夢を見ていた。
『おかあさまおかあさま!絵本読んで!!』
『ハイハイ♪シャルロットったらホント絵本が好きね♪』
あれは幼いころの記憶。
まだお母様が元気だった頃の...
『うん!シャルロットお母様の読んでくれる絵本大好き!!』
いつもお母様とベッドに入ると、枕元に置いてあった絵本を読んでくれた
『一冊だけよ?その後はちゃんと眠ること。いい?』
『ハイッ!!』
優しいお母様の声...だけどいつも最後まで聞き終えることはなかった
だっていつも話が終わる前に眠ってしまうから
だからせめて夢の中では...最後までお母様の声を...
『おかあさま、今日は何の絵本読んでくださるの?』
『そうね~。じゃあ、今日は...』
お母様の指が、枕元に置かれた本の中の一冊を拾い上げ、私の前でゆっくりとページを開いていく。
隣からお母様の息遣いが聞こえる。
昔の事なのに...今でもはっきりと覚えている。
そして私の体にフトンが掛けられ、お母様の口がゆっくりと物語を紡いでいく。
『今日は『イーヴァルディ×ヴ...』
「いつまで寝てるんだい!!!さっさと起きなッ!!」
瞬間、お母様の口から従姉妹の声が聞こえた。
急に聞こえてきた声に意識が覚醒する。
無意識に開いた目には、学院のベッドとは違う天井、それに青筋を浮かばせて私を除く従姉妹の姿。
なぜ私はここで眠っていたのだろうか?
寝起きの為か重く感じる頭で昨日の事を思い出す。
そうだ、あの後、ノエルが気絶したのに加えて既に夜だったため、彼女のいるプチ・トロワのとある一室で一晩過ごしたのだった。
(せっかくいい夢を見ていたのに...しかしこんな朝早くからわざわざ直接起こしに来るとは...)
「てかアンタどんだけ寝れば気が済むんだい!もう昼すぎだよッ!!」
(・・・)
窓から陽の光が差し込んでいる。
その光は朝特有の優しさなど皆無であり、昼の強い日差しのようであった。
「...不覚。枕が変わるとあまり寝付けない私が何というミスを・・・クッ!」
「『クッ』じゃないよ!!寝付けないどころか見事なほどの熟睡だったよ!!いいから早く任務に行きな!!ていうか...」
彼女は私からフトンをはぎ取ると、不機嫌な表情を浮かべながら文句を呟いて隣のベッド、私が連れてきた助っ人が寝ている方へと足を運んで行った。
夢を見ていた
『は、母様...本を読んでください』
『いいでしょう。それで、今日は何の本ですか?』
あれは幼いころの記憶。
まだ母様が優しかった頃の...
『きょ、今日は『メイジ失格』を..「お前も起きろオオオオォォォッ!!」
「ヒイイイイイイイイイイィ!!?」
イザベラは勢いよくノエルのフトンを引き剥がすと、先ほどまで夢の世界にいたノエルは現実に戻ってきた所為か、起きぬけに叫び声をあげる。
「ななな、な何すんだよぉ!?きゅ、急に起こすなよぉ」
「うるさいこの熟睡コンビ!!今頃目的地に着いてる時間なのになんでまだベッドの上!?実家に帰省しに来たのかアンタ達は!任務だよ!に~ん~む!!」
イザベラの声は部屋を突き抜け廊下まで響いたらしい、部屋の外が少し騒がしくなる。
イザベラの説教にノエルは顔を青くして震えるが、タバサは既に布団に包り、再び夢の中に行く準備をしている。
「もっかい寝ようとするんじゃないッ!!てかどんだけ寝ようとするんだいアンタは!学院生活でもそんなことしてんじゃないだろうね!?」
イザベラはタバサのベッドに近づき、再び布団を剥がそうと掴むがタバサも抵抗しているのか彼女から離れない。
「...学校では...キュルケがいつも起こしに来てくれる」
「誰だよキュルケって!?いいから布団から出なさい!コノッ...」
イザベラは尚もフトンから出そうとするがそれに対してタバサも対抗し、余計布団に包ろうとする。
表面上は敵対している二人であるが、今の状況はまるでじゃれ合う姉妹、いや母と娘か。
イザベラが顔を赤くしてタバサを起き上がらせようとしていると、開いたままになっていた部屋のドアにメイドが入ってきた。
「姫様、ご昼食の準備が整いましたが...」(赤くなってる姫様...萌え)
「あっ?もうそんな時間かい?」
息を切らしながらイザベラは答えるが、ふっと手にあった従姉妹の重みが消えた。
えっ?っとイザベラはベッドの方に視線を直すがそこには既に姿はなかった。
良く見ると隣のベッドにいた助っ人の男も消えている。
「分かった。早速食堂へ」
「おお、お腹減ったよぉ...」
今度は後ろの方から聞きなれた男女の声が聞こえてくる。
イザベラが振り向くと、部屋の入口にはいつ間にかタバサ、ノエルが立っていた。
どうやったのか知らないが既に着替えも済ましている。
「一日の活力は食事から・・・案内をよろしく」
「あの...しかし姫様が...」
「彼女はちょっと用事があるらしい...先に私たちが行くべき」
「何食べに行こうとしてるんだーーー!!!いいからとっとと任務に行けぇー!!」
結局、タバサとノエルがプチ・トロワから出発したのは昼食後であった。
昼食後、イザベラはいつものソファに寝そべり、ぐったりとした表情で天井を仰いだ。
「ったく、人形の癖に生意気な...ハッ、せいぜい死なないように頑張ってくるこったね」
誰に言うでもなく出たイザベラの言葉に、ソファの傍でお茶を準備しているメイドがイザベラに答えた。
先ほど、食事の知らせに部屋にやって来たメイドである。
「しかし姫様、‘三人分’用意しろと仰っていたのは正解でしたね」
メイドはクスリとほほ笑みながらポットの紅茶をカップに注ぎ始める。
メイドの言葉にイザベラは、顔をカーッと赤くすると、ソファから跳ね起きた。
「そ、それは!ち、ちが、・・・フンッ!ま、まあ死んでしまうかも知れないからな。最後の食事くらいは用意してやるさっ!!って何を言わせるんだいお前は!!」
大きな声を出したイザベラの目は宙を泳ぎ、何かを隠すかのように手をアタフタさせている。
メイドはほほ笑みながら紅茶の注がれたカップを皿に乗せると、イザベラの前に差し出した。
イザベラはメイドの差し出した紅茶のカップを手に取ると、カップを顔の近くまで寄せる。
淹れたばかりの紅茶の香りが、飛んでくるかのようにイザベラの鼻をくすぐる。
「シャル...七号様、無事に戻ってこられるといいですね」(ツンデレヒメサマ・・・ハァハァ)
メイドの言葉に、イザベラはクイッと一口紅茶を飲んだ後、部屋の中に立つガーゴイル像を見ながらボソッと呟いた。
「...そ、それはアイツ次第だよ」
タバサ達が今回の任務の地、サビエラ村に着いたのは日も傾き始めた夕刻。
人口350人程の小さな村はまだ太陽の光が照らされて明るいが、ジリジリと山の谷間に太陽が沈んでいることから、数刻を待たずして夜へとなりそうだ。
タバサとノエル、そしてシルフィードは村の入り口である木の門をくぐり、一番上の方に建てられた村長の家へと足を進めた。
村の空気はひっそりと静まり返り、外に出ている者は見た限りでは2,3人程度である。
村人の多くは家の中に閉じこもっているらしく、窓や扉の間から顔を覗かせて二人のメイジを眺めていた。
「今度の騎士様は・・・二日でお葬式かね」
「あんな小さな子供がメイジなのかい?隣にいるあの男は何なんだ?」
「また死体が増えるのかね・・・」
ヒソヒソと聞こえてくる村人の声が耳に入る度、ノエルは上着を着た体をブルッと震わせた。
「なな、なんなんだよこの村...空気が重い」
「・・・あなたの周りの空気も負けてない」
ノエルの言葉に、前を歩くタバサは振り返らずに言った。
後ろで「ば、おおお、お前に言われる筋合いはねぇよ!!」と聞こえてきたが、無視して先に進んで行った。
しばらく行くと、道脇に段々畑が続く道になり、先の方には村長の家が見えてきた。
道が細くなったため、タバサはシルフィードを段々畑の手前で止まらせ、ノエルと二人で家の方へ向って行った。
途中、
「ジョ、ジョルジュは好きそうな感じだよ...」と呟いたノエルの言葉に、その通りだなとタバサも心の中で思った。
タバサ達を出迎えた村長は、白い髪とひげを蓄えた顔で、二人が通された広間で深々と頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました騎士様」
タバサはスッと前に出て自己紹介をする。
「北花壇騎士団、タバサ。こちらはノエル」
「......ど、どうも」
タバサの紹介に、ノエルは消え入りそうな声で挨拶をする。
その弱々しげな姿勢、そして紹介してきた年端もいかない少女を前に、村長も流石に怪訝な表情を浮かばせた。
タバサはそれに気づいたのか、付け加えるように村長に言った。
「…あと家の外に私の竜がいる。この村に滞在中の間、寝床に出来る場所を提供して欲しい」
『竜』という言葉に評価を見直したのか、村長は慌てて表情を変えると、
「わ、分かりました。すぐに用意しましょう」
「事件の詳細を」
タバサの言葉に促され、村長は慌てて近くのテーブルにタバサ達を案内する。
二人が椅子に座ったのを確認すると、村長も向かいの席に座り、口を開いた。
事件は二か月前に遡る。
ある日の早朝、村の入り口で少女の死体が見つかったのが始まりであった。
死体には目立った外傷はなかったが、首筋に付いていた牙の跡、そして血が抜けきって軽くなった少女の体から吸血鬼の仕業と騒がれた。
一週間後、今度は村から山へと入る山道の入り口で死体が見つかった。
村に住む12歳の少女で、前の少女と同じくその首筋には牙の跡があり、白くなった顔はまるで眠っているようであったそうだ。
それからというもの、一週間程度の間隔で次々と死体が発見されることになる。
犠牲者が出るごとに村人たちは家に厳重な鍵をかけ、中には娘の部屋の前で番をする者までいたのだが、翌朝には死体で見つかった。
数週間前に村長の要請でこの土地を収める領主からメイジが派遣されたのだが、2,3日もすると血を吸われた身体でベッドに倒れていた。
ついこの間派遣されてきたトライアングルクラスのメイジもやられ、ついに領主は花壇騎士団の派遣を決断したのだった。
「今まで来たメイジ様達も皆やられてしまって...それにこの村の下にある寺院で聞いたところによると、吸血鬼は血を吸った者を屍人鬼に変えて操るそうで...
今では村中が疑心暗鬼に陥ってしまって…どうか何卒、吸血鬼を退治して下され」
村長は涙声になりながら話を終えると、瞼に滲んだ涙を指で掬った。
タバサは報告書の内容と違いがないことを頭の中で確認すると、村長に短く答えた。
「詳しい事は分かった。必ず見つけ出す」
タバサの答えに村長はいくらか安心したようで、オオッと声を漏らすと、再び口を開いた。
「お願いします騎士様。私どもに出来ることがあれば出来る限り力になりますので...どうかこの村に平和を...」
村長は二人に深々と頭を下げた。
タバサはチラッと隣に座るノエルの方を見た。
先程までの話を聞いていたのかそうでないのか、ノエルはチラチラとテーブルと窓の方に視線を動かしながら口を閉ざしている。
そんな様子を見たタバサの頭には、
(彼は...当てにはならない)
自分で連れて来たのにとんでもないことを考えているタバサであったが、元々一人でイザベラの所に行くのが億劫だったから連れて来たので、任務に使えるかどうかは全く考えていなかった。
(しかし彼もあのドニエプルの家系・・・身を守ることはできるはず)
タバサがそこまで考えていると、村長の後ろに見える扉の隙間から、金色の髪をなびかせた小さな少女の顔が見えた。
歳は4つから5つぐらいだろうか。
コチラを見る青い瞳はターコイズのような色で、小さな唇は血のように赤く湿っている。
「エルザ、騎士様達にご挨拶しなさい」
村長も彼女に気づいたようで、手招きして呼ぶとエルザと呼ばれた少女はトコトコとタバサ達の前に出ると、小さく頭を傾けて挨拶した。
タバサはエルザをジーッと見ていると、ビクッと体を震わせて村長の傍へと戻って行った。
「その子は?」
タバサが尋ねると、村長は隣に立つエルザの髪を撫でながら答えた。
「1年ほど前、近くの寺院に捨てられていた子供です。聞くところによると、メイジに両親を殺されて、寺院まで逃げてきたとのことで。恐らく、行商の旅人がなんらかの理由で無礼討ちにされたか、メイジの盗賊に襲われたか...偶々寺院の方へ行った時に事情を聞いて、それ以来私が引き取って育てているのです」
タバサは黙って聞いていたが、隣に座るノエルはビクビクと体を震わせ、縋るようにタバサに言う。
「おお、おいタバサぁ...だ、大丈夫なのかよぉ?ホントに吸血鬼なんてて、た退治出来るのかぁ?」
今更というべき言葉に、タバサは少しいらついた口調で、
「(・・・ファッキン)大丈夫、吸血鬼は私が倒す。あなたは自分と村人の安全を守ることと、それから村の調査、私の寝ている時の見張り、そして吸血鬼が誰なのか見つけることとシルフィードの世話だけでいい」
「な、なんか総合的に俺の方が忙しい気がぁ...」
ノエルの抗議にタバサは聞こえないふりをして席を立った。
とりあえずは死体のあった現場の調査。
タバサが頭の中でそう考えていると、家の外から怒声が響いてきた。
(??...なにかあったの?)
タバサは傍に置いてあった杖を持つと、あっという間に家の外へと飛び出して行った。
それにつられる様に村長も外に出て行く。
「ちょ、とぉ...お、おおおオレも...」
ノエルも外へ出ようとするが、歩こうとした時にグイッと足の裾を引っ張られた。
ノエルが下を向くと、先ほどの少女、エルザが裾を掴んでノエルの顔をジーッと見ていた。
「お、おおおいいいいぃぃぃ・・・離せよぉ...」
ノエルはエルザから離れようと体を動かすが、エルザの手は足から離れない。
というよりも少しノエルの方が力負けしている感じも否めない。
「やめろよぉ...そんな目で俺を見るなよぉぉ...」
「・・・・」ジーッ
ノエルは自分の顔を手で覆い隠すが、エルザは構わずにノエルを見ている。
扉から見えるタバサ達が小さくなるのを確認しながら、ノエルは助けを求めるかのように叫ぶ。
「せめて村長戻ってこいよオオオオォォォ...!!なんでお前まで行くんだよぉぉぉ!?」
ノエルの叫びは家の中に虚しく響くだけであった。
「ここをこうすれば......ほら、『竜と戦う騎士』」
「すごいすごい!!お兄ちゃん他にないの!?」
「そ、そうか?...じゃあ、次は『暑い日の時のマリコルヌ』を...」
「なんか急に見たくなくなった!!」
「・・・何をしているの?」
サビエラ村の周囲を闇が包んでいる。
既に夜になり、タバサは村長の家に戻っていた。
与えられた部屋で食事が出来るのを待っていると、隣にあてがわれたノエルの部屋からエルザの声が聞こえてきた。
タバサが気になり部屋に入ると、床に座って杖を持つノエルとエルザがいた。
二人の間の空中には、何か彫刻のようなモノが浮いている。
それは黒や灰色が所々に混じり、翼をはためかせた竜と剣で切りかかる剣士に見える。
「た、たタバサ?なんだよぉ...」
部屋に入ってきたノエルがビクッとしてタバサに尋ねると、宙に浮かんだ竜と剣士は形を崩し、静かな音を立てて床に落ちていった。
「ああっ!崩れちゃったぁ...」
エルザの悲しげな声に、タバサの心になぜか罪悪感が生まれる。
「(私の所為?)それは...砂?」
タバサは二人の傍まで近づいて、床に散らばったモノに指で触れた。
それは何の変哲もない砂であり、細かいのや粒の大きなもの様々である。
「お兄ちゃん凄いんだよ!!砂でお花やお馬さんも作っちゃうんだよ!!」
エルザが手を叩きながらタバサに説明してくる。
その表情は先ほどまでの緊張した様子は消え、すっかりノエルに懐いているようであった。
「そ、外で拾った砂を魔法で浮かして形を作ってたんだよぉ・・・ほら」
ノエルはブツブツと小声で呟くと、床に散らばっていた砂が宙に浮かび、まるで生きているかのように中で動き始めた。
エルザが目を輝かせている前で砂は少しずつ形を作っていき、顔、体、学院の制服と徐々に人の姿に変わっていく。
「で、出来た...『暑い日の時のマリコルヌ』」
空中には右手に飲み物の瓶を、左手にハンカチを握る小太りの少年マリコルヌが浮かんでいた。
顔の表面も細部まで作られており、滴る汗を砂で表現しているから無駄に凄い。
(これは・・・凄い・・・・・だけど)
「なんだろう...凄いのに素直に喜べない」
「ええっ!!?」
「マリコルヌはない」
女性陣に冷めた評価を下されたノエルは、思いの他ショックだったのか何かが溢れそうな目を指で押さえた。
そしてそのまま杖を大きく動かすと、宙に浮かんだ砂のマリコルヌは窓の外へと飛んで行ってしまった。
「え?もうやめちゃうの!?もっとやってよお兄ちゃん」
エルザはノエルの両肩を掴んでねだるが、ノエルは少し怖がっているような目でエルザを見て、
「も、もう疲れた...明日やってやるから..ほら、部屋に戻ってろ」
そう言うとノエルはエルザを両手で抱き抱え、扉の外まで持っていった。
エルザは不満そうな顔を見せるが、納得したのか「じゃあねお兄ちゃん、お姉ちゃん。またね」と言うと、小走りに自分の部屋へと戻って行った。
ノエルは扉を閉めると、後ろからタバサがボソリと声をかける。
「ロリコン」
「ふざけんなよぉぉ...お前らが帰ってくるまで相手してたら、部屋に来ちまったんだよぉぉ」
「ヒトが吸血鬼を探して頑張っていたというのに...ホント空気の読めない」
ノエルに言葉というジャベリンを突き刺すと、タバサは部屋に備えつけられている椅子に座り、足を浮かしてパタパタと動かした。
そして少しヘコんでいるノエルに、家を出てから起きたことを話した。
数刻前...
怒声が響いてきた場所へ向かったタバサと村長が見たのは、鍬や鎌を手に携えて物々しい様子で歩いていく十数人の村人たちであった。
皆、一様に目をギラギラさせ、中には火を灯した松明を持ったものまでいた。
タバサが後を付いていくと、村人の集団は村の外れにある一件の小屋の前で止まり、先頭を歩いていた若者が声を張り上げた。
「出て来い、吸血鬼!」
「アレキサンドル!このよそ者め!吸血鬼を出しやがれ!」
口々に村人たちが叫ぶ中、小屋の中から40歳ぐらいの屈強な大男が出てきた。
日焼けした顔には黒い鬚が伸びており、いかにも樵という風体であった。
「誰が吸血鬼だ!いいかげんなこというんじゃねえ!!」
男が反論すると、最初に声を上げた若者が前に出てきて声を荒げる。
「昼間だってのにベッドから出てこねえババアがいるだろうが! そいつが吸血鬼だ! おめぇも屍人鬼なんだろう!?」
「おっかあは病気で寝ているって言ってんだろ!!いい加減なことを言うなッ!!」
若者と男の間に、今にも争いが起こりかねない殺伐とした空気が充満していく。
タバサの後ろからやってきた村長が慌てて二人の間に入ると、若者は苦々しい顔で話を始めた。
アレキサンドル親子はこの村に越してきて二ヶ月ばかりで、母のマゼンダは日中に外に出ず、息子のアレキサンドルには屍人鬼特有の吸血痕のような傷があるという。
本人は森で木を切っている時に山ビルに噛まれたのだと言っているが、村人が疑うには十分な証拠となっている。
加えてマゼンダがめったに姿を表さないことから、薬草師のレオンが血気盛んな村人達をまとめ上げ、親子のいる家に詰め寄ったのだった。
結局、村長の説得によってレオンら村人たちは引き返したが、村に溜まった不安感や不信感が分かる事件であった。
「そ、それで、その親子は...吸血鬼だったのか?」
「母親の方も見たが・・・吸血鬼である証拠は見つからなかった」
タバサは事件の出来事を淡々と話し終えると、ベッドに腰かけたノエルに重い口調で続けた。
「この村の人たちは相当気が立ってきている。早い段階で解決しないと暴動が起きかねない」
ノエルはタバサの方をチラッとみてから息を吐くと、
「...暴動か...もうどっちが悪者か分からないな」
今までと雰囲気が変わった...?
一瞬、タバサはノエルの様子が変わったように感じた。
しかしそう感じたのは数瞬で、ベッドにいるのはやはりいつものネクラ白髪(byタバサ)である。
「?な、なんだよタバサぁ、睨むなよぉぉ」
「別に睨んでない」
タバサの視線に気づいたのか、ノエルはうっとおしそうな表情を浮かべると、急に靴を脱ぎ、ベッドにゴロリと横になった。
タバサはノエルの急な行動に驚く。
「???何をやってるの?」
「きょ、今日から夜の見張りだろぉ?先に寝るから、お前が寝るときに起こしてくれよぉ...夕食はいらないから」
ノエルはそれだけ言うと、毛布を体にかけて目を閉じてしまった。
タバサはまだ何か言おうとしたが、既に寝る体勢になってしまったノエルに声は掛けづらく、椅子に座ったまま、じっとノエルを見る。
(・・・・分からない)
タバサはベッドに横たわるこの少年の事を改めて考えてみる。
先日、ハシバミストとして相対することになったが、考えてみればノエル本人の事は詳しくは知らない。
ジョルジュの兄、学院での同級生、使い魔はバカでかいコアトル、普段は無口で存在感は皆無、ハシバミキング、そして...
「・・・『顔ナシ』」
タバサがボソッと呟いたのは学院での彼の二つ名。
いつか、教室で誰かが話していたのを覚えている。
人の顔を「見ない」
人の話を「聞かない」
人にめったに「喋らない」
まるで目、耳、口が付いている「顔」がないみたいだ。
故に「顔ナシ」
数人の男子グループが笑いながらノエルの事を話していたのが耳に入ったが、その時は全く興味などなかった。
成績も良くも悪くも、魔法が出来るとも落ちこぼれとも聞かない。
使い魔を召喚してから、学院で彼の姿を見たのは何回だろうか?
(そう・・・考えてみると彼は・・・)
タバサは椅子からスッと立つと、すでに寝息を立てているノエルを起こさないよう静かにドアの傍まで歩いた。
音を立てないようにドアを閉めると、一旦自分の部屋へと戻った。
(自分を「隠している」ように...)
その時、コンコンとノックの音が部屋に響いた。
乾いたノックの音の後、村長の皺がかかった声が聞こえてくる。
「騎士様?夕食の準備が出来たので、一階の方にお越しください」
「・・・分かった。すぐ行く」
タバサはすぐ答えると、ガチャリとドアを開いてすぐに階下へと降りて行った。
(今はご飯...話はそれから)
ノエルの事は忘れ去られ、タバサの頭には吸血鬼2割、そして残りの8割は事前に調べていたこの村の名物、「ムラサキヨモギ」のことで一杯になっていた。