まだ夜も明けきらない早朝、トリステイン魔法学院にそびえる5つの塔が、まるで朝の光を一身に浴びようとするひまわりのように建っている。その中の一つ、土の塔の下を一人の女性が歩いていた。
同年代の女性では比較的、背の高い方であろうその身体は寝間着のままであり、下は裸足であった。
女性の足は歩くごとに左右に揺れ、地面につきそうに伸びている長い髪は、まだ明けきらない朝の闇に紅く光っていた。
右手にはワインの瓶だろうか、既に栓が抜けているその中身はほどんどなく、左手にはまだ栓が抜けていない小瓶が持たれていた。
しばらく歩くと、彼女は目当ての人物を見かけた。目的の人物は石で囲まれた花壇の前にいた。花壇の4分の1の広さに立てられた数本の木の棒には、弦を絡ませて実をつけている植物が育っている。その実をもいでいる少年の顔には、幾つもの傷痕があり、短く切られた髪は女性のものと同様、紅く光っている。
女性は少年の元に近づいていった。朝特有の涼しい風が、女性の長い髪を少し揺らした。
「あんたも朝からよくやるわね~」
少年は女性の声に気づき、額についた汗をぬぐって彼女の方を向いた。
彼女を見た少年は、寝間着に裸足の彼女を見て半ばあきれたような声を出した。
「マー姉...いくら朝早いからってその格好はないよ~」
「いいのよ...これから寝るし」
「寝るの!?ちゃんと朝食までに起きれるんだか!?」
「あんな重い朝食なんて私にとって飾りよ。私の主食はワインだから...」
「ちゃんと食べるだよ!!てかこんな朝早くからまた飲んでるだか?ものすごい酒臭いだよ」
「「から」じゃなくて「まで」よ。失敬な」
「余計悪いだよ!!どんだけ飲むんだか!?」
「いいのよ。‘酒客’のマーガレットにとって、お酒は命の源みたいなものだから。それよりジョルジュ、アンタ来た時に比べて大分訛りが抜けたんじゃない?来た時のあんたはドニエプル弁アリアリだったからね~」
そう言ってケラケラ笑っている女性、マーガレット・ティレル・ド・ドニエプルの奔放さは今に始まったことではないが、少年、ジョルジュ・チェルカースィ・ド・ドニエプルは少し溜息を吐いてからフフッと笑った。そして目の前にいる姉にこう答えた。
「もうここへ来てから一年たつだ。みんなと一緒に過ごしてたら、やっぱり馴染んでくるだね。自分でもびっくりしてるだよ。しかし...マー姉はこんな朝早くからなんでココに来たんだか?」
マーガレットは自分の左手に持っていた瓶を前に突き出し、右手にある酒瓶から一口だけ飲んでから、自分の弟に答えた。
「ホラ、あんた今日は使い魔召喚の進級試験でしょ?ノエルならともかくあんたは失敗はしないだろうけど、一応景気づけとお祝いを兼ねてのお酒よ。この時間なら大抵アンタはここにいるからね。コレ渡すためにここまで来たの。」
「あ、ありがとうだよマー姉。だけどコレ大丈夫だか?栓が閉まってるのに、アン婆ちゃんの口の臭いがするだよ...」
「名酒ほど臭いはキツイものよ。まあ、もっとも私のオリジナルのお酒だから。試飲も兼ねて、飲んだ後に感想をよろしくね」
「心配だよ~。なんだこれ?まだ栓も開けてないのにドキドキするだよ...」
弟の心配を他所に、マーガレットはケラケラ笑って踵を返すと、「じゃあ頑張りなよ」とだけ言って、その場から動いた。
魔法で飛んで帰ればいいのに、杖を忘れたのか揺れる足取りでジョルジュから離れていった。
ジョルジュはマーガレットが視界から消えたことを確認すると、異様な臭いのする瓶を地面に置き、まだ終わっていなかったヘチの実の残りをもいでいった。
トリステイン魔法学院では春の季節、新しい新入生が入ってくるのと同時に、「召喚の儀式」と呼ばれるものが行われる。
学院で1年間過ごした生徒が、2年生に上がれるかの進級試験でもあるこの儀式では、毎年生涯のパートナーとなる使い魔が召喚される。
そのため、生徒の学院生活の中ではかなりの重要度を占めており、当日となればだれが何を召喚するかしたかの話題があちらこちらで聞こえてくるのだ。
そんな、進級試験を受ける一人であるモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは、召喚の儀式をする場所とは反対側の場所にいた。
「モンちゃんお待たせだよ。」
歩きながら彼女に声をかけたのは、先程まで花壇の土に水をかけていたジョルジュであった。彼は、召喚の儀式が始まる直前に、この花壇の土に水をやりに来ていたのだ。集合場所にいないことを知ったモンモランシーは、彼がいるであろう学院の花壇を2,3か所探し、ようやく見つけたのだ。
「ちょっとジョルジュ!!あなたもうすぐ儀式が始まるわよ!!あなた結構最初のほうなんだから急がないと!!」
「えっ、もうそんな時間だか?結構時間掛っちまってだよ」
「もう、今日は水やりを早めに済ましときなさいって言ってたのに...」
そう呟いたモンモランシーに、苦笑いを浮かばせながら、申し訳なさそうにジョルジュは謝った。
「ごめんだよ。あっ、そう言えば向こうの花壇で植えてたヘチの実を朝に収穫しただ。今日の夜でもモンちゃんの部屋に持っていくだ」
「あら、ありがとう。これでヘチの実の化粧水を作ることが出来るわね。少しはまとまったお金が出来るから...新しい原料でも買いに行こうかしら」
「モンちゃんなんだか逞しくなっただな~。昔からは考えられないだよ」
そう言ったジョルジュから顔をそらし、モンモランシーは遠い場所を見て、何かを悟ったかのように言葉を漏らした。
「女はね、一度やると決めたらトコトンやる生き物なのよ...」
一年前の夏、モンモランシーが実家に帰郷して、屋敷で過ごしてた時、ある日の朝食で母が彼女にあの時と同様な口調で語りかけてきた。
「モンモランシー、ぶっちゃけ我が家の家計は相変わらず火の車です。それなのにあなたったら玉の輿の「た」の字も出てこないような雰囲気。やる気あるのですか?全く」
「ホンキで言っているのですかお母様!?」
モンモランシーは少しキレ気味で母の言葉を確認した。冗談じゃない。入学のときに決めたのだ。自分の将来の相手は自分で決めると。この母の言うとおりになるのは本当に嫌なのだ。
「お母様、私は学校へ男を漁りに行ったのではありません。立派に自立できるよう、貴族として、メイジとして必要なことを学びに行っているのですよ」
「まだそんなことを言っているのですか。いいですか。わがモンモランシ家では男どもはぶっちゃけ役立たずです。アホ共は無視して、お金を持っている家に嫁いでいくことが、家を存続させるための唯一の方法なのです。自立されたらぶっちゃけ困るのです。主にわたしが」
「だからお母様も少しはまともな商品を作ってよ!!知ってるのよ。うちの化粧品店の売り上げの8割は、私が作った香水だってこと。そしてお母様の商品は全然売れてないってことも。なによ、こないだ発明したっていう「付けチクビ」って。なんでワザワザあるものを付けようとするのよ!?」
「時代はゲルマニア女性のような「エロス」に突入しているのですよモンモランシー。ドレスや服の布越しに見える...男はそんなところに心を打たれるのです。」
「ただの変態じゃないのよそれ!!どんな貴族よ!?とにかく、自分の相手は自分で見つけます」
「まあ、私としてはお金が入ればぶっちゃけ誰でもいいのですが...」
「ウっさい!!もうヤダこの家。絶対卒業と同時に自立してやるわ!!」
そして彼女は、卒業と同時に自分の商品を扱う店を持とうと決めたのだ。そこで彼女は実家から帰ってきてから、開業資金をためるようになった。
そのために現在、ジョルジュを巻き込んで学院内で自分が作った化粧品を販売しているのだった。
化粧品の材料となる植物を、ジョルジュに頼み込んで作ってもらっている。最初は戸惑ってた彼だが、
「変わったものを育てるのも楽しいだよ」
とヘチの実をはじめ、美容効果のある野菜や植物を作ってくれている。もちろん香水の原料となる花だって彼が育てたものだ。(母とは違い、売上の一部はジョルジュへ渡している)
そんな風に、貴族というよりも商売人として成長しているモンモランシーは、ふとジョルジュが持っている小瓶に目をとめた。
「ジョルジュ、あなたそれ何なの?なんか変な臭いするんだけど...」
「これか?今日の朝にマー姉からもらっただよ。なんでも景気づけに飲むお酒だって。変な臭いするけど...」
「ちょっとホント臭いわよそれ!!なんか魚臭いんだけど!?」
「ほんとに飲めるかオラドキドキだよ。正直召喚の儀式よりもこれを飲む方が緊張するだ」
「そうね...それ飲んだら出来るものもできなくなりそう...ってもう時間じゃない!!ほらっ、もういくわよ」
モンモランシーはジョルジュの瓶が握られていない方の手を取ると、生徒たちの集合場所へ向かうためにフライを唱えた。
引っ張られて浮かんでいくジョルジュも慌ててフライを唱え、二人はともに目的の場へ飛んでいったのだった。
その光景を、教室の窓からのぞいていたのは姉、マーガレットであった...
「へぇ、季節と一緒にあの子にも春がきたのかなぁ...フフフッ」
「ミス・マーガレット!!授業に集中しなさい!!」
「・・・ほ~い」