1.冴子に頼む
→2.自分が上がる
車の天井に上がろうとしたあたしに、冴子が荷造り用のビニール紐を差し出してきた。
「何これ?」
意図がよく分からず首を傾げるあたしに、冴子が説明する。
「片方を車内に固定してある。これで振り落とされないようにしておいた方がいい」
「……途中で千切れるんじゃない?」
「大丈夫だ。やり方次第ではバンジージャンプだってできる。昔君に借りた漫画に載っていた」
「それフィクションだから! 実際にやったら大怪我するってば!」
変なところで冴子は天然だから困る。
「そうなのか?」
冴子がショックを受けた顔をした。
一部始終を眺めていた高城が会話に参加してくる。
「別にいいんじゃない? 二重三重にすれば耐久性も充分だし、振り落とされないように胴体を固定するだけなんだから、巻く前に厚手の布でも当てておけばいいでしょ」
高城はあたしと冴子のやりとりを見てニヤニヤと笑っていた。明らかに面白がっているのが丸分かりである。
「そうか。なら大丈夫だ。幸い残った彼らの衣服がある。当て布は豊富にあるぞ」
差し出されたビニール紐と、あたしが断るとは思ってもいない表情の冴子を交互に見つめる。
まあ、確かに言うことには一理ある……かもしれない。人数多くて長時間しがみ付くのも大変だろうから、した方が良い……のか?
よく分からなくなってきた。
「あたしがやるんだったら小室君と宮本さんもした方がいいんじゃないかな。だからどうするかは任せるよ」
判断に困って二人に丸投げする。
「なるほど、それもそうだな。小室君、君たちはどうする」
振り向いた冴子に、小室が苦笑した。
「えっと……いざという時に動けるようにしておきたいので俺たちは遠慮しておきます。御澄先輩にやってあげてください」
丸投げした判断が墓穴を掘って戻ってきた。
こうしてあたしだけ、命綱付きで天井に上がることになったのである。ううう、冴子の気持ちは嬉しいけど、格好悪いし動き難いよこれ……。
□ □ □
初めは<奴ら>の姿は無かったが、進むうちにあたしたちは転進を余儀無くされていった。
進めども進めども<奴ら>だらけの風景に、麗が焦れたように叫ぶ。
「どうしてこんなにいっぱい居るのよ! これじゃ何時まで経っても辿り着けない!」
「そこ左! 左に曲がって!」
高城の声に従い、鞠川先生が四つ角で急ハンドルを切る。タイヤが地面に激しく擦れる日常ではそうそう聞くことのない音を立て、車はほとんどスピードを落とさずに角を曲がった。
振り落とされないように必死に車にしがみ付いた小室が、麗を支えながら顔を上げる。
「何だってんだ!? 東坂二丁目に近付くほど<奴ら>が増える一方じゃないか!」
「何か……何か理由があるはずよ!」
麗が小室に言う後ろで、あたしは眼を凝らしていた。何か危険があるなら、できる限り早く見つけるのがあたしの役目だ。
記憶では高城の家に着く前に何かあって、高城の母親に助けられた気がするんだけど、相変わらずおぼろげで肝心の何があったのかが全く思い出せない。
<奴ら>の向こうで何かが太陽光を反射してキラリと光った。よく見るとそれは前方一体に張り巡らされた何かのようにも見える。
「宮本! 前方に何かある!」
声を掛けると麗は眼を細めてあたしが指し示す空間を凝視する。
必死に車を運転する鞠川先生が、佇む<奴ら>を見て叫ぶ。
「ここにも<奴ら>がいるわよ!」
「突破できないほどじゃない! 押し退けて!」
助手席に座る高城が鋭く声を張り上げた。
車はそのまま突っ込み次々に<奴ら>を跳ね飛ばしていく。
視界がクリアになって、やっと麗とあたしは前方にあるモノの正体を掴んだ。
そうだ、ワイヤートラップ!
「いけない! 鞠川先生、ブレーキ踏んで!」
「え?」
アクセルを強く踏み込んでいた鞠川先生は咄嗟に反応できなかった。
叫んだあたしたちに続き、気付いた冴子が後部座席から身を乗り出す。
「ワイヤーが張られている! 車体を横に向けろ!」
強行突破させようとした高城が唖然として冴子を見る中、鞠川先生が慌ててブレーキを踏み、めいっぱい左にハンドルを切る。
車体を横に向けることには成功したものの止まりきれず、かなりの勢いで車はワイヤーに接触した。車とワイヤーの間にいた<奴ら>が押し潰され、バラバラに切断される。
原形を留めない人体の欠片が大量の血と共に窓ガラスにぶちまけられた。
「見ちゃ駄目だ!」
反射的に平野がありすを抱き寄せ、凄惨な光景を遮断する。
ワイヤーを巻きつけて固定している電信柱の表面が砕けて削られたことが、接触した時の衝撃を物語っていた。
麗がなおも動く車を見て動揺する。
「!? 滑り過ぎてる!」
運転席では鞠川先生が必死にブレーキを踏み込んでいるが、車は一行に停止する気配を見せない。
「停まって! どうして停まらないの!?」
焦るあまり珠の汗をにじませながら足元を見る鞠川先生に高城が叫ぶ。
「人肉、違う、血脂で滑ってるのよ!」
後部座席から井豪、平野、夕樹の声が次々に飛んだ。
「摩擦が無くなってブレーキが効かなくなってる! 地面にぶちまけられた油と同じだ!」
「タイヤがロックしてます! ブレーキ離して少しだけアクセルを踏んで!」
「急ブレーキでタイヤの回転を止めてるから滑るのよ! ゆっくり回転させてやれば元に戻るわ!」
「分かったわ、やってみる!」
鞠川先生がペダルを踏み替えると、ロックが解除されて車が加速する。
壁に一直線に突っ込もうとする鞠川先生に小室が慌てた。
「先生! 前っ、ぶつかる!」
「ひえええええっ、あたしこういうキャラじゃないのに!」
再びブレーキを踏む鞠川先生の叫びと共に車が急停止した。
「ぐえっ」
天井にいたあたしたち三人は、慣性を殺しきれず盛大につんのめった。
あたしは命綱がその役目を果たして転落は免れる。小室も堪えたが、何もつけていなかった麗が前方に放り出された。
小室が麗に手を伸ばすが、掌1つ分の差で空を掴んだ。
呆然とした表情のまま麗は背中を車の角で強打し、地面に転がり落ちる。
すぐに起き上がろうとするが、背中を痛めたようで麗は起き上がれない。
「スライドを引いて」
呟きながら小室が飛び出す。
麗の傍に着地すると、ショットガンを<奴ら>に向けて構えた。
痛めた身体を押して起き上がろうと震える麗がやってきた小室を見た。
「た、孝……逃げて」
「頭のあたりに向けて……」
引き金を引く小室の指に、躊躇いは無い。
「撃つ!」
反動で後ろに転びそうになった小室はたたらを踏んで堪えながら薬莢を排出する。
「なんだよ! 頭狙ったのにあんまりやっつけられないぞ!」
平野が援護するために天井から上半身を出そうとしたので、あたしは邪魔になるといけないと思い慌てて車内に戻る。
命綱を解いてあたしは車内で外の様子を冴子と一緒に窺う。冴子はいつでも皆のフォローに回れるようにだったが、あたしはその冴子のフォローをするためだ。
「下手なんだよ! 反動で銃口がはねてパターンが上にずれてる! 突き出すように構えて胸のあたりを狙って!」
「突き出すように構えて……! 胸のあたりを狙って……! 撃つ!」
今度こそ、小室が撃った一発は<奴ら>二体を巻き込み、上半身をミンチに変えた。
衝撃で上半身のほとんどが欠けた<奴ら>が倒れるのを見ながら、小室は再びたたらを踏む。
「スゴイ……けど数が多すぎるな」
眉根を寄せる小室の前では、あたしたちを追いかけてきたらしい<奴ら>が続々と倒れた<奴ら>を踏み越えて押し寄せてきていた。
自らも銃で<奴ら>を狙撃しているようで、上から銃声と一緒に平野の声が聞こえてくる。
「一発撃ったあとトリガーをしぼったままスライドを引くんだ! 銃口は少しだけずらせ!」
言われる通りにもう一発撃った小室は、文字通り吹っ飛ぶ<奴ら>に快哉を上げた。
「ひょおっ、最高!」
続けてもう一撃加えようとするが、銃声はしなかった。どうやら弾切れらしい。
<奴ら>を前にしての弾切れは死を色濃く連想させる。焦って予備の弾をポケットから出そうとした小室は、そのほとんどを<奴ら>がすぐ傍にいる地面にばら撒いてしまった。
「くっ、くそっ!」
慌てて拾い集めようとする小室を見て、素早く冴子が車内から木刀を片手に飛び出そうとした。
「この数を1人でどうにかできると思ってるわけ!? 無茶よ!」
袖を掴んで止めたあたしに冴子は振り向き、強張った笑みを浮かべた。
「宮本を見捨てるわけにもいくまい。小室君が決めたのだ。もはや死中に活を求めるより他に我ら全員が生き残る術は無い!」
ドアを開き、冴子が外に飛び出る。
「ここは私が支える! 小室君はそのうちに宮本君を車へ!」
こちらに振り向いた小室が冴子を呼び止めた。
「ダメです! 木刀で戦うには<奴ら>の数が多過ぎる!」
「……分かっているよ!」
小室に言葉を返し、冴子は近付いてきた<奴ら>の顎を木刀の柄で打ち上げ、その余勢を利用して振りかぶる。
一瞬仰け反って棒立ちになった<奴ら>の頭を、冴子は木刀で叩き割った。
「俺も出るぞ! 皆麗を助けるために戦ってるのに、一人だけ安全な場所に居られるか!」
井豪が冴子に続いて外に飛び出そうとするのを夕樹が止めた。
「無理よ! 大勢が立ち回るには場所が狭過ぎる! あなたまで出たらかえって毒島が動けなくなるわ!」
「くそぉっ!」
遣る瀬無い表情で井豪が腕を窓に叩きつける。
伸びてくる無数の手の一つに掴まれそうになった冴子が、危ういところでその手を打ち払った。
弾を拾おうとしていた小室の前に<奴ら>が立ちはだかる。
零れ落ちたショットガンの弾は小室が拾う前に<奴ら>の足元に飲み込まれた。
こうなってしまってはもう小室は下がるしかない。
「畜生!」
麗のすぐ傍まで後退を余儀無くされた小室は、自分を見上げる麗に青褪めた顔で笑みを向ける。
「孝……」
「少なくとも……一緒に死ねるか」
せめて盾になろうというのか、小室が麗を<奴ら>から庇うように覆い被さった。
我慢できずに再び飛び出そうとする井豪を夕樹が再び引き止める。
振り返った井豪は覚悟を決めた顔をしていた。
「止めないでください……! 孝も麗も、俺は失いたくないんだ!」
夕樹の手を振り解いて井豪は外に飛び出る。
外から平野のもの以外の銃声が再び聞こえてきた。見れば小室が這いつくばって麗の銃を撃っている。
「孝、止めろ! それじゃ麗を運べない!」
「どの道無理だ! こいつらを何とかしないと車に乗せる前に喰われる!」
止めようとする井豪に小室が怒鳴った。
銃声が響くたび、ジークを抱き締めて縮こまるありすが身を震わせた。
やがて銃声が1つ減り、平野が後ろ手に空になったマガジンを差し出してくる。
「弾が無くなった! 誰かこれと同じ物を探して!」
「コータちゃん?」
「これを!」
「うん!」
ジークと一緒に荷物を掻き分けたありすは、ジークの助けを借りて換えのマガジン二つを見つけ、平野に差し出した。
「コータちゃん! これ!」
マガジンを受け取った平野は、力強い手付きで銃のマガジンを交換する。
「やっつけてやる」
再び銃を構えて狙撃の体勢に入った平野の表情はあたしの位置からは見えない。あたしには知る由も無いことだが、歯を食い縛り、眼は極限にまで見開かれたその顔は、大人でなくともハンサムとは言えずとも、仲間を守るために戦う男の凄烈な横顔だった。
「みんなやっつけてやる!」
平野の絶叫と共に銃声が増える。
「どうして!? エンストしてからエンジンがかからない! ……高城さん!? 何するつもり!」
「小室の鉄砲を拾ってアタシが使う!」
「あ、危ないわよ!」
引きとめようとする鞠川先生に高城は微笑んだ。多少引き攣ってはいても、いつも通りの自信に満ちた顔で。
「知ってるわ、先生!」
「待ちなさい!」
鞠川先生の制止を振り切り、高城が勢いよく外に出る。
「御澄は行かないの?」
1人残った夕樹に尋ねられる。
目の前に差し出されたのは、あたしが放り出していたクロスボウだった。
「……行くわよ! 冴子が外に出てるんだもの!」
クロスボウを奪い取り、恐怖で行きたくないとごねる身体を叱咤して天井に上がる。
立ち上がって見下ろせば高城が小室の銃撃で<奴ら>が倒れたことで、再び拾えるようになった銃弾を拾い、ショットガンに篭めているところだった。高城の近くに<奴ら>が迫っているのを見て、あたしはクロスボウを構え、引き金を引く。
気付いた冴子が駆け寄るよりも早く、あたしが放った矢は<奴ら>の頭を貫いていた。
<奴ら>がすぐ傍まで来ていたことに怯えた表情を浮かべた高城は、自らの弱気な心を叱咤するかのように歯を食い縛る。
「アタシは守られるだけの人間じゃない。アタシだって戦えるのよ」
高城は拾った弾を素早い手付きで正確にショットガンに篭めていく。
ショットガンを構える。奇しくもそれは、平野が小室に教授した通り、突き出すように構えて胸のあたりを狙う構えだった。
「アタシは臆病者なんかじゃない!」
かっと高城の眼が見開かれ、ショットガンが咆哮する。
「死ぬもんですか! 誰も死なせるもんですか!」
反動で放り出しそうになる銃を保持する腕の痛みと、目の前まで迫る<奴ら>の恐怖に涙眼になりながらも、高城は引き金を引き続ける。
そのたびに<奴ら>が弾け、物言わぬ躯に戻ってアスファルトに積み重なっていく。
「……アタシの家はすぐそこなのよ!」
弾切れになってまた地面の銃弾を拾う高城の姿は勇ましく、一向に減らない<奴ら>に停滞気味になっていたあたしたちの心を奮い立たせた。
戦いはまだ終わらない。
□ □ □
あたしたちは本当によく戦ったと思う。
迫る<奴ら>相手に一歩も引かず、死力を尽くして宮本を守るために長時間戦い続けたのだから。
だけど現実には、覚悟や気合だけではどうにもならないことが多々ある。今回もただそれだけのことだった。
冴子の木刀が<奴ら>に奪われ、平野が持つ最後のマガジンが空になった。地面に散らばったショットガンの弾は<奴ら>の波に完全に飲み込まれた。
小室が持つ麗の銃も弾切れになり、井豪ももう疲労で武器を振り上げる力が残っていない。
クロスボウの矢だけがまだ残っていたが、あたしはもう<奴ら>に矢を撃ち込む気力をなくしていた。だって他は全員まともに戦う手段を失っているのだ。あたし一人矢を射て何になる。
あやふやな原作知識で覚えていた高城家の応援も、何時になっても来る気配がない。やはり本当かどうかも分からない記憶など当てにするべきではなかった。
これまでだ。早く逃げないとあたしと冴子まで喰われてしまう。
そう判断したあたしは、車の傍にいる冴子に呼びかけた。
「もう無理だよ! 冴子、逃げよう!」
ちらりとあたしを振り返って見た冴子は、余裕のない笑みを浮かべて首を横に振る。
「私が引けば皆が喰われる。それに今から私がワイヤーを越えようとしても間に合わない。君だけで逃げてくれ。君ならそこからワイヤーの向こう側に飛べば逃れられるはずだ」
思わず笑ってしまう。冴子を置いてそんなことあたしにできるわけ無いじゃないか。
あたしはポケットから警棒を抜き、車の上から冴子の傍に飛び降りた。
「馬鹿者……! どうして降りてきた!」
驚愕する冴子に、あたしは何てことのない風を装ってにっこりと微笑みかける。
「あたしが時間を稼げば冴子が車に登って逃げられるでしょ? 皆を逃がすための時間稼ぎなんて、そんな格好いいことさせないよ」
もちろんやせ我慢だ。本当は怖くてたまらない。今すぐ逃げ出したい。
だけど冴子を見捨てて逃げるなんて、あたしがあたしである限り絶対に有り得ない。あたしと冴子の命を天秤に掛けるならば、答えなど決まっている。
いつもと同じ笑顔を浮かべ、迫る<奴ら>への恐怖も、自ら生存の可能性を捨てた後悔も、これからの冴子を見ることが叶わない悲哀も、全て押し隠す。あたしにとっては、冴子が全てだ。
「冴子には生きていて欲しいから。そのためにならこの命、捨てても惜しくないよ」
虚を突かれたように立ち竦む冴子を、車のドアを開けて中に押し込む。再び冴子が出て来れないように、体重を乗せてドアにもたれかかった。
「止めろ、駄目だ、開けてくれ、嬌──!」
こんな時にも関わらず、口元に笑みが浮かぶ。
あは。冴子でも、そんなに取り乱すことってあるんだね。それだけでもこうして良かった気がする。あれ、おかしいな。嬉しいのに涙が出てくるよ。
奴らを足止めできるのがあたししかいなくなったから、もう小室たちは宮本を助けるだけの時間を稼げない。かといって退けば冴子が皆を守るために素手のまま危険の中に飛び込もうとするので、あたしもここを動くわけにはいかない。
迫り来る<奴ら>から眼を逸らして振り仰げば、ぼやけた視界の中、平野がありすを車の上に連れ出して逃がそうとしているのが見えた。
「よいしょっと」
「コータちゃん……」
不安そうなありすの声とは裏腹に、平野の声は安心させようとしているのか不自然なほどに明るい。
「さあ、ジークと一緒にワイヤーの向こうにジャンプだ!」
「でも皆は?」
「大丈夫、皆すぐ行くから!」
きっと死の恐怖に押し潰されそうになる心を叱咤して作り笑顔を浮かべているのだろう。せめてありすだけでも生き延びさせるために。
だからこそ、それはありすに見破られる。
「うそ!」
平野が息を飲んだのが気配で分かった。
「パパも死んじゃう時にコータちゃんと同じ顔したもん! 大丈夫っていったのに死んじゃったもん!」
絶句する平野にありすは縋りつく。意地でも離れまいと、その無垢な双眸に涙を浮かべながら泣き叫ぶ。
「いやいやいやいや! ありす1人はいや! コータちゃんや孝お兄ちゃんやお姉ちゃんたちと一緒にいる! ずっとずっと一緒にいる!」
──本当に、誰も彼もが優しすぎたのだ。
誰かを助けようともがいて、誰かが欠けることが許せなくて、結局誰も救えず選択を間違えて全滅しかけている。
でも、だからこそ尊いのかもしれない。冴子を守るだけで精一杯なあたしには、誰も死なせないだなんて口が裂けても言えないことだから。
肩を震わせてありすの言葉を聞いていた平野が決意したかのようにありすを抱き上げ、視界から消える。
その時だった。
「皆その場で伏せなさい!」
突然後方から聞こえた第三者の声に、車のドアに掛けていた力が思わず緩んだ。
力ずくで飛び出してきた冴子にあたしは近くにいた高城もろとも押し倒され、そのまま抱き締められる。
地面に這いつくばったあたしたちの目の前で、次々と<奴ら>が吹っ飛んでいった。あたしたちがあんなに苦労して戦い続けた<奴ら>の群れが、風で吹き飛ぶ紙切れのようにもの凄い勢いでその数を減らしていく。
「今のうちにこちらへ! 車は後からでも回収できる!」
訳の分からないまま、あたしたちは重装備の性別すら分からない人物の先導でワイヤーの向こう側に避難する。
皆が安堵のため息をつく中、あたしと冴子は久しぶりの大喧嘩をやらかしていた。
「君は馬鹿だ! 筋金入りの大馬鹿者だ! 君の命を犠牲にして生き残って、私が喜ぶとでも思うのか!?」
「な、何よ! そりゃ喜ぶとは思わないけど、それでも死なせたくなかったんだから仕方ないじゃない!」
喜べばいいのか怒ればいいのか自分でもよく分からなくなっているあたしの耳に、落ち着いた上品な笑い声が響く。
「随分と仲がよろしいのですね」
振り向けばあたしたちを助けてくれた重武装の人間の1人が立っている。
我に返った冴子の顔がたちまち朱で染まる。
取り繕うように咳をして何とか冷静さを取り戻した冴子は、向き直って深深とお辞儀をした。
「危ないところを助けていただき、真にありがとうございます」
「当然です」
その人物がヘルメットを脱ぐと、ばさりと長い髪が翻る。
「娘と、娘の友だちのためなのだから」
「……ママ!」
吃驚した顔の鞠川先生の横で高城が女性に駆け寄っていく。抱きついた高城を、女性は母性溢れる笑顔でそっと抱き締めた。
誰もが喜んでいた。自分のため、高城のために喜んでいた。このまま全てが終わっていれば、本当にめでたしめでたしだったと思う。
もちろん、そんなことにはならなかったのだけれど。