森林に囲まれた街道を出てから3リーグもの平原を進み、そこから20メイル程度であろう眼前の河を渡ったならば、そこはもうハムステッド城塞の射程である。
まずは森林の境目に隠れ、望遠鏡によってハムステッド城塞の偵察をしていた偵察隊と合流し、確認がてらパットン自身も望遠鏡を覗き込んでみたが珍しく風が凪いでいるのか蹴散らした近衛軍の旗が力なく垂れ下がるのみで、確かに敵影を確認する事はできなかった。
だからといって疑いは晴れず、偵察隊には隠れながら東へと移動させ城塞の門が見える場所を探させた。 そして、もたらされた報告こそが『ハムステッド城塞の東門が開門されているのを確認』という内容である。
城は入られなければ強いが内からは脆いのは周知の事実であり、その門が開いているのには相応の理由がある筈である。
どちらにせよ、パットンは安堵していた。 ボールドウィンにはハヴィランド宮殿を落とすよう言われていたが、そんなことは無理だと感じていた。
だからこそ、交通の要所である橋とハムステッド城塞を得られればそれなりの勝利を捧げられると考えていたのだ。
「命知らずの先遣隊勇士に告ぐ! 間抜けにも予備隊を残さず潰えたハムステッド城塞は貴君ら勇士の誇りである! 未だ虫けらが中に潜んでいるかもしれないが、勇士らの牙をもって敵の腸を食い破るのみである! 先遣隊突撃!」
抜いた杖をハムステッド城塞へ向け、勇ましい声をあげて先遣隊の先陣を切って突撃を開始する。 指揮高揚した先遣隊に敵は居らず、必ずや城を奪い取る気概に満ちていた。
山中に偽装された砲台は、森林で隠れていた街道から吠えて飛び出す先遣隊を冷ややかに見つめ、マジックアイテムを触って敵の発見を城内に報せる。
城内では既に戦意が天をつかんばかりに高ぶりつつも、見事な統制により息を潜めて潜伏しており、そこでも土のメイジが地に伏せて五感をもって索敵を行なってはいたが、さすがに川向かいの様子まではわからないのである。
「砲台より『敵を確認せり。 北西Da-03より街道を突撃中』だそうです!」
分厚い北城壁には4箇所に大砲が設置されていた。 そして、ハイマンが詰めているこの部屋こそが城壁内からそれを指揮すべく造られた砲兵指揮所であり、各大砲へと繋げられた伝声管が纏められた部屋でもあった。
本来ならば敵の上空に風竜を進出させて敵の動きを逐一報告させたいが、ここは空城だと見せる為には下手に風竜を出すわけにもいかず、対岸の監視は専ら砲台任せになっているのだ。
難しい顔でハイマンは机に広げられた地図を睨みつけると、駒をハムステッド城塞から北西に位置する街道を囲ったDa-03に置いて地図上に再現すると、4本の伝声管に向けて大声をあげた。
「砲台から敵の発見が伝えられた! 砲台の砲撃音が聞こえしだい2番と3番は榴弾で橋が落ちるまで狙い続けろよ! 1番と4番は仰角に注意しつつ、橋を渡った敵軍へ散弾で斉射5発だぞ!」
当然伝声管に声をかければ声が管を通って4箇所の大砲に届く。 声は砲兵全てに届いているが、内部はあくまでも事前に通達してある作戦の確認でしかない。
だが、それでも指揮官から事前に声をかけられるだけでも気が引き締まり、単純に士気すら違ってくるものである。
装填の済んだ大砲が、まさか5門も自らの部隊を狙っているとは思いもしないパットンは、そのまま罠を警戒しつつも今は多少の罠ならば勢いで踏み潰すべしと力を込めて突撃を敢行する。
既に要所である橋は目前であり、未だに城塞からは音沙汰どころか人の気配すら感じられず、警戒が考えすぎなのかと感じてしまう程である。
誰も居ない。 橋を渡って見れば柵や土塁の防御陣地が丸見えだが誰も居らず、それだけではなくまだ昼間であるのに畑を耕す農夫も町を行き交う人々も昼食の準備を示す煙突の煙だって見えてこない。
これは些細な情報でしかないが、それでも大きな疑問をパットンにもたらしていた。 いったい誰が住民を避難させたのだろうか?
可能性は幾つか思い付くが、同時にその可能性に対する対案も鎌首をもたげて混乱に拍車をかけてくる。
最も常識的でありながらも最もあり得ない可能性は、避難命令を近衛軍が発令した場合である。 これがそれなりの軍であればあり得るが、所謂ガリアやトリステインのようなメイジ至上主義とまでは言わなくても近衛軍には隠しようがない選民思想が蔓延っていて、わざわざ平民に避難命令を出すとは考え難い。
それに、だ。 橋が残っている所から予備隊を残さなかったところを見れば、避難命令なんてものを出さずとも近衛軍の独力で事態を収拾できると考えており、尚更避難命令を出しているとは考え難いだろう。
もしも、少数ながら予備隊を残していたとしたならば、そもそも橋が残っている筈がないので前提からあり得ないのだ。 当然ながら竜騎士も予備隊が居ないのならば、こんな所で避難命令をだしている暇などは無く、迅速にハヴィランド宮殿へハムステッド城塞の陥落を伝える為に飛ぶだろう。
「……む?」
パットンの脳裏に違和感が掠る。 近衛軍というメイジ部隊を打倒できてパットンもチェンバレンも含めた誰もが歓喜したが、冷静に考えてみれば大きな疑問が残る。
メイジ部隊の売りはその機動力と打撃力なのは周知の事実であり、確かに籠城にもメイジは重要視されるが籠城の基本は平民の頭数である。 ならば、ハムステッド城塞に元々近衛軍と同規模ないしそれ以上の部隊が配置されて然るべきじゃないか?
先陣に混じったパットンは橋を既に渡りきり、しかしながら思考がそこに至って不安が増したのか知らず知らずの内に自身の足が遅くなっていて、先遣隊450の内400が橋の真ん中に至った時には足が止まって先遣隊は棒立ちになっていた。
敵がハムステッド城塞に残っていて橋までもが残っているのは、どう考えても我々を引き込む罠であるのは間違いないだろう。
先遣隊の足が止まっている事にようやく気付いたパットンは、止まったのは完全に下策でしかなかったと悔い改め突撃を叫ぼうとし、風が吹いて襤褸が揺れた事で陽光を浴びて一瞬だが輝いた砲身を城壁に確認し、自身の失態に苛立ちながらも杖を振り上げ声をあげた。
「散開! 全員走って散――」
だが、全てを語る時間がパットンには与えられなかった。
唯一敵を捕捉していた砲台は、急に立ち止まる先遣隊を見て一瞬罠の有無を考えてしまったが、わざわざ狙っている橋の上でも止まっているのを神に感謝して大砲を唸らせた。
その轟音に時きたりとばかりに城壁の2番と3番大砲も追随し、ここに合計3発の榴弾が開戦の狼煙を上げる。
もとより狙いを定めていた大砲から撃たれた榴弾は、その狙いを大きく外しはしないも2発は惜しくも橋を挟叉して水柱を上げるに留まったが、残りの1発は見事に橋へと吸い込まれて行くと橋脚に仕掛けた硫黄と共に大爆発を起こして敵諸とも消えていった。
余りの出来事にまごつく先遣隊に慈悲は与えられず、1番と4番の大砲も負けてはいられぬとばかりに散弾を吐き出し、先遣隊の上空に死の洗礼を与えていく。
城壁から先遣隊を見下ろせば、各所でメイジが奮闘して降り注ぐ散弾から味方を守っているが、それほどメイジが多くないのか焼け石に水でしかない。
あちこちで傘を張るメイジは悲鳴を上げ、いたるところでメイジの庇護を得られず傭兵が散弾に四肢を食い千切られ、断末魔とともに血の海に沈んでいく様はさながら地獄絵図とも言えた。
ここまで追い込まれてパットンは腹をくくり、なんとか恐慌状態に陥った先遣隊を統制すると城壁目掛けて突撃するように叫んだ。 あくまで懐に潜り込みさえすれば、大砲は無力化できると踏んだのだ。
死中に活を求めんと体勢を崩されながらも飛び込む先遣隊に対して、防御側もそんなことは百も承知だとばかりに合図代わりの鼓が打ち鳴らされた。
「やっと騎兵隊の出番か。 よし、俺に続け!」
てぐすね引いて待っていたとばかりに開かれた門からクリストフの率いる騎兵隊は飛び出すと、砲台が景気付けにと1発の散弾を先遣隊に向けて吐き出すと全砲が沈黙した。
大砲の攻撃力は魅力的だが、乱戦に入れば敵味方の区別ができなくなってしまうので、敵にそれを知られてでも撃つ事を止めざるを得ないのだった。
「突撃! 突撃! 突撃ぃ! 柔らかい腸を食い千切れぇ!」
騎兵隊は飛び出した勢いをそのままに統制をとりきれていない先遣隊の間延びした薄い横腹に食い付くと、勢いの差を見せつけるようにして先遣隊の隊列を前後に二分させて多い方の包囲に回る。
馬上から槍で貫き剣で薙ぎ、数が多いながらも砲撃によって恐慌状態に陥り正常な判断どころか怪我のない健常者すら少ない後部を騎馬隊で包囲しながらも、クリストフは冷静に前部へ視線を向ける。
敵はバカではないと聞かされていたが、あちらの方が統制がとれた動きで東へ回り込むように門を目指しているのをみると、どうやら敵の指揮官は陣頭指揮を執る敬意を払うべき相手のようだ。
前部に視線を向けるクリストフに対し、戦場で気を抜いたバカな獲物だと勘違いした相手に報奨代わりに剛槍を与え、栄誉代わりに相手から生命を奪って清算とする。
城塞から次の鼓が鳴らされて、出番が来た事に歓喜の声をあげて歩兵が門から飛び出すと、動きが纏まり始めた前部への包囲攻撃を開始した。
前後を二分された事に怒りを感じつつも、今は新たに現れた歩兵に対処すべくパットンは動揺を抑えるべく大声を出す。
「円陣を組め! いや、このまま包囲を食い破るべし!」
周囲を囲もうと動く歩兵の奔流を見て守勢に入ろうかと考えたが、あいにくここは敵の勢力圏のど真ん中であるならば守って勝てるものではない。
振り上げた杖をくるりと回してメイジに招集をかけると、集まった5人と供に包囲すべく動いた歩兵の内、動きの悪い左翼の中央へ余力は残しつつも最大威力の魔法を解き放つ。 こうして敵にも血を強いる事で、左翼を浮き足だたせて突破を試のだった。
各々が火や風や土の魔法によって左翼の意図を挫き、更に残酷に見えるよう火だるまになって悲鳴を上げる歩兵をエアカッターで切り刻み、止めを後ろに任せて石で膝を砕かれて倒れる若者の顔面を蹴り抜いて駆け抜ける。
急拵えにしては中々うまく作戦遂行できたようで、先遣隊を分断した騎馬隊とは違い場馴れしていないのか、左翼は顔を強張らせて固まってしまい有効的な反撃のないままお行儀よく通してくれるようだった。
パットンは分断された後部へ振り返らない。 助けに行きたい衝動にかられるが、追撃してきているであろう歩兵を蹴散らして騎兵隊を打倒して救援に向かうよりも、今は追撃を振り切り城塞へ飛び込む事が人的被害を最小に抑える術なのだ。
神でなき人間は俯瞰して戦場を眺める事ができない。 故に、城外決戦を仕掛けてきた規模からパットンは敵数を見誤り、ハムステッド城塞が空だと考えていたのだった。