お互いが無言のまま立ち尽くしていた。
ターニャが告白したあと、周りに響くのは冷たくなった風の音と、その風になびいてこすれる麦の穂の音だけであった。
虫の音も、すでに眠ってしまったかのように静まりかえっている。
ターニャはジョルジュの頬に当ててた手を離すと、顔を下にさげた。
黒色の髪が月の光を反射して輝き、その髪に隠れてジョルジュには彼女の表情を見ることはできない。
ジョルジュはターニャの言葉を受け止めてから彼女に何を言えば良いのか、頭の中でずっと考えていた。
やがて自分のなりの答えが見つかったのか、涙でくしゃくしゃになっていた顔は失せ、どこか逞しく、少し優しさを含んだような顔つきになっていた。
ジョルジュは目にわずかに残っていた涙をぬぐい、いつにない真剣な目をターニャへと向けた。
ターニャはまだ俯いたままであるが、ジョルジュは構わずに両手で彼女の肩をつかんだ。
「ターニャちゃ「よし、んじゃあ帰るわよ」ん?」
ジョルジュが言うのと同時に、ターニャがうつむけていた顔を上げた。
その表情は先ほど見せていた悲しく、とても重い雰囲気とは違く、何かふっ切ったような晴れ晴れとした表情が浮かんでいた。
ターニャはジョルジュの右肩をポンっと叩くと、「ホラ何してんの?そんな変な顔して」と言いながら首をかしげた。
ジョルジュは何が何だか分からず、少し声を詰まらせながらいった。先ほどまでの表情はどこへ行ったのか、いつも通りの顔に驚きを乗せた目をターニャに向けていた。
「あれ?ターニャちゃん?だ、大丈夫なんだか?なんかさっきとは全然テンションの具合が違うけんど…なんだか大分スッキリしているような…」
「あ~?そりゃ違うでしょ。何年も言おうとしてたことをたった今言えたんだから。スッキリするわよ」
「今さらっとトンでもないこと言ったような気がしたけんど…」
ジョルジュはターニャの余りの変わりぶりに多少混乱状態に陥っていた。
あれ、さっきのセンチメンタルな空気はどこ行ったんだ?さっき流していた涙はなあに?
というかオラ、今思えば結構恥ずかしいこと言ってたような…
そんなジョルジュの頭の中を透視でもしたのか、ターニャはジト目でジョルジュを見つめ、
「なにジョルジュ?もしかしてあんた嫁入り前の女になにかしようとか考えてたわけか?」
ドキン!!ジョルジュの心臓は一気に跳ね上がった。
「イヤイヤイヤイヤイヤイヤそんな事ねーだよターニャさん!!い~くら好きな女の子だからって、嫁入り前の体にそんなハレンチなことしようなんて考えちゃいねーだよ」
ジョルジュは両手を前にのばし、首と一緒に左右に振りながら言った。しかし彼の心の中は、見事にいい当てられた焦りと緊張で冷や汗が滲んできたのであった。
ターニャはゆっくりと、かつしっかりとジョルジュの両手首をつかむんだ。
そして強張った顔を見せているジョルジュに向かってにっこりとほほ笑み…
「こんの不埒貴族がぁぁーーッッ!!」
一瞬の速さで、ジョルジュの顎に小さな膝を打ちこんだのだった。
ジョルジュは「すみません!!」と謝りながら後ろへ倒れ、1、2度ビクンと体を跳ねると大人しくなってしまった。
「全く、いくらあんたの事を「愛してる」って言っても、簡単に貞操をやるわけないでしょ。結婚式前日に婿以外の男と寝るなんて…って起きなさいよジョルジュ。いつまでも倒れてないで帰るわよ」
「いやぁターニャさん…オラ心も体もクリティカルヒットで動けねーですだ。先に帰ってくれだ~ていうかオラ少し泣きたいです」
ジョルジュはぐったりと地面に倒れ、その目からはさっき流した涙とは別の種類のモノが流れていた。
ターニャは一度溜息を吐くと、倒れているジョルジュの片腕を持ち上げ、そしてひょいっとジョルジュを担ぎあげた。
そして「アンタが明日いなかったら結婚式始まらないでしょうが!!」といい、村の方へと歩きだした。
「ターニャちゃんもう大丈夫だよ。普通に歩けるだよ~」
先程話し合った場所から少し離れたところで、ジョルジュはターニャにそう言って背中から降りようとした。しかしターニャは一度足を止めてよいしょと担ぎなおしてしまった。
「いいから背負われてなさい。アンタを担ぐのも今日が最後なんだし…それに今だけはアンタの恋人?なんだからしっかりつかまってなさい」
「女の子に背負われる彼氏なんて聞いた事ねぇだよ…普通逆だぁよ」
そう言うとターニャはフフフッと笑った。足が地面を踏みしめるたび、二人分の体重が道の小石や砂利をジャリ、ジャリっと響かせた。
半分ほど進んだ後、ターニャは急にジョルジュを地面に下ろした。
急に下ろされたジョルジュはバランスを崩して少しよろけたが、ターニャはその背中に飛び乗り、首を両手でがっちりとホールドした。
「じゃあ残りは私の部屋までよろしく」
「・・・・アイアイサー」
そういってジョルジュは先ほどとは反対に、ターニャを背負って村へと歩いていった。
何歩か進んで時、背中からターニャの声が耳の奥に直接運ばれるように聞こえてきた。
「だけどね、ジョルジュ、アンタにさっき言ったコトは全部ホントよ。ジョルジュの事好きだし、だけど隣にいれないって思ったことも全部ホントだから」
「ターニャちゃんさっきと違ってスパスパと言うだね。オラちょっとびっくり」
そうジョルジュが返すと、背中からまたフフフと笑い声が聞こえ、明るい声でターニャがいった。
「アラ、だって「一晩だけ」あなたに愛を誓ったんですもの。愛する人には素直に自分の心を打ち明けるものよ」
そう言い合う2人の間には、先ほどまで涙を流していたとは考えられないような暖かく、優しい空気が覆っていた。
ふとジョルジュは、この村に来てから心につっかえてたものが外れたような感覚があることに気づいた。
それは小さい頃に言いたかった彼女への想いを告白したからだろうか、それとも彼女の想いを聞けたから、もしくは両方なのか。
今となっては分からないし、分かる必要もないのだろうとジョルジュの頭に浮かんだ。
何処からか梟の鳴き声がホーーっと聞こえた時、村の入り口である門が見えてきていた。
ターニャはジョルジュの首に巻いていた両腕をグッと力を入れなおした。
「だからさ、せめてジョルジュには笑って見送られたいのよ…心に残したモノそのままで、あんな風にメソメソした雰囲気で結婚式するなんて私には耐えられなかった…今だから言うけど、立会に来てくれてホントにありがとう…」
そう言ったターニャの腕がかすかに震えているのがジョルジュに伝わった。
ジョルジュには彼女の気持ちがまるで滝のように自分に流れ込んでくるように感じられた。
やがて背にかかる彼女の重みをグッと感じ、まだ寒い夜の空気に、息を白くさせながらジョルジュは自分の胸の内をターニャに明かした。
本来口下手であるジョルジュであるが、この時ばかりはスラスラと言葉が出てきた。
「オラ、上手くは言えねえけんど…学院でターニャちゃんが結婚するって連絡受けた時はホントたまげただよ。この村に来た時も、星降り草を取りに森に行った時も、なにか胸につっかえてたモノがあってな。正直心苦しかっただよ。だけど、ターニャちゃんの気持ち聞かしてくれて、なんだかすんげぇ楽になっただ!!こちらこそありがとうだよ…ってターニャちゃんって寝てる!?」
気がつくとターニャは、いつの間にか小さな寝息を立てていた。
これまでの結婚式の準備などの疲れが出たんだろうとジョルジュは思いながら、多少がっかりした面持ちで顔にかかった髪を横に避けた。
最後に言おうとした言葉をモゴモゴと口に残していたが、ジョルジュは寝ているターニャに向けて言った。
「結婚おめでとうターニャちゃん。幸せになるだよ」
そう言い終えた時、ジョルジュは村の入口の門を通り過ぎた。
その時、誰にも聞こえないぐらいの小さな声がターニャの口から洩れていたコトにジョルジュは知る由もなかった。
「ありがとう。ジョルジュ…」
二つの月が空から降り、代わりに太陽が真上に上った頃、ジャスコの村ではあちらこちらで結婚式直前の準備が行われていた。
準備といっても大部分は村人が明々祝いの時に着る服を引っぱり出して急いで身につけたり、外の広場に敷いた御座や置いたテーブルに料理を並べている。
当然料理を用意するのは村の女たちであり、男たちはまだ式も始まってないのに土で出来た杯にぶどう酒やビールを注いでいる。
そんな光景とは異なるとある家の2階では、部屋を貸してもらったジョルジュが式用の衣装へと着替え終えていた。
緑と茶の二色の布を使って織られた、色は違えどいかにも結婚式で見かける神父が着ている衣装だなとジョルジュは思った。
母ナターリアから聞いたところ、これがドニエプル領の伝統の式服であるらしい。(ナターリアが「センスがホント悪い」と愚痴をこぼしていたコトを覚えている)
着替えが終わり、外に出ようかなと考えていた時、突然木製のドアをガンガンと叩く音が聞こえ、ガチャッとドアが開くと、村長の夫であるニッキーがぬっと現れた。
やはり結婚式だからか、いつもはボサボサの黒ひげもピッチリと切り揃えられ、身に纏った衣装はいつもとは違うオーラを漂わせていた。
「おうジョル坊!!お前も着替え終わったっか!!だったら外に出て飲もうじゃねぇか!!」
ニッキーはガハハと笑いながらジョルジュを酒宴に誘おうとするが、ジョルジュは苦笑いを浮かべ、
「ニッキーさんまだ結婚式前ていうかもうすぐ始まるだよ…そんな時に飲んだら式でまともに動けねぇだよ?というか立会人が酔っ払って出席したらエライことだよ」
「んだよつれね~なぁ~。ターニャとエマンは衣装の着付けに熱中で干されるしよ~こういう時は黙って酒を飲むのが男なんだぞ~」
「てかもう酔ってるだねニッキーさん…」
ジョルジュはニッキーの両肩を押しながら、階段を下って外へ出た。
村の外では村人たちが酒を飲んだりそこら中を駆け回ったりとそれぞれが違うことをしながら式を待っていた。
その中には、花婿の村の者なのかジャスコの村の人たちとは少し違う雰囲気の人が何人か見えた。
「ガハハハッ!!そうだジョルジュ!!これからどっちがブドウ酒一樽早く飲み干すか競走…」
「ニッキーさんは大丈夫だけんどもオラは死ぬだよ!?ほらニッキーさんあっちでみんなが呼んでるだよ」
そう言いながらジョルジュはニッキーの背中を押して村仲間の方へとニッキーを連れていった。
広場の方へと戻ると、遠くからニッキーの「お~いジョルジュ飲まねえのかよ~」という声が聞こえてきたが、聞こえないふりをして祭壇の方へと近づいていった。
祭壇は木で作られており、そこに紅い布を敷いてその中央には結婚式で読む分厚い本が置かれている。
ふとジョルジュが右に目を移すと、祭壇の右の方に、花瓶に飾られている星降り草が目に入ってきた。
夜中にきらめく花であるが、日光の光を受けてまた違う輝きを放っている。
ジョルジュは祭壇の向かい側へと移動し、そしてゆっくりと目をつぶった。
式の直前なのに騒がしい広場であったが、不思議と耳には自分の心臓の音がドクン、ドクンと聞こえてくるのが分かった。
しばらく目を瞑っていた後、どこからか笛の低い音が鳴るのが聞こえてきた。結婚式始まりの合図である。
すると、先ほどまで準備にあくせくしていた村の女性たちも、飲んだくれていた男達もみんな広場へと集まり、新郎と新婦を迎えるのみとなった。
やがてしばらくすると、一軒の家の扉が開き、紅いドレスに身を包んだターニャが現れた。
紅色のドレスに、同じ色のベールでおおわれている彼女の左胸と頭には、ジョルジュが採ってきた星降り草が飾られており、星降り草の輝きが彼女の化粧を施した顔と紅色の花嫁衣装を一層際立たせていた。
その隣には、白い、タキシードのような衣装を身につけたターニャの夫になる青年が、彼女をエスコートしていた。
歳はジョルジュやターニャより4つ5つ上だろうか。
少し赤みがかかったブロンドの髪は、農作業の間に陽に焼けたものだと思われる。キチッと整えられた髪と同様その表情はカチコチに固まっていた。
ジョルジュは自然と出てきた笑みを浮かべながら新郎新婦が来るのを待っていた。
2人が村人が集まっているところまで来ると、村人達は自然と祭壇までの道を開けた。
そして二人が一歩、また一歩とジョルジュの元へと近づいてくる。
青年は目をグルグルと回しながら機械のような動きで、花嫁であるターニャはそんな青年を気遣いながら歩いてくる。
やがて二人は、祭壇をはさんでジョルジュと向かい合うような位置まで来た。
ジョルジュは祭壇に置かれている本をめくった。不思議なもので、先ほどまでの喧騒がうそのように辺りはシーンと静まり返っている。
ジョルジュは式を始めると、祝福の言葉を次々と唱えていった。
その間も青年は緊張している様子であり、逆にターニャの方はホントに17なのか疑いたくなるような落ち着きぶりである。
そして式は進んでいき、とうとう宣誓の段階に入った。
「新郎ノーチェス」
「ひゃ、ひゃい!!」
ジョルジュの言葉に、青年ノーチェスは噛みながらも大声で応えた。
「汝は精霊ノーム、そして始祖ブリミルの名において、この女ターニャを妻とし、良き時も悪き時も、死が二人を分かつまで愛し続けることを誓いますか?」
ジョルジュが言葉を言いきった瞬間、
先ほどから震えていたノーチェスの身体から震えがピタッと止まった。
再びジョルジュを見つめたその顔は、先ほどの頼りなさそうに緊張している表情が消え、一人の逞しい男の顔になっていた。
ジョルジュを見つめているその眼は正に、隣にいる花嫁を愛する夫の眼であった。
そしてノーチェスははっきりと迷いなく、村人全員に聞こえるくらいはっきりと答えた。
「誓います」
ジョルジュはあまりの変わりぶりに驚いた。
そしてそれと同時に、隣に立つターニャが言っていた言葉を思い出した。
『少し頼りないけどとてもイイ人なの…だからこの結婚に後悔はない』
なるほど…だからターニャちゃんはこの人を選んだのか。
ターニャちゃんが結婚しても良いって思った人だモンな。
こんないい旦那さんなら、笑って祝福しなきゃ失礼だよ!!
ジョルジュはノーチェスからターニャの方へ向き直った。ターニャの表情は心なしか、ニヤッと笑っているように見えた。
「新婦ターニャ」
―おめでとうターニャちゃん―
「ハイ!!」
村人たちの中から、男がむせび泣くような声が聞こえてきた。ニッキーだろうか。婿養子だから離れる訳ではないのに、やっぱり娘の晴れ舞台だからなのか…
―今まで隣にいてくれてありがとうだよ―
「汝は精霊ノーム、そして始祖ブリミルの名において、この男ノーチェスを夫とし、良き時も悪き時も、死が二人を分かつまで愛し続けることを誓いますか?」
―これからはノーチェスさんの隣で、幸せになって下さい―
ジョルジュの宣誓を訪ねた後、ターニャはじっとジョルジュを見据え、そして一瞬ニカッと笑ったかと思うと、堂々と言葉を紡いだ。
「誓います」
パートB終了 19話に続く