戦いにくさと数の多さに少々手間取りながら、何とか階段を突破した飛鳥達は、教室の前の廊下に出た瞬間絶句した。
もう、いるわいるわ、廊下に見えるだけで、およそ200体近く。教室内にもいるだろうから、見える数だけが全てでは無いだろう。
流石に健二も、飛鳥が一緒とは言えこの数には及び腰のようで、へこみが目立ち始めた柄をぶるぶると震えながら握りしめた。
そんな健二の様子に、飛鳥はおもむろに柄を一閃。寄って来る肉塊達をふっ飛ばし、背中越しに振り返った。
「心配すんなよ。こいつ等ならどれだけいた所で問題ねぇよ。それにこいつ等全てを相手にする訳じゃない。刀だけとって、とっとと逃げよぅぜ」
「あ、あぁッ。しかし、何でこんなに……」
「多分、放送室で教師を襲った奴以外にも侵入した奴等がいたんじゃないかね。そいつらが授業の音に引き寄せられて、こっちに向かって来てたんだろ。そこへパニックになって突っ込んだ。破壊された教室の扉とかがちらほらあるし、肉塊に追われて逃げようとする先頭の生徒達と、外に向かおうと必死の後続の生徒達。二つがぶつかりあって騒ぎになったんだろうさ。後は混乱している生徒達をどんどん喰って数を増やしたんだろ」
飛鳥のこの予想は、大体は正しかった。
昇降口から侵入した肉塊達が、授業の音につられて放送が始まり、パニックになって教室を出て行く時には、既に複数の肉塊達がすぐ近くまで来ていたのだ。
次々と捕まり、捕食される生徒達に、生きている生徒達は更にパニックになって逃げ回る。外へ逃げようと奥から来るたくさんの生徒達と、突然現れた肉塊達から逃れようとする生徒達。
二つの波がぶつかりあって、混乱は更に大きな騒ぎを呼び、次々と他の肉塊達を呼び寄せたのである。
それにより、次々と喰われてこの有様となったのだ。
「成程…あれだけの騒ぎならそうなるわな。ってかお前、頭悪い癖にそういう事よくわかるよな…。流石戦闘一族」
「おいっ!? お前それはあまりにも失礼だろ! ってか戦闘一族何…か、じゃ……」
「否定できるのか? ん?」
できなかった。
たしか宗十郎は幼き頃、飛鳥の父も宗十郎も同じような目に遭いながら育って来たとか言っていた。一家相伝の健康法とか戯けた事を言っていた筈だ。
それに加えて飛鳥の母親もかなりの剣士だったと聞いた事があるような気がする。
飛鳥が八歳の頃まで何も習っていなかったのは、剣士としての才能があまり無かった父が、普通の子供らしく育ってほしいと願ったからである。
当然、飛鳥はそんな事実は知らない。あくまで飛鳥の剣士としての始まりは、宗十郎が飛鳥を泣きやませる事に焦れた結果である。
そして自分自身も戦いを楽しむ事ができる。
こうして友人が死に、自身も、後ろにいる友人の命さえ危ぶまれる状況だと言うのに、飛鳥の中には敵を打倒する事で沸き上がる高揚感もかなりのものだった。
友人を失う切っ掛けとなった状況なのに、そんな壊れた日常に歓喜する自分自身に、飛鳥は強い嫌悪を抱きながらも柄を振るい続けた。
ロッカーへの道はすぐに開けた。
どれだけ数がいた所で、敵はただ手を伸ばして噛みつこうとして来るだけの動く的。
負傷していたり、体力を消耗していればあれだが、戦いながら休む事も心得ているし、休みの日は一日中宗十郎と打ち合っている事さえ少なく無い飛鳥である。
精神的に酷く疲弊しているとは言え、疲れたなどとは言っていられない。飛鳥には守るべき者がまだいるのだから。
ロッカー前まで教室から出て来た物等含め、倒し尽くし、それでも全く減った様子を見せずに近寄って来る肉塊達を、邪魔だと言わんばかりに吹っ飛ばす。
「よし、健二。今の内に教室内の弁当の回収を!」
「おぉ、了解。すぐ取って来るッ!」
健二は教室へと駆け込み、飛鳥は胸ポケットから可愛らしくデフォルトされた柴犬のストラップの付いたキーケースを取りだした。
ロッカーの鍵を素早く引っ張り出し、鍵を開けて牛革の刀剣ケースを取り出し、中から愛刀を取り出す。
それを腰のしっかりと差し、刀剣ケースは肩に担ぐ。この中には刀の手入れをする道具なども一緒に収められているので、置いて行く訳にはいかない。
再び寄って来た肉塊を無造作に吹き飛ばしながら、飛鳥は健二がやって来るのを待った。
妙に遅い気もするが、健二の気配しかしないし、悲鳴なども無いので何か手間取っているのか? と疑問に思いながらもおとなしく待つ事に。
程無くして、鞄を膨らませた健二がやって来て、おもむろに右手を付きだし、サムズアップする。
「美味そうなのを厳選して来たッ! 早く逃げようぜッ!
「お前何だかんだ言って余裕だなッ!? えり好みしてんじゃねぇよ!」
馬鹿二人は、この危機的状況でも騒がしく会話を続けながら、階段へと向かう。
階段に転がっている死体を踏みつけながら、飛鳥達は次の目的地である職員室を目指すのだった。
職員室に向かう前に、飛鳥達は猛が助けたクラスメート二人の無事を確かめに、一度向かってみる事にした。
あいつ等がいなければ―――と、思わないでも無かったが、仮にいなかったとしても間に合ったと言う保障は無い。
そんな考えはただの逆恨みだと理性では分かっていながら、感情では納得できなかった。それは健二も同じ気持ちだったが、それでも猛が救いたいと願った奴等だ。
猛が死んで、あの二人まで死んでいたら本当に何の救いも無い。
だから、生きていて欲しかった。猛が何も成し遂げられずに、死んでしまったとは思いたく無かった。
あの時連れて行けていればそれで良かったが、あの時あの少女は動くのは無理だった。勝手に付いて来い、と声をかけるだけでも良かった。飛鳥の後ろにいれば大分生存率は違っただろうから。それをしなかったのは、あの時少女が動けないと瞬時に判断して、すぐに次の行動に移してしまったからだ。
あの少年に背負わせて連れて来させる、と言うのも今思えばできたのだ。それだけ、冷静になればすぐに考え付くような事が考え付かない程、飛鳥は佳代の安否が気にかかって焦っていたのかもしれない。いや、事実そうだったのだろう。それは、佳代の死を目の当たりにした時の、飛鳥が背後の気配に気づかない程に衝撃を受けた事が証明している。そこまで考えて、はたと気づく。
きっと、俺は先輩の事を――――。
そこまで考えた所で、クラスメート達がいた所にまで辿り着いた。だが、既にそこには誰もいなくなっていた。
変わらず、飛鳥が倒した死体が転がるだけだ。
「く、いないな。ってどうした飛鳥、ぼうっとして」
「え、あ、いや。悪い、何でも無い」
「おいおい、しっかりしてくれよ。一瞬たりとも気を抜くな~とか言ってたのはお前だろ」
呆れた様に、だけど少し心配したように飛鳥の顔を窺う健二に、飛鳥は軽く謝罪して周囲の気配を探る。
「あぁ、悪い。…その辺の教室にも気配は感じられないし……あいつらに気づかれて逃げたか、自分達の意志で移動したか」
「糞、何にせよ、無事である事を祈るしかないな」
「あぁ。此処にいてもしょうがない、職員室へ行こう」
生きている事を願い、飛鳥達も生き残る為に再び動き出す。
此処に付く直前まで思考していた事を、無理矢理封じこんで―――。
「なぁ…飛鳥。さっきはあんな事があったばかりで、つい何も考えずに頷いちゃったんだけどよ」
「何時の事だ?」
何だか難しい顔で唸る健二。
職員室へ向かう途中、別の場所に引きつけられているのか、何だか今までに比べてかなり数を減らした肉塊の胸をぽんと胸で押して遠ざけながら、飛鳥が応じる。
「いや、職員室に車の鍵を取りに行く事だよ」
「あぁ、それが?」
「お前、運転できんの?」
時が、止まった。
急停止する飛鳥に合わせて、健二も立ち止まり、二人は顔を見合わせる。
「お前は?」
「この疑問をお前に提示した時点で分かっていてくれると思うが」
「俺もできん。考えて見れば原付さえ乗った事無かったわ」
「……まぁ一応取りに行こうぜ。何事もやって見なけりゃわかんねぇよ」
「尤もだ」
冷や汗を流しながら、頷き合う二人。
そして職員室へと通じる最後の通路を曲がった所で、目の前の光景に二人は再び足を止めなければならなくなる。
「…カラス」
「からすがいるな」
二人の言葉通り、この通路は5羽程度だが、からす達の姿があった。
それ等は首を潰されて倒れ伏している死体をついばんだり、窓枠に止まったりしてじろりと飛鳥達へ赤く染まった眼を向ける。
「はて、からすの目は赤かったっけ?」
「どうだったかな…。まぁ目当ては死体みたいだし、気にしなくていいだろ」
健二の問いに、飛鳥は気楽に構えて走り出す。
健二も後ろに続き、二人が窓枠に止まっていたカラスの横を通過しようとした時だった。
ぐぁああっと、カラスらしからぬ泣き声を上げて、二羽のカラスが突然飛び立ち、紛れも無い殺気を放ちながら飛鳥達に襲いかかったのである。
突然の襲いかかって来たカラスに驚きながらも、健二の頭を狙って嘴を伸ばすカラスの動きを察した飛鳥が、ごく自然な動作で健二の足に自らの足に引っ掛けて転ばせる。
そして自分の方に飛んで来たカラスを柄で叩き落とし、健二を狙っていたカラスも一撃で絶命させて叩き落とす。
「どわっ!」
「伏せてろ」
妙な声を出す健二に短く命じ、今度は死体を漁っていた三匹が飛び上がり、一匹は外に飛び立ち、二匹はその場で威嚇をするように泣き喚く。
そして数秒後、二匹が飛鳥の前を挑発するようにホバリングし始め、妙な動きをするカラスだと思いながら飛鳥が様子を窺っていると、先程窓の外へ飛んで行ったカラスが、硝子を突き破り、二匹のカラスを見ていた飛鳥に向かって突っ込んだ。
無論、そんなの飛鳥は察していた。硝子を割って廊下に入って来た瞬間に、柄をくるっと旋回させてカラスを叩き落とし、硝子が割れたのと同時に一気に飛鳥達へ向かって飛んだ二羽のカラスを一閃。二匹纏めて叩き落とす。
「二匹が陽動で一匹が奇襲、奇襲と同時に二匹が特攻を仕掛けるとは。カラスって凄いな」
「お前ね…。助けてくれたのは感謝するけど、もっとましな助け方にしてくれよ」
「はは、悪い悪い」
謝りながら絶命したカラスを手に掴み、飛鳥はそれをひっくり返したりして調べる。
逃げもせず襲って来たのでてっきり、奴等にやられて鳥も変質したのかと思ったのだが、傷らしい傷は無い。飛鳥に叩かれて羽根やらが折れているくらいだ。
殺気は奴等は出さないので違うだろうな、思いながらも飛鳥はカラスを投げ捨てる。
「…普通の、カラスじゃねぇよな。目も赤いし」
「んーカラスについては良く分からんが、普通では無いよな。多分、二匹があっさりやられたから警戒してあんな風に動いたんだろうが……怖いもんだね」
「いやに凶暴だったよな。鳴き声とかかなり凄かったし」
「あぁ。何だったんだろうな」
突然襲いかかって来たカラスに付いて、語り合うも、やはり良く分からない。
なんにせよ、動く死体以外にも警戒する事ができたのかもしれないな、と締めくくり、飛鳥達は職員室へ向かう。
カラスの鳴き声に引かれてやって来たらしい肉塊を柄で倒しながら、飛鳥達は進む。
「そういや刀は使わないのか? 折角とり行ったのに」
「ん? 別に使わない訳じゃないが…。これの方がリーチは長いし、何気に使い勝手も良いしな。ずっと使ってるし、少し愛着が沸いた」
「お前って結構物持ち良いよな…。まぁ確かにそれで十分だもんな」
「そゆこと」
それに刀は使った後きちんと手入れをしないとすぐ駄目になる。
自分の腕とこの愛刀であれば、何人斬った所で刃こぼれしたりしない自信はある。
だが、ただでさえ戦いで気分が高揚すると言うのに、そこに自分の力を最大限まで発揮できる最高の刀を持って戦い始めたら、ちょっと暴走してしまいそうだった。
だから精神的に疲労している今は、その暴走に身を任せ、健二の事を疎かにしてしまう危険性があるので、抜こうとしていないのだ。
モップの柄が、非常に使い勝手が良いと言うのもあったが。
「あれ…何か結構やられてるな」
「誰かが倒したみたいだな。何にせよ楽で良いや」
職員室のある通路へと出た飛鳥達は、何体も転がる死体を見ながら、周囲を警戒しつつ進んでいた。
途中に何度か変わり果てた生徒達と遭遇したが、変種などには遭遇する事は無なかった。
「職員室に立て篭もってる奴がいるみたいだな。人の気配を感じる」
「まじか? じゃあこれはそいつ等がやったって事か」
「多分ね」
職員室の前には頭を潰された死体が、幾つか転がっていた。
その死体は大体は鈍器で破壊されたようだが、中には釘が突き刺さって倒れている物もあった。
扉からは、バリケードでも作っているのかごたごたと音がしていて、飛鳥達は顔を見合わせて扉を叩いた。
「中にいる人達、聞こえる? 悪いんだけどちょいとお邪魔させてくれないか?」
健二の声に、中でごたごたとしていた音がやみ、すぐにまたがたごとしだす。
しばらくして扉が開いて、中からぽっちゃりした眼鏡の男子生徒と、整った顔立ちの黒髪の男子生徒が顔を出した。
飛鳥の姿と、腰にある刀に一瞬眼を見開きながらも、二人を中へと招き入れる。二人は軽く礼を言って中へ入り―――。ある人物を見咎めてほぼ同時に口を開く。
相手の方も飛鳥達を見て眼を丸くして驚き、心底驚いた表情を浮かべた。
『げ。毒島先輩ッ……。無事だったんすね、良かった! じゃあ俺達はこれで』
「待ちたまえ、二人共。人の顔を見て去ろうとするのは失礼じゃないかな?」
飛鳥達を見て目を丸くしたのは、黒髪の見目麗しい長身の美少女だった。
彼女は、二人が自身を見るなり、完璧なまでに動きも言葉もシンクロさせた無駄の無い動きで、しゅたっと片手を上げ、肩を並べて方向転換をするのを見て、頬を引き攣らせる。当然、こんな対応をされればその声も不機嫌になろうもの。彼女―――毒島冴子は氷のように冷たい声で二人の背中に声をかけた。
その言葉にぴたりと停止した二人は、がっくしと諦めたように肩を落として職員室内へ戻るのだった。