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No.19573の一覧
[0] 【ネタ】一般生徒(マリみて再構成)[もっこす](2010/06/16 19:13)
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[19573] 【ネタ】一般生徒(マリみて再構成)
Name: もっこす◆09705c6b ID:0336ee6a 次を表示する
Date: 2010/06/16 19:13
 私、福沢祐巳はかつてリリアン女学園に通っていた。

 リリアン女学園は幼稚舎から大学までの一貫教育、所謂エスカレーター式の学校であり幼稚舎から入学し、小等部の低学年の頃まで在籍していた当時の私は幼いながらもこのまま青春の大半をこのリリアン女学園で過ごすのであろうと特に疑問も不満も感じずにそう考えていた。

 しかしある日そんな私の漠然とした未来予想図は呆気なく瓦解することになる。

 父の仕事の都合で急遽引っ越すことになったのだ。

 級友との別れの挨拶もほどほどに私は家族と共に新天地へと赴くことになったのだった。









・八年後


 私は引っ越し先にある近隣の公立小学校に転入しその後卒業。

 そして同じく近隣にある公立中学校に入学し、こちらも特に問題なく二年以上を過ごし、後に控えるイベントといえば受験と卒業式ぐらいというそんなある日、私達家族はまたも父の仕事の都合で引っ越すことになってしまう。

 引っ越し先はかつて私達家族が住んでいた東京である。

 私はかつての古巣であるその地に戻れるということにさほど感慨があるわけでもなく、むしろ現在の私の人格の大半を形成したと言ってもいいこの土地を離れることの方に強く抵抗を感じた。

 八年もその土地で過ごせば仲の良い友人の一人や二人できるのは当然のことでやはり離れ離れになるのは辛い。

 が、しかしそんな個人的な理由から引っ越しが中止になるわけもなく私もその辺りは割り切って特別不満を両親に訴える事なく引越しの運びとなった。

 大変だったのは高校入試である。

 なにしろ急遽決まった引越しなのでかつて住んでいた土地とはいえ高校のことなどまるで調べてはいない。

 もはや選好みしている猶予はなく、とりあえず自分の学力より多少低くても良いから安全圏で確実に受かり、そしてなるべく近隣の学校ならばどこでもよかったのだが母はかつて私が通っていたリリアン女学園を強く推してきた。

 彼女はリリアンのOGであり、余程母校に特別な思い入れでもあるのかしつこいくらいに受験するように勧めてきた。

 私はそんな母の熱意に負け母の顔を立てるつもりで駄目元で近隣の志望校とは別にリリアン女学院高等部を受験することを決意したのだ。

 所謂エスカレーター組による進学ならまだしも、それなりの名門校であるリリアン女学園の外部入試となると今の私の学力では恐らく受からないであろうとは思っていたが、だからと言って手を抜くのは母にも申し訳ないし、何より私の性質上できないことなので、出来うる全ての努力を尽くして入試に臨んだ。

 結果発表の日、私は合格者の受験番号が張り出される掲示板を見て呆然とし、立ち尽くした。



 結果は、


 「…………うそーん。」


 合格である。




 自己採点した限り、恐らく不合格だろうというところだったので私は半ば諦めて既に受かっていた第一志望校でのこれからの高校生活へと想いを馳せていたのだが、しかし合格発表の掲示板に自分の受験番号が掲載されているのを見て一気にそんな妄想は吹き飛んでしまった。

 何度も手元の番号を確認しそれでも信じらずどこか夢心地のような気分で私は帰途に着いた。

 母は合格したと聞いて大層喜んでくれ、合格祝いだといってその日の食卓では普段では考えられないような手の込んだものが並んだのだった。






 食事も終わり入浴を済ませ自室に戻ると私は倒れるようにベッドにうつぶせになり深いため息をついた。

 母の喜びようとは裏腹に私はリリアンに通うことに余り乗り気ではなかった。

 家に着いてからつい先程まで何度も志望校の方に進学させてくれないか、と切り出そうとはしたのだが母の喜びようを見てついぞ口には出せなかった。

 果たして普通の学校に八年もの間通い続け一般人となんら変わらない感性を持つ自分が所謂お嬢様学校であるリリアン女学園で再び馴染むことが出来るのだろうか。

 幼稚舎から小等部の低学年まで通っていた頃の記憶など既に朧げではあったが、それでもかつて私が五年間在籍していたリリアン女学園という学校と一般の学校とでは相当な習慣や考え方の違いがあるように思う。


 (そういえばあっちの転校初日の挨拶で『ごきげんよう』って言ったら皆目を丸くしてたなぁ…。)


 私はかつての苦い経験を思い出し苦笑しながらもなんとか母を説得できないものかと思案したが、しかしすぐに意識はまどろみへと堕ち寝息をたて始めるのだった。







・数ヵ月後


 さて、結局その後も第一志望の高校へ通わせて欲しいという要望を両親に切り出すことが出来ず流されるままにリリアン女学園高等部に入学して早半年以上が経ち季節はもう秋になったころ。

 私の近況はというと特に問題を起こすこともなく、つつがなく、とまでは言わないまでもどこにでもいる一生徒として毎日を過ごせる程度にはここでの生活にも漸く馴染み始めていた。

 入学当初はお嬢様学校とはいえそこはお年頃の女子校生、高校生になって皆それなりには垢抜けているだろう、とそんなふうに考えていた。

 しかしその考えは甘かったといわざるを得ない。

 この一貫教育制のリリアン女学園は一種の隔離された箱庭であり、そこで純粋培養された大半の生徒たちは今時こんな女子高生いるわけないだろ、というほどの純真さと可憐さを兼ね備えていた。

 どの生徒も正におしとやかと形容するに相応しい気質を持ち今でこそ慣れたものの当初は世俗に塗れた自分一人がなんとなく常識とズレているような気がして、(勿論世間一般から見れば彼女達の方がズレているのは明白だろうが)落ち着かない日々が続いた。

 挨拶や名前の呼び方などの習慣に関しては受け入れることにさして時間はかからなかったのだが、中でも未だに理解しがたいものもあり、その一つが『スール制度』というものだった。

 それは下級生が特定の上級生と姉妹の契りを結び姉となった生徒が妹である下級生を導く、というシステムである。

 いや、聞いた限りにおいて、なるほど確かにそのシステムのかいあってか生徒たちは伝統通り今でも品行方正を地で行く勢いの優等生ばかりで、そのシステム自体になんら否定的な感情は持ち合わせていなかったのだが、実際校内のそこかしこで、『お姉様ー』、と呼ぶ声がしたりだとか、『あら○○、大声を出してみっともなくてよ』、なんていっていちゃつく光景を目の当たりにしてみて遅ればせながらとんでもないところに来てしまった、と呆然としたものだった。

 まぁ恐らく私とは一生関わりのない制度だろう。

 理解はできないがそんな光景ももはや見慣れつつある。

 また入学当初一番の懸念であった学力の差については、こう言ってはなんだが大半の生徒が含まれるであろうエスカレーター組の中にも勉強が不得意な人間はいるようで恐らくギリギリで入学できたであろう私の校内での学力は中の下~下の上、といったところでなんとか落ちこぼれとまではいかないところに位置していた。

 後に聞いた話では外部受験の場合かつてリリアンに所属していた者や学校関係者の身内は多少有利になるらしく、かつてリリアンに在籍していた私の場合、もしかしたらそれが有利に働いたのかもしれない。



 また、現在私はテニス部に所属している。

 この学校でば生徒の大半がエスカレーター組なので既に仲の良い者たちのグループが出来上がっており外部受験組である私がこの学校に早く馴染むには積極的に他の生徒達に関わっていかなければならない。

 それには普段の生活よりもより濃密な時間を他の生徒達と過ごすことができる部活動が手っ取り早いと考え入部したのだ。

 何故テニス部なのかというと中学時代の三年間私はテニス部に所属しており、多少の自信があったからである。

 幸い、と言っていいのかどうかわからないがこの学校のテニス部は余り強くないらしく試合で勝つために練習するというよりは純粋に部活動を楽しむことが目的といった雰囲気なのでさほど練習は厳しくない。

 中学時代に所属していた部は県でも割と強い方で(ちなみに当時そんな部だとは露知らずに入部した)、学校側にも期待されており大会を勝ち進むために毎日厳しい練習をしてはへとへとになって帰宅したものだった(そのかいあってか大会では割と良いとこまで勝ち進んだ)。

 中学のときもそうだが私自身別に大会で良い成績を残すことが目的ではないし、中学時の部を殊更悪くいうつもりもないが、どうやら自分には今の方が合っているらしく私はこの和気藹々とした空気が気に入っていた。

 まぁそんな感じで多少の戸惑いや不安もありつつも私、福沢裕巳はリリアン女学園の生徒として概ね上手くやっているのではないだろうか。





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