ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは学院に宛がわれた自分の部屋で、ヴァリエール家から持ってきた魔導書の一冊をめくっていた。
その本は幾度と読まれたのか、ページの所処がかすかに汚れていた。
ルイズは本をめくりながら、静かに溜息を吐いた。
自分は何度この本を読んだのだろう。もう開かなくても書いてあることが分かるぐらいなのだ。初めて読んだのがいつの頃かももう覚えていない...
私は貴族であるのに魔法が使えなかった...
お母様はかつて、「烈風のカリン」として魔法衛士隊の隊長を務めていた。その血を引き継いで産まれてきたエレオノールお姉さまは今では王立魔法研究所の研究員として国のために働いている。ちぃ姉さまだって、今は体の具合が悪いけど、トライアングルクラスの魔法を使うことができる。
私だけ...私だけが魔法を使えないなんて...
私は知っている。他の貴族や、領内の平民も、使用人でさえも、陰で私の悪口を言っていることを...。「貴族のくせに魔法も使えない」・・・・
お父様は「私の小さなルイズ、魔法が使えぬことを気にするな。魔法が使えようが使えなかろうが、お前は私の大事な娘なのには変わりない」って言ってくれたけど、
ちぃ姉さまは「ルイズ、焦らなくていいのよ。きっといつか魔法が使えるようになるから...」
って言ってくれたけど、その優しい言葉が余計私の心に傷を刺す。
嫌だ、嫌だいやだいやだいやだ!!私はヴァリエール家の三女なのだ。
今日から魔法学院の生徒となったのだ。きっと魔法を使えるようになってみせる。そして周りから認めてもらうんだ!!
バンッっと強く本を閉じたのと同時に、ふと、窓の外から声が聞こえた。ルイズは椅子から立ち上がり、窓のそばによって外を見た。
窓から下を見ると、貴族であろう少年がシャベルを使って土を耕しているのが見えた。
あれは確か...ジョルジュだっけ。以前、屋敷に両親と一緒に来ていたのを一度だけ見たことがあるわ。
貴族の息子なのに畑仕事をする...私にはわからない。貴族なのに平民の仕事をするなんて、考えられないわ。でもなんだろう、すごい楽しそうね...
ルイズはジョルジュと顔を合わせたのは一度きりである。実際に彼の顔を覚えてはいなく、土をいじっているその姿を見てやっと記憶から出てきたほどなのだ。しかし、彼女はなぜだか無性に、外にいるその少年と話をしたくなった。
彼は私のことを覚えているだろうか。
ふいに彼女はそう思い、少年に声が届く場所へ、寮を出ようと窓を離れ、自分の部屋のドアを開いた。
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは開けた窓からその赤い髪を風になびかせ、下で土をいじくっている貴族?な少年を観察していた。
「変な子もいるものねぇ~。顔は人並みみたいだけど、土を耕す貴族なんて聞いたことないわね。それともトリステインじゃあれが流行ってるのかしら?」
歳の割に大人びた雰囲気と容姿を持つ彼女は、トリステインの出身ではなく、トリステインから北東に存在する国、ゲルマニアから留学してきた。
かつてキュルケは、ゲルマニアにあるヴィンドボナ魔法学校に通っていたのだが、そこではいろいろと問題沙汰を起こしており、その後もいろいろとあり、半ば逃げるようにトリステインへ来たようなものなのである。
(キュルケ本人は全く意に関してない)
「彼、土の扱いは上手でも女の扱い上手くなさそうね...まあ暇な時にでもからかってみようかしら」
キュルケはそんなことを考え、外へ出ようと窓から離れた。ゲルマニアの女性は、トリステインの女性と違い積極的だと言われている。キュルケもご多分にもれず、まだ寒さが残る春の夜に、自分を温めてくれる殿方を探しに行こうとしたのであった。
キュルケがドアを開けて廊下に出ると、向こうのほうで、階段を降りていく、桃色のブロンドが目に入った。
「あれはヴァリエールの...」
そう呟きながらキュルケが階段に向かって歩き始めたとき、ドンッと真正面に、誰かとぶつかった様な衝撃を受けた。
キュルケは左右に顔を動かして何とぶつかったのか確認しようとしたが、彼女の前には誰もいない。ふと、目線を下へ動かすと、青い髪の小さな頭が目に入ってきた。
その頭が下に下がると、眼鏡をかけた少女がキュルケの顔を見上げている。キュルケは自付と同じ色のマントを付けているのを見て、自分と同じ新入生だとは分かった。
(この子何歳なのかしら・・・15、6には見えないわね)「あ、あら、ごめんなさい。」
キュルケがそう言うと青髪の少女は少し何かを考えるような顔をし、やっと聞こえるかどうかの声で
「・・・・いい」
とだけ呟き、さっさとキュルケとは反対側のほうへ歩き出しっていった。
「アッ、待って!!」
キュルケはさっと振り向いて彼女を呼び止めた。なぜそうしたのかキュルケ本人も分からなかった。いままで会ったことのない、その少女の雰囲気に興味が湧いたのかもしれない。
「あなた。トリステイン出身じゃないでしょ?雰囲気でわかるもの。私キュルケっていうの。あなたの名前は?」
少女はスッと立ち止まり、まるで呼び止められたのが珍しいような顔でキュルケを見ていたが、やがてその小さな口を開いた。
「・・・・・・タバサ」
「そう、同じ学年同士、これからヨロシクね。タバサ」
するとタバサは表情を変えず、そのままキュルケに背を向けて歩いていってしまった。しかし、キュルケにはそんな彼女が、笑っていたように見えたのだ。
「・・・・フフッ、なんだかこっちは面白そうね」
キュルケはこれからの生活にかすかな期待を予感し、そして当初の目的を思い出して階段へと急いだ。
「オスマン校長、今年の新入生が全員寮に入ったとのことです」
魔法学院の中にあるひときわ大きい一室で、ジャン・コルベールは椅子の背もたれに寄りかかり、水タバコをふかしている老人、魔法学院校長オールド・オスマンにそう報告した。
その一室「校長室」には机が2つ置かれてあり、一つはオスマン校長の席であるが、もう一つの机の主人は、今は部屋を出ている。
「オスマン校長、ミス・ロングビルはどちらへ?」
「おお~。ミス・ロングビルなら女子寮のほうへ行って寮の様子を見に行ってもらっとるよ。ワシが行こうとしたんじゃが、「私が行きます」っていってのぉ~。ところで、今年の生徒はどうじゃね?ミスタ・コルヘーヌ」
「コルベールです。器用に間違えないでください。てかそこまで言えるんだから、間違えないで言おうよ。今年も例年と同様な人数ですオールド・オスマン。留学生も数人いますが、みんな無事に寮に入りましたし、問題はないと思います。」
「フム、そうかそうか。しかしコルペーヌ君。今年もあのドニエプルの息子たちが入ってくるのを知っとるじゃろ?」
「コルベールです。いい加減訴えますよ。ええ知っていますよ。しかしそれがなんだと...」
「ワシには隠さなくていいんじゃよぉ?コルベル君。実際、今日入ってきた弟たちが「どっち」に似ているかはお主たち教師たちには気になるトコロなんじゃないかのぉ?」
「ヴェル君とマーガレット君ですね。‘止水’と‘酒客’の二つ名で呼ばれて、それぞれの学年で有名ですからな。しかし、二人とも極端な性格ですからね、どちらも優秀な生徒なのですが...」
「ホッホッホ、先生たちは二人に手を焼かされてたからのぉ。今度の弟たちはどんな子たちか話題にしとったじゃろ。特に末の弟は、かなり変わった性格だと聞くぞ」
「私から見ればどんな子でも同じ生徒ですよオールド・オスマン。他の先生方は分かりませんが、私は分け隔てなく見ますぞ」
「ホッホ、さすがはゴルベール君じゃ。明日からが楽しみじゃわい」
そう呟いて笑ったオスマンの口から、紫色の煙が噴き出された。それは風船のように宙に舞い、窓の外で輝く双月を隠すかのように部屋の中を踊った。
土は肥え、種もそろいつつ、
そして種は物語を作る芽を出す
様々な種は幾重にも物語を生み、
時として彼らが予想もしない結末を咲かす
それを知るは空で見つめている太陽と双月のみ
そしてジョルジュの物語はひとつの年を重ねてから伸びていくのです