<161>
【執務室】
「ハルマサ一等兵、ただいま帰還しましたッ!」
「…………」
閻魔様は無言だった。
鼻で笑ってもくれなかった。
何言ってんだコイツみたいな目でちらりと見られただけだった。
ハルマサにM心がなければ涙を流して走り出していたかもしれない。
というか閻魔様の機嫌が直ってない。
スッパスッパと葉巻を吸い散らかし、判子をてきとうに押している。執務室が煙たくなっていた。
「ちょ、2号さん! どういうことですか!」
暇そうにしている2号さんに尋ねると、2号さんは肩をすくめた。
「いえね、何とかなるかと思ったけどあてが外れたッス。実は閻魔様って根に持つほうなんスよね」
「……なるほど。よく言えば一途ってことですかね」
「ちょっと無理があると思うッスけど、その言い換えには少し感動したッス」
「ハルマサフィルターにかかればこんなもんですよ」
2号さんと朗らかに話す体勢に入っていたハルマサの隣に、ハチエが転移してきた。
ハチエとハルマサは違う場所に居たので、若干のタイムラグが生じたらしい。
ツナギの色が変わっている以外は彼女の格好に変化はない。
「あ、ハチエさん。」
しかし、現れたハチエさんは一言も喋らない。
うつむいている。
「あの、ハチエさん?」
良く見るとはチエは肩で息をしていた。
「ハルマサ……ハァ……ハァ……」
「ど、どうしたのハチエさん。そんなハァハァ言っちゃって」
ハチエさんはうつむいたままポツリと言った。
「お……、」
「お?」
「お前の血をよこせぇえええええええええええええええええええええいッ!」
彼女は顔を上げると、血走った目を見開いて、飛び掛ってきた。異常に速かった。
(こ、怖ぁあああああああああああああああああああああああいッ!)
―――――――「加速」ッ!
ハルマサはギャッと地面を蹴ってハチエさんの後ろに回りこむ。加速の反動は痛すぎるが、彼女は明らかに正気ではない彼女を止めねば――――――
しかし、ハチエさんはピタリと止まると振り返りもせずに後ろに手を伸ばす。その手は加速中のハルマサを正確に捉えていた。
(――――――なにぃ!?)
―――――――バシィッ!
「加速」が問答無用で解除される。
彼女の手にガッチリと顔をつかまれたハルマサは驚愕に包まれた。
振り向いたハチエさんは笑っていた。ハァハァしながらよだれを垂らして嬉しそうに笑っていた。
「逃げたらあかんよハルマサ。ちょっと吸わせてもらうだけやん。…ハァハァ!」
(か、母さんがよだれ垂らしてハァハァ言ってる人は信用しちゃダメって言ってたッ!)
≪マスター! 「増血注入」の中毒症状です!≫
(ああッ!)
そういえば、ヤマツカミ戦でハチエが負った傷を治した後、ハルマサは気絶してしまったから「桃色解除薬」を吹きかけていなかった。
「な、ちょっとだけやで! いただきまーす!」
(ちょっとって言ってあんた全部吸うでしょォオオオオオオオオ!?)
ハチエがハルマサの首に顔を近づけてこようとするのをハルマサは必死に止める。しかし、力の差は歴然だった。
「ま、負けるかぁああああああああッ!」
―――――――「剛力術」ッ!
ずん、とハルマサの手が太くなり、3倍になった筋力がハチエさんの顔面をしっかりと受け止める。かと思いきや全然そんなことはなかった。
ハチエの筋力は、ハルマサの10倍はあるのだ。
グググググググ、とハチエさんは近づいてくる。
(こ、ここで死ぬのか……!?)
「なんか大変そうッスねぇ……これは桃色的な何かで?」
「2号さんがいたー!! そうです! その通りです!」
「そうッスか。えい。」
ぱよえーん!
2号さんの腕から謎の効果音(というか人の声)と共に、光が飛び出した。
「なんや、邪魔せんと……」
パタリ。
それはハチエさんを包みこみ、彼女の意識を失わせた。
「これぞ必殺、「ラリホー」ッス。」
(ラリホー強ぇ……!)
こんなの、敵に使えたら速攻で勝てるじゃない!
「さ、今の内にシュッとやってしまうッスよ!」
「そ、そうですね!」
こうしてハチエ騒動は幕を閉じた。
ハチエさんは中々目を覚まさなかった。
そして閻魔様は目の前の騒ぎにも眉一つ動かさなかった。
閻魔様とハチエさんが黙ってしまうと、横でヘラヘラしている2号さんしか話せる人が居ない。
というか口を開くのも憚られる状況である。
そんな重たい空気を促進させるような声で、閻魔様が喋りだした。
「ハルマサ」
「は、はい!」
「私は今機嫌が悪い」
(見たら分かります! でも言えない!)
閻魔様は心底不快そうに続けた。
「だが喜べ。忌々しいことに、次の階層の情報がもたらされた」
「(忌々しいって……閻魔様が喜んでくれないと、僕も喜べませんッ!)」
≪マスター! いいコト言っているのに声が小さいです! 張って張って!≫
「お前に言っておくから後でハチエにも伝えておけ」
サクラさんのアドバイスはありがたいけど、僕には無理だ。空気が重いもん。
閻魔様は葉巻を灰皿に押し付けて、言葉を続ける。
「第四層はポケットモンスターというゲームがテーマらしい。街から街へと移動するものだそうだ。……チッ」
なんで今舌打ち入ったんですか閻魔様。めっちゃビビるんですけど。
「以上だ。キサマラの健闘を祈る」
そう言って閻魔様は再び判子押しに戻った。
それにしても、閻魔様も持て余すような感情って凄いな。だけどもしかしたら、僕が力になれるチャンスなのかも知れない。
「あのッ!」
「……?」
疑問を浮かべる閻魔様にハルマサは宣言した。
「僕頑張ります! さっさと四層クリアして、そのお姉さんのプレイヤーに追いついてキャーンて言わせてやりますよ!」
閻魔様は面食らった顔をした後、少し笑ってくれた。
「ああ。期待しているぞ、ハルマサ」
もうその言葉だけで宇宙に飛び出せそうなハルマサだった。
ダンジョン入り口に送ってもらう前に、4号さんに一つ頼み事をされた。
第四層から、ずっと帰ってきていない人物に関してだ。
「きっとハチエみたいに困っていると思うのです。どうか力になってあげてください。彼女の名前は白根アオイです。目つきが鋭いですが、優しい子ですので。」
「はい、わかりました」
「それと……」
4号さんはいまだに眠ったままのハチエさんを横目で見つつ、声を落とした。
「ハチエのこともお願いしますね」
「僕に出来ることなら全力でやりますよ!」
「ふふっ頼もしいです」
4号さんはふんわりと笑う。
これが、口でツーン! とか言っていた人なのだから、話してみなければ人のことは分からないと痛感させられる。
何はともあれ、ダンジョンに出発である。
【ダンジョン入り口】
ダンジョン入り口には広い広い荒野が広がっている。
草原であったここを、ハルマサがライフドレインで見渡す限り死の荒野に変えてしまったのだ。
そこにハチエを背負ってハルマサは立っていた。
「ほら、ハチエさん、もう朝ですよ」
「ううう……二日酔いや……お水欲しい…」
彼女は昨日の夜、家族で酒盛りをしてからの記憶がないらしい。
どおりで髪の毛がぼさぼさなのだとハルマサは思った。
まぁ暴走した記憶もないようなのでハルマサ的にはグッドである。
ハチエが二日酔いから回復するまでに時間がかかりそうだからちょうどいい。
閻魔様の話を伝えておこう。
「ポケモンか……どうせまたありえへんほど強いんやろな」
「小さいのも多いからやりにくそうだね」
「可愛いやつが多いのもきついで」
「楽な階層だったらいいなぁ……」
「ありえへんやろけどな」
まぁ全ては行って見れば分かることである。
二人は頷くと、同時に立て札のキャシーへと指輪を叩き付けた。
<つづく>