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No.19477の一覧
[0] 【習作】バイオハザードjpn【完結】[da](2010/09/20 09:35)
[1] 【17時30分】[da](2010/06/21 23:11)
[2] 【18時】[da](2010/06/23 10:04)
[3] 【18時30分】[da](2010/06/24 22:10)
[4] 【19時】[da](2010/06/27 15:25)
[5] 【19時30分】[da](2010/07/01 20:07)
[6] 【20時】[da](2010/07/06 19:36)
[7] 【20時30分】[da](2010/07/19 05:20)
[8] 【21時】[da](2010/07/21 10:27)
[9] 【21時30分】[da](2010/08/28 07:42)
[10] 【21時30分〔2〕】[da](2010/09/20 09:36)
[11] 【21時50分】[da](2011/01/21 18:51)
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[19477] 【17時30分】
Name: da◆3db75450 ID:72179912 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/06/21 23:11
【17時30分】

部屋から通路に出る。
11月の冷たい風が吹きさらしの通路を通り抜けていく。
通路には錆びた金属の扉と、鉄格子をはめた明り取りの窓が並んでいて、突き当りに階段がある。
築三十年の寂れたマンションだ。
ゾンビは見当たらない。
通路から下を覗くと駐車場がある。
駐車場の電柱に中型トラックが衝突して、電柱が半分に折れていた。
そこにもゾンビは見当たらない。
霧島さんが言った「ゾンビが市外を目指している」というのが本当なら、市の中心部にあるここは一番ゾンビの少ない地域なのかもしれない。

俺はリュックの肩ベルトを調節して走りやすい長さにする。
腰ベルトも締めて安定させる。
30分で1km移動しなくてはならない。
野球をやっていたころは1kmを3分30秒で走ることができた。
しかしそのタイムは障害物のないグラウンドを一定のペースで走った場合で、今は当てにできない。
俺は走り出した。

数歩も走らないうちに、リュックが何かに引っかかってバランスを崩し、冷たいコンクリートの床に尻餅をつく。
振り返ると、リュックの端を土気色の腕が掴んでいた。

「うわっ!」

腕は、鉄格子をはめ込んだ窓の隙間から伸びている。
それは明らかに生きた人間の腕じゃない。
俺は身体をひねって振り払う。

「くそっ、離せ!」

力が強く、なかなか振り払うことが出来ない。
俺はリュックを掴んでいる腕に、バットを振り下ろす。
体勢が崩れいて、あまり力が乗らない。
それでもかまわず、何度も叩きつける。
鈍い音を立てながら、次第に腕が折れ曲がっていく。
執拗に叩き続けると、ついに腕が千切れた。
千切れた腕は、未だにリュックの端をつかんでいる。

荒い息を吐いて、後ずさる。
窓からは2本目の腕が、俺を捜し求めるように伸びている。
窓の隙間から人の顔のようなものが見えた。
土気色の肌が所々腐って崩れ落ち、目は白く濁っている。
口はだらしなく開き、腹の底から響いてくるような低いうめき声を上げている。
そこには人間らしさや、生物らしさは見当たらない。

俺は踵を返して、走る。
早く走ろうと意識しすぎて、手と足の動きがちぐはぐになる。
通路を駆け抜け、階段を転がるように降りる。
駐車場に出て、中型トラックの影に駆け込み、ようやく一息ついた。
荒い息を整えながら、リュックにぶら下がった腕を見る。
腕は肘のあたりで千切れていて、傷口からの出血はほとんどない。
すでに血液が凝固していた。
腕を引っ張ってリュックから外そうとするが、なかなか外れない。
リュックを置いて、指を一本一本こじ開けるように外していく。
千切れた腕に力入れると、皮膚がめくれ、肉が露出した。
悪臭が鼻腔を刺激し、あまりの臭いに息を止める。
腐っていた。
そうでなければバットで叩いて腕が千切れるはずがない。
俺はリュックから外した腕を投げ捨て、止めていた息を吐き出す。
そしてゆっくり息を吸い、また吐き出す。
暴れていた心臓が静かになっていく。
俺は落ち着くことができる。

窓の隙間から見た、人の顔のようなものを思い出す。
人の顔をしていたが、明らかに人間じゃなかった。
あれがゾンビなんだろう。
最初に遭遇したのが鉄柵越しのゾンビでよかったと思う。
自由に動き回れるゾンビだったら、今頃は喰われていたかもしれない。
俺はゲームのチュートリアルみたいなステージに遭遇したのだ。
そう思うことにした。

ゆっくりしている時間はない。
はやく小学校に行かなくてはならないし、もしかしたらあのゾンビが扉を開けて追ってくるかもしれない。
霧島さんはゾンビの知能は低下していると言ったが、扉を開ける程度の知能があるのかどうか、俺にはわからない。
俺はリュックを背負って立ち上がる。
めちゃくちゃな動きをしたのに、身体は少しも疲れていなかった。
むしろ普段よりも軽い気さえする。
これが火事場の馬鹿力なのかもしれない。
違うかもしれないが、似たようなものだと思う。
なんにしろ好都合だ。

中型トラックの影から道路に出て、辺りを見回す。
幅4mぐらいの道路の脇には、民家や商店が並んでいる。
建物の一階のガラスはほとんど割れている。
道路には車や瓦礫が散乱しているが、人間が通る分には問題なさそうだ。
俺はゾンビがいないことを確認して走り出した。



障害物を避けながら走る。
道路には何体もの死体が無造作に転がっている。
道路の脇の建物は、所々、廃材で補強されている。
その中にはゾンビが閉じ込められていて、俺を捕まえようと手を伸ばす。
廃材がその度に軋みを上げて、今にも破れてしまいそうだ。
俺はそれを避けながら走る。
しばらく走ると、バリケードが見えてきた。
二台の車が道を完全に塞いでいて、その車に大きな看板や、トタン板が立てかけられている。
バリケードの前には二対のゾンビがいるが、まだ俺のことに気付いていない。
俺はゾンビの手前にあるワゴン車まで走り、身を隠す。
ゾンビまでの距離は10mぐらいだ。
ワゴン車の下に潜ってゾンビを覗く。
音を立てて気付かれないように、注意する。
二対のゾンビはどちらも中年の男で、地面に跪いて死体を喰っていた。
肉を喰らう咀嚼音がここまで聞こえてくる。
喰われている死体は若い女性だ。
彼女の腹からは内臓が、破裂したみたいに道路にぶちまけられている。
もう息はない。

小学校へ行くには、バリケードを越えてこの道を直進するのが一番早い。
迂回するのにはひどく時間がかかるし、迂回した先に今みたいなトラブルがあったら18時に間に合わないかもしれない。
しかしゾンビを無視してバリケードを乗り越えるのは難しそうだ。
ゾンビがどんなに鈍くても、バリケードを上っている途中で気付くだろうし、気付かれたら引き摺り下ろされてしまうだろう。
俺はリュックを掴んだゾンビの、力の強さを思い出す。
引き摺り下ろされたらまずい。
車を使ってひき殺してしまおうと思ったが、このワゴン車は頭が半分民家に突っ込んでいて動きそうになかったし、周りを見渡してもまともに使えそうな車はなかった。

覚悟を決めて、右手に握った金属バットを見る。
俺はこれでゾンビの腕を千切った。
体勢が崩れていて、まともに力が入れられなかったにもかかわらず、千切ることができた。
ゾンビの身体は腐っていて、生身の人間よりずっと脆い。
万全の体勢でフルスイングすれば、いけるんじゃないかと思う。
それに、今日は身体の調子がすこぶるいい。
きっとできる。

俺はワゴン車の下から、這い出る。
そして慎重に、ゆっくりと、歩く。
ゾンビまであと5mぐらいにの距離に近づいても、ゾンビは気付かない。
この距離なら、一息で詰める事が出来る。
俺はアスファルトを強く蹴り、駆け出す。
バットを両手で握り締め、振りかぶる。
ゾンビがようやくこちらに気付いて顔を上げるが、俺はその顔に、バットを振り下ろした。
バットに鈍い手応えが伝わり、ゾンビの頭が地面に転がる。
頭をなくした首から、凝固しかけの血液が滴り落ちる。
俺は振り切ったバットを引き、もう一体のゾンビに向き直る。
ゾンビは立ち上がり、両手で掴みかかってくるが、その動きは決して素早いとはいえない。
俺は落ち着いて、ゾンビの腹にバットを叩き込む。
バットは、ゾンビの腹に半分程、埋まった。
ゾンビは少しよろめいたが、腹にバットが埋まったまま、倒れこむように掴みかかってきた。

「嘘だろっ!」

咄嗟に転がって、避ける。
地面を何度も転がり、距離を離して立ち上がる。
ゾンビはうつ伏せに倒れこみ、起き上がろうともぞもぞと動いている。
バットはゾンビの腹に埋まったままだ。
武器がない。
ゾンビが立ち上がる前に、どうにかしなくてはならない。
俺は駆け出す。
ゾンビの腹にバットを半分埋め込んでも、仕留められなかった。
腹ではダメだ。
俺は跪いた格好のゾンビの頭を、蹴り飛ばした。
ゾンビの首が折れ曲がり、起き上がりかけていた身体が、アスファルトに沈む。

やったか……?

ゾンビの頭を、足先で軽く小突いてみる。
その足を、掴まれた。

「――っ!」

ゾンビが脹脛に噛み付こうとする。
しかし、首が折れ曲がっていて上手く噛みつけない。
俺は脚を振って、足首を掴むゾンビの手を払おうとするが、ゾンビの握力が強く、払えない。
ゾンビが折れ曲がった首を捻り、噛み付いてくる。
俺は振り払うことを諦め、掴まれていない方の足で、ゾンビの頭を踏みつける。
やわらかい感触が足の裏に伝わり、ゾンビの頭が半分ほど潰れる。
もう一度、踏みつける。
今度はゾンビの頭を貫き、足の裏にアスファルトの硬い感触が伝る。
潰れたトマトみたいに、脳髄がアスファルトに飛び散る。
カーゴパンツにも、少なくない量の血と脳髄が付着する。
ゾンビの全身が、電気を流されたカエルの足みたいに痙攣した。
もう動き出す事はなさそうだった。
深く息を吐いてから足を放し、ゾンビの腹からバットを引き抜く。
赤黒い血と肉片が、バットにこびり付いている。
ゾンビの服に擦り付けて拭おうとしたが、どうせすぐに汚れるだろうからやめておいた。

俺は頭のない二対の死体に目を馳せる。
腹を抉った程度では、ゾンビは問題なく行動できるようだ。
完全に両断すればどうなるかわからないが、そんな手間をかけるより頭を潰した方が早そうだ。
少なくとも、頭を潰せば噛み付くことは出来ない。


俺は、凄惨な殺人現場を作り出したのに、それを冷静に観察していた。
感覚が麻痺しているのかもしれないと思う。
部屋を出てからたったの数分で、沢山の死体を見た。
多分それは、普通の人が一生のうちに見る死体の数より、ずっと多い。
人間は環境に適応する生き物らしい。
俺はたった数分で、死体が動き回るこの環境に、適応してきていた。

息を整えて、バリケードを登る。
上まで登ったところで、背後に物音がして振り返った。
さっきまでゾンビに腹を喰われていた女性が、ゾンビになって起き上がり、バリケードをよじ登ろうとしていた。
だけど上手く登れないみたいだ。
どうやら彼女はあまり複雑な動きが出来ないようだった。
俺は彼女を無視して、バリケードの反対側に飛び降り、駆け出す。



俺はほとんど全速力で走り続けている。
ずいぶん走ったのに、身体は少しも疲れる気配がない。
途中、何体ものゾンビにあったが、ほとんどは無視して通り抜けることができた。
ゾンビの動きには個体差があったが、せいぜい早歩きぐらいの早さだ。
障害物が邪魔して無視できないゾンビは、バットで頭を飛ばした。
一対一なら問題なく対処できた。

小さな商店の角を曲がると、小学校が見えた。
小学校は高いフェンスに囲まれていて、見る限りグラウンドにはゾンビがいない。
フェンス沿いに走って、正門を目指す。
フェンスの外には、沢山の死体があって走りにくい。
俺は少しスピードを落として走る。
道路に横たわった死体を飛び越えようとした瞬間、急に死体が動いた。
俺はその死体に引っかかって、アスファルトに転ぶ。
身体を起こして振り返ると、死体が起き上がっていた。
釣られるように、周囲の死体も動き出す。
俺は踵を返すが、後ろの死体も起き上がっていた。
俺が死体だと思っていたものは、全てゾンビだった。
完全に囲まれている。
ゾンビがゆっくりと迫ってくる。
俺はゆっくりと後ずさる。
ざっとみて、二十体以上いる。
この群れを金属バット一本で切り抜けるのはどう考えても無理だ。
背中にフェンスが当り、音が鳴る。
ゾンビが後一歩のところまで迫り、口を大きく開け、噛み付こうとする。
俺は身体を反転させ、バットをフェンスの向こう側に放り投げる。
もう間に合わないかもしれないが、これしか方法がない。
ゾンビの腕を振り切って、両足に力を入れて跳び、フェンスに摑まる。
ゾンビが、俺の足を掴もうと、手を伸ばす。
俺はゾンビの手を避けて、フェンスをよじ登る。
上まで登って、グラウンドに飛び降りた。
振り返ると、ゾンビは呻き声をあげながらフェンスを揺らしていた。
フェンスはかなり丈夫な作りで、この数のゾンビが相手でも耐えることができそうだった。

「は……はは」

自分でも、驚くほど上手くいって自然と笑みがこぼれる。
俺は放り投げたバットを拾ってから、もう一度フェンスを見上げる。
フェンスは5m以上の高さがあった。
さっき俺は一跳びでフェンスの中腹に摑まった。
単純に考えて、助走なしで2m近い高さまで跳んだということだ。
垂直跳びの世界記録がいくつだかはわからないが、成人男性の平均は60cm程度だったはずだ。
俺は三倍以上跳んだことになる。
明らかに普通じゃなかった。
思えば、1km走って動き回ったはずなのに身体が全く疲れていない。
それどころか、動けば動くほど、俊敏に、力強くなっていくような気がした。
まるで自分の身体に、何かが馴染んでくるみたいに。
もう一度跳んだら、今度は2m以上飛べるような気がする。

「ははっ」

あまりにもバカバカしくて、笑ってしまう。
垂直跳びで2m以上跳べるわけがないじゃないか。
たまたま火事場の馬鹿力が出ただけだ。
もしかすると一跳びじゃなくて、途中でフェンスに足をかけていたかもしれない。
それにいったい、何が馴染んでくるというんだ。
四日も寝ていたから最初が最悪だっただけで、徐々に調子を取り戻してきたから勘違いしただけだ。
俺は馬鹿な考えをやめて、ゾンビに背を向けた。

時計を見ると17時42分だった。
余裕を持って到着することができて、胸をなでおろす。
小学校は静まり返っていた。
もうこの地域の人は全員避難したのか、俺以外は誰もいない。
ゾンビもいない。
その代わりにグラウンドのいたるところに荷物が散乱している。
リュックやキャリーバックや大きな衣装ケースまである。
きっとヘリに乗り切らなかった荷物だろう。
こんな大きな荷物を準備して持ってくるより、さっさと逃げてしまったほうがよかっただろうにと思う。
グラウンドを見渡すと、ミステリーサークルみたいに荷物が置かれていない部分を見つけた。
多分そこでヘリが発着したんだろう。
俺はそこに歩き出す。
ミステリーサークルの近くまで来た時、俺は朝礼台の影に少女が座っていることに気づいた。
俺は少女に声をかける。

「どうも」

少女は返事をしない。
聞こえなかったのかと思って、少女に近づく。
少女はセーラー服を着ている。
顔は陰になっていてよく見えない。

「どうも」

俺はもう一度声をかけるが、やはり少女は返事をしない。
それどころか身じろぎひとつしない。
俺が近づいてきていることに気付いているはずなのに、全く俺に注意を払わない。
目の前に立っても、彼女は何の反応もみせない。
不審に思って、少女の顔を覗き込む。

「――っ!」

少女の顔は、血で真っ赤に染まっていた。
驚いて一歩後ずさる。
そこで、少女の顔だけじゃなく、全身が血で染まっていることに気付く。
もとは白かったであろうセーラー服は、白い場所を見つけるのが難しかった。
血の雨でも降ったかのように、少女の全身は濡れていた。
俺は奇妙なことに気づく。
少女の髪も、真っ赤に染まっているのだ。
髪の色が黒だとしたら、たとえどれだけ血で濡れても、黒のままのはずだ。
真っ赤に染まるには、元の色が相当薄くなくてはならない。
少女の髪を観察していると、血に濡れていない一房を見つけた。
色は白だった。
少女の鈍い反応――血で濡れた身体――白髪――俺の頭にひとつの仮説が浮かび上がる。

彼女の心はとまってしまっている。

精神的なショックを受けると、一晩で髪の色が抜けて、白髪になるという。
おそらく彼女にとって衝撃的な出来事があって、彼女は自分自身を守るために、心をとめてしまった。
何が起こったかは、血で染まった彼女を見れば大体想像できる。

俺は少女から離れて、周囲に転がった荷物を漁る。
着替えやゲーム機やノートパソコンやプラズマテレビ、中には逃げるために持ち出そうとはおよそ思えないものまで入っている。
その中からバスタオルを見つけて、水のみ場で濡らす。
そして少女の傍らに戻って顔を拭いてやる。
少女の大きな目が俺を見る。
綺麗な黒い瞳の中に、彼女の意思のようなものは感じられない。
本当に、俺を見ているのかわからない。
まるで俺の中にある別の何かを見ているように思える。
焦点は間違いなく俺に合っているのに、彼女は俺のことを見ていない。
そんな気がした。
俺が危害を加えないことがわかると、彼女は目を元の位置に戻す。
少女の目は、中空をあてもなくさまよっている。

少女の顔についた血は、乾き始めていて落とすのに少してこずった。
血を落とした少女の肌はきめ細かく真っ白だった。
少女の髪も拭いてやる。
肩甲骨辺りまで伸びた彼女の髪を拭うのは大変で、俺は何度か水飲み場を往復してタオルを洗う。
少女の髪は、驚くほど白かった。
白い肌に、白い髪、そして大きな瞳。
白ウサギみたいだと思った。
彼女は笑えば愛嬌があって、さぞかしかわいいだろうと思う。
今のままでも十分整っているけど、表情があったらきっともっとかわいいだろう。
だから表情がないのがとても残念だった。

血で濡れたセーラー服も着替えさせたほうがいいと思ったけど、やめておく。
着替えならそこらへんに沢山転がっているけど、俺が少女を着替えさせるのはなんだか悪い気がしたし、犯罪じみていた。
それに少女を着替えさせている間にヘリが到着したら、まずいことになりそうだ。
荷物の中にあった毛布を少女の肩にかけてやる。
十一月の風は冷たいから、風邪をひかないように。
血に濡れた制服は気持ち悪いかもしれないけれど、この街から脱出するまでは我慢してもらうしかない。
でも彼女は多分、血で濡れた制服を気持ち悪いとは思っていない。
十一月の風を冷たいとは思っていない。
髪についた血も、顔についた血も、気持ち悪いとは思っていない。
多分、何も思っていない。

俺は少女の隣に腰を降ろし、少女と同じように中空を見る。
すでに日は沈んでいて、残照がまだらに浮かぶ雲を茜色に染めている。
茜色の雲を見ていると妙に懐かしくなる。
何で懐かしいのかはわからないけど、懐かしくなる。
死んだ街の中の、荷物の散らばったグラウンドから見上げると、いつもよりずっと懐かしい。

ぼんやりと空を見ながら、少女がこれからどうなるのだろうかと考える。
彼女の両親は生きているのだろうか。
兄弟は?
親戚は?
友達は?
少女は心を取り戻すことができるのだろうか。
多分これは俺が考えてもしょうがないことだと思う。
だけど考えずにはいられない。
家族も親戚も失わなかった俺は、多分運がいいんだと思う。
こんな事件に巻き込まれてしまったけれど、ケガもないし後数分で何事もなく脱出できる。
友達はどうなったかわからないけれど、あいつらはしぶといし、きっと大丈夫だ。
だけど彼女は、もしかしたら命以外の全てを失ってしまったのかもしれない。

そんなことを考えていたら、緊張が解けたのか腹が減ってきた。
俺はリュックからウィダーインゼリーを取り出して飲む。
一気に飲まずに、ゆっくり、味わって飲む。
普段ならおいしいとは思えないけど、今は素直においしいと思った。
視線を感じて少女を見ると、彼女はじっとウィダーインゼリーを見つめていた。
俺はリュックからもう一本ウィダーインゼリーを取り出す。

「飲む?」

そう言って彼女に手渡す。
多分彼女は受け取らないんじゃないかと思ったけど、しばらくウィダーインゼリーを見つめたあと、受け取った。
彼女は手に持ったウィダーインゼリーをじっと見つめる。
俺はそんな彼女をじっと見つめる。
ふたの開け方がわからないのかもしれないと思って、俺はふたを開けてやる。
彼女はそれでもじっと見つめていた。
俺は彼女の前で、自分のウィダーインゼリーを飲む。
彼女は俺を真似るみたいに飲み出した。
彼女は淡々と飲んでいて、美味しいとか、そんな感情の変化は読み取れない。
やがて彼女は淡々と飲み干した。
飲み干してもずっと吸い続けていたので、俺は彼女の口からウィダーインゼリーを引き抜いた。
彼女は引き抜かれたウィダーインゼリーを目で追っていたが、取り返そうとするそぶりは見せない。

「俺の飲みかけだけど、いる?」

俺は飲みかけのウィダーインゼリーを差し出す。
彼女はそれを受け取って、飲みだす。
しばらくして飲み干したが、今度は飲み干した後すぐに口を離して、俺に差し出した。
俺はそれを受け取って、リュックにしまう。
荷物が散乱しているんだから捨てていっても大差ないだろうと思ったけど、少女の前でそんなことをする気にはなれなかった。

俺は少女の前に腰を下ろす。
少女は中空ではなく、俺を見つめる。
俺の中にある別の何かでもなく、俺を見つめる。

「俺は佐藤悠太」

俺は彼女に話しかける。

「おれは……さとうゆーた」

彼女は鸚鵡返しに言う。
掠れてしまいそうなぐらいか細い声だった。

「えっと――佐藤悠太って言うのは俺の名前だ。ゆうた、俺の名前はゆうた」

「……ゆーた」

「うん、そう、ゆーただ。君の名前は?」

「……」

彼女は答えない。
だけど彼女は無関心ではない。
彼女は必死で俺の言ったことの意味を理解しようとしていた。
俺はもう一度尋ねる。

「君の名前は」

「……わからない」

彼女は暫らく考えたあと、言った。
彼女が質問の意味がわからないのか、名前がわからないのか、俺にはわからない。
けどそこを問い詰めても、多分話が先に進まないと思った。

「えっと、まあいいや。名前はわからない、と。意味がわからないのか、名前がわからないのか、わからないけど、とにかくわからない。けど、名前無しで会話を進めるのは不便だから、便宜上の名前を決めてもいいかな?」

「……」

彼女は答えない。
やっぱり、俺の言っていることの意味がよく理解できないようだった。

「うん」

と俺は言って、首を縦に振る。

「……うん」

彼女も俺の真似をして首を縦に振る。

「OK、じゃあ決めるよ」

といっても、すぐに名前が思いつくほど、俺のボキャブラリーも想像力も豊かではなかった。
彼女の顔を見て考える。
彼女も俺の顔をじっと見る。
ウサギっぽいからウサギにしようかと思ったけど、それはあまりにも安直で、失礼に思えた。
ふと彼女の胸元に金属板がぶら下がっていることに気付いた。
俺はそれを手に取る。
金属板は首飾りになっていて、板には英数字が彫ってある。
それはドッグタグだった。
彼女のファッションなのだろうか。
少し前にドッグタグが流行った時期はあったが、いささか流行遅れだし、ドッグタグの持つ無骨な雰囲気は彼女にはあまり似合っていなかった。
俺はドッグタグに彫られた英数字を読み上げる。

「T-204」

ドッグタグは普通自分の名前を彫るものだが、これはどう見ても名前じゃなかった。
もしかしたら、誕生日とか、ラッキーナンバーとかそういった類のものかもしれない。
なんにしろ、これは彼女に関連する記号だから、これをもとにして名前をつけるのが正しいように思えた。

「うーん……ティー……ティーでいいんじゃないかな、わかりやすいし、呼びやすいし、ドッグタグに彫るぐらいだからきっと大切な意味があるんだろう。ティーでいいかな?」

「……うん」

彼女は首を縦に振る。

「OK、君の名前はティーだ。ティー」

「……てぃー」

「そう、それが君の名前だ」

そう言って俺は微笑む。
彼女はやはりよくわかっていないようだったけど、しっかりと俺を見ていた。

それから俺たちは話をした。
ほとんど俺が一方的に話しかけているだけだったがそれでもよかった。
彼女はしっかりと俺の話を聞いて、理解しようとしていたから。
彼女がこの街から脱出して、普通の生活に戻ったとき――いや、彼女の場合はおそらくリハビリ生活だろう――少しでも俺との会話が役に立ってくれればいいと思った。

遠くの空からヘリのプロペラ音が聞こえてくる。
空を見上げると、残照をバックにして大型のヘリがゆっくり近づいてきた。
実際は結構な速さで飛んでいるんだろうけど、今の俺にはすごくゆっくりに見える。
時計を見ると17時57分だった。
俺はティーの手をとって立ち上がり、大きく腕を振る。
彼女も真似して、腕を振る。
ヘリの姿が大きくなってくるにつれて、俺は違和感に気付く。
ヘリの飛行が安定しないのだ。
上下左右にフラフラと飛んでいる。
まるで何かを振り払おうとしているみたいに。
目を凝らすとヘリの周りを黒い点がまとわり付いていた。
カラスだ。
三十羽近いカラスの大群がヘリにまとわり付いて飛んでいる。
カラスはヘリのガラスに体当たりをしてヒビを入れている。
正面のガラスが真っ白で、ほとんど視界がないようにみえる。
何羽かのカラスが、メインローターに巻き込まれて地上に落下していく。
ヘリは蛇行しながら俺たちの方へ、飛んでくる。
いや、墜ちてくる。
ヘリの姿が大きくなるにつれて、急激に速度を増しているように感じる。

「くそっ!」

俺はティーを抱え上げて走り出す。
彼女は何が起こっているのかわからないようだったが、全く抵抗しなかった。
走り出した俺を追うように、ヘリが軌道を変える。
ヘリの操縦者も必死で、悪気はないだろうが、追いかけられる俺たちはたまらない。
ティーを強く抱きしめて、全力で走る。
足が千切れるんじゃないかと思うほど、必死に動かす。
ヘリが真後ろまで迫って、地面に衝突する瞬間、俺は地面を蹴って跳んだ。
そしてティーを庇うように、身体を捻って包み込む。
数メートル後ろに、ヘリが墜落した。
土砂を撒き散らしながら、地面にめり込み、潰れていく。
メインローターが地面を削り、半ばで折れて、地面に倒れた俺の鼻先を掠めて飛んでいく。
墜落したヘリに、カラスが群がっていった。
俺はティーを抱えて、背中を地面で擦りながらヘリから離れる。
10メートルほど離れたとき、ヘリが爆発した。
カラスも爆発に巻き込まれて燃え上がる。

俺は呆然とそれを見上げる。
このヘリは多分、俺たちの救助に来たヘリだと思う。
それ以外には考えられない。
ヘリの運転手は災難だったと思う。
だけど俺たちはどうなるんだろう。
次の救助はいったいいつになるんだろうか。
代わりのヘリはあるんだろうか。

俺の胸に抱えていたティーが少し身じろぎした。
そこで俺は、現実に引き戻される。

「あ、ごめん」

俺はティーを抱えていた腕をとく。
だけど彼女は、俺の胸に乗ったまま動こうとしない。
彼女は俺の顔をじっと見つめる。
俺も彼女の顔をじっと見つめる。
悪態でもつきたい気分だったが、そうもいかなかった。
少なくとも、彼女の前でそんなことはできない。
今この世界で、彼女を守れるのは俺しかいないんだと思う。
俺がしっかりしなくてはいけない。
俺はゆっくり息を吸う。
ティーも真似してゆっくり息を吸う。
十秒数えてから、ゆっくりと吐き出す。
ティーも真似してゆっくりと吐き出す。
俺は落ち着くことができる。

俺は立ち上がってティーを隣に下ろす。
俺を見上げる彼女の頭を、そっと撫でる。
まずは霧島さんに電話をかけなければいけないと思う。
これからどうすればいいのか尋ねないといけない。
携帯を取り出して、電話をかけようとすると、携帯が震えた。
非通知着信だ。

俺は少し迷ってから、電話をとる。



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