冴子と一緒に台所に戻る。
心の中は自己嫌悪でいっぱいだ。自分がクズだってことは、あたし自身がよく知ってる。奇麗事で飾り立てても、彼らを見捨てる事実は変わりはしない。だからこそ、あそこで小室に現実を突きつけて泥を被るのは冴子じゃなくてあたしがするべきだったのに。
「すまない。気まずい思いをさせてしまった」
落ち込むあたしを見て困ったようにはにかむ冴子の近くには、いつでも手に取れるように木刀が立てかけてある。きっと冴子は小室がどのような選択をするのか分かっているのだろう。あたしだって認めたくないけど、小室がどういう人間なのか薄々感付いてきているのだ。冴子に分からないはずがない。
「こっちこそごめん。冴子に汚れ役させちゃった」
あたしは今でも彼らを助けようとは思えない。あたしの優先順位ははっきりしている。他の人を助けに行って結果的に冴子を危険に晒すようでは本末転倒だ。
あちこちに手を差し伸べていては、本当に守りたい者を守れない。あたしと同じ、恋心を抱く大切な存在がいる小室なら、それが分からないはずがないのに。失ってから後悔するのでは遅過ぎる。
銃声が聞こえた。
堪えきれなくなったように冴子が笑う。
「先に平野君が耐え切れなくなったみたいだな」
機嫌が急降下していくのを感じ、あたしは顔を押さえる。
「……本当に、どいつもこいつも考えなしなんだから」
「仕方ないさ。我らのリーダーが助けることを選択したのだから。そんなことを言いながら、君も結局手伝うのだろう?」
全然思うようにいかないからか、いつもは大好きなはずの冴子の笑顔が異様にムカつく。くそう、清々しい顔してくれちゃって。
「冴子が望むから、よ。あたしの本意じゃない。間違えないでよね」
せめてもの反抗とふてくされてみせるが、冴子は分かっているとばかりにあたしの顔を優しく見つめるだけで何も言わない。
台所を出て、階段を駆け下りてきた小室を冴子と2人で出迎える。
階段の踊り場で引き止めていた麗に冴子が声を掛けた。
「行かせてやれ。男子の一言なのだ」
あたしたちに気付いた小室が歩を緩め、あたしと冴子に頭を下げる。
「すいません。どうも僕、こういう人間らしいです」
「……知っていたよ、もちろん」
小室と擦れ違い様に呟いた冴子の横顔を見て、あたしは思わず顔を背けた。
横顔から読み取れたのは、小室の行動を評価し、命を預けることを決めた親愛の情。
小さい頃からずっと冴子を見続けてきたあたしが何年もかけてやっと得た冴子の信頼を、小室はこんな短期間で手に入れつつあった。
冴子が小室に惹かれていくことは最初から分かっていたつもりだった。吊り橋効果もあるだろうし、冴子の安全のためなら、冴子の心があたしから離れていくのも仕方ないと覚悟していた。だけど、それを現実として突きつけられるのは思っていた以上に衝撃的だった。
妬ましい。あたしたちを無駄に危険に晒している小室に、どうして冴子は好意を抱くのだろう。分からない。大切な者がいるという点では似ているはずなのに、あたしと小室が選んだ行動は正反対だ。似ているからこそ余計にイライラが募る。
あたしは深呼吸して気持ちを落ち着かせた。こんなことで小室に隔意を抱いて仲間割れの火種を増やすわけにはいかない。何とか平常心を取り戻さないと。
ポニーテールにした髪を翻し、冴子が木刀を片手に小室を振り返る。例え裸エプロンでも、冴子はいつものように凛々しかった。
「ここは何があっても守る。安心して行ってこい!」
振り向いた孝の顔が喜色に染まるのが見えた。
玄関の電気を消して出ていこうとした孝を麗が呼び止め、拳銃を手渡す。
「孝。これぐらいは持って行って」
小室は見た者を安心させるような覇気に満ちた顔で拳銃を受け取った。
外に出ていく冴子たちと一緒にあたしも外に出る。
冴子が小室に話し掛けていた。
「銃を過信するな。撃てば<奴ら>は群がってくる」
「どのみちバイクで音が出ますよ」
「そうだ。しかし……バイクは動くために音を出すのだ。銃声が轟く時、君は動いていない」
緊張に満ちた顔で小室が頷く。
バイクに跨った小室に、麗が声をかけた。
「準備は良い?」
門に手を掛けて振り向いた麗を見ながら、小室はフィンガーレスグローブを嵌めてグリップを握った。
冴子と麗によって門が開かれる瞬間に小室はバイクのエンジンをかけ、アクセルを回し飛び出していく。
「一体何の騒ぎよ?」
騒音に気付いた高城が外に出てくる。
「いいことがあったの」
「何よ?」
門を閉めながら笑顔で答える麗に、高城は呆れ顔をした。
「私たちはまだ人間だって分かったのよ!」
……なら、今でも本当は見捨てたいと思っているあたしはもう、人間とはいえないのだろうか。
そんな疑問がふと頭を過ぎる。
麗の発言を肯定するかのように、再び銃声が轟いた。
□ □ □
小室が出て行って、あたしたちは慌しく動き始める。
高城が眠っている鞠川先生を起こしに行き、あたしは事態に置いてけぼりになっているであろう後続組のもとへ向かう。
「ちょっと、さっきから銃声みたいな音が聞こえるけど、どうしたのよ」
部屋に入るなり夕樹に詰め寄られ、あたしは口早に説明した。
「<奴ら>が近くまでいっぱい来てるの。ここにいると危険だから逃げるよ」
「げ、またぁ?」
天井を仰いだ夕樹は、顔を顰めて舌打ちするとベッドで熟睡している不良生徒を蹴り起こす。
「さっさと起きなさいよ! いつまで寝てんの!」
身を寄せ合って不安げな様子の女子2人があたしに近付いてきた。
「あの、<奴ら>が来たって本当ですか……?」
「う、嘘ですよね?」
「こんな時に笑えない嘘ついてどうするの。今高城たちが荷物を車に積む準備してるから、君たちも早く自分の荷物を纏めて」
「そ、そんなぁ……」
しょんぼりとしながらも、お互い励まし合って女子2人は勇気を奮い立たせたようだった。
さすまたをぶつけた男子生徒が慌てふためく。
「ここまで来てるんですか!? 大変だ、早く逃げないと」
「落ち着いて。今は小室がバイクで出て<奴ら>の注意を引いてるから準備する時間はあるわ。自分の荷物を纏めたら高城たちを手伝ってあげて。決して大声を上げたりしないこと! いいわね?」
真実ではないが、間違ったことは言っていない。
身を竦ませてこくこくと頷く男子生徒の背中を押して、動くきっかけを与えてやる。
一歩踏み出した男子生徒は、ごくりと唾を飲み込むと1階に下りていった。
「僕は何をすれば……」
根暗そうな男子生徒がおろおろしているのを見て、あたしは聞いてみた。
「銃は扱える?」
「扱えるわけないじゃないですか! 持ったこともないです!」
やはり平野のような只者ではないオタクはそうそういないらしい。
「じゃあ君も下に行って脱出準備!」
「は、はい!」
全員が準備を終えて下に行くのを見届けて、部屋の外に出る。
別の部屋から出てきた高城と鉢合わせ、そのままエプロンを掴まれた。
「ちょうどいいわ! あんたも手伝って!」
「待って、引っ張らないで! 分かったから!」
必死に身体を隠すエプロンを死守し、高城と鞠川先生の後ろをついていく。
というか鞠川先生裸じゃん……。
あたしたちに気付いた平野が振り向いて鼻血をぶっぱした。うん、気持ちは分かる。
「た、たたたた高城さん?」
「あんたは自分の仕事をしてなさい。絶対に必要なものだけを教えて!」
「そこのロッカーにあるのとベッドにあるのと銃はもちろん全部。でも何でです?」
流していた髪をリボンでツインテールに括りながら、高城はぽかんとしている平野に眼を向ける。
「こんな大騒ぎ起こしといていつまでもここにいられるわけないじゃない! 逃げ出す準備よ! あんたもいつでも動けるようにしておいて」
声に押されるように、鞠川先生が寝ぼけ眼であたふたしながら平野の言った通りに荷物を纏め始める。
準備するのはいいけど先生全裸……もういいや、気にしないでおこう。
高城と鞠川先生が部屋を出た後周りを見回したあたしは、部屋の隅にぽつんと隠れるように置いてあるクロスボウに気が付いた。たまたま見え難い位置にあったから高城たちも気付かなかったのか。
「これ……」
「あ、それもお願いします! 井豪が先輩に渡すって組み立てたやつです!」
平野の声を聞きながらクロスボウを手に取る。射たことはないが、スコープもついてるみたいだし何とかなるだろう。
使ってた弓は学校での手荒い扱いが祟って壊れそうだったからちょうどいい。
「そうなんだ。ありがと、後で礼言っとく」
クロスボウと持てるだけの荷物を持って先に下りた高城たちを追って下に行く。
1階の玄関前で高城がなにやら後続組と揉めていた。
不良生徒が激昂している。
「乗せられないってどういうことだよ!」
「言葉の通りよ! ハーヴィーじゃ全員乗り込むのは物理的に無理なの!」
「お前らのせいで気付かれたんだろ、ならお前たちが乗らなければいいじゃねえか!」
「車のことに気付かなかったのはアンタも同じでしょ! どうしてアタシたちがそんなことしなきゃいけないのよ?」
つんけんとする高城にさすまたをぶつけた男子生徒と後続組の女子2人が取りすがる。
「そんな。ぼくたちを置いてくつもりですか!?」
「お願いです、私たちも連れていってください!」
「み、見捨てないで!」
これでは荷物を運ぶどころではない。
今は時間が惜しいというのに……。
「何とかしてあなたたちも乗せられるようにするから! 今は準備の邪魔をしないで!」
後続組を一喝する。
根暗そうな男子生徒が必死な表情であたしを振り向いた。
「本当ですか!? 本当に乗せてくれるんですね!」
「ええ、約束するわ」
にっこりと微笑んでやる。
彼らも状況が切迫していることは分かっているらしい。
頷いてみせると、後続組の面々は不安を残しつつも不承不承納得したようだった。
「ちょっと、そんな出来もしない約束……」
文句を言おうとして詰め寄ってきた高城に人差し指を唇に当てて黙らせる。
今は時間がないのだ。嘘でも何でもいいからひとまず納得させて脱出する準備を進めた方がいい。
そのことに高城もすぐ思い至ったようで、顔を顰めただけで結局何も言わなかった。
「じゃあ準備再開!」
あたしの号令で再び皆が動き始める。
外に出た高城が門の傍で気まずげに立つ麗と井豪を呼び止めた。
「そこは毒島先輩に任せてアンタたちも手伝って!」
横を相変わらず全裸のまま荷物を運ぶ鞠川先生がフラフラと通り過ぎる。
服を着ようとしない鞠川先生に高城がため息をついた。
「静香先生はもういいからとりあえず何か着て」
「あっ、寒いと思ったら……」
鞠川先生がハッとした顔で自分の身体を見る。
やっぱり気付いてなかったんだ。天然ってレベルじゃない気がするんだけど……。まあ、今はそれどころじゃないのでスルー。
「で、車の準備!」
高城が門に駆け寄っていく。
門から外を見張っていた冴子が外から眼を離さずに言った。
「今なら車に乗り込めるな。<奴ら>は小室君に引きつけられている」
門から外を見た高城は、駐車スペースの向こうに大量の<奴ら>がいるのを見て思わずうめき心配そうな顔をする。
「どうするつもりよ? あれじゃバイクを使っても戻って来れないわ」
「なら、迎えに行ってあげるしかないんじゃない?」
眠そうな半眼な眼のまま服を着ながら言った鞠川先生は、その場にいる全員に愕然とした顔で見つめられてたじろぐ。
「あ、あの、先生変なこと言った? 車のキィとかはあるんだし」
冴子が眼を細めて笑みを浮かべる。
「いいや、名案だ」
高城もニヤリと笑った。
「決まりね! 小室を助けたあと川向こうに脱出! さ、準備して!」
荷物の運び出しには少し時間がかかった。
人数が多すぎても<奴ら>に気付かれるし、後続組は何か起こった時にどうなるか心配だったので、手伝わせずに部屋で待機させたからだ。
山と詰まれた荷物の前であたしたちはどうやって荷物を車に積むか話し合う。
鞠川先生が荷物の量を見て不安そうな顔をした。
「凄い量になっちゃったわね。全部詰めるかしら」
麗が腕を組んで外に視線を飛ばす。
「それよりどうやって積み込むかよ。途中で<奴ら>が来たら」
「間違いなく荷物を運ぶどころじゃなくなるわね」
あたしも外に視線を向ける。
<奴ら>は小室に引きつけられているが、一番外側は駐車場の端ぐらいにまで散らばっているのだ。車を停めてある場所からそれほど離れていない。それこそ車数台分の距離にいる。
「俺が囮に出て奴らをもう一度引き付ける。そのうちに車の準備をしてくれ」
外に出ようとする井豪を麗が慌てて引き止める。
「足も無いのに。どれだけいると思ってるの」
井豪と麗の複雑そうな視線が絡み、しばらくしてどちらともなく眼を逸らした。
荷物の一部分を背負い上げた高城が門に近付く。
「宮本の言う通りよ。気付かれないことを祈ってRPGの盗賊みたいにこっそりやるしかないわ」
「ではそうしよう」
冴子がそっと門を開け、そろそろと外に出て行くのにあたしたちも続いた。
車に辿り着いた鞠川先生がロックを解除し、高城にトランクの鍵を渡す。
高城が車の後ろに回り、鍵を使ってトランクを開けた。
鞠川先生が左ハンドルの車の動かし方に戸惑っている。
荷物を積み込み終え、高城が音を立てないようそうっと慎重にトランクを閉める。
あたしたちに手を振って先に乗り込むよう合図した高城は、ふと気付いたように辺りを見回す。
「そういえば、平野は?」
「まだ二階じゃないの?」
車に乗り込もうとしていた麗が高城を振り向いた。
「ったく、凄いんだか鈍いんだか……何やってんのよアイツ」
ため息をついて何気なくドアの方を振り返った高城は、至近距離にふらりと人影が現れたのを<奴ら>かと思いびくりとする。
「ひっ」
「えっ」
銃を二丁担ぎ、懐中電灯を2本頭に括り付けた平野が立っていた。
重装備ないで立ちと相反して間の抜けた平野の登場の仕方に、あたしたちは毒気を抜けさせられる。
「え、あの、どうしたの」
4人の美少女にじっと見つめられて鼻息が荒くなる平野に、高城が呆れた目を向けた。
「楽しそうねアンタ」
「大したこと無いよ。小室に比べたら」
ニヤッと笑った平野の視線を追う。
小室が少女を背負って犬を懐に入れ、塀の上を歩いて少しずつこちらにやってきていた。
「なるほど。考えたな」
冴子が感心したような声を出す横で、高城があたしを見て口を尖らせる。
「それはいいとして、どうするのよ? 準備は終わったけど、あいつら全員を乗せるスペースは相変わらず無いわよ。詰めに詰めてせいぜいあと一人ね」
あたしは少し思案して答えた。
「えっと、じゃあ話し合って決めてもらうとか……」
頑張って考えた平和的な解決策だったが、高城にばっさり切り捨てられる。
「はあ? そんなの決まるわけないじゃない。揉めに揉めた挙句時間切れで小室もアタシたちもゲームオーバーになるのが関の山よ」
そうだった。今はそんな悠長なことをしていられる時間はないんだった。
「じゃ、じゃああたしが一人選んで決めるとか……」
「駄目。残りが絶対納得しない。アタシたちが出発しようとしたら、無理矢理にでも邪魔してくるでしょうね。最悪車を奪われるかもしれないわ」
これも論破されてあたしは黙り込む。
本当は解決策は頭に浮かんでいたけど、あたしはそれを言い出せなかった。
だってあまりに酷すぎる策だったのだ。それは、携帯電話を持ちあたしたちに協力的な夕樹だけ生かしてあたしたちが逃げる邪魔をしそうなそれ以外を殺すという、あの紫藤先生が原作で取った行動よりもはるかに外道な方法だった。言えるわけがない。
時間の猶予がないのは確かで、話し合っている暇はない。本当なら車を初めて見た時点で気付いてしかるべきだったのに、安全な場所で休めることに浮かれ、皆車があるという事実だけ見て人数制限なんか実際に乗り込む準備をするまで頭から吹っ飛んでいた。言い訳なんかできない失態だ。
「ねえ、どうするの? 早く迎えに行かないと小室がヤバイわよ」
高城があたしを急かしてくる。
あたしと高城以外は車に乗り込んでいて、冴子などは車の天井に仁王立ちして今か今かとあたしたちを待っていた。
「ならどうすればいいの?」
ついに困りきって逆に聞き返したあたしに、高城は嘆息する。
「アタシなら全員見捨ててこのまま出発するけどね。別にアイツらは向こうが勝手についてきただけだし、今のアタシたちに他人の面倒見る余裕なんかないもの。せいぜいできることは銃声で<奴ら>を引き付けて、あいつらの生存率を少しでも上げてやるくらいよ」
高城の意見はもっともだった。
自分の命を守ることすらままならないのに、同情心からすぐ傍に転がっている命を助けようとするようでは、いざという時に本当に守りたいものを守れない。それどころか、何から守るべきかすら分からなくなる。
小室ならきっとあの子たちを助けようとするのだろう。実際に今、女の子を助けに行ってるからそれくらいは簡単に想像がつく。
だけど、あたしは小室と同じことはできない。
思い出せ。あたしの一番は何だった。事が起こった時の誓いは何だった。冴子と一緒に生き延びることじゃないのか。
一時の感情に流されてはいけない。本当に守りたいものを守るために、あたしは最善を尽くすべきなのだ。その結果皆の非難を浴びることになっても、生き残る確率が少しでも上がるのなら良心などいっそ捨ててしまった方がいい。
ここから逃げ出す羽目になったのはそもそも小室と平野のせいだから、本当は助ける努力をするべきなのかもしれない。だけど、そうすることでもし冴子の身に何かが起きたらと考えたら、そんな選択肢は選べない。
話し合っている時間はない。車を譲るわけにもいかない。彼らが車での脱出を諦めてくれるとも思えない。彼らの説得に時間を浪費すれば、それだけ冴子を危険に晒すことに繋がる。
もともと紫藤先生を殺したことで、あたしたちのもとへ転がってきた命だ。彼らの安全に責任を持てないのなら、あたしは彼らをバスに置き去りにするべきだった。責任の所在は連れて行くことを決断したあたしにある。今度こそ、あたしたちが生き残るために正しい選択をしなければならない。
「分かった。高城たちは先に小室を助けに行って」
「アンタはどうするのよ?」
「<奴ら>が多すぎて突破は無理でしょ。こっちに戻ってくるだろうから、その時に拾って貰えればいいわ」
「何するつもり?」
「一人は乗せられるんでしょ? 選んでくる。残りは見捨てるよ。今度こそ間違えない」
口にした言葉は、きっとあたしが思う以上にうすら寒く響いたに違いない。
高城はあたしがしようとしていることを薄々察したのか表情を険しくする。
「……時間が無いし具体的にどうするのか深くは聞かないけど。アタシらが戻ってくるまでには外に出てなさいよね。いなかったら置いてくわよ」
背中越しにかけられた声を背負い、室内に戻る。後続組の面々が不安そうな表情で待っていた。
入ってきた瞬間皆に見つめられる。紫藤を殺したという前科があるからか、あたしを見る夕樹以外の面々からは警戒の念が色濃く読みとれる。
これから行う悪魔の所業を想像してクロスボウを持つあたしの手が震えた。もう片方の手で震える手を握り締める。
迷うな。躊躇うな。時間は巻き戻せない。あたしたちが生き延びるために、やるべきことをやるんだ。
あたしはなるべく感情が声に出ないよう平静を装い、彼らの前に立った。
「話がついたわ」
にっこり微笑んでやると、少しの沈黙のあと彼らの間から歓声が上がった。あたしが声を抑えるようにとジェスチャーすると、たちまち声が萎む。
「混乱を避けるため、あなたたちには順番に外に出てもらう。小室たちを下ろして戻ってきた車が拾ってくれる手筈になってる。まずは夕樹からよ」
本当は時間的にそんなことをしている余裕はない。これは後続組を納得させるためについたその場凌ぎの嘘だった。
そもそも今は小室を助けに行っているのだ。安全な場所に皆を下ろした後では、車は<奴ら>に阻まれてきっと戻ってこれない。
ずっと中にいた後続組には分からないことだけど。
「わ、わたし? 本当に乗せてくれるの?」
発車した車のエンジン音を聞いてもう半ば諦めていたようで、夕樹は名指しされた瞬間眼を瞬かせ、弾かれたように立ち上がる。
「ええ。もちろんよ」
「ありがとう……ありがとう、御澄ぃ……」
夕樹が涙ぐみながら外に出て行く。
それを見送ったあたしは、残りの彼らに眼をやった。
「おい、次は誰だ!?」
不良生徒が腰を浮かせて、今にも飛び出したそうにしている。
「次は、そうね──」
あたしは答えながら手に持っていたクロスボウを何気なく構えた。
「悪いけど、君たちは乗せられない」
予想外の言葉に、残った後続組の誰もがきょとんとする。
「ちょっと、まてよ。それどういうことだよ」
乾いた声で不良生徒があたしに問い掛けてくる。
「言葉通りよ。車には夕樹1人しか乗せるスペースが無いの」
「てめえ……!」
怒りで歯を剥き出しにする不良生徒にあたしはクロスボウを突きつけた。
番えられた矢を不良生徒が凝視し、引き攣った顔で冷や汗をかき始める。
「動いたらトリガーを引くわ。何も死ねって言ってる訳じゃない。あたしたちが途中まで<奴ら>を引き付けてあげる。そのうちにバリケードを作って部屋の中に立て篭もればいい」
まあ、少しでもこっちが危険になれば即座に逃げるつもりではあるが。言わなければ分かるまい。
涙眼で話を聞いていたお下げの娘が声を上げた。
「た……立て篭もったあとはどうすればいいんですか?」
「さすがにそこまでは面倒見切れない。自分の力で何とかして。ここに残っているものは自由にしていいから。……あなたたちの幸運を祈ってるわ」
最後に、あたしは彼らに心から頭を下げる。
助けたのに、結局見捨てることになってごめん。
□ □ □
その他細かい説明を早口で捲くし立てて外に出る。酷く気分が沈んでいた。
門の傍にいた夕樹が振り向く。
「他の人たちは?」
「来ないよ」
きょとんとする夕樹に説明する。
「車に全員乗せられなくてさ。あたしたちが乗ったらあと1人分しかスペースに余裕が無かったんだ」
夕樹は眼を瞬かせた。
「あれ、じゃあ話がついたっていうのは……?」
「全員じゃなくて、1人だけ連れて行く話がついたってことね。他の子たちには残ってもらった。あたしたちでできるだけ<奴ら>を引き付けるけど、生き残れるかどうかはあの子たち次第かな」
「……見捨てるの?」
「仕方ないよ。あたしたちが生き延びるためだもん」
エンジン音が近付いてくる。
「車が来た。行こう」
背を押して夕樹を促す。
<奴ら>を振り切って走ってきた車が門の前で停止した。
中から高城がドアを開け、あたしたちを手招きする。
「ほら、早く乗って! さっさと逃げるわよ!」
夕樹を先に乗り込ませ、あたしもすぐに車内に滑り込んだ。
「嬌、残りはどうした?」
上から冴子の声が聞こえてくる。高城も怪訝そうな眼であたしを見ていた。
あたしは跳ね上がる心臓の鼓動を悟られないように深呼吸して答える。
「説得したら何とか聞いてくれたよ。バリケード作って立て篭もるってさ」
説得というよりも脅したのだが、非常事態だ。これくらいの嘘は許されるだろう。
それに何より、冴子はあたしのことを信頼してくれている。だからこそ多少不自然でもあたしの言葉を疑わない。高城は発案者だから薄々感付いているかもしれないが、彼女は割り切れる娘だ。あたしの行動が自分たちの利に適っているうちは何も言わないだろう。
小室が複雑な顔であたしを見た。
「……すみません。俺たちのせいでこんなことになって」
あたしは小室を振り向き苦笑する。
「いいよ。結果的にあたしたちは彼らを切り捨ててここから逃げ出すことになったけど、君の選択はきっと人間として正しい。せいぜい<奴ら>を引き付けて、彼らの無事を祈りましょう」
──こうして最初の夜、あたしたちの脱出は終わった。
もちろんそれはこれから続く悪夢のような毎日のたった一日が終わったに過ぎない。
そのたった一日であたしは変わった。石井君を殺し、紫藤先生を殺し、男子生徒たちや一緒にお風呂に入った娘たちを見捨てた。
きっとあたしが落ち込んでいる様を見せれば冴子は悲しみ、でもあたしを責めはせずに自分のせいだと自身を追い詰めるだろう。
だから、あたしはひたかくす。涙で枯れ果てたあたしの心も、耳の奥で響く紫藤先生の幻聴も、汚れた血で真っ赤に塗れて見えるあたしの手も。
冴子の前では、ただの能天気なあたしで居よう。いつも通りに笑い、いつも通りにふざけ、いつも通りにじゃれ付くあたしで居よう。
本当のあたしを、決して冴子に見せてはならない──。