品評会当日、アンリエッタ姫が学院にやってくるのは昼過ぎだという事で、生徒達は姫様らが来るまで教室で授業を受けることとなった。
しかし、教室の中にはいつもの騒がしさは嘘のように無かった。多くの生徒は夜遅くまで準備をしていた影響で騒ぐ元気と体力はなく、ぐったりと机や椅子にもたれかかっていたのだ。
ギーシュやマリコルヌは机に顎を付けて寝息を立て、ジョルジュやルイズもうっつらうっつらと首を揺らしている。偶々教室に来たサイトなんかは涎を机に放出しながら爆睡しているほどだ。
タバサも自分の瞼に目を描いて目を閉じるという、何ともベタな方法で誤魔化そうとしており、ノエルに至っては本日もエルザを替え玉にしている。(エルザ本人も寝ているのだが)
教室全体がそんな状態だからなのか、教室の中に変わった人物がいても、彼らは全く関心を示さなかった。
「兄さん起きなよ。もう授業が始まるんだろう?そんな眠そうにしていたら先生に怒られてしまうよ」
今朝早く、学院へとやって来たジョルジュの妹サティは、隣で目をゆっくりと閉じそうになっていたジョルジュの肩を掴んで左右に揺すった。
ジョルジュの顔が往復する毎に、彼の顔色が段々と青くなってくる。
「ちょ、サティあんまり揺らさないで...そんな激しくされると酔うだよ。というか何でサティ、オラたちの教室にいるだか?こ、こういう時って一年生の教室じゃ...」
「ステラ姉さん達は魔法の屋外実習だからって今、学院にいないんだ。だからジョルジュ兄さんのいるクラスにってオールド・オスマンに言われたんだよ。ほら兄さんしっかりしなってば」
サティが手を肩から離すと、重力にでも導かれるようにジョルジュは椅子にもたれかかった。
それは寝不足でなのか、サティが揺すったからのか定かではないが、目をこすりながら姿勢を戻したジョルジュは、未だに垂れ下がってくる瞼を必死で持ち上げてサティに尋ねた。
「し、しっかし学院に来るの早いだなぁサティ...おとんも品評会に来るって聞いてたから、てっきり昼ごろに来るのかなって思ってただよ」
「昨日までは父上と一緒に王宮にいたんだけどね。待ち切れなくてゴンザレスに乗って一足先に来たんだ。父上は姫様と一緒に来るよ」
「王宮って...おとん、なにかしでかしただか?」
「さあ?マザリーニ枢機卿やら他の大臣とやらと話していたらしいけど、僕には詳しい事は分からないよ。僕は親睦会とやらで大臣たちのご子息やご息女と一緒にいたから」
「そうだか~」
「なんとも奇妙な集まりだったよ。僕よりも年上の子たちばっかりなのに、皆僕の事「お姉様」、「お姉様」って言ってくるんだから」
「まあ、サティは同い年の子よりも少し体おっきからなぁ。年上と間違われても無理ねえだよ」
ジョルジュの言うように、サティを前にして「彼女は11歳です」といえば誰もが冗談だと思うだろう。実際、教室の中でのサティは他の生徒よりも背が高く、大人びている。
椅子に座っていてもその存在感はかなりのものであり、静かな教室というこの状況ではより彼女の存在は浮き上がっていた。
にも関わらず誰も反応しないのは、それほどまでに全員が眠いのだろう。今だに声を上げる者は、サティとジョルジュの他に、一人か二人程である。
喋っていて大分眠気が覚めたのか、ジョルジュは目をこすりながら伸びをした。
それとほぼ同時に、教室のドアを荒々しく開け、漆黒のマントをなびかせながらギトーが入って来た。
こういう時に限って、嫌な教師が来るのである。
「諸君起きたまえ!!これより授業を始める。知っての通り私の二つ名は「疾風」、疾風のギトーだ」
ギトーが教壇で大きな声を上げると、先ほどまで眠っていた生徒達は一斉に起きあがった。
涎を垂らして眠っていたサイトも、体をビクッと震わせて目を教壇へと向ける。
教室が先ほどとは違う理由で静まりかえる。それに満足したのか、ギトーは教室を一度見渡した後、黒板へとチョークを走らせた。
それから授業は始まったのだが、ギトーの授業は、教えるというよりも自らの系統である風の自慢話のようなものであった。
サティはギトーの話に耳を傾けているが、生徒にとっては何度も聞いている内容であるため、多くの生徒はうんざりした表情で教壇に顔を向けている。
「・・・というワケだ。では...」
一通り話し終えたのか、ギトーは教室の最善列に座っていたサティの前で目を止めた。
「最強の系統は何か知っているかね?ええっと...ミス・ドニエプル」
「・・・?僕ですか?」
急に質問を当てられたサティは一瞬困った表情を浮かべた。その時、やっと教室の生徒達がサティの事に気づき始め、教室の場所場所でヒソヒソと声が聞こえてきた。
「おい・・・今ミス・ドニエプルって・・・」ヒソヒソ
「あの前に座ってる人だろ?ジョルジュの姉じゃないのか?」ヒソヒソ
「てか...デカイな」ヒソヒソ
「妹だってよ」ヒソヒソ
「義妹...」ブツブツ
「へぇ~あれがお兄ちゃんの言ってたサティちゃんか...確かに負けそう」ヒソヒソ
「あれで11・・・・・認めないッ」ギリギリ
「オネエサンヨウジョッテ・・・・アリダナ」ハァハァ
一部から荒い息遣いが聞こえてくるが、サティは少し悩んだ後、落着きはらった口調でギトーの問いに答えた。
「ミスター・ギトー。先程からのご講義を聞いていますと、最強の系統は風であると言いたいところですが...」
「ほう、違うというのかね?」
サティは遠慮しがちに言葉を続けた。
「魔法は戦闘状況によって有利不利が変わりますので、えと...一概にどの系統が最強とは言い切れない思います...」
「残念だがそうではない。系統の優劣は戦闘こそはっきりとなるのだ」
ギトーは教壇の前に置かれた教卓に片手をつけ、腰に差していた杖を引き抜くと自信満々にサティに言った。
「試しに私に攻撃をしてみたまえミス・ドニエプル。聞くところによると、君はその若さでドニエプル家で最も優秀なメイジだと聞いているが」
「え?」
突然の言葉にサティはバッと横を向いた。ジョルジュも何言ってるんだこいつといった表情で、ギトーの方を見ている。
サティはジョルジュの耳に顔を近づけると、小声で話し出した。
(ちょっとジョルジュ兄さん!?一体あの先生は何を言ってるんだ?僕はそんなこと聞いたことも言われたこともないよ!?)
(そ、そんなこと言われてもお、オラだって知らねえだよ!?)
慌てふためくサティを見て、ギトーは笑いながらサティに言った。
「どうしたのかね?遠慮なく魔法をぶつけてきて構わないぞ?それともドニエプルでは畑仕事が忙しくて魔法は習ってないのかな?」
明らかにサティとジョルジュを挑発したセリフに、教室からもかすかに笑い声が聞こえてきた。
こういった事はジョルジュは別段慣れているので、言われてもあまり気にはしない。ジョルジュだってもうちょっとした大人なのだ。生きてる年月だけでいえばもう40を超えている。
ハハハっと小さく笑って誤魔化したが、隣の妹の顔からは笑みが消えていた。
「では...お言葉に甘えさせてもらいましょうか。ミスター・ギトー」
ジョルジュが横で呼び止めるのも聞かずにサティは机に手を掛けて飛び上がると、ギトーの手前、教卓を挟んだ3メイル程の位置に着地した。
190サントの長身である彼女が立つと、決して身長が低いワケではないギトーも小さく見える。
ジョルジュが帰省した時よりも伸びた白い髪は逆立ち、微かではあるが黒いオーラのようなものが滲み出して来ている。
急に変わったサティの雰囲気にギトーは僅かにたじろぐが、それでも11歳という年齢と、まだ杖を持っていない彼女を見て安心しているのか、手に持った杖を構えずにいた。
次の瞬間、サティの体がゆらりと横に揺れた。
ドゴンッ!!!
サティが足を一歩前に出して距離を詰めたと同時、体を捻って出した蹴りを教卓へと撃ち込んだ。サティの蹴りの勢いはそこでは到底止まらず、後ろにいたギトーを教卓毎黒板へと叩きこむ。
鈍い音と共にギトーはカエルの様な鳴き声を出して黒板へとめり込んだ。
「ああ...すみませんミスター・ギトー。てっきり防ぐと思って、全力で撃ち込んだんですが...」
ぼそっと呟いた後、サティはゆっくりと蹴り足を戻す。数瞬後、カンっと教卓の破片が落ちると、黒板に張りついていた教卓とギトーが教室の床に落ちた。
ギトーはどうやら気絶しているらしく、白眼をむいている。
その光景に、教室中が静まりかえった。しかし生徒達は心の中で同じことを考えた。
(((((魔法の系統関係ねえ...))))))
その時、教室のドアがガチャッと開き、固い表情のコルベールが現れた。
いつもの汚れたローブではなく、細やかな刺繍が入ったローブを身につけ、その頭には今まで見たこともない金髪ロールが乗っている。
コルベールは教壇に伸びているギトーを見てぎょっとするが、それも少しだけ見た後、教室にいる生徒達に大声で告げた。
「生徒諸君!!予定よりも早いですが、まもなくアンリエッタ姫殿下がこのトリステイン魔法学院に到着するとの一報が届きました。皆さんは正装した後、直ちに門に整列。その後品評会へと入りますぞ!以上!!」
それだけ言うとコルベールは、ギトーをほったらかしにして廊下を走り去って行った。
コルベールの言葉で、慌ただしく動き始めた生徒たちを見ながら、サティはジョルジュに呟いた。
「この学院には・・・変わった先生たちが沢山いるんだね兄さん」
「まあ、オラたちが言えたことじゃないだよ...」
※
トリスタニアから魔法学院へと続く街道を、数台の馬車が車輪をゴトゴト鳴らしながら進んでいる。
馬車には王宮で働く貴族や品評会に招かれた貴族たちが乗っており、その横を固めるのが王宮の近衛部隊や魔法衛士隊と、配置されている部隊からも分かる通り、いかに厳重な警備かが見て取れる。
中でも一際絢爛豪華な馬車の中で、アンリエッタは街道で手を振る平民に、笑顔で手を振っていた。
その華麗な顔立ちと気品が漂う佇まいに、「アンリエッタ姫殿下万歳!」と歓声が沸き上がった。しばらくして、魔法学院の外壁が見えてきた。
アンリエッタは馬車の中からそれを確認した後、顔を馬車の中に入れて窓のカーテンを下した。
「ハアァ~」
「姫様、先程からため息ばかりつくのはおやめ下さい」
「アニエス...ため息だって出ますわよ」
羽毛で作られた席に深々と腰をおろしたアンリエッタは、いかにも不満げな表情をアニエスに向けた。
その顔は、先ほどまでの一国の姫の表情とは打って変わり、まるで親しい友人に相談事を話そうとしている少女そのものである。
「あのねアニエス、私ってトリステイン王女でしょ?」
「存じて上げております」
「こんなことあまり言いたくないですが、マザリーニやお母様の次くらいには偉いでしょ?」
「まあ...人物的にはともかく、ポジション的にはそうですね」
「だったらその臣下であるアニエスは私の命令を聞くわよね?」
「もちろん、姫様のご命令であれば命に代えても遂行して見せます」
「...!!それじゃあアニエス♪今からちょっとメイクを変えたいから...」
「駄目です」
「・・・・」
馬車の中に沈黙が流れる。だがそれもほんの少しだけ。
「なんでよッ!!?『命に代えても遂行して見せます』って言ったじゃない何その矛盾!?化粧を変えるくらい、別に良いじゃないのッ!!」
「ダメなモノは駄目ですッ!というかあの時の化粧、姫様がまだ覚えてるのにビックリですよ!」
席から立ち上がって抗議するアンリエッタをなだめようと、アニエスも席を立つ。
アンリエッタはかつて二人で入った化粧品店で施してもらった、顔を真白に塗ったド派手メイクに未だ感銘を受けてるらしく、今でもそれに強い憧れをもっていた。
しかしそんなのを学院の品評会で見せようというのだから、本人は良くても周りはたまったものではない。あの時の顔で生徒や平民達の前に出ようものなら、
『トリステインの白百合、魔界に降臨!!』
なんていうなんとも抜けた見出しでトリスタニア全土に号外が出るだろう。
それを防げなかったアニエスなど、リアルに魔界に送られてしまう。
「今こそマダムに教わったメイク・スキルを広めるチャンスですわ!かつて、とある国の女王が自分のファッションを流行らせたように、私も一歩先にいった美を流行らせて見せます!」
「ダーメーですって!一歩先どころか完全にフライングしてますから姫様のは!全く、品評会を見に行くのに自分が品評される立場になってどうするのですか姫様!?」
「むきーっ!アニエスのいけずぅ!」
それからしばらく、「やるの!」「駄目です!」の言い合いが魔法学院の門手前まで続いた。
※
「ほら姫様、いい加減に機嫌を直して下さい」
「フンッ、王女のお願いも聞いてくれない臣下の言う事なんて聞きませんわ」
(面倒くさいなも~)
アンリエッタを乗せた馬車は無事に魔法学院に到着し、学院長であるオールド・オスマンとの顔合わせも済んだ二人は、品評会が催される会場の席に来ていた。
学院の校舎の裏手にある広いスペースを利用して作られた会場は、背後に白い厚手の幕を降ろし、金の細工が施された柱や石を使って組まれたステージがかなり豪華に見える。
トリスタニアの高級な劇場へ行っても、ここまでのモノはないかもしれない。
ステージから少し離れた場所には、学生達が座る椅子が置かれており、その後ろには今日招かれた貴族たちが座る来賓席が、きっちり整えられて並んでいる。
後ろへ行くほど席も豪華になっている具合は、これから席に座る貴族達の力関係を示しているようだ。
その席の下や周りには色取り取りの花が咲いており、会場全体に甘い香りが漂う。ステージ、客席、そして雰囲気共に最高の環境だ。
そしてその最後尾には、どれよりも華やかに作られているアンリエッタの席が、重々しく置かれていた。
アンリエッタ一人であるにも関わらず、3人は楽々と座れそうな長椅子は、椅子というよりもソファに近い。
後ろに飾られた金とプラチナのレリーフが太陽の光で輝き、その輝きが彼女の美貌と、人気の高さを表しているように思える。
傍にはアニエスと、少し離れた場所に魔法衛士隊のメイジが4人、アンリエッタとアニエスを囲むように立ち、鋭い視線を周囲に突き刺していた。
しかしそんなトリステイン姫殿下も、魔法衛士隊と同じ様に目を細め、頬を膨らましていた。
誰の目から見ても分かる通り、明らかにご機嫌斜めである。
「皆に見られる場所でそんなお顔は止めてください姫様。ほら、学生たちがこちらを見てますよ!」
アニエスは不機嫌そうに眼を細めるアンリエッタの前に立ち、他の人から顔が見えないようにしつつ、アンリエッタにどうにか笑顔になってもらおうと必死に説得していた。
「・・・・」ツーン
(ああもうっ!こんのワガママ娘は~ッッッ!)
「アニエス、今『ああもうっ!こんのワガママ娘は~ッッッ!』って思ったでしょ?」
「そりゃ思って・・・ないですよなに言ってるんですか姫様は可笑しな人ですねアハハハ」
見事に心の声を言い当てられたアニエスの開いた口から乾いた笑い声が出てきた。
それをジトっと見ていた、アンリエッタの顔が僅かにほほ笑んだ。
「・・・・・・アニエス」
「は、ハッ!なんでしょうか?」
「喉が渇きましたわ。なにか飲み物を持ってきてはくれませんか?」
「の、飲み物ですね!?」
アニエスの目が鋭く光った。
(おおおお...やっと機嫌が直りかけてきたぞ。ここはこれ以上悪化させないようにせねば)
「分かりましたっ!ただ今お持ち致します!」
頭を下げてアニエスは言うと、一番近くにいた護衛のメイジに「すぐ戻ってくるので姫様をお願いします」と告げると、すぐさま給仕室がある食堂の方へと駈けだしていった。
少しした後、彼女の背中に「あと何か簡単に食べれる物もね~」という声も聞こえてきた。
※
「はぁ、全く姫様ももう少しトリステイン王女の自覚をだな...」
ため息と愚痴が交互にアニエスの口から出てくる。学院の生徒や貴族がチラチラと見てくるが、彼女にはそんなの関係なかった。
アンリエッタと二人でトリスタニアへと赴いた日から、アニエスは度々アンリエッタの護衛につくようになった。
式典や視察の道中での護衛などが主であるが、貴族でもなく、しかも騎士としてもまだ若いアニエスにとっては大出世といっても過言ではない状況である。
しかし護衛といいつつもその内容は、アンリエッタの愚痴を聞いたり駄々をこねるのをなだめたりと、血生臭い事どころか剣士らしい仕事は全くない。
平和なのは大変結構であるのだが、真面目なアニエスとしては少しやるせないのであった。
幸か不幸か、アンリエッタは彼女を気に入ったようで、アニエスとしても最近では「手間のかかる妹」のように思えてきていた。
今回の品評会では、本来アンリエッタの護衛を務める筈であった魔法衛士隊長のワルド子爵が数日前に何者かの襲撃を受けたとの情報が城を駆け巡った。
幸い本人の命に別状はなく、まだ完治していない個所に包帯を巻いて品評会に出ているのだが、敵国の闇討ちと判断した王室は警備を一層強化。
近衛隊と魔法衛士隊の数を増やすと同時に、学院の周囲にも兵を配置したのである。
その際、アンリエッタから直々の指名を受けたのがアニエスのいる部隊であった。
そんな理由で現在、アニエスは姫の機嫌直しをすべく、学院の給仕室の前にいた。
出そうになるため息を抑え、代わりに咳を出したアニエスが入口の扉を開くと、使用人の休憩室と思われる部屋に数人の女性が立っていた。
濃紺のワンピースに白いエプロン、その姿から学院のメイド達だと思われるが、一人だけ、服装がアニエスと一緒なのがいる。
「あの...騎士様困ります」
「動くな!これは重要な任務の一環なのだ!お前達が危険人物ではないと確認するため。いいからじっとしているんだ」
そう言うと騎士は荒く呼吸をしながら、横一列に並んでいるメイド達の顔と体をジロジロと見ていく。
そして一番端まで行った後、少し前に戻って、目の前にいるメイドに指をさした。
「お前...名前は?」
「え?...し、シエスタと申します」
急に質問されてビクビクと震えるシエスタに、その騎士はハァハァと呼吸を荒げ、「けしからん、けしからんぞぉ...」と何かブツブツつぶやき出した。
アニエスの場所からは背中しか見えないが、その後ろ姿は見覚えがありすぎる。
「お前!服の下にけしから...危険物を持っているな!」
「へっ?」
「よ、よし。来い貴様。少々取り調べを...」
「な~にやってんだミシェル!」
シエスタの手を取ろうとした騎士の頭に、アニエスが勢いよく手を振り下ろした。
「グハァッ!」という叫びと共に、ミシェルと呼ばれた騎士は頭を押さえながら後ろを振り向いてきた。しかしアニエスだと分かった途端、その表情は驚きと嬉しさを混じらせたものに変わった。
その顔を見て、アニエスの口から本日何度目かの溜息が洩れた。
アニエスと似たつり眼と、青が混じった黒いショートカットがボーイッシュさを漂わせている「彼女」は、部隊の後輩であるミシェルであった。
一年遅れで入隊してきた彼女はアニエスの事は「先輩」といって慕ってくるのであるが、その端正な顔立ちの影に獰猛な本性を隠し持っているのである。
「あ、アニエス先輩!なんでここにいるのですか?まさか...私に会いに来てくれたのですか!?」
「なわけないだろ!お前に会いに行くくらいなら一人で竜の巣に突っ込んだ方がまだマシだ!」
彼女、無類の女好きなのである。
入隊当初はその真面目な仕事ぶりと剣の腕、そして数少ない同性ということで、アニエスも可愛い後輩が出来たと喜んでいた。
しかし夜勤の時や仮眠を取る時など、一緒にいることが「妙」に増え始めてから、彼女は徐々に牙をむき出してきた。
『先輩!隣で寝てもいいですか!?先輩の匂いがないと眠れません!』
『先輩!剣の訓練に付き合って下さい!大丈夫です。練習着は私が使った後エフンエフン洗っておきますから!』
『先輩!偶には街に飲みに行きませんか?「魅惑の妖精」亭っていう良いお店があるらしいんです!なんでも可愛い女の子にお触り出来ると・・・・』
『先輩というかお姉さゴブハッ!!』(最後まで言い切る前にアニエスに蹴られる)
と、これまでに何度となくアニエスを「そっち」の世界へと引き込もうとしてくるのだった。
アニエスとしても、「可愛い後輩」から「かなりうっとおしい後輩」へとジョブチェンジしたミシェルの扱いには困り果てていた。
そのうっとおしさは、最近では気を抜けば寝床なり風呂場なり襲いかかる彼女をもはや「後輩」から「暗殺者」という立場に変えようかと思っている程うっとおしいのである。
しかも彼女、仕事は真面目に良くこなすのでタチが悪い。
どうすればいいかオロオロとしているメイドに、アニエスが「姫様への飲み物と菓子を頼む」と、お茶の入ったポットとお菓子を頼んだ。
メイド達はこの状況から逃げれると分かったのか、顔を明るくして厨房へと戻っていった。
シエスタ達が厨房へと消えたのを確認し、こちらを見て頬を赤く染めたミシェルに顔を戻すと、アニエスは何度目かの溜息を吐いた。
「ミシェル、お前今日は学院の外での見張りだろ?なんでこんな所にいるんだ」
アニエス自身はアンリエッタの話相手もとい護衛役に指名されていたため、部隊の具体的な配置などは聞いていなかった。
しかし大まかに聞いたところだと、姫様を中心に魔法衛士隊と近衛隊が配置され、学院の屋上にもメイジの見張りが設置されているとのこと。そして学院の外をアニエスらの部隊とメイジの部隊が囲むように置かれていると聞いていた。
だから同じ部隊であるミシェルが学院の中に、それも給仕室にいるのは明らかに不自然であったのだ。
「先程交代がかかりまして、今は休憩中です。それで外の木陰で休んでいたんですが...壁の向こうからメイド達の楽しげな声が聞こえてきて...我慢出来ませんでした」
「どんだけメンタル弱いんだお前は。裏路地にいる強盗でももっと我慢強いわ」
「だって...だって先輩がいけないんですよッ!」
突然の被害宣告にアニエスの口が思わず「はっ?」と聞き返してしまった。
ミシェルは拗ねたように口を尖らせて、言葉を続ける。
「今まで先輩がいたから、あんな野郎共の臭い漂う中でもやってこれたのです」
「お前今さらっと凄いこと言わなかったか?」
「それが最近の先輩はアンリエッタ姫とイチャコラいちゃこらチュッチュと...今日だって先輩だけ姫様の護衛で、私は男臭い野郎共と一緒。しかも女子生徒すら見れない学院の外にって...なんですか?この差は?私にどうしろというのですか!?」
「どうもこうも、ちゃんと仕事しろ。というかお前、そんな男嫌いなのに今まで良くやってこれたな...」
「先輩がいたからですよ!先輩の優しさと香りと存在が私を支えていたのに!それを姫様が奪っていって...ずるいです!私も混ぜて下さい!」
「あほかッ!」
アニエスのチョップが再びミシェルの頭へと振り下ろされる。「クハッ!」と声を上げて頭を押さえるミシェルを呆れた表情で見ながら、アニエスはまたため息を吐いた。
正直形だけとはいえ姫の護衛をしている自分が、なんでわざわざ危険人物を連れていかねばならないのだ。
最近、上司にも同僚にもめぐまれない気がする...
アニエスの胃がキリキリと痛み出した頃、先ほど厨房へと行っていたメイドがお茶を入れたポットとカップ、そしてお菓子を入れたバスケットを持ってきた。
「あの騎士様、これでよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、これで構わない。感謝する」
早く姫様の元へ運ぼうとアニエスがメイドから素早くお茶の乗ったトレイとバスケットを受け取ると、すぐさま体を方向転換させ、出口へと歩き出そうと足を踏み出した。
しかし、ミシェルによってそれは止められた。
「待って下さい先輩!私も一緒に行きます!」
ミシェルは出口へと行こうとするアニエスの腰の部分を掴んだ。
急に引っ張られたことで、ポットのお茶とカップがグラグラとトレイで揺れる。
必死でバランスを取りながら、アニエスは腰にしがみつくミシェルを振りほどこうとするが、お茶道具を落としかねないために十分に力を入れられない。
「何言ってるんだお前は!?いいから大人しく持ち場に戻れ!」
「私だって、姫様とイチャイチャしたいんです!正確に言えば母性あふるるアニエス先輩と純粋な乙女の姫様とでいちゃイチャしたいのです!」
「知るか!つーか離せ馬鹿!お茶が零れるし...ほら何かメイド達がぬるい目でこっち見てるじゃないか!」
「いいじゃないですか。今こそ我らの強さを民衆に見せつけましょう♡」
「くっそ私の周りにはロクな奴がいないな!」
その後、アニエスが給仕室を脱出したのは、それから少し経ってからであった。
彼女が会場へと戻るまで、アンリエッタはキョロキョロと辺りを見回し、アニエスが来るのを待っていたのだった。
「遅いなぁ~アニエス...もうすぐ品評会が始まるのに...」
まだ来ないアニエスを心配しているのだが、アンリエッタの耳には品評会の始まりを告げる、司会役の教師の声が聞こえてきた。
「では、品評会のほうに移りたいと思います!まず最初の学生は、ギーシュ・ド・グラモンとその使い魔ヴェルダンデです!」