「もうズイブン来ただなぁ~」
実家の長男の真実を知った翌日の昼、ジョルジュはとある森の中を歩いていた。
本来ならば、頭上では太陽が容赦なく照りつけているのだろうが、その光はまるで密林のように茂った木の枝や葉によって奪われ、彼の歩いている土の上にほとんど届いてはいなかった。
「もう少す行けば、確か水が湧いてる泉があったはずだぁ~。そこで一休みするだよ」
そう、だれに言うでもなく一人で呟いたジョルジュの声は、静かな森の中に少し響いて、やがて森の中に吸い込まれていった。そして彼の枝と落ち葉を踏む音だけが聞こえるだけになった。
時は数時間前に遡る...
ジョルジュは朝起きてすぐ、今回帰省する理由の人物ターニャに会うため、また結婚式の手伝いをするためにジャスコの村へ向かった。
ジャスコの村は、ドニエプル家の屋敷から50リーグ離れた場所にある屋敷とは比較的近い村であり、そしてドニエプル領では最大の麦畑を受け持つ村でもある。毎年、収穫期になると男達が大鎌を豪快に操って穂を刈り取る光景はこの村の風物詩でもあるのだ。
グリフォンのゴンザレス(妹のサティが貸してくれた)の背に揺られることを1時間少々、ジョルジュはジャスコの村へと着いた。木で出来た村の門をくぐって中に入ると、まだ朝も明けたばかりだというのにも関わらず、村の人たちが大勢で、明日行われる結婚式の準備を行っていた。そして、手前の水くみ場で野菜を入れた籠を運んでいた少女と目があった。すると少女はジョルジュを指差して大きな声を張り上げた。
「ああああ~ッ!!!!ジョルジョルだぁ~ッ!!!!!!!」
その声に村の人たちが視線をジョルジュに向けた。すると、大勢の村人が彼のもとに駆け寄り、彼は大勢の人に揉みくちゃにされた。
「久しぶりだべ~ジョル坊!!」
「1年ぶりじゃねぇでかぁ~!!」
「ジョルジョルだぁ~」
「ジョル坊!!おめぇやっと戻ってきたんかぁ~!!」
ジョルジュは大人には頭を撫でられるは、子供には抱きつかれるわ蹴られるわでメチャクチャにされた。
通常、貴族に対してこのような農民の行動は考えられないだろう。しかし、幼いころから共に働いてきたジョルジュは村の者たちにとっては「家族」のようなものであり、ジョルジュ本人も村民の手厚い歓迎に胸が熱くなった。
「みんな、ホント~に久しぶりだなぁ...ところで村長さん...エマンさんはどこだぁ?」
ジョルジュがそう誰ともなしに尋ねると、先ほど大声をあげた女の子が答えた。
「村長さまなら家にいるはずだよ~。ターニャお姉ちゃんの衣装を仕上げるって言ってたもん」
「そうだか...ありがとうだよ」
ジョルジュはその女の子の頭をクシャクシャと撫でて微笑んだ。そして村の人たちに挨拶をしつつ、村の奥の方にある村長の家まで歩いていった。
村長の家はジャスコの村では珍しいレンガで造られた家である。他の石や木で作られた家の中にあるそのレンガの家は、赤く光るように建っていた。
ジョルジュは家のドアをノックすると、中から50歳ぐらいの黒鬚を蓄えた男性が出てきた。男はジョルジュの顔を見るとニカッと笑い、彼の肩を一つ叩いていった。
「久しぶりだなジョル坊!!いや、もう「ジョルジュ様」かな?...ようこそジャスコの村へお越し下さいました。今回、「娘」の結婚式の立会人として来て下さって、誠に感謝の極みでございます...」
その男は、先ほどの豪快な口調とは打って変わり、急にジョルジュに恭しく頭を下げると、別人のような声でジョルジュに挨拶をした。
ジョルジュはその老人の行動に驚き、慌てて男に声をかけた。
「や、やめてくれだよニッキーさん!!そんな風に話されるとむずかゆいだよ!!そもそも今までニッキーさんがそんな風に喋ってるの見たことがねぇだよ!!」
ジョルジュがそういうと、頭を下げている男の肩がプルプルと震えてきた。その数秒後にその男、ニッキーはまるで竜が叫ぶかのように頭を上げて大声で笑った。
「ゲハハハハッ!!!確かにな!!オレも格好にもつかんことを言ったから鳥肌が立ってきたぜ!!一年ぶりだなジョル坊!!まあ中に入れ!!歓迎するぜ」
そしてニッキーはジョルジュを家に入れた。家の中に入るとすぐ広間になっており、テーブルや椅子、そして煙突に続いているだろう暖炉が見える。
壁には木製のドアがいくつかついており、2階の階段は奥の方に見えている。
ニッキーはジョルジュに「今、嫁のところに案内するぜ」といってジョルジュをドアの方へと案内した。
「ニッキーさん。エマンおばさんは元気だか?」
ジョルジュはニッキーに尋ねたが、ニッキーはゲハハと笑いジョルジュの頭をはたいてこう言った。
「アホなこと言うなよジョル坊!!俺の嫁はいつも元気に決まってるだろーがッ!!このジャスコ村の村長が元気じゃなかったら婿である俺がみんなにどやされちまうよ」
ジャスコの村では、村長はニッキーではなく妻のエマンが務めている。
なんでもニッキーは元々は名の知れた傭兵であったらしく、とある戦争が終わった時にこの村にやって来たそうだ。そこで今の妻に惚れ、婿としてエマンの家に入ったとジョルジュは聞いたことがある。
小さい頃、農業を教わりたくてこの村で働き始めた時、大人がよそよそしくしていた時でも、ニッキーは貴族の息子とか関係なくジョルジュに接してくれたのだ。
そんな会話をしながらドアの前まで来たニッキーはドアをノックして開くと、部屋の中で裁縫をしていた女性に話かけた。
「エマン!!ジョル坊が到着したぜ!!見ないうちにすっかり逞しくなっちまってよ!!」
女性は少し茶色がかった髪が特徴的で、髪は後ろでまとめてあった。彼女は手に持っていた糸が繋がっている針を、脇にあるテーブルに置かれた針どめに刺すと、ジョルジュの方へ顔を向けた。
その顔はどこかこの世界の人とは少し異なり、むしろジョルジュが前世で暮らしていた、日本人のような顔であった。
少し皺が刻まれた顔を微笑ませ、彼女、エマンはジョルジュの前に立つと彼を抱きしめた。
「よく来たねジョルジュ...一年見ないうちにこんなに大きくなって...村に来て間もないんだろう?そこらに座って休んでな。今旦那にお茶入れさせるから」
そう言ってエマンはニッキーに「アンタッ!!茶を煎れな!私のもついでによろしく」というとニッキーは分かったよと言いながら部屋をでていった。
ジョルジュは部屋の中で空いている椅子に座ると、エマンが先ほどまで繕っていた衣装を見た。
少し黒いラインが入っている紅色がベースのドレスは、花嫁の体に合わせ、細長く作られており、上にはこれまた紅色のベールが作られてあった。
「すごいだよ...でもこれ、エマンおばさんが全部作ったんだか?」
エマンは先ほどまで座っていた椅子に腰かけると、首をコキコキと鳴らしながらふーっと息を吐いて、自慢そうに言った。
「そうだよ。別に嫁ぐワケじゃあないけど、女にとっての一度の晴れ舞台だ。私は派手だとは思うんだけど、あのコは好きな色だからコレがいいって言ったんだ」
そう喋ったエマンの顔は、嬉しさが詰まっているかのように笑っていた。ニッキー、エマンの家には娘のターニャしかおらず、他の村から、婿を迎えるということだから離れるという訳ではない。しかし、やはりメデタイことなのだから嬉しいに決まっている。ジョルジュはエマンの顔を見ながら恐る恐る尋ねた。
「あの...エマンおばさん。ターニャちゃんは...」
ジョルジュがそう言いかけた時、ニッキーが部屋に戻ってきた。ドアを閉めて彼はテーブルの上にお茶の入ったカップを4つ置くと、ジョルジュにこう告げた。
「おいジョル坊、ターニャは今2階にいたから呼んできたぞ。もうすぐこの部屋に...」
その瞬間、ドカッという大きな音と共に、ジョルジュはニッキーの視界の外へと飛ばされた。壁にぶつかったジョルジュが元いた場所には、代わりにジョルジュより頭一つ小さいぐらいの、茶色の混じった黒髪を靡かせた少女が立っていた。その顔は母エマンの血を引き継いでおり、日本人のような顔つきであった。
「痛いだよ~。急に何するだよターニャちゃん...」
その少女、ターニャは不機嫌な顔でジョルジュに大きな声でいった
「来るのが遅いよジョル坊!!アンタに頼むことがあるんだから早く来なさいっての!!」
「全く、たかが乙女のとび蹴りなんかで大げさにすっ飛ばないでよ...」
「かなり頭に響いただよ...ターニャちゃんが若干二人にみえるだよ」
「全く、ターニャもジョルジュとは久しぶりなのだから無茶なことするんじゃないよ」
「ゲハハッ!!ジョル坊がターニャの蹴り如きでくたばるかよ!あんなもんこの2人にとっちゃ挨拶のうちだ!!」
あの後、エマンの部屋で4人は多すぎるということで、4人は広間にあるイスに座り、テーブルを囲んで話し合っていた。
それぞれの手にはお茶の入ったカップが握られており、めいめいそのお茶で、喉を潤していた。
「まあ、ナターリア様にお願いした甲斐はあったわ。明日は私の結婚式...アンタが立会人として来てくれて良かったわ。やっぱり長い付き合いのあるあなたに祝福してもらった方が私としても気分がいいもの」
「それは..嬉しいだよ...でも、まだ聞いてないんだけど、ターニャちゃん誰と結婚するだ?」
こう尋ねてきたジョルジュの言葉に、ターニャは耳をぴくぴくとさせた。そして手にあるカップからお茶を一口飲んでから口を開いた。
「隣の村にポスフールって村があるじゃない?そこの村長の二男坊が、前からアプローチかけてたの。去年の秋にプロポーズされてそれを受けったてワケ」
「そ、そうなんだか...でもビックリしただよ。急に結婚するなんて連絡があったから...ターニャちゃんまだ16歳だし...」
「別にそんなこともないでしょ?16歳で結婚なんて、女の子だったら貴族でも平民でも普通じゃない。ウチのお母さんじゃあるまいし」
「うるさいよターニャ!!そこで私を出すんじゃないよ!!」
「ゲハハハハッ!!エマンは俺のコト待っててくれたんだよ!!ターニャオメェだってジョルジュの事を忘れずに...」
「なにいっちょるんだおどう!!結婚式の前に喋ることじゃねえっぺよっ!!」
「落ち着きなさいターニャ。せっかくなくした訛りが出ていますよ」
「いけないわね。年頃の女の子が喋る言葉じゃなかったわ...」
(・・・このやり取りってどこでもやってるんだかな?)
ジョルジュは実家でやっているような会話を思い出したが、さっきターニャ言っていたことが気になり、ターニャに聞いてみた。
「ターニャちゃん。オラに頼みてぇってことって何だ?さっき言ってたけど...」
ターニャは「アッ」とまるで先ほど自分が言っていたことを忘れていたかのように声を出し、カップの中のお茶を一気にグーっと飲み干した。そして向かいに座っているジョルジュを見ると、その内容をいった。
「そうそう、ジョルジュ!アンタに取ってきてもらいたいものがあるのよ...」
そして話は最初へと戻る。彼女から頼みを聞いたあと、ジョルジュはジャスコの村の近くにある森、通称「ノームの森」へと入っていった。
この森は、古くから土の妖精ノームが住むといわれており、鬱蒼と延びた樹木や蔓を住みかとしている生き物が多く存在する。それだけではなく、森の奥深くにはオオカミやクマのような獣、森に生息する中型の鳥獣、さらにはマンドレイクも生息しているといわれており、魔法を使えない村人などは滅多に奥へとは入らないのだ。
そんな危険な森の中をジョルジュは奥へと進んでいた。
既に陽の光はほとんどなく、ジョルジュは村から持ってきた松明に火をつけ、その明りを頼りに歩いていた。
ジョルジュはこの森に入ることは何度かあり、12,3歳の頃には姉マーガレットに連れられて、よくマンドレイクを取りに行った。(姉は「材料になりそう」としか話してなかったが、採取されたマンドレイクがどうなったかは今でも分からない)しかし、ここ1年は学院にいたため、森には入っていなかった。
ジョルジュが歩いてきてしばらくたった後、彼の前に水がわき出てきている泉が現れた。ジョルジュは倒れている木に腰かけると、息を吐いた。そして青く光る泉の水面を見ながらこう呟いた。
「ターニャちゃんも難しいコト言うだなぁ~。でも朝早く村に着いてて良かっただよ。じゃなかったら今日中に帰れるか分かんなかっただ」
ジョルジュはそう呟くと、ターニャが自分に頼んだ時の事を思い出したのだった。
「ジョルジュ、ノームの森に生えている「星降り草」を摘んできてほしいんだけど...」