→1.高城のお父さんに相談する
2.事故を起こす
いや、いくら冴子を助けるためでも、やっぱり自分から<奴ら>を呼び込むなんてそんな馬鹿なことはできないし、しちゃいけない。
もっと穏便に済ませられる方法があるんだから、どう考えてもそっちを選択するべきだ。
ここは一つ、冴子を連れて高城のお父さんを訪ねてみることにする。
回りに誰もいないのを確認して、外で作業をしている高城さんのお父さんの部下に面談の約束を取り付けてもらえるよう頼む。
しかしどうやら今高城のお父さんはとても忙しいらしく、今からだと時間が取れるのは早くても日が暮れてからになるという。
ダメだ、それじゃ間に合わない。
食い下がって今すぐ会わせてくれるように頼んだけれど、納得してもらえるような理由を思いつくことができず、子どものわがままとしてすげなく断られてしまった。
本当のことを言えればよかったけれど、前世の記憶で云々とか荒唐無稽すぎて信じてもらえるわけがない。夕樹が信じてくれたこと自体奇跡のようなものなのだ。
……気が進まないけれど、乗り込むしかないみたい。
邸に近付くと、入り口に佇む不良と鉢合わせた。
「決心がついたのか。案外早かったな」
嫌らしく笑う不良に吐き捨てる。
「違うわよ。時間はまだあるでしょ」
無視して邸に入ろうとしたら、不良に腕を掴まれ呼び止められる。
「待てよ、どこ行く気だ」
「離して。あんたには関係ない」
「いいのか。そんな理由で邸に入ったら、俺は他人に相談しようとしてるって見なすぜ」
不良がこれ見よがしにポケットから携帯を取り出してみせる。
それで協力者に連絡を取るつもりなんだろう。
……コイツ、携帯持ってることあたしたちに隠してたのか。
どうしよう。さすがにこのまま冴子のところに行くのは無理そうだ。
夕樹に対応を任せて、こっそり中に入ろうか。でも近くにいると思ってたけど、見える範囲に夕樹はいない。そういえば夕樹と分かれる時にどこに行くのかも聞いていなかった。これだけ大きいお邸じゃ、当てずっぽうで探したってすぐに居場所は分からない。
理由を取り繕おうか。ダメだ、疑われてる状態でそんなことしても騙されてくれるはずがない。今から冴子を探して、果たして間に合うのか。
待てよ? 冴子は高城のお父さんと一緒にいる。なら話が終わるまでは安全は確保されているはずだから、その前にあたしがたどり着ければ何とかなるかもしれない。
不良が電話を持っているのもかえって好都合。携帯の履歴を調べれば誰に連絡したかなんて一目瞭然だし、相手も携帯を持っているなら、登録されている名前が本名じゃなくてもかなり協力者を絞り込める。時間短縮が見込める。
いけるかもしれない。
そう考えて、あたしは賭けに出た。
「好きにしなさいよ」
「……へ、そうかい」
腕を振り払い、電話をかけ始める不良の横を通り過ぎる。
もう後戻りはできない。早くあいつより先に冴子を見つけて高城のお父さんのところにいかないと。
急いで辺りを見回し、目に付いた高城のお父さんの部下に冴子の居場所を尋ねて走り回る。
幸い高城のお父さんとの会談の最中だったので、冴子の居場所はすぐに判明した。
すぐに移動し、教えてもらった部屋の前に到着する。
話が長引いているらしく、もう終わってしまったかと心配したけれど部屋の中にはまだ冴子たちがいるようだった。
冴子が無事だったことにほっとしながら聞き耳を立てると、高城のお父さんとのやり取りが聞こえてくる。
「どうしても、受け取ってはもらえないか」
「私は友人と約束しました。彼女とともに此処に残ると。望んだ選択ではありませんが、それでも私は彼女の意志を尊重したいのです。高城家令嬢をお守りすることができない私には、この刀をいただく資格がありません」
雲行きの怪しい会話に思わず首をひねる。
何だかおかしなことになっている。
ここは冴子が刀を受け取るシーンのはずなのに。
まさかあたしが冴子を引きとめたせいか?
首を傾げたあたしは、次の瞬間あることに気付いて蒼白になった。
この雰囲気の中出て行くの?
冴子が高城のお父さんの頼みを断る原因になったあたしが、ずうずうしくも高城のお父さんに冴子が命を狙われているので助けてくださいって頼むの?
面の皮が厚いってレベルじゃないよこれ。
とてもじゃないけど、まともに聞いてもらえるとは思えない。
「それは私の娘よりも、君の友人を優先するということかね」
「……無礼を承知で申し上げますが、その通りです」
冴子と高城のお父さんの会話はかなり緊張を孕んでいる。
迷ってる暇はない。今更後戻りはできない。駄目もとだと分かっていても、飛び込むしかないんだ。
躊躇いを振り切るように、勢いよく息を吸い込む。
ええい、こうなったら出たとこ勝負!
「すみません、失礼します!」
叫んで、襖を開けた。
緊張で力加減を誤り、勢い余った襖がすぱーんとかなり派手な音を立てる。
いきなりやってしまったと青ざめるが、後悔してももう遅いし慌ててる場合じゃないとあたしは自らを叱咤して平常心を保つ。
「嬌? どうしてここに?」
驚いた表情でこちらに振り向く冴子とは対照的に、高城のお父さんはあたしにちらりと視線を向けただけで、無表情を崩さない。
「何事だ、騒々しい」
あたしは居住まいを正し、座敷に乗り込んだ。
「ご無礼を働き、申し訳ありません。私は冴子の友達の御澄嬌といいます」
「……君が毒島家ご息女の言うご友人、か」
眼力の強さに怯みかける体を必死に押し留める。
特に声を荒げているわけでもなく、ただ自然体であるだけなのに、相対しただけで身体が震えるほどの威圧感を高城のお父さんは纏っていた。
「このような形でお会いできる立場でないことは、十分に存じております。ですがそれを承知でお願い申し上げたいことがあるのです」
「……生憎出発を2日後に控え、予定が立て込んでいる。私に会いたいのならば、時を改めてもう一度会いに来るがいい。要件はその時に聞こう」
一抹の不安は抱いていたものの、まさか本当に話すら聞いてもらえずに断られるとは思っていなかったあたしは、思わず呆然として高城のお父さんを見つめる。
「私としても、一度譲ったものを返されたからといって受け取るわけにはいかぬ。もう一度会談の席を設けるまで、どうかそれは貴女に納めてもらいたい」
高城のお父さんは冴子にそう言うと、結局冴子が受け取らなかった刀をその場に残したまま、足早に座敷を後にした。
残されたあたしは、呆けたままへなへなとその場に腰を落とす。
話すら聞いてもらえなかった。
何故、と自問自答しようとして、あたしは気が急ぐあまり、入る前に声をかけて入室許可を求めるという、常識として当然のことすらしていなかったことに、ようやく気付く。
しかも正座で待たずに、自分から立ったまま座敷を跨いでしまった。開けた襖も閉めた覚えが無く、見てみれば案の定あたしが開けた襖はそのまま開きっぱなしになっている。
思わず天井を仰ぎ、手で顔を覆う。
予定無しに乗り込んだ挙句に、とんでもない礼儀知らずな真似をしてしまった。こんなの、うまくいかなくて当然だ。
どうしよう。あたし、失敗しちゃった。
「何かあったのか? 普段目上に対して礼儀正しい君が、こんな無作法を働くなんて……」
襖を閉めた冴子が心配そうにあたしを見上げる。
頭の中を焦燥感が埋め尽くし、頭を抱えた。
あたしは冴子の質問に答えられなかった。
今直面している問題を知らないから、冴子はいつもと同じように凛としている。いや、むしろいつもよりも少し穏やかで、どちらかというと歳相応に素が出ている方かもしれない。
命を懸けてでも、あたしが守りたい人。
ずっと冴子を守るために頑張ってきたのに、何てことだ。
冴子のために良かれと思ってした行動が完全に裏目に出てしまった。危険から遠ざけるどころか、これではあたしが冴子を危険に放り込んだのと同じことじゃないか。
無理を通したせいで不良はもう冴子を殺すために動き始めてしまっている。これから先冴子にどんな危険が迫るか分からない。
こんな展開、ちょっと考えれば予想できたはずなのに。予想していなきゃいけなかったのに。
原作知識を思い出したことに浮かれて、その通りに物事が進むんだと思い込んでいた。あたしががしてきたことも忘れて。そんな保障どこにもあるはずがないのに。
予想外の事態を目の当たりにして狼狽して、最低限の常識に従うという当たり前なことですら、あたしの頭からは吹っ飛んでしまっていた。
失敗した。なら次はどうすればいい? どうすれば冴子を守れる?
真っ先に考え付くものは一つある。
とはいえその選択肢を実行に移すにはかなりの覚悟が必要だ。
たくさんの人が犠牲になる。
きっと冴子とも修復不可能な溝が生まれる。
事情を説明しようにも、前世の記憶に関わることだから話せない。こんな荒唐無稽な話、話しても信じてもらえるものか。かえって話をこじらせるだけだ。
高城にも憎悪されるだろう。
小室たちだって、あたしを敬遠するに違いない。
当たり前だ。あたしだって小室たちの立場になれば、自分みたいな女と係わり合いを持ちたいとは思えない。核弾頭を背負った人間の隣で歩いているようなものだ。
自分で自分の首を絞めて、そのたびに他人を巻き込んで自爆する、なんてはた迷惑なピエロ。
こんなことをしたって、きっと冴子は喜びはしない。他人に犠牲を強いるこの方法が、冴子が望むような解決方法であるはずがない。
バカなことをしようとしているってことは自分でも分かってる。
でも、それでも。あたしは冴子に死んで欲しくなかった。あたし自身を含めた誰を犠牲にしてでも、冴子には生きていて欲しかった。
小室に冴子を取られたくないとか、そんなものは私情に過ぎない。
結局のところあたしはただ、冴子を守りたいだけなのだ。
友達になってから、冴子にだけは嫌われたくないと思って生きてきた。
隣に並んでくれる冴子を、あたしみたいな人間を友達にしているという理由で汚さないように、少しでも冴子と釣り合うように精一杯背伸びして生きてきた。
全てはいつか冴子のパートナーとして、それが駄目でも、せめて一番の親友として隣にいたかったから。
「……ねえ。冴子が残るのを決めたのって、やっぱり死にたくないから?」
質問の答えを返さないまま、突然あたしが逆に質問したことに冴子はちょっと驚いたようだったが、すぐに穏やかに笑った。
「一介の剣士として剣の道を歩むと決めてから、いつでもその覚悟はできている。死にたくないというのは確かにそうだが、それだけじゃないよ」
「……それは、あたしのため?」
さすがに明確に言葉にされると少し気恥ずかしかったのか、冴子は言葉を口に出さず、ただ微かに頬を染めて頷く。
胸を打たれて、思わず着ていた着物を両の手でぎゅっと押さえつけた。
嬉しい。すごく嬉しい。この喜びを外に表せないのが辛いくらい。
その嬉しさが、皮肉なことに迷っていたあたしの背を押してくれた。
「小室のこと好き? もちろん恋愛対象として」
「いきなりだな? 確かに好ましい男子だが、別にそんな感情など抱いていないよ」
視線を向ければ、いつも通り冷静さを崩さない冴子の顔があった。
一見なんとも思ってなさそうだけど、冴子だからなぁ。取り繕ってるだけで、実は好きだなんてことも十分に有り得る。
次の質問に移るために、あたしはこの質問については煙に巻くことにした。
「冗談よ、冗談」
「そういうことを冗談交じりに尋ねるのは感心しないぞ」
ちょっと不機嫌な様子の冴子に窘められる。
うーむ、いまいち冴子の本心が掴めない。
もうちょっと踏み込んだ質問をした方がいいのだろうか。
「処女をあげるなら、冴子は誰がいい?」
その瞬間の冴子のリアクションといったらなかった。
あの冴子が、まるで普通の女の子みたいにのぼせ上がって動揺し、何か言い募ろうとして口を開けては、結局何も言えず俯いて黙り込むなんて。
いや、ちょっと人より強いだけで、冴子だって普通の女の子なんだけどさ。
ああ、でもこんな風に反応するってことは、冴子ってばやっぱり好きな人がいるのかなぁ。
「で、どうなのよ?」
「う……」
全力で視線を逸らす冴子をにこにこ微笑みながらじっと見つめる。
やがて横顔に突き刺さるあたしの視線に耐えられなくなったのか、冴子が眼を潤ませて口をへの字に歪め、あまつさえ嗚咽を漏らしそうになったので、あたしは慌てた。
「ごめんね、答えにくいこと聞いちゃったね。冗談だから無理に答えようとしなくていいからね」
「君は、本当に、性質が悪いぞ……!」
ちょっと恨めしそうな冴子の声。
「ごめんってば」
手を合わせてもう一度謝って謝意を示し、あたしは努めて普通に言った。
「それでさ、あたし冴子に此処に残って欲しいって言ったけど、それ取り消すよ。あたしは大丈夫だから、冴子は小室たちを助けてあげて?」
なるべくいつものあたしを意識して言ったつもりだが、発言の内容自体が不信感を与えたらしく、冴子は顔を強張らせた。
「何故だ? 先ほどのことを気に病んでいるのなら心配は無用だぞ。君と一緒に居たいというのも私にとっては本当なんだ。妙な遠慮はしないでもらいたい」
「……ほんとう?」
「本当だよ。こんな時に嘘は言わない」
じっと冴子を見つめる。
先ほどまでの取り乱し様はなりを潜め、冴子はすっかり冷静さを取り戻していた。
本心なのか、それともあたしを気遣ってるだけなのか、判断がつかない。
ねえ冴子。それって本当にあたしのことを本心から選んでくれてるって思っちゃってもいいのかな。本当にあたしを選んで、あなたは後悔しないの?
あなたが本心を見せてくれないなら、あたし、怖くて聞けなかったこと、聞いちゃうよ。
たった今思いついた質問であるかのように、まるで本当の冗談のような気軽さで。
事が起こってからずっと、心に秘め続けたこの質問をあなたに問いかけちゃうよ。
「じゃあさ、あたしと小室なら、恋愛対象としてどっちが好き?」
「え──?」
びっくりしたようにきょとんとした表情であたしを見下ろしてくる冴子の肩に手を添え、しっかりと目を合わせる。
親友という居心地の良い冴子との関係を壊したくなくて、聞きたかったけれど我慢していた言葉。
冴子の本心を知るための試金石として、悔いの無いように今ここで吐き出してしまおう。
ここから先は冗談抜きだ。あたしも本気で、ぶち当たる。
「もし小室の方が好きなら眼を逸らして。もしあたしの方を好きでいてくれるなら……キスしてもいいかな」
一秒。
二秒。
三秒。
少しずつ顔を近付けていく。
永遠にも思える時間。
揺れる冴子の瞳に、緊張した面持ちのあたしの顔が映っている。
わざわざこんな時に聞く必要はなかった。
それでも聞いたのは、本当に冴子のことが好きだったから。
好きだからこそ、どんな答えが返ってくることになっても受け入れよう。
静かにその時を待つ。
やがて。
あたしを見つめていた冴子は、気まずそうな顔で、眼を逸らした。
冴子の心の中でどんな葛藤があったかは分からない。
悩んでくれたのかもしれないし、冴子にとってもこれは苦渋の選択だったのかもしれない。
だけど冴子があたしを拒絶したという事実は変わらない。
それが全てだった。
「……そっか。強引な方法で聞いちゃってごめんなさい。でもありがとう、正直に答えてくれて嬉しい」
「違うんだ、これは……別に君が嫌いとかそういうわけじゃなくて」
慌てて弁解しようとする冴子から離れ、あたしは笑って首を横に振る。
「ううん、気にしなくていいよ。だって」
泣きそうな気持ちを隠し、あたしは大きく息を吸い込む。
こんな質問をしなくても、最初からうすうす全部分かってたんだ。やっぱり予想通りだった。
だけど割り切ることなんてできなくて、もしかしたらという一縷の望みに縋った。結局駄目だったけど。
本当に、冴子は優しいね。小室の方じゃなくて、ずっと付き合いが長い親友だとはいえ、恋愛対象ではない同性のあたしを優先してくれてたなんて。
律儀すぎるよ、冴子は。
でも冴子は小室のことが好きなことに変わりはないんだね。
頑張って冴子の友達を続けてきたつもりだったんだけどな。やっぱり同性で友達でしかないあたしじゃ小室には敵わなかったか。
仕方ないよね。実際小室は格好いいし、原作だって冴子は小室に惚れてたもん。あたしがどんなに頑張ったって、冴子は小室とそうなる運命だったんだ。
ならその恋を成就させてあげるのが、友達ってものだよね。
あたしの恋は悲しい結果に終わってしまったけれど、おかげで決心がついたよ。冴子の恋をあたしの恋みたいに失恋で終わらせたりなんかしない。
あなたのためなら、あたしは自分の心にだって嘘をつく。人に指差され石を投げられる悪魔にだってなってやる。
大げさに手を広げ、冴子に笑顔で告げた。
「ぜーんぶ嘘だからね! 驚いた? 嬌ちゃんの必殺悩殺ジョークでしたー。びっくりした? ねえびっくりした?」
ひゃっほーい! と両手を挙げてうざいくらいにテンションを上げて冴子にまとわりつく。
「うっしっし。さすがの冴子さんも本気で信じ込んでいましたね。あたしってばマジ名女優!? うひょーこれであたしも芸能界でびゅーか!? あ、でも今その芸能界自体が機能してないんだったー! 嬌ちゃん残念!」
やけくそ気味に声を張り上げて笑顔で背中に抱きつくと、彫像のように固まってポカンとしていた冴子が、ようやく理解したのかどっと疲れを滲ませた表情で言った。
「……まだその冗談が続いていたのか。いつにも増して酷いぞ。最悪だ」
あたしは冴子の背中でテヘヘと笑う。
「ごめんごめん。でもやっぱり冴子は自分の心にもっと正直になった方がいいよ。こんなご時世なんだもの。恋心を隠したままでいたら、きっと冴子だって後悔しちゃうよ」
口にする言葉は、全て自分に突き刺さるブーメラン。
だからあたしはバカなんだ。
でも仕方ないじゃないか。あたしが何より望んでいるのは、冴子の幸せなのだから。
「しかし私は……私には、そんな資格があるとは思えない。君も知っているだろう? 私の罪を」
此処で話し始めてから初めて冴子の声が震えた。
それが指し示す事実は、やっと冴子の本心が出てきたのだということ。
「そうだね。でもきっと受け止めてくれるよ。冴子の罪も、本当の姿も、きっと」
小室ならきっと冴子の全てを受け入れるはずだ。
悔しいけど、彼はそれだけの器を持ってる。
一見やる気が無さそうに見えても、いざとなれば危険を顧みず勇敢に<奴ら>に立ち向かっていく。ありすちゃんを助けたみたいに正義感もあって、見知らぬ誰かのために身体を張れる魅力溢れる男の子。
こんな子今時そうそういない。
冴子の髪がさらりとゆれる。
まるで迷い子のような表情で、冴子が振り返って私を見つめていた。
「そうだろうか……。本当に私を、受け止めてくれるだろうか……」
弱音に満ちた冴子の声。
その手を優しく包み込むように、あたしは自分の声を被せる。
「大丈夫だよ。だって冴子はこんなに飛びっきりの美少女なんだから。冴子はもっと自分の恋に対して我がままになるべきだよ」
あたしを見つめてくる冴子に微笑み、時計を確認すれば、あれからもうかなりの時間が経っている。
高城のお父さんが残していった刀を見て、あたしはちょっと思案した後に拾い上げた。
「ほら、着替えて皆のところに戻ろう? 小室と宮本がそろそろ出発する頃だよ。早くしないと遅れちゃう」
表情を隠すために後ろに回って動きの鈍い冴子の背中を押して部屋に戻る。
借りていた着物から元の服に着替え、後のことに備えてこっそりプロテクターやクロスボウなどの装備を解体して自分のバッグにしまっておく。
バッグを肩にかけ、冴子の方を振り向くと、冴子は着物を脱いで服を手に持った状態で、まだ先ほどの余韻を残した物憂げな表情のまま立ち尽くしていた。
「何してるの? 早く着替えなよ」
「あ、ああ」
我に返り、ぎこちない手つきで服を着ていく冴子。
服を着ただけで終わらせようとした冴子に、あたしが無言で首を横に振ってやると、諦めたようにため息をついてしぶしぶ自分の装備を装着していく。
あたしが装備を準備していることに違和感を抱かせないためにセットで用意したものだけれど、結果的に大正解だったようだ。
着替え終わった冴子は、何か問いたげな視線を向けてくる。
さすがにさっきの冗談の連発は、いつもみたいに誤魔化すにはちょっと違和感が有り過ぎたかもしれない。
それでもあたしは冴子の背中を後押しするために、いつもと同じ調子を心がけて接する。
「わーお! 冴子ってば超せくしー! これなら男どもは誰だってイチコロだね」
「さすがの私もこうも繰り返されれば学習するぞ」
「えー何そのつまんない反応」
「……まったく、君は」
ジト目で見つめてくる冴子に、あたしはいかにも残念であるかのように装い不満を漏らす。
「あ、そうだ。これ」
あたしは何気なく冴子に刀を手渡す。
「とりあえず冴子が持っててよ。あたしが持ってても仕方ないじゃん」
「む。しかし」
「いーから! さっさと受け取る!」
「むう」
不承不承受け取った冴子が腰に刀を携えたことを確認したあたしは、スタンガンをいつでも使えるようにしながら部屋のドアを開けた。
スタンガンを用意したのは、不良と決裂した以上そろそろ襲われても不思議じゃないと思ったからだ。
案の定ドアを開けたとたん、出し抜けに迫ってきた包丁の刃。
驚きで目を見開く冴子目掛けて不意打ちしてきた包丁を持つ下手人の手をとっさに掴み、当たる前に片手で何とか捻り上げて拘束する。
あんまりこういうのは得意じゃないけど、あたしでも予測さえしていればこれくらいのことは出来るのだ。
腕力だけは強いしね。
自画自賛しながら下手人の背中に取り出したスタンガンを押し当てた。
高電圧の電流が流れ、下手人は悲鳴のようなうめき声を上げて倒れ付す。
顔を確認してみると、見知らぬどこにでもいそうな中年の女の人だった。
どうやら不良の連絡を受けて部屋の外で出待ちしていたらしい。
年齢的に、メゾネットで死んじゃった誰かの母親とか、かな。
ごめんなさい、と心の中で詫びる。
「妙だな。誰だ?」
邸内で見覚えのない人物に襲われたことに、冴子が怪訝そうな顔をしている。
「分からないけど、高城のお父さんの部下の人に頼んどけばいいんじゃない?」
平常心を意識して、あたしはニヤニヤしながら冴子をからかうように言った。
「それより早くいきましょ。早くしないと小室と宮本に会えなくなっちゃうよ?」
「え、でも私は」
気まずそうな顔をする冴子の手を引き、途中ですれ違った高城のお父さんの部下の人に邸の中で襲われたことを告げて対応をお願いする。
慌てて走っていく後姿に目礼すると、あたしは冴子と一緒に外に出た。
眼に飛び込んでくるのは、とても嬉しいことがあったかのように、飛び跳ねて喜びを表現している鞠川先生の姿。
あたしはそっと冴子の背を押す。
「ほら、行きなよ。今ならまだ間に合う」
だというのに、冴子はこの期に及んで一歩を踏み出そうとはしなかった。
「……やはり私は行けない。私は彼らについていくべき人間ではない」
「もう。まだそんなこと言うの?」
「だって君も見ただろう!? あの時の私は本当に」
声を荒げようとした冴子の唇に、そっと人差し指を当てて止めさせる。
そんなことは、冴子が今言うべきことじゃないはずだ。
冴子は黙り込んだものの、意地でも意思を曲げるものかと間違った方向に決意を固めた眼であたしを見ている。
頑なな冴子の態度に、あたしは深いため息をつく。
鞠川先生を見れば、小室から携帯を借りて電話をかけようとしていた。
都合が良すぎるタイミングに苦笑する。
タイミングがずれてたらまだ思い留まれたかもしれないのに。
ままならないなぁ。本当に神様は意地悪だ。
細部が変わって色々展開も変わっているにも関わらず、こういう時はきっちりと辻褄合わせをしてくる。
もしかしたら何も起こらないかもしれない。
全部あたしの思い過ごしかもしれない。
停電なんて起きないと決め込んで、他の選択肢を取るべきなのかもしれない。
今だって本当は、それが正しいんじゃないかって不安は拭えない。
だけどこれなら冴子を不良やその協力者たちから守りつつ、小室と一緒に脱出させてあげられる。冴子の恋だって、もしかしたら実を結ぶかもしれないんだ。
それにさ。一度経験しちゃうと怖いんだよ、起こるかもしれないのが分かっているのに、何もしないままでその時を待つっていうのは。
原作で停電が起きたのは鞠川先生が電話をしている最中だった。今目の前では鞠川先生が原作通りに電話をかけようとしている。やるならタイミングは今しかない。
学園のバスは無いけれど、ちょうど事故を起こすのに都合がよさそうな補強された避難用のバスが荷物を積むために車庫から出ていて、すぐ近くでエンジンキーを刺したままの状態で待機してる。
補強されているなら走れなくなるまで破損することはないはずだ。仮に停電が起きなかった場合でも、バスが使えなくなることはない。
止めようとしてくる人たちがいても、スタンガンで排除できる。
普通の女の子ならバスの運転なんてできないけど、前世の記憶から無理やり乗用車の運転経験を引き継がされたあたしなら可能だ。
恐ろしいよ。奇跡みたいな確率なはずなのに、実行するためのピースが全て揃ってる。まるで誰かがあたしにやれって囁いているみたいだ。
紫藤が死んでるだけならそもそもこんな選択をする必要なんてなかった。
不良に脅されているだけなら、解決する方法なんて他にいくらでも見つけられた。
あの時冴子の優しさにつけこんで安全な場所にいてもらおうと変な画策をしなければ、冴子をこんなに苦しめることにはならなかった。
冴子の背を押すためだけなら、こうして色んな人を犠牲にするような悪手なんて絶対に取らずに済んだのに。
一つ一つだけならそれほど問題なかったことが、いくつも塵のように積もり重なって、気がつけばあたしはこんなコトをする羽目になっている。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。あたしは冴子のためを思い頑張ってきただけなんだけどなぁ。
全部自業自得なのがまた私らしい。
本当にあたしはバカだ。成長ってものがまるでない。
何度痛い目にあっても、懲りずに同じ間違いを繰り返してる。
でもしょうがない。
あくまであたしは前世の記憶を持ってるだけの凡人にすぎないし、どんな言い訳を口にしたって、過去の行いが変わるわけじゃない。
結局今回のこれだって、限られた条件の中でもがきながらあたしなりに必死に考えて出した答えなんだ。
「冴子」
あたしが一番大好きで、大切な人に呼びかける。
梃子でも動かないぞ、とやぶにらみで見つめてくるその人の手を取り、両手で握り込んで額を当てる。
奇麗な容姿に反する剣ダコだらけの手は、冴子が今まで積み重ねてきた努力の証。
剣の道を志す者には仕方がないことだって笑ってたけど、冴子って実は結構自分の手のこと気にしてたよね。
こっそりあたしの手と見比べて、ため息ついてたこと知ってる。
剣ダコだらけでも、あたし冴子の手嫌いじゃないよ。
あなたを守る。例え、皆を敵に回してでも。
「誓うよ。これから先、どんなことがあっても、その結果あたしがどんな目に遭おうとも、あたしは最期の瞬間まで冴子のためにこの命を使い続ける。そのためなら、地獄に落ちることになったって構わない」
「……嬌?」
いつものあたしと違うことに、歳相応の幼さを感じさせる不安そうな冴子の声。
そりゃ不安にもなるよね。冗談で誤魔化してるけど、さっきからむちゃくちゃ不自然だもん。
でもごめん。今回も本気なんだ。
「あたしね、冴子のその性格好きだよ。そりゃ嫌なことだってなかったわけじゃないけど……冴子がそんな性格だったおかげで、あたしは冴子と友達になれた。だから辛かったこともひっくるめて全部、今はかけがえのない出来事だって思えるの」
息を飲む音が聞こえる。
きっとあたしがレイプされた時のことを思い出してるんだろう。
あの時、間に合わなかったことを冴子は今でも悔いているようだから。
でもそれは冴子のせいじゃない。
何か理由があって助けるのが遅れたとしても、助けに来てくれた冴子を、どんな理由であろうとあたしが恨むということだけは絶対にない。
「だから冴子はもっと欲張りになっていいんだよ。自分の心を恐れないで。それで罰が下るなら、きっと神様の方が間違ってる。そんな罰は、あたしが代わりに全部被ってあげるから」
未練を振り切るように勢いよく冴子の手から手を離し、あたしは走り出す。
近付いたことであたしに気付いた小室たちの横を通り、少し離れた場所で独り携帯を弄くっている夕樹から携帯を失敬する。
「悪いけど借りるね!」
「ちょっと御澄、何するのよ!」
最初の方こそ取り替えそうと追いかけてきた夕樹だったけれど、あたしがバスの前まで来ると顔色を変えた。
「あんたまさか」
あたしを凝視する夕樹にあたしは困ったように頭をかく。
「ごめんね。あたしバカだから、結局こんな方法しか思いつかなかった」
身勝手な理由で巻き込んでしまうことを心の底から詫びつつ、バスに素早く乗り込んだ。
「君、作業の邪魔だから降りて──ぐわっ!」
声をかけてきた中にいた人に、<奴ら>が来てもなるべくすぐに動けるよう弱めの電圧でスタンガンを押し当て、バランスを崩したところを蹴っ飛ばして強制下車してもらう。
あとのことを考えるともうちょっと丁寧にしてあげたかったけど、もたもた下ろしている時間が無かったのでどうしても手荒にならざるを得ない。歩けなくなるような怪我をしていないことを祈る。
しっかりとドアを閉め、運転席に座ってシートベルトを締めた。
ああ、色々悩まされてきた前世の記憶だけど、車の運転経験まで引き継がれてることだけは本当に感謝しよう。
外ではようやくあたしに気付いて騒ぎが起き始めたようだけれど、もう遅い。
バスを発進させ、加速する。
進行方向に何故かのこのこ不良が出てきたので、とっさにかわせずに跳ね飛ばしてしまった。
死んじゃってたらどうしようと慌てたけど、あたしがいなくなった後で冴子と一緒にバギーに乗り込まれても困るから、これはこれでいいかもしれないと思い直す。
というか一番忘れてはいけない不良の対処をすっかり忘れていた。逆恨みであることは十分自覚しているので、あたし自身の手で手を下さなければならないということに気が咎め、無意識に考えないようにしていたのかもしれない。
間接的とはいえ、協力者を皆殺しにしようとしているのに今更いい子ぶってどうするんだあたし。冴子の命に関わるんだから、うっかりでは済まされない。もう少ししっかりしないと。
こういうのも不幸中の幸いと言うのだろうか。
門を過ぎ少し進んだところで、バスが急にエンストを起こしてブレーキが効かなくなった。
夕樹の携帯を取り出してみれば、壊れていて電源がつかなくなっている。
案の定過ぎて思わず苦笑が漏れた。
携帯をしまい、ハンドルを握る両腕を踏ん張って衝撃に備える。
「本当、嫌になっちゃう。こんなことばっかり、きちんと原作通りに起こるんだから」
もう止めたくても止められない。賽は投げられた。ならばあとは委ねよう。
あたしを乗せたバスはそのまま<奴ら>の侵入を防ぐバリケードに突っ込み、人力では修復不可能なほどにバリケードを破壊し吹き飛ばした。