フーーーーーッ…….
ジョルジュは引き抜いた杖を左手に持った後、視線はケルベロスの方に向けながら1回、大きな深呼吸を行った。
それはジョルジュが戦う前の、いわば戦闘モードへの切り替えのような儀式である。これは彼が呉作として生きていた頃と同じ癖であり、中学や高校でケンカする前にはいつもこの深呼吸をやっていた。
その儀式は、彼が異世界で生まれ変わっても尚、受け継がれていた。
ジョルジュは正面に立っているケルベロスをじっと見ていた。真っ黒な体毛に覆われた三つ首の戌は、体長は2メイルぐらいだろうか。三つあるその顔は一つ一つがいかつい顔をしており、よく神社で見かけた狛犬を連想させた。ただし、今目の前の狛犬は現実に動いており、口から見える鋭い牙を鈍く光らせ、しきりに唸り声をあげているが…
彼はラインクラスの魔法が使えるようになってから、領内へ入ってくる賊やオークの群れ、獣などを幾度も追い払っている。そこで得た実戦経験は、同じ年齢の子供たちとは比べられないくらいである。
しかし、ケルベロスとは戦うことはおろか、実際に目で見たのも今回が初めてである。本などで見たことはあるが、詳細までは覚えてはおらず、この世界のケルベロスがどんなモンスターなのか全く分からなかった。
(一体どんなコトしてくるんだ?さっぱり分かんねぇだよ…本では見たことあんだけど詳しいとこまでは覚えてねえだ・・・たすか、人には獰猛なんだっけ?○Fだったら魔法を2回か3回連続して唱えられるようにしてくれるし、D○Cだと氷飛ばしてきただよな?...っていうことはこいつも何らかの魔法を使うんだか?)
ジョルジュは自分の前世で遊んだゲームから、必死でケルベロスの情報を引き出してきた。
そこから引き出されたのは「何らかの魔法は使いそう」という至極曖昧なものだったが、それがジョルジュの緊張感を一層強くさせた。
「遠距離からの攻撃もありかねない」という考えがジョルジュの頭にグルグルと回って浮かんでいた。正面のケルベロスは未だに唸っているだけで動こうとはしない。
しかしあんなに大きな体格の戌と接近戦はかなり不利である…さらに魔法で遠いところからも攻撃できるのであれば、なおやっかいだ。
(あっちの出方が分かんない以上、こうして考えても意味ないだな。ここはオラのゴーレムで一気に攻めるだよ)
ジョルジュは頭の中で作戦を決定した。彼の作戦とは大量のゴーレムを錬金し、連携攻撃にてケルベロスを攻めるということであった。
ジョルジュは畑作業や収穫の際、人手を補うためによく人型サイズのゴーレムをよく使っており、ゴーレムの錬金は彼の十八番であるといってもよいぐらいに得意としている。彼が錬金するゴーレムには数種類あるが、今彼が錬金しようとしている人型サイズのアイアンゴーレム「トール」であれば7体は同時に動かすことが出来る。
ケルベロスの四方から同時に出現させ、連続攻撃を行う。仮に魔法を使えるとしても、いかにケルベロスといえども複数の攻撃をかわしながら魔法を使えるとは考えにくい。正面にいるケルベロスは唸っているだけでまだ動いていない。今から詠唱すれば自分が先手を取れる…はず?
そう考えたジョルジュは呪文の詠唱を始めた。
しかしスペルを紡ごうとした瞬間、ケルベロスがジョルジュに向かって駆けだしてきた。ジョルジュはすぐに動こうしたが、右側から高速で何かが彼にめがけて飛んできた。
ジョルジュは突然の事に詠唱を止め、上体を後ろにそらした。その瞬間、その何かはジョルジュの頭があったところを通り過ぎていった。ジョルジュの顔の前を横切った物は、20サントほどの氷柱であった。
(氷柱!?ウィンディ・アイシクルだか!?だども自分の近くじゃなくて離れたところから飛ばしてくるなんて!?)
ジョルジュは氷柱をよけた後、すぐに詠唱を再開しようとしたが、不意に足もとが沈んだ感覚に陥った。
視線を下げると、いつの間にか自分の立っている地面が泥と化し、足首まで沈んでいた。
ジョルジュはあまりの展開に驚いた。
(!!!!!?んなぁぁ!?魔法の同時詠唱だか!?あの短時間で!?)
しかし考えている時間はなかった。ケルベロスは既にジョルジュと3メイルまで近づき、彼の喉元に飛びかかってきた。
(やられる!!)
ジョルジュは盾にするため、とっさに自分の目の前、泥と化していない地面から青銅のゴーレムを1体、錬金した。非常に短時間であったため、青銅のゴーレムを召喚するのが精一杯でった。
ジョルジュが泥から出ようと、体をひねりながら横に転がるのと同時、ケルベロスの横に振りかざした爪がゴーレムの首を飛ばした。
横に転がって泥から脱出したのもつかの間、目の前から再び氷の矢が飛んできた。
ケルベロスはまだジョルジュの方へ体は向いていないが、3つの顔のうち一つはジョルジュの方を向いて唸るように声を漏らしていた。
ジョルジュは再び横に飛んで氷柱をよけた。倒れた地面から起き上がって反撃に行こうとしたが、何と地面が再び泥となってジョルジュの体を沈めた。
片膝をついていた体勢だったため、ズブズブと太腿で泥に埋まっていく。
ジョルジュは、あまりの魔法の早さに
「んなッ!?何でこんなに早く魔法を使えるだよ!?」
と思わず叫んだ。
ケルベロスはジョルジュの方へ向くと、3つある口を開き、牙をむき出しにしながら近づいてきた。口を開いたその顔は、半ば獲物を捕えて笑っているようにも見える。
そしてケルベロスの周りには十数本の氷の矢が作られ始めていた。
「やばいだよ!!」
さらにケルベロスが近づいてくる。ジョルジュは泥から体を引きずりだすと、スペルを唱えながら杖を振った。そしてケルベロスと自分の中間の位置にアイアンゴーレム「トール」を一体、錬金した。
トールは元来戦闘用ではなく、農作業で活躍するために作られたゴーレムである。そのため、その外見は甲冑を着た剣士のように洗練されてはなく、どちらかといえばドラ○エのゴーレムに似たような外見であった。
しかし鉄で練成されたその体は頑丈であり、ちょっとやそっとではびくともしない。
ジョルジュはトールにケルベロスを相手をさせ、その間に態勢を整えようと考えたのだ。
「いくだよトール!!」
ジョルジュの声と共に、トールはケルベロスの前に立ちはだかった。そしてトールはケルベロスに向かって殴りかかった。
しかし、振り下ろした拳はケルベロスに当たることはなかった。殴りかかろうとした時、トールの足もとが泥と化し、足を取られたトールは自分の重さでズブズブと腰辺りまで沈んでいってしまった。
沈んだトールの拳は、前方の地面をむなしく叩いた。そのゴーレムの肩を台代わりに、ケルベロスはジョルジュの方へと飛び上がり、氷の矢を一斉に飛ばしたのだ。
「ヌオオオオオオオッ!!!強過ぎるだ~よ~!!!」
ジョルジュは氷の矢をよけるために横へと走り出した。自分がいた場所にドスドスと氷の矢が刺さった。
その後もケルベロスが放つ氷の矢と、鋭い爪と牙によってジョルジュは幾度と追い詰められた。足を止めれば泥に沈められ、ウィンディ・アイシクルと接近戦を使い分けて襲ってくる。
今はフライで宙に浮かんでいるため泥に沈む心配はないが、攻め手がないため防戦一方であった。
現在、ジョルジュの身体は足や腕の数か所を爪で割かれており、血が滴り落ちていた。
(う~ジリ貧だよ…フライで飛んでるから泥に沈まされることはねぇだども、やっぱウィンディ・アイシクルがキッついだよ。というかあんな魔法をガンガン使えるモンスターなんか初めてだよ…)
ジョルジュの考えは当たっていた。ケルベロスは、古代のメイジ達が作ったといわれる獣であり、現在はハルケギニアでその存在が確認されることは稀である。
そのケルベロスが恐れられる理由の一つは、その魔法の連続行使にあった。
3つの頭を持つこの獣はそのうち2つが魔法を唱えることが出来るとされ、残りの一つは自らの体を動かす本体とされている。そのため、ケルベロスは接近戦と魔法を2つ同時に行うことが出来るといわれており、ケルベロス1体でメイジ二人と剣士を相手にするようなものなのである。このような情報はドニエプル家にあった書物にあったが、ジョルジュは軽く見ただけであったので挿絵だけしか覚えていなかったのだ。
(こんなことならちゃんとあの本読んでれば良かっただよ。てか、精霊様…この相手はホントキッついだよ)
しかし、そんなことを思いつつも、ジョルジュは今までの攻防からケルベロスの攻撃パターンを把握していたのだった。
(魔法っていっても、ウィンディ・アイシクルと足元を泥にしてくる錬金しかねぇだな…そんで魔法で足止めをしてきて、接近戦で仕留めに来る…そんな感じだぁな)
ジョルジュはケルベロスから少し離れた、広場の中央に降り立った。すぐさまケルベロスはジョルジュの足もとを泥にしてきた。
ジョルジュの足はズブズブと沈んでいき、ケルベロスはしめたとばかりに氷の矢を周りに作りながら近づいてきた。
しかし、ジョルジュは眉ひとつ動かさずに、魔法を詠唱を始めた。
「オメェ…どうしてもオラを泥に沈めてぇみてえだけど…」
ジョルジュは杖振り上げ、ケルベロスの方を睨んでからこう言葉を続けた。
「そんなに泥が好きならオメェさんも沈んでみるだよ!!」
ジョルジュが杖を下した瞬間、木がない広場の空間は全て泥と化した。彼は戦う場所である広場一帯に錬金をかけ、「土」を「泥」にしたのだ。
ケルベロスは急に自分の足場が沈んでくるのに驚き、氷の矢も飛ばすのも忘れてジタバタと暴れ出した。しかし周りが泥では掴むものは何もなく、前足はむなしく泥に沈んでいった。
「やっぱり…オメェさんウィンディ・アイシクルと泥の錬金しかできねぇんだべ?」
ジョルジュは太腿まで沈みながらも、再び魔法の詠唱を始めた。
「それ以外の魔法が使えるんならわざわざオラの「足元」だけを泥にする必要はねぇんだからな。今みたいに全体を泥にするなりして、自分は足場を作ればいいんだからな」
ケルベロスは沈むゆく中でジョルジュに氷の矢を何本も飛ばしてきた。しかし沈んでいく体に焦っているのか、氷の矢はジョルジュからは大きく外れて通り過ぎていった。
「ウィンディ・アイシクルだってそうだよ。そんなに多くの数を飛ばせるのはスゲエだし、自分から離れたトコから飛ばすこと出来るなんてホント凄いだよ。だども「一方向」からしか飛んでこねぇって分かったら避けることは出来るだ」
ジョルジュは戦いが始まってからの間、死角から何回も氷の矢が飛んできたのだが、すべてが「一方向」だけしか飛んでこないことに気づいた。
あれだけの数を生成できるのであれば、死角と前方の「二方向」から飛ばしてくれば、到底よけきれない。なのになぜあえてジョルジュに近づいてくるのか…
「理由は分かんねぇけど、この二つの魔法しか使えない。いや、正確には一つの首につき一つの魔法なんだかな?そんであと一つはいわば司令塔みたいなモンなのだかなぁ?だったら今までの戦いは納得いくだよ。オラがフライで浮かんでいる時も、ウィンディ・アイシクルを飛ばすだけだったからなぁ。そうと分かれば戦い方は出来上がるだよ。だどもオメェさん、メチャクチャ強かっただよ」
ケルベロスはすでに魔法を唱えることは忘れ、バタバタと泥の中で暴れ続けた。しかしもがけばもがくほど、体は泥の中に沈んでいく。ジョルジュの体も既に腰まで沈んでいるが、全く動じずに杖をケルベロスに向けた。
「ホントに最初は焦っただ。まさか魔法をあんなに早く連続的に使ってくるなんて…ホント強かっただ。だどもこの戦いはオラの…」
ジョルジュの杖から魔力で作られた矢「マジック・アロー」がケルベロスに飛んでいった。
「勝ちだよ」
ジョルジュが言い終るか終らないかのうちに、タンっという音が響き、ケルベロスの真ん中の顔の額を、魔法の矢が貫いた。
―見事だった 「盟友」の子よ―
気づくとジョルジュは戦う前の円形の空間の中央に立っていた。全体を泥とした地面は、なにもなかったかのように草が生え、所処土が盛り上がっている。
身体には怪我を負っているが、自分が仕留めたケルベロスは影も形もなかった。
(いつもこうだよ…毎回毎回幻なのか現実なのかが分かんなくなるだよな)
そうジョルジュが思っていると、木々の奥から精霊の声が聞こえてきた。
―我が記憶にいる かつての住人を お前は見事打ち果たした 望みを叶える資格を満たした―
そう言い終ると、ジョルジュの左側の木がゴゴゴと動き出し、一本の道が出来た。
―お前の望みである 我が子たちへの道だ 行くが良い「盟友」の子よ―
ジョルジュは深く頭を下げた後、今方、開いたその道へと入っていった。道は暗かったが、先のほうではキラキラと光り輝くものが見えた。
「あーーーっやっと着きそうだよ~。さ、早く摘んで帰るだ」
そう呟くとジョルジュは、奥へと進んでいった。
「ああ、そうだった。最初に森に入って戦ったあのトカゲも…」
―ジョルジュ!!やったじゃない!!なによ、魔法使えるじゃないの!!―
―ぜぇー、ぜぇーホント撃てて良かっただぁ~。マジック・アローが撃ててってあれ?トカゲがいねぇだよ?―
「結局はマジックアローで勝ったんだっけな…その後、精霊様が道を開けてくれてターニャんと二人で進んで行ったんだっけ…」
奥へと進んでいくジョルジュの頭には、かつてターニャと共に星降り草への道を歩いた記憶が蘇っていた。
「そういや...この前サティがマー姉に頼まれてマタンゴ取りに森に入ったって言ってたども、アイツさ何と戦ったんだ?」
1か月前・・・・・・
―お前の相手だ かつて森の主であったモノである 我が記憶と魔力によって作りだした 「盟友」の子よ その力を見せてみよ―
「フフフ…まさか「森竜」を出してくれるとは…精霊様にはホントに感謝だよ。相手にとって不足はないね!!」