→1.皆の手を借りる
2.先に調べておく
1人で調べるのは明らかに無謀なので、鞠川先生を乗せて一度バイクで皆のところに戻り、メゾネットまで案内する。
「鞠川先生のお友だちって、どんなお友だちなのよ……」
駐車スペースに止めてある車を見て、高城が唖然としていた。
「たぶん、警察か軍関係者だろうな。……既婚なのか?」
バールのようなものを握り締めた永が車からメゾネットに眼を移し、麗にちらりと視線を向ける。
「<奴ら>は塀を越えられないだろうから、安心して眠れそうね」
麗は井豪の視線に気付かない様子で、メゾネットをぐるりと囲む塀を見て安堵の息をついていた。
その後ろで後続組の女子2人がホッとした顔をする。
「高城、何か使えるものないか? 拳銃は手に入れたけど当てる自信がないんだ」
小室の問いかけに、高城が袋をまさぐり出した。
「え、銃!?」
「後で好きなだけいじらせてやるよ。ともかく今は……」
食いつきの良い平野に苦笑した小室が不意に言葉を途切れさせる。
1階の開きっぱなしの窓、割れた窓から<奴ら>がゆっくりと姿を現す。<奴ら>は麗の予想通り堀を越えられないようで、大勢であたしたちを呪うかのような唸り声を響かせている。
袋から大ぶりのスパナを取り出した高城が不安そうな、心配そうな顔で小室に差し出した。
「小室、これでいい?」
スパナを受け取った小室の目が鋭くなり、凄みを帯びる。
「ああ、充分だ。下がってろ」
冴子と一緒にあたしも前に出る。その隣に井豪が並んだ。
凛とした声で冴子が皆に言う。
「お互いにカバーし合うことを忘れるな。戦えない者は戦える者の後ろにいろ!」
緊張した様子でそれぞれの得物を構える皆にあたしも声を張り上げる。
「周りをよく見て行動して。突出は厳禁よ!」
帰ってきてから態度が変わった麗が気になりつつも、井豪がそれを思考の隅に追いやるように首を振ってバールのようなものを握り締める。
「……今はただ、やるべきことをやる。それだけだ」
前に出た小室がメゾネットの門に手をかける。
あたしはスクールバッグを起き、矢筒から矢を取り出して八節を踏み、引き絞る。
平野が釘打ち機を構えた。
「行くぞ!」
門が開け放たれた瞬間、あたしと平野は門の前にいる奴らに斉射を浴びせた。
矢や釘を生やした奴らが倒れ伏せる中、小室たちがメゾネット内に突入していく。
「平野、突入!」
「はい!」
釘打ち機を四方八方に向け、メゾネットに駆け込んだ平野が片っ端から<奴ら>の頭に釘を打ち込んでいく。
まるで阿吽の呼吸のようにぴったりと小室に続いた麗が<奴ら>の腕が伸びきるよりも早く懐に潜り込み、走りこんだ勢いを乗せて警棒を口の中に突き込む。
冴子が最初の斉射でバランスを崩した<奴ら>の頭を踏みつけ、その後ろにいる<奴ら>を木刀で薙ぎ払う。
時折りバールのようなものだけでなく蹴りや拳を交え、井豪が<奴ら>の頭を潰していく。
先陣を切った小室は、危険な場所に誰よりも早く飛び込んで<奴ら>を殴り倒していく。
あたしは戦車みたいな車の屋根に攀じ登り、その場に待機してひたすら弓を引いた。矢を射掛け、皆の不意を突きそうな<奴ら>を射抜いていく。
メゾネットの敷地内から冴子の声が聞こえてきた。
「入り口近くの安全は確保した! 嬌もそろそろ入って来い! 私たちは引き続き掃討を続ける!」
車の屋根から飛び降り、門前に回って素早くスポーツバッグを回収し、門を潜る。
門を閉めてしっかりと閂をかけると、あたしは入り口で所在なさげにしている夕樹たちと鉢合わせた。
「どうしたの?」
「毒島が入り口以外はまだ危ないから、ここで待ってろって」
不安そうに両手を握る夕樹に、あたしは冴子から何を託されたか理解する。
「そっか。じゃああたしも待ってようかな。冴子たちを信じないわけじゃないけど、もし<奴ら>が残ってたらあなたたちだけじゃ大変だろうし」
夕樹がホッとした柔らかい表情を浮かべた。
「ありがと。どっかの誰かが外見の割に凄くヘタレだから、出くわしたらどうしようかと思ってたの。助かるわ」
「ヘタレって誰のことだよ!」
背後で上がった怒鳴り声に夕樹は振り返り、盛大なため息をつく。
「あんたよあんた。男の癖に後ろに隠れてみっともないったらありゃしない。わたしだって、実際に戦いはしなくても一応護身用に金槌借りてるのに」
……ああ、あの不良生徒か。そういえばまだいたんだっけ。すっかり忘れてた。
後続組には夕樹以外に武器は持たせていない。というか武器がないか聞きに来たのが夕樹しかおらず、相変わらず自分で何とかしようという気がないようだ。
まあ、下手に武器を持たれても意見が割れたりした時が怖いので、あたしとしてはこのまま武装してもらわない方がいい。
夕樹たちからメゾネットに眼を向けた。
よくよく考えてみれば、今回の行動はあたしたちの驚くべき変化を示している。
今までのあたしたちは、いつだって逃げるために戦っていた。誰かを守るため、死にたくないがために、やむを得ず武器を取り<奴ら>や人間を相手にした。
だけど、この時のあたしたちは決して逃げることを目的としていたのではない。生き残るために、明日を迎えるために、この終わりつつある世界の中で初めての攻勢に出たのだ。
しかもそのことに、誰も疑問を覚えていなかった。そう、本来ならばこのような変化に聡いはずの冴子や高城すらも。
事が起こってから半日、たったそれだけであたしたちは変化していたのだ。
これから先、あたしはその事実が指し示す意味を何度も思い出し、心を奮い立たせることになる。
小室の戦闘終了の声が聞こえた。あたしは夕樹たちを連れて部屋に向かう。懐かしく思える日常の空間が、あたしたちを待っていた。
そして、終わりの中で迎える、初めての夜が訪れる。
□ □ □
キャッキャ、ウフフ。
キャッキャ、ウフフ。
今の状況を擬音語で表せば、こんな感じになるのだろう。
あたしは今、鞠川先生の友だちの部屋でお風呂に入っている。しかも同性全員で。
外では今だに闇夜の中<奴ら>が徘徊し非常事態を伝えるニュースが飛び交っているのに、まるでここだけ修学旅行のノリである。
鞠川先生の友だちの部屋のバスルームは、なかなか広くて立派だった。下手な一軒屋のお風呂よりも広いんじゃなかろうか? とはいっても、八人も入ればさすがにぎゅうぎゅう詰めなのだが。
たっぷりと湯を張ったバスタブには順番につかることになっていて、今は麗と鞠川先生が入っている。メロンのごとく湯に浮かぶ鞠川先生の胸のようなものを見ると、推定Eカップの麗がまるで貧乳に見えるのだから恐ろしい。つかでかい。でかすぎる。鞠川先生が赴任したときからでかいとは思ってたけど、正直ここまでとは思わなかった。何食べたらあんなに大きくなるんだろ。
ちなみにあたしは弓道をやっているせいかどうかは分からないが、気付いたら胸がFカップにまで成長していた。おかげで胸当てをしても起伏を潰しきれず、弦で胸を払うことがありやりにくい。弓道部仲間にそれを言うと涙眼で揉まれまくるので実際にそれを口にしたことはないけれど。
冴子に勝てる数少ない自慢だったのになー。上には上がいるということか。
「うわっ、先生って……本当に大きい」
麗がいる位置で見ると鞠川先生の胸のようなものはあたしが見ている以上に衝撃的な大きさらしく、湯船につかる麗が呆然とした声を出す。
「うん、よく言われる」
鞠川先生はおもむろに自分の乳房を両手で持ち上げると、たぷたぷと湯の上で揺らして見せた。
うううう、羨ましくなんかないもん。冴子に勝ってればいいんだもん。
「くうっ、なんて自信満々な……えーい!」
顔を引き攣らせた麗が、バスタブ内で器用に背後に回り鞠川先生の胸を揉むという暴挙に出た。
「あひゃ! だめぇ! だめっ、そこだめぇ♪ 許してぇ♪」
鞠川先生はたまらず逃げようとするが、バスタブ内では麗の魔の手から逃れられずなすがままになって嬌声を上げている。
それを見ているあたしの後ろで、冴子と高城と並んで身体を洗っている夕樹が冴子にひそひそと話し掛けていた。
「……ねえ毒島。さっきから気になってるんだけど、バスタブにかじりついて御澄は何やってるの?」
身体を洗っている冴子は、あたしの方にちらりと視線を向け、くすりと笑う。
「おおかた鞠川校医の乳が自分よりも大きいのが納得いかないのだろう。嬌は自分の胸に自信を持っていたようだから」
あたしは冴子の言葉に思わず背中をびくりと震わせる。
え、ちょ、どうして冴子がそのこと知ってんの!? 冴子には打ち明けたことなんかないのに……!
驚いたが、そのおかげでガン見していた鞠川先生の胸から眼が離れ我に返る。
冴子たちを誤魔化す意味も含め、隅の方で背を向けてこそこそと洗っている後続組2人に気付いて近寄っていく。
「君たちもそんな隅っこに固まってないでこっち来たら?」
あたしの声を聞いて、お下げ髪の方の娘がこちらに振り向く。
何故かじーっと胸に注がれる熱い視線。
思わず胸を隠すあたしに、もう1人の娘がぼそりと言った。
「私たちにしてみれば、鞠川先生も御澄先輩も同じです。どうしてそんなに大きいんですか。どうやったらそんなに大きくなるんですか」
え、何これ。
動揺するあたしに、2人が座った眼でじりじりと近付いてくる。疑問形なのに語尾が上がってないのが地味に怖い。
「えいっ」
「揉んじゃえっ」
飛びついてくる2人を止めようとして手を思わず前に出したあたしは、その下を掻い潜られる。1人に正面から、もう1人に後ろから胸を揉まれまくった。
「あん! やっ、そこだめぇ、だめだってばぁ♪」
意外と本当に気持ち良かったのと、何だか修学旅行みたいで楽しくて、ついあたしも悪乗りしてしまった。
そこかしこで上がる嬌声に辟易した様子で、高城が関わるまいと眼を瞑り髪を洗いながら言う。
「ぬるい18禁ゲームじゃあるまいし……」
眼を開ければあたしの艶姿が眼に入ったようで、高城の首がくるりと回り、今度は鞠川先生の艶姿が眼に入ったらしく結局横の冴子に固定された。
「何でわざわざ全員でお風呂入ってるんだか」
そう言う高城の顔はお風呂に入っている要因以外で真っ赤になっている。
身体を洗う冴子は回りの状況をとても楽しそうに見ていた。
「高城は分かっているだろう」
「それはそうだけど……」
不満そうな高城の横で、冴子はお湯に設定されていたシャワーを冷水にすると、おもむろに隣の高城に向ける。
「ひゃああああ!」
冷水の冷たさにびっくう! と思い切り身体を逸らした高城に、冴子が邪気のない笑顔を向ける。
「……思ったよりいい声だな」
額に青筋を浮かべた高城が洗面器に冷水を溜め、片手を伸ばして冴子の背後に洗面器を持ち上げ、傾けた。
「んっ、ふっ、あぁっ」
「くうっ、こんな時まで姉系の反応とは……」
冷たかったことには変わりないようで、口惜しがる高城の横で膝を抱えて「ふー」と長く息を吐く冴子に、あたしは後続組2人を纏わりつかせたまま飛びついていく。
頭をかき抱くように冴子に抱きつきながら、あたしは高城に顔を向ける。
「冴子はこういうの経験済みだもん。あたしが冴子の家にお泊りするたびにやってたらすっかり慣れちゃって」
「……嬌、胸が重いぞ」
「乗せてんのよ」
あたしの胸を頭に乗っけた冴子が楽しそうな微笑を浮かべたまま文句を言ってくるので、あたしは冴子に笑顔で言い返した。
「アンタのせいかっ!」
冷水シャワーを浴びせてきた高城に、あたしは素早くお下げの娘を盾にした。いい加減胸揉むの止めてー。
「後輩ガード!」
「ひにゃああああ!」
背中から冷水を浴びたお下げの娘がびっくりしてあたしの胸から手を放す。その隙に後ろから伸びる手首をちょっと強めに握って外すと、高城の後ろに回ってその手を彼女の胸に導く。
「こっ、こっちも大きい! 皆敵だーっ!」
「うきゃああああ!」
再び素っ頓狂な悲鳴を上げる高城の横で、夕樹が頭を押さえた。
「小学生じゃあるまいし……何やってるんだか」
このひと時は、中々に楽しい時間だった。それは夕樹も同じようで、やがて苦笑する。
「何か、色々これからのことで悩んでた自分が馬鹿みたいだわ」
あたしは夕樹に顔を向けて笑う。
「明日がどうなるなんて誰にも分からないわ。だからこそ、あたしたちは今を楽しむべきなのよ」
「……ああもう、分かったわよ!」
ついには夕樹も笑顔になって、あたしに冷水シャワーを浴びせてきた。
「つめたっ! こらっ、あたしにかけるな!」
冷水を洗面器に溜め、夕樹に仕返しする。
「きゃっ! ちょっとぉ、冷たいじゃないの!」
バスルームから黄色い悲鳴が上がる。
<奴ら>が徘徊する世界を唯一忘れられた一幕だった。
□ □ □
女性陣が風呂に入っている間、男性陣は何か役立つものがないか部屋を手分けして探していた。
ただし後続組の男子は探索に参加させずに別室で休ませている。下手に武器を持たれると仲間割れになった時が怖いからだ。
「楽しそうだなぁ」
漏れ聞こえてくる声が気になって探索に集中できないようで、孝がぼやく。
「セオリー守って覗きに行く?」
「止めた方がいいぞ。明日を拝むつもりがないなら俺は止めないが」
ニヤッと笑う平野に、鍵のかかったロッカーをバールのようなもので開けようと悪戦苦闘している井豪が苦笑した。
平野は先にこじ開けた方のロッカーを漁り、小室を振り向く。
「こっちには双眼鏡と各種弾薬類があるね。これならもう一つの方には銃がありそう」
「そうだといいけど……何も入ってなかったら頭痛いな」
頭をかく孝に平野が言う。
「入ってるよ。弾薬はあったんだから絶対に……」
バールのようなものをロッカーの隙間に突き入れ、井豪が振り返った。
「どちらにしろ、開けてみないと分からないな。2人とも手伝ってくれ」
3人で思い切りバールのようなものを押し、ロッカーの鍵をこじ開ける。
一瞬とても硬い感触を伝えたロッカーは、耐えはしたもののすぐに力尽き開く。
つんのめって転んだ3人はその拍子に打った箇所を擦りつつ起き上がる。
「これは……」
一番初めに起き上がった井豪がロッカーの中を見て絶句した。
「やっぱりあった……」
会心の笑みを浮かべてぐっと拳を握り締める平野の後ろで、孝が呆然として呟く。
「静香先生の友だちだっていったよな、ここの人。……いったいどんな友だちなんだ?」
「ただの友だちじゃないことだけは確かだな」
唖然としていた井豪が我に返り、ため息をつく。
銃を前に舞い上がって平野が1人の世界に突入しているので、小室は平野を放っておいてロッカーの中身を漁る。
「こっちにもまだ何かあるぞ」
平野に代わって弾が入っていた方のロッカーを漁っていた井豪が奥に解体されたままの弓のようなものを見つけ、手をつける。
取り出した井豪に気付いた平野が眼を輝かせて説明した。
「クロスボウ。ロビンフットが使ったやつの子孫だよ。バーネット・ワイルドキャットC5、イギリス製の有名な猟用クロスボウだ」
「弓の一種か……。御澄先輩なら使えるかな。後で持っていこう。平野、どうやって組み立てるんだ?」
「それはここをこうやってこうして……」
説明を聞きながら井豪がクロスボウを組み立てていく。
何とはなしに1つ残った銃を取り出した孝に平野が反応し、振り向いた。
「それはイサカM-37ライオット・ショットガン! アメリカ人が作ったマジヤバなショットガンだ。ヴェトナム戦争でも活躍した」
興奮しがちな平野とは対照的にどこか白けた表情の孝が、銃を構えたまま何気なく平野に振り返る。
「例え弾が入ってなくても絶対に人に銃口を向けるな!」
驚いた平野が大げさに身を捩った。真剣な表情で平野が孝に顔を向ける。
「向けていいのは……」
「<奴ら>だけか……。本当にそれで済めばいいけど」
麗と2人で行動した時のことを思い出し、孝が難しい表情で銃を下げた。
弾込めを手伝いながら、孝は平野と会話する。
実は平野は実銃を撃ったことがあるとかで、孝は若干引き気味になりながら感心した。
しばらく会話が途絶え、弾込めとクロスボウを組み立てるカチャカチャという音が部屋に響く。
弾込めに飽きてきた孝が顔を上げた。
「にしてもどういう人なんだ、静香先生の友だち? ここにある銃絶対に違法だろ」
「基本的には違法じゃないよ、ここにある銃とパーツを別々に買うのは。その後で組み合わせたら違法になるけど」
答える平野の横でクロスボウを組み立てていた井豪が口を挟んでくる。
「そういえば警察特殊部隊の一員だって鞠川先生が言っていたな」
「警察なら何でもありかよ?」
「普通じゃないのは確かだね? 独身の警官がこんな部屋を借りてるなんて、実家が金持ちか……」
声を潜めた平野の台詞を、同じく声を潜めた井豪が引き継ぐ。
「……付き合ってる男が金持ちか、汚職でもしてるか、か」
しばらく3人を気まずい沈黙が包んだ。
同時に1階の風呂場から聞こえてきた女性陣の声に、平野がそわそわと階段を振り返る。
「さすがに騒ぎ過ぎかも」
「大丈夫だろ」
孝はカラカラと音を立てるガラス戸を開け、双眼鏡を持ってベランダに出る。
「<奴ら>は音に反応するけど、ここよりももっとうるさい場所がある」
双眼鏡を覗き込んだ孝の眼には、昼に渡ろうとしていた御別橋の緊迫した状況が映し出されていた。
封鎖のために警察が展開するバリケードに生存者たちが押しかけ、物凄い騒ぎになっている。
生きている人間に紛れてあちこちに<奴ら>がいて生存者も必死なのだ。
バリケードの向こう側には逃げ遅れたらしいテレビ局の取材陣がいて、蔓延する恐怖と喧騒の中少しでも職分を全うしようと中継を行っているようだった。
警察もまだ辛うじて治安を保ってはいるが相当厳しい状況のようで、車両の通信機を地面に叩きつける者もいる。
「……映画みたいだ」
「小室、俺にも見せてよ」
外に出てきた平野が手を差し出してきたので、孝は双眼鏡を渡す。
橋の状況を見た平野が嘆息した。
「地獄の黙示録に確かこんなシーンが……ん、何だあれ。向こうに妙な連中が」
テレビで確認しようと小室が部屋の中に戻ると、ちょうど井豪がテレビをつけたところだった。
映像の中では横断幕やプラカードを掲げた団体がバリケードの向こう側でシュプレヒコールを上げている。
画面を見つめる井豪が顔を顰める。
「警察の橋の封鎖に対する抗議行動みたいだな。生物兵器による病気って……本気で言ってるのか?」
井豪の横に座り込んだ孝が乾いた声を漏らした。
「殺人病って何だよ……こんなの病気なんかで説明つくわけないじゃないか!」
「連中設定マニアなのかな? それとも現実を見ないだけの悪い病気なのか。 左翼だよね?」
部屋に戻った平野の答えに孝は唸った。
「確かに左翼は設定マニアで悪い病気だ。極右の人種差別者と同じくらいに悪い病気だよ」
「驚いた。小室もそういうこと口にするんだね」
平野がニヤニヤ笑いながらまたベランダに向かおうとするのを見て、孝は困ったように嘆息した。
「お袋の同僚に今でも左翼活動やってるのがいてさ。学校で起きてた苛めは見て見ぬ振りするような反戦主義者様だった」
「そのお袋さんの仕事は?」
「小学校の先生! 川向こうの御別小学校で1年生のクラスを持ってる。生徒がいる限り逃げてないな……そういう人なんだ」
「お袋さんも左翼? それとも日教組とか」
ガラス戸に手を掛けた状態で振り返りニヤッとする平野に、孝は苦笑して首を横に振る。
「まさか! 俺のお袋だぜ? むしろ若い頃は」
テレビから銃声が響き、孝の語りは中断させられる。
僅かに身動ぎした井豪が組み上げたクロスボウを横に置き、孝たちを振り返る。
「見てみろ。バリケードに<奴ら>が近付いてきてとうとう警察が発砲し始めた。これから荒れるぞ」
<奴ら>の中にも生存者が紛れ込んでいるが、警察はそれすら通すまいとしている。
仕方のないことだ。<奴ら>の真っ只中にいる以上生きてはいても<奴ら>にならないと判断することはできず、警察としては<奴ら>と同じように扱うしかない。
それを裏付けるように、ぐったりとした子どもを抱き抱えながら走ってきた女性が、突然子どもに首の肉を噛み千切られ呆然とした表情のまま血を噴き上げて倒れ付す。その横で母親を喰い殺した子どもが<奴ら>と化して立ち上がろうとしていた。
その子どもにも警察が発砲する様を見た団体が一層抗議の声を張り上げた。
警察官の1人が静かな足取りで団体に近付いていく様子がテレビに映し出される。
「なんだ……? 何をしようとしてる?」
「まさか、力付くで黙らせるつもりじゃ……」
テレビを凝視する井豪と平野の目の前で、ブラウン管に映る警察官が拳銃で抗議行動の主催者らしき人物を撃ち殺した。
リポーターの悲鳴とともに映像が切り替わったのを見て、井豪が険しい表情のまま額に汗を滲ませる。
「もう警察でもどうにもならなくなってるな。まずいぞ」
平野が銃を掴み、僅かに腰を浮かせる。
「すぐに動いた方がいいんじゃないの?」
首を振り、孝は平野を手で制した。
「駄目だ。明るくならないと<奴ら>にいきなりやられるかもしれない」
そういう孝の後ろから、突然真っ白な腕が伸びてきた。
「ひっ!?」
気付いて悲鳴を漏らす平野に遅れ、小室と井豪もそれに気付くが、もう遅く腕は小室の首に絡みついて──。
酔っ払った鞠川先生だった。