「対馬クン。あなた、もうちょっといい点数取れるんじゃない?」
記録的な大雪が降り積もったある冬の日、霧夜エリカはそんなことを言ってきた。
1年生にして生徒会長の座をぶんどったエリカの権力により無法地帯と化した生徒会室。通称『竜宮』。
といっても多少私物化されたと言うだけで、弱肉強食に近い竜鳴館ではむしろまともな部類に入る。
代替わりするたびに模様替えという生徒会特別予算が許可されるほどだ。
お茶と茶菓子を御馳走してくれると言うのでホイホイついてきたレオは、佐藤さんが所用で席を外した隙にエリカから妙なことを聞かれるのであった。
「何をいうのだ兎さん」
「私は寂しくて死ぬような性格してないの」
「でも兎って性欲強いらしいけど?」
「それは……っと、これは私が言うべきことじゃないわね」
ふふふっ、と実に愉しげな笑い声を上げるエリカにレオはドン引きである。
そしてその情報に一瞬でも惹かれてしまった自分を恥じる。これが館長の情報だったりしたらレオは血を吐いて倒れることだろう。
「今度は誰の弱みだよ。相変わらずおっかないね」
「ひ・み・つ。で、どうなのよ?」
少々話題は逸れたが、いつものように直球で問いを投げかけるエリカに少々悩んだ。
まぁスタンスは変えないでおこう。そう決心したレオはあくびを一つ。
「カニとフカヒレとスバルを見てそういう結論に至るのは頭がおかしいとしか思えないね」
「だって対馬クン、応用問題とか筆記問題の難しいのが出ると全部空欄で出すので有名よ?その割にその他の問題の正答率が高いから平均点だけど」
職員室の噂だけどね。と続けられたその話に戦慄する。
普通一生徒が教師の間で流れる噂を把握する手段などない。
個人情報がどうのというか、3人いれば派閥ができるのが人間だ。それが顕著な思春期ならば教師たちは気を使っているはずだろうに。
「頭の出来が悪いからひたすら基礎を繰り返しただけだよ」
「へぇ~。じゃあ中学時代のある時期に最下位から華麗なる逆転劇を見せた人っていうのは誰のこと?」
「いやいや、中学時代の内容なんて大したもんじゃないさ。高校に入ってからはレベル高くて困るよホント」
まぁ霧夜だし。とレオは思考を放棄した。
いつものようにニュートラルに。でも遊び心は忘れずにっと。
エリカのことであるからどこまで見破られているか測りきれないレオは、めんどくさそうな目を向けた。
「ま、いいわ。でも対馬クンそのままじゃちょ~っと大変かもしれなかったりして」
「一応聞こうか」
エリカの不吉な前置き。
少しだけ表情をひきつらせながらレオは聞いておくことにした。危機管理って重要ですよね。
「期末考査、全国模試ともに1位、容姿端麗運動神経抜群カリスマ絶大。そんな私とよく一緒にいるところが目撃される男の子だーれだ」
「田仁志くん」
「水槽のタニシはどうでもいいのよ。そんな男が平凡で何の取り柄も無いなら、やっかみも相当よ?」
「高根の花と思ったら平凡な男が近くにいた。あいつが良くて何で俺は……ってね。若いな」
てめぇ田仁志くん舐めんな!
彼は退屈な授業中、そののんびりと動く様で数多くの生徒の心を和ませてきた我らの究極癒し系だぞ!
義憤に燃えるレオは一瞬後にどうでもよくなったので返答は普通に済ませることにする。
「私は対馬クンがどうなってもいいんだけど。一応ね」
「はいはい感謝感謝。このお礼はいつの日か。ついでにフカヒレの忠告よりだいぶ遅かった所が減点対象だね」
「それはどうせ『ファンクラブができたから注意しろ』ってところでしょう?私のは『そろそろ爆発するから気をつけなさい』ってこと」
「あーはいはい、大した違いは……って今なんて言った」
もちろん聞こえていたのだけれど、ホラ、一応ね?
何かの間違いってこともあるかもしれないじゃない?
「爆発するの。そろそろ」
「それは、どこが?」
「もちろん私のファンクラブ」
ブチリと架空の内臓器官の一部が切れる音がした。
「それくらい手綱締めとけ阿呆が!」
がおー、とでも言い出しそうな様子でレオ怒る。
ねぇ何やってんの?馬鹿なの?お詫びにおごってくれるの?
怒りのあまり賠償金(現物支給)を要求しようと欲望丸出しのレオは、最近ずいぶんと扱いが慣れてきたっぽいエリカに「どうどう」となだめられる。
「私もそれなりに申し訳なく思ってはいるのよ?まがいなりにも私の認めたファンクラブなんだから暴走なんかされた日にはたまったもんじゃないわ」
「暴力沙汰だけは勘弁してくれよ。どうなっても面倒なことになるんだから」
「その辺は大丈夫だと思うわ。万が一のことがあっても伊達君がいるから大丈夫でしょう?」
まぁそうだけどさー。と怒りから一転して完全にやる気をなくしたような態度で机にだれているレオからは、新たなる面倒事に対するめんどくさいオーラが垂れ流されていた。
あまりスバルに頼り過ぎるのもレオ自身のプライドが許さない気がしないでもない。
というわけで軽く挑発してみよう。
「自分のファンの手綱も握れないようじゃ先が見えるぞ?」
「……いいわ。その挑戦受けましょう」
普段なら流される程度の嫌味でも、どうやら今回は霧夜の方に比重が傾き過ぎていたらしい。
霧夜エリカファンクラブの暴走の迷惑を一番被るのは、どっちかといえば今後の活動にもかかわってくる点でエリカの方が重大な出来事であるのだ。ざまぁ。
「と、いいたいところだけどな」
「あら珍しい。目立つのは嫌なんじゃなかったの?」
エリカのニヤニヤとした笑みはその内心を悟らせなかった。
一方レオの方もあまり話したくない話題なので、だるそうな顔を意識して維持することで無感情を装う。
「まぁ50番以内ならなんとかなるだろ。40番前後ならあんまり目立たないし」
「ごく一部の人に対してだけアピールできればいいと。でも狙って取れるの?」
「正直さ、いちいちそういうことするのって結構疲れるんだよ。まぁ復習だけは欠かしてないけど俺の理解と暗記なんて大したもんじゃないから、普通に書けばそのくらいの点数に落ち着くよ」
レオのモットーは『出来るけどやらない』だ。実はこれ、ものすごい中二病の産物である。
よくある全力を出さずに謎を残したまま最終回を迎える敵幹部とか謎の味方とかにあこがれたせいで、『目立たない』『余力を残している』ことと『出来ることをやらない』ことを混同した中学時代の名残である。
何となく癖がついてつづけていたが、正直テストの結果ごときエリカほどぶっちぎりでもない限り他人の話題にのぼることなぞ無い。
つまり自意識過剰にカッコつけ。平静に見えるがレオの頭の中では顔を真っ赤にして七転八倒しながら恥ずかしさを放出するちびレオがいた。
そのせいかエリカの発言に反応が遅れる。
「じゃあ筋書きを作りましょうか」
「は?」
「だって、『いい点数取る奴だ。なら姫と話すのもうなづける』とはならないでしょう?」
いやごもっとも。
でもさ、それ今までの会話の流れぶったぎってなぁい?ついでに自分で姫とかいうな。
「いや、それくらいわかってるよ。けどある程度緩和することはできるだろ」
「だからちょっとアレンジするだけ。『霧夜エリカが人材発掘の練習を始めた』ってね」
「なるほど、俺は原石か何かか」
「そういうこと」
ストーカーでもあるまいし俺の成績なんて気にしてる人いないと思うんだがなぁ。
開いてはいけない恥という扉が開け放たれたせいかどうも若干卑屈になっているレオである。
なんとなく張り出された順位見て、自分のことが気になってる奴だけが気づく。その程度でいいと思っていたレオをエリカが笑った。
「でも俺に価値なんて無いぞ。面倒事は勘弁だから利用もしにくいしな」
「別に本気でそういうわけでもないんだからいいでしょう?」
「あー、まぁいいか」
なんかエリカのおもちゃ的な立ち位置に収まりそうな気がする。
1-Cではレオとエリカは『よくわからない仲』として妙な見方をされているようだが。
「一緒にいるのはアメで、見えないところで鞭を振るってるような噂を流しておきましょう」
「ちょっと待たんかい」
「え?ダメだった?」
いかにも『私驚きました』みたいな顔をされてもごまかされない。
ドサクサに紛れてこの女は何を言っているのか。
「それじゃあ俺がお前の下僕か何かみたいじゃねーか。何、宣戦布告?」
「チッ。なら私がちょっとやれば出来そうなクラスの冴えない男子を、高級料理で釣ってそれなりの成績にすることに成功した、とでも」
邪悪そのもの、といった顔で舌打ちをするエリカにレオは呆れたと言わんばかりにため息をつく。
どうもこの女は『何か』やっておかないと気が済まない性格らしい。
「お前はなんだ、常に罠とか仕掛けておかないと安心できないタイプ?」
「どんなタイプよ。それに対馬クンこそそろそろ諦めたら?私の作る美少年美少女ハーレムの末席くらいには加えてあげてもいいわよ?」
「はいはい、それはありがたいことで」
やる気のない返事を返したレオはたかがテストの成績ごときでなぁ、としつこく思いながら話題を締めにかかる。
「ま、作戦はそれで行こう。ヘマしたら佐藤さん連れて国外逃亡するからよろしく」
「普通にテストを解いても張り出されなかったら私はファンクラブを煽るわ」
「こっちが冗談で言ったんだから冗談で返せよ!洒落にならんだろうが!」
なにそれこわい。
実に恐ろしい女である。何が怖いってこっちの冗談に全く流されずどこまでも本気の目でいたことだった。
エリカのことだからキッチリとファンクラブの手綱を締めた後で、問題にならないような巧妙な手法をもってレオに嫌がらせをするだろう。
たまに見せる冷たい笑いで窓の外を見つめる金髪の生徒会長には流石のレオも付き合いきれなくなってきた気がした。
「ふふふ、冗談よ。見てらっしゃい、この私の名前を使ってくだらないことを考えてる馬鹿は残さず粛清しないとね」
「今のところ自治に任せてるんだろ?いっそ規約でも決めさせたらどうだ」
「そうね。不透明なお金の流れもあることだし」
一気にきな臭くなった。
堂々と体育武道祭なんかで賭けが行われているこの学校でも、そういった不正行為には厳しい。
まぁ館長の性格を考えればわかりそうなものだが。
「それ館長出てくるんじゃないか」
「まだ大丈夫よ。私のファンクラブだからこそ私がケリをつけますって館長室で啖呵切ったら許可くれたし」
「なんて扱いやすい!」
相変わらずあのおっさん無茶苦茶だ。どうせ霧夜の気迫に女気を感じたとか言い出すのだろう。
マジで死ねばいいのに。あのおっさんが出てくればそれだけで事件解決で万々歳なのだが。
そんな後ろ盾を得ていてもエリカは安心できないらしい。
「扱いやすい?まさか。私の手に負えないとわかったらすぐに殲滅しに来るから早くしないとね」
「確かに館長マジでやりかねん」
核爆弾のようなおっさんである。
味方も敵もデストロイ的な意味で。
と、そこで突然校内放送のチャイムが鳴った。タイムリーというべきか、流れ出したのは館長の渋い声である。
不意打ちのようなその声を聞いた瞬間レオ少しだけビクッと肩を揺らし、エリカはかすかに体の筋肉をこわばらせた。
普段なら共にあり得ない動揺を表に出す仕草だが、どうやらだらけた会話でお互い少々緩んでいたらしい。
顔を見合わせ、目だけでスルーを約束。
『皆の者、勉学にスポーツに青春に励んでおるか?若いころの経験は何ものにも代えがたい』
「あのおっさんは格闘ばっかだったんだろうな」
「いいんじゃない?極めたんだからそれは間違ってなかったのよ」
呆れたような声を出すレオとは対照的に、エリカはどこか賞賛するような響きをにじませた。
一瞬後には「ま、私の方がもっと大きくなるんだけどね」などと自信に満ちあふれた態度を見せる。
まぁいくら才能があっても今はたかが高校1年生の小娘なのである。と本人に知られたらぶっ殺されるようなことを考えながらレオは放送に耳を傾けた。
『よって、今から竜鳴館名物『雪原白弾激闘』を行う!』
「文脈が繋がって無い気がするんだが」
「まさか『雪原白弾激闘』って……」
「知っているのか霧夜?」
お約束のネタをついしてしまったが、レオには予想がついていた。
競う、戦う、賞品あり。
竜鳴館のイベントなどその三言で説明がついてしまうのが悲しいことである。特に小市民を自称しているレオにしてみれば。
願わくば札幌雪まつりみたいなのが良いなー。
『ルールは至極単純明快のバトルロイヤルだ。雪玉を作って相手にぶつけ気を失わせる、もしくはフィールド外へと弾き飛ばすかギブアップの言葉を引き出せば勝ちだ』
『雪玉は自分の作った物を使用すること。他人から奪ったものや誰かと協力して作った雪玉は使用した時点で失格とする!』
『雪玉以外の攻撃手段は反則。男子は指定ジャージを着用。女子に限り防具の着用を認める』
『これはあくまで雪合戦の一種だ。雪の中に石や氷などの異物を入れたり、圧縮して体に当たっても砕けないような雪玉は認められない』
『参加は自由だが最後まで残った者たちにはドラゴンチケット3枚を賞品として用意してある。参加希望者はただちに校庭へと集合せよ!皆の者の健闘を祈る!!』
体に当たって砕ける程度の固さなら大けがにはつながらないし、女性は防具があるので顔とかに傷はつかない、と。
なかなかよく考えられているような気がしないでもないが、勝利条件が危険すぎる気がする。
「これ死人出ないか?」
「参加は自己責任だし、純粋にただの雪玉なら青あざが出来るくらいで済むでしょう」
似たような結論に至ったのかエリカが楽天的な声を出す。
どうやらエリカは参加する気はないようだ。まぁ当然といえば当然か。
「にしてもドラゴンチケットねぇ」
「あれ?対馬クンは欲しくないの?」
「普通に生活してれば要らないだろ。学校生活にはそれなりに満足してるよ」
「ふ~ん。……!」
何かを思いついたようにエリカが目を見開いた。もちろん効果音はティン!である。
そしてレオには超絶嫌な予感。この女の思いつきにろくなものは無い。
「それならさっきの話の対策として出てみない?」
「ファンクラブ対策として?」
「そう。雪玉なら怪我もしにくいだろうし、いざとなったらギブアップでいいじゃない?」
彼女にしてはまともなその提案にレオは机に頬をつけたままのんびりと考えた。
生徒と館長が見てる前で何かあることもなし、なかなかにいい提案なのではないだろうか。
簡単に言えば「何の取り柄もないようなあいつが……」から「それなりにできるから姫のおもちゃになってんだな」みたいにすればいいのだろう。
単純な格闘戦じゃないところからも抜け道はありそうだし。
「悪くないな。むしろ良いガス抜きに……って何で俺がお前の不始末のフォローをせねばならんのだ」
出てもいいかなという方向性に決まりかけた思考は、霧夜が得するじゃん!という反骨精神によりあっけなく反転した。
これ、お前の責任。俺、怠惰をむさぼる。
「対馬ファミリーのためにチケット一枚くらい持っておいたら?」
「格闘系の部活でもない俺が勝ち残れるかよ」
「伊達君と組めばいいところまでいけるわ。それに対馬クン結構いい体してるし」
「セクハラ良くない。まぁそれなりに筋トレはしてるけど」
霧香がこうと決めたら、それは既に実現されている事項である。
今でこそレオの自由意思に任せるような口調だが、そのうち本気で彼を出場させようとあらゆる手段を行使することだろう。
理由は自分が決めたから。まるで某ガキ大将のごとくである。ここは良美えもんを呼ぶべきだろうか。
「なら出場なさいな」
「いつの間に来たんですか祈先生」
「そんな細かいことはどうでもいいですわ。いま重要なのは対馬さんが勝って私の財布を重くしてくれるかですの」
レオですら気付かないうちに入口のドアに立っていた我らが担任の大江山祈。
とある補習を受けた時に「何に対してとか言いませんけど、魔法使いキャラって年寄りが多いですよね」と雑談がてら言ってやったらゴニョゴニョされて危うくトラウマを負うところだったのはいい思い出である。
もちろんそれ以降もレオは自重する気など全くなかった。
「ほら、祈先生もそう言ってることだし出なさい。命令よ」
「そう言われると問答無用で拒否したくなるのが俺なのです。だるい、寒い、眠い」
巡り合わせかバイオリズムか、面倒事ばかりの話題を聞かされたレオはエリカの『命令』とかいう単語に若干の敵意を覚えながら完膚なきまでに拒否した。
その雰囲気を感じ取ったのかエリカも考えを巡らせる。
「霧夜さん、対馬さんはムチには全力で抗う方ですのでどちらかといえばアメが効果的ですわ」
「そうねぇ……祈先生は何かあります?」
「私は定期的にアメをあげておりますわ」
はいどうぞ、と渡されたアメを礼を言って受け取るとレオはそれを口に含んでまた机に突っ伏す。
向かいの席に座ったエリカは、どうやってレオを動かそうかと考えながら目の前に来たレオのつむじを指でぐりぐりしていた。
細く意外と柔らかい指が頭皮に触れているのを全力で無視しながらレオは昼寝の体勢に突入する。
と、どうやって入ってきたのかドアから冷気が吹き込み、羽音が聞こえた。
「坊主、何事もリターンがあると思うな。テメェらみてーなジャリにはわからないかもしれんか、世の中には報酬があろうがあるまいがやらなきゃならねぇ場面がいっぱいあるんだ。甘ったれてんじゃねぇぜ」
「と、土永さんが言ってますわ」
「鳥に盗み聞きがどうのっていうのは野暮かね。で、今がそのやらなきゃならない時ってわけか。だ が 断 る」
鳥に諭されて動くようになったら人間終わりだ。
そんなことを考えながら心地よい睡魔を堪能しているレオであったが、不意に祈から放たれた言葉で身を起こすことになった。
「でも対馬ファミリーの皆さんはやる気満々のようですわよ」
「やっぱりね。鮫氷クンとカニっちなんか凄く楽しそうよ」
レオの髪の毛なんかを引っ張りながら『面白くなってきた』と言わんばかりの声を出したエリカに舌打ちでもしそうな目を向けると、レオは窓際で祈と肩を並べた。
座った状態から見えるグラウンドでは死角になって見えなかったが、たった今スバルが校舎から出てきたのが見えた。
「スバルも案外ノリが良いからな……」
「何、やっぱり伊達クンも出るの?」
両肩に手をのせられたかと思うと、椅子から立ち上がってきたエリカがひょいっと背後からレオの肩に顎をのっけてきた。
ほんっっっっとに微妙な距離感でほんの微かに背中で柔らかい感触を感じないでもないレオは、心の中で「動揺したら負けだ」を念仏のように繰り返していた。
そんな彼らとガラス一枚挟んだ向こう側には、犬のようにグラウンドを走り回るカニと、始まるギリギリまで脱ぐつもりがないであろう防寒具に身を包んだフカヒレ、さらには普通のジャージの格好なのに寒そうなそぶりすら見せないスバルがいた。
すぐ後ろにいるエリカの表情は……まぁ見なくてもわかる。
「で、対馬クンはどうする?」
「チッ、わかったわかった。出てきて適当にスバルを勝たせてくればいいんだろ」
「よろしい。対馬クンも運動が苦手なわけじゃないんでしょう?それなりにできるところを見せてみなさい」
「私の月末の生活がかかっているのでよろしくお願いしますわー」
「好き勝手言いやがって」
あー、めんどくさいなー。と殊更大声で言いながらレオはジャージに着替えるべく教室へと走り出すのだった。
その口元がほんのちょっぴり楽しげに歪んでいたのは当人でさえも気づかない事実なのではあったが。
「よお坊主。珍しいな」
ジャージの下に何枚かシャツを着て寒さを軽減。
足を取られないようにきっちりと靴紐を縛りなおしてグラウンドへと出たレオに最初に声をかけたのはやはりスバルだった。
長年の付き合いからレオが何かあって出場するのだと察したらしく、ニヤニヤとむかつく笑みを浮かべていた。
見破られているとわかっていても張りたい意地というものがある。
レオは意識して大したことじゃないよオーラを出しながら話題転換を図る。
「まぁな。ままならぬ事情ってやつだ。カニなんだその重装備」
「周囲が見やすい空手部のヘッドギアに剣道部の胴当て、動きやすさを考慮して下半身はジャージ、関節部はバレー部のサポーターをつけたんだってよ」
「よっしゃー!ドラゴンチケット3枚使ってデッドのコンサートにいくぜ!!!」
ちょこちょこと動いて、既に体からほんのりと湯気が出ているカニは精神年齢が一回り違うのではないだろうか。
そういえば平日にコンサートがどうのとか言ってたな。
ドラゴンチケットを使わなくても行けるような気がしないでもないが、学校をサボって行ったあげくライブDVDなんかが出た時に映っていた場合多分酷いことになるであろうことは想像に難くない。
「1枚が休みの理由を見逃してもらう、1枚が休んだ日の出席をごまかしてもらって、もう一枚は何だ?」
「フカヒレに2万で売って資金にする」
「2万は高い!せめて1万5千にしてくれ」
「買うのかよ!」
カニの値段設定が案外現実的で怖い。
高校生にとって2万円という金額はちょっと無理すれば払えるラインなところがカニの本気度を示している。
「わかってねぇなぁ。こいつがあればちょっとぐらい強引に女の子を誘ったって許されるんだぜ?」
いや、その理屈はおかしい。
刑事事件にまで発展したら流石にフォローは不可能だから強く生きてくれ。
「なぁフカヒレ、学校には許されても周囲には許されないと思うぞ?」
「いや、待てよ?競りに出して大儲けってのもいいかもしれないな!来月発売のギャルゲが買える」
「これがほんとの取らぬ狸の皮算用、ってとこか」
「まったくだ。で、レオはあちらにいるお嬢さんたちに発破でもかけられたか?」
フカヒレの言動を華麗にスルーしてスバルが話しかけてきた。
スバルの視線の先にはしっかりと防寒装備をして高級そうなマフラーをなびかせた霧夜エリカの姿があった。チンチラか、チンチラの毛なのか。
同時に全力で目を凝らすと竜宮の窓に人影らしきものが見える。
あの教師、生徒を無理に出場させようとしてたくせに会場にすら足を運ぼうとしないとは恐れ入る。
にしても、この男はいちいち幼馴染のことになると勘というか洞察力が鋭すぎるのではないだろうか。
「ひとりお嬢さんじゃないのが……ゴホンッ!まぁそんなとこだ。貸しを作れるだけマシな方だと思うことにしたよ」
口に出した瞬間生命の危機を感じさせるような寒気がレオを襲い、かろうじて踏みとどまることに成功した。
そういうのに敏感なのは気にしていると言っているようなものですよ、先生。
「ってことは坊主勝つ気だな?」
「おお、レオ燃えんの?熱血?ボクのコンサートために?」
「調子のんなよ?」
「いだっ!」
やけにテンションの高いカニがまとわりついてきたので、ヘッドギアの上から軽くこづいてやった。
寒さで筋肉が縮こまっているのか、どうも動きに違和感が出る。
ぐるぐると腕を回すなど準備運動をしながら、レオはスバルと打ち合わせを始める。
「とりあえずスバル、適当に組んで3割削るぞ」
「運動系以外がそんな感じだな。それでいくか」
「じゃあボクは小動物チックに可憐に震えながら弱そうな奴血祭りに上げて来るね」
目立たないためにはそれほど強くない人間から狩っていくのが良いだろう。運動部同士で潰しあってくれればなおよし。
そしてカニは相変わらず外道な作戦を考える。
そのちみっこくて可憐とも言えなくもなくもない外見で一部の男子生徒にはそれなりの人気を誇るカニなのであった。
小動物チックなせいか一部の女子生徒にも人気があるとかないとか。実際に対峙したことのある人間はそのあまりの腐った人間性とお子様加減に絶望するとか。
一部さらなるファンになる奴もいるという話だが。
「ただでさえちみっこいんだから踏まれないようにな」
「レオも後ろに気をつけな!」
結構な速度で飛んできた雪玉を軍手をはめた手で受けると、スパンッと良い音がした。
カニに身体的特徴の話はタブーである。
軽く肩なんかをすくめて見せると、スバルが『やれやれ』とでもいいたそうに笑っていた。
「ありゃ結構怒ってるぞ?」
「むしろ油断してカニに負けた方が波風立たないかも知れん」
「後ろ向きだねぇ」
むしろ悪い部類に入る強制イベントにどうやって前向きになれというのか。
やさぐれた顔をしているレオに、偵察をしてきたというフカヒレが戻ってきた。
レオとスバル、カニは代謝が高いのであまり寒そうではないが、根っからのインドア派であるフカヒレは唇を若干青くしながら体を縮ませて歩いている。
「レオとスバルは文化系から攻めるってことでいいの?」
「まぁそうだけど、お前一人で大丈夫か?」
「なっはっは、いくら腕に自信のある奴といえども所詮は脳筋、この俺の頭脳にかかれば雑魚ってもんよ!」
「やる前から負け犬フラグに事欠かない男だよお前は……」
どうせしょうもないことを考えているのだろう。
反則と怪我だけには気をつけるように言い含めて、レオとスバルは体育会系の生徒が火花を散らしている場所から少し離れたところに陣取るのだった。
「ではこれから『雪原白弾激闘』を始める。ちなみにこの様子は全方向からカメラで校内に放送されているから気張ることだな」
「帰っていい?」
「早っ!チキン早っ!」
「誰がチキンだ!」
「お、わざわざ見に来てる観客も多いんだな。にっしっし、ここでいいとこ見せれば……」
「祭り好きというか暇人が多いねぇこの学校は」
館長が特設ステージ(でかい氷塊。もちろん館長が一人で運んできた)の上で腕を組んで立っている。
受付で渡されたゼッケンをつけながらレオのやる気はガリガリと音を立てて削られていくのだった。
「今回の商品であるドラゴンチケットは3枚だ。ただし!これは全員で3枚だ。最後に残った人数に関わらず3枚だけ支給される。制限時間は30分。範囲は縄が張ってある場所の中となっておる」
「直接攻撃や先ほど注意した反則行為以外ならばどのような大きさ、形の雪玉を作ってもよい。行動不能の判定は儂が直々に行う」
「うっしゃー!!全員ぶっ殺すぞー!!!」
「そういう物騒な発言はめーなの」
無駄にテンションの高いカニをたしなめる。こういう無駄に敵を作る言動は控えておかないと袋叩きにあうぞ?
対するカニはそんなことは知ったことかと言わんばかりに浦賀さんと盛り上がっていた。保護者としてちょっとさみしい。
「カニは苦手かもしれないけどよ、乱戦だからちっとは頭使って動けよ?」
「カ二からはどうもゴル○13を殺そうとするやつの匂いがする」
「ボクはあんな間抜けどもとは違うよ」
「わかったわかった、怪我しないように頑張ってこい」
いつもはフカヒレのポジションだが、今日のカニは歩く死亡フラグと化しているらしい。
一言一言が映画のボスにもなれないチンピラ(しかも序盤で死ぬ)の雰囲気を醸し出している。
スバルの忠告も軽くスルーされ、まぁ大丈夫だろうカニだし、の考えでスバルとレオはカニの心配をどっかその辺に放り投げた。
そこでキーンというハウリングの音が鳴り、グラウンドのスピーカーが音声を吐き出す。
『解説は放送部部長、3年の阿部と』
『拳法部2年の鉄が担当する。よろしく頼む』
『開始ギリギリまで受付時間内だ。ギブアップも可能だからどんどん来るといい。高校の思い出に雪合戦 や ら な い か?』
「解説付きかよ」
「アレって確か拳法部のエースじゃなかったか」
「拳法部のエースは体育武道祭ギリでスバルが負けたあいつだろ?」
「いーや、なんか男のエースはあいつなんだが女子の方が相手にならんほど強いらしいぜ?」
「はぁ~、人は見かけによらんもんだね」
ちょっとバイオレンスな雪合戦だと思って参加したレオは気づくと全校を挙げての行事になりつつある状況に頭を抱えた。
よもや出場すること自体が死亡フラグだったとは。霧夜しね。いや、流石にそれはやばいから全校集会の場で出来るだけ愉快な格好ですっ転べ。
レオは今までの恨みつらみを調合した暗黒オーラを熟成させているが、そんなことは関係なく実況は続く。
『見たところ男子も女子もほぼ同数といったところのようだ。積極的な生徒が多いな』
『ほほう、男子にはガタイのいいのがそろってるじゃないの』
『女子にも各部活の主力選手が多いようだな。阿部先輩はどう見ますか』
『自由参加というだけあって我が校の上位陣が集まったとみていいんじゃないか。野球部や拳法部なんかは良い腰つきをした奴らが集まってるようだしな』
『流石は報道部、見るところが違う。やはり野球部などが優勢だろうか?』
『バスケ部やサッカー部、卓球部といった細めの子も悪くない』
『確かに瞬発力や広い視野、動体視力といったものも重要だ。乱戦になったら一筋縄ではいかないだろうな』
カオスだ。実にカオスである。
アブノーマルと天然ボケのダブルコンボは聞いている分には楽しいのかもしれないが、話題の方向性が自分に向かってきたときの威力は想像を絶する。
出来るだけ目立たないという戒めを心に何重にも巻きつけて、レオは気合いを入れ直した。
もちろん常に後ろ向きな方向だったが。
「なぁ、あの解説の二人会話が噛み合ってなくないか」
「阿部先輩は良い男ならノーマルでも構わないらしいぜ。館長も狙っているともっぱらの噂だ」
「どんな命知らずだよ。俺の人生にこれから一片たりとも関わってほしくない人種だぜ」
いい声だから始末が悪い。
確かにあの男らしく低くて甘い声は放送部にぴったりだろうが、いやこれ以上はやめておこう。
「にしてもレオと組むなんて久しぶりか?」
「だってお前と組むと目立つんだもん」
「その割にこんなイベントに出てる。ちっとは変わったんじゃねぇ?」
変わったのだろうか。自分ではいまいち自覚は無いが、スバルが言っているならそうなのかもしれない。
変わったのかそうでないのか、変わったとしたらそれは良いことなのか。
その答えはあの夏の神社に置いてきてしまった。
「高校生活はあと2年もあるんだ。体力温存体力温存」
「俺はいっつも微妙に後ろにいようとするお前がテンションに身を任せて突っ走る様が見てみたくてな」
「あり得ないね。その時は多分真っ先にお前に被害が行くようにしてやる」
「ああ、むしろ歓迎だぜ?昔みたいに坊主とバカやるのも悪くない」
嬉しいこと言ってくれるじゃないの。
そんな発言によくわからない感情を感じながら、レオはじわじわと上昇する周囲の熱気を感じていた。
グラウンドの各所に雪玉作成用として雪が積み上げられ、要所要所に身を隠せるような雪の壁が立っている。
どう考えても個人戦ではあまり意味の無いものな気がする。
ちなみにグラウンドのステージ設営は美術部が一晩でやってくれました。
全員の準備が済んだと見るや、館長が足踏み一つで足元の氷塊を真っ二つにし、注目を集めた。なんて無駄な。
「みな、持てる力を最大限に発揮して見事王者の座を勝ち取って見せよ。総員縄の中に入ったな?では始め!」
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!
ねぇ、帰っていい?