。
 そんな彼女の表情は、完全に混乱しているようだった。言いたいことと感情が、うまくリンクしていない感じだ。

「私、私ね……」

 ただ、言葉を探すようなテファ。
 こう言う時には、言葉は要らない。
 私は、できるだけとびきりの笑顔で、両手をテファに広げた。

「はい」

 それが、テファの最後の壁を崩してしまったのだろう。
 表情が一気に崩れ、泣きながら抱きついてくるティファニア。
 そう言えば、初めてあった時もこうやって抱きしめたっけ。
 あの頃は身長はあまり変わらなかったのに、今は何だか大人と子供みたいだ。
 体が丸みを帯び、顔立ちも幼さより優しさが表に出た感じの立派な女性になったティファニア。
 できれば、ずっと一緒にいたかった。
 テファやディルムッドやマチルダ、たまにジェシカや才人やルイズもいる場所で、いつまでも暮らしていたかった。
 その場所で、笑って、泣いて、時にはちょっとだけ喧嘩して。
 嬉しかった。
 楽しかった。
 そして、幸せだった。
 そんな他愛もない日々さえあれば、他に何もいらなかった。
 同時に、判ってもいた。
 そんな幸せも、決して永遠に続くものではないということを。
 かりそめの幸せは、もう期限切れ。残念だけど、私はここで脱落だ。
 でも、テファは一人じゃない。マチルダもディルムッドもいる。あの二人がいてくれれば頑張ってくれると思う。
 根は強い子だ。へこたれる子じゃない。運命にだって、きっと立ち向かって行けるだろう。
 
 その時、出航を知らせるホイッスルが鳴った。


 お別れだ。


 離れがたい思いを断ち切ろうとした時、軍港の入り口の方から馬蹄の音が響いた。
 見ると、騎馬の群れが私たちの方に走ってくるのが見えた。
 命知らずが土壇場になって仇討ちにでも来たのかと思ったら、先頭に見知った顔が見えた。
 
「ホーキンス将軍!?」

 目を丸くする私たちの前で、ホーキンスは手綱を引いて馬を止めた。見れば、ホーキンスをはじめ騎士の面々は皆、仰々しい正装を身にまとっている。何の騒ぎだろうか。

「これはこれは、ヴィクトリア殿下。奇遇ですな。馬上から失礼しますぞ」

「閣下、どうしてここに?」

「何、今日は部下を連れて馬術の訓練でしてね」

「……礼装で訓練?」

「いつもの服は洗濯中なのですよ」

 そんなやり取りをしていると、馬列が見事な挙動で整列をしていく。
 それは、貴人を見送る際の隊列だった。

「本日の訓練は、歓送の礼の実習になっておりましてな。いささかお騒がせ致しますが、殿下はお気になさらず御乗船下さい」

 そんなことをぶち上げながら笑うと、ホーキンスは不意に真面目な顔になって声を落とした。

「この者たちは、いずれも殿下にサウスゴータで一命を助けていただいた者たち。この先、どのようなことがあっても殿下のためならば杖をもって馳せ参じましょう。どうか我等の見送り、お受けいただきたく思います」

「……無茶苦茶ですね」

「この上なき褒め言葉と存じます」

 嬉しそうに笑うホーキンスの笑顔に、私は少しだけ笑い返した。

「では、閣下」

 そんな彼の前に、私はテファの肩をぐいと押し出した。

「この子を頼みます。私の、妹なんです。本当に大事な、妹なんです。何かあった時は、どうか力になってやって下さい。お願いします」

 私が首を垂れると、ホーキンスは深く頷き、杖を構えて礼を取った。

「杖にかけてお約束致します」

 その時、二度目のホイッスルが鳴った。
 時間だ。
 
 皆を振り返り、全身全霊を込めて、とびきりの笑顔で手を振る。

 ばいばい、みんな。今までありがとう。本当に、ありがとう。私は果報者だよ。

 本当に言わなければいけないそれらの言葉をどうしても言えず、口から出たのは当たり障りのない言葉だけだった。
  
「じゃあ、皆……元気でね」
 
 そのまま踵を返し、馬の列の前をフネに向かう。
 兵たちが一斉に杖を構える。素晴らしく訓練された兵たちだった。
 まだ包帯が取れていない者がいる。ちょっと傷が残っちゃった人もいる。
 皆、私の患者だ。
 私は杖を抜くと、静かに捧げて答礼の姿勢を取った。

 桟橋のタラップのところで、二人が待ってくれていた。
 泣きそうな顔のルイズと、珍しいほど真面目な顔をした才人。

「待たせたね。行こうか」

 二人に笑いかけ、タラップに足をかけてゆっくりと登る。
 一歩ごとに、足に鉛の錘が重なってくるような気がする。
 一歩ごとに、皆で過ごしてきた時間が脳裏をよぎる。
 背中に感じるのは、皆の視線だ。
 でも、振り返れない。止まれない。
 今足を止めれば、私は絶対に泣いてしまうだろう。
 皆には、笑顔の私を覚えておいて欲しかった。
 
 無限に続く天空への梯子のように感じられたタラップを登り切り、船内に足を踏み入れる。
 そこが、限界だった。仮面の笑顔が、顔から落ちた。
 ひどい疲労感を感じてキャビンの椅子に腰を落とし、体の内側から溢れようとするものを歯を食いしばって押さえつける。
 
「ヴィクトリア……」

 恐らくは死人のような顔をしているだろう私の隣に座り、ルイズが肩を抱いてくれた。
 その手に、マチルダとはまた違った、ルイズらしい温かみがあった。

「大丈夫だよ。大丈夫だから……」

 自らを諭すように呟きながら、自分の手綱を全力で引き絞る。全力で、感情を押さえつける。
 今は、一刻も早く出航して欲しかった。
 この感情に耐えきれなくなった時、私はこのフネを飛び降りてしまうだろうから。 
 程なく、ゆっくりとフネが振動し、出航したのが判った。上甲板からは乗員たちが帽子を振って騒ぐ声が聞こえている。

 そんな中、俯く私の前に才人が立った。

「ヴィクトリア、甲板に行くぞ」

 真面目な、力強い声で彼が言う。その眼差しは、いつもの彼からはかけ離れた真剣なものだった。

「それはできない。できないよ……」

「ダメだ。行かないとお前、絶対後悔するぞ」

「あんた、無茶言うんじゃないわよ!」

 ルイズが私の側に立って才人を制するが、そんなルイズを無視して、ついに才人が実力行使に出た。

「ごちゃごちゃ言うのは後にしろ、行くぞ!」

 言うなり、才人は私を軽々と抱えあげた。青年になりかけの才人だ、子供子供した私の体格など軽いものなのだろう。抵抗する余裕すら与えてもらえず、人攫いのように私を抱えたまま才人は足早に上甲板へのタラップを駆け上った。

 甲板に出ると、外は風が強かった。
 上甲板に出たところで、才人は私を下ろして舷側を指さした。

「ほら、行けよ。行って顔見せて手を振って来い」

「無理だよ、私、泣いてしまうよ……」

 追い詰められて、私は本当に泣きそうだった。しかし。

「それがどうした!」

 声を荒げて、才人は私の両の頬を挟むように叩いた。
 そして、私が知る彼からは想像もつかないくらい厳しい口調で、才人は私を叱りつけてきた。

「家族なんだろ! 大事な人たちなんだろ! 泣きっ面くらい見せてやれよ! このまま、あんなすました顔でお別れされた方が、あの人たちだって辛いに決まってるだろう!」

 才人の言葉に、精一杯引っ張っていた私の中の手綱が千切れた。
 強がっている自分が、ひどく哀れなものに思えた。
 どうしようもなく、皆の顔が見たかった。 

 舷側に向かい、鈴なりの人たちをかき分けて前に出る。
 ようやく手すりに辿りついた時、桟橋に立つ3人が一瞬だけ見えた。
 私が愛した、私の家族たちだ。
 視線が交差し、感情もまた交差した。
 私たちは、互いのことをこそ大切にしてきたのだと。
 私が皆を思うように、皆もまた私のことを思ってくれていたのだと、その時、思った。

 手を振ろうとした次の瞬間、皆の姿が、厚い雲の彼方に消えていった。








 
 ロサイスからラ・ロシェールまでの船旅は半日。午後の船出だったこのフネの船旅の後半は、夕暮れに彩られていた。
 何をするでもなく、彼方に消えたアルビオンの方向を見ながら、私は上甲板にしゃがみ込んでいた。
 立ち上がる気力が、どうしても湧かなかった。
 でも、まだ、これからだろう。
 失ったものの大きさを、本当の意味で実感するのは、まだこれからだろう。

 呆けた頭でそんなことを思っていると、目の前に毛布が差し出された。

「風邪引くわよ。お医者さん」

 ルイズだった。受け取る手をあげるのもしんどい私が動かずにいると、業を煮やしたルイズが無理やり私の体に毛布を巻きつけた。
 次いで、自分も毛布を被ると、私の隣にしゃがみ込んだ。

「……こんな時に何だけど、ありがとうね。お礼を言うわ」

「ん?」

「サイトを助けてくれたんでしょ」

「ああ」

 そんなこともあったっけ。何だか随分遠い昔の事のような気がする。

「私だけじゃ、無理だったよ。皆の助けがあったからこそさね」

 それだけ言って黙り込む私に、ルイズは尚も話しかけて来る。
 精一杯、話題を探して元気づけようとしてくれている彼女の心遣いが、胸に染みた。

「ねえ、ヴィクトリア。あんたたちって、トリステインに来たばかりのころってどうだったの?」

「え?」

「何かこう、エピソードとかあるでしょ? どんな風に診療所始めたのか、とか」

「そうだ、ね……」

 私は記憶を辿って、私たちの思い出話を始めた。


 あれは、トリスタニアで診療院を始めたばかりの頃だったかな。
 私たちは皆アルビオンの育ちだっから、いろいろ慣れなくてね。飲み物はワインばっかりだし、食べ物も結構違うんだよ。テファは今でこそ料理が上手だけど、最初はナイフの持ち方も知らなかったんだよ。最初にやらせたのは桂剥きって言ってね、大根の皮をどんどん剥いてく練習をさせたんだよ。誰だってそうだけど、最初は上手く剥けないし、加減を間違うと手を切ったりもするんだ。あの子もその辺の通過儀礼は一通りこなしたかな。
 そんな修行をして、初めて晩御飯を作ったんだけど、味付けに失敗しててね。スープが、すごくしょっぱかったんだよ。
 あの子も一緒に食べたけど、口に入れた瞬間、失敗に気づいて泣き出しそうになっちゃってさ。でも、マチルダもディーも、もくもくと全部平らげてね。私だって全部食べたよ。しょっぱかったけど、あの子の初めての作品さ。気持ちだけで充分に美味しいじゃないか。皆で食べ終わって、一斉に『美味しかった』って言ったら、あの子本当に泣き出しちゃったんだよ。
 泣き虫だったねえ、テファは。一人寝も初めはやっぱり慣れなかったみたいでね。ある夜、水を飲みにキッチンに行く時にあの子の部屋の前を通ったら、中から泣いてる声が聞こえたんだよ。そりゃ、まだ子供だったんだ、お母さんが恋しくて泣きもするさ。
 その声があんまりにも可哀そうでさ。部屋に帰って枕取って、テファの部屋のドアを叩いたんだよ。
『テファ~、何だか一人で寝てると落ち着かないんだ。一緒に寝てくれないか?』
 って言ってさ。
 そりゃテファも驚いてたよ。そのままあの子のベッドにもぐりこんで、いろいろ話を聞いたよ。テファのお母さんの事、私が知らない父の事、ちっちゃい頃はどういう遊びをして、どういう男の子が好きなのか、なんてね。
 そんな事をしてたらノックの音が聞こえてさ、枕持った、むくれたマチルダが入って来たんだよ。
『ちょっと~、私だけ仲間はずれはひどくない?』
 って言ってさ。あんまり大きなベッドじゃないのに、無理やり端っこに入り込んで来たんだよ。テファと二人で狭い~とかマチルダは胸が大きすぎるんだよ~とかって笑ってたら、またドアが鳴るのさ。
 出てみたら、お盆を持ったディルムッドがいてさ。
『おやすみ前のところ、失礼します。ミルクを温めてみましたのでどうぞ。砂糖は入れておりません』
 なんて言ってさ。でもカップは3つしかなくて、あんたの分は?って訊いたんだよ。そうしたら
『淑女の夜の内緒話の場に男が身を置くのは無粋。今宵はご容赦を』
 なんて言うんだよ。そんなこと言いながらウインクするあいつにテファもマチルダもきゃー、かっこいーなんて騒いでさ。そのころには、もうテファもすっかり笑顔でね、明け方までしょうもない話をして過ごしたんだよ。

 楽しかったなあ。

 皆、優しくて、暖かくてさ。

 本当に、私なんかには……もったいないくらい、素敵な……人たちで……。






 取りとめもなく続く私の言葉を、ルイズは何も言わずに聞いてくれた。




 茜色に染まった、北の空。
 大きな雲が、連なっている。
 いくつも、いくつも。
 



 その雲の向こう。
 



 アルビオンはもう、見えない。


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