ルイズはベッドの中で夢を見ていた。
トリステイン学院から3日ほどの距離にある彼女の故郷、ラ・ヴァリエール領の屋敷の中庭で、幼い姿に戻った彼女は、母の説教から逃げ回っていた。
「ルイズ、ルイズ、ルイズ!何処へ行ったの?まだお説教は終わっていませんよ!!」
屋敷の方から母の声が聞こえてくる。
その声よりもさらに近くから、自分を探しに来た召使たちの話し声も耳に届いてきたので、ルイズはその場を離れようと、今いた植込みの中を抜けて、動き始めた。
「ルイズお嬢様は難儀だねえ」
「まったくだ、上の2人のお嬢様は魔法があんなにおできになるというのに」
中庭を探している召使たちの陰口が聞こえてきた。
悲しさと、悔しさで、ルイズの目には知らず知らずの内に涙が滲んできた。
いつの頃からか、周囲の人から陰口を囁かれるようになった。しかし、ルイズにはそのことよりも、家族からの目線が辛かった。
二人の姉が既に魔法を使えるようになった歳になっても、ルイズの魔法はいつも失敗ばかりしていた。
途端に周囲の目線が辛くなったことを幼心に感じ取ったルイズは、母に怒られながらも、人一倍魔法の練習をしてきたつもりだった。
しかし結果はいつも同じ、爆発の音と煙幕が目の前に残るだけであった。
それでも家族はルイズに優しく接していた。
父は魔法を使えないルイズも二人の姉と同様に愛を注いでくれ、上の二人の姉も、違いはあれどルイズが魔法を使えるよう見守っていてくれた。
そして今も遠くから声が聞こえてくるルイズの母も、魔法が使えないルイズを叱れど、朝から夜遅くまで熱心に彼女の魔法の指導をしてくれていたのだった。
そんな家族の気持ちに応えることが出来ない自分に、ルイズは耐えられなかった。
そうして、いつの間にか屋敷を抜け出して、一人になることが多くなっていた。
ルイズは歯噛みしながらいつもの場所に向かう。
そこは彼女の唯一安心出来る場所、『秘密の場所』と呼ぶ中庭の池である。
あまり人が寄りつかない、うらぶれた中庭。
池の周りには季節の花が咲き乱れ、小鳥が集う石のアーチとベンチがあった。
池の真ん中には小さな島があり、そこには白い石で造られた東屋が建っている。
その小さな島のほとりに小船が一艘浮いていた。船遊びを楽しむ為の小船も、今は使われていない 。
そんなわけで、この忘れられた中庭の島のほとりにある小船を気に留めるのは、今はルイズ以外に誰もいない。
ルイズは母に叱られると、決まってこの中庭の池に逃げ込んでいた。
小舟の中に予め用意してあった毛布に潜り込み、水面の揺れにゆったりと身を任せていると…
どこから現れたのか、一人のマントを羽織った立派な青年の貴族が現れた。
年は大体十代後半、夢の中のルイズは六、七歳であるから、十ばかり年上だろうと感じる。
「泣いているのかい?ルイズ」
つばの広い帽子に隠されていて顔は見えない。毛布からちょこっと顔を出すと、ルイズは羽つき帽子に顔を隠した青年に目を向けた。
「今日は君のお父上に呼ばれたのさ。あの話のことでね」
青年はルイズが顔を出したのを見ると、自分が屋敷に来た理由を話し始めた。
この頃、晩餐会を共にすることが多く、父と彼との間でなにか約束を交わしていたらしい。
帽子の下の顔がニッコリと笑うと、スッと手を差し伸べてきた。
「ミ・レィディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって。もうじきパーティが始まるよ」
「・・・」
「また怒られたんだね? 安心しなさい。ぼくからお父上にとりなしてあげよう」
青年の手は、ルイズの前に出されたまま止まった。大きく、優しそうな手である。
しかし、夢の中のルイズは顔は出せども、一向に毛布から出ようとしなかった。
青年を見る顔も、どこかいぶかしげである。
そんな様子を不思議に思ったのか、貴族の青年はもう一度ルイズに話しかけてきた。
「どうしたんだいルイズ?恐がらなくても大丈夫だよ。僕がルイズの事を守ってあげるから…」
優しく喋りかけてくる青年に、ルイズは意を決したように毛布から這い出してくると、夢の中で、初めて口を開いた。
「あの・・・・」
「ん?」
「どなたでしょうか?」
夢の中であるが、ルイズはその場の空気が沈んだのを感じた。
「ハッ!?」
ルイズがベッドから勢いよく飛び起きた。あたりを見渡せば、そこは見慣れた寮の自室だった 。
窓から差し込んでくる筈の朝日はなく、部屋の中はまだ薄暗かった。
しばらくぼんやりとしていたルイズであったが、不意に何か思い出したのか、バッと体にかけてあった毛布を払うと、今まで自分が寝ていた場所に手をあててなぞり始めた。
少し経った後で、ルイズはほぉ~っとため息を吐くと、ぼそりと呟いた。
「良かった・・・『漏らして』ないようね」
ルイズは安心したのか、そのままドサリとベッドに倒れた。
今朝見た夢を思い返すと、屋敷の中庭にある池が鮮明に思い返される。
(ああいう夢の時って、偶にやっちゃってる時あるのよね~こんなのバカ犬やキュルケなんかに知られたら…)
ベッドにゆったりと体を預けながら、ぼんやりと、先ほどまで見ていた夢を思いかえす。
あの夢に出てきた青年の顔と名前を思い出そうとまだ重たい頭を使って考えるが、霞がかかったようにまるで口から出てこなかった。
(誰だったけ?なんかあの頃ちょくちょく屋敷に来てたけど~なんかいっつも同じ帽子ばかり被ってきてたから…それは出てくるんだけど…顔がなんか思い出せないわ)
しかし、ルイズとしてはあまり重要に考えていなかった。
夢の中の青年が屋敷に来ていたのは10年も前の事である。
しかも自分は当時6歳なのだ。いくら人付き合いが大事な貴族だからといって、10年も会っていない人の顔と名前を覚えていられるだろうか?
否、不可能だ。
無理である。
そもそも覚えていたら自分でも若干ヒく。
そう自分に言い聞かせると、ルイズはベッドの上をゴロゴロと転がりながら隣に置かれた藁にいる筈のサイトの方に目を向けた。
「サイ・・・ト?」
ルイズは再びベッドからはね起きた。昨夜は藁の上で寝ていたサイトが、今はその場にいなかった。
良く見ると、壁に立てかけていたデルフリンガーもない。
「え…ちょ、何処にいったのよアイツ…」
辺りをキョロキョロと見回すが、薄暗い部屋の中には何処にも使い魔の姿は見えない。
早朝特有の静けさが、ルイズの心を急に不安にさせる。
心配になったルイズはサイトを探そうと、ベッドから出ようとした時、窓の外から少年の声が聞こえてきた。
※
朝霧が漂う学院の庭、それを払うかのようにサイトは地面を蹴った、そして手に持った剣を目の前に立つ少年に向かって振りかぶる。
「オリャァッ!!」
振り下ろされた剣は少年の頭を捉える・・・・筈であったが、少年はわずかに体を横に移動すると、サイトの剣は空しく少年の横を通過していく。
それと同時に、サイトの喉に衝撃が走った。
少年はサイトの喉仏に掌ていを当て、そのまま首に腕をかけると、同時に足を引っ掛けてサイトを地面に倒した。
背中から地面に叩きつけられた衝撃で、サイトの口から強制的に息が吐かれる。
「ガハッ!!」
「次はサイト君が受ける番だよ」
少年はサイトの襟首を掴んで無理やり立たせると、すぐに2,3メイル距離を離して構えた。
息を整える暇もなく、サイトも慌てて剣を中段に構えて少年の攻撃に備える。
パーカーは来ておらず、朝の冷たい空気が火照る体を冷やしていく。
サイトは目の前に立つ少年をジッと見ながら、すぐに対応できるようつま先に体重をかけていく。
息を整えようと大きく息を吸って吐いた...次の瞬間、
急に少年の体が大きくなり、剣を持っている両手首を掴まれたと思った後には、サイトの体は再び地面へと向かった。
両手首を固定されながら倒され、何とか起き上がろうとサイトが上体に力を入れると、鈍い風切り音と共に、サイトの顔のすぐ横に足が刺さっていた。
一瞬、心臓と息が止まったサイトに、手首を掴んでいる少年は二カッとサイトに笑いかけた。
「ほい、まだまだ勉強不足だべサイト君。もうちっと頑張らねぇと」
紅い髪の少年、ジョルジュはサイトをゆっくりと起き上がらせると、サイトの背中に着いた埃を払いながら言った。
フーケの捜索と舞踏会から10日程。
サイトはルイズの寝ている早朝から、ジョルジュに訓練を受けていた。
舞踏会の後、サイトは改めて魔法の恐ろしさを知った。
もしこの先、ジョルジュみたいなメイジが味方ならいいが、敵としてやってくれば...
そう考えた彼の頭の中に、桃色髪のご主人様が浮かんで来たのだった。
考えたらすぐ行動。
舞踏会が終わった翌日からサイトの訓練が始まったのだ。
ランニングから腕立て伏せ、腹筋などの筋トレに始まり、デルフリンガーの素振り。
そんな様子を初日に見つけ、手合わせを提案してきたのがジョルジュであった。
サイトは喜んでそれを受けた。それからというもの、ジョルジュが花壇の手入れを終えた後、二人での組手が行われるようになった。
サイトが組手の時に使うのは、ジョルジュが作ってくれた木剣、「剣」というよりは修学旅行で買えるような形をしているので「木刀」と言った方がいいかもしれない。
対してジョルジュの方は杖もなければ何も持っていない素手。しかし、サイトにはそれでも十分脅威である。
ジョルジュは体は少年だが、サイトの世界ではかつての師である与作、通称「人斬りヨサク」の相棒「血まみれゴサク」であったのだ。(こっちの世界でも「血まみれ」と呼ばれているらしいし)
そんなジョルジュから見れば、剣を持ったサイトなどトラン○スから剣を受け取ったコ○ド大王に等しい。
そうして特訓が始まってから10日目、今だにジョルジュから一本を取れないサイトであった。
「剣術じゃない?与作先生が?」
手合わせを終えた後、サイトはデルフリンガーを振りながら花壇に水をやるジョルジュに聞き返した。
話題は二人の共通の知り合いである、よっちゃんこと「森永与作」の事である。
ジョルジュは花壇に咲く花をジッと見ていた。咲き具合をチェックしている様で、隣に動いてまた花壇の花を観察するように見る。
「そうだよ。よっちゃんから剣術学んだって言うけど...元々よっちゃんって剣術どころか剣道すら習ってないだよ」
「だけど、与作先生の道場には『森永流剣術』って・・・・」
「それ...たぶん嘘だよ。だってオラと一緒にいたころは「斧」使ってたもん」
「斧ぉ!!?」
余りの事実にサイトの体に衝撃が走る。
斧ってドラクエに出てくる!?というよりもあっちの世界で、実際斧なんか持ってる人っているのだろうか?
「あの頃はオラもよっちゃんも若くてなぁ~。どっかの学校に出入りする時はオラもメリケンサックなんか持って行ったんだけど、よっちゃんなんかは家にある斧を持って...」
「いやいやジョルジュさん...若気の至りで斧持つ人はいないです」
「あの頃のよっちゃんの口癖は『切れれば何でもイイ』だったからなぁ...実家が樵の家系だからかなぁ?」
「樵だからじゃないですよッ!!普通に危ない人じゃないですか!!?」
サイトは道場で稽古をしていたあの頃を思い返す。確かにあの人が教えてくれたのは
「敵に対して思い切り振り下ろせ」や「相手の武器毎叩き切れ」やはては「相手の攻撃など無視しろ」など、およそ剣術とは思えないモノばかりであった。
おかげで度胸はある程度付いたが...危うく自分も危ない人になるところだった。
サイトは背中がぞーっと冷たくなるのを感じていると、作業を終えたのか、ジョルジュが周りに置いてある道具を片づけると、スッと立ち上がった。
「んじゃぁ、オラはこれで行くけんど...サイト君は?」
「あ、オレももう少ししたら洗濯に行くんで...」
「そっか。じゃあ、まただよ」
ジョルジュは手を上げてると、肩に道具を担いで男子寮へと歩いて行った。
その背中を見送るサイトの手元から、デルフリンガーの声が聞こえてきた。
「相棒もえっらい奴に教えてもらってたんだなぁ」
「まあ、悪い人じゃ無かったよ」
サイトは乾いた声でデルフに答えた。
そうこうしている内に大分時間も経った様で、まだ朝早いとはいえ、先ほどまで漂っていた朝霧も消え、外の空気も暖かくなっている。
サイトは部屋に戻り、ルイズに言われた洗濯物を取りに行こうと、デルフリンガーを鞘に入れた。
その時、上空を何かが通り過ぎた音が聞こえ、サイトは顔を上げた。
頭上には既に何もいなかったが、少し離れた空に、馴染みのある蒼い羽が羽ばたいていた。
※
サイトとジョルジュが朝早く動いているのと同じく、人でなくとも朝早くから動き回るモノも多数いた。
二人がいる庭の丁度反対側に位置する場所に、使い魔のための小屋が建てられている。
通常、使い魔は召喚主である学生の部屋で生活を共にするのであるが、ドラゴンや馬、ゴーレムのような大型の使い魔は部屋に入ることが難しいため、学院内に建てられた、この使い魔専用の小屋で寝ていた。
小屋といってもその大きさは学院で働く給仕達の仕事場と同じくらいの大きさであり、学院の学生たちの使い魔がこの場所で生活しているため、小屋の中には大型の使い魔が数多く生活している。
そんな小屋の前で、春に召喚された時よりも大きくなったノエルの使い魔、レミアは暴れていた。
『チクショーッ!!あの雌豚吸血鬼めーッ!!私のノエル様をタブらしやがってーッ!!!』
大きな体を地面に叩きつけ、まるで陸に上がった魚のようにビッタンビッタン地面の上で跳ねている。
これだけ小屋の前で暴れていれば一匹くらい使い魔が起きてきそうだが、皆睡眠の方が大事なのか、それとも慣れているのか、小屋の中の使い魔は気持ちよさそうに寝息を立てている。
ズシンズシンと地面を揺らすレミアを遠目で見ながら、サラマンダーのフレイムはレミアに火の粉を飛ばした。
『ちょっと、レミア静かにしろよ!!先輩方起こしたらどうするんだ!?』
『ウェ?その声は、フレイム!フレイムか!!遅いよこのトカゲ野郎!!』
『なんだよ?呼ばれてきたのに酷くねぇ!?』
―フレイムさん、あなたの言い方も悪いですよ―
『えーっなにこれ?なんでオイラ朝から責められてんの?』
フレイムは横からルーナに注意を受けると、口をあんぐりと開けると、くりっとした黒眼で、悲しそうにルーナを見上げた。
そのフレイムの視界に、バッサバッサと羽の音と共に、青色の巨体が飛び込んできた。
今年召喚されてきた「時」には最も体が大きかった風韻竜、シルフィードである。
シルフィードは少し離れた場所に降りると、ドスドスと二匹の元へと掛け寄ってきた。
『きゅいきゅいーッルーナちゃんにフレイムもおはようなのねーっ!』
『だからウルセーって!!なんでこう、デッカイ奴は朝から騒がしいんだよ』
『きゅい、フレイム酷いのね!!とてもお姉様の親友の使い魔とは思えないのね!!』
―フレイムさん、言って良いことと悪い事がありますよ―
『ちくしょう!!今朝は何言ってもオイラが悪者だよ』
フレイムの目から涙が出そうになった時、レミアがズリズリと体を這わせながら3匹の元へと寄ってきた。
『来たかいシルフィード...一番重要な奴が来てくれたよ』
舌を出しながら近づいてくるレミアを見ながら、フレイムはクェェと低い声で鳴いてレミアを見上げた。
『まあ、お前が昨日「明日の朝ちょっと来い!!」って呼んだんだけどな』
それに続いてシルフィードもキュイキュイと鳴くと、首を上の方へ動かしてレミアを見上げた。
『きゅいきゅい、そう言うことね!!それで相談したい事があるからって、シルフィは必ず来いって言ってたのね!!』
最後にルーナが顎に手を当てながら、目の前で止まったレミアを見上げたのだが、彼女の視界には顔が映らなかった。
―そうですね...しかし、なんというかレミアさん...ここ数日間で大分...―
『『『大きくなった(な)(のね)(ようですね)』』』
ノエルの使い魔レミア、その体は召喚の儀式の時と比べ、シルフィードが見上げる程までに巨大化していたのであった。
『あの新入りの所為だよ!!』
そう叫んだレミアの目には、「嫉妬」という感情が蠢いていた。
※
『キュイーッ!?私のせいなのぉ!?』
『そうさぁ!!元々はアンタがあの吸血鬼の小娘を連れてきたんだろっ!』
シルフィードは辺りを気にせずに大きな声で鳴いた。
空気がビリビリと震え、傍にいたフレイムはクェェと鳴いて顔をしかめた。
しかしそんなことは関係なく、レミアはすっかりと太くなった自分の体をとぐろ状に巻いていくと、近くにある校舎の二階程にまで顔が届いた。
フリッグの舞踏会の時はそこまで大きくなかったのだが、彼の主人であるノエルが居なくなった翌日から、見る見るうちに大きくなった。
それはノエルが戻ってきた後も、収まるどころかさらに巨大化してしまった。
レミアは舌をチロチロと動かすと、首をフルフルと振りながら、悲しそうに話し始めた。
『あの小娘がやってくるまで、私は幸せだった...そりゃ、召喚された時は不安だった。思わずご主人様を...ノエル様を締め付けて飲み込んだりもしてしまった』
『その時点でお前の主人的には不幸な気がするんだけど...』
『黙れ小僧!!』
口を挟んできたフレイムに、レミアは牙の先端付近からピュッと液体を飛ばした。
フレイムはそれを体をよじってかわしたが、液体が地面に着いた瞬間、ジュアアッと音と煙を立てる。
『危な!毒飛ばしてくるなよ!!』
フレイムの抗議は無視し、レミアはシューシューと音を立てながら話を戻した。
『でも、ノエル様は...あの人はまだ小さかった私を大事にしてくれた。自然の厳しい世界で生きてきた私にはそれがホント、心に浸みたわ』
『きゅいきゅい...ルーナちゃん、レミアちゃん何歳なのね?』
シルフィードは、レミアに聞こえないように、横にいるルーナに尋ねてみた。
―そうですね、私たちのようなモノはそういう概念が薄いのですし、それぞれ個体差があるのでどうも言えませんが...人間で言うと大体2○歳...―
『きゅいー!!?もうおばさんなのね!「ちゃん」づけなんてしちゃいけなかったのね!』
思わず声を上げてしまったシルフィにギラリとレミアの視線が突き刺さる。
シルフィもそれに気づいて、しまったとばかりに口を開けて、だらだらと汗を流していた。
『シルフィード、アンタなんか言ったかい?』
『え?シルフィは何にも言ってないよ?フレイムが言ったんじゃないかしら?ルールルー♪』
『おいシルフィード!なんでオイラに振るんだよ!?確実にお前喋ってたろい!』
『フレイムううぅ!!』シャーッ!!
『鵜呑みかこの蛇は!』クエェーッ!
レミアとフレイムは互いに威嚇するように口を開けて鳴いた後、再びレミアはノエルとの思い出を語り始めた。
『幸せな日々が続いたわ...多くを語らないノエル様だけど、あの人の傍にいるだけで私の心は安らいだ...あの人が私の中にいるだけで、幸せな気持ちでいっぱいだった』
(蛇の中に入り込む時点でまともな人間じゃねぇだろ...)
『それなのにッ...!あの人間達の舞踏会が終わった翌日、ノエル様は私の傍から姿を消してしまった!!』
レミアは高く上げていた頭をシルフィードの方に動かすと、ほんの数サントの距離で、シルフィードの前で止めた。
無言でなにも言ってこないが、「お前が連れて行ったからな!」と目で訴えてくるその雰囲気に、シルフィードは竜なのに固まってしまった。
きゅいいっと鳴くシルフィードを見て、レミアは舌でチロチロとシルフィードの鼻先を舐め、頭を上に戻すと、今度は目からポロポロと涙を流し始めた。
『辛かった...ッ!私の愛するノエル様が急にいなくなり、私は、私はノエル様がいないか辺りを探し始めた。何日も何日も、私は学院の外に出てあの人を探した』
―それで、遭遇したモノを飲み込んで、そこまで大きくなったと―
『私の道を邪魔するモノは容赦しなかったのよ!草原で襲ってくる狼を飲み込んで、川で水を飲んでいた鹿も飲み込んで、森で遭遇したオーク鬼を飲み込んだ。
だけどいくらお腹を満たそうとしても、私の心は満たされなかった』
(そんなに喰ってたらそりゃ太るわな)
『一週間経って、私は学院に戻ってきた。そしたらノエル様が戻って来ているじゃない!嬉しかった...御無事でホント嬉しかった...あんの吸血鬼がいなければなッ!!』
レミアは先ほどまでやっていた様に、頭を地面にビッタンビッタンと叩きつけながらシャーッと鳴き声を上げた。
これがレミアのものすごく怒っている様子らしく、彼女の頭が地面を叩く度、辺りの木々を揺らして、その牙から毒液を垂らした。
周りにいた3匹は、慌ててその場を離れる。
『あんの泥棒吸血鬼がぁーッッ!!ノエル様の膝に乗りながら「私エルザ!よろしくね」って、ヨロシクじゃねぇんだよ!!ノエル様の体はなぁ、頭の先からつま先まで神聖なものなんだよ!お前みたいな吸血鬼がノエル様の体に触れること自体駄目なんだよ!!それをつけ上がって「一緒に寝よお兄ちゃん?」ざっけんな!!ノエル様のベッドはなぁ、召喚された時からレミアの中って歴史の本に書かれてるんだぁーッ!!』
『おおお落ち着けってレミア!辺りが毒液で溶けて...やっば、尻尾にかかっちまった!』
『きゅいきゅいッ!落ち着くのねレミアちゃ...姉様?辺りが煙で凄いことになってるのね!』
『あ、ルーナの奴地面に潜り込みやがった!!』
しばらくの間、レミアは毒液を飛ばしながら地面に頭を叩いていた。
小屋の使い魔達もその音で起きていたのだが、どの使い魔もわざわざ厄介なコアトルなど相手にしたくもなく、はやく静まるのを願って寝床で目を閉じたのであった。
※
レミアの暴走から数分後、辺りは毒液の所為で煙がアチコチ上り、木の枝や草の端が溶け、校舎の壁は少しへこんでいる箇所もある。
レミアはぐったりと地面に体を伸ばし、前にいる3匹の使い魔を尻目にポロポロと涙を流していた。
『ううう...あの小娘が来てから、私の体はストレスの所為かさらに大きくなったわ...もうノエル様の部屋に入るのも無理。私はあの小娘がノエル様にくっついているのを窓の外からしか見れないの...うううううっ!!!』
ルーナとシルフィード、そしてフレイムは互いに顔を見合せた。
性格が偏っている蛇ではあるが、主人を慕う気持ちは同期の中では1,2を争うだろう。(シルフィードは自分だと思っているが、それを今言うほど馬鹿じゃない)
『きゅいきゅいぃ、ルーナちゃん、なんとかならないかしら?なんだかレミア姉様が不憫なのね』
シルフィードはルーナに聞くが、ルーナは困った表情を浮かべた。
―そうは言ってもですね...別段、ノエル様がレミアさんをないがしろにしているわけでもありませんし、それにノエル様も事情があってエルザさんを連れて来たようですが、使い魔というわけでもありませんから、考えすぎのような気がするのですが・・・―
ルーナの声を聞いていたのか、レミアはぐったりとしていた頭をブンブンと横に振った。
『「使い魔」としてじゃなくて「パートナー」としてノエル様の一番でいたいんだ!ふえええぇぇ・・・』
レミアの言葉に、ルーナもシルフィードも見せたことのないような苦い表情を浮かべる。
その足元にいるフレイムは、小さく火を吐くと、全く空気の読めていないセリフも吐いた。
『おいおいオイラ達は使い魔だぜ?そんなの無理に決まって...』
『シャァッ!!』
フレイムが最後まで言い切る前に、レミアは口を開いてフレイムの体を半分、口の中に入れてしまった。
ジタバタと口の中で暴れるフレイムであるが、ガッチリと閉じたレミアの口からは逃げられない。「クエエエッ~」という鳴き声がどこからか漏れてくる。
『やれやれフレイム氏、やはり貴方はレディへの心配りがなっていませんよ』
ルーナ達の足下から、「ゲコゲコ」という鳴き声と共に声が聞こえてきた。
ルーナがジッと地面を見ていると、草の間と間の地面に、黄色い肌をしたカエルがちょこんと座っていた。
それはトリステイン学院の使い魔の中で最も礼儀正しいカエル、モンモランシーの使い魔のロビンであった。
―ロビンさん?いつの間にそこにいらしたのですか?―
『いやはやルーナ嬢、ここには先程着いたばかりでして、なにやらお困りの様子でしたので来させていただきました。すみませんがルーナ嬢、お手を貸してはくれませんか?』
ルーナはクスリとほほ笑み、-ええ、どうぞ-と、地面近くに手を差し出した。
それを見たロビンは体を少し縮ませると、勢いよく飛びあがり、ルーナの薄緑色の指の先に、ちょこんと着陸した。
突然の乱入者に、レミアは既にぐったりとしていたフレイムを吐き出すと、ルーナの指先をジロリと睨んだ。
『なんだい...ロビン、アンタ、そこのシルフィードに潰されたって聞いたけど、生きてたのかい?』
レミアの言葉に、シルフィードはバツが悪そうに喉を鳴らした。
それをかばうかのように、ルーナの指で喉を膨らましながらロビンは一度大きく鳴くと、いかにも誇らしげに語り始めた。
『いやいや...私も見くびられたものですな。私をそんじょそこらのカエルと一緒にしないで頂きたいですなレミア嬢、私の家系は代々、貴族や戦士に仕えてきた由緒正しき一族なのですよ。特に私の曽祖父に当たりますかね、23代目当主の「ピョォンキッチ」は、当時の主人の衣服に同化し、悪の根源であった魔人、「ゴリラーイモ」を倒したと伝えられているのです。そんな素晴らしい血統を受け継ぐ私が、竜だからといってレディに潰されてしまうわけがありません。だから...』
『だから長えんだよ!別にお前の先祖の話は聞いてねぇって!!』
レミアに吐かれた後、地面に突っ伏したままのフレイムであったが、ロビンの長い話に思わず体を起こしてツッコンだ。
大きい口の中に閉じ込められていた所為か、顔にはねっとりとした液体が付いていた。
気持ち良く語っていたのを止められ、不満そうに喉を鳴らすロビンであったが、ルーナの手の平をちょこちょこと動き回ると、レミアの顔が見えるところまで移動した。
『大丈夫ですよレミア嬢、あなたのご主人であるノエル殿の気をあなたに向けさせる、とっておきの方法があります』
聞いた瞬間、レミアはカッと目を開き、地面に伏せてた顔を素早くロビンの所まで上げた。
『ほ、ほほホントかい!?どうしたらノエル様をあの吸血鬼娘から取り返せるんだい!!』
舌を出しながら興奮気味にまくしたててくるが、ロビンは「落ち着いてレミア嬢」と言葉を挟んだ。
『簡単なことですよレミア嬢、貴方がこの学院の中で一番素晴らしい使い魔だと、名実共に示せば良いのです。「メイジの力量は使い魔で決まる」、まさにそれを示す格好のイベントがあるではないですか!』
『おい、それって...まさか』
フレイムの言葉に、ロビンは正解と言わんばかりに口に端を上げた。
『そう、使い魔品評会です!!』