→1.石井君に射る。
2.冴子に任せる。
木刀が振り下ろされるよりも僅かに早く、あたしが放った矢は石井君の頭部に的中し、その悪夢を終わらせていた。
「……嬌?」
寸止めで木刀を冴子がきょとんとした顔で振り返る。
なるべく声に感情が出ないよう注意して答える。
「石井君との付き合いはあたしの方が長いのよ。だからあたしがやるべきだと思っただけ」
嘘だった。石井君とは今日顔を会わせたのが初めてだ。長さなんて、せいぜい数分くらいしか違わない。
心配そうな表情で冴子が言った。
「大丈夫か?」
「何が?」
なるべくいつものあたしを保とうとするが、ついさっきまで一緒に会話をしていた男の子を殺したという恐怖が、今更になって圧し掛かってくる。
「人を殺めて大丈夫かと聞いているんだ」
思わず息を飲む。
冴子の視線が注がれているのを見て、あたしは必死に手の震えを押し隠し、平静を装う。
「平気よ。それよりも、冴子の方こそ大丈夫なの? ただでさえ爆弾持ちなのに、今より酷くなったらどうするのよ」
今度は冴子が沈黙する番だった。
普段は落ち着いた物腰や態度に隠れているが、冴子には暴力に酔う危険な性癖がある。最初にそれが露見したのは、男にあたしが襲われているのを助けた時だ。
冴子はやがてぽつりと言う。
「この状況では止むを得まい」
思わず拳を握り締める。
そんなことにはさせないためにも、あたしは──。
「まだ私は殺戮を楽しんでなどいないよ。君がいてくれるからな」
不意討ちだった。
え。ちょっ、冴子、それ反則! 照れる! マジ照れる!
熱くなっていく頬を手で押さえる。今あたしの顔は真っ赤になっているだろう。
くすくすと冴子が笑う。
「そういうことだ。まあ、あまり無理はしないでくれ。私の後ろはいつも君だと決まっているんだ。いなくなるのは寂しい」
む、とあたしは口を尖らせる。
「守られるだけの関係なんてごめんよ。あたしも冴子を守るんだから」
「あと十年は修行が必要だな」
「何よ、もー!」
あたしはぽかぽかと冴子の胸を叩く。
大して力を篭めていないから、冴子も笑うだけであたしのするがままにさせている。
気付けば、あたしの胸はすっかり軽くなって温かいもので満たされていた。
助けるつもりだったのに、何時の間にかまた冴子に助けられている。
本当にもう、あたしったら情けない……。
嘆いていても仕方ない。
大きく息を吐いて気持ちを切り替える。感動の再会はもう終わりだ。いい加減現実に戻らないと。
「若い子っていいわねー」
声がした方に真っ赤になって振り向く。
「学生だった頃を思い出しちゃったわ」
すっかり準備を終えた鞠川先生が口に手を当てて笑っていた。
先生のことすっかり忘れてた……。穴があったら入りたい。
□ □ □
同行者に鞠川先生を加え、空になった矢筒に金属シャフト矢を十二本補充したあたしは、冴子と一緒に<奴ら>が徘徊する校舎を往く。
「職員室とは……まったく面倒なことを言ってくれる」
ため息をつきながら、冴子が掴みかかってきた<奴ら>の腕を逸らしてさばく。
鞠川先生を見ているのに、後頭部に目がついているかのような冴子の動きは、相変わらずほれぼれする。
というか、保健室から出てからあたしが反応する前に全部冴子がやってしまうので、あたしは何もしていない。
手伝おうと思って弓で<奴ら>を叩こうとしたら、弓を粗末に扱うなと冴子に怒られた。あたしも自分がやってることじゃなかったら激怒するし、当たり前なんだけどさ。
楽でいいんだけど、何か釈然としない。
「車なら逃げられるでしょ? キィはみんなあそこなんだもん」
「井豪たちは職員室に向かってる。小室たちも脱出するならどのみち車を使うことに思い至るはずよ? 皆と合流できる確率が高いわ」
「私は君の言う殆どの人物を知らないんだが……」
若干呆れの表情を滲ませた冴子が<奴ら>を次々に突き、あたしたちが走り抜けるスペースを作る。
あたしに続いてそこを走りながら、鞠川先生が不思議そうな顔をした。
「どうしてやっつけないの? 毒島さんなら簡単なのに」
「出くわすたびに頭を潰すのは足止めされているのと同じだ。取り囲まれてしまう」
冴子の言う通りだった。
安全に<奴ら>の頭を潰すのは、遠くから攻撃するのが一番だ。銃があれば最善なのだろうけど、生憎日本じゃ殆ど手に入らない。だけどあたしは弓を持っているから、威力や連射性は劣るけど代わりにはなる。
もっとも、こんな近くに<奴ら>がうようよしてる現状じゃとてもじゃないけど射なんてできない。
「それに、腕力は信じられないほど強い! 掴まれたら逃げるのは難しい」
「はー、すごいのね……ひゃん!」
後ろで何かが倒れ込むような音と鞠川先生の小さな悲鳴が上がり、<奴ら>に捕まったのかと焦ったあたしは、慌てて背後を振り向いた。
思わず脱力する。
「……何やってんですか」
何のことはなく、鞠川先生がただ足を縺れさせて転んだだけだった。
「やーん! 何なのよもー!」
「走るには向かないファッションだからだ」
戻ってきた冴子が肩膝をつき、上体を起こした鞠川先生のタイトスカートに手をかける。
「えっ!」
ビリビリビリと、布が裂ける音が響く。
「あー、これプラダなのにー!」
ショックを受けた様子の鞠川先生に、冴子は呆れたようにため息をつく。
「ブランドと命と……どちらが大切だ?」
そんなまったく種類の違う比較されても困ると思うんだけど……。冴子、きっと素で大真面目に聞いてるんだろうなぁ。
「……両方!」
ご愁傷様です。
そんなことをしていると、小さな破裂音が立て続けに聞こえた。
涙眼になってる鞠川先生の横を通り、冴子に囁く。
「今の音、聞こえた?」
「……職員室からか?」
あたしは鞠川先生を助け起こし、冴子を先頭に職員室へ向かった。
合流は近い。
□ □ □
職員室前では、高城を守りながら井豪と平野が奮戦していた。
あたしたちがやってきたのとは違う道からはちょうど小室と麗がやってきていて、眼が合うと頷いてくる。
小室たちに冴子が呼びかけた。
「右の二匹をやる!」
「麗!」
「左を押さえるわ!」
「おねーさん、射掛けますよぉー。射線上のお客様は退避してくださいねぇー」
そこKYとか言わない。
飛び道具を持っているあたしは、まず近付かなければいけない他の皆よりも先に攻撃できるのだ。
冴子がいることで虎の威を借りた狐状態になっているあたしは、にっこり笑って軽口を叩きながらも立ち止まって素早く八節を踏み、井豪と平野の迎撃を掻い潜って高城に喰らいつこうとした<奴ら>の頭を射抜いた。
「うーん、我ながら最高の感覚。絶好調♪」
矢に追いすがるような勢いで駆けていった麗が、わざと相手の腕を空振りさせた後で<奴ら>の至近まで一気に潜り込み、下方から上方へとモップを突き上げる。
「やああ!」
鮮やかな一撃が顎に食い込み、<奴ら>は棒立ちになった後倒れて動かなくなった。
「ほう……」
間合いを詰める途中でそれを横目で見て感嘆の声を漏らした冴子は、そのまま目の前に来た<奴ら>2体の胸に突きを入れ、よろめいたところに威力たっぷりの面打ちを脳天に連続で放つ。
……あのー、今音が二つ殆ど繋がって聞こえたんですけど。冴子さんどんだけー。
「うおらあああああああ!」
最後に飛び込んできた小室がジャンプし、残り一匹になった<奴ら>の頭を金属バットでぶん殴った。
念のため<奴ら>の頭を潰して止めを刺した麗が、高城のもとへ駆け寄っていく。
「高城さん!」
見ればあたしが<奴ら>を射たのは本当にギリギリだったのか、高城は血飛沫こそ浴びていないもののギュインギュイン動く電動ドリルを持ったまま、へなへなと床に座り込んで震えている。
「大丈夫?」
「みやもとぉ……」
声まで震えている高城に鞠川先生も近寄っていき、心配そうに声をかけ始めた。
その横では冴子が初見の小室たち後輩組と自己紹介を交わしている。
あたしは油断なく残心を止めて弓を抱えると、<奴ら>の死体がある射を行った場所からゆっくりと冴子の隣に歩いていった。
身長が冴子より4cm低いだけであたしも長身なので、あたしと冴子が並ぶととても目立つ。冴子は言わずもがなの黒髪長髪にスタイル抜群の大和撫子的な美人だし、あたしも胸の大きさではまあまあ自信がある。少なくとも冴子よりは大きい。
「同じA組の御澄嬌よ。一時はどうなることかと思ったけど、皆無事みたいで何より」
冴子の真似をしてにこっと微笑んでみる。
先ほど自己紹介時に微笑んだ冴子に見とれていた平野がまた頬を染めた。
……井豪、あんたまで顔赤くしてどーする。
「永?」
「いや、何でもない」
怪訝そうに見上げる麗に我に返ったのか、井豪は顔を顰めると首を横に振った。
「なにさ、みんなデレデレして……」
電動ドリルを持ったままの高城がぽつりと呟いて立ち上がる。
「何言ってんだよ、高城」
「馬鹿にしないでよ! アタシは天才なんだから!」
宥めようとする小室の手を払い、高城はあたしを睨み、近付いてくる。
「助けなんかいらないのよ!」
ドリルを振り上げた高城は、しかし突き立てることはせずに、唖然とするあたしの目の前でドリルを取り落とした。
「怖くなんて……なかったんだから……」
俯いて震える高城の小さな身体に、あたしは少し躊躇いがちにそっと手を置いて引き寄せる。
高城の身体がかくんと崩れ落ち、高城に引っ張られる形であたしもまたその場に座り込んだ。
高城をそっと抱き締める。
「もういいの。強がる必要なんてないのよ」
あたしの制服を強く握り締めた高城の口から嗚咽が漏れ出す。
やがてそれは号泣となって、あたしの胸を濡らしたのだった。
□ □ □
職員室には<奴ら>に侵入されるような位置に窓がないので、扉さえ何とかしてしまえばしばらくは安全だ。
井豪、小室、平野の3人が協力して、扉の前に机や椅子、中身が満載の重いダンボール箱などを積み上げる。
「こんなもんかな」
「うん」
「積み上げたはいいが、ちょっとやりすぎたな。いざ脱出する時に苦労しそうだ」
「……」
「……」
苦笑いする井豪の言葉でその時の労力を想像してげんなりする2人。
「皆息が上がっている。少し休んでいこう」
冴子の申し出に皆が賛同し、散らばっていく。
麗が水道の水を汲んだペットボトルを配って回るのを見ながら、あたしはスクールバッグから部活の後で飲むつもりだったボトルを取り出し、冴子に放り投げる。
「ほら、良かったら飲みなよ。咽喉渇いてるでしょ?」
「ありがとう。だが、君の私物じゃないのか?」
空中のボトルをキャッチした冴子は、あたしと手元のボトルを代わる代わる見比べる。
あたしは昼休みに飲んだ空のペットボトルを取り出し、軽く振ってみせた。
「いーのいーの、あたしは水道の水飲むし。いつも冴子に守ってもらってるんだから、たまには恩返しさせてよ」
「そうか。……恩に着る」
ボトルを開けて口をつけた冴子は、ストローを吸って一口飲むと頬を緩めた。
「美味いな。これは、スポーツドリンクか」
もう一口飲んで相好を崩した冴子は、ボトルを閉めてあたしに投げ返した。
「私だけ味わうのも悪い。皆にも分けてやってくれ」
「はーい」
ボトルをキャッチし、冴子から離れる。
歩きながら蓋を開け、ストローに口をつけてスポーツドリンクを飲みながら、井豪たちのもとへ向かう。
近付いてくるあたしに気付いた井豪が、隣の小室に向けていた顔を上げた。
「御澄先輩?」
「はいこれ。回し飲みで悪いんだけど、良かったら飲む?」
ボトルのストローから口を離して突き出す。
「え? え?」
何故か井豪は慌て、横の小室は苦笑している。
「ん? どったの?」
「いいえぇ、何でもないですよぉ先輩?」
ペットボトルを配り終えてやってきた、引き攣った笑顔の麗にボトルを引っ手繰られる。
そのまま口をつけた麗は目を丸くした。
「あ、冷たくて美味しい」
「でしょでしょー、保冷効果があるの、高かったんだよ」
「へぇ、麗、僕にも飲ませてくれ」
「あ、はい」
短時間とはいえ、2人きりで行動した感覚が抜けきっていないのだろう。
小室に言われ、麗はいつも取っていた素っ気無い態度を忘れたかのように素直にボトルを差し出す。
「お、こりゃ確かに」
口をつけた小室は<奴ら>と相対していた時は終始釣りあがっていた眦を満足そうに下げる。
ある程度飲んだ小室が所在なさげにボトルを掲げた手をぶらぶらさせるので、あたしはボトルを受け取った。
また一口飲む。
視線を感じて振り向くと、我に返った麗に冷たくあしらわれてる小室の横で、あたしが飲んでるボトルを見る井豪とばっちり眼が合った。
「いる?」
「あ……すいません」
頭をかく井豪にボトルを手渡す。
眼を細めてボトルを傾ける井豪に満足しながら、あたしはこれみよがしに手を使って言った。
「えーと、あたしから宮本さんで、宮本さんから小室君で、小室君からまたあたしで、あたしから井豪君か」
つまり間接キス。
「ぶっ!」
ストローを吸っていた井豪が咽た。
あたしは眼を見開くと、自分の口に手を当てて井豪の背中を擦る。
「大丈夫? 駄目だよ、ゆっくり飲まなきゃ」
もちろん、手で隠した口は盛大ににやけている。
ごめん、全部確信犯です。
小室と麗をくっつけないと冴子に手を出されちゃうかもしれないのに、ついうっかり井豪を助けちゃったから、麗が中々小室に振り向いてくれなくて困ってるんだよね。
だから仕方なく、こうして遠まわしに彼氏を誘惑して麗が小室を見ざるを得なくなるように外堀を埋めているのでありました。
麗に嫌われるのは悲しいけど、冴子さえあたしのことを好きでいてくれればあたしにはそれで充分だから……。
「か……勘弁してください。ただでさえ麗の機嫌が悪いのに」
口元を拭った井豪がげっそりした顔でボトルを返す。
ボトルを受け取ったあたしはにっこりと笑い、残る2名がいる流しに向かう。
流しでは高城が顔を洗っていた。その横で平野が彼女に話し掛けてツンツンされている。
おう、つんでーれ。
残されてしょんぼりしている平野に声をかける。
「飲む? 冷えてて美味しいよ」
何故か高城がやってきた。
「いただくわ」
「えっ」
「いただくわって言ってんのよ。くれるの、くれないの、どっち!?」
「……はい」
剣幕に負けてすごすごとボトルを差し出すと、高城は引っ手繰って、腰に手を当てて飲んでいく。
口からストローを離すと、飲み口をハンカチでごしごしと拭いて平野に押し付けた。
「ほらっ、あんたも飲めば?」
あたふたする平野はあたしとむすっとした顔の高城を見比べ、手元のボトルを見てもう一度あたしを見る。
「飲んでいいよ?」
あたしが許可を出すと、平野はようやくストローに口をつけて飲み始めた。
「あ、美味しい……」
「部活に備えて氷いっぱい入れてきたからね。今日一日は冷たいと思うよ」
「へえ。全部飲んじゃってもいいの? 今となっては貴重なんじゃない?」
眼鏡の奥の眼を不機嫌そうに細めて、高城が言う。
「そうだけど、時間が経てばただの薄くてぬるいスポーツドリンクになっちゃうからねえ。逆に早めに飲み干さないと」
満足したらしい平野から受け取る。
2人から離れたあたしはストローに口をつけて一口飲むと、鞠川先生が座るデスクに向かった。
組んだ腕の上に顔を載せてぐったりとしている鞠川先生のタイトスカートは、冴子の手によって際ど過ぎるスリットが入っており、そこから艶かしい御御足が覗いている。
冴子って見かけによらずああいうの好きなんだよね。初めて冴子と買い物に行った時、服を選んでもらったら凄いことになった。主に露出的な意味で。
あたしに気付いた鞠川先生が億劫そうに顔を上げる。
「飲みます? 飲めるうちに飲んでおいた方がいいですよ」
片手を伸ばした鞠川先生は、力尽きたようにまたデスクに突っ伏す。
「飲ませてぇ~」
「はいはい」
苦笑しながら口元にストローを近付けてやると、鞠川先生はストローをぱくっとくわえ込んでちゅーちゅー吸い始めた。
鞠川先生の表情がへにゃっと崩れる。
「しあわせー……」
全員に回って元々量が少なかったのもあって、鞠川先生は全部飲みきってしまった。
「ごめん、全部飲んじゃった」
人心地ついたのか身体を起こしてボトルを返してくる鞠川先生に、あたしは首を振ってみせる。
「気にしなくていいですよ。元々ここで飲みきるつもりでしたから。飲み過ぎでいざという時に動けなっても困りますし、助かりました」
「鞠川先生、車のキィは?」
向こうから小室が声をかけてくる。
あたしは空になったボトルを玩びながら周りを見ると、麗がテレビを見ていたので隣にデスクの椅子を持ってきて座った。
何とはなしに流れているニュースを見る。
ううむ……これは酷い。
耐え切れなくなって早々に見るのを止め、再びやり取りを観察する。
「あ、バッグの中に……」
職員室に置きっぱなしだったらしいバッグを引き寄せて中身をかきわけ始める鞠川先生に、腕組みをし足を組んで寛いでいる冴子が疑問符を上げた。
「全員を乗せられる車なのか?」
「うっ」
車のキィを探す鞠川先生の動きがピタッと止まる。
「そういえば無理だわ……コペンだもん」
「部活遠征用のマイクロバスはどうだ? 壁の鍵掛けにキィがあるが」
冴子の言葉に窓の近くにいた平野が外を確認し、マイクロバスを見つけて指差す。
「まだあります」
キィを探すのを止めた鞠川先生が話し込んでいる小室と井豪に振り向いた。
「バスはいいけど、どこへ?」
答えたのは小室と何やら話し込んでいた井豪だった。
「家族の無事を確かめに行きます。近い順に家を回って家族を助けて、それから安全な場所を探して……勤務先にいるかもしれませんが」
「見つかるはずよ。警察や自衛隊が動いてるはずだもの。地震の時みたいに避難所とかが……どうしたの?」
高城があたしたちに声を掛けてきた。
まだテレビを凝視している麗の横で、あたしはため息をついてテレビを指差す。
「ニュースがやってたから見てたのよ。……ほんと、まるで悪い夢を見ているみたいだわ」
手元にあったリモコンを手にとり、冴子がテレビのボリュームを上げる。
テレビでは、現地でリポーターが中継をやっていた。リポーターの背後ではいくつもの死体袋が台に積まれており、車に乗せられようとしている。
拳銃の音が鳴り響き、リポーターの背後で死体袋が次々とむくりと起き上がっていく。
リポーターの驚愕の声と断末魔を最後に映像が乱れ、スタジオにカメラが戻った。
動揺しながらも落ち着いて無かったことのように流すキャスターに、皆が絶句している。
「それだけかよ……どうしてそれだけなんだよ!」
「……パニックになるのを恐れているんだ」
激昂する小室の横で、険しい顔の井豪が感情を押さえた声で静かに言った。
不安からかあたしの袖を掴んでいる麗が井豪を振り返る。
「いまさら?」
「いまさらだからこそよ」
麗の疑問に答えたのは高城だった。眼鏡をくいっと押し上げて冷徹な表情で言う。
「恐怖は混乱を生み出し、それはやがて秩序の崩壊を招くわ。秩序が崩壊したら……どうやって動く死体に立ち向かえるというの?」
誰もが項垂れていた。
冴子でさえも、表情には出すまいと努めているようだったが、その白磁から一筋の汗が伝っている。
「朝ネットを覗いた時はいつも通りだったのに、どうしてこんなことに……」
「信じない……信じられない……たった数時間で世界がこんなになるなんて」
つぶやく平野の眼も、麗の眼も恐怖に満ちている。
あたしはといえば、怖いことには変わりはないのだが、何と言うか皆が怖がりすぎてかえって冷静さを取り戻していた。
なまじ中途半端に漫画の知識が記憶としてあるせいで、ある程度の希望が見えているからかもしれない。
または、今頃になって、冴子たちを現実の人間だと思えなくなったのか。
……いや、それだけは有り得ない。
皆目の前で生きているのだ。息をしている彼ら彼女らを見ずに、彼らが漫画の登場人物に過ぎないなんて言わせない。
「家族の無事を確認した後、どこに逃げ込むかが重要だな。好き勝手に動いていては生き残れまい。チームだ。チームを組むのだ。生き残りも拾っていこう」
冴子の言葉を聞いて、小室が井豪に視線を向ける。
「永。どこから外へ行く?」
しばらく黙考していた井豪は、皆を見回して答えた。
「正面玄関だ。そこから出れば、最短距離でバスに向かえる」
「ならば準備が済み次第出るとしよう。このままここにいても事態が悪く……何?」
くいくいとスカートを引っ張るあたしに気付いて、冴子が怪訝そうに片眉を跳ね上がる。
やべえ、皆に見つめられて言い辛い。でももう我慢できそうにないし……。
「トイレに行きたくなっちゃった」
ピシリと音を立てて空気が凍った。
さて、どうしようか。
1.冴子に付き添いを頼む
2.一人で行く