『お母様!あれ!あれ取って!』
『はしたないですよシャルロット。レディーなんだからおしとやかにしなさい』
お母様の優しい声が聞こえてくる。
子供の頃の記憶が夢に出てくるのはめったにないのに、二日も続くなんて初めてだ。
でもこれは...あの時の舞踏会の
『はいシャルロット、ハシバミ草のサラダ。ホントにシャルロットはこれ好きよね』
お母様がお皿に余所ってくれたお皿を手に取る。
そう、そしてこの後は、
『あ、ホラホラ見てシャルロット!!あっち、お父様がいらしたわ』
お母様の柔らかい両手が私の頬を挟んで顔を横に向けさせる。
私の視線にはあの頃のお父様拍手で迎える皆に笑顔を振りまいている。
そしてその隣にはあの男、お父様の兄であるあの男...
『シャルロット様、お飲み物をどうぞ』
右手から声が聞こえてきた。
声をかけてきた男の顔はぼやけているが、手に乗せられた銀色のトレイとその上に置かれたグラスははっきりと覚えている。
『ありがとう!』
誰とも知らずに大きな声でお礼を言う私。
私の右手がグラスへと伸びる。
このまま私が取ればよかったのに...
グラスに手が触れる直前、上の方からスッとグラスが取られた。
顔をあげると、グラスを手にしたお母様がうっとりとした目つきでお父様達の方を眺めている。
しかし手に持ったグラスは自然と口へと運ばれている。
駄目、それを飲んじゃ駄目ッ!!その飲みものには薬が...ッッ!
ノドが裂けるくらい叫んだつもりだが、お母様には全く聞こえていない。
『ハァ~やっぱりジョセシャルは鉄板よね~。鬼畜攻め義兄さんに素直受けのシャル...』
変なこと言ってないで手を止めてお母様!!小声で何変なこと呟いてるのッ!!?
私は精一杯手を伸ばす。
夢の私もゆっくりとお母様に手を伸ばすが、グラスは無情にも傾けられた。
瞬間、グラスが落ちて割れる音が頭に響く。
「ダメ...ダメっ!!」
「キャッ!!」
眼を開けるとブロンドの髪が私の頬を撫でた。
蒼く、つぶらな瞳が私をジッと見つめている。
彼女の名は確かエルザ。何故私の部屋に...
「びっくりした。起こそうとして部屋に来たら、お姉ちゃん唸ってるんだもん」
「・・・・そう」
私は上半身だけベッドから起こす。
体にいやな汗が纏わりついている。
窓の方に顔を向けて外の景色を除いた。
空は灰色の雲に覆われており、太陽に蓋がされているようである。
「というかお姉ちゃん寝過ぎでしょ?食べた後すぐ寝ちゃったんだから大分寝たよね?」
・・・・?それほど眠ったのか?
昨夜、確か私は食事をした後、彼を起こして眠りについた。
いつ吸血鬼が来るかも知れない状況だから、休める時に休まないといけないが、今はまだ朝の早い段階の筈...
「あ、お兄ちゃんならもう出かけちゃったよ?これ、お姉ちゃんにだって」
そう言いながら彼女は私に一枚の紙を渡す。
受け取った紙に目を通すと、そこには奇麗な文字で簡潔に内容が書かれていた。
吸血鬼探しにいく。
ノエル
(起こしてくれればいいのに・・・・ファッキン)「・・・・彼が外へ行ってどれくらい経った?」
「大分経ったよ...というかもうお昼だよ?お姉ちゃん」
「・・・・・・・」
やってしまった
「・・・不覚」
◆
「こ・・・これで半分か」
タバサが村長宅で起きた頃、ノエルは村はずれに建てられた一件の小屋の前にいた。
そこは昨日村人たちが言い争っていたのをタバサが見た場所、吸血鬼の疑いがあるマゼンダという女性の小屋であった。
ノエルは親指と人差し指で眼頭を押さえ、ぐらぐらする頭の重みに顔をしかめた。
昨夜、タバサに起こされて夜の見張りを交代して以降眠っていないため、目の周りにどんよりとクマが出来ている。
彼本来のジトっとした空気も加わり、普段よりも重苦しい空気が周囲を漂うが本人の意識はなぜか覚醒している。
朝を迎えてから、ノエルは犠牲者が出たとされる場所へと一つ一つ駆け回っていた。
こういう事はタバサが本来やるべきものだろうが、昨日彼女に言われた仕事の一つ「村の調査」を律義にこなしているのだった。
彼の性格上良く誤解されるのであるが、こう見えても言われた事はきっちりとこなすタイプであるのだ。
そんな真面目なのに臆病な性格でいつも損をするのであるが、彼自身は既に諦めているようで、やはり昨日タバサに言われた「シルフィードの世話」も行ったのであるが、
「きゅいきゅい!じゃあお兄様行ってくるのね!大丈夫よ。きっと上手く喋れるのね!」
ノエルは「アア…」と短く呻くと横から高い声で喋ってくるシルフィードの額を掻くように撫でた。
シルフィードは「きゅい♪」と嬉しそうに鳴くと、背中に生えている羽をパタパタとはためかせた。
きっかけは村の調査をする前、シルフィードに餌をやりに裏の小屋を訪れたときであった。
以前は馬を飼っていたという広い空間にシルフィードがスヤスヤと体を丸めて寝ていたのを起こした瞬間、
「きゅいきゅい!!お姉さまご飯なのね!?今日はちゃんとしたお肉を要求するね!じゃないとシルフィストライキ起こすのね!!」
寝ぼけていたのか何なのか。
大きな体が起き上がると同時に聞こえてきたのは竜の鳴き声でなく、小さい子供の声が辺りに響いた。
「ひいいいぃぃッ!!喋った!?」
「あ、まずいのね」
その後、ノエルはシルフィードから「実はシルフィ韻竜なのね」ととんでもないことを暴露され、挙句に「シルフィ退屈だからお兄様についていくね!」と村の調査についてくることとなった。
そして現在、シルフィードはノエルがマゼンダの小屋へと歩いていくのを後ろから見守っている。
「大丈夫よお兄様。シルフィが後ろで見守ってあげるから、恥ずかしがらずにちゃんと挨拶するのね」
母性に満ちた目でこちらを見る韻竜に、ノエルはため息を吐いた。
韻竜といえば現在では絶滅した竜である。
その知能の高さから人語を喋れると言われているが、それは既に確認済みだ。
何故タバサが召喚出来たのかとノエルは少し考えたが、「メイジの素質は使い魔を見れば分かる」という言葉にあるように、やはりメイジとしての力はあるのだろうと頭の中で結論付けた。
(や、やっぱあいつ...天才なのかな)
ノエルは小屋へ近づく途中、頭の中であの少女について考える。
学院では数人しかいないトライアングルクラスのメイジであり、その中でも5本の指に入る実力とされているタバサ。
(その中にはジョルジュやマーガレットも含まれているらしいが、ノエルにはジョルジュが入っているのが納得できない)
しかしここ数日、彼女と行動を共にしているがノエルが気づいたことといえば「ハシバミ草をこよなく愛している」のと「朝、自分で起きれない」ことぐらいだ。
それなのにガリアの王宮の騎士団員で、今回の吸血鬼退治には平気で自分を巻き込んできた。
(さ、さっぱりだ・・・)
やはり考えても答えは見つからない。
そうこうしてる間に、ノエルの目の前に木製の黒い扉がそびえている。
(と、とにかく今は手がかりになるモノを探そう...)
ノエルは2,3度呼吸を繰り返すと、少し汗ばんだ手をマントで拭ってから扉をノックした。
◆
「騎士なんかに任せても駄目だ!!どうせまたこの前と同じ結果だよ!!」
「だから言ってるんだ!!マゼンダの婆さんが吸血鬼に違いねぇ、今すぐにでもあいつらを殺すべきだ!!」
昼を過ぎて、本来ならば一番太陽が照る時間にも関わらず、分厚い雲が光を遮っているために村は夜の様に暗い。
一つだけ灯したランプをテーブルに置き、その周りでは村人達が騒がしい声で部屋の中を震わせていた。
村長の家では、村人たちがああだこうだと吸血鬼について議論を飛ばしている最中であった。
特に薬剤師のレオンは集まりの中央に陣取り、過激ともいえる発言をためらわずに言う。
「これ以上騎士が退治するのを待っていればまた犠牲者が出るぞ!!今すぐにマゼンダの所へ行って小屋毎燃やしてしまおう!!」
その言葉に慌てて村長が口をはさむ。
「落ち着くんだレオン。マゼンダが吸血鬼だという確固たる証拠もないのに早まった真似をしちゃいかん。ここは新しい騎士様に任せるべきだ」
「甘いんだ村長ッ!!」
レオンが拳でテーブルを強く叩き、その音が隅っこにいたエルザをビクッと震わせた。
それに気づいたのか、「エルザ、今は外にいなさい」と村長が声をかけると、
エルザは入口の傍にかけてある黒いローブを纏って逃げるように家を出て行った。
レオンは軽く舌打ちをし、ボサボサになった髪をかき上げてから村長を睨んだ。
「あの親子が来てから村人が吸血鬼に襲われるようになったんだ。それにアレキサンドルはずっと森にいるし、マゼンダの婆さんはめったに姿を見せねぇ。あんな怪しい親子を疑うなという方が難しいぜ!!」
「しかし、それだけでは吸血鬼だと決めれるものではない。村人同士が疑い始めたらそれこそ吸血鬼の思うツボだ」
村長は冷静にレオンを説得するが、頭に血が昇っているためか、結局議論は繰り返されるだけであった。
しかもレオンの考えを推す言葉も多数出てきた所為で、村人達の間には焼き打ちの考えが高まってきた。
「もう我慢できねぇ!!じっとしてたらいつ殺されるか分からねぇ!!村から逃げ出す奴も出てくるぞ!!」
「焼き打ちだ!!マゼンダの小屋を焼き打ちすんだ!!」
「おお俺たちで村を救うんだよッ!」
村人達が銘々声を上げ、最早村長がまとめられる状態ではなくなってしまった。
そしてレオンは年上の者たちが止める声も聞かず、数人の若者を連れて焼き打ちに行こうと扉まで近づいた。
しかしその時、
「まって」
小さいが、はっきりと聞こえてきた声に村人全員が声がした方へと顔を向けた。
村人達が囲んでいるテーブルから見える台所から、ひょこっと顔を出したのはタバサであった。
しかし制服を着てはいるが、髪の毛は所々ピンと跳ねあがり、眼鏡の奥の瞼は閉じかけている。
いかにもさっきまで寝ていたという顔だ。
「私の仲間が吸血鬼を探している。モグモグ吸血鬼を見つけて倒すのは私たちの仕事、あなた達は吸血鬼からモグモグ身を護ることを考えるべきモグモグ」
タバサは手に乗せた大量のサンドイッチを頬張りながらテーブルの傍まで歩いてきた。
そんなタバサの様子を見て村人達は一様にいぶかしげな表情を浮かべた。
扉のそばにいるレオン達にいたってはあらかさま敵対心を持った目を向けている。
「グッジョブ村長...ムラサキヨモギのサンドイッチを用意してくれたのは嬉しい」
「は、はあ、お気に召して下さいましたかな騎士様...昨夜の残りで作ったものでしたので...」
「後でおかわりを」
「そんなのどうでもいいだろ!!」
タバサの場違いな会話に村人たちが怒声を張り上げる。
レオンはタバサの傍まで来ると、血走った眼をタバサに向けていった。
「騎士様よ。もうアンタはすっ込んでてくれ。これまでに来た騎士様方も2,3日したら死んじまった。オレ達はもうアンタ達に頼らねえよ!!とっとと帰ってくれッ!」
「レオン!!騎士様に向かってなんていう口の聞き方を!!」
村長は二人の間に入ってレオンに強く言うが、レオンの顔には反省の色は全くない。
しかし、他の村人達も疑いの目でタバサを見ている。
いかにも「こんな小さな少女に任せられるのか」という目を向けられているが、当のタバサはサンドイッチを飲み込むと、涼しい顔でキッパリといった。
「2日で吸血鬼は見つかる」
村人達の目は驚きに変わり、部屋の中はざわつき始めた。
レオンも驚きを隠せず、こわばった顔から無理やり声を出した。
「そ、そんなこと信じられるか!!」
「本当、私たちは花壇騎士団。こういうことには慣れている。吸血鬼も時間の問題。遅くても明日の夜までには確実に捕まえられる」
淡々とした口調で答えるタバサにただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、先ほどまで疑いの目を向けていた村人達がじっとタバサの言葉に聞き入っている。
いつの間にかレオンの周りにいた若者たちもタバサの周りに集まってきていた。
「今あなたたちがすること...それは自分の身を守ること。それには皆の協力が必要」
タバサがサンドイッチに齧りつきながら話を続けると、村長はおずおずとタバサの隣に顔を近づけて尋ねた。
「あの...私たちは一体何をすれば」
タバサはくるっと村人達の顔を見回すと、誰も座っていない椅子に飛び乗って床に指をさした。
「まず村の女性、子供たちを全員この家に集めて。この事件が終わるまでこの家にみんな避難させる」
サンドイッチが無くなった皿をテーブルに置き、タバサは床を指していた指を急に村人達に向けた。
指された村人はビクッと体を震わす。
「男性はこの家の周囲と家の中を交代で見張る。吸血鬼が来たら私たちが倒す」
タバサは椅子からピョンと飛び降りると、少しずれた眼鏡を直した。
皆一様にタバサの作戦を聞いており、誰も反対の声を上げていない。
「これで夜中の襲撃を防ぐ。やってきたら私たちが倒し、夜が明けたら吸血鬼を探して倒す」
部屋の中は少しの間シーンと静まり、そして所所から「オオッ」や「なるほど」という声が上がってきた。
「いいかもしれん...」
「確かにそっちの方がいい...」
「それなら安心かも」
村人は口ぐちに声を出し、先ほどまでの焼き打ちの事は頭から離れたようだ。
その様子を見たタバサは目を細めると、村人達に強い口調で指示を出した。
「この作戦にはまず避難が完了しなければならない。すぐに子供と女性をこの家に連れてきて。早く」
その言葉に反応した村人達は、大慌てで家を出ると、村の集落の方へと向かって行った。
レオンは最後まで残っていたが、やがてタバサの方を苦々しく睨んだ後、しぶしぶと扉を部屋を出た。
全員が家から出た後、静かになった部屋で村長は「ありがとうございます騎士様」と、タバサに深々と頭を下げた。
もう少しで村人の不安は決壊しそうであった。
その危機を脱した安堵からか、村長の体は小刻みに震えていた。
タバサは頭を下げている村長に、
「まだこれから。私は部屋で作戦を練る。あなたは避難してくる人たちを受け入れる準備を」
「は、はい!」
村長は少しひきつったような声を出すと、慌てた様子で別の部屋へと行ってしまった。
おそらく避難してきた人や見張りの人の寝床の準備を始めたのだろう。
タバサは階段を昇って部屋へ入ると、扉に鍵を閉めた後に小さく呟いた。
「ノリで言ってしまったが...吸血鬼は見つかるのだろうか」
あの殺気立った雰囲気は過去に覚えがある。
かつて、とある領主の護衛という任務についたことがあるが、その時は既に村中の人が暴徒と化していた。
そうなってしまうと当初の問題などは関係なく、殺意が消えるまで敵対する者に襲いかかってくる。
タバサは騎士団として幾度も危険な任務へと赴いたが、メイジでもない平民に恐怖を覚えたのはこの時が初めてであった。
この村もあと少しでそういった状況になってしまいそうであったが、上手く村人の考えの矛先を変えることが出来た。
『・・・暴動か・・・・もうどっちが悪者か分からないな』
タバサの頭に、昨日の晩にノエルが言っていたことが蘇ってきた。
(確かに彼の言う通り・・・思ったより事態は深刻・・・早急に解決しなければ)
もし、これで吸血鬼が見つからなかったり、新たに犠牲者が出ればそれで一巻の終わり。
恐らくあのレオンという村人が率先して小屋を燃やしにいくだろう。
それからはもう止められない。
吸血鬼が見つかるまで怪しい者は片っぱしから犠牲になっていく。
タバサは無表情で椅子に腰かけると、窓の外を眺めて朝から出かけているもう一人のメイジに思いを託した。
「シルフィードも彼について行った・・・手掛かりを掴んできて」
タバサはポツリと、しかし重々しく声を漏らした。
外は今にも雨が降りそうな薄暗いが、灰色の雲はじっとりと村を包んでいるだけである。
◆
「...な、なんだあれ...」
村から離れた山の中、自分を囲んでいる木のようにノエルは青ざめた表情を浮かべてポツンと立っていた。
マゼンダの小屋を訪ねた後、シルフィードの背中を借りながらもノエルは犠牲者の出た場所と家を回り、とうとう最後の一つの場所へと来ていた。
二人目の死体が発見されたという山道の入口は暗く、しばらくはノエルとシルフィードで周囲を見てみたが、これといった手掛かりは掴めなかった。
そろそろいい時間でもあったからこのまま帰ればよかったのだが、一応森の中も調べようと、ノエルは山へと足を進めたのだった。
男子特有の冒険心が出たのかどうか分からないが、ノエルはどんどんと奥へと進み、気がつけば辺りには木と草とタバサの使い魔しか見えない。
「きゅい~ノエちゃん...シルフィ疲れたのね」
ノエルの隣ではシルフィードが体中にひっついた葉っぱの破片や枝を払いながら文句を言っている。
本来竜なのだから飛べばいいのに、なぜかノエルの後ろを付いてきたのだ。
シルフィードは竜の中ではまだ子供の部類に入るらしいがやはり体は大きい。
ただでさえ狭い道なのだから枝にひっかかったり、木にぶつかったりするのはノエルにはどうしようもないことである。
いつの間に呼び名が変わったノエルはシルフィード無視して前にゆっくりと歩くと、50メイル先に見えている石造りの建物を見た。
寺院の大きさはそれほど大きくはない。
トリスタニアに行った時にヴリミルを祭っている教会を見かけることはあるが、それよりも小さいくらいだ。
建物の壁には蔓が這っていたり所々崩れている箇所も見えるが、全体としてはしっかりと地面に建っており、森の中で異様な存在感を出している。
ノエルは村長が昨日話していたのを思い出し、ああ、あの子供を拾ったっていう寺院かと一人で納得すると、ノエルはもっと近くに行こうと足を前に出した。
その時、
「何やってるのお兄ちゃん?」
横から急に声が掛けられ、ノエルは魂が出そうなくらい悲鳴を上げた。
「あだぱああああぁぁッ!!」
「キャアッ!?」
その悲鳴に声を掛けた方も声をあげる。
しかしノエルの驚きは半端ではなく、声のした方の反対側に身を飛ばして茂みの中に埋もれてしまった。
草に顔面が覆われる感触を感じながら体を硬直させるが、やがてノエルは恐る恐る声のした方へと体を起こした。
「び、びっくりしたぁ~。何今の悲鳴?『あだぱぁ』なんて、驚いても中々口から出ないよ!?」
ノエルの視線の先には、尻もちをついたように地面に座ってノエルを見つめるエルザがいた。
外に出る時の上着なのか黒いローブを着ており、フードがとれているため、ブロンドの髪が少し顔にかかっている。
「ななな、なんだよぉ...お前かぁ。何してんだよぉ」
ノエルは未だに聞こえる心臓の音にうっとおしさを感じながらゆっくり立ち上がる。
同じタイミングでエルザも立ち上がる。
コチラはノエルと違ってスッと立ち上がった。
エルザは前に掛った髪を後ろに流して手をひらひらさせた。
「それはこっちが聞きたいよお兄ちゃん。朝から出掛けちゃったと思ったら森の中でなにしてるの?」
「し、質問に質問で返すなよぉ...」
ノエルは髪の毛に絡んだ枝を引っ張りながら言うと、吸血鬼を探しているのだと答えた。
エルザはフーンと声を漏らすと、水滴と土で汚れた手のひらをローブで擦った。
「お、お前はどうなんだよぉ...なんでこんなところに...」
ノエルが尋ねると、エルザは手を擦るのを止めて、
「おじいちゃんが外に行けって...だから森でね、ムラサキヨモギを摘んでたの」
エルザはそう言うとノエルに近づき、ひょいっと背中を向けた。
本来、頭からかぶる筈のエルザのフードには、紫色の葉がぎっしりと詰まっていた。
エルザはノエルに向き直り、
「すごいでしょ!?私、ムラサキヨモギがイッパイ生えてる場所知ってるの!!」
と嬉しそうに言った。
ノエルはうんざりしたように肩をすくめ、
「一人でいたら危ないだろぉ..ほらぁ、もう帰るぞ」
ノエルは顔を少し上げて空に目をやった。
山に入った時には既に薄暗かったのだが、今では辺りの景色も分かりづらくなっている。
吸血鬼がどこにいるかわからないので、これ以上いても意味はなさそうだ。
ノエルはシルフィードのそばに顔を寄せた。
「シルフィード...ここから空飛べるか?」
ノエルが尋ねると、シルフィードはキュイ~と軽く鳴いて首を横に振った。
確かにこの森は木と木の間が狭い。
一匹だけではまだしも、シルフィードが人を乗せたまま飛びあがるのは難しいか。
ノエルはため息を吐くと、一度遠くに見える寺院に目を向けてエルザの手を握った。
「シルフィードも飛べないようだし...これ以上いたら危険だ...行くぞ」
手を握った瞬間、エルザは驚いた表情でノエルの顔を見上げたが恥ずかしそうに体をもじもじさせて「・・・うん」と小さく返すと、シルフィードを先頭に二人と一匹は元の道を戻り始めた。
「お兄ちゃん、吸血鬼見つけたらどうするの?」
「ええっ...?」
エルザは突然ノエルに質問をしてきた。
山道から帰る途中、手をつないで歩くノエルとエルザも互いの顔も見づらいくらいに辺りは暗くなってきた。
ノエルも「ライト」で周りを照らせばいいのだが、夜に備えているのか杖を掴むこともせず、前を歩くシルフィードの鼻歌(きゅいきゅい鳴いているだけだが)に続いて歩いているだけであった。
エルザからの突然の質問に、ノエルは空いている方の手をプラプラと動かしながら考える。
吸血鬼を見つけたらどうするのだろう。
ノエルとしては戦うなんて御免だ。
しばらく考えた後、
「ど、どうなるかは分かんねえよ...あああ、アイツが決めることだろ」
「アイツ?アイツってお姉ちゃんのこと?」
「そ、そうだよ...つーか俺、無理やり連れてこられただけだし...」
ノエルは、今更ながら学院の食堂からタバサに引きずられてきたのを思い出して顔を渋くした。
エルザはこちらに目を向けながらまたノエルに尋ねた。
「じゃあお兄ちゃんは戦わないの?」
ノエルは顔を動かさずに目だけを動かしてエルザを見た。
コチラを見ているエルザの目は、暗くなってきたのに光っているように見える。
「お、そ、襲われたら...そりゃ戦うけど...自分から戦うのはまっぴらゴメンだ」
「ふ~ん...そっか」
エルザはノエルと繋いでいる手をギュっと強く握った。
二人は他愛のない話をして山道を下った。
その姿はまるで、仲の良い兄妹のようであった。
ノエルは思わず、遠くを見つめながらボソリと呟いた。
「・・・・サティもこれくらいだったら…」
「??だれ、サティって?」
「オレの妹だけど、多分...素手で吸血鬼に勝てる」
「なにそれこわい」