トリスタニアから南方に伸びる街道沿いに、フィエールという宿場街がある。
それほど大きな街ではないが、主要な街道沿いという立地条件もあってかそこそこ潤ってはいた。
そんな街の大通りから外れた、北西側の小道。
時は夕暮れ。真っ赤な夕日に照らされて、一人の少年がボロクズのように横たわっていた。
少年の名はルネ。薄汚い服からわかるとおり、貧乏な家の子である。
彼は先ほど、近所でもワルで評判のガキ二人に絡まれてこっぴどくボコされたのであった。
負けず嫌いな性格が災いしてか、年不相応に口達者なルネは言葉で二人組を言い負かし、とうとう二人をキレさせてしまったのである。
結果がこのザマである。
ルネはよろよろと起き上がると、拳を握り締めて震えながら叫んだ。
「許さん……! 絶対に許さんぞ虫ケラどもがあぁぁッ!!」
「道の真ん中でさわぐんじゃねえよ、ルネ!」
たまたま通りかかった顔見知りのおじさんがルネをぶん殴った。
「い、痛い! 何するんですか!?」
「そんなに悔しかったら体鍛えてやり返せるようになれ」
「ふっ……ぼくは7歳ですよ。2歳も上なアイツらと殴り合って勝てるわけない」
「……じゃあ諦めたらどうだ?」
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
おじさんは可哀相な物を見る眼つきになった。
「ほれ、もう日が暮れる時間だ。さっさと自分の店に帰れ」
「…………」
「どうした?」
「ふっ、今ぼくは途轍もなく恐ろしい案を思いついてしまいましたよ」
「……そうか」
「聞きたいですか?」
「いや、べつに」
「えっ。……仕方ないですね。特別に教えてさしあげましょう」
「聞かねえからさっさと帰れこのバカ!」
ぶん殴られたルネは地面にぶっ倒れた。
しばらくするとムクリ、と起き上がり「ふっ、やはり聞くことも恐ろしいというわけですか……やれやれ」と呟きながら自宅へ歩き出した。
体つきのわりに異常なタフさだが、それを上回るほどに頭の逝っている少年であった。
◇
ルネの家は食事処を経営している。
モットーは「安い・早い・まずい」と酷く間違ったもので、ゆえに稼ぎも非常に少ない。
家族構成は、両親と3つ離れた姉との四人暮らし。
ちなみに従業員は雇っておらず、コックは両親で、給仕は姉とルネである。
我が家に帰ったルネは、いきなり母にぶん殴られた。
「どこほっつき歩いてたのよ、この馬鹿息子! お客さんの来る夕前には戻ってなさいよ!」
「い、いや、しかし、邪悪なる二匹の悪魔に襲われていたわけでして……」
もう一度ぶん殴られる。
「さっさと手伝いな」
「……はい」
家での力関係ではルネは圧倒的最下位である。
「あんた、何してたの?」
キッチンに入ると、料理の下ごしらえの手伝いをしている姉が聞いてきた。
「邪悪なる二匹の悪魔に……」
「ああ、ボコボコにされたのね」
「だ、断じて否!」
さすがに家族となるとすぐに悟られる。
必死に否定するルネだったが、一発殴られると黙って手伝いを始める。こうした対応も手馴れたものである。
しばらくすると、遍歴商人や旅人などが安値に釣られて店に入ってくる。
なんて愚かな人たちだ、とルネは思うが、つまるところ彼らのおかげで食べているのだから口には出せまい。
「お待たせしました」
注文品の料理を客に運ぶルネ。
年頃7つの少年にして、その動作や仕草には堂に入った優美さがある。
それに気を引かれたのか、商人風の男が気さくに声をかけてくる。
「きみはこの店の主人の子かな?」
「いかにも。どうかこの不幸な境遇のぼくに哀れみを……ぐげっ」
同じ給仕の姉によるエルボーが脳天を直撃した。
「すみません。この子、頭おかしいんです」
「待ってください、姉さん。
うちの両親だってこの店の経営方針から鑑みれば頭おかしいとしか思えないでしょう。
つまりその子供であるぼくも姉さんも同じ血を引いているわけだから――ぐぼ」
鋭いボディブローでルネは悶絶している。
「オホホ。ごめんなさいね、お客さま」
弟の首根っこを掴んでずるずると厨房へ引きずってゆく姉の姿を見て、商人の男はドン引きしていた。
ちなみに数回来たことのある客は「ああ、またか」と平静を保っている。
異常でありながら、ある意味日常茶飯事である。
こうしてますます、この店は珍店として名を轟かせるのである。
◇
閉店後、ルネは二階の姉との共同部屋で本を読んでいた。
ちなみに本は平民にとっては非常に高価なものである。間違ってもルネの家の経済状況で買えるようなものではない。
ではどうしたかというと……拾ったのである。
ある日、ルネがゴミ捨て場に行った時、ふと何か気配を察知してゴミを漁り、なんとピンポイントでこの本を探り当てたのである。
異様に勘が鋭いというか、臭いに敏感なのは、ルネの持つ生来の性質である。
おそらく前世は汚いドブ犬だったんだろう、というのは両親の談である。
本はボロボロだったが、内容を読めないほどではなかった。
そんなわけで、ルネは読書をしているわけであった。
ちなみに、ルネは教会で読み書きをすでにマスターしている。
将来の金儲けに役立つ、と両親にそそのかされて、一週間ほど通っただけで活字にはまったく問題なくなったのだ。
貧乏な家柄のためか、ルネは金が掛かると異常にやる気を発揮する。
最近では夜更けに近所の酒場へ忍び込み、大人に混じって賭け将棋で勝ちまくっていたほどである。
掛け金が多くなるほど集中力が増大し、ありえないほど先の手まで読んでくるのだ。まさに金の亡者である。
だがあまりに勝ちすぎて出禁を食らったのが痛いところであった。
ちなみに勝ちまくった金はのちに親バレし、家計へと没収されていった。
その時、両親は「こいつ、賭博師にさせて儲けさせようか」と思ったとか思わなかったとか。
「ほう、なるほど……」
大真面目な顔でルネは本を読む。
『メイドの午後』というタイトルの小説だ。
ちなみに内容は、貴族の館で働く平民のメイドがご主人様に夜な夜なお仕置きをされるというものである。
明らかに7歳が読んだらアウトである。
「うーむ……」
とはいえ、ルネが興味を持っているのは“貴族”であるご主人様の使う魔法である。
ここハルケギニアにおいて、魔法を使えるものはメイジと呼ばれ、さらにメイジの大多数は貴族である。
まあ、貴族から身をやつして犯罪者や傭兵などになる者もいるにはいるが……。
閑話休題。
さて、この小説内においてご主人様はメイドにさまざまなプレイをさせることになる。
その時に活用されるのがこの魔法なのである!
「こ、これは……」
ルネは唸った。
まずご主人様は、土魔法「アース・ハンド」でメイドの手足を拘束する。
続いて行われるのは、風魔法「エア・カッター 」による衣服の切り裂きである。
ご主人様の絶妙なコントロールにより、風の刃はメイドを傷つけることなく裸体をあらわにさせてゆく……。
メイドは恐怖に顔を歪め、ご主人様はそれをにやにやと眺めるのだ。
そしてお次は、火魔法「ファイアー・ボール」である。
ただしこれはご主人様のアレンジが加えられ、威力弱めの小さな火球がちりちりとメイドの乳房や秘部を刺激するのだ。
悶えるメイドを楽しんだご主人様は最後に、水魔法「ヒーリング」でメイドの傷を癒し、そのままベッドへ押し倒す。
そこからは、ある意味、魔法責め以上の描写なのだが、割愛しよう。
まあそんな過激というか変態な内容を読んだルネは、
「この作者は天才ですね……」
とのたまったわけだが、断言しよう。他人に今の言葉を聞かれたら間違いなく「頭がおかしい」に「変態」がくっつくことを。
まあルネはエロに対して言ったわけではないが。そもそも性欲自体がまだ無縁である。
ルネは「魔法」の可能性を広げるこの作者の発想に感心したのだ。
魔法の汎用性の高さは、ルネもおおよそ理解している。
この街は人通りも多いので、貴族でないメイジと接触できる機会がそれなりにある。
ルネはできるだけそうした機会を見逃さず、メイジから魔法についていろいろと教わっていた。
魔法が使えれば、かまどに火をつけるのに苦労なくなり、些細な傷も一瞬で直せ、高所に悠々と上がることができ、金属の錆びや風化を防ぐことができる。
なんとも便利なものである。
そしてルネは思ったのだ。
「よし、ぼくも魔法を使えるようになりましょう」
ちなみに平民には魔法は使えない。
ルネはアホであった。