結局風紀委員に捕縛され、校門の前で説教を受けることに。
カニが全力でケンカ売ったり制裁を食らったり無駄な根性を発揮したりと忙しい。ぼへーっと間の抜けた顔でフカヒレの及び腰などを眺めていると。
「久しぶりだな、対馬レオ」
「へ?」
と不意打ちを食らうことになるわけで。
思わずまじまじと相手の顔を見つめてしまう。綺麗に整えられた身だしなみに抜身の刃物のような美しさ。少なくとも記憶の中にこんな美人さんの存在は確認できないのだけれど。
「本来ならこのような場所ではなく、こちらから話をしに行こうと思っていたところなのだが」
「?」
やばい、全くわからん。
そんなこちらの気持ちとは裏腹に相手は相手でどんどん話を進めていってしまう。あー、この人あんまり人の話を聞かないタイプ……というか相手の表情とかに頓着しないタイプと見た。
見た目通り胸を張って背筋伸ばして生きてんだろーなー。後ろめたいことなんて欠片もねーんだろーなー。とレオやさぐれる。
「こういった状況で話をするというのは少々皮肉なことだが、確かにお前もご両親のお話通り、少々たるんでいるようだな」
「はい」
「む、なんだ?」
先ほどされた説教を参考に挙手。
話を遮られたことに対してか、少々不審そうにしながらも発言を許可する風紀委員長。
「えーと、大変失礼なんですが……顔見知り?」
「!」
「…………」
「お前、本気で言っているのか?」
「残念ながら」
こちらを監視するような視線だとか、ちょいと細かすぎる注意だとかに対するちょっとした意趣返しも込めて肩なんかをすくめてみたり。うわお、綺麗な顔なだけに不機嫌そうな顔がなんて迫力。
「学年も違うし、お前はお前で友人たちと楽しくやっているようだったから差し出がましいマネはすまい、と思っていたんだが」
「えーっと」
「いや、もういい」
そうやって一方的に会話を打ち切られるとさらに気になる。
「やい、黒豆おかめ!!」
「鉄(くろがね)だ。にしても本当にいい根性をしているな、気に入った」
関係を問いただすべきか悩んだのだが、そんな暇もなく涙目から回復したカニが速攻でケンカを売っていた。
案外しゃべるねこの人。説教好きってことだろ、苦手なタイプかも。なんて会話をスバルとかわす。
どうやらきっちり三年生で年上、さらに風紀委員長と簡単なパーソナルデータを把握。さっき通りがかったオッサン(館長)とのお互いよく知ってそうな会話を聞く限りにおいてはたぶん拳法部に所属しているに違いない。
「覚えてやがれ!人通りの少ない所で足音が一つ余計に聞こえたらそれがボクだからな!」
「それどんなオヤシロさま?」
フカヒレの突っ込みもむなしく全力で昇降口に走るカニの背中に弾けた。
どうやら説教も終わったようなので、藪をつついて蛇を出す前に三十六計逃げるにしかず。
その道中声が聞こえたので振り返ってみれば
「姫、生徒会長がそれでは困る!」
「乙女先輩!?マズっ、こんなところで網張ってるなんて!」
「だからやめようって言ったのにぃ……」
そんな愉快な状況が出来上がっていた。
遠くから相手の目を見る→相手がこちらに気付く→m9(^Д^)ぷぎゃー→ダッシュ
「姫、話を聞いているか!?」
「ちょっとエリー」
「わかった今回は私の負け降参そこで遅刻届もらってくる」
「やけに早口なのが気になるが……それでいい。佐藤も姫を教育してくれ」
今日も朝から絶好調でテンションに流されているのであった。
で、昼休み。
復讐心に燃えるカニがフカヒレを引き込んでお礼参りへ旅立とうとしていた。
口からは卑怯上等の悪役で何が悪いな台詞がひっきりなしに吐き出され、さりげなくカニによってトラウマをえぐられたフカヒレは女という存在自体への憎しみと募らせていた。
「女の子は男に尽くすべし!これは古来からの鉄則である!!」
「ま、相手は風紀委員長なんだ。妙なことにはならないと思うぜ?」
「でもスバルあの二人見ろよ……なんかこう、不安になってこないか?」
どことなく楽観してるスバルに対して際限なく盛り上がる馬鹿どもを示してやる。
朝あのあの迫力にはフカヒレが十人いても太刀打ちできないのはわかりきったことだな、それでもなお際限なく上がっていく二人のボルテージがどうしようもない結末を予感させる。
「勘違いしている女には教育してやる!」
「おー燃えてきた燃えてきた。流石女を憎んでることだけはあるね」
「……たぶん大丈夫だろ?」
おい、目をそらすなスバル。
「せめて?は外してくれ」
「よっしゃー行くぜ!あの威張り散らした女がボクに泣いて許しを請うところを想像するだけでテンションあがってくるね!」
そんな保護者二人の心配をよそに、佐藤さんから復讐相手の詳細を聞き出した二人は意気揚々と教室を後にするのだった。果てしなく不安だ。
入れ違いに教室に入ってくる霧夜。
「なんかカニっち妙に殺る気だったじゃない。誰を仕留めに行ったの?」
「鉄先輩だって」
「ありゃ返り討ちか」
思考時間ゼロ秒で出された結論が奴らの完全なる敗北を予感させる。
にしても霧夜にここまで言わせる相手というのが少し気になった。
「完全悪人思考のカニでも?」
「無理無理。さすがに相手が悪いわ」
「ずいぶんよく知ってるような言い方をするんだな」
「そりゃあ私生徒会長よ?それで乙女先輩は風紀委員長」
「……おおっ、そうだった。じゃあやけに詳細なプロフィールを提供してくれた佐藤さんは?」
普段の言動が言動なのですっっっっっかり忘れていた。一瞬の沈黙ののちにポンッと手をたたいたら霧夜の額に怒りマークが出現した。
だって仕方がないじゃないか、集会だって意識飛ばしてるのに普段の言動から生徒会長を想像しろとか無理がありすぎる。興味がないので他の委員会のトップの顔も知らない。
「私は生徒会書記だしね」
「委員会でも霧夜の補佐……」
佐藤さん、なんて不憫な……!と目からこぼれそうになる熱い雫を堪える。上を向いて、歩いて行こう。
そんなことをしていると右肩にギリギリとした痛みが。
どうやら朝の一件も含めて霧夜の許容ゲージが満タンになったらしい。人の肩を握りしめて素晴らしい笑顔を浮かべる金髪美人が一人。
「ねぇ対馬クン、ちょっと私とお話ししない?」
「寝言は寝て言え」
こちとら朝っぱらからテンションMAXで厄介ごとを引き寄せまくってるせいで機嫌が悪いんだよ。
数分後。
「ようカニ、どうだった?」
「……」
見るからにしょぼくれた雰囲気を垂れ流しているカニが教室に帰ってきた。
一方のレオはと言えば同じくテンション急下降といっていい儚げな笑顔でカニを出迎える。その笑顔には、戦いに敗北した男の寂寥感がまざまざと刻み付けられていた。
「目は口ほどにものを語る、だな。フカヒレは?」
「あの女にのされて邪魔だったから置いてきた」
「置いてきたっておい……」
とすると今フカヒレは絶賛説教中だろう。
カニが悔しそうに戦い(笑)の経過を話すのを適当に相槌なんかを打ちつつ聞いてやる。
結論としては、駄目な子ほど可愛い。
某女帝に極限まで削られた心を微妙にいやしてくれる。
そんなおバカなカニにちょっとほのぼのした。
「なんかあの女がレオに話したいことがあるから、放課後に家まで行くって言ってたよ」
「家まで知られてんのかよ……これは本格的に知り合いっぽいな」
「ま、どうせ説教だろうけど。逃げてもいいけどボクは一応伝えたからね」
「嫌いな相手からのメッセージでもちゃんと伝えたな、偉いぞ」
「ガルルルル、子ども扱いすんじゃねー!」
ちゃんと伝言を伝えたカニをなでながらレオは目をそらす。そう、現実という回避不能な壁から。
ピンポーン。
「はいはーい」
一直線に家に帰り、着替えて準備万端な態勢で待ち構えているとちょうどよくチャイムの音が鳴る。
玄関を開ければ朝と寸分たがわずクールビューティがそこにいた。
「上がらせてもらうが、大丈夫か?」
「そりゃ常時人が来ても恥ずかしくない程度には整理してますよっと」
レオはそこで玄関を占領する靴たちを発見。邪魔にならない程度に靴箱へと押し込んだ。
乙女は少々怪訝そうに視線を向ける。
「誰か来ているのか?」
「マイ幼馴染ズの。まぁ遊びに来ることとか泊まることもあるんで。今はいないんでご安心を」
「そうか」
特に会話が弾むわけでもなくレオは普通に乙女を先導して歩く。
ダイニングにある椅子をすすめて、あらかじめ準備しておいた緑茶を入れた。もちろんセール品の安物だ。
「む、わざわざすまないな」
「いえいえ。それで話って?」
「ああ、盟約通り私はこの家で暮らすわけだが、それに関する詳細を詰めておこうと思ってな」
「はぁ?」
説教か何かかと身構えていたレオは、そのあまりにも予想外な発言にスコーンと脳みそを吹っ飛ばされた。
言葉の意味は分かるのに理解と思考が追い付かない。そんな彼を置き去りにして乙女の話はどんどん続く。
「なんだその顔は。私の部屋は一回の客間を使うという話だが……」
「ちょちょちょっと待ってくれよ、いったい何の話?」
「私が卒業までこの家に逗留するという話だ……ご両親から話を聞いていなかったのか?」
「全く、これっぽっちも。何かの間違いだと祈りながら電話してくるからしばらくお待ちを」
その瞬間、レオは光になった。
時差があろうがなんのその、常においてある主要連絡先一覧から両親の連絡先をチェックすると素早くプッシュ。
父親が電話に出た瞬間「何考えてんだ!」と叫んだのは当然といえよう。
数分にわたる会話の末、暗雲を背負ったレオが戻ってきたのを乙女は複雑そうな目つきで見ていた。
当然レオもそれに気づいていたが、まぁ結構な音量で抗議もとい意見を叫んでいたからそれもしゃーない、とか思っている。
「ご両親はなんと?」
「伝えるの忘れてた。まだ子供なんだから保護者代わりに腕の立つ人と一緒に住むといい、だとさ」
ひどい親である。
「問題はないわけだな」
そしてこっちもひどい思考回路をしている。
このままでは押し切られそうだったので、レオは我がヴァルハラ(一人暮らし)を守るために意見を陳情することを決意した。
「どう考えても問題しかないだろ。そもそも受験は」
「推薦狙いだ。もちろん勉強はするが、本家からでは通学に時間がかかりすぎる。その時間を有意義に使いたいのでな」
「年頃の男女が一つ屋根の下。推薦狙いなら余計に問題でしょ」
「もちろん、それは相手がお前だからだ」
何かを含むような言い方に思わず深読み。
いろんなことに対する意趣返しも含めてレオがポッと赤くなっても乙女は完全に無視である。シリアスである。体育会系でもあった。
「血族を大切に、という鉄家の掟もあるがな、幼い頃は一緒によく遊んだものだから面識もあるし、姉弟みたいなものだろう?」
実に男前な理論が展開された。
なぜかレオの脳内には顔に傷のある若頭がボロボロのチンピラに「お前は今日から俺の弟分じゃ!」とかやってる画像が流れた。
いや、どちらかというと江戸時代っぽいしなこの人。などと考えるが、それよりもまず言わなければならないことを伝えなければならない。
レオが乙女と暮らせない。その最たる理由を。
「あ、それなら駄目でしょ」
「何?」
「いや、俺って記憶障害らしくって」
今更どうでもいい話だ。
思春期幼年期に過剰なストレスを与えられたレオの脳みそは、一番手っ取り早い手段を講じたらしい。
つまり、幽霊と出会う以前の記憶がなければ、奴と戦う日々こそがレオの『普通の』日常となる。
奴隷の理論かもしれないが、比較対象を消して価値観を最底辺にまで落とし込んでしまうことでレオは自身の精神を守った。
いつか自分が解放されたとき、風化した記憶として何の感慨もなく思い出せるように。彼の脳は最大の特効薬である時間という名の薬を処方したのだろう。
レオには記憶がない。
幼馴染の3人以外で小学校時代仲が良かった友達すら覚えていない。
レオには自信がない。
自分が本当に自分であるのか。彼には自分の思い出がすっぽりと抜け落ちているから。
だが、レオには友達がいた。
逆説的ではあるが、彼らがレオをレオと呼ぶからこそ彼はレオでいられるのだろう。
「そうか」
適当に、一言二言で説明しただけだが、目の前の風紀委員長は噛みしめるようにそう言うだけだった。
レオがこのことを話した人間のどれにも当てはまらないパターン。
「えーっと、信じられないなら医者の診断書でも見せようか?」
「いや、そういうことじゃない。お前のご両親から頭を下げられてな。『息子をよろしく頼む』と」
「あー……」
乙女のその発言に、レオは複雑な感情を持て余した。
取り合ってもらえなかった幽霊の話、海外赴任。決して仲が悪いわけではないのだが、両親とは若干の隔たりがある。
一緒にいて苦痛に思うわけでもなく、たまに会えばそれなりに満たされ、そしていなくなればそれなりに寂しい。家族愛というものはあるが、彼にとって両親とはそういったものだった。
精神科に連れて行かれたりと、レオの言葉を信じる前にされた対応が原因と言えばいいのだろうか。
「今さら、って言っちゃあいけないかな……」
無言で眉をひそめた目の前の女性からも、このような発言はするべきではないのだろう。間違いなく両親はレオのことを案じているのだし、それに対して文句をつけるような傲慢さを彼は持ち合わせてはいない。
けれど、本当に今さらだ。レオにはもう、両親の存在が必須とは思えなくなってしまった。
複雑な事情があることを察したのだろう、ピンと背筋を伸ばしてたたずむ風紀委員長は一拍おいて切り出した。
「それで、どうするんだ?お前が本当に嫌なら強制はしない。私は今までのような生活が続くわけだからな」
本当に何も気にしていないと、わずかな揺らぎもなく放たれた声は彼女の優しさを十二分にレオに伝えていた。
断ったとしても何の不満もない。お前が本当に嫌なら私は二度とこの話題を出すことはないと。
そんな様子の乙女に、レオはガリガリと頭を掻き毟りながら問う。
「あのさ」
「なんだ?」
「さっきの話題じゃないけど思春期真っ盛りの高校生なんて発情期の猿みたいなもんだろ?俺は男であんたは女。いろいろと問題があるんじゃ?」
「なんだ、そんなことか」
精神的に余裕がないのか、普段より乱暴な口調で問いかけるレオ。逆に乙女は余裕の表情で、そんなことは聞かれるまでもない質問だと一笑に付した。
「だてに拳法部で風紀委員長なわけではない。襲い掛かられても撃退してやるから安心しろ」
はっはっは、と爽やかな笑いと共に繰り出された空突きはレオの眼前でピタリと止まり、一瞬遅れて到来した拳圧がレオの髪を激しく揺らした。
『あいつ』同じ、いい感じの化け物だ。
レオは思わず出そうになるため息を堪えながら言葉を重ねる。
「いや、そういうことじゃなくてさ」
「ん?」
「未遂だって犯罪だから。撃退されたって関係は悪くなるだろうし、結局俺は犯罪者になる」
疲れたようにそう言う弟に対して、乙女はすぐにでも反論しようとして思いとどまった。
彼の主張にも一理ある。一度でもそういったことが起きてしまったら気まずくなるだろうし、なにより記憶のない今のレオにとって、彼が弟だと考える自分の考えに意味はない。
彼女はあくまでも弟と一緒に暮らすために来たのであって、同世代の男と同棲しに来たわけではないのだから。
それでも躊躇いは一瞬。
竹を割ったような性格の乙女は即座に覚悟を決めた。そう、親族を大切に。鉄の一族としてあくまでも誇り高く。
「本当に昔の話だ。今の年齢になったら私たちが共にいた時間など微々たるものなのだろうな」
「まぁ確かに。でも、こっちの『事情』がなくても案外忘れてたりして」
日々適当に生きている身としてはありえることじゃないかな、なんて笑うレオに乙女も苦笑するしかない。
思った以上にデリケートだった話題を少しでも軽くしようとする弟分の気遣いがうれしかった。
「茶化すな。私としてはそれほど重く考えていたわけではないんだ。だが、お前と実際に話してみて思うところはある」
「…………」
「私が想像していたレオには同居を反対する理由が特になくてな。きっちりと経緯を説明して、それからは……恥ずかしい話だが強引に話を進めれば観念すると思っていたんだ」
マジ勘弁。
そんな思いが表情にありありと書いてあるレオ。いや、強引に同居とかマジ勘弁。
「それは、さっきの『性根を叩き直してやってくれ』ってやつ?」
「それもあるが、お前たちの生活態度もそうだぞ。毎日ではないが、遅刻寸前が多い、騒動の中心にはしょっちゅう首を突っ込んでいる、細かな校則違反は数えきれないほど。一般の生徒ならばさして気にもならんのだがな、それが顔見知りというだけで結構目についてしまうものなんだ」
「うへぇ……」
「そんな嫌そうな顔をするな。ちょっと気を付けるだけで済むようなことばかりだ」
「あー、なんか話が脱線してるような気が?」
「む……そうだな。つまり!」
ピリッとした空気が室内に満ちた。
鉄乙女が気持ちを切り替え、本気で対馬レオに向かい合う。それだけで静謐な道場のような空気が室内に満ちた。
思わず背筋が伸びるレオ。
「対馬レオ。いろいろと言ってしまったがお前の根っこは変わっていない。だから私はお前を信じる」
「えーと?」
「私とお前の間で、世間に顔向けのできないようなことは起こらない、ということだ」
穏やかな顔だった。
完全にレオを信じ切って、全幅の信頼を置く。そんな相手の気持ちがありありと伝わってきて、そのあまりの重さに胃が痛くなるレオであった。
重い、重すぎるよママン。
「だからレオ、お前が決めてくれ。何、優しくて美人の姉ができると思えばそう悪くもないだろう?」
ここまで引っ張っておいて、まさかの丸投げである。
そんな台無しなことを思いながらも、ちょっとシリアスな成分の自身に添加することに決めた。
「鉄先輩」
「なんだ?」
「昔の俺に対してよく言ってた言葉とか、ある?」
「む……あるにはあるが」
それくらい鮮明な思い出がある。ついでにこっちが重いと感じるほどの信頼関係があるならできるはずだ!愛は地球を救う!
調子を狂わされっぱなしのレオはもうテンションを上げていかないとやってられなくなっていた。もちろん表面上はおくびにも出さない。
「よし、じゃあそれを俺に対して言ってみてくれ。脳内に少しでも引っかかったら万が一の時に姉補正でブレーキがかかるはず。ダメだったら野獣に大☆変☆身みたいな」
「わかった。ならレオ、立って目をつぶってくれ」
「OK、視覚情報はないほうがいいかも。こう、子供同士が向かい合ってる感じで行こう。ということでいつでもカモン」
できるだけ幼少時代を再現した方がいいだろうと言われるがままに立ち上がって
「よし、いくぞ?…………この根性無しが!!」
「ぐはぁ……!?」
腹部に言いようのない激烈な衝撃をくらった。いや、今絶対少し体浮いたし!
本日二度目の大混乱。大根持った妖精が周囲を踊る。ただし魔法は尻から出る。
「ちょっと待てや!あんた何考えて」「問答無用!」「あっぶねぇ!!!」
会話する間もなく繰り出された追撃に髪の毛が数本犠牲になった。
だからお前は根性無しだというんだーうわー何それ暴論過ぎるー。どかーんばきーんちゅどーん。
女性に手を上げたくない、というか俺の攻撃当たんの?くらいのレベルでいらっしゃる暴君から逃げるべく、狭い場所の不利を悟ったレオは庭へと逃亡。追う乙女。
「絶対自分のこと忘れたのを根に持ってるだろ!」
「まさか。これは……そうだな、だらしのないっ、弟に対するっ、教育だ!ふふふ、私のことを思い出すまでしごいてやるぞ」
「本音はもう少し隠したほうがいいと思うなぁ!!!!!!」
「お前も鉄の一族なら記憶の一つや二つ、根性で取り戻して見せろ!!」
「無茶言うな!!」
恨みの言葉と共に繰り出される攻撃がマジ重い。ありえねー相手手加減してるっぽいのにガード上から浮かされるんですけどー。
避けたり受けたりしつつ、近所に響くヤケクソな怒声と共に無意味な時間が過ぎていくのであった。
「なんでこんな疲れなきゃならねぇんだ」
いろんな意味で疲労感たっぷりのレオは、もう動きたくないといわんばかりの勢いで庭の地面に倒れこんだ。
学校帰りとはいえ、帰宅部のレオが帰ってきてすぐ騒動が起こったからか、すでに空は夕暮れの様相を呈していた。
火照った体と冷や汗を含む水分に冷えた風が心地良い。
そんなレオの横に腰を下ろした乙女が拗ねたように言う。
「……お前が私のことを忘れているからだ」
「理不尽すぎる。っつーか鉄先輩」
「名前で呼べ、レオ。なんだったら昔のように『乙女ねーさん』でもいいんだぞ?」
「この年になってそれは勘弁してもらいたいなぁ」
そんな乙女の言葉を受けて、レオは力の入らない笑いを上げる。
そうか、自分は昔この人のことをそんな風に呼んでいたのか。
「コホン、じゃあ乙女さん」
「なんだ?」
「同居の件なんだけど」
そう地面から身を起こして切り出したレオに対し、まるで親に叱られる子供のように体を震わせる乙女。
そんな様子を見ても無表情を貫く。いや、武士の情けで。
「……お前のことも考えず、私のわがままでこんなことになってしまった。覚悟はできてる」
下手な男よりも男らしい、最初から一貫して変わらないその態度が何故かレオには心地よかった。
そのまっすぐな視線から目をそらし、空にはばたくカラスなんかを眺めながら郷愁に浸る。
「俺さ、記憶をなくす原因ってのに心当たりがあって。その心当たりっていうのが……なんていうかな、すごく理不尽なことだったんだ」
「…………」
あの神社は幽霊が出そうだと噂されていた。だからこそ夜に肝試しに行く人間は多かったはず。
それでも、ターゲットになったのはレオだけだった。
「道を歩いていたら突然、なんてくらいの理不尽で俺は、まぁ、こんなことになってさ。だからかなぁ、理不尽っていうか問答無用っていうか、そういう状況が大っ嫌いで」
本当なら、霧夜だってむしろ憎しみを込めて見ていてもいいはずなんだけど。
『たかが』他人の身勝手ごときが、俺の人生を左右するな。自分に襲いかかった不幸と、全力で拮抗していなければ何かが崩れる。そうやって自分を守らなければやってられない。
それがガキの我がままであり、くだらない意地でしかないことは社会人を間近に控えた今十分に理解しているのだが。
「今だってそういう状況なはずなんだ。ここで本来なら俺は激怒して乙女さんを家から叩き出していなくちゃならない」
「ご両親の言葉でも、か?」
「両親の言葉だから、かな。だって親から言われてるんだったら俺に選択肢なんてないような状況だし。その結果が暴君の姉ならたぶんマジ切れしてるよ俺は」
「そう、か」
「でもさ、嫌じゃなかったんだ」
「え?」
「嫌じゃ、なかった」
それは嘘だろうと、かすかに目を見開いた乙女は思う。
繰り返し放たれたその言葉は、明らかに自身に言い聞かせるような色を帯びていたから。
夕日で赤く染まった弟分の横顔を眺めながら、声を上げようとした自分を自制する。
「人から親身に説教食らうなんてずいぶん久しぶりで、なんか調子狂ってる感じ。でも、自分が嫌だと思ってることをされてもほとんど嫌悪感を感じなかった自分に驚いてる」
だから、とレオは体を起こして乙女と向き合った。
燃えるような夕暮れの中、幼い頃とは全く変わってしまった小生意気な顔が何故か昔とダブって見えた。
「たぶん乙女さんと暮らしても俺は大丈夫そうだ。選択権はお返しします」
そうやって下げられた頭が、乙女には『あなたのことを覚えていなくてごめんなさい』と言われているようにも思えた。
レオにそういう態度を取られてしまうと、自分のやってしまったことが子供じみた癇癪に思えてより一層恥ずかしい。
「レオ、お前は昔の記憶なんかないというが、それでもお前は昔から変わっていない……心優しい、私が大好きだったレオのままだ」
「へー、根性無しが!って蹴りいれるのが乙女さんの愛情表現なんだー、へぇー」
「ぐっ!」
痛いところを突かれたのか、心臓のあたりを押さえて苦鳴を上げる乙女を横目にレオは赤くなった頬を冷ましていた。
大好きとかまっすぐに言われてみろ、やばい、後頭部に変な汗かいてきた。
いや、それは武家に生まれたものとしてのサガというやつでな……とかテンパってる乙女も似たようなものである。
「だから、お互いを知る意味でも、一緒に住んでみないか?さっきお前が言ってくれた『嫌じゃなかった』という言葉に少しでも本当のことが混じっているなら、姉弟として暮らしてみよう」
「姉、かぁ」
いまいちピンとこない、なんて首をひねるレオに乙女は笑顔をひとつ。
「記憶がなかろうが、私にとってレオはレオだ。苦楽を共にするのが家族だろう?」
「……わかったわかった、俺の負け」
どうもこの人にはかなわない、と降参するように両手を上げて再び庭に倒れるレオ。
自分に対して全力でぶつかってくれる様子は、どこか昔からの付き合いである友人たちを思い出させた。
比べるのは果てしなく乙女さんに失礼であるけど!あのダメ人間たちとは全然似ていないけど!
「引っ越しとかはどうするの?」
「土曜日に業者を手配している」
「何その事後承諾」
「む、結果的にそうなってしまったな。すまない」
乙女さんの話を聞けば聞くほど唐突感が否めない、と愚痴るレオに対して乙女は律儀に謝罪する。
そうなると逆に申し訳なくなるのがレオであって。
「まー、うちのバカ親の責任が大部分だから。飯くらいなら作るけど食べてく?」
「鍛えなおしてくれ、などと言われたから弛んでいると思っていたが……きっちり自炊してるじゃないか」
「乙女さん、俺をどんだけ低く見てんのよ。まぁテスト前に外食とかが増えるのは確かかな」
腹が膨れれば結構どうでもいいタイプのレオであるが、逆に美味しいものにも目がない。
栄養摂取は義務だが料理と食事は趣味だ!と常々豪語している。だから外食も結構好きだし、ネットでレシピもよく探す。
スバルのように人のことを考えた料理ができないのが、やはり趣味でしかないということだろう。
「そう、か。せっかくの申し出だが、今日は話が終わったらすぐに帰るつもりだったから本家に何も連絡していないんだ。一緒に暮らすときを楽しみにさせてもらおう」
若干申し訳なさそうにする生真面目な姉(仮)だった。
「わかった……よっこらせっと」
年寄りのような掛け声とともに立ち上がる。同じく立ち上がった乙女と向かい合うと、レオは手を差し出した。
きょとん、とした顔の乙女に対して笑みを浮かべる。
「握手。これからもよろしく」
疑問は一瞬で、乙女は躊躇なくその手を握った。
夕日を背に浮かべられた笑顔がいろんな意味でまぶしくて、レオは目を細める。
「ああ、よろしくなレオ」
やっぱり、美人には笑顔が似合う。
ゆっくりと楽しくも騒がしい、新たな日常の歯車がそろいだす。
レオはこれからある苦難を全く予想しておらず、まずは部屋にあるいろいろとヤバめなものを隠すところからかなー、と緊張感のかけらもない態度でいたのだった。
「乙女さん、ちょっと忠告」
「なんだ?」
「スカートで蹴り技はあんまり多用しないほうがいいと思うな」
「…………」
「いってぇ!!なんか人体から出ちゃいけない音出たぞ今!」
「……このスケベめ」
「男は皆、変態という名の紳士なんだ」
「こんなことで同居に不安を感じることになるとは思わなかったぞ……」
だから言ったじゃん、男はみんなオオカミですよ。