隣家を出発したあたしは、バギーを走らせながらこれからのことを思案していた。
原作については順調に思い出してきてはいるものの、高城邸での思い違いもあることだしそれが本当に正しい記憶かどうかは分からない。
細部が色々変わっちゃってるから、例え原作の知識が正しかったとしても、その通りに物事が進むとも限らないのが辛いところだ。
本当はあたしなんかが小室たちの前に姿を現すべきではないと分かっているけれど、それでもあたしは冴子の傍にいたい。
遠くから冴子を守るっていうのにはやっぱり限界があるし、いざという時のことを考えると、やはり冴子の近くにいる必要がある。
「皆、あたしを許してくれるかなぁ……。無理かなぁ」
思わず弱気がこぼれ出る。
ため息を一つついて、頭をぶんぶんと振った。
ええい、今頃怖気づいてどうする。冴子を守るんだろ。ならシャキッとしろ、あたし!
とりあえず国道に出てみようか。
バギーを走らせたあたしは、聞こえてきた銃声にスピードを上げた。
「あれは……!?」
国道では、停止したハンヴィーの近くで小室たちが<奴ら>と戦っていた。
ボロボロになったハンヴィーとかを参考に状況的に見て、ここまで来たまではいいものの、もともと対EMP処置がされてるとはいえ不調気味だったハンヴィーが動かなくなり、応戦するしかなくなったとかだろうか。
「いけない! とにかく、早く助けなきゃ!」
バギーを走らせ、次々と<奴ら>を弾き飛ばし、小室たちが逃げる道を作る。
「御澄!? あんたよくも今更私の前にのこのこと……!」
気付いた高城が物凄い目で睨んでくるのを叫んで止める。
予想通りの反応に思わず身体が震えるが、自業自得なんだから我慢。
「話は後! あたしが<奴ら>を引き付けるから、今のうちに早く逃げて!」
言ってる傍からあたしはハンドル操作を誤り、<奴ら>の群れに突っ込みそうになった。
本当あたしってばドジだな!
「ぎゃー! 死ぬ! 死ぬ!」
慌てて反転して距離を取り、何とか事なきを得るあたし。
いきなり自殺しそうになったあたしを見兼ねてか、冴子と小室が走り寄ってきた。
「囮なら僕たちがやります! 御澄先輩は麗たちと一緒に!」
「え、だけど……!」
反論しようとしたあたしは、続く冴子の言葉に何も言えなくなる。
「積もる話は後だ。今は彼女と和解することだけ考えろ」
そう言って冴子が指差した先にあったのは、他の皆と一緒に横転していた車の陰に避難していく高城の姿。
やはり怒っているようで、目も合わせてはくれない。
本当は冴子についていきたかったけど、やっぱりこっちをほっとくわけにもいかない。
原作では神社で夜を明かして、小室とのイベントがあって冴子の小室に対する気持ちが決定的になるはずだ。
今の時点で冴子は小室に好意を抱いているはずだから、ここは冴子のためを思うなら行かせてあげるべきだろう。
「……そうだよね。うん、そうする」
ついていくべきか本当に迷ったけれど、煩悶した末についていかないことにした。
もちろん高城のことが理由の一つにあるが、それだけじゃない。
神社でいざその場面に居合わせた時、あたしがどういう行動を取るか、あたし自身想像がつかなかったからだ。
冴子の背中を押してあげることを決めたあたしだが、間近であんなイベントを朝まで生で見せられたら、さすがに嫉妬で発狂する自信がある。割と本気で。
だから冴子についていきたくとも、今回ばかりはついていけない。
小室がいるんだもん。……大丈夫だよね?
心配だったので、バギーから降り、入れ違いに乗り込もうとする冴子と、あとついでに念のために小室にも言っておく。
「絶対に無理しないでね。合流地点でずっと待ってるから。あと小室、これ水陸両用だから、いざという時は水の中に逃げて。ちゃんと冴子のこと守りなさいよ。怪我させたらむしる」
「あの、むしるっていったい何を……」
嫌な想像でもしたのか、一筋の汗を流しながら愛想笑いを浮かべて聞いてくる小室にべっと舌を出す。
そんなの決まってるでしょ! むしるといったらアレよ、アレ!
「合流した時に冴子が掠り傷一つでも負ってたら全部むしり取ってやる! 覚悟しときなさいよ!」
冴子を取られることを承知で、小室に冴子を託すのだ。これくらいの冗談は許されるだろう。
あーあ。これで、合流した時には冴子は非処女か。
原作とかアニメの展開的に、あれって絶対やることやってるもんね。でないと朝になって<奴ら>が集まってる理由が分からないし。
あたしの初体験は最悪だったのに、冴子はいいなぁ。
うー、冴子が小室とそうするって考えるだけで、すごくジェラシー感じちゃうよ。
前世の記憶なんていうもののせいで女の自覚と男の性欲を同時に持つことになってしまったあたしは、もちろん男が抱くような女に対する独占欲だってあるわけで。
こう冴子が他の男とやってる場面を想像するだけで、わなわなとしてしまうわけですよ。
態度には絶対出さないけど。同性にそんな感情を抱くのがおかしいことくらい、あたしだって知ってる。
……分かってて冴子を送り出しちゃうなんて。
本当にあたしってバカだなぁ。
走り出すバギーを見送り、あたしも横転した車の陰に足音を忍ばせて歩いていく。
皆の傍まで見ると、色んな感情に満ちた視線に出迎えられた。
う……気まずい。
そうだ、今のうちに手紙を渡しておこう。
「高城さん。これ、あなたのお母様から」
知らん振りする高城の手に、無理やり手紙をねじ込む。
「あたしが言ってもたぶん信じられないだろうから、読んでみるといいよ」
一瞬敵意に満ちた目であたしを睨んだ高城は、いかにも不承不承といった様子で億劫げに手紙を読む。
その表情が不満から驚愕へ、驚愕から歓喜へと魔法のように移り変わっていくのを見守る。
手紙を読み終わった高城は、手紙を大切に懐にしまいながらあたしを軽く小突いた。
「助けてたのなら早く言いなさいよ!」
不機嫌そうな表情を作りながらも、喜びで興奮しているのは隠せないようでわずかに頬を蒸気させ、<奴ら>から隠れている中で器用に声を潜めて怒鳴ってくる。
どんなことが書いてあったのかは分からないけど、機嫌が良くなったようで何よりだ。これで何もかも償えるとは思えないけど、お姉さん冴子のことが絡まない限りは精一杯頑張るよ。
いじらしい表情の高城にあたしは笑った。
「ただ言葉にするよりも、説得力があるでしょう?」
「あんたねぇ……」
なおも高城は文句を口にしたそうにしていたが、口げんかしている場合でないことを思い出したのか気を取り直してあたしに向き直る。
「まあ、色々言いたいことはあるけど、今は簡便してあげるわ。感謝しなさいよね」
横で話を聞いていた夕樹が首を傾げた。
「えっと……、結局、どういうわけなの?」
高城はあたしをちらりと見てから夕樹に振り返る。
「落ち着いてから説明する。今はそれどころじゃないし」
一区切りついたと見たのか、井豪があたしたちに言う。
「そろそろ移動するぞ。孝たちが<奴ら>を引き付けてくれている間に、何とかして合流地点に向かおう」
おお、井豪が久しぶりにリーダシップを発揮してる。
何だか彼って一番割りを食ってる気がする。リーダー気質があるはずなのに性格が良すぎるせいで引いた立ち位置にいるから、あまり活躍出来なくて小室に麗を取られちゃってるし。いや、元を正せばあたしのせいだし死んでた方が良かったなんてことは絶対ないけどさ。
井豪を助けられたのは、あたしの数少ない自慢。
あたしが完全に女だったら、いかにも惚れちゃいそうないいオトコなのだ。外見だけでもかなり好みかもしれない。しかもかなりの善人ときている。
気を抜くと何かの拍子にコロッといきそうで怖い。うっかり血迷ったら拒否反応に潰されて酷い目に遭うから気をつけないと。
<奴ら>がこっちに向かってこないように、警戒していた平野が井豪に振り返る。
「この辺りはよく知らないんですけど、合流する道までの道は分かってるんですか?」
井豪は麗と少し顔を見合わせると、平野に説明する。
「大丈夫だ。この辺りは小学校の通学路だったから、麗がよく知ってるらしい」
「そういうこと。さ、ついて来て」
麗と井豪の先導で、あたしたちは走り出した。
□ □ □
激しく揺れるバギーの上に立つ毒島は、<奴ら>を見据えたままバギーを運転している小室に尋ねた。
「さて。嬌にはああ言ったが、どうするかね? ずっとこうしていても埒があかないよ」
バギーの後方からは、数えるのも馬鹿らしくなるくらい大勢の<奴ら>が、奇妙なうめき声を響かせながら迫ってくる。
その歩みは遅く、車で動ける二人にしてみれば亀が歩いているようなものだが、それでも数が多いので囮を務めるのは中々に重労働そうだ。
とはいえ、今の毒島は御澄の真意を知り、わずかな時間とはいえ再会を果たせたことで気力が充実しており、不安はあまり無い。
高城邸でのことについては忸怩たる思いだし、次会った時は御澄のことを叱らないといけないだろうが、助けようとしてくれたこと自体は嬉しかったのだ。
せめて今だけは御澄が無事だったことを喜んでいたいと思う。
「なるべくたくさん引き付けてから、川に入ります。<奴ら>は水の中じゃ動けないから、安全なはずです!」
小室は毒島にそう告げると、さらに引き付けようとややスピードを落としてバギーを走らせる。
しばらくすると、見渡せる範囲にいる<奴ら>が全員バギー目指して歩いていた。
その様を見て、小室は頭をかく。
「……ちょっと引き付けすぎたかな」
「君はやること成すこといつも極端だよ、小室君」
さすがにちょっと呆れた様子の毒島に突っ込まれ、小室は軽く落ち込む。
「でもおかげであらかた引き付けられたことだし、そろそろ川の中へ行くのかな? 私はいつでもいいよ」
少し楽しそうな表情の毒島の言葉に応じて、小室はバギーを川の方へと転進させる。
急勾配の坂をバギーで下りていくと、釣られた<奴ら>が次々と坂に足を踏み出し、転げ落ちていく。
その様子を横目で確認した小室がえっと驚きの声を上げた。
「あいつら階段は容赦なく上り下りしてくるのに、急斜面は下りられないのか!?」
もしかしたらこれで倒せるんじゃないかと淡い期待を抱いた小室が川原に倒れた<奴ら>を注視する。
だが残念なことに、<奴ら>は何事もなかったかのようにのそのそと起き上がろうとしていた。
ほどなくして起き上がった<奴ら>は再び二人が乗るバギーに近付いてくる。
「駄目か……くそっ」
険しい顔で悔しがる孝を毒島は真剣な表情で<奴ら>を睨んだまま、慰めの言葉をかける。
「簡単にうまくいくものでもないさ。当初の予定通り川に入ろう」
「そうですね。いきます」
小室はバギーを川に進入させる。
水陸両用の八輪バギーは水の中に入っても沈むことなく浮き上がったが、衝撃で水が跳ねるのまでは予想できず、二人とももろに頭から水を被ってしまう。
「冴子さん、大丈夫でしたか……って、うわわわ!?」
振り返った小室は、困った様子で制服をつまむ毒島を見てとても慌てた。
毒島の制服はびっしょりと濡れたせいで肌に張り付き、肌が透けて見えてしまっている。あろうことか、毒島がつけている紫色のブラジャーまでもが透けて見えている。
不思議なもので、小室の目にはメゾネットで見たような下着姿よりも、かえって艶かしく感じられた。
あの時毒島は堂々としていたが、今はちょっと恥ずかしがっているみたいなので、表情の違いもあるのかもしれない。
とはいえ、裸エプロンは良くても下着が透けるのは嫌だという毒島の感性は、小室にはよく理解出来なかったが。
なんとか透けずにできないものかと制服をつまんで持ち上げては離し、また持ち上げては離しを繰り返していた毒島は、まじまじと小室が固唾を呑んで見つめているのに気がつき、顔を真っ赤にして胸を隠す。
「見るな! 私も女だぞ!」
「は、はいっ、ごめんなさい!」
反射的に叫んだ小室は前に向き直り、取り繕うかのように川辺に取り残されている<奴ら>の様子を確認しながら慎重にバギーを進ませた。
目論見通り<奴ら>は川の中までは追ってこれないようで、川原で唸り声を響かせるばかりだ。
その光景に安心した小室はバギーのエンジンを停止させ、思わず深いため息をつく。
「男子がため息をつくのは感心しないよ」
顔を寄せた冴子に耳元で囁かれ、小室はドキッとしてあたふたする。
「あ、はい。でもちょっと冴子さん近過ぎ……」
「今はなるべく声を抑えたほうが良かろう?」
動揺しながらも、もっともな話にこくこくと頷いた小室に、冴子はなおも問いかける。
「ところでこれからの算段はついているのか? 川に入れば確かに<奴ら>からは逃れられるが、川岸には<奴ら>が溢れたままだ。いつまでも水の中にいるわけにもいくまい。このままでは何の解決にもならんぞ」
「大丈夫です。ほら、あそこを見てください」
そう言って小室が指し示したのは、川の真ん中に位置する中州だった。
「ほう、中州か……。考えたな、小室君」
感心した様子の冴子に、小室は照れたように鼻を擦ってみせる。
「この辺りは意外と深いし流れも速いから、子どもの頃絶対に遊ぶなって何度も言われてたのを思い出したんです。あそこならたぶん<奴ら>をやり過ごせますよ」
川の流れに任せて中州に乗り上げたバギーを、小室と毒島は二人がかりで上陸させる。
「うまくいくにしろ、いかぬにしろ、ひとまずはここで一休みだな」
バギーに腰掛け、張り詰めていた気を緩めさせる毒島に、小室は川岸を見据えたまま声をかける。
「交代で見張りましょう。とりあえず冴子さんは休んで……」
言いかけた小室の背後で、へくちっという可愛らしいくしゃみの音が響く。
今のってまさか冴子さんのくしゃみなのかと意外に思って振り返った小室が見たのは、頬を染めて顔を逸らし、寒さに縮こまる毒島の姿だった。
「す、すまない。今ので身体が冷えてしまったようだ。こんなことになるとは思わなくて、荷物を取らずに出てしまったから……」
どぎまぎして毒島の方を見ないように意識しながら、小室は自分の荷物を漁る。
「あの、それならとりあえずこれを」
一番に目に付いた代えの黒いタンクトップを見つけると、毒島に手渡した。
「ありがとう」
ちょっと嬉しそうな顔で受け取った毒島が着替えようとした手を止めて、ふと自分を見たままの小室をちらちらと見る。
「す、すみません!」
その意味をすぐに察した小室は、慌てて川岸に顔を視線を戻し、警戒を再開する。
後ろで微かに鳴る衣擦れの音に、小室は全身全霊で平常心を保たなければならなかった。
あそこにいるのは先輩、先輩、あくまでただの先輩、可愛く見えても手を出したらたぶん死ぬ。あとで鬼がやってくる殺されるむしられるのは嫌だー!
混乱し始める小室の頭に思い浮かんだのは、毒島の親友だという御澄という少女。毒島と同じく小室にとって先輩にあたる彼女は、毒島に対して並々ならぬ好意を寄せているようだった。
それは少々同性に向けるものにしては行き過ぎているように見えて、異性に対するものと同じなんじゃないかと小室は密かに疑っていたりするが、当の本人に聞けるはずもなくモヤモヤした状態のままそのままにしている。
彼女は別れ際にしっかり守れと釘を刺していったが、それが小室の耳には「手を出したらコロス」という意訳にしか聞こえず、小室は毒島に対して紳士的に振舞わねばならなかった。むしるという脅しが怖すぎる。いったい何をむしられるのか。
「もういいよ」
悶々としているうちに毒島が着替え終わったようで、小室は声をかけられて振り返る。
「さ、冴子さん!?」
「うん? 何か変だろうか」
狼狽しながらも視線は自分から動かない小室に、毒島は濡れて肌に張り付くようになった髪をポニーテールの形に括りながら尋ねる。
変も何も、小室が思った感想は全く逆のものだった。
全体的に雰囲気は一変しているが、相変わらず毒島は美しい少女だった。
髪型が変わった毒島は、髪を下ろしていた時とはまた違った魅力があり、その魅力を小室のタンクトップを着ているという事実が助長している。
艶かしい鎖骨のラインや、それとは対照的に無駄な贅肉無く引き締まり、鍛え上げられた筋肉を纏った身体のラインが、本来の美を損なうことなく単なる女性美ではない一風変わった魅力を形成している。
そして何よりも一番の問題は、毒島がブラジャーを付けていないということだ。一行の中では小さめだが、それでも十分に大きいといえるバストがタンクトップの中に押し込められ、乳首が布越しでも分かるほど浮き出ている。
元々毒島が常人とは一線を画した美少女であるという事実に加え、このインパクトは小室の理性に著しい衝撃を与えていた。
「違います! 変というわけじゃなくて、むしろ逆にその」
慌てて目を瞑って言い訳をする小室は、そうっと目を開いたことで自分を見つめる毒島の横乳がタンクトップでは隠し切れずに見えそうになっていることに気付き、またあたふたする。
その一部始終を見ていた毒島は、微笑ましいものを見るような顔で目を細めた。
「小室君は私をいつも女として見てくれるな」
女と見られるのが嫌いなのかと早合点した小室は、慌てて言い繕う。
「あ、もしかしてそういうの嫌だったり……」
「いいのだ。私は女だよ?」
返された返答はどこか嬉しげなもので、そうなると小室としてはいても立ってもいられないほど浮き足立った気持ちを隠すため、視線を逸らすしかない。
沈黙が気まずい小室は、何とか話題を探そうとしてポロッと口を滑らせる。
「あ、あの。冴子さんってやっぱり御澄先輩とそういう仲なんですか?」
「何故そう思うのかね?」
意表を突かれたであろうに、それを態度に見せることなく目を興味深そうに細めて聞き返してきた毒島に、逆に小室の方が慌ててしまった。
「いや、あの、だっていつも一緒にいるし、御澄先輩はあんな人だし」
しどろもどろな小室の言葉に答えることなく、毒島はただ遠くを見つめる。
「……有り得ないよ」
その言葉は小室が気まずさによる沈黙に耐え切れなくなってきた頃、ぽつりと呟かれたのだった。