小室たちとはぐれてから数十分後。
あたしたちを乗せたバスは渋滞に飲み込まれていた。
前にも後ろにも延々と車が並び、その間を引っ切り無しに徒歩の避難者が通過していく。
バスの通路をゆっくりと歩きながら、あたしは不安そうにしていたり、心細そうな顔をしている人がいないか見回っていた。
鞠川先生は運転手であるにも関わらず、あまりの渋滞の長さに暇になってハンドルに持たれかかり完全にだれて暇そうにしている。
運転席から2つ後ろの席では、窓側に座って平野が思いっきり寝ていた。その隣の通路側に座っている高城は何か考え込んでいるのか、それとも平野のように眠っているのかは知らないが、眼を瞑って黙り込んだまま微動だにしない。
その後ろの後続組の女子生徒2人に眼を移した。
余程疲れたのだろう、2人とも背凭れに背を預けてぐっすりと眠り込んでいる。起きている間は恐怖と緊張でずっと強張っていた顔が緩まって、あどけない表情になっていた。
眼鏡を掛けたお下げ髪の娘が、夢の中でまで<奴ら>が出てきたのか眉を顰めて背を丸めガタガタ震え始めた。
肩を揺すってやると、小さな悲鳴を上げて飛び起きる。
「大丈夫? 魘されてたわよ」
状況を掴めていない様子で眼を何回も瞬かせるお下げの娘に話し掛けると、お下げの娘はようやくあたしに気付いて顔を向けた。
「あ……ありがとうございます」
まだ紫藤先生を殺したことを怖がられているようで、お下げの娘の言葉はちょっと震えていた。
ちょっと傷付くがまだ数時間も経ってないし、仕方ない。
「もしかして、怖い夢でも見てた?」
優しくあたしが尋ねると、しばらく沈黙した後お下げの娘はこくりと頷く。
「はい。学校で<奴ら>に追いかけられてました。追い詰められたところで眼が覚めて」
そりゃ怖いわ。あたしでも怖い。現実でも夢でも<奴ら>に追いかけられるなんて哀れな……。
その時の恐怖を思い出したのか、お下げの娘の身体がぶるりと一際大きく震える。
「安心して休んでなさい。今は安全だから」
小さく震える体を両腕で抱き締めて俯くお下げの娘にそう言って、あたしはさらに2つ後ろの席に向かった。
そこには冴子が座っていた。
通路側の席に腰掛けた冴子は、木刀を肩に掛け眼を瞑り休息を取っている。恐らく耳を澄ませれば静かな寝息が聞こえるだろう。
足音に気付いたか、冴子が眼を開けた。
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
あたしを見た冴子は怜悧な顔をこちらに向ける。
「いいや、瞑想していただけで寝てはいない。見回りか?」
「うん。大体終わったから窓から外を見張ろうかって思ってたところ。今はいいけど、いつ<奴ら>がこの辺りに紛れ込んでくるか分からないし」
冴子はちらりと窓に眼をやり、相変わらず人と車が溢れ返る状況に嘆息する。
「確かに、この様子では一匹でも<奴ら>が入り込めば惨事になりかねんな」
木刀を左手に携えて冴子が立ち上がる。
「代わろう。君も少し休むといい。バスに乗ってからろくに休んでいないのだろう?」
「大丈夫よ、これくらい。ずっとやってたわけじゃないし」
「疲れは急に来るもの、というのは私を休ませる時の君の口癖だったと思うが?」
「う」
痛いところをつかれ思わず黙り込む。
そうなのだ。あたしは中学校で冴子と仲良くなってから、冴子が鍛錬で根を詰め過ぎるのを心配して、度々冴子の世話を焼いていた。
それは冴子の自宅だったり、道場だったり、保健室だったりと場所は様々だったが、あたしはいつも冴子の言う通りのことを言って、練習で無理をしがちな冴子を休ませていたのだ。
冴子は全国大会で優勝するほどの腕前だが、その剣の腕は才能はもちろんそれ以上の弛まぬ努力によって支えられている。
その努力は普段の生活でも身を結んでいて、冴子はあらゆる姿勢がぶれない。歩くときも、走るときも、立ったり座ったりする時も、一切身体が揺れたり、たたらを踏んだりすることがないのだ。
動く時は凄く滑らかに動くし、止まるときはまるで機械みたいにピタッと止まる。
背筋もいつもピンと一本筋が通ったように張っていて、背を丸めたりすることがないので見ていてとても気持ちがいい。
今でこそ無いが、中学校の頃は修練のし過ぎで冴子が倒れることもあって、そういう時によくあたしが口にしていたのがその台詞だった。
自分の口癖を逆手に取られては、あたしも従うしかない。
「……じゃあ、お願いしていい?」
「任せておけ」
眼だけで微笑んだ冴子が立ち上がり、通路に出て行くのと入れ違いに、あたしは冴子が座っていた席の隣、窓側の席に座った。
言われた通り自分が気付かないだけでかなり気を張って疲れていたらしく、座り込んだ途端に疲労が圧し掛かってきた。
「あー……」
力を抜くと、たちまち心地よい眠気が襲ってきて意識が持ってかれそうになる。
冴子がいるのだから、しばらくは寝ていても大丈夫だろう。
あたしはそう判断して、少しの間睡魔に身を任せることにした。
□ □ □
唐突に眠りから目覚める。
窓を見ると眠りに着く前と変わらない光景が広がっていた。
まだ御別橋さえ見えてこない。どうやらあまり時間は経っていないようだ。
あたしは一度目覚めるとなかなか寝付けない性質なので、すっぱり二度寝を諦めて立ち上がる。
仮にも意見を纏める人間が事が起きた時に熟睡してるとかシャレにならないし。
平野と高城が座る席の前に冴子と井豪に鞠川先生が集まっているので、あたしも近付く。
あたしに気付いた高城が振り返り、ニヤッと笑った。
「起きたのね。アタシらが一生懸命これからのことを考えてるのに、気持ちよさそうに寝てくれちゃって」
思いっきりタメ口だった。
高城は冴子相手でもそうだが、人を選んで言葉を使い分けるということをしない。あたしに対してもそれは同じで、初めて会った当初から一貫している。
冴子もあたしもそういうのはあまり気にしない性質だし、いまさらそんなことを持ち出しても何の意味も無いのを知っているのでそのままだ。
「ごめーん。で、何の話かな?」
視線を動かす。
釘打ち機を膝の上に置いた平野が答えた。
「全然バスが進まないので、このまま待つかバスを捨てて歩くか話し合ってたんです」
そんな重大な話をしている割には、話し合う人数が少な過ぎるような。
あたしは周りを見渡す。
「他の人の意見は聞かないの?」
「聞いたんですが、皆バスを捨てるなんてとんでもないの一点張りで」
困った顔をした平野が頭をかく。
「ふーむ」
ちらりと後続組の方を見つめながら考え込む。
あたしたちは今まで、生き残るために必死で<奴ら>と戦ってきてある程度自衛できるから、いざという時にはバスを捨てる選択ができる。まったく怖くはないとはいえないが、バスを捨てても学校にいる時よりはマシだからだ。限られた空間内での<奴ら>の発生は本当に恐ろしい。逃げ場が限られているのにどんどん<奴ら>が増えていくから大変なことになる。その分外なら逃げ場がいくらでもあるので、移動用の足さえ確保できれば外の<奴ら>はよほど大量でない限り怖くない。
でもそれは命を張って戦ったことのある人にしか分からないから、彼ら彼女らはバスを捨てるなんて自殺しにいくようなことにしか思えないのだろう。
「バスの回りに<奴ら>が溢れ返るようになってくればさすがについてくるだろうけど、それじゃ遅すぎるしねぇ」
んー、と唸りながらバスの天井を見つめて考え込むあたし。
高城が嘆息しながら、やれやれと手を上に向ける。
「残りたいって奴らは残らせておけばいいのよ。アタシたちだってまだ高校生なんだから、そこまで面倒見切れないわ」
ある意味非情とも取れる高城の意見に、井豪が反論した。
「そういうわけにもいかないだろう。一度は俺たちを頼ってきたんだ、見捨てるのは寝覚めが悪い」
腕を組み、平野たちの反対側に背を持たれて立つ冴子が言う。
「自らの手を汚してでも生き残ろうという気概を彼らから感じられないことが一番の問題だ。これではいざという時足を引っ張られる事態になり兼ねん。それで全滅しては元も子もない」
窓を見ていた平野が高城の方を向いた。
「<奴ら>が来なくても、こんなに渋滞が続くんだったら歩いた方が早いよ。床主大橋と御別橋以外の橋は通行止めになってるみたいだし、床主大橋もどうせ渋滞してるだろうから、川沿いに歩いて渡河する方法を探した方が案外小室たちと早く合流できるかもしれない」
平野の意見を顔を伏せて無言で聞いていた冴子がこちらを向いた。
「私たちの意見は出た。小室君がいない今、決断するのは君だ。どうする」
皆の意見を聞いたあたしは思案する。
「あたし? そうねぇ、あたしは時間が許すぎりぎりまでは後続組の説得に当たりたいかな。それでも頷かないようなら、見捨てるのも仕方ないと思う」
幅を取る平野を押し退けながら、高城が背凭れにもたれ込んだ。
「結局折衷案か。人1人殺した割には甘いわねぇアンタも」
「……っ!」
思わず息を飲む。紫藤先生のことを指摘されるのは辛い。
高城が自分の腕時計を見た。
「まあいいわ。まだ合流まで時間に余裕はあるもの。好きにすればいいんじゃない?」
あたしは頷いて、後続組のもとに向かった。
□ □ □
実を言うと、あたしは携帯を持っている夕樹さえ説得できればそれでいいと思っている。
あの不良生徒はいるだけでも場の雰囲気を悪くしそうだし、根暗そうな男子生徒や女子2人もいざ奴らを前にして戦えるとは思えない。残る男子生徒は、そもそも学校でさすまたをぶつけた張本人だ。戦う気概があってもまたヘマをやらかしそうで安心できない。
だから、最初に4人の説得を試みて即行で断られたあたしは、あっさり諦めて夕樹の取り込みにかかることにした。
あたしが来るのに気付いた夕樹がつまらなそうに外を見ていた顔を上げる。
「何よ。まさかあんたまでバスを捨てて逃げようって言うつもり?」
夕樹の一つ前の席に腰掛け、座席の上で膝立ちになって夕樹の方を向く。
「このまま待ってても、いつ通れるようになるか分からないからね。小室たちと合流しなきゃいけないし。夕樹も一緒に行こ?」
「冗談。時間がかかるとはいってもこのまま進めば確実に通れるのに、どうしてそんな無駄な真似しなきゃならないのよ」
そっぽを向く夕樹にあたしは言う。
「だって、このままここにいたらいつ<奴ら>に襲われるか分からないよ?」
凄い勢いで夕樹が振り向いた。
「ちょっ、ちょっと待って何よそれ!?」
お、いい反応。
あたしはにんまりと笑いたくなるのを堪えて人差し指を立てる。
「考えてみなさいよ。これだけ人が集まって、騒いだりクラクション鳴らしたりしてんのよ? いつ<奴ら>が集まってきてもおかしくないわ。一度襲われればすぐ地獄になる。人が多すぎるもの」
「……そのこと、他の人に言ったの?」
「もちろん言ったわよ。でも皆そうなる前に通れると思ってるみたい。そんなに上手くいくなら誰も悩まないのにね」
スカートを両手で握り締め、夕樹は黙り込んだ。眼が忙しなく動き、唇は真一文字に引き締められている。必死に考えている証拠だ。
やがて夕樹があたしを見た。
「決めた。わたしもあんたたちについて行く。本当にそんなことになるんなら、このまま残るのは自殺行為だわ」
「なら、向こうで今そのことについて話してるから行きましょ」
夕樹を促し、あたしは立ち上がった。
□ □ □
メンバーに夕樹を加え、あたしたちは今後について話をする。
顎に手を当てて考え込んでいた冴子が言った。
「バスを捨てなければ、約束の時刻に東署に着けそうに無いな。何とか御別橋を渡って東署へ向かわないと……」
冴子の台詞に、立ち上がっていた高城がひくっと口を引き攣らせる。
「ずいぶん小室との約束を気にするじゃない? 自分の家族は心配じゃいの?」
「心配だが、家族は父1人だし今は国外の道場にいる。つまり私にとって小室君との約束以外に守るべきは自分とここにいる嬌の命だけなのだ。そして父からは、一度した約束は……命を賭けても守れと教えられた」
へーへーと一見平静そうに流す高城だが、その頬には一筋汗が伝っている。
守る対象にあたしも入っているのは嬉しいけど、冴子に守られているばかりでは我慢がならない。
あとまた素で小室への恋愛フラグを立てないで、お願いだから。
「あたしも冴子を守るのーっ」
小室に取られてたまるかとばかりに冴子に飛びつく。
「そうだな。期待しているよ」
あたしを身体で受け止めたまま微動だにせず、全然そう思っていない顔でくすくすと笑う冴子。
「……どう考えても御澄が毒島に守られてる姿しか想像できないんだけど」
同学年である夕樹が呆れた眼をしていた。
何時の間にか運転席に戻っていた鞠川先生が振り返って尋ねてくる。
「そういえば、高城さんってお家どこなの?」
「小室とか井豪と同じ! 御別橋の向こう!」
付き合ってらんないとばかりに肩を竦める高城の後ろで、立ち上がっていた平野が鞠川先生に言う。
「あー、僕も両親は近所にいないんで、あの、高城さんとかと一緒ならどこでも」
冴子がにこりと微笑んで聞いた。
「ご家族はどちらにおられるのだ、平野君?」
「父さんは宝石商なんでオランダに買い付けに。母さんはファッション・デザイナーなんでずっとパリにいて」
「いつの時代のキャラ設定よそれ!」
突っ込まずにはいられない性質なのか、無視を決め込もうとしていた高城が反応する。
「……初めて知ったが、凄い家族だな」
黙って聞いていた井豪が苦笑した。
鞠川先生がころころと笑う。
「漫画だとパパは外国航路の客船で船長さんとかでしょ」
「お祖父ちゃんがそうでした。お祖母ちゃんはバイオリニストだったし」
「か、完璧……」
隙の無い布陣に高城が頭を抱えた。
にこにこ微笑みながら鞠川先生があたしたちの傍にやってきて訪ねてくる。
「で、結局どうするの? 私も一緒に行きたいから」
「いいの? アタシたちが出た後バスが動かなくなるわよ」
高城の疑問に、井豪が口を挟む。
「それは大丈夫だろう。これだけ人がいるんだ、俺たちがバスを捨てれば代わりに乗りたいと思う奴はいくらでも出てくるさ。渋滞も今すぐに解消される様子はないから他の車が立ち往生する前に運転できる誰かが拾うだろ」
鞠川先生が背凭れに寄りかかり、あたしの目の前で胸が揺れる。
やっぱり間近で見るとますます大きいなぁ……。う、羨ましくなんかないもんね。嘘です少しぐらい分けろください。
「私はもう両親いないし、親戚も遠くだし。どのみち車を運転できる大人は必要でしょ?」
それは、確かに。鞠川先生が来てくれるのなら大助かりだ。医師免許も持ってるみたいだから、いざとなったら診てもらえるし。
外から悲鳴が響いてきた。
冴子の眼が細まり、険しくなる。
「始まったか。こうなると早めに出た方がいいな」
あたしは同じく悲鳴を聞いて、不安そうに辺りをキョロキョロと見回し始めた4人に叫ぶ。
「近くに<奴ら>が来たから、あたしたちはバスを捨てて逃げるわ! 残るも良し、ついてくるも良し、あんたたちは好きにしなさい!」
「待てよ、まさか置いてく気か!?」
慌てる不良生徒にあたしは指を突きつける。
「好きにしろって言ったはずよ。あたしたちがいなくなってもきっと誰かが運転してくれるわ。あんたが安全だと思う方を選択すればいい。……あなたたちも」
震えている女子生徒2人に眼を向ける。
恐怖でぶるぶる震えながらも、お下げの娘を支えるもう1人の娘が言った。
「私たちも連れて行って。置いていかれるのは嫌」
さすまたをぶつけた男子生徒に眼を向ける。
「お願いします! 家族が心配なんです!」
「ぼ、ぼくも!」
根暗そうな男子生徒も続き、あたしは残る不良生徒を促す。
「君は?」
「……この状況で残るなんて言えるかよ。ついていくしかねえじゃねえか」
不良生徒が歯軋りする。
下りる面々を見回し、あたしは宣言した。
「それじゃ決まりね。すぐに出発するよ!」
□ □ □
外に出たあたしたちは、周りを警戒しながら話し合う。
「どう進む? 私はこの辺りはよく知らん!」
こういう時でも冴子は無駄に堂々としている。たまに天然が混じってるよね、冴子って。
「とりあえず御別橋を確かめてからがいいわ」
工作室と書かれた袋を肩に掛けた高城に、平野が反論する。
「たぶん封鎖されてますよ。これ普通の渋滞じゃないです」
井豪が腕を組んで回りを見回した。
「川沿いに歩いてみたらどうだ? 孝たちもこの状況じゃ向こうに渡れずに進みあぐねているはずだ。合流できるかもしれない」
あたしは井豪の案に賛同する。
「それがいいと思う。こっちに来てる<奴ら>から逃げることにもなるし」
「確かにね。もし小室たちと出会わなくても、一応床主大橋の方も確認できるから、何か渡河する方法が見つかるかもしれない。行きましょ」
高城の一言であたしたちは頷き、歩き出した。
しばらく歩くと、前方からバイクに2人乗りした見覚えのある男女が見えてくる。
鞠川先生がホッとしたように顔を輝かせる。
「ねえ、あれって……」
視線を追って眼を凝らしたあたしは、その2人が誰だか分かって思わず飛び上がった。
「小室くんと宮本さんだ!」
叫ぶと同時に、向こうもあたしたちに気付いたらしく、麗がバイクから降りてこちらに駆け寄ってくる。
「先生!」
「あらあら宮本さん!」
再会の抱擁をかわす2人の横で、小室と冴子が見詰め合っていた。
「無事なようで何よりだ、小室君」
「毒島先輩も……」
小室は労をねぎらう冴子に照れたような顔をする。
あたしは冴子に身体を寄せ、胸で冴子の腕を挟むように抱き締めた。
「ん? どうした?」
きょとんとした顔をする冴子に何でもないと笑顔で首を横に振ると、彼にだけ分かるように仏頂面で小室を睨む。
声には出さずに口だけ動かした。
「あたしの」
「あのー、御澄先輩?」
「これは、あたしの。お分かり?」
「……」
意味が伝わったかどうかは分からないが、絶句した小室の袖を、高城がぐいぐい引っ張る。
「ねえ、アタシは?」
「ぶ、無事でよかったよ高城も」
至近距離で拗ねたように睨んでくる高城に、小室はたじたじだった。
というか、あれは本当に拗ねてるんじゃなかろうか。
「……渡河する方法を見つけられないでいる」
あたしを腕にぶら下げたまま冴子が言った。さすが冴子、あたしの奇行に全く動じない。
「僕らも同じです。床主大橋からバイクできたんですけど、渡れそうな場所は見当たりませんでした」
小室は冴子と違ってあたしが気になるようで、ちらちらとこちらを見ている。
高城が小室を見て言った。
「上流は? この辺りは護岸工事しちゃったから渡れないけど、上流ならイケるかも。ほら、小学校の時遊んでて流された子がいたじゃない」
「どうかな。この間雨降ったから増水してるし……」
「あの……」
2人の会話に遠慮がちに手を上げて鞠川先生が割り込んだ。
あたしを含め、皆が鞠川先生を見る。
「今日はもうお休みにした方がいいと思うの」
「お、お休みってそんな簡単に」
平野が呆れた声を漏らす。
皆の注目を集めたことに少々焦りながら、鞠川先生は続ける。
「一時間もしないうちに暗くなるから。……暗い中出くわしたら毒島さんでも大変でしょ?」
「それはそうだけど、どこで朝までの時間を潰すの?」
呆れた声の高城に冴子が近くにある城を見上げて言う。
「篭城でもするか」
……冴子の顔も笑ってるし、冗談だよね? まさか本気じゃないよね?
こらえきれずに小室が噴出す。
「広すぎてこの人数じゃ守りきれませんよ」
言葉を弾ませる小室の後ろで、麗がどこか寂しそうな顔で小室を見つめている。
「麗、どうした?」
「……永? ううん、何でもないわ」
近寄って肩に手を置こうとした井豪の手を偶然か故意にか避けると、麗は井豪から遠ざかるようにこちらに歩いてくる。
おおおおおおおおお。もしかして、小室君の方に気が向いてきてる?
でかした小室!
心の中で拳をぐっと握るあたしを他所に、鞠川先生の話は続く。
「あ、あのね、使えるお部屋があるんだけど。歩いてすぐのところ」
「もしかしてカレシの部屋?」
ニヤニヤ笑って高城が茶化す。
鞠川先生は慌てて身体の前で手を振って否定する。
「ち、違うわよ。お、女の子のお友だちの部屋なんだけど、お仕事とかが忙しくていつも空港とかにいるから、鍵を預かって空気の入れ替えとかしてるの」
「マンションですか? 周りの見晴らしはいいですか?」
現実味が出てきたためか眼鏡の奥で真剣な眼になった平野が尋ねる。
「あ、うん。川沿いに建ってるメゾネットだから。すぐそばにコンビニもあるし」
「安全に一晩過ごせるんですか!?」
蚊帳の外で話に参加していなかったお下げの娘が勢い込んで言った。
「それは、行ってみないと分からないけど……。あ、車も置きっぱなしなの。戦車みたいな四駆の」
こんなに大きいのよ、と鞠川先生が大きく両手を上げて回してみせた。
腕を組んで冴子が頷く。
「どのみち移動手段は必要だ。ちょうどいいな」
話を聞いていた高城が気だるげに髪をかきあげた。
「確かにもうクタクタ。電気が通ってるうちにシャワーを浴びたいわ」
「わたしも。制服も汚れてるし、早く落ち着きたい」
高城の意見に賛同して、夕樹が制服の胸を汚さそうに引っ張った。
ちらりとブラジャーに包まれた胸が見える。……こいつも大きいな。
「そ、そうですね」
たまたま見える位置にいた平野が口をにやけさせて2人を凝視していた。
「このスケベ!」
「何見てんのよ!」
平野の尻に2人の蹴りが入った。
その後ろで小室がバイクに跨り、鞠川先生を呼ぶ。
「静香先生、後ろに乗ってください」
……まて、どうして小室は鞠川先生を名前で読んでる。しかも何故か鞠川先生がそれで普通に反応してるし。まあ、先生の場合は天然の可能性が高いけど。
あたしは気を取り直して小室に尋ねる。
「確かめに行くならあたしが行こうか? バイクなら免許持ってるし。小室君も持ってるならいいんだけど、無免でノーヘルは凄く危ないよ?」
小室があたしの言葉にぎくりと身を震わせ、こちらを振り向く。
「あー……ならお願いしてもいいですか?」
「ん。任せて」
愛想笑いを浮かべる小室と入れ違いに、あたしはバイクに跨った。あたしの後ろに鞠川先生が跨る。
「じゃあ、行ってきます。小室、後は頼んだよ」
エンジン音を響かせ、あたしはバイクを加速させた。
□ □ □
バイクを走らせながら、あたしは背中に感じる驚愕の事実に愕然としていた。
鞠川先生……さっきも思ったけど胸大きすぎ!
もう押し付けられてるのは胸じゃなくて、胸に似た何かとしか思えない。
「あ、そこ、そこよ」
しばらく進むと鞠川先生のストップがかかった。
思った以上にゴツいその車にあたしは思わず渇いた声を漏らす。
「うっわー、何あの車」
「ね、戦車みたいでしょ?」
鞠川先生の声を聞きながらマンションに眼を移すと、殆どの部屋が窓やドアが開けっ放しになっていた。いくつかの窓はカーテンが舞い上がっていて、中がよく見えない。
もしかしたら<奴ら>がいるかもしれない。皆に知らせて手を借りるか、先にあたしだけで確かめるか……どちらにしよう?
1.皆の手を借りる
2.先に調べておく