トリステイン魔法学院において、生徒間に存在する暗黙のルールというものがある。
学校という集団生活の中ではそのような決まりごとは半ば必然的に生み出されてくるモノであるが、この学院も幾分例に漏れず、いくつかある。
その中でもとりわけ大事なものの一つ、「ジョルジュの花壇を荒らすな」は魔法学院の生徒であるならば知らなければならないことであろう。
生徒の中では、ジョルジュの行動に嘲笑や侮蔑を向ける者は少なくない。
しかしそんな者たちも、彼が大事に育ててある花壇の植物へは危害を加えないようにしているのだ。
それは一年前、ジョルジュの事を快く思わない生徒数人が、花壇の花を燃やしてしまったことから始まる。
ジョルジュがまだ花壇を作りはじめて間もない、花の蕾も開きかけ始めた時であった。
それまでにもジョルジュの花壇には石が投げられたり、花壇の一角が壊されたりすることがあったのだが、ジョルジュはまるで気にせず黙ってそれらを直し、変わらず花壇の世話をしていた。
しかしある日彼らはとある生徒を筆頭に、花壇に火の魔法をかけた。
彼らのリーダー格は3年生であり、当時在学していたジョルジュの兄ヴェルに対しての嫉妬心もあって及んだことであった。
彼らが花壇の花を燃やし、土を荒らしてその場から逃げようとした際、花壇の手入れをしに訪れたジョルジュに見つかってしまう。
怒り狂うかと思われたジョルジュであるが、彼は花壇に近づくと、一つも声を出さずに涙を流し、変わり果てた花壇の花に手をやった。
生徒達は謝るどころかジョルジュの様子から、彼に対してさらに暴言を吐いた。
これに懲りたら調子に乗るなよドニエプル風情が
貴族の癖に農民まがいな事をするな
辞めるきっかけを作ってやったんだからありがたく思え
罵詈雑言はエスカレートしていき、中にはジョルジュの背後から蹴りを入れてくる者まで出てきた。
しかしジョルジュは一向に動こうとせず、ただじっと花壇の方を見て涙をこぼしていた。
するとリーダー格の3年生が、ジョルジュの背中に杖を突きつけた。
彼も当時の3年生の中では優秀なメイジの一人であり、「剛炎」という二つ名を持つ程の火のメイジであった。
しかし、同学年で常にトップの成績にいるヴェルを疎ましく思い、その恨みの矛先を弟であるジョルジュへと向けることになったのであった。
歪んだ笑みを顔に浮かべながら、彼はこうジョルジュへ口を開いた。
お前もそこの燃えカスのようにしてやろうか
彼は本気でジョルジュへと魔法を撃ちこむつもりはなかった。
泣いて自分へとすがりつき、「助けて下さい」と泣き叫ぶヴェルの弟を想像し、彼は歪んだ笑みをさらに歪ませた。
周りの生徒達も同じように笑いだした。
しかし彼らの記憶はここで途切れることとなる。
次の瞬間、大きな叫び声と魔法の衝撃音が木霊し、しばらくして音を聞きつけてやってきた教師が見たのは、
顔の原型を文字通り「歪ませ」た血だらけの生徒達と、顔を血で染めて立つジョルジュであった。
事の状況は後の調査で判明し、花壇の植物を荒らしたこと、またジョルジュ一人に対して複数の生徒が「魔法」を行使したことから、この事件に関係した生徒達には処罰が下された。
暴力を振るったジョルジュにも処罰は行われたが、事件の状況から彼に非がないと判断され、数日の学内奉仕が言い渡されただけであった。
それからしばらくの間、ジョルジュはとある二つ名で呼ばれるようになる。
「血まみれ」ジョルジュ
それと同時に彼が世話をする花壇を荒らそうとするものは誰一人としていなくなった。
彼が「園庭」の二つ名で呼ばれるようになる前の出来事である。
「・・・・・雪風書房・・・『学院の黒歴史 葬られた事件』より」
タバサは一通り話終えると、いつの間にか開いていた本をパタンと閉めた。
「あ、オレ明日早いから帰るわ」
サイトはそう言うと「じゃあ」っと手を上げて花壇から抜け出し、寮へと帰ろうとした。
しかしそのサイトの肩はガシッと小さな手に掴まれる。
「何逃げようとしてんのよ犬!!ご主人さまを助けるのが使い魔の役目でしょ!!」
「いやほら明日はルイズの下着洗濯しなきゃいけないじゃん?だからそれに向けて計画を立てないと」
「計画なんていらないでしょうがぁぁぁ!!!?というか何急に仕事熱心になってんの!?」
そう叫ぶルイズの方に顔を振り向け、サイトは少し甲高い声を出した。
「だって無理だってぇぇぇぇ!!!そんな殺意の波○に目覚めてるようなメイジにオレに何が出来るよ!?もう駄目だルイズ!!元の世界に帰してくれ!!ちょっとでいいから!!ほとぼり冷めたらまた来るから」
「だから元の世界に帰す手段は知らないって言ってんでしょ!仮に知ってたとしても誰が帰すか!!」
「あ、私用事あるからそろそろ帰るわね」
「「チョイ待てぇ!!」」
言い争う二人を尻目にキュルケはその場を離れようとしたが、サイトはキュルケのマントをガシッと掴んだ。
ガクンと首が後ろに持ってかれたキュルケであるが、それでも寮へと向かおうと力を入れる。
しかしサイトとルイズの二人がそれを引張って戻そうとする。
「サ、サイト?引き止めてくれるのは嬉しいけど、グェ...ちょっと強引すぎないかしら?私これから用事があるの。部屋に帰らしてくれない?」
「キュ、ルケェ...そういやぁ..剣のお返しまだだっけ?是非ともお礼したいからちょっと待ってよ」
「いやぁ..ねぇ、サイトぉ...べ、別に気にしないでよ。このまま帰してくれて私がいたことを忘れてくれたらそれが何よりのお礼よぉ」
「だ、ダメに決まってるでしょぉがツェルプストー...ンギギ」
そう言いながら互いを引き止めている3人は、花壇から女子寮へ直線的に並んでおり、サイトのパーカーを最後尾のルイズが、キュルケのマントをサイトが引張り、キュルケがそれに対抗して女子寮へと体を向けている。
キュルケは目に少し涙を浮かべ、そして叫んだ。
「無理よぉぉぉ!!!!だって「血まみれ」ジョルジュよ!?私がどうこう出来る相手じゃないわ!!ルイズ!!後はあなたに任すわ!私風邪で寝込むから!「微熱」らしく風邪ひくから!!」
「こんな元気な病人がいるかぁぁ!!!てかなに私に全責任負わそうとしてんのよぉぉ!」
「だってアンタ、ジョルジュとモンモランシーと仲いいでしょ!?あなたがちゃんと謝ればきっと...ってタバサぁ!!!?なに帰ろうとしてんのよぉぉ!!!」
3人で引っ張り合いをしている最中、タバサは無言のままシルフィードと共に寮へと帰ろうとフライを唱えていた。
タバサの足が地面を離れて飛び立とうとした瞬間、キュルケは寸での所でタバサの足を掴んだ。
彼女の体躯からは想像できないくらいの力を振り絞り、飛び立とうとするタバサを引き止めた。
「は、離してキュルケ・・・新しいオリジナル酒の・・・アイデア浮かんだから・・・・帰らして」
「そんなのぉ...マリコルヌに蜂蜜塗りたくって壺に入れとけば出来るわよぉ...後にしなさいってタバサ。一人だけ逃げるなんて酷いじゃないのぉ」
タバサは尚も寮へと逃げようと浮力を上昇させた。
しかしルイズ、サイト、キュルケの執念なのか、引かれる力に戻される。
タバサには珍しく顔に汗を見せながら、少し焦りを含んだ声をキュルケに出した。
「だ、大丈夫。キュルケなら一人で大丈夫・・・その身体をジョルジュに奉げればきっと彼も分かってくれる・・・はず」
「今度はモンモランシーに抹殺されるでしょうがぁぁぁ!!!そんな方法で解決するわけないでしょ!!余計に話がもつれるわ!!!」
「わ、私には無理・・・というか私が一番無関係な筈・・・帰らして・・・私は・・・こ、こんなところでは死ねない」
4人とも半ベソをかきながら、お互いが逃げようとしていたが、このままじゃ埒が明かないと感じたサイトはキュルケを引っ張る力を緩ませずに3人に言った。
「ま、待ってくれみんな。とりあえず落ち着こう...みんなで考えればきっと解決方法は見つかるはずだ」
外の慌ただしさは部屋の中へは伝わらない。
生徒の多くは部屋にいる間は「サイレント」をかけて部屋と外の音を遮断しているためである。
ジョルジュの部屋もそうであり、カーテンを閉めた部屋の中には、ジョルジュとモンモランシーの息遣いしか聞こえていない。
「んじゃモンちゃん。ベッドに横になってだよ」
「うん...」
モンモンランシーは椅子から立つと、背中に掛けていたメイジのマントをスッと外して椅子に掛けた。
白い制服になったモンモランシーは、後ろにつけている赤いリボンに手をやると、少し動かしてリボンをほどいた。
ファサッと髪同士がこすれ合い、後ろである程度まとめていた髪がほどけた。
リボンをマントと一緒に椅子へと掛けると、モンモランシーはジョルジュが使っているベッドへと腰掛けた。
貴族のベッドにしてはいささか小さいが、木で作られたベッドに敷かれている布団はやわらかく、周りに置いてある花瓶の花からは甘い香りが漂ってきた。
ジョルジュは先ほどまで着ていたドレスを脱ぎ、いつも部屋で着ている私服へと着替えている。
モンモランシーは急に力が抜けたかのようにベッドへと倒れ込んだ。
小さい少女の体はやわらかいベッドへと包まれ、足が軽くキシッと音を鳴らした。
サイレントをかけているからか、心臓の音が少し早まっているのが聞こえる。
そういえば体...汗かいてないよね?さっき来る前にお風呂入ったし...
そんな事がモンモランシーの頭の中によぎった時、私服に着替え終わったジョルジュがベッドの近くにやってきた。
その両手には金属のトレーらしきものを持っている。
「しっかしモンちゃんもそこまで恥ずかしがらなくてもいいのに。「いっつもやってる」でねぇか」
ジョルジュがモンモランシーへそう呟くと、モンモランシーの顔は急に赤く染まる。
「べ、別にいいでしょ!?何度やっても...その...最初は恥ずかしいのよ」
ベッドの枕に顔を伏せながら、モンモランシーはそうゴニョゴニョと声を漏らすが、ジョルジュはそれを見ながら軽く笑い、ベッド脇の小さテーブルに金属のトレーを置いた。
カシャっと音をたてたトレーには、薄緑色したロウソクと金属の棒がいくつも乗っている。
金属の棒の先は少し丸く、平たくなっており、ちょうど鉤爪のように曲がっている。
「でもモンちゃんの方が頼んでくるでねぇか...『耳掻き』」
ジョルジュは椅子をベッド脇まで近づけ、そこに腰かけた。
顔を赤く染めたまま、モンモランシーは枕から顔をジョルジュへと向けた。
そう言われると彼女としては何も言えない。
言うことを聞いてくれるということで、最初はなんの気なしに頼んだのだが、予想外の気持ちよさに、今では二日に一度くらいでジョルジュに耳掃除をしてもらっている。
しかしやはり女の子なのか、頼むのはいいのだが耳の穴を見られる恥ずかしさはやはりぬぐえないらしい。
ジョルジュはロウソクを金属の蠟燭皿に立てると、ベッド脇のテーブルにそのまま置いて火を付けた。
ロウソクはモンモランシーが作ったロウソクであり、ジョルジュのハーブとミツロウを加えて作ったハーブキャンドルというものである。
火をつけてからしばらくすると、ベッドの周りには花とは違う凛とした香りがベッドを漂い始めた。
「ほい。んじゃあモンちゃん横向いてだよ」
「う...うん」
モンランシーが顔を反対側、ジョルジュの座ってる方向とは別の方へと体をひねった。
また少し、心臓の音が早くなった気がする。
「ん~っと...」
少し唸るような声を出して、ジョルジュの指がモンモランシーの耳を優しく掴んだ。
その感触がモンモランシーの全身を伝わり、背筋にゾクゾクと何とも言えない感覚を覚える。
(ふあっ!!?)
ジョルジュはマッサージでもするかのように、耳のそばにある髪をよけて耳たぶを軽く引っ張るように動かす。
ジョルジュが耳たぶに触れる度、背筋への感覚は流れ、声を上げてしまいそうになる。
そんなモンモランシーの状況など知らず、ジョルジュはトレーに置かれた耳かき棒の中から一つ手に取ると、それをモンモランシーの耳の中へと挿入した。
そして慣れた手つきで耳かき棒をクルクルと動かし、耳掃除をはじめた。
(うわぁ...これやばいわ......やっぱ気持ちいい)
丁寧に耳掃除をされている心地良さと耳たぶから伝わるジョルジュの体温によって、モンモランシーの全身は幸福感に包まれた。
ジョルジュも大分上達してきたのか、耳かきをしてもらうたびに気持ちよさが上がってきている。
(なんだろ...頭がふやけそう...フワフワしてきた)
「あ...ふぁ...んっ..」
モンモランシーの目はとろんと垂れ下がり、最初に恥ずかしがっていたことも忘れ、知らず知らずに声を漏らしていた。
ジョルジュもその声に反応してか、顔が少し赤くなっている。
(モンちゃん耳かきするといつも色っぽい声出してくんだよなぁ~。なんだかこっちが恥ずかしくなってくるだよ)
ジョルジュは耳かき棒をトレーに置き、また別の棒を手に取った。
耳掃除をするということで錬成によって自作した道具であり、長さ、形と用途によって使い分けられるようになっている。
ジョルジュはモンモランシーの耳に、今度は表面から少し下の部分を中心に手を棒先を動かしていく。
ハーブキャンドルの香りが一層モンモランシーを夢心地にさせていく。
(あ~...ジョルジュの手暖かいなぁ...このまま...)
既に全身の緊張は解け切り、ベッドに横になる彼女には暖かい感触と優しい安心感のみが彼女を包んでいた。
「やっぱりちゃんと謝るのが一番だと思うよ俺は」
花壇から少し離れた所、先ほどルイズとキュルケが魔法を唱えた場所と花壇の中間地点で4人は体育座りで円を囲んでいた。
4人は「どうすればこの状況を打開できるか」の円卓会議を開催している。
誤魔化そうか、いやバレル!!このまま逃げてしまうか、確実にヤラれる!!ルイズを生贄に、ジョーダンじゃないわよ犬ゥ!!
しばらくの間様々な案が出され続けたが、たどり着いた結論は一つ、「素直に謝る」であった。
「問題はどのタイミングで謝るかね...」
お互いに顔を近づけ、キュルケは小声で呟いた。
他の3人は顔を見合わせた。
「確かにサイトの言うとおり、謝るのが一番いいわ。素直に謝ればきっとこちらの気持ちは伝わるはずだし」
「いやキュルケ...別にジョルジュはモンスターとかじゃないんだから、普通に謝れば...」
「そうだよキュルケ。すぐに謝った方がいいじゃねぇか」
「甘い!!甘いわよルイズにサイト!!」
キュルケはビシッと指を突き出しルイズとサイトを交互に指した。
「いい?確かにすぐ謝ればそれだけリスクは低いわ。でもね、今は夜よ夜!! どうせモンモランシーがいちゃつきにジョルジュの部屋に居座ってるか部屋にジョルジュを呼んでるかよ!!」
キュルケは突然すくっと立ちあがった。
「そんなタイミングで部屋に入ってみなさい。下手したら2人ベッドで「コントラクト・サーヴァント」よ!!逆にモンモランシーにヤラれるわ!!」
「あんた一人だけヤラれてなさい」
ルイズは飽きれた表情でキュルケを見てツッコミを入れると、スッと立ちあがった。
「すぐ謝りに行くべきよ!!時間がたてば経つほど取り返しつかなくなるわ!!今からでもいいから行きましょ!!」
「いいえヴァリエール!!朝になって行くべきよ!!今謝りに行っても絶対解決しないわ」
二人はお互いの主張をぶつけた。
サイトは慌てて立ちあがった。
こんな時にも言い争いは勘弁してほしい。
サイトは二人の間に割って入った。
「こんな時にも言い争いは止めろよルイズにキュルケ!!」
「サイト!?」
「サイトォ?」
「とにかく今からでも謝りに行こうぜ。聞いてると悪い奴じゃないんだろジョルジュって?だったら皆で謝ればきっと分かってくれるって」
「サイト...」
ルイズはサイトの言葉にポーっと顔を紅くした。
こんな状況ながら、サイトが自分の意見を尊重してくれた。
小さな胸に嬉しさがこみ上げてくると、ポワーッと体温が上昇してきた。
しかしルイズはすぐはっとなり、若干顔の紅いまま、キュルケに大きな声でいった。
「そ、そうよキュルケ!!今から謝りに行くわよ!!サ、サイトもそう言ってることだし」
キュルケはまだ納得がいかないのか少し頬を膨らましたが、フーっと息を吐くと「分かったわ」と小さくいった。
「そうね...今回ばかりはルイズの言う通りかもね。ルイズの案に従うわ」
そう言うとキュルケは隣で本を読んでいるタバサの襟首を掴むと、ひょいっと持ち上げるように腕を上げた。
タバサもそれに合わせてスッと立ちあがった。
タバサは持っている本をパタンと閉じると、三人の顔を見ながらボソッと呟いた。
「花壇・・・・」
「「「花壇?」」」
三人はキョトンとしているが、タバサはそれに構わず杖をジョルジュの花壇の方へと向けた。
三人が杖の指す方へと顔を向けると、花壇のある場所が心なしか盛り上がっているように見える。
「あれ?ジョルジュの花壇ってあんなに土盛られてたかしら?」
「いや、俺が落ちた時には普通だった...というか段々盛り上がってきてないか?」
「というかあれってもしかして...」
ルイズが言い終わる前に土はあっという間に3メイルをも超えるほどにまで達し、ゴロゴロと土が動いたかと思うと、人型に形を成した。
「「「ゴーレムゥゥゥゥ!!!?ってああああああああああ゛!!!!」」」
「花壇・・・・・・・めちゃくちゃ」
タバサの言う様に、形を成したゴーレムは丁度ジョルジュの花壇付近の土を用いて作られた様だ。
暗くてよく分からないが、ゴーレムの頭に若干草の蔓らしきものが見える。
そしてその肩にはローブを身にまとった何者かが見える。
しかし彼女たちにとってはそれはもはや些細なことだった。
少女三人と使い魔一人は再び石化した。