『すまないフェイト。君が予定していた明日の旅行──ユーノは行けそうにない』
私は通信越しに聞く兄の声に視界が暗くなるような気分になった。
楽しみに荷物を詰めていた居間で、明日着るように買ってきた新しい水着を手から落として、その言葉を聞いてしまった。
明日は前々から予定していたエリオとキャロと、ユーノと私。四人で海に行く予定だったのに。
『どうしても緊急性のある仕事を彼に依頼しなければならなかったんだ。今ユーノ達は全力で資料検索をして僕も出向いてそれを手伝っているが……明日までに間に合いそうにない』
「そう──なんだ」
『……君も執務官ならわかってくれ。そして、すまない』
クロノも苦々しそうに告げる。
私の頭は真っ白になって考えが出てこない。
「し、仕方ない……よね。う、うん。わかってる。私もお仕事は大事だって、知ってる、から」
『……ユーノと通信を変わるか?』
ずきり、と胸が痛んで。
なるべく明るい声で告げるように、
「いい、よ。い、忙しいんでしょう? その、ユ、ユーノには、気にしないでって……」
声が震えだしたので、「ごめん、切るね」と言って通信を切った。
手に力が入らなかった。
ユーノの家の中には私一人。ユーノもアルフも、さっき言ったクロノからの仕事に懸りつけになっているのだろう。
いっそ、私もお仕事を手伝えたら、と思う。だけど私には読書魔法も検索魔法も苦手で、前ユーノを手伝った時いい笑顔で『フェイトは座ってお菓子とか食べてていいから』って断られちゃって……
旅行を延期するにも、明日旅行に行くのは本来エリオとキャロの為だから。
そうだよ。
ユーノが来なくても楽しい家族旅行なんだから。
私がしっかりしなくちゃいけないのに……
「う」
声が漏れた。
駄目だ。
感情は声になって現れる。
「ううう」
私はふらふらとユーノのベッドに向かって歩いて行き。
ぼす、と倒れ伏した。
ユーノの匂いがする。
顔を埋めてナニカを堪える。
「ダメだよ。ユーノだって大変なんだから……私だけでも大丈夫なんだから……」
自分に言い聞かせる。
でも……
ユーノは私の我儘を聞いてくれるって言った。
だから今回じゃ無くても別の機会があればユーノは一緒に行ってくれる。
だけれど、それは行ってくれる『はず』だという疑念があって。
結局、私とユーノの関係はトモダチだから……
本当にユーノと一緒に居られるのか。関係が壊れてしまわないだろうか。ユーノは私のことをどう思っているだろう。
──ユーノが私のことを、どうとも思って無かったら……
「嫌だよう」
呟いて、冷たいユーノの布団に包まる。
不安にならなくてもユーノは一緒に居てくれる『はず』なのに。
ユーノは私を嫌ったりしないと『思う』のに。
ちょっとユーノと離れただけでこんなに不安になるのは、彼との繋がりが心配だから?
……そうだ、私は納得がいくとか、独り立ちできるとか、他の凭れ掛れる誰かを見つけたいとかじゃなくて。
ずっとずっと、ユーノと一緒に居て、ユーノと家族の絆で結ばれたいんだ。
「──好きだよ、ユーノ」
声に出したけど、応える相手はここに居なくて。
お願いだから、ユーノも私を嫌わないでと願う。
他の我儘はもう云わないから、私を好きになって欲しいと祈った。
****************
「フェイト、泣いてるの?」
ユーノが優しい顔でこっちを覗き込む。
そのユーノはいつもよりも若い顔で、
「明日の執務官試験が心配?」
と聞いてきた。
あれ? 明日は執務官試験だっけ?
もっと大事な何かがあったような……
私は、とりあえず頷く。
ユーノは困ったように肩を竦めて、
「僕も一緒に勉強したんだから、フェイトが受かるってことはわかるよ」
「で、でも。これまでも二回落ちたよ……」
不安に潰されそうな声で返す。
そうだ、私は執務官試験に二回連続で落第して、不安で仕方なかったのだ。
ユーノは苦笑しながら、
「一回目は仕方ないよ。クロノだって落ちたんだから。二回目はさ、なのはの事で色々あったから……今度こそ大丈夫だって」
「でも」
でも、と彼に返す。
不安を消して欲しくて願う。
「でもまた落ちたら……? ユーノが、なのはのリハビリにも行ってて忙しい中、折角勉強見て貰ったのに、落ちたら……」
「その時はまた、フェイトが納得するまで勉強に付き合ってあげるよ。だから落ちても、大丈夫なんだ」
「落ちても大丈夫……?」
理解できないように問う。
「うん、フェイトが諦めない限り、僕もできることを手伝うから。だから、無理に今回受からなくてもいいよ。教えがいがある」
「酷いよユーノ……絶対、絶対受かって見せるから」
「ほら、やる気が出た」
「あ……」
「緊張しなくてもいいんだって。そもそも、何でフェイトは執務官になりたいんだい?」
彼の顔が近い。
なんで、と聞かれて、面接でどう答えれば相手の心証が良いかの勉強はしている。
何故?
その問いに、当時の私はユーノの顔をまっすぐ見て応えられなかった。
ユーノの顔が近い。
私は夢の中だけでも、と思ってユーノに顔を近づけた。
夢で見るくらい。
夢でもいいから会いたいぐらい。
私はユーノが好きだって自覚したから。
****************
毒を吐きたくなった。
僕は毒を吐くことで仕事が無くなるというのならば幾らでも吐いて、自らもS2Uで検索魔法を使い資料を探しているクロノを毒殺していただろう。
それは緊急の要件だった。クロノが持ってくるのは大量の要件か緊急の要件であり、両者共に迷惑ではあるのだが、迷惑の質が違う。
すなわち、資料請求の期限が。
もし今行っている依頼の期限が明々後日──いや明後日だったとしても、僕は非常に苦い顔をしながらも彼に苦言を云うだけで済んだだろう。
だけれども非常に緊急性を擁する事件に関する資料を、明日までに揃えろと。
馬鹿か、と云いたいが突発的に発生した事件なので時間がないのも確かで。
くそ、と普段云わない言葉を胸中に浮かべながら、通常の二倍──いや三倍の量の資料を検索、選出作業を行う。もはや僕は外から見たら本が球形に空に浮いているようにしか見えないだろう。
酷い頭痛も、心が冷えるような今の気分では只苛立ちと不快感しか覚えなかった。
こんな緊急の仕事が来るのは初めてではない。
それこそ僕が何日も徹夜して資料を探していたのもそう古い過去ではなく。
だけど──
「なにもフェイトたちと出かける日じゃなくてもいいじゃないか……」
呟いて、謝った通信窓の先のフェイトの、困って、寂しそうに笑う声を思い出して──
一分一秒でも早く作業を終わらせようと魔法行使を加速させた。
「悪いとは思っている」
聞こえる旧友の声にすら苛立ちを覚える。
「だが今回の件は本当に突発的なものだったんだ……」
「そう」
短く返す言葉は必要以上に冷たい。
とある管理世界でのロストロギアの暴走。次元震の可能性すらある緊急事態。次元世界の消滅と、家族サービスを優先すればどちらが上かは明白。
そんなことは分かっている。
そうでなくては、フェイトにあんな声をさせるものか、と陰鬱な気持ちを心に押し込める。クロノが先ほどフェイトに通信を入れたのを聞いていたのだ。正直、謝りたいのだけれど合わす顔が見つからなかった。
クロノは言い難そうに、
「その──今日フェイトと出かける予定があるということは知っていた。彼女から嬉しそうに聞かされていたからな」
「……」
「こちらとしても──フェイトに連絡を入れたときにいっそ罵声でも浴びせてくれれば、と思った」
「……」
クロノの弁明にも無言で、ただ仕事の速度を急がせる。
司書たちも緊急性のない仕事を全て後回しにして、クロノの持ってきたどうしようもない事件に対抗する資料請求へと取りかかっていた。
……僕が抜けたら、間に合わない。
そう確信があるから、誰もが無言で仕事をしている。海に行くと何気なく司書の一人に話したところ、一気に全員に広まり明日から連休が取れるように皆スケジュールを組んでくれたのだ。それを台無しにした緊急依頼の空気の読めなさは殺気とともにクロノへ降り注いでいる。
依頼する際に依頼主すらそう思ったから、クロノ自身すらも無限書庫へと赴いて資料を探している。
……ああもう。
脳裏にフェイトの声が焼きついたまま取れない。
フェイトが家に来て半年。
正直に言うと彼女を甘やかし大いに甘やかしてきた。
そのせいなのか。
あんなに悲しい、泣きそうな声は聞いたことが無かった。
いっそ泣いたり、罵ってくれた方が良かった。僕が悪い、仕事を放り出してでも来いと言われたら首になること覚悟で無限書庫を抜け出したかもしれない。
ずっと楽しみにしていた、エリオとキャロを連れた旅行だったのだから。
……少なくとも、本局にいる他の執務官に仕事が回されてフェイトの休みが潰れなかっただけいいかな?
そうは思う。何せ自分は──
──そうだね。急な仕事が入らなかったら……一緒に行かせて貰っても、いいかい?
そう予め告げていたから。
緊急な仕事が入ってどうしてもいけなくなって、フェイトは気にするなと──
……気にするに決まってるじゃないか。バカか僕は。
これまで一緒に過ごしてきてフェイトの性格はわかっている。
明日は朝から海に出かけ、海辺にある宿泊施設も予約を取っている。せめて顔ぐらいは出したいのだと思い。
気は焦るけど──
「どうあってもこの処理速度では明日の夜までには間に合わない……か」
仕事量が半端ない。そもそも緊急にその次元世界の文献から調べ直してロストロギアや次元犯罪者などについて推察を行わないといけないので資料数は膨大極まりない。
クロノですら事件の全容を把握しきれていないのだから、彼に大まかな分類を任せつつ妙にマイナーな所に潜り込んでいる資料を探索する。初めて次元震級の事件の起こる世界だったから今までの資料も散雑しててわかりにくい。
だからといって次元世界の存亡を一日が分けるこの依頼を断れるはずもなく。
「……ああ、誰か──助けてほしいぐらいだよ」
いつもなら絶対言わない愚痴を呟く。
助けて。
そんなことを思ったことは無限書庫に来てから無かったのに。
僕の為に、助けてくれと思った。
──そう言えば最後に助けてって僕が願ったのはいつだったっけな。
仕事をしながらそう思う。
そう、僕が助けを願ったのは──
無限書庫の入口の扉が開いた音がした。
僕は周りに本を浮かべているから誰が来たのかわからない。
だけど。
「助けに、来たよ」
いつだったか、僕を助けてくれた声が聞こえた。
**********************
エリオとキャロは自分たちの保護者の笑みに若干硬いものが浮かんでいることに気が付いていた。
その目がうっすらと赤くなっていることにも。
三人は海鳴市にあるビーチに向かって歩いていた。フェイトは車を運転できたが日本での免許を持っていなかったため、バスと徒歩を使っての移動だ。
しきりにフェイトは楽しみだ、ということを笑顔で告げていたが──
【やっぱりユーノさんが来れなくなったからかな……】
【そうだね……】
子供はそういう機微に聡い。
結局昨晩フェイトは泣き疲れて眠り、起きてまた泣いてなんとか気分を整えて二人を迎えに来たのだった。
……大丈夫だよユーノ、うん、寂しいとか全然思わない。本当に、大丈夫。二人にもバレてない。
フェイトは自分に言い聞かせているのではあったが。
エリオとキャロはフェイトの左右について体温の低いフェイトの手を握っていた。
子供からフォローされてることで無意識にフェイトも気合を入れる。
……大丈夫指数で言ったらもうニアSだよ。本当に。もう段々ユーノって誰だっけみたいな感じに……
「うぅぅぅ」
……ユーノも私のこと誰だっけみたいな感じになっちゃうの? 嫌だよ……
「あ、あー! フェイトさん海見えましたよ海!」
「綺麗だねエリオ君! ほらフェイトさん!」
自分で思いこもうとして思考がネガティブになり涙ぐみ出したフェイトを必死でカバーする子供たち。
故にエリオは思う。
……フェイトさん本当はこんなに弱いんだ。
だから、とキャロも考える。
……ユーノさん……お願いだから早く来て。
見えてきたビーチは家族連れやカップルの姿が多い。
どこでフェイトの琴線に触れて泣きだすかわからない。
とても真摯に二人はユーノを所望していた。
その願いは、後ろからフェイトを呼ぶ声によって叶えられたことを知る。
**************
『ええからさっさといってイチャついてこんかい! 男やろユーノ君!』
はやては怒って、『あああもうじれったいなあこのカップルは! 羨ましくなんかないわ!』といじけながらも送りだしてくれた。
『その、ユーノ、すまなかった。だがな、フェイトのことだ──旅行の間に答えを出してくれると、きっとフェイトも助かる』
クロノはようやく纏まった資料を片手にそう行って走って仕事へ向かった。
『夫の手伝いをするのは妻として当然! エイミィさん一日復活祭りだったね!』
『ユーノ君、フェイトのことを頼むわね。貴方なら大丈夫だから』
エイミィさんとリンディさん、わざわざ海鳴から駆け付けて仕事を手伝ってくれた。
『ユーノだってもう、気付いてるんだろ? 頑張りな』
アルフも笑って手を振ってくれて。
『ユーノ君』
そしてなのはも───
『言いたいことは色々あるけど、二つだけ。
この鈍感。フェイトちゃんを泣かせたら怒るから』
そう言ってくれた。その言葉に、何よりも背中を押された気になった。
皆の手伝いがあり仕事は予想よりもずっと早く終わる。
楽しみに準備していた旅行鞄を掴んでトランスポーターで海鳴へ向かった。
結界魔法の応用で周りから見えないようにして飛行魔法を使い予定のビーチへと向かう。この時間ならまだ間に合うはずだ。
ビーチの近くで魔法を解いて降り立つ。服はまだスーツのままで、真夏の海岸と似合わない自分の姿に苦笑しながら──
前方を歩いている特徴的な金髪と、その左右に居る子供たちを発見した。
それを見て安心する。
「フェイトー!」
声をかけて、手を振って近づいた。
エリオとキャロが最初にこちらに振り向いて、ほっとしたような顔になってフェイトの手を離した。
フェイトは──
「うわっ」
抱きついてきた。
ふわり、とフェイトの長い髪の毛から彼女の匂いがしてドキドキする。
胸に押しつけられたフェイトの顔から熱を感じて、先に連絡しておけばよかったか、とやや後悔する。急いでくることばかりに気を使ってしまった。
ぐりぐりと顔を擦りつけるフェイトの体を抱きかえした。
「仕事は?」とも「遅い!」とも言わないで、彼女は、
「ユーノ……」
どうしようもないほどに心を震わせる声で僕の名前を呼んで、
「今日は、楽しもうね」
最高の笑顔を見せてくれた。
百点だ。くそう、あまりのフェイトスマイルに問答無用でお金とか払いたくなるぐらい凄い。お金は払っちゃダメだけど。フェイトを待たせた罪悪感とか一瞬で消えてしまった。僕はフェイトに微笑まれるために残業をしていたのかもしれない。そんな考えすら浮かぶ。
ああもう──
「あ、あのーフェイトさんにユーノさん……」
フェイトの顔に見惚れていると、エリオがおずおずと声をかけてきた。
彼の隣りに居るキャロも周りを気にしながら、
「その……人前では」
……
えーと。
それなりに人がいるビーチの前で抱き合ってる僕らは酷く目立っていたわけで。
赤面するけど、フェイトは離れずに、
「……もう少し、ユーノ分補給中」
「うわあ」
声に出したのは僕かエリオかキャロか、或いは周りでこっちを見ながら仰いでいた名も知らない人か。
急に僕は暑くなると共に、フェイトが傍に居ることで安心を覚える。
僕もフェイト分を補給しなくてはいけない。
これは非常に重要なことなのだと自分で納得して、もうしばらくフェイトをぎゅっと抱きしめることにした。
更衣室で水着になって四人で浜辺へ繰り出した。
フェイトはビキニタイプの黒い水着で、海鳴市は日本であるのでいかにもなブロンド体型の擬音系フェイトの体つきは非常に目立つ。ヤバイ。いや、家でそれよりも薄着のフェイトは見てるんだけど、こう凄い物があるよなあと改めて思う。
ワンピースタイプの水着を着たキャロと手を繋いで歩いている姿は子連れと言うより姉妹のようだ。まあ、年齢からしてキャロが実子だと色々拙いのだろうけれど──いやいや、桃子さんみたいな例があるからこの街だとそういうこともあるのかもしれない。
そして、
「エリオ、君もか……」
「ユーノさん……まあ、なんというかお互い無難で」
僕とエリオが履いている膝丈まである無難な男性用水着。
ミッドチルダで売られている関節部以外硬くて変形しにくい布で出来た水着である。通称紳士水着。貴方の下心をアンダー・カバー。アンダーってそういう……な水着であった。
ある意味お揃いである。僕とエリオは並んで、シートを敷きだしているフェイト達に近づいて行く。
彼女はくすっと笑って、
「二人とも、親子みたい」
と嬉しそうに告げた。
お揃いの僕とエリオは乾いた笑いを返す。
それで、とフェイトは何やら薬のようなものを取り出して、
「ユーノ、サンオイル塗ってくれない?」
そんな要求に僕はさっとエリオに視線をやった。
彼は小さく居なずいてぐっと親指を立てた。
……ゴーですユーノさんゴー!
ふいっとキャロの方を向くと彼女も顔を赤くして、
……その、断ったりしないでくださいね。フェイトさん悲しむから。
視線交差により脱出不可能な状況に陥った僕は、「えへへ」と笑うフェイトからサンオイルを受け取らざるを得なかった。
落ち着け僕。
フェイトの人にやらせたがり癖は今に始まったものじゃないだろう?
風呂上がりの髪の毛を僕が乾かしたこともあるし筋肉痛で帰ってきたフェイトの体をマッサージしたこともある。
なぜ今更になって恥ずかしがる──ってそれはあれか。僕がフェイトを──。
それよりも……
こんな人が多い所でフェイトの甘え癖が……!
はっ。
そうだ、フェイトって真ソニックの姿を見ればわかる様に露出癖が……
フェイトの治さないといけない七つの性癖の一つ露出癖がこんなところで……!
などと気を紛らわしつつケンジャニウムを脳内で合成しまくって、フェイトの意外と引き締まった太ももや、摩ると小さな悲鳴を上げる背中、細くて繋ぐと折れそうに思うから優しく触れる手、何故か僕を踏んできた足などにオイルを塗ることを決意する。
……このズボンで良かったあ。
「じゃ、じゃあエリオ君、私にも……」
「えっ!?」
キャロが顔を赤くしながらエリオに頼んで、そのエリオも同じぐらい真っ赤になっているのを見て僕は親指を上げ若者たちを応援するのだった。
腰ほどの深さの海の場所で、膨らませたビーチボールをトスし合う。
それだけの遊びではあるのだけれど。
「エリオーいったよー」
というフェイトからのトスをエリオは落としてしまう。
波に浚われないように慌てて海面に浮かぶボールを取るエリオ。フェイトとキャロは楽しそうに笑う。
元六課のフォワードであるエリオならば下半身が水に浸かっていてもボールを追うぐらい簡単なのだけれど──
【ユーノさん!】
念話が届いたので返事をしておく。
【どうしたの? エリオ】
【フェイトさん凄い胸が揺れてるんですけど! うっかりビーチボールが三個に増えたかに思うぐらい! 集中できません!】
【……まあ気持ちはわかるけど】
フェイトの凶器を目前に突きつけられたら思春期のエリオでは厳しい物があるだろう。
ああもう、エリオが意識するからキャロからオーラが。「六課でもシグナムさんとかのをじっと見てて……」ほら呟きだした。
仕方ないのでエリオにケンジャニウムの分泌を促す魔法の術式を送る。程よくピンクになった頭にすーっと効く禁欲魔法である。
それによりある程度冷静になったエリオが賢者の如き緩やかな表情でボールをトスする。
僕に来たので、僕からフェイトへ……
フェイトはボールを受けようとして、
「ひゃわあ!?」
急な高波に転んだ。
苦笑しながら倒れたフェイトに近寄り──さぁーっと血の気が引いた。
フェイトの上半身から黒のビキニトップが消失しているのを一瞬で把握。同時にフェイトも気が付いて、
「や」
彼女は躊躇いなく──胸を隠すのではなく僕に抱きついてきた。
そりゃあ正面から抱きつけば胸は見えないけどさ!
中腰で抱きついてきたため、僕のお腹にフェイトの胸の感触が直に来る。
直である。
今までフェイトに抱きつかれた回数で言えば恐らく全人類一位の僕だとはいえ、それらの多くは当然服と言う名のバリアジャケット越しだ。それが今やノーボーダー宣言バリアフリー政策である。
……その、服越しでは分からない柔らかかったり硬かったりする感触がですね。
フェイトはどうしてこんなことを、と思い見降ろすが、彼女も顔を真っ赤にして僕の腰をぎゅっと強く抱きしめていた。
……この水着で良かったなあ!
腹にどくどくと響くフェイトの鼓動を感じながら、僕は必死に自制をする。くっ鎮まれ僕のフェレット!
「キャロ、水着取ってくれない?」
「は、はいっ!」
咄嗟にエリオの両目を塞いでいたキャロに頼んで、クラゲのようにたゆたう水着をキャロはフェイトに手渡した。
ぶく、とフェイトは口まで海水につかって、海の中でビキニトップを装着し直す。
ふう──良かった。何が良かったかって言うと全然ヨクは無いんだけど、とにかく良かった。だからそういう良かったじゃないって!
「ユーノ──ごめんね、ちょっと驚いちゃって」
「え!? あ、うん! ありがとう!」
ありがとうって何だ僕。
ああ、今までの僕は本当にアレだな。凄い自制心だったな。
一旦フェイトのことを意識し出したら、もう……
だから、僕は、フェイトに。
───伝えるんだ。
********************
海遊びも終わって夜になった。
泊まるホテルは二部屋取っていて、当初の計画では男二人女二人で泊まるつもりだったんだけど……
なんでかエリオとキャロが遠慮して、私は今ユーノと一緒の部屋のベランダで海風を浴びている。
隣にユーノがいる。
少し前まではそれで満足だったけど……
「その、ね、ユーノ」
私からしどろもどろに彼に声をかけた。
いつもなら、普段彼の家で一緒に過ごす時は普通に話せるのに。
私はユーノのことが好きだって。
愛してるって昨日気付いたから。
ユーノのことを思うだけで胸がドキドキする。
ユーノと一緒に居るだけで体が熱くなる。
だから彼と一緒にいるのは、嬉しくて、怖い。
「今日、仕事、終わったの?」
彼に本当の思いを告げることは後回しにして、まずは軽く聞いてみる。
ユーノは頷く。眼鏡を取っていて髪の毛を下している彼の顔を見ていると頭がどろどろと溶けてしまいそう。
「うん。実は、本当は終わりそうにならなかったんだけど──リンディさんとかエイミィさんとか、はやてやなのはも手伝ってくれたおかげで何とか終わったんだ」
「そうなんだ」
答えつつ、彼から他の──とりわけなのはとはやてという女性の名前が出てくると、胸が痛んだ。
いやだ、これじゃあ嫌な女みたい。ユーノに嫌われるかもしれない。
表情を落としながら、彼の声を聞く。
「本当に……どれだけお礼を言っても足りない」
「うん」
「あのさ、フェイト。僕は今日ここに来れたことが、とても嬉しいんだ」
ユーノの言葉に心臓が跳ねる。
「今日は皆で一緒に海に来たかったし──フェイトが、その、笑ってくれて嬉しい」
彼の顔を見る。
赤面して、目を泳がせているユーノ。
そんなこと、言われたら。
「ユーノ」
「フェイト」
同時に互いの名前を呼び合って、口を噤む。
私は物おじして、「さ、先にいいよ」と返した。
どうしてもユーノに何を言っていいか、頭が沸騰しそうでぐちゃぐちゃになっていたから。
「じゃあ先に──」
ユーノは大きく息を吸って、吐いた。
そして私の目を見て、
「フェイト、君のことが好きだ。
君と、結婚したい」
「え……」
ユーノの言葉を聞いて。
茫然としたまま、凛々しい表情で告げてくる彼の顔を見たまま。
結婚?
ユーノと私が……?
結婚して、ずっとずっと、一緒にいられるの?
涙がぼろぼろと零れた。
「フェイト!?」
「ゆ」
震える唇で聞く。
「ユーノは、私でいいの? 私、こう見えて面倒臭がりだよ」
「それは十分知ってるよ」
「すぐ他の人に嫉妬するかもしれないし……」
「フェイトだけが好きだ」
「ずず、ずっと一緒に居てくれないと、泣いちゃうかもしれないよ?」
「君とずっと一緒に居たい」
「ユ゛、ユーノは、本当に、本当に、私と一生居てくれるの……?」
「僕が、君に一緒に居て欲しいんだ」
あ、と声を出した。
ユーノから抱きしめられた。
いつだってユーノに抱きつくのは私からで、彼は優しいから抱きかえしてくれるのに。
ユーノの胸に涙をしみ込ませる。寂しい涙ではなく嬉しい涙を。
押し殺した涙声で彼に告げるんだ。
「あのね、私ユーノのことが好き。ずっと、気付かないふりしてたけど、本当にずっと前から、ユーノのことが好きだった」
それこそ、あの執務官試験の前から。
思いに気付かず、気付こうとしなかっただけで。
彼の匂いを感じながら、
「優しいのが好き。甘えさせてくれるのが好き。一緒に居て心地よくなるのが好き。ユーノの匂いが好き。ユーノに名前を呼ばれるのが──好き」
ユーノも甘い声で、
「僕もフェイトが好きだ。フェイトと一緒にいるこの半年、本当に幸せだったんだ。だから、ずっとフェイトと居たいと思った」
そんなユーノの言葉が嬉しくて、
お世辞にも可愛い表情じゃなかった。涙をぼろぼろと流して、彼を抱きながら、
「ユーノ、一緒にいよう。結婚して子供も作ろう……ユーノと、一緒に居られる絆で結ばれたいよ……!」
「フェイト……」
私たちは顔を見合わせて、そのまま自然と唇を合わせ──
合わせ──?
……?
……!!
「あ゛ー!! ユーノ、サーチャーがいる! サーチャーがいるよそこ!!」
慌てて指摘をする。
そこには誘導タイプの追跡魔法が漂っていて。
通信ウィンドウが無数に開く。
『おめでとー!!』
そこには顔顔、顔。
無限書庫の司書たち、アルフ、リンディ母さん、エイミィ、クロノ、なのは、はやて……!
皆がわざわざ次元間通信(エイミィ器材により海鳴でのみ使用可)を開いてまでこちらを見ていた!
「見、みみみみ見た!?」
はやてがにやにやしながら、
『あっつい告白やなあご両人。にっしっし─────ええけどな! コンチクショウ!』
「きゃあああああ!!?」
見られてた!?
今までの全部!?
皆に、皆に、皆に。あううううううう!!
『もう、いつになったら告白するのかってドキドキしてたわ』
『いやー正直あたしはこれまでくっついてなかったのが不思議なぐらいで』
リンディ母さんとエイミィ!
『その、フェレットモドキ! 義兄さんって呼んだら撃つからな……』
「な、なに言ってるのクロノ!? ああ、でもユーノと結婚したら……あうう……」
顔が真っ赤に、嬉しさで出ていた涙が羞恥で出てくる。
もう、とアルフが笑いながら、
『あんなに嬉しそうなフェイトの顔見たら祝福しないわけにもいかないじゃないか』
「アルフ……うん、ありがとう」
『司書長ー!! うおー!! おめでとう!!』
『司書長ー! うらやましいぞー!』
『司書長、実は俺あんたのこと……へへっ、なんでもねえよ! 潮風が通信窓越しに染みらあ!』
『司書長宛てに送られてきた爆弾全部処理しときま──ウボァー!』
「皆……」
ユーノも涙を拭いながら同じ職場の司書たちの礼賛を受ける。一部爆死していたけれど。
そしてなのはもニコニコと笑いながら、
『おめでとうなのユーノ君にフェイトちゃん』
「なのは……」
同時に私たちは言う。
そして、
『帰ってきたら色々話したいこともあるから─────無人世界の演習場借りておいたから来てね』
「すっごい不安だ!」
やはり同時に叫んだ。細目になっているなのはの笑顔から感情が読み取れなかったから。
はいはい、とリンディ母さんが手を叩いて、
『それじゃ告白まで見たから追跡終了ね。これ以降はしょっ引くわよ───ああ、そこで覗いているエリオ君とキャロちゃんももう寝なさーい』
「エリオ!? キャロ!?」
振り返って部屋の入り口を見ると、扉がやや開いていて目が二人分こちらを覗いていた。
「そ、その──フェイト『お母さん』、お幸せに!」
「あの──ユーノ『お父さん』も、お願いしますっ!」
と叫んでドタバタと走って隣の部屋へと帰って行った。
全部、全員に見られてて……
「ううう、恥ずかしいよう」
通信窓もサーチャーも全部消えた中で、顔を抑えて私は呟いた。
明日からどんな顔をして皆に会えばいいんだろう? あ、でもなのはに会う場合はデバイスをセットアップした方がいい気がする。経験上。
でも、そんな不安を抱いている私をユーノはもう一回抱き寄せて、
「ふあ」
唇を塞いだ。
あ。
ユーノの指を咥えたことはあった。
ユーノに歯磨きをしてもらったことも。
でも、ユーノと口付けをするのは初めてで。
どうしよう、どこからこんなに涙が出てくるんだろう。
ユーノと繋がってる。
それが嬉しいよ……!
もうユーノはどこにもいかないって安心できるから──
どこかに行っても、私の傍に帰って来てくれるから……!
口を離して、抱き合ったまま彼にもう一度、私の本心を告げるんだ。
「好きだよ──ユーノ」
その日、私とユーノは思いを確かめ合って。
今までの関係じゃなくて、家族の──ユーノと私だけの──絆で結ばれた。
本当に嬉しくて、嬉しくて、何度もユーノと確かめて。
ああもう、今までの、ユーノと過ごしてきた半年すらもどかしくて。
好きだよ、ユーノ。
ユーノが私のことを好きなのも知ってるから。
ずっと好きでいあおう?
愛してる。
*********************
「フェイト、本当に執務官辞めていいのかい?」
「うん。ユーノは、反対?」
「フェイトが決めたことなら、僕は大賛成だよ」
僕とフェイトが結婚して三カ月。
色々があった。結婚式で散々冷やかされたり、無限書庫が爆破されたり、通りすがりに胸元をパタパタさせて「暑ー」とか言われたり。
でも僕がフェイトのことを好きなのは変わらないし、フェイトも僕を好きでいてくれる。
ずっと前から気付いていたはずなんだけどな。
少なくとも同棲しだしてわかってたはずなんだ。フェイトといると心地よいって。
散々皆に押し出されるまで、気付かないふりをしていたような感じの僕があまりにも愚かで思い出したくない黒歴史だ。
そして今、フェイトは執務官を辞めるのを決めたことを、僕に告げてきた。
理由は、
「お腹の赤ちゃんの為に危ないこと出来ないし……」
単純だ。
いつだって世界は単純なものだ。
彼女はあと七か月ほどで真に母親になる。それだけの事実。
……凄く嬉しい。
「あのね、生まれた子供はいっぱい可愛がってあげたい。執務官をやってたら何週間も家に帰れないこともあるし……子供のためにも」
「うん。フェイトは優しいね」
「エリオとキャロも弟か妹が出来たみたいに喜んでたしね」
「気が早いなあ……」
苦笑する。
それでね、とフェイトは続け、
「空士学校の先生なら、執務官をずっとやってたから資格がすぐ取れると思うんだ。子供を育てたら、そっちに行こうかな」
愛おしげに、膨らむというにはささやかなお腹を撫でながらフェイトは言う。
子供が出来てからというものの、彼女からはこう、母性オーラとかそういうのが飛びまくりだ。
子供の様に誰かに甘えたいという感情と子供をあやしたいという感情は表裏一体で、フェイトはその尤もたる例なのだろう。
だから、子供が出来たら今まで見たいには甘えてこないわけで。
……少し寂しいかもしれないと思う。
だから代わりに、フェイトから生まれる僕らの子供には精いっぱい甘えさせてあげようと思うのだった。
フェイトは思い出すように遠い顔をして、
「昔ね、執務官試験を二回落ちた時。ユーノに勉強を教えて貰ったよね?」
「まあ、僕が教えられたのは少しだったけど」
過去の出題傾向や、次の試験官の性格から推察される問題、面接内容などを統計しただけれど。
「そのときさ、ユーノに『なんでフェイトは執務官になろうとしてるの?』って聞かれて……『人の役に立ちたい』なんて応えを返したよね?」
「確かに。もっと自分のことを考えなって言った記憶があるよ」
「私はプロジェクトFで生み出されたイキモノだから……私の生まれた意味なんて無いと思ってて……だから、誰かの為に生きられれば、きっと誰かが私を認めてくれるように、あの頃は思ってたんだ」
「フェイト」
それは違うよ、と告げる前に、
「でも今は違うよ。エリオがいるし、キャロがいるし、私を好きでいてくれるユーノと生まれてくる子供がいるから。私がどんなでも、ユーノと一緒に生きていたいって思う。誰の役に立たなくても、誰から何か言われても、もう大丈夫なんだ」
「……フェイトは執務官とかより──ただの僕のお嫁さんなんだからね」
「うん♪」
フェイトを抱き寄せる。
妊婦である彼女の温かい体温を感じながら、幸せを感じていた。
本当にフェイトと一緒になれてよかった……
「私が生み出されて、ユーノにあって結婚したのは運命なのかな」
フェイトが不意にそう聞くから。
「さあ、それは分からないけど──実際に、君と出会えて良かった」
フェイトともう一度キスをして、
「ユーノ、大好き。世界が終わっても愛してる」
「僕もだよ、フェイト」
僕はフェイトと一緒に過ごして行く。
大事な家族、アルフにエリオとキャロ──そしてやがてもう一人を加え。
それが僕とフェイトと家族たちの、僕らが知っている終わらない日常。
END...