「着いた・・・ラ・ロシェール」
「見て、『ラ・ロシェール』のイグドラシルの船着き場!やっと着いたわね!」
「うおぉ・・・すげぇ」
タバサの到着の合図でシルフィードの背中からひょいと首をのばし、ルイズは疲れを飛ばすかのように声を大きく吐いた。隣に座っていたサイトはまるで映画でしか見たことのない光景に固まってしまっている。先程までイグドラシルの巨大な木々を中心に、それよりはるかに小さい木々の森や山肌が見えた地形が広がっていたが、今はその巨木の周りを示すかのような赤い光が優しくルイズ達を迎えたのだった。
そんなルイズの声に反応したのか、ルイズの後ろでぐったりとしていたギーシュは、脱力した体を僅かに動かしてルイズの方に顔を向けると、
「とうとう、とうとう着いたんだね・・・もういろいろ駄目かと思ったよ・・・」
まるで二年間くらい旅をしてきたような疲れ切った声を喉から漏らした。そんなギーシュを呆れるようにルイズとキュルケは見ると、ルイズはギーシュへ首をひねった。
「なによギーシュ、だらしないわね」
「しょうがないだろ。さっきまで君を追って必死に馬を走らせていたのだから。やれやれ、馬をどれだけ替えたことやら・・・」
ギーシュは愚痴っぽくルイズに返した。
森の中で夜盗に襲われた後、ルイズ達は後から来たギーシュとサイトと合流した。なんでもルイズがミシェルとグリフォンで飛んで行った後、ギーシュもサイトと共に必死で追いかけてきていたらしい。通常は馬で2日近く掛る距離を走ったのだ。疲れて当然だろう。
「まあ、グラモン家の貴族たるもの、本気をだせばこれくらいの距離は馬で来れるのさ」
こういう時にも強がりを言えるのはギーシュらしいが、キュルケはそんなギーシュの頭をペシッと叩き、
「シルフィードの背中に寝そべっても偉く見えないわよギーシュ。ほらダーリンを見なさい。アンタと違ってちゃんとしているじゃない。流石ダーリンね。どっかの虚弱な貴族とは大違いだわ」
「そこだけ見るんじゃないよ。サイトだってさっきまで僕と一緒に倒れていたじゃないか!」
「ちょっとサイト?急に起き上がったと思ったら固まって」
「すげぇ・・・船が・・・飛んでる」
ぽつりと呟いたサイトの目の前には、イグドラシルへ入港しようとする飛行船が数隻漂っていた。船の形は遠くから見ても、元の世界の本か映画で見た木造船そのものだ。しかし、それが帆を張って、「海」ではなく「空」を動いているのだ。
「なによアンタ、飛行船も見たことないの?」
「いやいやいや、普通はないだろ。すげぇな・・・どうやって飛んでいるんだ!?」
サイトもギーシュと同じく長距離の、しかも慣れない馬旅をこなしてきたのだが、遠くで飛行する船への興味がその疲れを忘れさせた。それと同時に、自分のいる世界が日本とは違う別世界である事を再確認させられたような気持になった。
(あれで遠くまでいったら・・・元の世界に帰れないかな)
すっと目元を細めたサイトに、ルイズがなにか言おうとした時、シルフィードの右隣から周りの空気をけ散らかすかのような大きな羽音が聞こえてきた。その音に、タバサ以外の全員が顔を横に向ける。白い羽を大きく羽ばたかせて飛んできたグリフォンだ。そしてグリフォンの背中から羽音よりも大きくはっきりとした声で、魔法衛士隊隊長ワルドはルイズ達に声を掛けた。
「そろそろここらで降りよう。私が先に降りるから後に続きたまえ」
そう言うとワルドはグリフォンの手綱をグッと動かした。それを合図に、グリフォンは小さく口から鳴き声を上げ、街の入り口である石門が見える地面へと高度を下げていった。
そのすぐ後、タバサがシルフィードに指示を出して地面へと降りた。
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シルフィードが着地し、地面から伝わってきた衝撃が収まると、ルイズ達は各々シルフィードの背中から降りた。彼女たちの目の前には石で造られた大きな門がそびえ、門番が壁に掛けられた灯りの下、街へ入っていく通行人を見張っている。開かれた扉の向こう側からは、松明の灯りやランプの光で赤く照らされた街が広がっており、時折、人々のドッと沸いたような笑い声や楽しそうな音楽が耳に届いてきた。
魔法学院から本日の目的地であるラ・ロシェールにようやく着いたという気持ちになった瞬間、安心した所為か、体に溜まった心身の疲れがどっと滲みでてくるような感覚をルイズは覚えた。
「ルイズ!大丈夫だったかい!?」
ワルドはグリフォンから降りると、すぐにルイズへと駆け寄ってきた。そしてためらいもなくルイズを抱きしめた。
「ああルイズ、僕のルイズ無事で良かった。君にもしもの事があれば僕はどうすればいいのか・・・」
ワルドは大げさに見えるくらいに声を出し、まるで今まで引き裂かれ、離れ離れになっていた恋人が出会ったかのようにルイズを抱きしめている腕を強めた。シルフィードから降りたギーシュやサイトはあっけにとられた顔をして見ており、キュルケも『まあ』と驚いたように口を手でおさえて、二人の様子を見ていた。タバサだけは興味がないように、シルフィードの耳裏をカリカリとかいている。
「ちょ、ちょっと待って下さい。え、っとミスタ・ワルド」
ルイズは体を動かしてワルドの腕から逃れようとするが、ワルドも相当強く腕に力を込めている所為か中々離れられない。やっとあちらもルイズの様子に気付いたのか、腕の力がすっと抜けた。
「えっとお久しゅうございます、ミスタ・ワルド。こんな人前ではその・・・」
ワルドの抱擁から逃れたルイズは、後ろに2,3歩下がってワルドにいった。急に抱きしめられて慌てた所為か、乱れた息が整わない内に喋ったので最後は声が小さく枯れる。
「はは、何をいまさら。畏まらずにあの頃みたいに『ワルド』って呼んでくれルイズ」
そういうとワルドはルイズへと近寄った。また抱きしめられるのかとルイズは身構えたが、ワルドはルイズへ顔を近づけると、先ほどとは違った悲しげな表情を見せた。
「今朝はすまなかった。君を守るために来たのにあんな醜態をさらしてしまって。だけどもう安心してくれ。任務が終わるまで僕が君の事を守るよ」
言っている台詞は完ぺきな程にカッコいいのだが、これまでの任務の傷や火傷の後に、今朝、馬に衝突された時についたのか小石が何個か顔についていてイマイチ締まらない。それでもルイズの頭を優しく撫でるとワルドは後ろで立っていたサイト達に近寄り、いかにも作ったような笑顔を見せた。顔についていた小石が落ちた。
「改めて紹介させてもらうよ。トリステイン魔法衛士隊グリフォン隊の隊長を務めているジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだ。姫様の要請で今回の任務に同行することになった。よろしく」
そういうとワルドはサイト達に深々と一礼をした。キュルケやギーシュはそれに応じるように一礼を返した。なにも分からないサイトはとりあえずぺこりと頭を下げた。
「君たちには僕の婚約者がいつもお世話になっているようだね。感謝しているよ」
「「「はぁ・・・婚約者?」」」
タバサを除く三人が驚いた表情を浮かべた。ワルドの笑顔は先ほどよりも一層作られた様に見えた。
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「ちょっとルイズ、あのワルドって人、アンタの婚約者なの?」
ラ・ロシェールの街中にグリフォンやシルフィードといった
ワルドから離れた所、先ほどシルフィードの体に隠れるように、5人は体育座りで円を囲んでいた。5人は「ワルドについて」の緊急会議を開催していた。ジョルジュの花壇の件以来、第二回目の会議である。今回は新人議員として、ギーシュも加わった。
「本当なのかい?魔法衛士隊っていうと相当なエリートだよ?驚いたな」
キュルケと同じ様に、ギーシュは声を抑えてルイズに質問した。その表情はいかにも興味津々といった感じだ。ギーシュの問いかけに、ルイズは言いたくなさそうに唇にキュッと力を入れた。心なしか、サイトがソワソワしている。
「えっと正直いうとね、あんまり言わないでほしいんだけど・・・」
少しためらった様子を見せた後、ルイズは一層声を落として、喋った。
「ワルドの事は確かに知ってるけど、婚約なんて話、今まで聞いた事ないわ」
辺りが一瞬、沈黙に包まれた。
「え?でも、子爵はルイズのことは婚約者だってあんなにハッキリと・・・」
ポカンとなっていたギーシュが戸惑ったようにルイズに尋ねるが、
「私の家の隣に領地があったから、小さい頃は遊んでもらってはいたわよ?だけど彼と婚約していたなんて話、お父様からもお母様からも一度もされたことないわ」
ルイズは体育座りを解いてそっと立ち上がると、シルフィードの影からワルドの方を見た。サイト達もそれにつられて立ち上がった。
現在、ワルドは石門の傍に立っている門番となにやら話をしている様だ。ラ・ロシェール等の街に入る際、グリフォンやシルフィードといった大型の使い魔を一緒に入れる時は許可を取らなければならず、おそらくそういった手続きをしているのではないだろうか。
「じゃあルイズ、あのワルドって奴とはなんでもないのか?なんか、そういった関係とかは・・・」
サイトが恐る恐るといったようにルイズに聞くと、ルイズの細い指が喉元に突き刺さった。「う゛ぇ」と鈍い声を漏らしたサイトに「いやらしい事聞くんじゃないわよバカ犬!」と罵った上で、地面に倒れたサイトを踏みつけた。踏まれているサイトの顔が何処となく嬉しそうなのはなぜなのだろう。
「大体、ワルドと最後に会ったのはもう10年も前の事よ?それなのに会って急に『僕は君の婚約者なんだ!』とか言われてもワケわかんないわよ。というかさっき抱きしめてきたのは普通に怖いわ」
「ん~確かに。久しぶりに会った女性にあそこまで『婚約』を強調してくるのはいくら子爵といえど変だね」
ルイズの言葉にギーシュも最もだと首を縦に振った。貴族の結婚では恋愛感情がない政略結婚も多い。それに身分が違えば、望まぬ相手から一方的に話を付けられて従うしかない事もあるのだ。しかし、ワルドは魔法衛士隊の隊長といえど、相手はトリステイン有数の大貴族、ヴァリエールの娘。いくら馴染みのある相手でも急に抱きしめて『僕のルイズ』と言ってしまうのだから、グリフォンと一緒にいろいろ飛んでいると思われても仕方がない。
ルイズやキュルケの疑問が膨らんだ時、今まで何も喋らなかったタバサが呟いた。
「・・・脳内嫁」
タバサの口からでた聞き慣れない言葉に、ルイズ達がタバサの方に振り向いた。
「なんだい?その、脳内嫁って?」
ギーシュの問いかけに、タバサはごくっと息をのんでからゆっくりと話し始めた。
「彼は魔法衛士隊という辛い任務の中で、長年異性とそういった関わりがなかった。しかし、彼はそんな環境にいる内に、自分の頭の中に理想の恋人を作った。そのモデルは・・・おそらく」
タバサはビシッとルイズを指差した。
「小さい頃のあなた」
「え、私?」
いきなり指を指されて戸惑ったルイズにコクンと軽く頷くと、タバサは続けた。
「小さい頃、あなたは彼に相当懐いていたと思われる。そんなあなたを脳内で形成し、彼は(勝手に)愛を育んでいた。長年の婚約者として」
タバサの話す内容に、ルイズを含め、キュルケ、ギーシュの顔がドンドン青ざめてくる。
「脳内嫁の時期が長くなると、段々と現実と自分の世界と区別がつかなくなってくる。自分で作った設定が現実のものだと思いこんでしまう。そんな時、モデルであるあなたが現れた。彼にとってはなにもためらう事はない。なぜならあなたが彼と会ったのは10年ぶりかもしれないが、彼は『ずっと』あなたといたのだから」
そしてタバサはワルドの方をチラリと見ると、
「おそらくあなたを抱きしめた時、彼の中ではさっきのやりとりも・・・『ワルド様・・・恥ずかしいですわ、皆が見ている前でこんな・・・』という風に聞こえてたに違いない」
自分で言っているのも嫌といったふうに、タバサは話終わったあと、顔を下に俯けた。
話を聞き終えた一同ドン引きだった。ワルドに。若干タバサにも。
沈黙に耐えきれなかったのか、ギーシュがぼそっと口を開いた。
「さすがスクエアクラスのメイジ・・・魔法衛士隊の隊長になるにはそれくらい出来ないといけないのか」
「彼の中では『ルイズは俺の嫁』という世界。私たちとは別の次元にいる」
「いや、只のヤバい人にしか聞こえないんだけど。別の次元って、俺達より一つ少ない次元に行っちゃってるよねそれ?」
ルイズに踏まれながらも、ギーシュとタバサの会話にツッコミをいれると、サイトはムクリと起き上がった。
「これからどうすんだよ?あのいけすかない貴族が社会的にキツイのはわかったけど、姫様の任務はここで終わりってわけじゃないだろ?」
パーカーについた泥を手で払いながらルイズやキュルケに尋ねた時、向こうの方で門番と話していたワルドが大声を出して近づいてきた。
「ははは、どうした諸君、長旅で疲れたかね?これくらいでへばるようでは先が思いやられるぞ?」
ワルドは先程見せたような笑顔に加えて機嫌よさそうに話してくる。タバサの話しで既に変なイメージしかない事などは微塵も知らないようだ。
「門番から聞いたのだが、アルビオンに渡る船は明後日にならないと出ないそうだ。月が重なる『スヴェル』の翌日の朝、アルビオンが最もラ・ロシェールに近づくらしく、その日を狙って出港するらしい。さあ、街へ入ろう。今日は宿を取って体力を回復しなければ」
辺りはもう暗くなり、重なりかけている二つの月がワルドとルイズ達を照らしていた。もう辺りは街へ入っていく人も見えにくくなるほど暗くなった。
ワルドは自然にルイズの横に立つと、門の方へと進んでいった。ルイズは隣に立つワルドに警戒心を強めながら、間合いを取りつつ歩きだした。ギーシュ、サイトもそれにつられて歩いて行くが、そんな4人とは違い、キュルケとタバサはシルフィードの背中へと飛び乗った。
「ちょっとキュルケ?タバサッ?」
それに気付いたルイズやサイトが振り向き、シルフィードに乗った二人を呼んだ。
「私たちはモンモランシー達を迎えにいくわ。先に街に入ってて頂戴」
シルフィードの羽が大きく羽ばたいた。強い風がルイズに吹き付けるが、キュルケに顔を向けた。
「待ってキュルケ!私も・・・」
「ルイズ、あなたには任務があるんでしょ?それなのに、また夜盗に襲われでもしたらどうするのよ?」
「・・・危険」
シルフィードが一回羽ばたくにつれて、青い巨体は月の光に照らされながら宙に上がり始めた。ルイズがまたなにか言おうとしたが、
「ジョルジュがいるから心配ないでしょ。まあ元はあなたたちが迷惑かけたんだから。ジョルジュ達の部屋も取っておきなさいよルイズ~」
「そうじゃなくて!むしろこっちにいた方がきけ、ちょ、ちょっと待ちなさいよーーーッ!」
ルイズは叫んだが、シルフィードの羽から生じる風に声がかき消されてしまった。それでもなにか言おうとしていたが、シルフィードの体がぐんと加速すると、あっという間に元来た山道の方へ消えていってしまった。
ルイズは心配そうな目でシルフィードの影を見ていたが、ワルドが隣から声を掛ける。
「あのコ達は君の事を心配してくれているんだよ。だから、君の代わりに彼らを迎えにいったのさ」
優しそうな声で囁くワルドの声が聞こえているかは知らないが、ルイズはまだシルフィードの後ろ姿を見ていた。そんなルイズの肩に腕を伸ばしたワルドであったが、ルイズは静かにワルドとの間合いを広げた。伸ばした腕は宙をカラぶった。ワルドの顔がピクピクと引きついたが、すぐに元の表情に戻ると、
「・・・・・・さて!彼らが戻ってくる前にやるべき事をしてしまおう。宿を取ることもある。それに、」
ワルドは腰に差していた杖をスラッと抜き、小声で素早く詠唱して杖を振った。すると月明かりの中、縄で縛られた女性がフワフワと動いてワルドの近くに寄ってきた。
トリステイン兵士が着用する服とマントからして、女性がトリステインの兵士である事が分かる。しかしその端正な顔にはさるぐつわがされてあり、何か言いたげに声が漏れている。
「フガ、フガフガフガフガッ!」
「さてミシェルくんといったかな。君は姫様直属であるという身分詐称を行ったばかりか、姫様からの任務を受けたルイズを誘拐した。その罪は平民の身分である君には重いぞ」
そう言うとワルドはプルプルと肩を震わせた。後ろでこのやり取りを見ているルイズら三人も、これは仕方ないといった感じで二人を見ていた。
「ここの領主に君の身柄を拘束してもらおう。王宮から処分が下されるまでの間、ルイズを、そして僕にした事を後悔するといい」
「フガーーーーーーーーーーッッ!!!!」
愛を貫く女剣士、ミシェルの声になってない叫びがラ・ロシェールの入り口で轟いた。