泉のほとりで休憩中、ジョルジュはぼんやりと、ターニャのことと、「星降り草」の事を思い返していた。
「「星降り草」かぁ~。懐かしいだよ…ターニャちゃんまだ覚えてたんだなぁ~」
星降り草は、ノームの森の奥深くに生えている、白い大きな花をつけている植物である。
その花びらは宝石をちりばめたかのように光る性質をもっており、暗いノームの森の深くで咲くこの植物はまるで、無数の星が降ってきたかのような光景を見せるため、この名が付いたといわれる。
だが、生えている場所はノームの森の奥深くということだけあり、その危険さから地元の村人はもちろん、ドニエプル家のメイジでさえも取りに行くことはあまりないのだ。
「今思えばよくあん時、無事に帰れただなぁ~…」
ジョルジュは小さい頃、ターニャに引っ張られてノームの森に入ってしまったことがある。
その頃から既に、ターニャの強い性格にジョルジュは否応なしに引きずられていたことをしみじみと思い出した。
―ジョルジュッ!!ノームの森にすっごくきれいな花が咲いてるってババ様から聞いたの!!明日の朝一番森に行くわよ!!―
―ちょっ!!ターニャちゃん!?ノームの森っていやぁ危険な森だっておとんも言ってただよ!!そんなトコロにオラ達だけで行くなんて危ないだよ!!―
―たかが花を見に行くだけじゃない!!どうせアンタ屋敷に帰るのは明日の昼ぐらいなんだからすぐ戻ってくれば大丈夫よ!!―
「・・・あん頃からターニャちゃん性格は変わってないだなぁ~」
ジョルジュが彼女に会ったのは7歳の頃、この世界で再び農業をやろうと決意した時であった。
農業の方法を学ぶため、ジャスコの村で働き始めたが、最初はジョルジュと村人の間には身分という壁があった。そのためジョルジュに普通に接してくれる大人は、村長のエマンとその夫ニッキーぐらいであったのだ。そんなとき、ニッキーは自分の娘のターニャにジョルジュの事を任そうと考えた。その時からジョルジュは彼女に引っ張られていたのである。
「まあ…森には入ったのは良かったけんど、そこからが大変だっただよ…」
そう過去を回想しながら、ジョルジュは腰かけていた木から立ち上がると、松明を持ってまた奥へと進み始めた。
泉から離れた時、心なしか森がざわざわとざわめいた風にジョルジュは感じたのだった。
ジョルジュが泉から先へと入ってから、1時間。ジョルジュは黙々と森の中を歩いていた。木の間を抜けて同じ景色が続く空間を延々と進んでいた。
やがてジョルジュは足を止め、額に掻いた汗をぬぐった。そしてだれに言うでもなく言葉を漏らした。
「どうやら、同じところをグルグル回ってるらしいだよ…」
ジョルジュは自分が何度も同じ道を歩いていることに気がついた。先ほどからは薄々は感じていたが、目印にキズを入れた木を発見し、やっと確信した。
本来、このような場所で迷うことは死を意味することはジョルジュも十分に知っている。しかし、彼の顔には焦りはなく、むしろやっと目的地に着いたかのような安堵の表情を浮かべていた。
「やっと「森」に入っただよ~。ホント、暗いから松明さ持っててもいつ迷ったか中々分かんないんだよ」
そう言いながらジョルジュは近くに生えている木の一本に近寄り、腰からナイフを取り出すと、刃の先端を自分の右手の小指に刺した。小指からは血が出てきて、ジョルジュは右手を掌を下にして木の方へ向けた。
小指から流れる血はやがて木の根元へと落ちた。
しばらくすると、さっきまでも静かであった森は風の音さえも聞こえないほど静かになった。
全く音のない世界では、ジョルジュの心臓の音がいやに大きく鳴っていた。
やがて、どこからともなくザワザワ、ザワザワと木の葉が揺れる音が聞こえてきて、段々と音が騒がしくなったと思うと、ジョルジュの周りの木が一斉に動き始めた。
木の根がまるで海岸に寄せる波のように動き、木の葉はザザザと動物が動き回るような音を鳴らし、地面からはドドドと鈍い音が響いてくる。
少し時間が経ち、ジョルジュを中心に半径20メイル程の円形な形をした空間が形成された。木が動いたため、土は所々盛り上がっており、木はジョルジュを逃がさないように周りを囲んでいる。
そして森の木が枝を伸ばしたのか、上は木の葉や枝で覆われていた。
これがノームの森の「奥」へ入る手段である。
ノームの森には森の精霊が住んでいるといわれているが、実際に住んでおり、この森自体が意思を持っている。
そして森の奥に入ろうとする者を迷わせてしまうため、奥に入るためには森の精霊と交渉しなくてはならない。先程ジョルジュが休憩していた泉こそ、森の奥へと入るための入口なのである。
このことを知っているのは長くこの土地に住んでいるドニエプル家の者と少数の村人だけである。しかし、幼き頃のジョルジュとターニャはそんなことは知らずに森に入っていったのだった。
―ターニャちゃん!!なんか同じとこ回ってねーでか!?もうかれこれ2時間は歩いてるだよ!!―
―うるさいわね!!黙って進みなさいよ!!ていうか暗くなってきたじゃない。ちゃんと「ライト」を唱えてよ!!―
―ムリムリムリイッ!!もう駄目!!もう魔力の限界だよ!!てかなんか変な鼻血出てきたんだけど・・・―
「ちょうど鼻血が木に落ちたから救われたんだっけなぁ~あん時。もう危なかっただよ…覚えたての「ライト」ずーーーっと使ってて、鼻血出てきたのには驚いただなぁ…」
あの時、ジョルジュから垂れた鼻血によって、まだ幼い彼は森の精霊と交渉することになったのだが、あの時の事を思い出すと未だに彼は身震いを起こすのだ。
そんなトラウマを抱えた時と同じ状況で、森の奥から皺枯れた、老人のような声がジョルジュに響いてきた。
―懐かしき「盟友」の子よ お前の血は覚えている 最後に来てから森の葉の色が2回変わった―
「お久しぶりですだよ精霊様」
ジョルジュは声が聞こえてきた方に深々と頭を下げ、挨拶をした。ドニエプル家は代々この森と縁が深く、収穫の祈りや、秘薬の材料の採集などで父バラガンや姉のマーガレット、妹のサティが良くこの森に訪れる。
もちろんジョルジュもその一人であり、森の精霊とは幼かった時から、何度も交渉をしている。
―そして 「盟友」の子よ 私に何の用だ ―
森の精霊は淡々とジョルジュへ語りかけてきた。ジョルジュは消えかかっている松明の明かりを気にしながら、精霊の声がする方へ数歩近づいていった
「オラの友達が今度結婚するだ。それで精霊様が育ててる花を少し分けてほしいだよ」
ジョルジュは大きな声で森の奥へと語りかけた。森がその形を変えたからなのか、先ほどは消えていった声は、あたりに木霊した。
―お前の願いはわかった ではお前の力を試そう「盟友」の子よ お前が願いにふさわしい力を見せたら 願いを叶えよう―
そうして森はシンと静まり返った。それと同時に松明の明かりも消えてしまい、あたりは闇に包まれた。
ジョルジュはこれを何度も経験している。
ノームの森の精霊に願いを聞いてもらう時、精霊は必ず試練を受けさせる。それは願いを言った者が、同等の力を持つモノと戦うこと。相手は森に住む獣や鳥獣などであるが、かつてジョルジュのご先祖様は、精霊その者と戦ったと家の伝記には記されてあった。もちろん自分と互角の力を持つ者と闘うのだから気は抜けない。そして勝てば願いを聞き入れてくれるのだ。
あたりが闇に包まれてから少し経ったか…上の方でザワザワと音が聞こえたと思うと、ジョルジュの頭上を覆っていた木の枝が開き、上から陽の光が降り注いできた。先ほどまで暗かった空間の視界は明るくなり、ジョルジュも容易にあたりを見渡せるぐらいまでになった。
そして、奥のほうから何かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
ジョルジュは考えていた。
(以前はでっけぇオーク鬼と戦っただよ…あん時よりかはオラ強くはなったと思うけんど、今回はどんなのが来るんだかなぁ~)
ちなみに、彼がターニャと来たときにも精霊の試練を行った。その時はでっかいトカゲであった。
―ジョルジュ!!しっかり!!それに勝てなかったら花のところに行けないのよ!!―
―ヤバいだよターニャちゃん!!もう魔法使いすぎて体が重いだよ~。うわっ!!こっち来ただ!!―
―なにさそんなトカゲくらい!!男の子なんだからしっかりしなさいよ!!―
―てか思ったよりデカイだぁ~って、ギャーッ!!なんか吐いてきただぁぁッ!!―
「・・・・あれっ?あん時勝ったんだかな?」
もう大分前のことだからか、あの後どうなったかのかジョルジュは思い出せなかった。それでも思い出そうと考えた瞬間、木の蔭からジョルジュの対戦相手が顔を出した。
それを見たジョルジュの頬を、一筋の汗が伝った。
「精霊様…少しオラに厳しくねぇだか?」
対戦相手は4つの足で地面に立っている犬であった。
しかし、その犬には3つも首があり、その顔は3つとも、ジョルジュの方を睨んで牙を向けている。
夜のように黒いその体毛の後ろでは、いかにも雄々しい尻尾がぶんぶんと振られており、今にも飛びかかってきそうである。
ケルベロス。ジョルジュが呉作の時、その手の本に載せられていた絵と同じ姿で存在していた。もちろんこの世界の図鑑でも見たことはあるが、そう簡単に見られるものではない。
―お前の相手だ かつて森の住人であったモノである 我が記憶と魔力によって作りだした 「盟友」の子よ その力を見せてみよ―
精霊が言い終ると同時に、ケルベロスの喉から唸り声が聞こえてきた。もう待ったなしだ。
ジョルジュは先ほどまでとは打って変わり、戦闘態勢へと移った。
(最近は学院の花壇ばっかだったからな・・・ちゃんと戦えるだか心配だよ)
頭の隅でそう思いつつ、ジョルジュは腰から杖を引き抜いた。