彼の戦果は人類最大の戦争と言われた第二次世界大戦の中にあってなお異質であった。主だった戦果をいくつか羅列すると、
戦車519台(最低値)。
装甲車・トラック800台以上。
戦艦マラート撃沈(共同戦果)。
となり、これだけで既に傑出したものである。さらには出撃回数2530回や、被撃墜数30回に関わらず全て生還したという戦績も、もはや伝説級だ。
加えて、不世出の独裁者ヨシフ・スターリンさえ彼を『ソ連人民最大の敵』と名指ししその首に賞金10万ルーブル(現代日本での数億円に匹敵)をかけたというのだから凄まじい。
そんな稀代の軍人ハンス・ウルリッヒ・ルーデルは1982年12月18日に静かに天寿を全うした。
そう、そのはずであった。
『今思い出してみてもあれは奇妙な出来事だった』
後年、波乱万丈では済まされない一生を過ごした彼でさえその出来事をこう称したという。
現役時代と違い出撃が出来ないため、トレーニングの合間の暇な時間はこうして物思いにふけっている。この時は丁度数年前に自身に人生最大の転機が訪れた時から今までのことを振り返っていた。
なぜか体が軽くなるような感覚に襲われた。ルーデルにしてみれば地を這う露助めがけて垂直に急降下する時に感じる浮遊感のようなものでもあり、懐かしい感触だった。
一度沈んだはずの意識が浮かび上がる。すると、途端に疑問が首をもたげて来たのであった。彼は先ほどまで川の向こう側でヘンシェルやガーデルマン、それにシャルノブスキーが並んで立っていた光景をぼんやりと見ていたはずなのである。
段々と意識が覚醒してくるにつれて、彼はその続きを思い出し、ついなんでもないようにこう呟いた。
――そうだ、その後奴らに笑顔で「大佐はこっち来ないで下さい」と突き落とされたのだったな。
さっきの浮遊感はそれだったか、とよくわからない納得をしつつ、ルーデルは重いまぶたを開く。明かりが起き抜けの目にはつらく一瞬顔をしかめたが、次の瞬間には好奇心が灯っていた。
室内の内装は異様であった。病院の集中治療室のようであるといえばそうであるが、それにしてはあまりに機械的にすぎたのだ。
とは言えルーデルは別に取り乱すこともなく、ゆっくりと室内を見回す。
暇つぶしに見たSF映画のワンシーンのようだと思え、するとSFのなんでもありな設定(彼にこう言われるなどSFにとっては噴飯ものかもしれないが)なら、一度死んだはずの自分が二度目の生らしきものを得たのも納得がいくというものだった。
しかし、首を回して周囲を見ていたルーデルは奇妙な感覚に襲われた。なにやら彼の髪が長いように思えるのだ。首を動かすたびに引っ張られるような感覚が、生涯短い髪を通してきた彼には違和感を覚えさせる。
ふと、手にとってみると、そこにあったのはとても肌触りのよく照明を艶やかに反射しているブロンドの髪であっった。これにはさしものルーデルも虚をつかれ、慌てて自身の体を見下ろすと、視界に広がるのは病院での入院服のようなものに身を包んだ5~7歳くらいかと思われるような幼い肢体。長い髪とどこかスースーする感覚に嫌な予感を覚えて股間に手を伸ばすと、つるりと丸い。
さすがのルーデルもこれには驚きを隠せない。彼自身としては謎の技術で蘇生したかなにかだと思ったのだが、これでは生まれ変わったようなものである。こんな年端もいかない子どもになるとは、と混乱もしたが、次第に落ち着いてくる。
――なに、子どもということは未来が沢山あるということだ。それに男の人生の次は女の人生を歩めるなら得をしたというものだ。
常に前向きなのも彼の美点であるが、ここまでくるとなにか違う気がしないでもない。ただ、戦場で常に冷静でいるためには有利な特性だったのだろう。
とりあえず、自分がこんなところにいる以上は他にも人がいるものだろうと予想をつけたあたりで、ルーデルの正面にあった扉が自動で横へとスライドした。
入ってきたのは一風変わった格好の、ミルクコーヒーのような色の髪を肩口で切りそろえた若い女性であった。彼女はルーデルを確認すると、彼に目線の高さを合わせるように屈み、微笑みとともに口を開いた。
「お嬢様、お名前は?」
「ハンス・ウルリッヒ・ルーデルだフロイライン」
にかっと笑顔を浮かべるルーデルとは対照的に、女性の笑顔は凍りついた。
突然固まってしまった女性にルーデルが首を捻っていると、どうにか再起動したらしい彼女に「ちょっとプレシアのところへ行きましょう」と手を引かれた。特に反対する理由もないし、多くの人物に会って情報収集をするのもいいかと思ったルーデルは大人しくついていくことにした。
しかし部屋を出てすぐルーデルは目を丸くしてしまった。SFのような室内から一歩でると、そこはまるでベルリン郊外にあるサンスーシ宮殿を思わせるような廊下であったのだ。なんとも両極端だと思いつつ、どうも冷静さをかいているようでかなり早足な女性についていくため、歩幅の狭い幼女なルーデルはほとんど小走りに移動した。
暫くしてようやく室内に入る。今度は司令官の執務室のような部屋で、もはやルーデルでも呆れる思いのだった。ここまで連れてきた女性に質問しようとすると、彼女は彼に少し待っているようにと言い残して、机に座っている彼女より年上らしき女性にあっという間に歩み寄っていった。
「これはなんですかプレシア!」
「……そうぞうしいわよ、リニス。さっき出て行ったばかりの癖になにがあったのよ」
プレシアと呼ばれた女性の声は無味乾燥としたものだったが、リニスと呼ばれた女性も引かず、机に向かったままで一向に自分を見ようとしないプレシアの目の前に荒々しく手をつく。
「あなたの娘はフェイト・テスタロッサのはずですよね?」
「そのようにあなたを生み出した時に植えつけたはずよ」
「じゃあなんで『ハンス・ウルリッヒ・ルーデルだ』とか名乗るんですか!?」
「は?」
初めてプレシアの声音に感情が篭った。ようやく彼女は顔を上げ、リニスに胡乱気な視線を投げかける。
「なにを、馬鹿なことを……」
「私だって知りません!」
言うと、リニスはルーデルのほうに振り向き手招きした。
ルーデルは背筋をピンと伸ばし、堂々とした足取りでプレシアの前までやってくるなり、体に染み付いたドイツ式の敬礼を決め、はきはきと声をあげた。
「どうも、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルだフラウ。できれば、現状を説明していただけるとありがたい。なにより私も起きたらこんな状況でね」
先ほどのリニスの焼き直しかと錯覚しかねないほど見事に、プレシアは凍りついた。
リニスの必死の呼びかけによって我に返ったプレシア・テスタロッサによる状況説明に加え、時々の彼女の質問にルーデルが答えることで三人の間にようやく共通の見解が生まれた。
どうも、ルーデルの体自体はプレシアの娘であるフェイト・テスタロッサの体であり、彼女は事故により重態となっていた。プレシアの必死の治療によりどうにか目を覚ましたところなぜかルーデルが中に入っていた、というところである。
しかしルーデルをこの日一番に驚かせたのはこの次ぎのことである。なんでも、この宇宙にはルーデルがいた地球がない。いやプレシアがデータベースで調査した結果、正確には別次元にあるということであり、世界はありとあらゆる次元世界で出来ているのだという。さらには現実には魔法というものが存在するというのだ。
いくらルーデルでも、そんなのは信じられないと主張したのだが、実際に目の前でプレシアが魔力弾とやらを作り、リニスが猫に変身しては受け入れざるを得なかった。
『かの大作家ゲーテでさえ腰を抜かしたであろう』
ルーデルはこの時の衝撃をこう例えたという。
とはいえ、彼の前世での一生をかいつまんで聞いたリニスとプレシアも鳩が豆鉄砲でも食らったような表情だったのだからお互い様というところだろう。
「フラウ・テスタロッサ、不可抗力とは言えこのたびはご息女の人生を私が奪う形になってしまったことは深く謝罪しよう」
言って、ルーデルは深く頭を下げた。彼も前世では子を持った親である。どうにか事故から生還したと思った子に赤の他人の人格が憑依していたと知ったら、普通どれだけの怒りを感じるかは容易に想像が出来る。
彼はどんな叱責も暴力も覚悟していた。
「もう過ぎたことよ。それに意識を取り戻すかも不明だったのだから、あなたが気にすることではないわ」
「プレシア……」
だが、返ってきた声は彼の想定にないものだった。
おそらく、ルーデルと同じ思いだったのだろうリニスも驚きの呟きを漏らしている。
「しかしだな、フラウ」
「あんまり面倒をかけさせるんじゃないわよ。私がいいと言っているの。あなたは自身に降って湧いた幸運を喜んでいればいいのよ」
「……」
ゆっくりと諭すようにルーデルに言ったプレシアの声音に嘘は感じられなく、それに彼女の広大無辺な器の大きさを感じたルーデルは無言で敬礼で敬意を表した。
そして、自分を許してくれた彼女に全力で報いねばならないとも決意をした。
「心の底から感謝しますフラウ。一度は失ったのと同じこの命です、あなたが望むなら地獄の底でもクレムリンにでもどこでも赴き恩に報いましょう」
「そう……心がけは立派だけれど、とりあえず今は特にはないわ。あなたはリニスの言うことをよく聞いて生活していなさい」
「了解した」
一つ頷いてから、ルーデルの中に小さな疑問が浮かび上がった。
「そういえば、これから私はどう名乗ればいいのだろうか。さすがにご息女と同じ名前を名乗るのは気が引けるし、かといって女性の体なのにハンスなどという男性名では彼女が浮かばれまい」
言われたプレシアは顎に手を当てて少々考え込むが、すぐにどうでもよさげに言い放った。
「そう、ねぇ……あなたも混乱しないように、ルーデル・テスタロッサとでも名乗ればいいんじゃないのかしら?」
「ルーデルは、ファミリーネームなのだが……」
「名前は所詮識別記号よ。そんなことはどうでもよろしい」
「もっともだ」
凄い理論を展開したプレシアとなぜかそれに納得してしまったルーデルから、リニスは一歩距離をとった。
「私ももう忙しいから、あなたはリニスと下がりなさい」
「それは失礼した。ではフロイラインリニス、これからよろしく頼む」
プレシアの隣に控えていたリニスに体の向きを変え、また礼をする。
「あー、ルーデル、さん? 私のことは別にリニスと呼び捨てで構いませんよ?」
「そうか、では私のこともさんを付けなくて構わない」
「ほら、さっさと下がりなさい」
しっし、と手の甲を向けてくるプレシアにリニスと二人で苦笑してから、ルーデルは彼女の部屋を辞した。
そのために、出来損ないの人形の体に真偽はともかく歴戦の軍人の精神が入ったことで自身の計画が有利になりそうだとプレシアがほくそえんでいたことは知らない。
ルーデルが金髪紅眼の美幼女として第二の人生を歩むようになってから一月ほどは彼、いや彼女の体に異常がないか様子見をしつつ、リニスから次元世界や魔法についての基礎的な知識を座学で叩き込まれた。
次元世界や時空管理局、魔法についてのリニスの解説はとてもわかりやすく、かつ新鮮で面白いものであったのでルーデルも喜んで聞いていた。ただ一つだけとても残念だったのが、次元世界の中でも管理世界においては質量兵器を禁止する条約が結ばれていたため、彼女の愛する急降下爆撃機もその条約に抵触するために使用ができないということだ。
――スツーカで再び空を翔けたかったがそれも叶わないか……
その夜そっと枕を濡らしたのだが、一週間後に大きな転機が訪れた。もう体は大丈夫だろうということでリニスが彼女に魔法の実践に移ると言ったのだ。
試しに飛行魔法をリニスが教えてみたところ、飛行機乗りとして天才的才能を見せたルーデルはすぐに自由自在に空を舞うようになった。天高く昇ったかと思うと墜落するように落下し、地面ぎりぎりで体勢と立てなおし再び上空へ去っていくなど、その機動の上級者っぷりにリニスが呆れる中、ルーデルの心は晴れやかだった。
時の庭園と呼ばれる住居からあまり外にも出れないし、まだまだ体力のない子どもの体ということで暴れ足りないと思っていたルーデルにとってはとてもいい気分転換となっていたのだ。
「素晴らしいなリニス! スツーカで空を飛ぶのもよいが、こうして自分の力だけで空を飛ぶというのも清々しさだ!!」
地上から彼女を見守っていたリニスだが、戻ってきた彼女が興奮した様子で語る声音とその笑顔は年相応に感じられた。すると、それまで感じていた彼女との間の壁のようなものがいつの間にか消えているのである。
その後はリニスの指導のもと、攻撃魔法や防御魔法、補助魔法に儀式魔法の習得。攻撃はタイミングさえ計ればボタン一つな彼女の前世にはなかった魔法の術式構成や細かい制御といったところではかなり苦戦したが、戦闘での応用力という点では、空での圧倒的実戦経験のために文句のつけようがなかったので、総合してみれば恐るべき早さで成長したとも取れる。
また、死に掛けていた子狼を拾いルーデルは使い魔にした。リニスはよくわからなかったが「後部機銃手のようなものだ」と彼女は言った。アルフと名づけられた彼女はルーデルと仲良くやっている。
リニスも、口調と見た目のギャップに慣れれば純粋そのものな性格のルーデルには愛着が湧いており、優秀な生徒のために予定を繰り上げてデバイスの作成に取り掛かった。
「これが私のデバイスかリニス?」
「はい、名前は閃光の戦斧バルディッs」
「私の相棒となるからにはスツーカだな!」
「いえ、ですからバルd」
「これから頼むぞスツーカ!!」
「…………」
実は三日考えてつけた名前だったのに無視されて悲しかったリニスであった。それでもぐっと気持ちを抑えて可愛い生徒のためだと泣く泣く設定を変更し名称をスツーカに変えてあげた彼女は優しい。ただ、その日はなぜだか枕が冷たかったという。仕返しではないが翌日のルーデルの飲む牛乳を一本減らしてやった。
バルディッシュ改めスツーカを得たルーデルは、インテリジェントデバイスに振り回されることなくさらにその実力をあげていった。攻撃の殆どが急降下してからなのが不思議だが、それ以上に急降下からの至近距離で砲撃を撃ち込んで自分が無傷なのがリニスには納得できなかったが。
『自画自賛になるがこの体のスペックは実に素晴らしい。圧倒的な速度とそれに比して信じられない程に高水準な旋回能力を持ち、その上魔法様々な射程・威力の攻撃手段があるのだ。さらには潤沢な魔力量によりかつてのような燃料や弾薬の心配が殆どない。これらの条件は私にとっての理想的な戦闘を可能にしてくれる。ただ、防御の面がおそろしく不安な面が欠点ではある。まあなに、この速度があれば敵の砲火に捉えられることもそうそうあるまい。できるならばこの体で第二次大戦を戦いたかったものだ。そうすればモスクワに鉤十字を掲げることも可能だったろうに』
ルーデルは日記にこう書き記していた。
目の前に、プレシアの執務室の扉が迫り、ルーデルは回想から現実へと意識を引き戻す。
回想の中で優しく彼女を見守っていてくれたリニスは今はもういない。仲間を失ったのは一度や二度ではないし、それはいつだって突然だったが、何度味わっても苦いものだとルーデルは思った。
「どうしたんだいルーデル、急に立ち止まって?」
「いや、なんでもない。すまないなアルフ」
相棒に余計な心配をかけるとは私もまだまだだな、と被りを振りつつ、ルーデルは室内に歩を進め、背後で扉が閉まる音を聞くと敬礼する。
「フラウ・テスタロッサ。ルーデルだ、ただいま参上した」
「楽になさい……」
「了解した」
手を腰の後ろに回し、足を肩幅に開き休めの格好になる。アルフは毎回毎回こんな女の子が軍隊みたいな行動する姿に笑ってしまいそうになるのだが、ルーデルの前世のことも聞かされているのでどうにか我慢した。顔面筋が変な風に痙攣していたが。
「あなた、地球というところ出身だったわよね?」
「その通りだ」
「そこの日本っていう国は知っていて?」
「ああ、極東の島国だな。祖国とは同盟国だった勇敢な戦士も多い国だ」
ルーデルはちょっと懐かしい思いにかられた。さっきといいどうも感傷っぽくなっているようだった。
「なら好都合ね。実はね、その日本まで行ってあなたにやってきて欲しいことがあるのよ」
「フラウは命の恩人だ。私に出来ることならなんでもしよう」
プレシアはルーデルの返答に満足そうに頷くと、十数枚の書類と何枚かのカードを机の前方、ルーデルのほうへ放った。
「あなたとアルフの偽造戸籍に当面困らないだけの資金の入った口座も用意したわ。それと探してきて欲しいものの詳細は書類にあるから戻って熟読しなさい。そして仕事内容を把握し次第出立して」
「了解した。ルーデル・テスタロッサ、これより任務に就く」
再び敬礼するとルーデルは書類とカードを回収し、自室へと戻っていった。
これが、後にPT事件と呼ばれる騒乱の始まりであった。
月村邸の広大な庭で励起したジュエルシードを回収に赴いた高町なのはは、ここで彼女の人生に大きな影響を与える一人の人物、もう想像がついていると思うがルーデルと出会うことになる。
後日、映画撮影のための取材でその時のことを尋ねられた彼女はしみじみとこう答えたという。
『あの時は本当に驚きました。だって、いきなり空から女の子が降ってきたんですから』
ジュエルシードに取り付か、木々より巨大になった子猫の上空から、ルーデルの十八番「急降下砲撃」をかましたのである。
今でこそSランクオーバーであるなのはだが、その頃は魔法に出会って一ヶ月未満という才能があるだけの素人でしかなく、ルーデルの姿をちらりと見かけた以外には、断末魔の悲鳴を上げて倒れこんだ猫を呆然と見詰めることしか出来なかった。
なのはが驚きから回復するのは、彼女の背後の木の上空にルーデルが降り立った音を耳にしたからであった。
「む、地球に魔導師……?」
ぶしつけに観察され、なのはは一歩引いてしまう。ちなみにとても便利な翻訳魔法によりルーデルの言葉は日本語で響いている。
「私のスツーカと同じインテリジェントデバイスも持つのか……」
スツーカを持っていない左手を顎に当てて考え込んだルーデルだが、すぐに微笑みを浮かべて眼下のなのはに声をかける。
「やあ、フロイライン。君もロストロギアジュエルシードの探索者かね?」
「フロイ……え? え?」
まだ当時9歳で、フロイラインというのが未婚の女性に対する敬称とは知らないなのはは、先ほどからの事態により頭がパンクしかけていた。
なので代わってルーデルの質問に答えたのは、なのはの足元にいたフェレットモードのユーノだった。
「『君も』ってことは君も探索者なのか……って、ジュエルシードをどうするつもりだ!」
余裕を持った様子であったルーデルが、少し目を丸くしてユーノを見た。どうやら今ようやく存在に気づいたらしい。
「おっと、なんとも可愛らしい使い魔くんだね。急降下でしとめるには少々面倒なサイズだな」
「僕の質問に答えろ!」
「そう焦るな。まあ、君の質問に答える義務は私にはないし、話をしても君たちとの溝は埋まらないさ」
言うとルーデルは軍人としての精神を呼び起こし、目を細める。
彼女は、自分が難しいことを考えるのに向いていないのがわかっている。だから、目の前の白い少女がジュエルシードを集めていて、自分と対立するとわかったら、もうそれで十分だった。
ただ、彼は鬼畜ではない。年端もいかない美しい少女に危害を加えるのはあまり好きではない。
「すまないが、ジュエルシードは私がもらっていく」
「Photon Lancer Fire.」
容赦なくスツーカから発射された魔力弾の直撃をなのはは食らった。
吹き飛ばされ、意識を失う直前。彼女の視界には、攻撃をするというのにちょっぴり悲しそうなルーデルの表情が張り付いていた。
これが、ルーデル・テスタロッサと高町なのはの初邂逅である。
おそらくこれで邪魔をすることもないだろうと思っていたルーデルだったが、予想外になのはは再び彼女の前に立ちふさがった。そして、話をしようと彼女に呼びかけるのだ。
ルーデル自身は、話の有用性を否定はしない。しかし同時に彼女は共産主義者どもと分かり合えるなどとは夢想だにしておらず、話が万能だと妄信もしていない。だから、笑って吹き飛ばすことができたのだが、彼女の瞳の光にどうも惹きつけられるものがあった。
そう、あれはよく知っているエースの瞳だ。まだまだ技量的には素人でしかないのに、瞳は一人前の、ルーデルと同じエース。それもこんな少女が。
彼が興味を抱かないはずがなかった。
だけれども、彼にはプレシアのために任務を遂行しなくてはならず、空戦において彼女に圧倒的な差を見せ付けて勝利した。ルーデルは、自分が首筋に突きつけた魔力刃に、なのはが恐怖から歯を小刻みにならす姿を見て、将来が楽しみではあったが、これで彼女も身を引くだろう。そう思った。
「わたしの名前は高町なのは! あなたの名前は!」
しかし、少女は、高町なのははルーデルの背に声をかけたのだ。
足を止めたけれど、ルーデルは振り返らなかった。それは、隠し切れない笑みを彼女に見せたくなかったからだった。
――私も甘いな! 100万人に1人もいないエースの輝きを瞳に持つ少女がこんな程度で引くわけなどないのにな!
ルーデルの空で戦う者としての心に、大きな炎が灯った。
肉体年齢で言えば自分もなのはも同等だ。前世にはいなかった好敵手と、まるで物語のように出会ったのだ。
「ルーデルだ。ルーデル・テスタロッサ。また合い見えよう『なのは』」
名乗り返し、なのはを一段下に見なしたようなフロイラインではなく彼女自身を指す名前で呼びかけると、そのまま飛び去る。
後からついてきたアルフが不思議そうな顔をするのがわかったが、浮かぶ笑みをルーデルは抑えられなかった。
こうして、彼女らの二回目の遭遇が終わった。
前世もそうだったが今世でも戦傷に好まれているらしいな、と思い顔を顰めた。
「あ、ごめんよルーデル。痛かったかい?」
「いや、そんなことはないさアルフ。こんなの前世の怪我に比べればせいぜい痒いくらいだ。ちょっと嫌なジンクスを思い出しただけだ」
「そうかい……でも、かなり酷い怪我だよ?」
「大丈夫だ、手のひらの怪我くらいで空が飛べなくなるわけではあるまい。それよりもスツーカが問題だ。回復するとは言ってもその間にジュエルシードが封印できなくなったら」
へまをして、一度封印したジュエルシードが暴走。その時の余波でスツーカは損傷。仕方なく素手で無理矢理封印したが、結果として怪我をした。
ルーデルがなのはとの戦闘に熱中してしまい当初の目的を見失ったことが原因ではあるが、それもこれもここのところ急成長してくる彼女の力量に原因があるのは間違いない。まだまだ負けてやる気はしないが、最初の頃と同一人物とは思えず、このままどうなるのかと思うとルーデルの心が震える。
それに彼女のあり方も素晴らしく思う。まだ二度しか刃を交えていないが、機動力では自分の圧勝ではあるが、自信のある砲撃では打ち負けたのだ、しかも彼女の堅牢なことこの上ないシールド。その硬さには、ついぞルーデル存命の間にはなくならなかったベルリンの壁を思い起こさせる。
速さはなくとも、生半可な攻撃では微動だにしない防御力に一撃で敵を屠る圧倒的な破壊力。
「まるで、A-10のようだ……」
ルーデル自身もフェアチャイルド社での設計に携わった近接航空支援機を思い出していた。
ちょっぴり羨ましいと思ったのは彼女だけの秘密である。
「なにか言ったかい?」
「いや、独り言だ。それよりもアルフ、治療が終わったら食事を頼む」
「はいはい、牛乳もちゃんとつけとくよ」
相変わらずの自分の主人に心配していたアルフも笑みを浮かべた。
徐々に、ルーデルとなのはの差は詰まってきていた。
また戦傷。しかも前回よりも深い。
今回はさすがにルーデルも痛い目にあったという自覚があったので、次のジュエルシードが見つかった時に少しでもいい状況で出撃できるようにそれまで大人しく寝ている。
――しかし管理局が出張ってきたか、厄介だ。
布団の中で、少年にしか見えない執務官に撃たれた傷の熱が二日たっても一向に引かないのを感じながら考えにふける。
空中戦闘の経験が豊富であるのは確かであるが、あくまでそれは前世での飛行機の経験だ。魔導師の空戦に適応できるところが多いとはいえ、魔法での戦闘に関してはルーデルも実際のところ経験は浅い。だから、彼女が気づかない決定的な弱点があるかもしれないし、若くとも熟練していると見ていい執務官が相手ではそれが命取りになりかねないとも思う。
別にルーデルは命が惜しくないわけではない。ただ命を顧みないことが多いだけだ。彼女だって生きて出撃回数を増やし撃破数をもっと積み上げたいからだ。
そんな時だった。彼女は肌でまざまざとジュエルシードの励起を感じた。
「ジュエルシードめ、来よったか!」
痛むボロボロの体に鞭打ち、ルーデルは立ち上がると、アルフが悲鳴をあげ、慌てて駆け寄って彼女を布団に寝かしなおそうとする。
「待ちなよルーデル! そんな体じゃ無理だって!!」
「なにを言っているんだ? 休んでいる暇はないぞアルフ、出撃だ!!」
アルフの手を払いのけ、高々と彼女は宣言した。
ルーデルの視界には煌々と輝く桃色の魔力の凝縮体が一杯に広がっていた。
四肢はバインドで固定され、動かすことは出来ずもう頭には「敗北」の二文字しか浮かばない。
こんな状況なのに、鏡なんてないのに、ルーデルは自分の表情が笑顔を形作っていることがなんとなくわかった。
色々と思い出す。
始まりは彼女の瞳にあったエースの灯火だった。
以前、このままではプレシアに申し訳がたたないと無茶をして海底のジュエルシード六つを同時に励起させ、逆に自分がピンチになってしまった。
その時さっそうと現れたなのはは敵であるはずの自分に魔力を供給し、しかも封印を手伝ってくれた。
そして、手を差し伸べてこう言った。
『友達に、なりたいんだ……』
驚いた。好敵手としか自分は彼女を見ていなかったのに、なのははルーデルに友達になりたいと言ってくれたのだ。
そうだ、何度ルーデルをこの少女は驚かせてくれれば気が済むのか。
「受けてみて! これがわたしの全力全開! スターライトォォォォ……!!」
「私が、一対一の空の戦いで破れるとはな……」
今だってそうだ。まさか負けるとは思わなかった。
小さく呟いた声はなのはに届くことなく、霧散した。
「ブレイカー!!」
「やはりA-10の性能は……すば、ら……し……い…………」
ピンク色に染まったと思っていたのに、一瞬の後ルーデルの視界は暗転した。
なのはに破れ、ジュエルシードもプレシアが持っていってしまったことで、抵抗する意味もなくなったルーデルは、素直に管理局に投降し、アースラに連行されていた。
囚人服のようなものに着替えさせられ、手錠をはめられたのは不本意だったが、暴行を加えられたわけではないので我慢した。
「あなたが、ルーデルさんかしら?」
「その通りだが、あなたは?」
「私はこのアースラの艦長で、現在の事件に関する最高責任者であるリンディ・ハラオウンよ」
なのはに付き添われて艦橋へと足を踏み入れると、妙齢の緑髪の美女が微笑みとともに語りかけてきた。
ルーデルは彼女のファミリーネームに聞き覚えがあり、眉根を寄せる。
「ハラオウン、と言うとクロノ執務官の姉かなにかかね?」
「まぁ! 姉だなんてやーねー。私これでもクロノの母親なのよ」
「ほう、とても見えないな」
「おだてたって何もでないわよぉ」
口ではそう言いながら、リンディはだらしなく表情を緩め、頬に手を当てながら身をよじっている。
「まあ、そんなことはどうでもよろしい。シャワーと食事の用意を頼む」
「……ぷっ」
「っ!」
どうでもいいとリンディを切り捨てたルーデルとそれにより愕然とした表情を浮かべたリンディを見て、エイミィはつい噴出してしまった。リンディにすぐに睨まれ、職務へと戻ったが。
「こほん。えーと、ルーデルさんは……」
気を取り直してルーデルに向き直ったリンディだったが、丁度その時アースラの巨大モニターに時の庭園の玉座の間に局員が突入した光景が映し出された。
プレシア・テスタロッサはジュエルシードを発動させ、次元震を引き起こした。アルハザードへ向かうため。
崩壊し続ける時の庭園にルーデルは突入していた。
なのはやクロノには遅れてではあったが、彼女は彼女でやることがあったから再びスツーカと共に魔法で空を飛んだのだ。
――傀儡兵といっても、イワンの戦車と変わらん! 数だけだな!!
得意の急降下砲撃で傀儡兵を次々にスクラップにしながらそんな感想を抱く。途中でなのはを助けたり、間違えて傀儡兵と一緒にクロノを巻き添えに吹き飛ばしてしまったりしながら時の庭園の最深部にいたプレシアのもとへたどり着いた。
「なにをしに来たの、ルーデル。私に文句でも言いに来たかしら」
「いや、そんなことはない」
アリシアの入った生体ポットを抱えながら視線だけを向けたプレシアに、きっぱりと首を左右に振ってルーデルは否定する。
プレシア曰く『唯一の娘』アリシア・テスタロッサの存在、そしてルーデル自身が彼女のクローンであり、プレシアにしてみれば失敗作でしかなかったという事実は既に明かされた。それを隠していたプレシアにルーデルが怒っているかと思ったが、どうやらそうでもないようだった。
「なら、なんの為に来たのかしら?」
「なに、出立に見送りの一人もないのは悲しいだろうと思って来たまでだ」
ゆっくりと振り向き、しかしちゃんとプレシアはルーデルを見据えた。
そして、初めて彼に向かって笑った。嘲笑的なものではあったが、笑ったのだ。
「はっきり言ってあなたには感謝しているわ。あの出来損ないの体にあなたの人格が宿ったおかげで、見た目が似ていても赤の他人として思えるようにもなったのだから。ただ、まあ……ジュエルシードを集めるということに関しては期待以下だったけれども」
「それは申し訳なかったなフラウ」
「とはいえ、あなたを騙して利用していたのは私。なのに恨みもしないのも変な人間ね、まあ普通とも思っていなかったけれども」
「恨みなどはしないさ」
揺れる足場だというのに、ルーデルは軍隊仕込みの休めの体勢のまま、よく通る声でプレシアに答える。
「あなたは私がご息女のクローンに憑依した別人格だと言わなかった」
「……」
アースラの艦橋で聞いた話の中で、プレシアは結局ルーデルを終始『アリシアのクローンで人格形成に失敗した駄作』としか扱わなかった。彼女の特異性には一切触れなかったのだ。
「七面倒なことなどわからない私でも、クローンであるという上に死者の魂が憑依した存在ともなれば風当たりが激しくなるということくらいわかる。そして、それをあえてあなたが隠した理由も」
「……ただ、面倒だっただけよ」
プレシアはあほらしそうに視線を外すが、微妙にその瞳が揺らいだのをルーデルは見逃さなかった。だから、素直に笑みを浮かべる。
「なに。それでも構わないさ。どちらにせよ、あなたは私の命の恩人であることに変わりはないのだ」
一際大きく庭園が揺れた。
「どうやら、もう時間のようね。結局、あなたはよくわからない人間だったわ」
「変人とはよく言われたものだ」
軽く笑った後、ルーデルは彼女に敬礼をする。
「旅の安全をお祈りしよう、フラウプレシア・テスタロッサ」
その言葉に、プレシアが答えることはなかった。
今までで最も大きな揺れと共に彼女の足元の岩盤は崩れ、アリシアと共にプレシアは虚数空間へと落ちていったのである。
「…………」
なのはがやってくるその時まで、ルーデルは敬礼の姿勢を崩さなかった。
自分に黒星をつけた少女が泣いている。
ルーデルも涙が流れそうになるが、そこは自身の矜持としてどうにか耐えた。涙もろくなったのは女性の、しかも子どもの体になったからだと言い訳し、笑みを見せる。
「なに、今生の別れというわけではないよなのは」
「でも、でも……」
「大丈夫だ。私は必ず君のところへ舞い戻る。君は好敵手であり、そして……」
恥ずかしさに一瞬言葉を詰まらせるが、なのはの涙を指先でそっと拭ってから言い放つ。
「私と君は『友達』なのではないかね?」
「……っ!」
目と鼻の先にあるなのはは目を丸く見開き、そしてぱあっと表情を晴れ上がらせた。
「うん……うんっ!!」
なのははごしごしと目元をこするとルーデルに負けないように笑顔を浮かべる。
「あのね、ルーデルちゃん」
「うむ?」
ちゃん付けに少々違和感があったが、体は女性だから仕方ないし、このくらいいかと割り切り、なのはの言葉に耳を傾ける。
「なにかあったら私の名前を呼んでね、絶対に、絶対に助けに行くから!」
「なら、なのはも私の名前を呼んでくれたまえ、必ず赴こう」
「うんっ! ……あ」
そして、また耐えられない涙がなのはの目じりから流れ出た。
「まったく、泣き虫だな」
「うう……」
あいにくハンカチもなく、半そでなので裾も使えず、仕方なくルーデルは髪をツインテールに結んでいたリボンの片方を解き、なのはの涙を拭ってやった。
拭き終わり、手を引こうとしたら、なのはがリボンを掴み離さなかった。
これはいったいどうしたものかと悩んでいたら、なのはが小さく呟いた。
「……こうかん」
「……ん?」
「わたし、ルーデルちゃんになにか記念に渡せるようなものなにもないから、だから、リボンを交換しよう」
窺うように見詰められ、ルーデルはきょとんとしてしまった。
だけれど、すぐに表情をほころばせた。
「ああ、再会の約束とするわけか。いいね、そうしよう」
「うん、約束だよっ!」
ピンクと黒のリボンが二人の間を渡り、約束は交わされた。
「なにもんだてめぇ。管理局の魔導師か?」
「なに、好敵手にして、友達さ」
『後書き』
どうも連載の方の筆進まないので気分転換で書いたかれど、夏の暑さに急降下爆撃を喰らった模様。そして読み直して思った。展開変えると面倒だったから勝たせたけど、なのはさんまじパネェーっす。いや、まあ現実でも撃墜されまくってるしいいかなとも思いますが。
なんか今回は嫌な目にあってばかりだけど史実のルーデルさん的な無双はA’s以降にしかかけなさそうですね。
気が向いたら、というより他の連載が完結したら続きを書くかも。たぶん殆ど変わらずのダイジェスト方式だろうだけど。