<157>
ピー、と電子音が響く。
それは彼が生まれ変わった音でもあった。
ばちん、ばちん、と体を留めていた拘束具が弾け飛ぶ。
「人工筋肉は問題なく稼動中じゃ。動力も順調じゃの。間接は動くか?」
体は重く、硬かった。
ぎしり、と軋む腕を使って、夜川丈一は体を起こした。
手術台のような硬いベッドの上で、頭に張り付いていた電極を取り去る。
続いて、体中にスパゲティのように繋がれていた大量のチューブを一つずつ取り去っていく。
床に脚を下ろすと、ガツン、と音がした。
「調子はどうじゃ?」
傍らにいる、白衣を着た白髪のじじいが言葉をかけてくるが、夜川は聞いていなかった。
体のうちから湧き上がる喜びに打ち震えていたのだ。
これで、あの憎きハルマサをボコボコに出来る。
くくく、と口から笑みがこぼれた。
彼の首から下に、昔の彼の名残は無い。鋼鉄に覆われて鈍く輝く体が、そこにはあった。
つるりとした華奢なフォルムとはかけ離れたパワーが体の中で踊っている。
ついには高笑いをしつつ、夜川は叫んだ。
「ハーッハッハッハッハッハッハッ! ―――――――オレは、人間を止めたぞぉ! ハルマサぁ!!!!!」
改造人間夜川の復讐(というか逆恨み)が成就するかどうかは、まだ、誰も知らない。
閻魔様は機嫌が悪かった。
「すまんが、私は今機嫌が悪い。話しかけるな」
自分で言いもした。
相変わらず姿は美しかったが、イライラと葉巻を吸い、書類に判子を押す手を片時も止めず、ハルマサたちの方を見もしなかった。
そんな放置プレイをされるとM心が疼いて仕方ないハルマサは、変な性癖がこれ以上増えても困ると、傍らで暇そうにしていた2号さんに尋ねた。
2号さんも相変わらず髪の毛がファンキーな色であり、服装はチャラチャラしていた。
「あの、何があったんですか?」
「実はッスね、ライバルにやられてしまったんッス」
実は話したくて仕方なかったのか、2号の食いつきは凄かった。
「……ライバル?」
「そう、それは去ること230年ほど前のこと――――」
2号さんは当時を思い出すように空中へと視線を向ける。
230年前は神様が創ったダンジョンがまさにクリアされようとしていた頃だったらしい。
閻魔様は後進組みだったが、破竹の勢いでダンジョンを攻略して行き、まさに後一歩で秘宝に手が届くというというところまで行った。
その時お供に付いて行っていたのが2号と、ハルマサはあった事が無い、武闘派の1号である。
最下層のボスは、多人数参加型のボスで、他の閻魔のチームも参加していたとか。
「……他の閻魔ってなんですか?」
「ん? ああ、閻魔様の担当地域は決まっているんス。流石に世界中の人間を裁くわけにもいかないッスから」
で、問題はその他の地域の閻魔―――――琉球担当だったらしいが――――が最後の最後で裏切りを見せ、秘宝を独り占めにしてしまったことらしい。
「まぁダンジョンの中は無法地帯で、やることはプレイヤーの良識にかかっているところもあるんで、仕方の無いことではあるんスけど、閻魔様はそれ以来すっかりあの人と対立してしまっているんスよ」
あの人、とは妙な言い方をする、とハルマサは思った。
少なからず、敬意のようなものが感じられたからだ。
「あの人というか、実は閻魔様のお姉さんなんスけどね」
そうですか。
姉妹って大変なのかな。ていうか閻魔様一体何歳?
「で、閻魔様の反発を受けて向こうも張り合いだしたのが、今回のイライラの原因ッスね」
「どういうことですか?」
「閻魔様のお姉さんのところのプレイヤーが、第四階層を突破しちゃったらしくて。それで昨日延々と自慢されてあんなんになってるんス」
「うるさいぞ2号ッ! あんなんとはなんだ!」
「なるほど……いやよくは分からないですけど」
「第四階層に到達するのはこっちが先だったんで、余裕綽々だったんスけどねぇ……」
「そうですか……」
閻魔様を盗み見ると、閻魔様もコッチを見ていたらしく、目が合った。
そっとウインクしてみた。
「ウインクをするなッ!」
ブレスレットをしているから大丈夫なのに、と理不尽に思いつつ、怒られてシュンとしていると、執務室の扉が開いて、ハチエさんが飛び込んできた。
満面の笑みを浮かべている。
「どぅやハルマサッ! 何か気付くところはあらへんか!?」
うわぁメンドクセェ、そういう質問は恋人にしてよと思ったハルマサだが、ハチエの姿を見て気付いた。
「なに……Cカップ……だと!?」
「なんでカップまで分かるねんこのスケベ!」
言葉とは反対に、嬉しそうにしながらハルマサの頭をペシペシと叩いてくる。
ハチエの胸が、前よりもTシャツの生地を押し上げていた。Bカップだったはずなのに。
ハルマサアイにかかれば、トップとアンダーの数値を読み取れることなど造作も無いので間違いないはずだ。
「しかしその通りやでハルマサ君! ウチもついに巨乳の仲間入りや! いやぁ長かったでぇ……。ダンジョンに入る前は抉れ胸って言われとったからなぁ……」
感慨深げに自分の胸を触っているハチエさん。
巨乳というにはまだ早いとハルマサは思ったが、時たま賢明になる彼はその言葉を口にせず、違うことを尋ねた。
「もしかして、それが階層クリアの報酬?」
「そうですわ。良く分かりましたねハルマサさん」
ハチエの後に続いて4号さんも入ってくる。
相変わらず清楚な出で立ちだが、先ほどハチエに引っ張られて退場した時よりも明らかに疲労していた。
彼女が豊胸術を施したのだろう。
一分少々の時間でワンカップサイズを増やすとは、恐ろしき技である。
「ん? 用事は終わったンすね。じゃあハルマサ君を送るッスよ。ハチエさんはどうするんスか? 希望するなら一緒に行くくらいは出来るんスけど」
「送るって、どこに送るん?」
現世に送ると言う話をすると、一も二も無く、行きたいということだったのでハチエさんも付いてくることになった。
「多分、帰ってくる頃には閻魔様の機嫌も直ってるッス。自分ではどうにも出来ないみたいで。嫌わないで上げて欲しいッス」
「そんな、閻魔様を嫌うなんて、天地がひっくり返ってもありえないですよ」
「相変わらず素晴らしいお乳してはりますしね」
ハチエさんの言葉に激しく同意だが、閻魔様の魅力はそれだけではない。
切れ長の瞳に見られればテンションが上がり、ふっくらとした唇が微笑を見ればテンションが上がり、もうとにかくテンションが上がるのだ。
細い葉巻をくゆらせている姿もまるで一枚の絵のようだ。そしてその性格はまるで慈悲の神の権化のようであり、かつて迷えるハルマサの心を救い出してくれたのだ。
彼女が目の前にいるだけで、ご飯が5杯はいける。
ハルマサは叫んだ。
「ここに白米を持てぃ!」
「と、突然どうしたんハルマサ。カッコイイようでいて実はちょっとキモイで」
「へへへ、テンションが上がっちゃって」
ぐだぐだ話していると2号さんの準備が出来たらしい。
「じゃ、二人とも準備はいいッスか? いくッスよー。そぉーれっ!」
てきとうな掛け声と共に、ハルマサたちは意識を失った。
ハルマサたちを送った後、2号は呟いた。
「……あれでよかったんッスかねぇ? 閻魔様が器の小さい人って誤解されてしまったかもしれないッスよ」
「でも、ハルマサさんたちを侮辱されて腹が立っているなんて、本人の前では言えないんではなくて?」
「閻魔様、身内には優しすぎるところあるッスからねぇ。オレッちが拾われた時も……」
「おいそこ! グダグダ言わずにさっさと仕事に戻れ!」
「は、はい!」「はいッス!」
バタバタと駆け出していく二人を見送った後、閻魔はため息を吐き、姉のことを思い出してイラッと来たので葉巻を深く吸い込んだ。
ハルマサとハチエは、気付けばハルマサ宅の前にいた。
「ん? もう着いたん?」
「そうだよ。ここが僕の家。えーと、午前5時38分です。今日は日曜日か」
「あ、ハルマサの名前や」
表札に書かれた佐藤の字の下の母さんの名前の横に、いまだにハルマサの名前がある。
それを見てハルマサは少し嬉しくなった。
ここに帰ってきてもいい、と言ってもらえている気がする。
隣を見れば、ハチエさんが家を見上げていた。
「ほぉー。二階建てのええおウチやね」
「うん。住み心地はいいよ。ハチエさんの家は?」
「ウチ? ウチの家は平屋やってん。狭いところで兄弟の二郎と三郎がいつもうるさくケンカしよるし、カズエは母親通り越して婆ちゃんみたいな貫禄持ってみんなを厳しく躾けようとするし、四郎も五郎も嫁さん連れ帰ってさらに部屋狭くしよるで、最悪やったわ。一番仲が良かったのはシチエやなぁ。でも一番ケンカ強いのシチエやねん」
「でも」の意味が分からない。ていうか皆名前のつけ方が安易である。
「……兄弟が多くて楽しそうだね」
「そうでもないんやけど……8人おってな、ウチ末っ子やねん」
ハチエが肩をすくめる。
「へ、へぇ……会いに行かなくても良いの?」
「後でエエわ後で。それよりもウチ友達の家に入ったことないねん! ハルマサの部屋どんなんか気になって仕方ないで!」
「あ、あんまり面白いものはないよ?」
エロ本も片付けたし。パソコンも破壊したし。
ハチエと喋りつつ家に入ろうとして足を踏み出した時、ハルマサは後ろに足音を聞いた。
振り返ると、予想した顔があった。
夜勤明けなのだろう。疲れた顔をしており、どんな仕事をしていたのか、血の匂いをさせていた。
そして、少し痩せていた。
だが、間違いなくハルマサの最愛の母だった。
「ハル、マサ?」
「うん。ただいま、母さん」
「――――ッ!」
ぎゅう、と抱きしめられる。
ハルマサも大事なものを包むように抱きしめ返した。確かに母さんがここにいる、とハルマサは思った。
そうしていると、ほたり、と頭に温かい雫が落ちる。
「おかえり少年。無事でよかった」
「うん」
「本当に、よかった」
母さんからはこの世で一番安心できる匂いがした。
<つづく>
ロボ夜川(笑)