(イヤイヤイヤイヤイヤイヤ......ないないないない...これはないって)
フーケは少し曇った風に感じられた眼鏡を外し、服の端でレンズを拭いた。
また、昨日は徹夜だったから疲れているのか、目をコシコシと擦って再び眼鏡をかけた。
見間違い。
そう、見間違いに決まってる。
私は学院長室に入ったはずなのだ。
どっかの悪魔を召喚している部屋に入り込んだ訳ではないんだから、そんな黒いオーラなんて見える筈がない。
きっと疲れてるんだ。
最近いろいろあったから急激に目が悪くなったんだ。
こんなことならちゃんとベリーの実を食べとけば良かったよ。
ほら、また目を開けば元の景色なはず。
そう心の中で言い聞かせながらフーケは前方に顔を向けた。
彼女の眼に飛び込んできたのはいつも彼女が働いている机に学院長の机。
オールドオスマンが座っている横にはコッパゲが一人。
部屋の端には学院の教師たちが立っていて、中央にはあの時庭にいた生徒たち。
と、黒いオーラを立ち昇らせているナンカ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(何でだぁぁぁーーーー!!!?)
フーケは声にならない声を胸の中で張り上げた。
この部屋にあって明らかに不自然である。
(なんでこの部屋にこんな風呂から上がってきたばかりのようにどす黒いオーラ昇らせているヤツがいるんだい!?誰かの使い魔!?でも学院の制服着てるし...
生徒!???こんな生徒どこにもいなかったはずだよ!!てか何でここにいるの!?
教室に帰って!!頼むから「魔界」という教室に帰ってぇ!!)
フーケの心の中は完全にパニックに陥っていた。
しかし内心は叫びたくなる衝動を抑えながら、それを表情に出さないのは彼女がプロの泥棒として生きてきた技術なのであろう。
そんなフーケの心情などは知られず、オールド・オスマンは顎鬚をなぞりながら訊ねてきた。
「それで...ミス・ロングビル?そのぉ...何か手がかりか何か掴めたのかな?」
オスマンは恐る恐る声を出しながら彼女の方に目をやった。
口調からして「手掛かりはあった?」じゃなくて「手掛かりあったよね?」と、若干願いが込められているように聞こえたのは気のせいであろうか。
フーケはまだ混乱している頭をフル回転させ、事前に考えたセリフを言った。
「は、はい..とある農民が夜更けに灰色のローブを着た怪しい男を見たと聞きました。時間帯からしてもフーケの可能性は高いかと」
フーケの言葉に部屋の中が一瞬ざわついた。
ルイズ達も目を見開いてフーケの方へと顔を向けた。
オスマンは机から乗り出すような恰好になる。
「そ、そりゃホントかのミス・ロングビル!!それで場所は分かったのか!?」
フーケを食い入るように見てくる目が少し気持ち悪かったが、フーケはこみ上げる何かをこらえて答えた。
「え、え、えーと...ここから四時間ほどいった森の中にある小屋に、その怪しい男は入っていったと...」
オスマンの横に立つコルベールはてっぺんをテカらせながらオスマンへ言った。
「オスマン校長!!まさしく『土くれ』のフーケですぞ!! すぐに王室に報告して兵隊を差し向けてもらわなくては!!」
興奮した様子で捲りたてるコルベールの口からなにか変な液体が飛び出てる。
それを顔面にかけられたオスマンは額に血管を浮き上がらせながら、
「馬鹿者!王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわハゲ!!その上、身に掛かる火の粉を己で払えぬようで何が貴族じゃ!!お主には髪も貴族としての誇りもないのか!!この件は、魔法学院の問題じゃ!当然、学院の手で解決する。後、唾飛ばすな!!」
その言葉にフーケはにやりとほくそ笑んだ。
ここまでは計画通り。
王室が介入してくれば勝ち目はなかったが、やはり貴族のプライドからか、学院の者だけで取り戻すことになった。
(とすれば来るのは当然ここにいる教師達の誰か...ここにいる奴らなら負けることもない。あっちで尋問するなりなんなりして『破壊の杖』の使い方を聞き出せば...)
そこに立っている悪魔じみた生徒が出てきたからどうしようかとパニックになったがもう大丈夫だ。
いくらなんでも生徒を危険な場所へ行かせるはずもない。
フーケが内心笑いながら辺りを伺う視線の先に、大きな声を出したオスマンは顔にかかったコル汁を拭きながら、落ち着き払った様子で椅子に座りなおした。
オスマンは部屋にいる教師や生徒達を見渡して、
「そういうことじゃ。我々の手で宝を取り返すぞ。だれか我こそはという者は杖を「オラガイクダ」」
ズシッと重みを感じる声が部屋の中央から飛び出し、周りの教師たちは目を見開いた。
静まった部屋の中で、オスマンが先ほどとは違う、恐る恐るといった様子で尋ねた。
「あの~ミスタ・ドニエプル?」
「オラガイキマスダ」
そう続けるジョルジュから出てくる黒いオーラは、先ほどよりも多く立ち上り、天井を黒く染めていた。
しばらく黙っていたオスマンは額に汗を一筋流し、顔にカチコチに固まった笑みを浮かべながら、
「そうじゃね...ミスタ・ドニエプルなら安心じゃろうて...じゃあミス・ロングビル?彼と一緒にもう一回森に行ってくれんかの?」
教師たちを含め、部屋にいる者全員が物々しい雰囲気で彼を見る中、その後ろでフーケは白く石化していた。
(なんでだあぁぁぁぁぁぁ!!!?)
フーケの背中には今までにないほどの冷汗がにじみ出てきた。
(ふざけるじゃないよ!!こんな歩く最終兵器なんか連れて行ったら、「破壊の杖」の使い方知るどころか私の命が危ないよ!!)
フーケは思わず声を出そうになったが、その前にコルベールが大きな声を出した。
「待ちなさいミスタ・ドニエプル!!あなたは生徒ではないですか!我々教師に任せなさい!!」
コルベールは鼻に掛けた眼鏡を飛ばす勢いで喋った。
何をそんなに興奮しているのか。
彼の顔からは眼鏡と共に変な液体が飛び散り、オスマン校長の座る高級な机にピチャっと跳ねた。
オスマンはドンッと机に拳を振り下ろすと、コルベールの方を向いて叫んだ。
「静かにせんかいコッパゲ!!さっきから唾を飛ばすでないわ!!」
そう言うとオスマンはどこから取り出したのか、雑巾のような布きれでコル汁が飛び散った机の箇所をゴシゴシと吹き始めた。
机を拭きながらオスマンは言葉を続ける。
「案ずるでないミスタ・コルベール。彼は既に一流のデビルマ...もとい一流のメイジじゃ。フーケに遅れをとらんじゃろて。いくら空気の読めないお主でもわかるじゃろ?」
もっともらしいことを言いながらも、オスマンは決してジョルジュの方に目を向けようとはしなかった。
周りの教師からも反対の声は上がらない。
それもそうだ。
今彼を一目見て彼に勝てると言えるメイジはいるだろうか。いや、いない。
そんな周囲の空気を他所に、一人フーケは眼鏡の奥の目を回しながら背中に汗を流していた。
(まずい!!なんだかんだ私とそこの悪魔人間と2人で行く流れになっちまってるじゃないか!!冗談じゃないよ!!こんなのと一緒に行ったら地獄の底まで連れてかれそうじゃないか!そのまま魔界にハネムーンだよ!)
フーケの頭の中では宝の事など頭の端に追いやられていた。
こんなのに巻き込まれたくない。
というかこの部屋から出たい。
そもそもなんでコイツはこんなに怒ってる(?)のか
そんなコトを考えていると、フーケの前に先ほどから並んでた生徒の一人がスッと杖を揚げた。
「オールド・オスマン。私も行きます」
声を発したのは小さな体にピンクのブロンドを垂らした少女、ルイズであった。
「ミス・ヴァリエール!!」
コルベールが液体と共に声を飛ばす。
フーケは急に名乗り出たルイズに驚き、目を開いた。
「フーケの犯行を目撃したのは私たちです。それなのにジョルジュだけ行かせれば貴族の名折れです」
ルイズがそう言うと、隣に立っていたキュルケもスッと杖を掲げる。
「ミス・ツェルプストー!!!」
「ヴァリエールには遅れは取れませんわ。それに、私も犯行を目撃した一人ですし」
その言葉につられるかのように、左に立つタバサの大きな杖も持ち上がる。
「・・・・・心配」
「ミス・タバサまで!!君たち、これがどういうことか分かっているのですか!!!!」
コルベールは甲高い声を部屋の中に響かせるが、それを気にすることもなくルイズが言い返した。
「先生方は誰も杖を掲げないじゃないですか!!コルベール先生?オールド・オスマン、フーケ捜索の許可をお願いします」
コルベールやフーケ、それに他の教師たちも一様にオールド・オスマンの方を見やった。
先程から飛び散ったコル汁の所為か、オスマンの顔と机の左側が若干湿っている。
「コルベール君、ミス・ヴァリエールの言う通りじゃ。杖を掲げなかったわしらが言えることはありやせぬよ。それにコルベール君、彼らはみな優秀なメイジじゃろい。それと後で覚えとれこのハゲ」
オスマンは椅子の背中に体重を預け、やはりどこからか取り出した布で顔を拭き始めた。
「ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞いている」
オスマンの言葉に部屋の教師たちがざわめき、キュルケが驚いた表情をタバサに向ける。
「タバサ!?そうだったの!?」
「・・・・そう」
「それにミス・ツェルプストーはゲルマニアの優秀な軍人を多く輩出した家系の出で彼女自身が出す炎魔法も強力と聞いておる!!ミス・ヴァリエールは大変優秀じゃし!!」
「オールド・オスマン!?私の説明おまけのような感じなんですけど!?」
ルイズの抗議を無視し、オスマンは右端に立つジョルジュの方へと目を移す。
ジョルジュは相変わらず髪を逆立て、白く光る目をオスマンへと向けた。
「み、ミスタ・ドニエプルは知る人ぞ知るドニエプル家の息子じゃ。先生方も知っている彼の兄妹もそうじゃが、彼自身も大変優秀なメイジじゃ...ネッ?」
オスマンは慌てて言葉を閉めると、バンっと両手を机に乗せ、椅子から立ちあがった。
「ともかく!!これかの任務は諸君らに全てを任せる!目的はフーケから盗まれた宝を取り戻すこと。魔法学院は諸君らの努力と貴族の義務に期待する!!」
オスマンがそう言うと、ルイズやキュルケが一斉に杖を天井に掲げる。
「「「「「杖にかけて!!!!」」」」」
オスマンは顔をぐっと上げて入口の方に視線を持っていくと、先ほどから固まっているフーケにニコッと笑いかけ、
「ミス・ロングビル、すまんが、道中の案内と監督を頼めるかの?朝早くから動いてもらっておるのにスマンの」
明るい声をかけられるフーケの顔はすっかりと固まっており、かろうじて口から「ハイ...ワカリマシタ...」と出てきた。
(なんで教師が一人も来ないんだよぉぉぉ!!)
背中から出てくる汗が、ひどく不快に感じられた。
「なぁ、これで大丈夫なのかルイズ?」
目的の森へと続く学院の門の前、一緒に来る予定であるロングビルが馬車を取りに行っている間にサイトはボソッと漏らした。
今現在、周りにいるのはサイトを含めてルイズ、キュルケの三人である。
学院長室から出た後、一同は一旦解散し、各々準備をしてから待ち合わせ場所とした門の前へと集まることにした。
太陽が昇ってから大分経ったようで、騒いでいた生徒達も今は授業をしているようであった。
ルイズとキュルケはとりわけ部屋に戻ることもなかったため、サイトと三人で待ち合わせ場所へと一足早く着いていたのだった。
サイトは草の生えた手近な地面に座り、周りの草をちぎりながらルイズとキュルケを交互に見る。
「なんか俺らが行かなくてもあのジョルジュ一人で解決しそうなんだけど...というか、彼はホントにメイジ?鬼武○化してるよ?というか、逆に付いていったら俺らもヤラれ・・・」
「うっさい!!」
サイトが言いきる前に、ルイズはキッとサイトを睨んだ。
「グダグダ言わないでよ犬。私だってあんな風になっちゃったジョルジュと一緒にいるの怖いわよ」
ルイズの後、キュルケもサイトの方に体を向けた。
「そうよ~サイト。それに、彼の使い魔とも約束したじゃない。『私たちの事学院で黙ってくれる代わりに、フーケを捕まえてくる』って」
「まあ、そりゃそうだけど...」
キュルケの言葉にサイトは頷き、握った草の切れ端を壁に投げた。
昨日のあの晩、ルーナに今までの事を見られていた彼らは、ルーナからとある事を頼まれた。
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―大丈夫です皆様。私もマスターが友人と争うところを見たくはありませんから内緒にしますよ―
『ほ、ホント!?ジョルジュに言わないでくれるの!?』
―ええ。でも代わりといってはなんですが、私の頼みごとを聞いてくれないでしょうか?―
『・・・・内容は』
―いえ、ただ皆様の後に花壇を荒らしたフーケさんを捕まえて欲しいなと思いまして...やはり同じ仲間があんな風にされてしまったのは心苦しくて。どうか聞いてくれないでしょうか?―
『断れる...わけないか。でも、ホントに言わないでいてくれるの』
―ええ、この学院で生活している皆様に迷惑をおかけするようなことはしませんわ。今夜の事はしっかりと胸にしまっておきます―
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サイトは昨日の事を思い出し、やはり素直に謝るべきだったのではないかと頭に後悔の念が回った。
(やっぱちゃんと謝った方が良かったって~。与作先生も言ってたもん。『隠し事はなるべくやめとけサイト。大抵ロクなことにならねぇ』って。ああ~どうしよ。帰りてぇ...)
ガクッと落ちたサイトの肩を、後ろから誰かがポンポンと叩いてきた。
サイトが振り向くと、いつの間にかやってきたタバサが得体の知れない瓶を片手に持ち、もう片方の手でサイトを叩いていた。
「・・・・やるっきゃない」
「・・・・・ああ・・そうね」
サイトの身体から、またさらに力が抜けたように感じられた。
タバサがきてからしばらくして、ロングビル、ジョルジュと、今回の捜索メンバーが全員集まった。
ロングビルは持ってきた学院の馬車の前に座り、その後ろの席にルイズ、サイト、キュルケ、タバサ、ジョルジュと座って行く。
ここまでジョルジュはほとんど喋らず、相変わらず黒いオーラを体から立ち昇らせている。
しかしルイズ達も朝からずっとこのプレッシャーを浴び続けていた所為か、ある程度慣れてきたようで、学長室のような緊張感はなくなっていた。
「え~と...これで全員揃いましたね?」
ロングビルは後ろの席へと振り向き、指を動かしながら数を数え始めた。
数えている指が若干震えているのは気のせいだろうか。
「ミス・ヴァリエールにミス・ツェルプストー、ミス・タバサにミスタ・ドニエプル。それに使い魔さんで・・・」
ロングビル、もといフーケはピタっと人数を数えるために動かしていた指を止めた。
今回の捜索メンバーは自分を含めて6人の筈だ。
教師が誰一人来なかった以上、淡い期待だが彼らの中で「破壊の杖」の使い方を知っている者がいることを願うしかない。
というかもう宝とかどうでもいいからウチに帰りたい。
そんな願いを浮かべながら数えていた彼女の指の先には、本来はいない筈の席に誰かが座りこんでいた。
丁度ジョルジュの真正面。
いつの間に座ったかは分からないが、頭の大きな葉を風で揺らしながら、ジョルジュの使い魔ルーナがそこにいた。
ルーナの存在に気づいた時、誰もが体を硬直させ、そして皆一様なことを頭に浮かべた。
何しにきたんだコイツッッッ!?
キュルケは若干声を上ずらせながらも、左前方に座っているジョルジュの使い魔に話しかけた。
「あのルーナ?どうしてここにいるの?あれ?お出かけ?」
キュルケの問いに、ルーナはクスクスと笑いながら答える。
―なんてことありません。使い魔がマスターについていくのに理由がいるでしょうか?私も今回の捜索に付いていきますわ―
馬車に乗っていたメンバーの頭の中に、ルーナのクスクスと笑う声が響き渡る。
一同全員が固まっていると、先ほどから黙り込んでいたジョルジュが普段とは違う重い声で
「ルーナニハ、サッキ「タマタマ」アッタンダヨ。ナンデモ...」
ジョルジュがそこで一旦言葉を区切ると、前方にいるルイズ、キュルケ達の方を見てニヤッと笑った。
目を白く光らせた顔で笑うジョルジュの表情は、一体誰が温厚で天然な普段の彼を想像できるだろう。
「オラノ「カダン」ヲコワシタハンニンノカオヲ、ミタンダッテサ。ダカラコウシテ、ツイテキテモラッタダヨ」
ジョルジュが言い終えてからすぐに、馬車は自然と動き始めた。
しかし馬車に乗っている者からはジョルジュとルーナの小さな笑い声しか聞こえず、残りのメンバーは白く固まっていた。
そしてやはり、考えることは同じであった。
(元の世界に)
(実家に)
(ゲルマニアに)
(・・・お母様の元に)
(テファのいる家に)
((((((帰りたいっっ!!)))))