「地方妖怪マグロ。人間との適応を望み、現代社会に上手に溶け込んだ知性派さね」
いろいろあったけど土曜日。つまりは乙女さんの引っ越しの日である。
「でも上司からの抑圧など、人間世界のしがらみにムカついて弱い者いじめをしてはスッキリして帰っていく狡猾な妖怪さ」
比較的あっさりと決まった乙女さんとの同居は、実はスバルにしか伝えていない。
なぜってもちろん俺一人で抑えきる自信がないから。
嫉妬パワーなフカヒレと野獣と化したカニは果てしなくめんどくさい。乙女さんの暮らす前の部屋を荒らされでもしたら厄介なので、スバルに奴らを引き付けてもらって事後承諾といこうと考えたのだが。
「微妙に共感してしまうな」
「いや、ダメダメだろう」
あの男、盛大に裏切りやがった。
「レオ、どうしたんだ?窓の外を見てため息なんてついて」
そこで不思議そうな顔をして顔を出す乙女さん。ちなみにまだ引っ越し業者が来ていないのでダイニングにてお茶&雑談タイム中だった。
レオが窓の外を見た理由は簡単、外がやけに騒がしかったからである。
外を見れば予想通りの三人組。
スバルに恨みがましい視線を送れば遠目からウインクなんて飛ばしてきたがった。
「一緒にゲーセンでも行ってろって言ったはずなんだけどな……」
「む、お前の幼馴染か?」
「そんなとこ……認めたくはないけれど」
背後から顔を出して窓の外に目をやった乙女さんがキョトンと首をかしげる。その子供っぽい仕草に、今までの凛々しいイメージがちょっとだけ上書きされた。
立ち上がり、すぐ隣まで来て窓の外を不審そうに眺める横顔は、改めてみればやっぱり美人である。
姉補正姉補正、と心の中で唱えて一瞬抱きそうになったナニかを抑え込んだ。先行きが不安です。
「なんだ?あの恰好は」
「地方妖怪マグロ」
「不審者だな」
むんっ、と気合を入れて撃退に行こうとする乙女さんを慌てて制止する。
「ちょ、ちょいまった」
「どうしたんだレオ、ああいう手合いには最初が肝心だぞ」
何気に恐ろしいことを言い始めた乙女さんを何とか押しとどめると
「実はかくかくしかじかでして……」
「お前が何を言っているのか全く分からん……」
お約束、とでも思ってもらいたい。
諸行無常と書かれた布をかぶり、やけにエキサイティングな動きで怒りを表現しているカニを見ながら事件のあらましを説明する。
「朝起きたら湿り気のある中庭に放置されていた。理由はこれだけで十分ですよ!あいつはもっとボクを……」
「いい加減深夜までいて邪魔だったので」
「事情は分かった。あの不審者の中身が蟹沢だということもな。だがレオ」
呆れたように話を聞いていた乙女さんが一転、厳しい目をしてこちらを見た。
自動的に直立不動。我が脊髄は彼女のひと睨みを反射が必要な危機と認識したらしい。
「はい、なんでしょうか!」
「仮にも幼馴染の、それも女性を深夜に庭先に放置するのは感心できないな」
実にまっとうなご意見である。しかし相手がカニなので意味はない。
さらに言うと相手がカニなので意味はない。
全く受け入れるつもりのない説教は聞いていても時間と気力の無駄である。っつーことで乙女さんにはさっさとカニの鎮圧を頼みたいと思う。
「蟹沢の方にも落ち度はあったといっても……」
「乙女さん乙女さん、カニが不法侵入してくるよ」
「む、まずはそちらが先だな。いくら勝手知ったる家だからといっても無断で入るのはいただけない」
「いってらっしゃ~い」
颯爽とした背中を見送ってニヤリ。
どうやらちょうど玄関先で遭遇したようである。音の感じからして庭に移動か。なんかデジャヴ。
「消防署のほうから来たぜ!!!」
「こらっ、蟹沢!!」
「で、でたぁ~~~!!!」
どすんごしゃんどどどどんがらがっしゃん
聞こえてきた音はこんな感じ。合掌と十字とか適当にやってカニの冥福を祈る。2秒くらい。
ぴんぽーん。
「あ、はいそうです。ご苦労様です。とりあえず一通りそこの部屋にお願いします」
カニがおそらく吹っ飛ばされたであろう音を尻目に引っ越し業者の相手をする。
とはいっても人ひとり分の荷物はそれほど多くはない。作業をする人も二人で、両手で数えられる程度の段ボールにベッド、ソファー、机などが続々と運び込まれる。
「段ボール類はそこにまとめておいてください。ベッドはとりあえずそこに、机とソファーはそこにお願いします」
てきぱきと荷物を処理していく引っ越し業者の人。その丁寧な態度ときびきびとした動きに好感が持てる。
最近暖かくなってきたので冷たいお茶なんかを出してみたりなんかして。
「お茶入れましたんでお急ぎでなければどうぞー」
「すみません、いただきます」
「やっぱこの時期って引っ越しは少ないんですか?」
「いえいえ、そんなこともないんですよ。6月は結婚の時期でもありますからその前後は」
背筋を伸ばして椅子に座る引っ越し業者の人。ちなみに外見から30歳前後と見た。
そこに一通り出たごみなどを片付けてきた比較的年若い作業員の人がその隣に腰かけた。
「あの……荷物にあった細長い包みなんですが、い゛っ……!」
「はははははは、申し訳ありません新人でして、お客様のプライベートはもちろんお守りいたします」
鈍い音と共に強制的に閉じさせられたと思われる口。どうやら机の下でささやかな暴力が振るわれたらしい。
見てみぬふりをするのも大人の対応である。
そして脳裏に浮かぶのはあれである。アレ。ほら、なんか所持に登録証とか必要で生半可な持ち運び方をすると捕まるなが~い刃物。
「大丈夫です、違法性はない……と思います」
「それって……」
「あんまり長居させていくのもなんですから、そろそろ私たちはこれで。この度は我が社をご利用いただきましてありがとうございました」
「ご苦労様です」
年若い彼がさらに何かを言おうとした瞬間崩れ落ちた。
もう片方の作業員はきっちりと礼をするときびきびとした動作で後輩を担いで立ち去っていく。
まさか寸勁か。
明らかに見えるところで行われていたカニと乙女さんのやり取りもきっちり無視して淡々と作業を終わらせたその貫禄。やけに濃いくせにまっとうなキャラだったので再登場が望まれる。だがたぶん超モブはもう出ない。
「んで、どうなったのよ」
「テンパったカニが襲い掛かって返り討ち」
スバルに経過を聞けば即座に帰ってくる予想通りの結末。
さすがに目を回しているカニは予想外だったけれども。何が起きた。
「やりすぎに見えるんだけど……」
「マグロの布使って下手に視界遮っちまったからな。いい角度で入ったんだと」
「なるほど。で、今は気絶したカニを放置して事情の説明中と」
美人で強い、という属性からかやけに殊勝な態度で事情を聴いているフカヒレだった。
だがよーく見ると目の奥のほうに嫉妬の炎が垣間見える。だから全部終わった後に突然知らせて有耶無耶にしようとしたのに。
「スバルは知ってたの?」
「ああ、お前らの相手が面倒だからってな」
「それで裏切られてこのざまだ。笑えよベジータ」
「あーっはっはっは!!ごふぅ!!」
乙女さんの容姿が原因だろうが、必要以上の感情をこめて笑いやがったフカヒレにいい感じの一撃を入れてやる。
最近微妙に受け身が上手くなってきたフカヒレは衝撃を受け流すためか、自分からスピンしながら吹き飛んでいった。
「レオが笑えって言ったんだろ!」
「ごめん、いざ笑われてみると思った以上に不愉快だった」
「お前ホント自由だよな……」
いや、お前には負けるよ。
「ここも埃がかぶってるじゃないか」
知らせてしまったものは仕方がないので、幼馴染ズには歓迎会に食うものの買い出しを頼んだ。
とりあえず酒とか問題になりそうなものは買ってこないことだけを言い含める。
で一方の対馬家在住の二人は長らく使われていなかった部屋の掃除&荷物の整理である。
「言い訳させてもらうけど、長らく人が使ってない部屋なんだから床と棚の埃をどうにかしてただけだよ」
フローリングならクイックルワイパーが火を噴くのだが、客間は畳である。つまりはそういうことだ、わかるな?実は畳用もあるが気にしない。
「レオ、窓を開けてくれ。荷物を整理する前に掃除してしまおう」
「了解。乙女さんのもの以外もともと物もないからちゃちゃっと済ませますか」
窓を開けて埃を払って、最後に床を掃除するっと。
うわお、でかい蜘蛛!
美少女になって恩返し的なものをしてくれることを期待しながら、開けた窓から逃がしてやる。長生きしろよー。
「何してるんだ?」
「一つの命を想ってた」
「またわけわからんことを……」
「それを愚かというか!」
「レオ、雑巾取ってくれ」
「はい」
無視である。シカトである。アウトオブ眼中(死語)である。
今日の朝から我が家に着た乙女さんは、先日のこともあってかどうも他人行儀というかよそよそしいというかそんな感じだったので。
「姉弟なら一緒に寝たりとか風呂に入ったりとか、ちょっとしたスキンシップとか常識じゃね?」
「覗きなら目を、セクハラなら指を、夜這いなら男をなくすと思うんだな」
とかひたすらアホなことをやって乙女さんの遠慮を取り去ろうと努力してみた。
狙い通りのはずなんだけど、なぜか我が姉からの弟の評価が底辺まで落ち込んだような気配を感じている。
そのせいでツッコミ待ちはスルーか、さらなる天然ボケでカウンターを食らうというレオにとってみれば完全にキャラを食われた状態に移行してしまった。
それでもカニなら、カニならきっと何とかしてくれる……!
「!」
雑巾を受け取って狭い部分にもぐりこんだ乙女さんの綺麗な足が3Dで大迫力だった。
触りたい、と思うより先に近づいて息を吹きかけたくなるのは自分が変態なだけだろうか。そしてこの場合は何フェチになるのだろうか。
「ぉぉぅ……」
その次は目の前で揺れる引き締まったお尻。
電車で思わず女性に手を伸ばしてしまう痴漢の気持ちが分かった気がした。
「乙女さーん」
「どうかしたか?」
不要になった段ボールを潰したりしながら、いかにも興味がなさそうな声を意識して言ってみる。
「その健康的な白さがまぶしい足とか触っていい?」
「指の骨がいらないのならばいくらでも触っていいぞ」
若干低くなった声が恐怖をあおる。背後からビシビシと感じるオーラか何かが言っている。『ここで死ぬ定めだ』と。
だが女性としてその反応はいただけない。さらに年上の女性なら「……じゃあ、触ってみる?」とスルリと衣服を脱(ry
「もうちょっとさ、顔を赤くして恥じらうとかそういう男心に響くような反応が欲しいのです」
「セクハラまがいのことしか言えない口はこの口か……?」
「いだだだだだだ!!」
用済みの雑巾をバケツに放った乙女が素早くレオの頬をつまみ上げる。むしろ捻り上げると言わんばかりの痛みが襲った。
ギブギブ、とレオが乙女の肩を叩けば「やれやれ」とでも言いたそうな態度で解放される。
「まったく、お前は失礼だ」
「何も言わずムラムラされてるよりマシでしょ。乙女さん強いからか知らないけど、若干ガード甘めだよね」
「む……」
ちょっと気になったことを指摘すれば、思い当たる節でもあるのだろう、言葉に詰まる乙女さんというレアっぽいものを見れた。
もしかしたら付き合いが浅い自分が見ていないだけなのかもしれないが。
「まぁいいや、夕飯前にさっさと終わらせよう」
「私は掃除を続けている。お前が不埒な考えをしているから作業が進まないんだ、スケベめ」
「おっしゃる通りで」
乙女の色香に惑わされ、思わずくだらないことでごまかしたレオと、レオの頬をつねった以外黙々と作業を進める乙女とでは明確な差があったのだった。
というわけで乙女さんの歓迎会である。以下省略。
「お前の瞳は綺麗でうらやましいぞ」
「乙女さんってさ、なんかカッコいいね」
「このカニ単純すぎる……」
「かくし芸いきまーす!レオのマネ!」
「カニじゃあ俺のニヒルな魅力は再現できてなかったな」
「そうか?雰囲気がよく出ていたぞ蟹沢」
「色恋沙汰に縁がありそうなの?スバルくらいっス」
「オレはお前らと一緒にいたほうが楽しいからな」
「フカヒレと一緒にしないでよね。ボクはこの愛らしさで男には不自由しないのさ」
「同じ男とデートを2回以上したことがないくせに何言ってやがる」
「それはボクのコンスタントにかなう男がいないだけ」
「意味は似たようなもんだけど、たぶんそれコンタクトで、正しくは眼鏡な」
「そしてレオは姫とただならぬ関係」
「なんだってぇ!?」
「なんでカニが切れるんだよ、ここは普通当人の俺だろ。なぁあフカヒレぇぇぇ?」
「ちょ、マジ切れ!?」
「坊主、落ち着けって。仲のいい女子のことで茶化されて意識してる中学生みたいに見えるぜ?」
「そうか、レオは姫と仲がいいのか」
「ねーよ。奴は俺の敵。仲の良さをたとえるならノーロープバンジーに誘った挙句に相手だけ突き落とそうとお互いたくらむ仲」
「どんな仲だ……さて、宴もたけなわだ、私が手品を披露してやろう」
「待ってました!」
ナチュラルに片手でリンゴをつぶしたりとネタに事欠かない乙女さんなのであった。
まぁわかっていたことではあるが惣菜祭りである。そして酒もない。
それでも、会ったばかりの人と一緒に過ごして楽しいと思い、違和感を感じないというのはきっと幸せなことなのだろう。
これなら大丈夫そうだ。
遠い昔に無くしたものをつかみかけて、それが手をすり抜けていく感覚が何故か心地よかった。
「お前たちは本当に仲がいいな……」
やかましく騒ぐ馬鹿どもを見ながら、不意に乙女さんが口を開いた。
「月曜日の放課後に待っていてくれ、行先はお楽しみだ」
その何かを含むような発言に皆こぞって用事を聞こうとしたのだが「秘密だ」と、年上の余裕を見せる笑顔で言われてしまうとそれ以上聞くわけにもいかなかった。
あれ、何かフラグたった?
「それにしても対馬ファミリーと来たか。これはちょっと盲点だったかな」
「私は彼ら4人を執行部のメンバーに推薦する」
というわけで連れてこられました学食。そこにいたのは霧夜エリカと佐藤さん。
そしてなぜか生徒会執行部に推薦されているという、フラグも何もあったもんじゃない唐突な展開に頭が付いてまいりません。
が、そんな思考停止状態の脳みそとは裏腹に彼の口は自動的に答えを吐き出していたのだった。
「だが断る!」
レオが脊髄反射で拒否してからひと騒動あったのだが、幼馴染の面々もめんどくさいとかいった理由で乗り気ではなかった。
ということで仕事場環境を見せるという名目でやってきました生徒会室通称『竜宮』。
一戸建てで一階は物置、二階は台所や漫画、寝る場所まで完備した実に都合の良い場所だった。
ちなみに乙女さんは「さっき見たら弛んでいた」という理由で拳法部に喝を入れに行った。
これでもかと見せつけられた好待遇にカニやフカヒレはともかく、スバルまでがやや乗り気である。
そんな幼馴染にあせったレオは、ソファーでくつろぎながら執行部参加を阻止しようとあがく。
「っていうか他にメンバーくらいいただろ。知らんけど」
「確かいた。3人くらいいなかったっけ?」
「目障りなんでクビにしちゃった」
さすが校内情報に詳しいフカヒレである。執行部が何人だったかなんて初めて知った。
そして知らされる驚愕の事情。
どこまでもやりたい放題な霧夜にげんなりしてしまう。
「超やる気減るんですけど」
もはやエリカの方に視線すら向けず、すでに断る前提で話を進めるレオ。
といっても彼は先ほどから常にこんな態度なので誰も気にすることはなかった。レオ拗ねる。
そして密かにそんなレオに良美が怪しい視線を向けているのはご愛嬌。
「おいおい、勝手にクビにしちまったらまずいんじゃないか姫」
「知らない。私の決めたことは絶対だから」
呆れたようなスバルの発言にも全く動じずに唯我独尊を貫く霧夜。
はたから見ている分には面白いのかもしれないが、そんな人物の下に就くなどゾッとしない話だ。
「よし、帰る」
「待ちなさい」
驚いたことに引き止められてしまった。
霧夜の性格と今までの関係からして、本気で嫌だと言えばある程度譲歩してくれると思っていたのだが。
「だから俺はこんな目立ちそうなところにはいたくないんだよ。どうせ俺たちの執行部入りの許可も『面白そうだから』とか適当な理由なんだろ」
「よくわかってるじゃない。なら、こんな面白そうなこと私が逃すわけないことくらい、予想できるわよね?」
「俺がそう言われたからって素直に聞くような奴じゃないことも、わかってるよな?」
その言葉と共にしばしにらみ合う。
数秒後、霧夜は興味をなくしたようにあっけなく視線を逸らした。
「ふう、まぁいいわ。じゃあ他のみなさんに聞いてみましょうか」
「答えなんて、最初から決まってるぜ!」
「ボクも入る!条件が気に入ったからね!」
餌につられたのか、速攻で馬鹿二人が立候補した。
対馬ファミリーの戦力にならない方から決まるというのも世の中上手くいかないものだ。ふふふ、霧夜め墓穴を掘ったな!
「この単純馬鹿どもをどうにかしてほしい」
「……どこまで力になれるかはわからねぇが、オレも入ってみるかな」
フカヒレとカニの考えることがなんとなくわかってしまう辛さを語っていたスバルがまさかの立候補。
「おい、スバル本気か?」
「まぁな、坊主には悪いけどよ」
「これで3人。対馬クンはどうするの?」
観念しろとでも言いたげな視線が突き刺さる。
だが、まぁ、その程度で意見を翻すような軽い男だと思ってもらっては困る。
「最初から言ってるだろ、俺の意思は変わらんよ」
「む、どうした。もめているのか?」
そこに登場する我らが姉風紀委員長。推薦した本人が来てしまった時点でレオの運命は風前の灯である。
あのどうしようもない強引さが怖い。実力行使とかされたらどうしようか。
「乙女センパイも来たことだし、対馬クンの尋問タイムでも始めましょうか」
不吉な宣告と共に今までの経緯が乙女さんへと説明される。
誰から何を言われても拒否し続けるレオに、さすがに無理じゃね?という雰囲気が漂い始める。
「推薦した身だが、そこまで拒否されていてはしょうがないな。姫、ここは諦めたほうがいい」
「嫌。私が許可したのに断られるのが腹立つ」
「エリー……」
最高に自分勝手な理由でさらに却下されてしまった。
佐藤さんが最大級の諦観を含んだまなざしで霧夜を見ている。こうなったら止まらないんだよね……みたいな目はやめてほしい。
気の毒そうな視線とか別の意味で精神を削られる。無事に帰れるんだろうか。
と、そこで乙女さんが参戦した。
「それにしても、拒否する理由が『めんどくさい』『目立ちたくない』とは……だからお前は根性無しなんだ」
「へぇ、乙女さんは一般人のつつましやかな幸せを否定するんだ」
乙女さんの目にはフィルターがかかっている。
レオはレオだと言ってくれたことは実にうれしいことだったが、さすがにガキのころと変わらないであろう扱いを続けられるのもどうかと思う。
「そうは言っていない。執行部に入ったところで、街に出れば人だかりができてサインを求められるようになるわけでもあるまい」
「そんなことをされそうな当人がここにいるわけだけど。その周辺にいるだけで面倒事がゴキブリみたいに出てくるに違いないのが嫌だ」
「困難は乗り越えてこそだぞ、レオ。そのために仲の良いお前たちを推薦したんだ。やれやれ、そんなことだからお前は昔から弱虫なレオのままなんだ」
「あっそう、そこで『昔』の話題とか持ち出しちゃうんだ」
そこでレオの声が低くなった。
記憶にないといった当人に昔の話題を出してくる、その無遠慮さがレオの怒りに触れた。
「……ね、ねぇ、乙女先輩と対馬君って仲が悪いの?」
「軽くだがマジで怒ってるっぽいな。レオにしちゃ珍しい」
「どーせ家でプリンとか食べられて喧嘩したんじゃねーの」
「うらやましいなーオイ、俺も女の子と甘いものなんか食ってみてー」
外野が何やらうるさい。
佐藤さんがちょっと慌てたような声を出しているがレオには全く気にならない。
幼馴染が何か言っちゃいけないことを口にしかけているような気がしないでもないが気にならないったら気にならない。
ちなみにレオはこの間にも乙女と「俺には俺なりの生き方がある」だの「そういう言葉はそれにふさわしい努力をしたものが言うものだ」だの無駄に口論を続けている。
「ちょっと待って」
「はいはい、なんでしょうか姫!」
「対馬クンと乙女センパイってどういう関係?親戚っていうのは聞いてるけど」
「土曜日から同棲中」
「……え?」
「ワオ、過激」
よりによって一番厄介な人物に知られてしまった。
頭痛を堪えるように頭を抱えたレオは、お互いの主張が出尽くした感のある乙女との口論をいったん打ち切ってエリカの腕をつかんだ。
「よし、ちょっとこっちに来い霧夜。スバルは佐藤さんに説明頼む」
「あいつ必死だよ、みっともね」
「カニは黙ってろ」
はやし立てる幼馴染たちを黙殺して、交渉のために一階の物置へ。
「それで?私は『キャー犯される!』とでも叫べばいいのかしら?」
余裕のある笑みを浮かべながらエリカが薔薇を取り出した。
「思ってもないことを言うな。事情はある程度説明するから、くだらないちょっかい出すなよ」
「それは対馬君の話しだい」
「始まりはな……」
もうどうにでもなれと言わんばかりのしょぼくれた表情で、激動の数日間についてレオは語り始めるのだった。
「……ふぅん。スレンダーな美人と同居で対馬君はウハウハ?」
話し終わった瞬間の霧夜の発言がこれである。
この女頭の中腐ってるんじゃないだろうか。
「俺の話からどうやってそこに行くんだよ。価値観は違うし、助かることも多いけど息苦しさもある。プラマイゼロってとこだよ」
「で、その話を私にしてどうしたいの?対馬君は」
わかっているくせに、わざわざ本人にそれを聞く霧夜は本当にいい性格をしている。
「だから、余計なことをするなって」
「あのね、『あの』乙女センパイで、しかも拳法部所属よ?たぶん館長も承知してるのに私が何をするって?」
「あー……」
呆れたように言われた話の内容に、ガリガリと頭を掻き毟った。
不用意に年頃の男女が同棲とか、そう簡単に許可されるわけもなく。そこに乙女さんの人徳がうかがえるというものだ。
ついでに霧夜が無駄に乙女さんと館長に喧嘩を売る?そもそもそれがあり得ない。
わざわざクラスメイトひとりからかうためだけに、そんな多大な労力を消費するのかと聞かれればやはり疑問に思う。
「今日はやけに余裕ないじゃない。私としては見てて面白いからいいけど」
「言ってろ」
実に苦々しげな表情でレオは精一杯の負け惜しみを吐き出した。
基本的に負け越しが多いこの女との激闘の歴史。このままのコンディションだと不利な気がする。
「で、対馬クンに聞きたいことがあるんだけど?」
「なんだよ」
「なんでそんなに執行部に入りたくないのかしら。対馬クンって面倒事が嫌いな以上に面白いことが好きでしょう?」
「お前相手だったらそれが逆転するだけだよ」
「乙女センパイがいるからかとも思ったけど、遠慮してないし」
「聞けよ」
「答えなさい」
見事に人の話を聞いていない。そのくせ至近距離からネクタイを引っ掴み覗き込んでくる瞳が強い。
何を馬鹿なことを、と思いながらも心の奥底まで暴かれるような気分にさせられた。
十数秒の逡巡の果てに、レオの口がためらうように開かれた。
「……そんなんじゃないだろ」
「何の話?」
いぶかしげな顔をするエリカの緩んだ手元から、つかまれたままだったネクタイを引き抜きながらレオは続ける。
自棄じみた気分によってつい口が滑る。一度滑れば止まらなかった。
「俺とお前の関係だよ」
最初は普通に隔意と敵意、ほんの少しの興味だった。
「こんな馴れ合いみたいな関係じゃなかったはずだろ。笑い話にもならない、一緒にいることが前提の痴話げんかじみた関係ってタマかよ俺たちが」
手加減をしない仲だけど、遠慮だっていらなかった。
「俺はな、あいつらとか霧夜に遠慮して理不尽を自分から受け入れたことなんて一度たりともない。俺は俺だ。言ってやろうか『俺を舐めるな』」
舐めるなよ、霧夜。命令をすれば従う?周りを焚き付ければ俺がなびく?
それともわかりやすい餌をぶら下げて許可すれば簡単に俺が釣られるとでも思っていたのか。
「別にお前のことが嫌いなわけじゃない。だがな、境界線を間違えるな」
そこらの凡百、有象無象と俺を一緒にするな。
面白さ?結構。気まぐれ?実に結構。趣味?それもいいかもしれない。
だが、お前が俺を動かしたいと思うなら。
「俺がまともに向き合いもせずに動かせるような奴だと思うなよ」
暇つぶしに書く落書きか何かのような気楽さで動かせるような、そんな話の内容であり相手だと思われているとしたら。その認識を叩き潰してやる。
キョトンとした顔をしてしばらく見つめあっていた二人だったが、その静寂はエリカの笑い声で破られることになる。
こらえきれずに思わず漏れてしまったようなその笑いは、まさしく失笑とでも呼ぶべきものだった。
「なんだ、対馬クンってそんなことで怒ってたんだ。『俺自身を見て必要としてくれ』なんて可愛いところあるじゃない」
そういう意図はなかったのだが、発言だけ見ればまさしくそんな感じで身もふたもない。
しかめられた顔とかすかに赤く染まった頬。
エリカの笑い声が少し大きくなり、レオは死にたくなってくる。
そんなレオを見ながらひとしきり笑ったエリカは、一息つくとどこか遠くを見るような珍しい表情で話し始める。
「ねぇ対馬クン。私から離れたいんだったら例のデータなんていくらでも使い道があるじゃない?もう1年近くたった。私だって対馬クンだっていくらでも次の手を打てた。これのどこが『一緒にいることが前提の痴話げんかじみた関係』じゃないの?」
今まで考えもしなかったこと。
幼少時代は悩みの種に対して、どんなことをしてでも消し去ろうと、ありとあらゆる可能性を試し可能なすべての手段を用いていたはずなのにエリカに対しては何故。
自分でも気づかなかった心の動きに、反論しようとして失敗したような中途半端な顔をして固まったレオにエリカは笑みを消して言い放つ。
「まぁいいわ。対馬クンは副会長ね」
「おい、俺の話少しでも聞いてたのか」
「聞いてたわよ。でもなんで私が対馬クンごときの意見を聞かなきゃならないの?」
思わず、といった風に抗議したレオの発言は考慮にすら値しないらしい。
ハイ暴走モード突入しましたー。
今度はレオが遠い目をする番だった。そうだ、最近妙な方向性に開花していたようだったから忘れてたけど、『これ』が霧夜エリカだった。
なんて迷惑な。
「対馬クンが断ろうと何しようと、明日には大々的に新執行部のメンバーを発表するわ。最初から対馬クン個人の意思なんて関係ないってわけ」
目がガチだった。
全力を用いてこちらを潰しに来たような威圧感に、何故か安心したのは俺がおかしいからだろうか。
「で、どうする?自分から執行部に入って全校生徒を面白おかしく振り回してみる?それとも逃げる?私と真っ向から対決するならそれもあり」
「生徒会メンバーになるなら、妙なちょっかいから私が守ってあげてもいいんだけど?」
そうやってあくまでも上から目線で言う霧夜に、これからの学校生活を想像する。
霧夜がいて無茶を言い、佐藤さんが常識的なツッコミを入れ、フカヒレとカニが悪乗りをして、乙女さんが行き過ぎたテンションを引き戻し、俺がため息をつく姿をスバルが笑っている。
それはとても、とても楽しそうな日々に思えた。
「だから舐めるなよって言ったろ。まぁいいか、だけど────」
どうせなら、精々引っ掻き回してやるさ。
そんな自暴自棄な考えとと共に口から出た言葉はどこか挑戦的で。
「そう?じゃあ楽しみにしてるわ」
それに応える霧夜も、ムカつくほど普段のような余裕に満ち溢れていた。
そんなこんなで俺は執行部なんていう縁のなさそうな居場所を手に入れた。
どう考えても早まったよなぁ……と、これから何度も何度もつぶやくことになるセリフと共にレオは竜宮の2階へと歩き出すのだった。まる。
あとがき
ちょっとばかり間が空きましたが無事更新。切りのいいところまで書こうとするとどんどん長くなっていくから困る。あと更新しようして感想欄を見てみたら2分前に更新を求められていた。なにか必然的なものを感じる。
さて感想欄でもありましたが、とある人がぎっくり腰になったことでなぜかこの作品が動画化されました。わけがわからないよ!
かなりクオリティが高い動画に仕上がっておりましたので、皆さんぜひ見に行ってください。面白かったら動画作成者様のおかげ、なんかいまいちと思ったら脊髄反射で動画化しにくい文章を構成する私のせいですので。
というわけでまた次回。今まで出番が少なかった人が出る予定。