魔法学院にそびえる5つの塔の内、火の塔と風の塔の間にヴェストリの広場がある。
この広場は時として、野外授業の場所として使われており、そのせいか学院や周りを囲む石壁に木が何本か、ちらちらと生えているぐらいの非常にさっぱりとした場所であった。
だが何もない場所であるためか非常に使い勝手が良く、学院の生徒達はこの場所で使い魔と戯れたり、友達と喋ったりするするなどの場として使っている。
本来であれば、昼食を終えた生徒が何人か見られる時間なのであるが、今日はいつもの何倍もの数の生徒が、この広場に集まっていた。
貴族と平民が決闘する―
このことは、生徒達の間を瞬く間に伝わった。そしてその決闘を見物せんと、多くの生徒達がこの広場にやってきたのだ。
集まった生徒の大半は2年生であるが、その中には話を聞きつけてやってきたのか、1年生や3年生もちらほらと見られた。
広場の中心から少し離れた場所では、木の下に座っている生徒や、使い魔があちらこちらにおり、中でも紅い鱗のコアトルがとぐろを巻いている姿は一際目立っている。そして今回の騒動を引き起こした当の二人、ギーシュとサイトは、広場の中心で10メイル程の距離を空けて相対し、多くの視線を受けていた。
「逃げずによく来たね。それについては褒めて「で?ケンカのルールは何なの?」・・・」
ギーシュは自分が広場に来た後、すぐに後からやってきたサイトに嫌味の一つでも言おうとしたのだが、途中に言葉をはさまれて言えなくなった。ギーシュの心にはこの目の前にいる平民への怒りで一杯になっていた。
既に女の子へ謝罪するという気持ちは消えていたのだ。全てはこの平民が悪いんだ。だからこのルイズの使い魔を徹底的に痛めつけてやろうと考えていたのだった。
「フンッ…まあいい。君のいうケンカでも僕は構わないが、ここは僕たち貴族が暮らす学び舎なんだ。野蛮なケンカではなく、貴族らしく「決闘」の方式をとろうじゃないか。そうだな…どちらかが「まいった」と降参すれば勝利となるということでいいかい?」
ギーシュはバラを顔の目の前で揺らしながらサイトへ言った。
因みに、サイトもサイトで怒っていた。度重なるルイズからの体罰と使い魔という扱いに加え、今回のギーシュの行動に堪忍袋が切れたのだ。
一発顔面を殴らないと気が済まない。そんなに貴族が偉いのか。彼の頭はそれで一杯になっているといってもよい状態であった。
ギーシュの言葉にサイトはピクリと反応し、ギーシュを睨みながら言葉を返した。
「他にはないの?だったらとっとと始めようぜ」
「どうだい?今からでも遅くないよ。そこに膝をついて、自分の非を認めて謝罪するなら許してあげようじゃないか」
「ふざけんなよギザ男!誰が謝るかよ」
ギーシュの言葉にサイトは激昂し、殴りかかろうとギーシュに駆け寄ろうとした瞬間、周りの人だかりの中からルイズが飛び出してきた。人だかりを分けて来たためか、桃色の髪は少し乱れている。
ルイズはサイトのそばまで近寄り、大きな声を二人に掛けた。
「何やってんのよアンタ!!平民がメイジにケンカ売るなんて!!ギーシュもこんなふざけたことは止めて!学院内での決闘は禁止されているのを知ってるでしょ!?」
ギーシュは首を左右に振ると、まるでルイズを小馬鹿にするような口調で話した。
「おいおい何を言ってるんだいルイズ?決闘が禁止されているのは貴族同士での場合じゃないか。相手が使い魔、ましてや平民と決闘してはならないとは決まってないね」
「そ、それは今までそんなことがなかったから…とにかく止めてギーシュ!」
ルイズの言葉に、ギーシュは口の端を少し上げながらさらに言葉を続けた。
「フフ…安心したまえルイズ。決闘なんて言っているがね、これは貴族への礼儀を知らない君の使い魔に少し教育してあげるだけさ。それともルイズ、この平民が傷つくのがイヤならば君が彼の代わりに謝るかい?」
サイトの怒りは再び燃えた。そしてなにか言おうとしていたルイズの肩を押しながら、ルイズの方は見ずに怒りに満ちた声で言った。
「どいてろよルイズ…どうやらあのお坊ちゃまは、相当俺を痛めつけたいそうだ…ふざけんな。貴族だろうが何だろうが逆にボッコボコにしてやる!」
ギーシュは再び口の端をつり上げた。そして取り澄ましたような表情を作ると、サイトの方に向けて、自分の杖でもある造花のバラを前に突き出した。
「どうやら君の使い魔はやる気十分のようだ。さあ彼から離れるんだルイズ。みんなと一緒に見ているがいいさ」
そう言うとギーシュはバラの造花を横に振った。バラからは花弁が一枚外れ、ヒラヒラと地面に落ちた。
すると、一瞬花弁が光ったように見え、光が消えるとそこには青色の甲冑姿の人形が立っていた。
「僕の二つ名は’青銅’、‘青銅’のギーシュだ。僕はメイジだから魔法を使わせてもらうよ?」
そう言うとギーシュは再びバラを振った。その動きに呼応したかのように青銅で出来たその人形はサイトに接近し、その青色の拳をサイトの腹部にめり込ませた。オオッと周りの生徒達から声が上がる。
「グハッ!!」
急な腹部への衝撃に、サイトは耐えきれずに膝をついてしまった。周りの「いいぞギーシュ!!」「ヤレヤレー!!」という声に混じって「サイト!」とルイズの声が聞こえてきたが、彼女の方を見ている余裕はなかった。
サイトは未だにダメージの残る腹を手で押さえながら立ち上がった。目の前に立つ青銅の人形の後ろから、ギーシュの声が届いてきた。
「遠慮はいらないのだよ?かかってきたまえ。もっとも...この‘ワルキューレ’を倒せたらだけどね」
くっ…これが…魔法…
想像以上の相手にサイトの顔には汗が流れ始めてきた。
サイトも向こうの世界ではそれなりにケンカはしてきた方である。召喚されてきてからバカにされ続けた欝憤を晴らそうとしたが、この金属の人形にどうやって戦えと…そんな彼の考えなど意にも介さず、ワルキューレは再びサイトに向かって拳を振り上げた。
「ああ~始まっちゃったわね~。ホント…無謀なことをするものね~」
ギーシュとサイトが決闘している広場の中央から少し離れた場所、壁の近くに生えた木の下に、キュルケとタバサが座っていた。彼女たちも食堂で決闘の話を聞きつけ、キュルケがタバサの手を引いてやってきたのだが、キュルケは人だかりを避けて遠巻きに見ており、タバサに至ってはあまり興味を持ってないようで、先ほどからずっと本に目を落としている。
「全くヴァリエールも面白い使い魔召喚したものね。メイジと決闘する平民の使い魔なんて聞いたことないわ…ってタバサ?あなたも本ばっか読んでないで見てみなさいよ」
キュルケは隣に座っているタバサに話しかけた。タバサはほんのページをぺラッとめくると、キュルケの方に顔を向けたが、少し顔をしかめた様子でキュルケに呟いた。
「興味ない・・・・それよりもキュルケ・・・・ちょっと臭い・・・少し離れて」
その言葉にキュルケは大きな声を返した。
「誰のせいだと思ってるのよ!?あなたがあの変な液体が入った瓶を残していったせいよ!私が一番近かったから臭いがついて全然取れないわ!香水を使っても誤魔化せないのよ!」
「あれは失敗作・・・あの味には・・・ほど遠かった・・・」
「味の問題!?というかなに再現させようとしてるのよ!?臭いだけ強烈にして!」
「大丈夫・・・きっと作ってみせる・・・それとキュルケ・・・ちょっと離れて・・・酸っぱい」
キュルケは入学以来、この青髪の少女にこれほど殺意を湧いたのは初めてであった。
無意識のうちに杖に手を伸ばそうとしたその時、広場の中央から再びワァッと声が上がり、二人は思わずそちらの方に顔を向けた。見ると平民の少年が倒れている。ワルキューレに打ちのめされたのだろうか。キュルケとしては予想通りの展開であったが、隣の友人の意見を聞こうと顔を左に向けた。
「ねえタバサ。あの平民の子、勝ち目あると思う?」
そう聞かれたタバサは、キュルケの方には顔を向けずに、やはりいつものような小さな声で興味なさそうな様子で呟いた。
「勝ち目はない・・・魔法に無策で挑むのは・・・・愚か」
そういったタバサは、「キュルケ・・・」と呟いてキュルケのほうに顔を向けた。彼女の目は、いつものような目ではなく、まるで今から戦争に行くかの様な目つきであった。
その彼女の視線にキュルケは思わず体を緊張させ、次にタバサが言うコトを待った。やがてタバサが口を開き、まるで絞りだすかのような声でキュルケに言った。
「香水と混ざって・・・ほんと臭い・・・・発酵したマ・・」
「タバサ…私はあなたを友人と思ってるけど、燃やしてもいいかしら?」
キュルケとタバサがそのようなやりとりをしている最中、広場の中央で行われている決闘は一方的な展開となっていた。
タバサが口にした通り、怒りにまかせたサイトにはワルキューレを倒す方法などはなく、ギーシュに近づこうとしたところで青銅の拳に倒されるということが何度も繰り返されていた。既に10数発は殴られたのだろうか、サイトの顔は所々腫れ、口の端からは血が流れている。腕も痛めたのか、右手で左腕の上部を押さえている。
ワルキューレから離れた場所に立っているギーシュは、サイトをちらりと見ると、優しい口調でサイトに言った。
「そろそろ降参した方がいいんじゃないか?君もよくやったよ。これ以上やると死んでしまうよ?」
サイトはギーシュの方を睨んだ。右目の瞼がはれ上がり、右目はほとんどふさがっている状態で、サイトはギーシュに声を張り上げた。しかし張り上げたと思われる彼の声は弱々しかった。
「う、うるせえ…だれが...降参するかよ」
ギーシュはその言葉を聞くとフッと笑い、造花のバラをスッと横に振った。するとサイトの前が光ったかと思うと、ひと振りの剣が刺さっていた。その剣は青白い刃を帯びており、サイトが歴史の教科書で見たような錆びついたものでもなく、銀色に光ってもない、鈍い青色をしてた。
「このまま君を痛めつけていても僕も周りもつまらないだろうからね…特別だ。その剣を取りたまえ。そうでなければ「参りました」と僕に降参するんだ」
サイトはその剣を取ろうと手を伸ばした。すると横からルイズが飛び出し、伸ばした手を掴んできた。先程からずっと見ていたルイズの顔には、涙が浮かんでいる。
「ダメよ!!その剣を取ったらギーシュはもう容赦しないわ!アンタ死んじゃうわよ!?ギーシュもお願いだからヤメテ!!」
ルイズの大きな声が広場に響いた。ギーシュはバラをルイズの方へ向けた。
「ではルイズ、君がその使い魔の代わりに謝るかい?膝をついてちゃんと謝れば、使い魔君の非礼を許してあげようじゃないか」
周りの生徒達はオオーッと声を上げた。ルイズはギーシュのその言葉に下唇をかんだ。そして悔しさを顔に滲ませながら膝を地面に着けようと腰をかがめた時、サイトの右手は剣の柄を握り締めた。
それを見たルイズは立ち上がり、再び大きな声を出した。
「アンタ何やってんのよ!?それを取ったらア「うるせぇ」!!!」
ルイズの言葉を遮り、サイトは右手に力を入れた。地面に刺さっていた剣はズッという音を出し、サイトの右手へとその剣が移動した。
切れている口を開きながら、サイトはボソボソと、それでいて力強い声でルイズにいった。
「お前が頭下げてどうするんだよ…これは俺が買ったケンカなんだよ…それなのにお前に頭を下げさせるなんてみっともねぇことさせんじゃねぇよ。自分のケンカは…」
サイトは痛めているであろう左の手も柄に添え、両手で剣を持った。サイトの左の甲に刻まれたルーンから光が漏れる。
「自分で決着付ける!!」
そう叫び、サイトはその剣をギーシュへと向けた。ルーンが一層光を増し、ふとサイトは、いつの間にか体の痛みが消えていることに気づいた。
(なんだ…?さっきまでそこかしこ痛かったのに、まるで痛みがない…それどころか体の奥から力が湧いてくる)
そんなサイトの変化に気づかず、ギーシュはワルキューレを突っ込ませた。
(フフフ…平民が剣を貴族に向けたのだから、もう言い訳は出来ない。思う存分痛めつけさせてもらうよ…)
ワルキューレはあっという間に間合いにサイトを捕らえた。そして右手を振りかぶってサイトの顔に拳を突き立てようと拳を出した。
しかし、ワルキューレの拳は空を切る。
サイトは殴りかかってきたワルキューレのパンチに合わせ、避け際に手に持った剣でワルキューレの腰を切り裂いた。ワルキューレは腰から上下に真っ二つに両断され、上半身が地面に音を立てて落ち、少ししてから下半身部分も崩れ落ちた。
「オオーッ!!ギーシュのゴーレムを切ったぞ!!」「あの平民、剣士なのか!?」「おいギーシュ!!気を抜き過ぎじゃないか?」
先ほどとは違う状況から、周りからは様々な声が飛び交う。この事態にはワルキューレを切られたギーシュはおろか、切った本人であるサイトも驚いていた。
(体がウソのように軽い…なんだか知らないけど、今のこの状態なら…勝てる!!)
「ふ、フンッ!少しは剣が使えるようじゃないか。しかし調子に乗るなよ平民が!!」
剣を渡した直後、ワルキューレを切られたギーシュは予想外の事に焦りを隠せなかった。しかし、自分の手札があることに冷静さを取り戻し、彼はバラを左右に大きく振った。花弁が6枚地面に落ち、そしてギーシュの前に、6体のワルキューレが錬成された。先ほどの一体目とは違い、一人一人槍を携えている。
「一体は倒せただろうが、もう容赦はしないよ。このワルキューレたちを倒せるかな?ゆけ!!ワルキューレ!!」
ギーシュがそう叫ぶと、ギーシュの目の前に立っていた2体のワルキューレが、サイトに向かって駆けだしてきた。サイトもそれに備えて剣を構えなおした。
その時であった―
サイトに向かって駆けだしてきたワルキューレの、1歩手前の地面が急にぼんやりと赤く光った。そしてワルキューレの足がその光る地面を踏んだ瞬間…
ゴッ!!!という音と共に巨大な火柱が青銅のゴーレムを飲み込んだ。
その勢いはすさまじく、火の中で焼かれていくワルキューレはまるで業火で焼かれる罪人を連想させた。
しかし火は空高く上ったかと思うと、あっという間に消え去った。
そして後には、焼け焦げた地面と、原型がとどめていないほど溶けたワルキューレだったものが2つ転がっていた。
ギーシュもサイトもルイズも、周りで見ていた生徒達も、あまりの出来事にみな一様に言葉が出なかった。やがて、人だかりの後ろから少女の声がした。
「威力は上出来ですね…ただコントロールがまだ上手くはありませんね。せっかくラインになったというのに…これではあっという間に魔力がなくなってしまいます」
そう言った少女は、人だかりを抜けて広場の中央、ちょうどサイトとギーシュの中間の位置に出てきた。長く伸びた髪は紅く、先の方は軽くカールされている。
眼鏡をかけたその少女は、今朝ルイズをクソチビと呼んだ1年生、ステラであった。
突然のステラの登場に、多くの生徒が戸惑った。2年の生徒の多くは、今朝の朝食でルイズを罵っていたところを見ていたぐらいなので、なぜ?という疑問しか浮かんでこなかった。
しかし、何人かの3年生、1年生は彼女を見た瞬間に、小声で仲間と話し始めた。
「おい…あの子もしかして…」
「ああ…ありゃマーガレットがこの前言ってた、妹のステラだ…」
「うそ…なんであの子がここにいるの?」
「「焦熱」のステラ…」
そのようなヒソヒソ声が響く中、決闘をしているサイトも、朝食の時に食べ物をくれた紅い髪の少女を思い出した。ルイズもその顔を見た瞬間、朝食での出来事が思い返されてきた。
「あ、あんたは朝食の時の!!一体何の用よ!!」
ルイズの声が聞こえたのか、ステラはルイズの方をちらっと見ると、「ああ…朝の…」
と呟くと、首を左右に揺らし、2、3歩サイトとルイズの方へと近づいた。そして朝の時と同じ口調で、ルイズに話かけた。
「いえね…私の友達であるケティさんが、そこの金髪バカに大分お世話になったので…」
そう言葉を切ると、ステラは急に反対方向に体を向けた。そして未だに状況が飲み込めていないギーシュの方を杖で指し、まるで氷のような冷たい声でこう言い放った。
「お礼にあのふざけたツラ、焼きに来たんですよ」
ステラがそう言った瞬間、ギーシュの前に大きな火柱が立ち上った。