第二十話 現状分析と現実認識「おお、タクトにレスター。シヴァ皇子の警護ご苦労だった」「先生!」「ルフト准将!! 」あの後、一悶着あったが無事撤退に成功したエルシオールを待ち構えていたのは、死亡した可能性すら考えられていた、ルフト准将だった。恩師の無事に当然のごとく顔を綻ばせるタクトとレスター。何せ彼は黒き月からの砲撃の際にファーゴで指揮を執っていたのだ。「無事だったんですね」「ハハ、そう簡単にくたばれんよ」彼が無事なのは、平民の出身であり、実力による叩き上げと勤続年数で地位を手に入れている故、貴族将官にそれこそ蛇蝎の様に嫌われているという理由だ。その為にファーゴの中心部にある作戦会議室でなく、港近くの通信室で、前線指揮にあたっていたのだ。そういったことが明暗を分けた。将官に必須の才能『運の良さ』を持ち合わせていると言えるだろう。「それで、現状は?」レスターが言ったその言葉で、二人の顔が即座に引き締まる。ただ再会を喜んでいられるような状況ではないのだ。「現在、このロームを挟んでエオニアと相対しているわけだが……正直打つ手が無い」「そうですか……」「エロスン大佐も良くやってくれたのだが、全体的にこちらの数も少なく、指揮系統もぼろぼろ。現在急ピッチで修復しているのだが、どうにもな……」ルフトの沈痛な面持ちに、レスターとタクトは言葉を失ってしまう。予想以上に現状が酷かったのだ。彼らはまだ把握していないが、全精力を結集していたのが仇となった。将官で生存しているのはルフトを含めて2名程であり。艦も正常に稼働するものの方が少ない。絶望的な状況である。しかし、そこに割って入る者がいた。「ルフト!! これからどうするのだ?」「おお、シヴァ皇子よくご無事で」シヴァ皇子だ。皇子は、エルシオールが無事撤退に成功したと聞いて、ブリッジまで出てきたのである。無事な姿を見て一瞬だけ笑顔になるものの、すぐに表情を戻すルフト。「そうですな。正直待つしか無いという所ですな」「そうか……」ルフトのその言葉に少し逡巡する仕草を見せるシヴァ。しかしすぐに考えを纏めたのか、口を開く。皇子には先ほどの戦闘から考えていることがあったのだ。「紋章機の翼の事をマイヤーズより聞いているか?」「翼……ですかな?」ルフトはやや怪訝そうな顔でシヴァを見た。まあ紋章機という機械と、翼という生物の言葉との繋がりが、今一つピンとこないのであろう。それ自体は当然であろう。「マイヤーズ……いや、クールダラス説明を頼む」「了解しました」「いや……うん、なんでもない」説明なら、レスターのほうが適任だもんな。と呟きつつ一歩下がるタクト。そしてレスターは先ほどまでの戦闘経緯の説明を開始した。彼らしい最低限でいて要点がまとめられており、何より分かりやすいものであった。「ふ~む、紋章機に翼が生えて、動けるようになったか」「はい、艦が動かなくなったという報告は聞いていると思いますが、エルシオールはエオニアが撤退する前にすでに動けるようになりました」レスターの説明を聞いて、頷くルフト。だがふと何かに気付いた様な仕草の後、呆れたような、非難めいた顔でタクトたちの方に向き直る。「というか、タクト。シヴァ皇子を乗せている状況で、単独で敵に突撃したのか?全く無事だったから良かったもの……」まるで、学生時代のタクトを叱る様な口調に、タクトは苦笑いを浮かべつつ、必死に機嫌を取るのであった。レスターはその様子を口元を緩めてみていたのだが、途中で矛先が自分にも向き必死に弁明するのであった。その様子をシヴァとココとアルモは興味深そうに眺めているのであった。少しずつ、何時ものエルシオールらしさが戻ってきていた。「それで、その翼は消えてしまった、しかし紋章機の発見された場所の管理人であり、なおかつロストテクノロジーの権威でもあるシャトヤーン様に伺うと」「ああ、そうすれば紋章機が格段に強くなる」「ふむ、ですが皇子エオニア軍はすでに本星の方に向かっているとの情報があり、こちらの再編にはまだ時間が……」「エルシオール単艦ならば、数時間の補給で動けるとクールダラスが申していた。我々だけ先行すればよいだろう」シヴァの提案は単純明快。紋章機の力を飛躍的に上げた翼を出せれば、エオニアのあのクロノストリングエンジン停止の術も無効化できるであろう。故に専門家であるシャトヤーン様がいる白き月へと向かう。方法も、すぐ動けるエルシオールが単独で、白き月にエオニア軍よりも先回りをする。いたって単純なものだが、理に適ってはいる。・敵の強力な攻撃(こちらのエンジンの停止)に対抗できる唯一の戦力(紋章機)を増強する。・移動は艦速の速いエルシオール単艦ゆえに、遅い艦に合わせて進軍する必要はない。この2つが元となっている。ルフトはこれを覆せる理由に、御身の危険しか出すことができなかった。彼自身、冷静な頭脳での判断でも一番の手であると出ているのだ。「………もう、決めていらっしゃるのですね。確かにそれしか策が無いのも事実です。このルフト・ヴァイツェン、シヴァ皇子殿下の御命令に従います」今までも、色々言ってきたが、こうなった皇子は後に引かない。皇子の命という掛け金さえ無視すれば、これ以上の作戦は無いとも言える。なにより、強力なシールドを張っている白き月と連絡が取れるのは皇子だけというのだ。仮に護衛をつけても、皇子が白き月に向かう事は確定している。ならば、速度をとるか防御力をとるかだが、敵に防御力を一瞬で0にする手段がある以上、速度以外の選択肢はない。ならばルフトは臣下としてシヴァ皇子の命令を聞くだけだ。「タクト、シヴァ皇子を必ずお守りしろ。レスター、タクトを補佐してやってくれ」「ルフト准将……」そこまで言うと、ルフトは一呼吸おき、二人を見つめる。画面越しだが、目の前にいるようなプレッシャーを確かに感じ、タクトとレスターは反射的に背筋を伸ばす。「それがワシからの、准将として、お前らの元教官としての命令だ」────了解!!タクト達が、ルフトから命令を受けている頃、エンジェル隊の一堂は会していた。それはいつものティーラウンジ…………ではなく。医務室の前の扉だった。ラクレットは先ほど突然叫びだした後、そのまま意識を失ってしまったのである。エルシオールからの誘導で機体ごと帰還させ、コックピットから重たい彼の体を、男性スタッフ二人で引き摺り下ろし、そのまま担架で運んできたのである。エンジェル隊はそのまま順番に補給を受け、警戒任務に務めたが、ラクレットはその間ずっと意識不明だったのである。医務室に搬送された彼の様態は、特に外傷や頭を打ったわけでもなく命の危険があるわけではなかったのだが。それでも、ミルフィーユとヴァニラは心配し皆を説き伏せて、医務室まで来たのである。最も、ランファ達三人も別に行かないつもりは無かったのだが。「大丈夫かなぁ、ラクレット君」「ミルフィー、あんたそれ何回目よ」5回目の心配の言葉を漏らすミルフィーに、それを指摘するランファ。ランファのほうは比較的いつも通りではあった。それは心配していないというより個々の所の超常現状の連発に感覚がマヒしているのが大きい。「そんなにラクレットのことを心配してるんじゃ、タクトが妬くかもね」「ええ、タクトさんはあれでも嫉妬深そうですからね」なるべく、雰囲気が暗くならないように軽口をたたくフォルテとミント。彼女達もあまり変わりはなかった。本気で言ってるが彼の心配をしていないわけでは無い。ヴァニラは、先程の戦闘で出た数名の軽傷者の治療をしているので、医務室の中にいる。「にしても……」会話が途絶えたところで、ランファが呟く。3人の注目がランファに集まったのだが、彼女は続けない。そのまま口を閉ざしてしまう。「にしても、何ですの?」ミントは自分の能力を使わなくてもなんとなくわかるのだが、先を促した。ランファも考えをまとめていたのか、それに反応しようやく口を開く。「どうして、あいつは倒れたのかなって思って」それは皆が考えていた事だ。単純に体力の消耗? 確かに『エタニティーソード』の操縦にはスタミナが必要だが、今までもっと長い戦闘をしたこともあったが、倒れるまででもなかった。怪我か頭でも打ったが? 外傷は無いとさきほど話しているのが聞こえた。それに加えて彼女が気にかかっているのは「あんな、大声で叫ぶあいつなんて見たこと無いわよ」ラクレットは、何かを呟いた後にいきなり絶叫し意識を失ったのだ。声が枯れて気絶? そんなこと聞いたことはない。「何かを悔いている様な文句だったと整備班の方々は仰っていましたわ」「ああ、ずっと自分を責めていたようなことを呟いていたとも聞いたよ」。フォルテとミントは、少ない情報から理由を考察しようとするも、やはりそううまくはいかない。そのように彼女達が結論が出ないまま話していると、目の前の医務室のドアが開きケーラが出てきた。エンジェル隊の姿を見つけると、予想通りだという表情を浮かべて、入りなさいと声をかけて、再び中に戻る。エンジェル隊はそんなケーラの後に続くのであった。「彼が倒れた原因だけど、単純に精神への過剰な負荷……要するに強いストレスを感じたのが理由よ」ラクレットが眠っているベッドの前。そことカーテンで仕切られているが、すぐ隣でケーラの話を合流したヴァニラと共に聞いているエンジェル隊。ケーラは、全員の視線を受けつつ解説を続ける。「ラクレット君のバイタルデータ、戦闘中はビックリするほどフラットだけれども、戦闘終了直後からだんだん乱れてきて、ある一点で振り切れていたの。要は、戦闘中は無理やり押さえつけていたのが、戦闘終了と共に開放されたと言う所かしら」そこまで続けて、ケーラは一端言葉を切る。全員が理解できているかを確認する為である。「ある一点ですか?」だからミルフィーは、そのタイミングで先程のケーラの言葉で気になったところを質問する。ケーラはその質問を待っていたのかのように、話を再開した。「ええ、そうよ。そのタイミングに彼が見ていた映像があるの。さっきクレータから渡されたわ」ケーラはエンジェル隊の方へと向き直る。その表情からは真剣な思いが伝わってくる、エンジェル隊の面々は思わず身構えてしまった。「それが……これよ」その言葉と共に、壁にはめ込まれたスクリーンに映像が流れ出す。「これって……」「……あの」「ファーゴの……」映像に写っていたのは、宇宙空間を漂うファーゴの人々だった。「推測だけど、ラクレット君は人々が死んでしまったことに何かしら強いストレスを感じたから気絶した。もしかしたらそれは、彼の『心理的外傷後ストレス性障害(トラウマ)』に関わるのかもしれないし、単純に圧倒的な数の死に対してかもしれない。とにかく、私はそう考えているわ」やや悲しそうな顔のままそこで話を終了させ、自分のカップのコーヒーに口をつけるケーラ。エンジェル隊はそのままラクレットのいるベッドをカーテン越しに見つめているのであった。それは、消灯時間が近づき、ケーラが無理矢理遅れてきたタクトごと追い返すまで続いた。「ここは、どこだ………」彼が目を覚ますと、自分が何か柔らかいものを枕にして寝ていることに気づいた。気になって上体を起こしてから振り向くと、そこには「枕だ……」自分の使っている枕よりも柔らかい、低反発の枕があった。『引っ越して来たばかりの四畳半の和室』には布団も枕も有ったのだが、間違ってもこんなに高級な低反発のものではなかった。彼の主観的は寝起きからいきなりよくわからないことになっているなと思いつつ、自分がなぜいつもと違う枕で寝ているのかを考える。ふと、周りを見るとカーテンで囲われていて、壁には誰かの白い陣羽織がかかっており、さながら病室のようだなと思う。さらにかすかにコーヒーの匂いを感じる。「あ~?どこだ……?」コーヒーの匂いのする病室ってどんなんだよと思い、さらに混乱する。とりあえず、素足のままベッドから降りてカーテンの向こう側に行くことにする。夢を見ているのか将又寝ぼけているのかはっきりしないまま。「なんだぁ……本当に病室……つーか処置室みたいだな」部屋には誰もいなかった。初めて見るはずなのに、すごく既視感を覚える光景に唯でさえボーとしていて、頭痛すら伴う頭が輪をかけて鈍る。よくわからないけれど、ここには居たくないと感じた彼は、近くのドアから外に出る事にした。「どこだよ……ここ……。つーか、なんだよこれ」素足のまましばらく歩くと、自分の格好が見覚えのない学校の制服であることに気づいた。自分は既に高校を卒業したし、その高校のデザインとも違う制服に戸惑いつつも、替えの服を持ち合わせていない彼は、脱ぐことも出来ずそのまま探索を続ける。廊下はどこか近未来的な雰囲気だ。天井の照明は落ちていて、足元の非常灯のみがボゥと光るのも、その要因の一つか。頭の鈍痛が無く体調が良ければ、テンションも上がったであろうが、今はそのような気分ではない。「SFかよ……」全く見覚えが無いはずなのに、なぜか足は迷わず進む。どこかを目指しているみたいだが、自分でもわからない。それでも、とりあえずそのまま足に任せて進むのであった。「マ、マイヤーズ司令!!」タクトは、つい先ほど明日の朝一で出発する為の準備を終わらせて、眠ったばかりであった。しかし、無慈悲にもアルモの通信で起こされた。自分が仕事をきちんとこなすとすぐこれだ。そんなことを理不尽にも思いつつ、タクトは目を強くもみながら無理矢理意識を起こす。「なんだぁ……アルモ」「それが!! ケーラ先生が少し席を外した間に、ラクレット君がいなくなっちゃったんです!!」「……え?」アルモの焦った声をどうにか理解しようとしたのだが、どうにもうまく行かないタクト。そんな様子に焦れたのか、画面越しのアルモの左から、レスターの顔がぬっと出てきた。「起きろぉ! タクト!! ラクレットがいなくなった。艦内のカメラの映像を追おうにも、先ほどの戦闘で半分ほど動いてない。だから完全に行方不明だ」数年来の親友の声に、意識を覚醒させるタクト。眠い頭だが、次第に事態を理解する。「起きて、自室に戻ったんじゃないのか?」「ケーラ先生曰く、靴もトレードマークの陣羽織もそのままにいなくなったそうだ」「消息不明になって15分経ちますが、ブリッジに報告も来ていません」交互に喋るアルモとレスターに段々と頭が冴えて来る。「わかった、とりあえずいったんブリッジに行く。少し待っていてくれ。その間にも監視カメラの映像のチェックと、夜勤スタッフへの連絡を」「何で海があるんだよ……」何かに導かれるままに入ったのは、彼の主観から言えば海だった。潮の香りが漂う波打ち際、波の音が聞こえ暖かい空気を感じる。此処はさながら南の島かと思ったくらいだ。「うわ、クジラが潮吹いてるよ。どこだよ本当に」先ほど移動中に窓から見えたのは満点の夜空であった。だから高層ビルだと思っていたのだが、目の前のありえない光景に、思考を投げ出し成って来た。そんな風に彼が一人佇んでいると後ろから、一人の少年が歩いてきた。なぜそんなものを察知できるのかわからないが、直感的彼はとりあえず振り向いた。「……来ましたか。宇宙クジラがあなたを呼んでいましたからね」「……………………クロミエ?」「はい、クロミエですよ」なぜか自分でも知らないうちに目の前の少年の名前を当てていた。自分で、先程からどこかおかしい自分に疑問を持ちつつもその『クロミエ』を見る。というか、自分は誰だ? 名前が出てこない。その事実に気づき背筋が急激に冷えて来る。違和感しかない状況を受け入れている自分があり得ないことに気づいたのだ。「それにしても、宇宙クジラも無茶をします。ここに呼ぶために一時的に記憶を封印するとは。まあ、ラクレットさん相手じゃないと出来ませんけど」「……お前は、何を言っているんだ?」彼の問いかけに答えないクロミエは、海の方に視線を向けた。つられて見ると巨大なクジラが背中を出してこちらを見つめていた。「……わかりました。宇宙クジラは今からあなたの記憶を戻すそうです。でも実感は持たせないそうですよ」「だから、何を言っている!!」目の前の『クロミエ』の意味不明な言葉に反発する。しかし彼の頭には、そのまま何をするでもなく、大量の映像が入り込んできた。それは、今までの『ラクレット・ヴァルター』の14年間の記憶。「状況は!!」タクトがブリッジに入って発した第一声はそれだった。あたかも戦闘に望むようなその声に一同は即座に反応を示す。「それが、相変わらず消息は不明で……」「夜勤スタッフも目撃していないそうだ……」芳しくない報告にも拘わらず、タクトは表情を変えずに指示を飛ばす。「それじゃあ、エルシオールのここ1時間の夜勤パトロール順路を外した通路で、15分以内にある個人の部屋ではない部屋は何箇所あるか計算させて」「了解しました」「レスターはここで待機してくれ、何かわかったらすぐオレに」それだけ言うとすぐに踵を返すタクト。その姿に一瞬引き止めるべきかとも思ったが、これが適任かとも思いレスターは思い止まった。タクトは戦闘以外でブリッジに居ても役に立たないのだ。「クロミエ、なんなんだよこれは」頭の中の映像は一度目の前で再生された後あるべきところ────記憶────に戻ったようだ。走馬灯という物は見たことが無いが、きっとこのようなものなのだろうとどこか冷静に分析していた。たった数時間の間に記憶を消されてまた戻されるなど、よくわからないことになっている。どうやらそれをしでかしたであろう、目の前のクロミエを睨みつけるラクレット。しかし、そんな視線を受けても全く表情を変えず、薄い笑みを浮かべているだけだった。「貴方は先程、自分で耐え切れなくってしまったのですよ」「だから、なんだよ!! 確かに気絶したけどそれは!!」心当たりのある言葉に強く反発するラクレット。今はなぜか平気だが、先ほど自分は意識を失ったのだ。理由は自分でもわかってはいるのだが。それでも記憶の件とは関係ないであろうと、彼はそう結論付けたのだ。「貴方の頭の中。テレパシストでは読めなくとも────宇宙クジラが読めないなんて、何時誰が言いましたか?」「っな!!」その言葉に一瞬完全に思考を停止させてしまうラクレット。今まで立っていた場所が崩れてしまったような錯覚すら感じる。自分の『原作知識(メタ的視線)』を目の前のクロミエは宇宙クジラは知っていると言われたのだ。しかし、そんな彼を再び我に戻したのは、突き崩した本人だった。「まあ、通常宇宙クジラが読めるのは、感情や心の動き程度で、詳細なものは無理ですけどね」「……おい」くすりと笑いながらそう言うクロミエにラクレットは完全にペースを乱されていた。少しは反撃しようかと、口を開こうとしたところで、クロミエが再び彼にとって衝撃的なな話を始めたのでそれは憚られた「でもあなたのだけは、特別に読める……としたらどうします?」「…………」彼がそう言った時、丁度壁や天井に映し出された夜空の月が、同じく映像の雲の向こうから現れた。クロミエの背後から月明かりが射し込み、表情はよく見えないが、どこか幻想的な雰囲気を出していて、ラクレットは一瞬声を出すことが出来なかった。「それは置いておいて…………貴方はファーゴのことを知っていた。というより、今迄の起こる事全て知っていた。そうですよね?」「……そうだが?」話の流れを変えるように、立ち位置を変えながらラクレットに尋ねるクロミエ。だが、追求の鋭さは変わらず、ラクレットは言葉を選ぼうとした。まるで詰問を受けているようだと感じつつも、結局もうこうなったらやけだと答えるラクレット。思考がまとまらずに誤魔化すという事が出来そうもないのだ。「そして、今迄それをうまく使ってきたけど、ファーゴを知りつつも放置して、自分で後悔していると」「……そうだよ!! それで悪いのかよ!! 人が死んじまったんだぞ!! 『僕の世界』で!!」クロミエの意地の悪い問い━━━少なくともラクレットはそう感じた━━━に逆切れするラクレット。もはや、いつもつけている仮面なんて関係なく、怒鳴り散らしている。クロミエはその様子を見ても、全く表情を変えず。相変わらずに静かな笑みを浮かべたまま続ける。「ええ、後悔しているなら、それで良いんじゃないんですか? 」「はぁ? さっきから何なんだよ!!クロミエ!!」もう訳がわからないとばかりに、クロミエを睨みつけるラクレット、彼からしてみれば全くもってはっきりしない態度で、何を考えているのかわからないのである。クロミエは意地っ張りな子供に言い聞かせるようにラクレットに説いた。「ですから、少なくとも今の貴方は、人の死を現実だと思っているから後悔しているんでしょう? 貴方のリアルに死があると思い出したのでしょう?」「当たり前だろ!! ここはゲームじゃなっ」「ええ、貴方は『自分が主人公のゲームの世界』だからという理由で、知っていることをそのまま適用したんですよ。皆が平等な現実なのに、どうしてゲームと一緒になるんですか?」その言葉を待っていたのか、間髪いれずに反応するクロミエ。表情は相変わらずで、全く攻めるようなものが感じられないそれはラクレットを逆に不安にさせた。「それは……」自分で言ってから気づいたのだ、自分の言葉を完全に否定できないことに。今までの自分の行動はどうだ? 原作知識を使って、好きなようにやってきた。それはいい、未来を知っていた人間ならば、そうするであろう。では、ゲームに無かったイベントに立ち会ったことは? 毎日がお祭り騒ぎなエルシオールで自分は、原作のイベントがあるとき以外はあまり出なかった。皆がお茶をしている間、自分は一人で鍛えていたし、一般のクルーとも必要以上のつながりを持とうとすることは無かった。立ち会う出来事を厳選していたと言える。それは、何故なのだろう?原作のイベント以外には価値が無いのか? ゲームの登場人物だから、気に入った人以外はどうでもいいのか? 出てきていない人物など、気を掛けるに値しないのか?「ゲームと同じだと思っていたのではなく、ゲームだと思っていた。宇宙クジラも貴方がどこか物語を読むように、味わうように過ごしていたと言っていましたよ」「…………」ああ、そうだ。自分は楽しんでいた。この生活を自分の知識を利用して、エルシオールのクルーとの原作イベントを。自分が得た力で敵を蹴散らすのを。自分が好きなようにできると、自分の中で思い上がっていたことにだけ自分は首を突っ込んでいた。それはきっと、この世界に生まれた僕が勝手に特権だと思っていたから。君達を助けるのだから、自分は楽しむ権利があると。「でも貴方は人が死ぬことを耐え切れなかった」「当たり前だ!! 死ぬか、死なないなら、死なないほうがいいじゃないか!!」それが、ラクレットの本心だった。自分はゲームの世界だとどこかで考えていた、だから止めなかった。ゲームの世界なら、人が死んでもいいけど、現実なら駄目なのだ。『僕の理想とする世界で、僕が望まないことが起こってはいけない』のだからここが本当に現実なら。僕がそう認識していたとするならば、自分の格好良い見せ場を盛り上げる方法なんて考える暇があったら。どんなに低い可能性でもタクトやレスターにルフト、それこそジーダマイアにでも掛け合って、先に避難させとけばよかった。少なくとも、そう出来る時間はあった。だけどそれじゃあ、きっと無理で、自分のことを説明し無ければ無理で。自分の認識を変えなくてはならなかった。加えてこの事件が起きなければ、エンジェル隊は成長しない。と頭のどこかで警鐘を鳴らしている自分を封殺していた。だから止めなかった。死なないほうがいいのに、死んでもらった。『所詮ゲームだ、顔を知らない一般市民ならともかく、モブ未満のキャラクターが死ぬのは問題ないだろう』ラクレットの主観において、死ぬことを知っていて、救う努力をしなければ、殺人だ。極論ではあるが、形だけでも動かなければ彼はそう認識する。彼は自らも知らないうちに無抵抗な相手の殺人を肯定していた。それどころかそのほうが都合が良いと思っていた。「ええ、その通りです」クロミエは目を閉じて、腕を胸の前で組みそういった。ラクレットは地面に膝をついてクロミエのことを見つめていた。「貴方は弱い……いえ、優しい人です。だから苦しんだ。人が死んだことに。救えたかもしれなかったことに」ラクレットは、人が死ぬことが嫌だった。それは人としては当たり前の感情であった。たとえ、ゲームでも人には死んでほしくないのだ。演出として効果的なのはわかる。それでもたとえ文章で1行しか描写されなくても、誰かが死ぬことに良い感情はない。死ぬことは問題ないけど、誰にも死んでほしくない、矛盾している、そんな子どものような考えだった。故に苦しんだ、本当にわずかにでも救える可能性があったから、別に自分に責任があるわけではないのに。ラクレットは自分が思い上がったせいで、人が死んだと『思い上がっている』それが原因で思い上がっていた彼は、現実を否定されて消え去った。「僕も宇宙クジラもそれを言ってあげたかった」クロミエは、ラクレットに近寄り微笑んでそう囁いた。膝をついているラクレットのほうが、クロミエより頭一つ分小さく、ラクレットは彼を見上げる形になった。「貴方はこれからもきっと優しい貴方でいてほしいから、苦しむだろうけれど人を救うだろうと」クロミエの本心だった。ラクレットという人物の人柄を好いている少年の本音だった。ラクレットは何処までも素直で自分に正直であった。欲望にも素直で良心の呵責にとらわれて。この世界をゆがんだ形で愛していて、不条理でできている世界に不都合な現実はないと信じている、滑稽な所が面白かった。そういった側面を何て呼ぶかは知らない、自惚れと呼ぶのかもしれない、だがクロミエはそれこそがラクレットのやさしさだと解釈したのだ。「クロミエ……ありがとう」ラクレットは、この世界で出来た初めての親友に心からの感謝の言葉を述べるのだった。クロミエはそんな彼の頭に手を置いて優しく撫でながら微笑むのだった。「もちろん、貴方は結構欲塗れである事も知ってますけどね」「……台無しにすんなよ」「そこが好きですから、仕方ないんですよ」そんな関係の二人であった。